今回のセイヤングで、甲斐さんは…
いきなりの訃報で残念なんですけど…
ご冥福を祈りつつと【はいからはくち】
訃報に驚かれ、2日間ずっと
大瀧さんの音源を聴かれていたという
甲斐さんいわく…
キング・オブ・ポップだからね…
M・ジャクソンもそうだけど
その人の声がある方がいい
ヘッドホンで聴いてて
『大瀧さんの声だぁ!』って思った
大瀧さんのソロアルバムから
『僕も松藤も大好き』と【乱れ髪】
三浦光紀さんが立ち上げられたベルウッド・レーベル
その主だったアルバムのリマスタ版が発売されたそうで
甲斐さんいわく…
デジタル・コピーすると1,000万円くらいかかる
音楽は情熱があれば…とか言うけど
違う!経済!(笑)
マイ・スタジオを建てられた時や
【ロッカ・バラード】をリリースされた時にも
『音楽は経済力!』っておっしゃってたらしい(笑)
松藤さんが
『アナログ・マスターが残ってるのがスゴイ!』と言われると
甲斐さんいわく…
ウチ(甲斐バンド)も残ってますよ(笑)
今はなき信濃町SONYで
エンジニアの方を待たせたまま(笑)
レコーディング中の大瀧さんと
2時間くらいヨタ話をなさったそうで
投稿メールによると、大瀧さんいわく…
最近、話の判る人が少なくなった
甲斐さんと話すのが楽しかった
甲斐さんは
色川武大(阿佐田哲也)さんが亡くなった時
『涙が出ない…あんなに好きだったのに…』
でも、9日目くらいに仙台でのライブの後、食事に行かれ
酔っ払ってホテルでシャワーを浴びておられる時に
突然、号泣されたんだとか…
大瀧さんの訃報にも
『全く泣けない…ビックリしてるから、今…』
『色川さんの時と同じように
ある日突然、心の中の奥底に滲みたものが
溢れ出して来るんじゃないかと…』
『大瀧さん(ご自身)が一番
亡くなったことを信じてないような気がする』と
【それは僕じゃないよ】
泣けないとおっしゃってたけど
【はいからはくち】が流れた直後の甲斐さんの声
奥さんが言ってたように
風邪気味にも聞こえるけど
ボクには、涙で詰まったみたいに思えました…
余談ですが…三浦光紀さんは
はっぴいえんどの【春よ来い】を聴かれた時
日本にもこんなスゴいボーカリストがいるんだと
衝撃を受けられたそうだ
ただ、はっぴいえんどの音楽は
深い芸術的素養に裏打ちされたレベルが高過ぎて
大衆に理解されるまで
時間がかかるのでは…と思われたという
そこで、アメリカン・ポップスに精通し
誰にでも判る甘く美しい曲を作る大瀧さんを
前面に出すことを提案され
大瀧さんは、はっぴいえんどと並行して
ソロでも活動されるようになったんだとか…
当時、米英のロック界では
コンセプト・アルバムが主流になりつつあったのに
大瀧さんは、それに逆行するような(笑)オムニバス形式で
シングル6枚を先行発売され
多面的な可能性を披露する
ショーケース的なアルバムを作られたという
…シングル6枚って
A・B面合わせたら12曲ってこと!?(爆)
『宣伝が難しい』という現場の声が上がったのも
無理はないでしょうねぇ(笑)
そういえば…原田真二さんがデビューなさった時
シングル3枚連続発売で話題になりましたけど
確かフォーライフ・レコードだったんじゃ…?(笑)
甲斐さんは、デビュー直後から
当時の『シングル至上主義』に悩まされつつも
コンセプト・アルバムを作って来られたんですよね♪
でも、T・Kさんとのコラボや
甲斐バンド復活の際には
シングル3枚連続発売なさったことが…!?(笑)
いきなりの訃報で残念なんですけど…
ご冥福を祈りつつと【はいからはくち】
訃報に驚かれ、2日間ずっと
大瀧さんの音源を聴かれていたという
甲斐さんいわく…
キング・オブ・ポップだからね…
M・ジャクソンもそうだけど
その人の声がある方がいい
ヘッドホンで聴いてて
『大瀧さんの声だぁ!』って思った
大瀧さんのソロアルバムから
『僕も松藤も大好き』と【乱れ髪】
三浦光紀さんが立ち上げられたベルウッド・レーベル
その主だったアルバムのリマスタ版が発売されたそうで
甲斐さんいわく…
デジタル・コピーすると1,000万円くらいかかる
音楽は情熱があれば…とか言うけど
違う!経済!(笑)
マイ・スタジオを建てられた時や
【ロッカ・バラード】をリリースされた時にも
『音楽は経済力!』っておっしゃってたらしい(笑)
松藤さんが
『アナログ・マスターが残ってるのがスゴイ!』と言われると
甲斐さんいわく…
ウチ(甲斐バンド)も残ってますよ(笑)
今はなき信濃町SONYで
エンジニアの方を待たせたまま(笑)
レコーディング中の大瀧さんと
2時間くらいヨタ話をなさったそうで
投稿メールによると、大瀧さんいわく…
最近、話の判る人が少なくなった
甲斐さんと話すのが楽しかった
甲斐さんは
色川武大(阿佐田哲也)さんが亡くなった時
『涙が出ない…あんなに好きだったのに…』
でも、9日目くらいに仙台でのライブの後、食事に行かれ
酔っ払ってホテルでシャワーを浴びておられる時に
突然、号泣されたんだとか…
大瀧さんの訃報にも
『全く泣けない…ビックリしてるから、今…』
『色川さんの時と同じように
ある日突然、心の中の奥底に滲みたものが
溢れ出して来るんじゃないかと…』
『大瀧さん(ご自身)が一番
亡くなったことを信じてないような気がする』と
【それは僕じゃないよ】
泣けないとおっしゃってたけど
【はいからはくち】が流れた直後の甲斐さんの声
奥さんが言ってたように
風邪気味にも聞こえるけど
ボクには、涙で詰まったみたいに思えました…
余談ですが…三浦光紀さんは
はっぴいえんどの【春よ来い】を聴かれた時
日本にもこんなスゴいボーカリストがいるんだと
衝撃を受けられたそうだ
ただ、はっぴいえんどの音楽は
深い芸術的素養に裏打ちされたレベルが高過ぎて
大衆に理解されるまで
時間がかかるのでは…と思われたという
そこで、アメリカン・ポップスに精通し
誰にでも判る甘く美しい曲を作る大瀧さんを
前面に出すことを提案され
大瀧さんは、はっぴいえんどと並行して
ソロでも活動されるようになったんだとか…
当時、米英のロック界では
コンセプト・アルバムが主流になりつつあったのに
大瀧さんは、それに逆行するような(笑)オムニバス形式で
シングル6枚を先行発売され
多面的な可能性を披露する
ショーケース的なアルバムを作られたという
…シングル6枚って
A・B面合わせたら12曲ってこと!?(爆)
『宣伝が難しい』という現場の声が上がったのも
無理はないでしょうねぇ(笑)
そういえば…原田真二さんがデビューなさった時
シングル3枚連続発売で話題になりましたけど
確かフォーライフ・レコードだったんじゃ…?(笑)
甲斐さんは、デビュー直後から
当時の『シングル至上主義』に悩まされつつも
コンセプト・アルバムを作って来られたんですよね♪
でも、T・Kさんとのコラボや
甲斐バンド復活の際には
シングル3枚連続発売なさったことが…!?(笑)