ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

妙安寺ファミリーバンドその8

2014-01-07 08:32:32 | 日記
デビューの話がほぼ消滅しかけていた頃
門田さんは、自分達で何とかしなければ…と

当時フォークバンドに関心を示していた
ナベプロのオーディションを受けることにしたそうだ

ナベプロの九州支社に出向き
支社長のFさんと話している内に

門田さんのご実家の妙安寺が
渡辺家の菩提寺だということが判明!?

以前に甲斐さんが
渡辺通り(天神のメインストリート)は

ナベプロの社長の名前だと話されてたそうだけど(笑)
いわゆる地元の名士でしょうか?

ちなみに、渡辺晋社長がお亡くなりになった時
門田さんのお兄様は、菩提寺の住職として

式長を務めるため東京に行かれ
芸能ニュースでテレビに映られたらしい(笑)

門田さんも子供の頃
墓掃除をなさっていたそうで

渡辺家の大きなお墓の場所や
胡散臭い(笑)怪しげな(笑)業界風の一行が
墓参に訪れていたことを覚えておられたという

それはさておき…オーディションは

ナベプロ九州支社のレッスン場
(スクールメイツの練習場所)…に
機材を持ち込んで行われたそうだ

この時に機材を無料レンタルしてくれたのは
『あかんべぇ』の谷村さんだったらしい(笑)

支社長のFさんの他に
キャンディーズの育ての親という東京の制作部長・Mさん

物腰や喋り方がいかにも業界人チックな(笑)
ナベプロの営業マン・Kさんの前で

およそ30分、5~6曲を演奏した結果…
もう一度見たいので、ライブに行くと言われたそうだ

そして…門田さんいわく…

それは突然やってきた
そして忽然と消えていった…

たら、れば、を言えばキリがない
気持ちが空回りしている

力が入らない、集中できない
持てる力を出し切れなかった

どちらかというと最悪のステージ
席を立って出ていく後ろ姿を見送った

その後、妙安寺ファミリーバンドは解散…

岸川さんは、三浦光紀さんに随分と抗議され
『もうアイツとは絶交だ!』とおっしゃったんだとか…

門田さんいわく…

レコードデビューで矢野顕子に先を越され
プロダクションでは矢沢永吉に蹴飛ばされた(笑)

まぁ戦った相手が悪かったと
自分を慰め納得するしかないのだ

照和出身のミュージシャンの一覧表を作られた時

こんな小さなライブハウスから
よくまあ、これだけのミュージシャンが
プロになったもんだなぁと思われたそうだ

デビューするのは、いとも簡単そうなのに
ナンで自分たちは…?と思う反面

プロになっても成功することが
いかに難しいかということがよく判る…とも思うと…

先日のドキュメンタリー同期生では
オイルショックの煽りを受けたと説明されていたけど

プロになりたいという気持ちや
そのための技術や魅力を同じように持っていても

プロになれるか、なれないかを決めるのは
時の運なんでしょうか?

運を引き寄せるのも実力の内と言われてしまえば
それまでなんですが…

余談ですが…
オーディションの後、営業マン・Kさんから

太田裕美さんの福岡キャンペーンのミニライブで
前座を務めてほしいと頼まれ

10分程度で終わるはずが、太田さんの到着が遅れて
アンコールもされてないのに
時間つなぎで更に数曲…(笑)

太田さんのファンの方がキレる前に
到着されて良かったですね(笑)

ちなみに
木綿のハンカチーフを歌われる太田さんは
とっても可愛かったそうだ♪

そういえば、昔のジョイント・コンサートで
甲斐バンドの到着が遅れた時は
太田さんが出番を繰り上げられたんですよね(笑)
コメント
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