ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(3/6)4

2020-03-10 16:35:00 | メディア
曲が明けて、坪内祐三さんの訃報に関する投稿…
坪内さんが、甲斐さん、亀和田武さんと3人で「高田渡さんの店に行った」とエッセイにお書きになっていた…と読まれたトコで
「えー、これ、高田渡さんの店じゃないんですけどね
高田渡さんは、店なんか持ちませんから、ハイ」と甲斐さん(笑)

「高田渡さんの店ではなくてですね、それは吉祥寺の伊勢家ですね
で、えー、高田渡はいつも大体お昼過ぎ…そうですね、12時から2時くらいの間に…
そこにお昼に行くと、えー、高田さんはいつもそこで…店で酔っぱらってて…

階段上がった、ちょっと狭い…階段の途中の狭い踊り場みたいなトコがあるんですけど
そこに木のベンチが置いてあって、いつもそこか
その横の…踊り場のナンかちょっと隙間を見つけて、えー、酔っぱらって、いつも寝てました(笑)

で、僕は高田渡を見たいと、そこに行って、ナンか…
その時間に行くと大抵酔っぱらって寝てるんで
『わっ!高田渡さん、元気なんだ!』と思って
えー、年に1~2回くらい行ってましたかね(笑)
えー、スゴイですよね、もうナンか風物詩のようになってました」

…と話されてましたが、このエピソードを聴くたびに
「おっさんが(失礼!)おっさんの酔っぱらった寝顔を見に行く」という行為が妙にツボで(笑)
その、いつ訪れるか判らない「風物詩」にも関わらず、甲斐さんの期待を裏切ることなく
必ず寝ておられるという高田さんの勤勉さ?(笑)に感動すら覚えます(笑)

甲斐さんが、亀和田さんの対談記事の中で…
「時間とか時代の流れで錆び付いて行くものって、最初は『言葉』なんですね、言葉から錆び付く
で、一番最後まで残るのは、やっぱり声なんですよ、ビリー・ホリデイのあの声
それと、サウンドが付いているメロディは錆びない」という話から

「僕、フォークってホント好きだったんだけど
『♪あーるーきー、つかれーては♪』とか完璧に歌えるもん、今でも」
…と高田さんの【生活の柄】を口ずさまれると
亀和田さんが「聴かせてもらいました
しかも、吉祥寺の伊勢家に向かう車の中という絶好のロケーションで(笑)」と返され(笑)

「で、今でもたまに聴きたくなるんだけど
1回聴いただけで、ああ、ちょっと満足ってなっちゃって、高田渡や加川良はまだいいけど
それ以外になると何回も聴く感じにはならないんです
それはナンでかと言うと、やっぱりサウンドがないから」…とおっしゃってる件があり
その「たまに…」の折に「伊勢家さん詣で」をなさっていたのかなあと…?(笑)

それはともかく…「で、19歳の時に照和で歌いながらウェイターを…
19か、ハタチにかけて、やってたんですけど
えー、そこに高田渡が、ある時来て…で、まあそれは他のライブのために来たんですよ
だから、フラっとまあ寄ってくれた訳ですよね」と甲斐さん

「みんな意気地がないんで『甲斐、言ってくれ』って言われて『えーっ、俺なの!?』って思って…
じゃ『高田さん、ナンか歌ってくれって言ってんですけど』って言ったら『イイよー』って言って…
ちゃんとギターケース持って来てたから、そのまま地下の…えー、楽屋でチューニングして
で、3曲くらいやってくれたんじゃないかな?ええ…」…と話されてましたが

当時の照和は、藤松支配人の意向でアルコール類は置いてなかったようで(笑)
確か、プロになられた陽水さんがおみえになった際にも
甲斐さんが「コーラくらいしか出せませんけど…」とお願いなさったら
わざわざギターの弦を張り替えて、歌って下さったとおっしゃっていたし
この時ばかりは、さすがの高田さんもシラフでお歌いになったんじゃないかと…?(笑)
もっとも、門田一郎さんによれば、なぎら健壱さんがライブに出演なさった時は
近所の酒屋さんへお酒を買いに行かされたみたいだけど…(笑)

ともあれ…「その時、僕、19~20くらいなんですけど
完全に30歳くらいに見えるんですよ、30越してるくらい、高田さんが…
で、亡くなったあとに、僕と3才しか違わなかったって…ウソ~!あん時、じゃあ…みたいな

その時、22~23歳ってことでしょ?じゃあ…
ウソでしょ?っていう…もうオヤジですよ、風格も含めて…
イヤー、コワイなー!人って見かけで…見かけでね、判断しちゃダメだって
えー、まあ『ジョーカー』を観てても、そう思いましたけど
人は見かけで判断しちゃダメだというですね、ねぇ?」…と振り返っておられましたが

高田さんがお亡くなりになった後、ご子息とのライブ音源を流された際に
高田さんが、途中でいきなりお手洗いに立たれて、なかなか戻って来られなかった(笑)のを
ご子息が演奏して繋いでいらしたと笑って話されていたのを思い出しました(笑)
高田さんが、ライブ中に酔っぱらって寝てしまわれるのは有名だったけど(笑)
ついにガマンできない年に…って感じでオモロ哀しく聴いた記憶がアリマス(笑)

で、ようやく?(笑)坪内さんの話題になり…「まあ、坪内くんとは、よく新宿の寿司屋で…
あの…亀和田…亀和田くん…亀和田さんと僕と坪内くんと
新宿厚生年金の裏の方…昔ね、あの…寿司屋があったんですけど
ナンてことない寿司屋よ?むしろ、こう…どっちかって言うと下世話な…
ああいうトコ、好きだったんだよね、あの人…そこにいっつも呼ばれる訳ですよ

で、行くと、亀和田さんがいて、もう結構酔っぱらってて…っていう感じでね
いつもナンか飲んでましたけどね、ハイ
だいたい会うのが6時半くらいから会うから、別れる時がもう12時半で
4軒くらい行ってた、ベロッベロの感じですから…ナンなんですかね、もう…

坪内くんは、酔っぱらうのは早いんだけど、長いんだよね
まっ、そういう人…色んなタイプがいっぱいいますから、酔っぱらいって…
えー、そういうことですかね」と話されたのを聴いて
奥さんが引っ張り出して来たのが、文庫版の「九州少年」

その「文庫版のためのあとがき~KAIのハイボール日記」の冒頭に…
「前々から、作家の亀和田武氏に誘われてた店に行く約束をした
暑い盛りも過ぎた夕闇近く、新宿の寿司屋で待ち合わせをした
暖簾をくぐると、カウンターの亀和田氏の隣に馴染みの顔がある
文芸評論家の坪内祐三氏だ。相変わらずダンディな笑顔です」…との記述があり

腹ごしらえが終わって、亀和田さんオススメの
「妙にスピード感があって風通しのいい文壇BAR」に移動なさると
「あれよ、あれよという間に見知らぬ人も含め、カウンター全員と乾杯」となり(笑)
「カンカンとイキながら、持ち前の軽はずみさで
店を巻き込み、ママを巻き込み、外野を巻き込んでの乱戦模様となる

こうなりゃ、一網打尽だと立ち上がろうとしたその途端
ニヒルな坪内くんが隣の女性編集者に、低く甘い声でゆっくりと囁いた
『昭和の夏はね、もっと熱かったんだよ、愛ちゃん』…良きっ」…と結ばれていて
坪内さんと甲斐さんのお酒の上での相性というか
「ナンなんですかね、もう…」という口振りとは裏腹に
とても楽しい時間でいらしたんじゃないかと…?

ちなみに、亀和田さんは「照和~マイ・リトル・タウン」に関する甲斐報の中で…
少し距離を置くようになっておられた「新宿」に、また足を運ばれるきっかけとなったのが
厚生年金会館で「初めて甲斐バンドを見た」ことで
「新宿の駅前じゃなくて、ちょっとはずれにあったのも良かったんじゃないかなあ」と明かされ

「厚生年金会館から歩いて数分のところに
いま東京でいちばん気持ちいい文壇バーがあるんです。僕は文壇バーと無縁な人間です
『今さら文壇バー…』と思ってましたけど、そこはすごくカッコいい店なんですよ
敷居はすごく低いのに、スピード感があって
60年代のジャズ喫茶に通じるような雰囲気があるんです
そういうお店が、厚生年金のそばだというのも何かの縁かなあと思うんですけど」

…とおっしゃってますが、甲斐さんも前述の「日記」の中で
「こざっぱりしたその店は、亀和田氏の言う通り
目立たない狂気を孕みつつも、確かにキレのある風通しのいい佇まいのBARである。良きっ!」
…と記されていて、亀和田さんとの相思相愛ぶりも相変わらずなんだなあと…(笑)
コメント
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