日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

(訂正・修正版)私の語る「システム」論から、「あちら側の彼ら」の垂れ流す「尖閣諸島は日本固有の領土」云々

2024-08-31 | 日記
(訂正・修正版)私の語る「システム」論から、「あちら側の彼ら」の垂れ流す「尖閣諸島は日本固有の領土」云々の発言を再考するとき


(最初に一言)


 タイトルにある「日本」はそれでは「どこの国の〈固有の〉領土」なのかという観点から、先ずは再考してみよう。またまた面白くもない話になるのは避けられないことを、最初に断っておきたい。「こちら側の私たち」に属しているオニクタラムがとやかく言うことでもあるまいが、pせ
おせっかいながらの一言となった次第。




 もし、その日本という「公的空間」が、明治維新以来、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉の下で、{[A]→(×)[B]→×[C]}のBに組み込まれて、Aのトップに位置した当時の覇権国であった英国との「親分ー子分」の差別と排除の関係に組み込まれて、英国の支配・指導の下に主権国家としてそして国民国家としての歩みを始めたと位置づけ理解したとすれば、その実際の姿は、英国のくびきに繋がれたままであった、と私はみている。勿論、さらにロスチャイルド財閥の支配の存在も言うまでもないのだが、ここではそれには触れないでおく。ただし、英国の背後にロスチャイルド財閥の存在が否定しようもないほどに影響を及ぼしていたということを鑑みれば、英国という主権国家と国民国家、さらには覇権システムと「システム」も公的空間などではなく、私的利権・利害関係者グループの支配する「私的空間」そのものであったことは看過してはならない、と私はここでも強調しておきたい。その関連で言うならば、これまで私たちは公的空間の中で生きたためしはないということである。


 その日本は、明治から大正そして昭和にかけて戦争に次ぐ戦争へとひた走るのだが、それも仕方がないといえばそうであった。日本と日本人の生きている空間は、戦争をその金儲けの主源泉とする金の成る木としての「システム」であったからだ。結局、日本は英・米覇権連合の形成と発展の渦の中で身動きの取れないままに侵略戦争に引きずり込まれた挙句、敗戦を迎えたということだ。そして今度は次の覇権国の米国の支配と指導の下に組み込まれて、占領期からこの21世紀の今日に至るまで、米国のくびきの下に置かれたままである。敗戦を迎える直前に連合国によって打ち出されたカイロ宣言とポツダム宣言の受諾によって、日本はあの戦争で獲得したほとんどの領土を失うことになる。そこに、サンフランシスコ講和条約による日米安全保障評役と日米地位協定が加わることで、さらにややこしい日本と米国の立ち位置の関係が形成されたのだ。それは今話題となっている尖閣諸島の領土問題にも大きく影を落としているのである。


 その中でも注目すべきは、外務省のホームぺージにある米国を介在させた日本と中国の尖閣諸島を巡る歴史的経緯の説明ではなかろうか。確かにそこに記載されている話にはは嘘はないかのように見えるのだが、そこには書き足しておくべき重要な最近?の米国政府による尖閣をめぐる発言がないのである。これに関しては、当時のNHKのニュースにおいても何度となく報道されていたはずだ。すなわち、尖閣に関する日本の施政権は認められるものの、領有権に関しては中国と日本の間で解決することを望む云々の発言に終始していたように、私は記憶している。細菌というかオバマ政権下でのことだったと思うのだが。いずれにしても、外務省の声明は歯切れが悪いというか、あいまいなのである。尖閣だけではない。北方領土もそうである。あやふやな情報を提供された国民は、ある種の洗脳教育によって、信じ込んでしまう。ここで忘れてならないのは、あの戦争で日本は敗北してほとんどすべてを失ったということなのだ。


 そして、今回記事のタイトルになるのだが、その日本もまた米国によってほとんど主権を取り上げられたまま?ではあるまいか。そんな日本が、尖閣諸島は日本固有の領土云々の発言をしていることに、何かやるせなさというか悲しさを覚えるのは、おそらくは私一人ではあるまい。誤解のないように申し添えておくならば、私はだからといって、その米国に対抗できる力をつけて日本の主権を回復せよ云々と主張しているのではない。そうではなく、今の現実と向き合うならば、遠からず、日本は中国との対決を避けられなくなるのは必至となろう。それを見越しながら、米国の威を借りて、ここは矛をおさめるように行動すべき時である、と私は強調しておきたいんのだ。もっとも、あちら側の彼らは、戦争へと多くの国民を巻き込んで金儲けがしたいだろうから、こんな話にも耳を貸さないのは致し方なかろうが、残念至極というしかあるまい。


 また今世紀の真ん中あたりで、「21世紀版のあの戦争」となるのであろうか。当然ながら、それはこちら側の私たちも避けなければならない事態である。今度はもう日本と日本人は存在することを許されていないかもしれない。そうした最悪の時を少しでも脳裏に浮かべたならば、何とかしなければと思うのだが、あちら側の彼らの提供するメディア情報には、それを全く感じさせないどころか、逆のニュースばかりがやたらと目につく。その際、こちら側の私に面白いというか、なんだこれはと感じてしまうのは、領土問題においての国際法の強調の話である。


 あれほど日本国憲法の条項や規定を、その時々の政権の圧力によって恣意的に捻じ曲げることに何の躊躇もない連中が、こうもたやすく国際法を額面通りに信じ切っているのだから、これはもう呆れる限りではあるまいか。国際社会の中には、日本の権力者連中など手も足も出ないほどのあくどい連中が跳梁跋扈していて、彼らが国際社会を差配していることに思いも至らぬかのように、国際法を信奉するかのような振る舞いをしているから、これはもう腹を抱えて笑うしかあるまい。もっとも、日本のそんな連中であったにしても、「親分ー子分」関係の下に組み込まれた子分の悲哀差を重々承知しているには違いないはずだ。これまた致し方はないのだが、それならば、もっと国民に首を垂れながら働けよと言いたくなるのは当然ではないか。




(最後に一言)



 今回記事は、こちら側の私たちがいまさらとやかく言うことでもない話であったし、それを言ったとしても、これまたどうにもならないことだらけなのは百というか千も承知なのだが、それにしてもという感じである。それはそうとしても、今回のNHKラジオ放送での中国人スタッフによる尖閣を巡る発言を前にして、改めて「歴史」教育の重要性を思い知らされた次第である。私の語る「システム」論を、より多くの読者に知ってほしいと切に願う限りである。そして同時に、拙著『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」-「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ』(晃洋書房 2014年)を一人でも多くの方にひも解いてほしいと強く訴えておきたい。


何度も語ってきたことだが、国内外の私たちの諸個人間、諸集団間、諸共同体間における人間関係は、自己決定権の獲得とその実現を巡る力(暴力)と力(暴力)の争奪戦を介した差別と排除の関係を前提としてつくり出されてきたということを鑑みるとき、覇権システムと「システム」の発展と形成に与り主要な利権・利害関係者グループの支配する力(暴力)には抗することは至難の業であるとしか言いようがない、と私はみている。彼らが中心となって{[衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)]}のグローバルな営為の関係をつくることから、国際法もその一つであることを踏まえれば、米・中覇権連合の発展の中で次の覇権国である中国の台頭を見定めたならば、私たちが今なすべきことは何かを知ることができるはずである、と私はみている。もっとも、「システム」はそれを簡単にさせないというか、許さないであろうことも、同時にまた私たちは学べるはずである。何しろ、金の成る木として戦争をその主源泉としている「システム」であることから、そのくびきを脱するのは今の日本と日本人には容易ではないはずだ。



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私の語る「システム」論から、「あちら側の彼ら」の支配する世界(社会)の強靭さについて、しみじみと

2024-08-24 | 日記
私の語る「システム」論から、「あちら側の彼ら」の支配する世界(社会)の強靭さについて、しみじみと嘆息するとき




(最初に一言)


 前回記事において、私のこれまで抱き続けてきた思いをほとんど?開陳したのだが、何度も言うように、頭の中で描いた世界がそのまま現実化することはないから、またあちら側の彼らの支配する世界の中でこれからもずっと生き続けることを踏まえれば、私の淡い希望を述べたに過ぎない。今回記事は、その続きを論じてみたい。


 「こちら側の私たち」という「意識」を少しだけ持つことによって、私は本来ならばこちら側に所属していたはずであろう多くの人間が、残念なことにあちら側で生きていることのアホらしさを、今更ながら痛感できる?云々に関する記事を前回は語っていた。その意味では、共産主義者は元より、自由民主主義者も、そうした彼らをあちら側にとどめおいたという意味では貢献度は高いというべきであろう。マルクスやマルクス主義者の果たした意味は、あちら側の彼らの支配する世界に多くの人間をつなぎとめると同時に、そこで革命を起こすならばあちら側の世界の変革は可能であるかのような夢物語を宗教に似た形で、長い間にわたり信心させたということではあるまいか。


 そこにさらに社会民主主義者や社会改良主義者、自由民主主義者も加わることで、あちら側の彼らの世界を強化することに手を貸した、と私はみている。最初からあちら側の彼らを併呑する覇権システムと「システム」の下に展開可能な圧倒的な軍事的暴力を含む構造的圧力を鑑みれば、革命など土台無理な話であったというしかあるまい。それが少し最近に至るまでまことしなやかに実現するかもしれないように多くの信者を獲得できていた背景には、あちら側の彼らの物心両面による支援のたまものであった、と私はみている。かくいう私も、私の語る「システム」論を論述しながらも、あちら側の彼らの支配する世界の中で、なお何かができるのではないかといろいろと愚考してきたありさまであるから、これほどオメデタイというか馬鹿に付ける薬はないの典型例として位置づけ嘲笑されたとしてもおかしくはないだろう。


 前回記事でも指摘していたように、こちら側の私たち意識になるべく早く目覚めるとともに、こちら側の世界造りに着手することが何よりも大切となる。その際、そうしたこちら側の世界に奉仕できる物書きは、あちら側の世界の中で、あちら側の彼らの支配する世界を批判・非難している物書きではないということを、もうそろそろわかってもいいのではあるまいか。私自身も、そんな物書きの一人であることは言うまでもなかろう。あちら側の彼らの世界から給付される年金に依拠して生きているのだから、何をいまさらなのだ。勿論、こうした私の物言いに対しては、すぐさまいろいろな批判が想起されるのは確かなことだが、そこで私が言いたいのは、私の生きていた空間はあちら側の彼らの世界が提供する{「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」}の営為のグローバルな関係であったことを踏まえれば、ああだこうだと御託を並べてみたとしてもそれは自己弁護でしかないということである。


 誤解のないように、ここで付言しておくと、私も含めて多くの者はどうあがいたとしてもあちら側の彼らが支配する世界の中で働きそこから給料をもらうのはどうしようもないから、それはそれで仕方がないということを、私も認めざるを得ない。それを踏まえたうえで、もしこちら側の私たちに相応しい「衣食足りて礼節を知る」の営為の関係を構築しようとするのであれば、間違ってもあちら側の世界というか、今の子の私たちの生きている社会の中で、例えば自公政権を批判したり、ロシアによるウクライナ戦争やイスラエルによるガザのパレスチナ人に対する暴力を批判・非難する論評に耳を貸してはならない、と私はみている。それらは、あちら側の彼らの支配する社会の空間の中に必ず埋没せざるを得なくなるからである。なぜなら、そうした批判・非難をする物書きたちも、しょせんはあちら側の彼らが提供する先の{「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」}の営為のグローバルな関係に依拠・依存しているからに他ならない。


 換言すれば、ここに図式したごくごく簡単なモデルの両側の{ }が示す覇権システムとその内側で描かれている世界資本主義システムと世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される差別と排除の関係の下につくり出される一つの「システム」に依拠・依存しながら私たちは生きていることから、結局のところ、先の戦争や暴力に対する批判・非難は天に唾する行為とならざるを得ないのだ。それゆえ、もしどうしてもそのような批判・非難を有効にするためには、あちら側の彼らの提供する衣・食・住の関係とは少しでも異なるような関係を手にするべきなのだ。そして、それは不可能なことではないし、世界を見渡すならば、此処彼処でそうした実践に尽力する人たちは少なからず存在している。


 こうした私の話を踏まえたうえでさらに言うならば、勿論、だからといって、あちら側の彼らの世界の中で、彼らに対する批判や避難をする論者とその内容に、私はとやかく言うつもりはない。ただ、私が強調したいのは、そうした批判や避難はこちら側の私たちにはほとんど何の意味もないということである。その点では、これから私たちが期待するのは、こちら側の私たちが心底、信頼できる物書きの登場である、と私はみている。そうした人たちはおそらくは、これまで私たちが崇めていたような物書きとは何か違う感性の持ち主であるだろう。そうした感性は、あちら側の彼らの支配する世界の提供する商品に胡坐をかきながら、そのくせエラソーな物言いを恥じない私ことオニクタラムとは対極に位置する人たちであるのは間違いない。




(最後に一言)


 「こちら側の私たち」意識でもって「あちら側の彼ら」の提供する情報に接するとき、あきれるというか、それこそ遅鈍な私のそのアホさ加減がどうにもならなくなるようで、これはもう怖い云々の次元の話ではない。今は自民党の次期総裁選の話でもちきり。そこにはほとんど何の意味もない。アメリカの次期大統領選の話と関連付けても報道しているのだが、ここにも宗主国と属国といった「親分ー子分」関係の見方すら出てこないのだから、これはもうお先真っ暗というしかあるまい。だが、あくまでもあちら側の世界の話だ。こちら側の私たちにもかかわる話ではないのか、とお叱りを受けそうだが、本当に私たちにかかわる話などこれまでどれほどあったのか、と逆に質問してみたい。すべてが、あちら側の彼らの世界に関係する話であり、あちら側の世界の中では私たちの存在など二束三文にもならなかったのではあるまいか。今回記事は、この辺にして続きは次回に。



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私の語る「システム」論から、今一度なぜ戦争は繰り返されるのか、広島・長崎の原爆の日・戦没者慰霊の日

2024-08-16 | 日記
私の語る「システム」論から、今一度なぜ戦争は繰り返されるのか、広島・長崎の原爆の日・戦没者慰霊の日の式典における「二度とこのような悲惨な戦争は繰り返しません」との誓いを、どうして私たちは裏切り続けるのか、について再考するとき




 本論に入る前に一言


 ここしばらくの間、頭の中で書いていたくだりから、話しておきたい。私たちは「なぜ人を殺してはいけないのか」とよく問うのだが、どういうわけなのかその前に当然問うべき問題であるはずの「どうしてかくも私たちは殺し合いを空きもしないで繰り返すのか」との問いには答えがらないのだ。それをすれば、当然ながら戦争での人殺しを考えるはずなのだが、ここでもそれにこたえる前に、二度と戦争は人殺しはしませんとの念仏めいた誓いを立てるのだから、私たちの思考の在り方はどこかずれているとしか私には思われないのである・。


 これと似たことに、私たちの民主主義についての問いかけ方がある。私たちはここでもあるべき民主主義像というか民主主義観を前提としてあれこれと論じるのが常ではあるまいか。ここでも現実の民主主義がかくも無残な姿と化しているのはなぜなのかに関しては、あまり向き合おうとはしないのだ。もしそれを真面目にしようとすれば、必ずや私たちは問い続けるに違いない。私たちが手にしている民主主義なるものはどのような社会の仕組みの下で実現されたのかについて、問い質し続けるはずなのだが。ここでもそれはしないのだ。その代わりに、ギリシャの民主主義は同であっったとか、日本の大正デモクラシーはこのようにその歩みをたどったとか、フランスのイギリスのアメリカの民主主義の歴史はかくかくしかじか云々の議論に精を出してきたのだが、肝心かなめの、それぞれの諸国における民主主義ではなく、それこそ民主主義としてその全体像を示すそれは、一体どのようにして形成され発展してきたかについて、これまでまともな議論が行われてきたとは、私は決して思わないのだ。


 此処でもあるべき何かの理想的姿が最初に設定され、それとの現実の距離が図られるばかりだから、最初から何でもありの話にしかなりえないのではあるまいか。さらに、いつも例外的事象は「それはさておき」の形で括弧でくくられてしまっていることから、議論はますます論者の都合に合わせた形になってしまう。たとえば、アメリカのインディアンの歴史を都合のいいようにアメリカの民主主義の歴史から削除してしまって、私たちが普通に語るアメリカ民主主義の歴史が出来上がった後で、そこにアメリカインディアンの失われた奪われた歴史を新たにあとから付け加えるのだから、これでどのようなアメリカの民主主義のまともな歴史が語られるのだろうか。


 それと同じことを私たちの民主主義の話というか研究は行ってきたのである。そもそも、「文明(先進国)ー半開(中進国)ー野蛮(後進国)」の関係全体の参加によって民主主義はつくり出されてきたはずなのに、現実の民主主義は、最初は文明圏にのみその果実は限定されてきたのだ。残りの半開や野蛮には、その民主主義の果実は手にできないままにあり、その多くは従属地や植民地に置かれたままであった。此処には、見事に民主主義と帝国主義の関係が一つのセットとして描かれているのにも関わらず、どういうわけなのか、民主主義研究に携わる研究者は、その関係を直視することなく、帝国主義と一つのセットとしての関係の下に実現するはずの民主主義を、その関係から、帝国主義と切り離して、あたかも民主主義が文明圏の単独の力でもって実現してきたかのように論及してきたのである。まさにアメリカの歴史において、アメリカ白人がインディァンの土地と彼らの生活圏を奪い取り、それをアメリカの主権国家・国民国家の基盤として、アメリカ国家とアメリカの民主主義の実現の歴史に置き換えて恥じ入ることはなかったということに、酷似しているのではあるまいか。




 あちら側の彼らの社会が私の語る「システム」のあるべき見本となって、同じ「システム」の中で生きざるを得ないこちら側の私たちを教化してきたのだから、たとえ、私がこちら側の私たち意識をいくら持つべき云々と語ったところで、どうにもならないことは、私もよく理解しているところだ。そんな私に耐えがたいのは、こちら側の私たちの利権・利害関係を代弁してくれるはずだと勝手に想定している研究者たちが、こともあろうにあちら側の彼らの提供する普遍的価値や普遍主義を持ち上げるばかりだから、これではもうどうしようもないではないか。


 それにしてもあちら側の彼らの社会は、目も眩むほどにご立派というか華やかである。それは先頃のパリのおりんぴっくにも垣間見られる。私は目が不自由であるからあまり見えないのだが、それでも素晴らしさは伝わってくる。競技の選手たちの活躍は言うまでもないのだが、メディア情報を彼らの都合のいいように独占できるのは、もうアッパレとしか言いようがあるまい。それに対して、こちら側の私たちがたとえ憤懣やるかたない思いをぶつけてみたとしても、それはどうにもならないことであり、時間の無駄だという以外の何物でもなかろう。「ダマスゴミ」と批判したところで、これまたどうにもならない。こちら側の私たちが、それに対抗できるメディア機関を持つしかない話である。付言すれば、たとえダマスゴミでも、貴重な情報を提供してくれることも多々あることは言うまでもないのだが。


 少しまたまた前置きが長くなって申し訳ないのだが、私のいわんとするところは、こちら側の私たちはというか、あちら側の彼らが支配する社会の中で、たとえ私たちも生きていかざるを得ないとしても、こちら側の私たちといった意識を覚醒させるというか、その醸成を図ってもいいのではあるまいか、ということである。それと同時に、もし可能であれば、そうした意識の下に、こちら側の私たちが主人公となりうるような「衣食足りて礼節を知る」の営為の関係をつくることもできるのではないのかということである。


 最近もまたそうであったが、テレビで自給自足の暮らしで何十年という家族を取り扱った番組があった。彼らを主人公として彼らの周りに寄り添った諸個人・諸集団・諸共同体間の人間関係が、この日本のあちらこちらでつくられるとしたら、それは素晴らしい社会の実現に向けての第一歩となるに違いない、と私は考えるのだ。これに関しても、すでに何度となくこのブログ記事でも述べてきたが、終活の中で、私が今一番思うのはまさにそれである。こうした人間関係を前提とした社会に似合うじゆうだとかみんしゅしゅぎは、少し想像しただけでもおのずと異ならざるを得ないのではあるまいか。


 そこでは、「単一の個人」を単位とした自由や民主主義ではなく、「三人以上」を単位とした「関係」としてのじゆう、みんしゅしゅぎの在り方が模索されるのではあるまいか。(なお、これについては、『史的システムとしての民主主義』晃洋書房 1999年の〈終章 「関係」を単位とする「普遍的理念」の構築に向けて〉を参照されたい。)これに関して大事なことを付言すれば、私の語る「システム」の生命線は私的所有権(私的財産権)の自由と営業活動の自由といっても過言ではなかろう。これらの自由に対して何らかの規制あるいは別の形の自由の在り方を模索するうえでも、関係を単位とした普遍的理念の構築は必要不可欠な作業とならざるを得ない、と私はみている。その点に関連して言うならば、護憲派も改憲派も同床異夢の立場にあるといわざるを得ない。すなわち、これらの私的所有権の自由や営業活動の自由を後生大事に信奉している立場であることには何ら変わりはないのである。第9条論者や平和憲法論者や憲法前文をことさらもてはやす論者等は、こうした私的財産権や営業活動の自由を手にした世界的多国籍企業やその他の大企業のカネ儲けを介した傍若無人な活動の下に繰り返される戦争の悲劇に対して何ら有効な歯止めを持てないままにある、と私はみている。


 こうした拙論の流れを受けてさらにここで踏み込んで論述するとすれば、これまた何度も述べてきたように、こちら側の私たちにとって、護憲論者とか、第9条に注目した平和憲法論者は、あちら側の彼らに位置する御用学者に匹敵する、まさしく危ない人たちである、と私はみている。そもそも日本国憲法の前文や第9条は、あるいは国連というか連合国は、あの戦争の経緯を踏まえてつくり出されたのである。何よりも注目すべき点は、平和憲法は覇権システムと当時の覇権国の米国をバックとして創造されたということである。戦後の国際秩序の形成にあたって、連合国を中心的担い手とする覇権システムと「システム」は、日本の非武装化を必要不可欠としていたことから、第9条が日本に要請されたということなのだ。


 それゆえ、国際環境の変化と覇権システムと「システム」の都合に合わせて、日本の非武装状態の解除はいつ何時でも求められるということを、私たちは念頭に置いておく必要があるのだ。さらに、忘れてならないことは、日本の非武装化にかかわらず、日本は覇権国の米国の軍隊の永続駐留状態の下に、世界でも強力な軍隊と軍事力を備えていたという現実である。こうした点を鑑みるとき、こちら側の私たちは、常に護憲論者や第9条論者がこの日本で担ってきた役割を軽視してはならないはずである。あちら側の彼らに、本来ならば抵抗・対抗したはずの多くの日本人を、すんなりとあちら側の彼らが指導する覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」の重要な担い手として位置づけられるように、彼らをあちら側の世界に引き渡すことに尽力した、と私は言わざるを得ないのだ。


 そこに、これまた何度も言及してきた民主主義に関するあちら側の彼らの提供する情報の前に、こちら側の私たちの多くが盲従してきたことが加わるのであるから、もはや勝負は最初から決まっていたと述べても過言ではあるまい。それゆえ、何度も言うように、遅ればせながらも、今一度この辺で、こちら側の私たちという意識を覚醒すると同時に、その意識に最もふさわしい「衣食足りて礼節を知る」の営為の関係の在り方を模索することの必要性を、私は読者に訴えたいのである。これらのくだりは昨日の8月13日から今日の14日の朝にかけて書いたものである。ほとんどこれまで書いてきた記事内容の繰り返しなのだが、ここでの内容は、オリンピックの開催前後からのメディア情報に接する中で、私の中に芽生えたこちら側の私たち「意識」を、もう少し突き放して捉えてみたいとの思いからの話である。


 その内容は、はるか以前からも私の頭の中にあれこれと形を変えながらもあったのだが、どういうわけか、オリンピックの開催に向けてのメディアに見られた反対派・懐疑派・無関心派として理解されるはずの論者の発言内容が、あちら側の彼らの陣営を利するばかりのそれに転化されているとの私の危惧とも相まって、ここにきて急に拙論をまとめておく必要性を強く感じたからである。私がそのような危機感を覚えたのは、あちら側の彼らの提供する「サーカス」をいくら批判したところで、同時にまた「パン」を始めとした衣・食・住にかかわる商品に依存し続けていることを踏まえるならば、やはりこちら側における批判の仕方を変えていくことも大事だと痛感したからなのだ。そこには、あちら側の彼らが指導する社会の、「システム」の提供する「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係にどっぷりとつかったままであることを鑑みるとき、やはりこれではもうどうしようもないと感じたからに他ならない。




 ここまで一気呵成に論じてきたのだが、それらのくだりの内容を踏まえて、さらに論を展開していきたい。


 これまで何度も論述してきたように、私の語る「システム」の下で、あの戦争を含む二つの世界大戦は引き起こされ、またロシアとウクライナの戦争も、イスラエルによるパレスチナに対する無慈悲な暴力行使も導かれるに至った、と私はみている。そのような「仮説」を展開してきた私からすれば、二度と戦争を繰り返さないためには、差別と排除の関係を前提としてつくり出されてきた覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」から、少しでも遠くの地点で生きることが何よりも大切であると考えるのだが、現実の社会は私のそうした願いをあざ笑うかのように、ますます「システム」のさらなる発展と強化に向けた動きにまい進するばかりである。


 なんとも言い難い、つらい話ではあるまいか。私たちはそれゆえ、いつも「嘘」を言い続けてきたのだ。あちら側の彼らに奉仕する物書きならいざ知らず、こちら側の私たちも、その意味では同じ土俵で、結局は嘘を垂れ流してきたといわざるを得ない。憲法を守れとか第9条を守れとかをただ叫びさえすればいいと思う無責任な人たちでなければ、どうしても考えたはずに違いない。


 どうすればそれができるのか、と。第9条は、GHQの占領下の下での憲法の公布以降、一度も守られてはいない。なぜなら、覇権システムと覇権国の米国の軍事力の下で日本は統治され続けてきたからである。それゆえ、憲法を守るということは、覇権システムを守ることを意味すると同時に、世界資本主義システム、世界民主主義システムから構成される差別と排除の関係に特徴づけられた「システム」を守ることを意味していた。これでは、最初から二度と戦争は繰り返しませんとの誓いなど守れるはずもなかろう。


 それでは、一体どうすれば「システム」から少しでも遠い地点を目指すことができるのだろうか。少なくとも、こちら側の私たちに奉仕しようと心がける物書きならば、そうした方向性を考えたはずに違いない。たとえば、二度と戦争は云々の話に関連して言えば、あちら側の彼らに奉仕する物書きは、今でもロシアのウクライナ進行以降のロシアの侵略に対して民主主義社会を守ることの重要性を強調する。二つの世界大戦においても、民主主義を専制・独裁主義体制から守ることが叫ばれていたことを鑑みれば、どうしてもこの民主主義なるものに関して私たちは的確な情報を集めておいたほうがいい。少なくとも、こちら側の私たちとあちら側の彼らにおいて、民主主義というときに、その内容が同じであるのはやはり問題である、と私はみている。さらに踏み込んで言うならば、市民革命に端を発するとされる自由、民主主義、人権といった普遍的価値と普遍主義に関する理解は、異なっている否、当然に異なるべきである、と私は強調しておきたいのである。


 ところがなのだ。私のそうした思いとは裏腹に、こちら側の私たちに属するはずの物書きにおいても、おそらくはかなり多数の者たちは、民主主義を守るという場合に、あちら側の彼らのそれと同じような解釈に立つのではあるまいか。もしそうであれば、民主主義を守るということは私の語る差別と排除の関係を前提として作り出される「システム」を守るということになることを、どれだけの人たちは理解しているのだろうか、と私は疑問に思うのである。特に、あの戦争で枢軸国側に属して、英米仏諸国を始めとした連合諸国と彼らが掲げた専制・独裁主義体制から民主主義体制を守るとのスローガンの下に屈服した日本と日本人には骨の髄までしみとおった受け入れざるを得ない不文律ではなかったろうか。さらにその背後には覇権国の米国が控えていたから、もう身動きの取れない話であったのは言うまでもなかろう。


 このようなあちら側の彼らの提供する圧倒的な世界を前にするとき、こちら側の私たちには、もう何も手立ては残されていないかのように、私には思われる。それゆえ、私はこれまで何度もブログ記事で論を展開してきたように、たとえあちら側の彼らが指導的な立場に立つ「システム」を同じように担い支えてきたこちら側の私たちにおいても、やはりこの辺で今一度、こちら側の私たちという意識を覚醒すると同時に、こちら側の私たちが守るべき自前の「衣食足りて礼節を知る」の営為の関係をつくり出す動きに着手すべきではあるまいか、と私は呼びかけたいのである。




(最初に一言)


 私はこれまで、「あちら側の彼ら」の支配する空間で、せめて思考の次元において彼らの世界の御用学者・知識人として奉仕している連中の著作物よりは、少しでもましなものを発表して留飲を下げることができればとの思いで頑張ってきたのである。本当に情けないというか哀れな人生を送ってきたと今更ながら思うのだ。そうした挙句が、あちら側の彼らの提供する「衣食足りて礼節を知る」の仕組みの中にどっぷりと浸りながら生きてきた次第だ。そうした生き様の結果として、私は「こちら側の私たち」のために必要不可欠な「衣食足りて礼節を知る」の営為に関する取り組みを心底試みることができなかったと反省するのみなのだ。


 ここで私が言いたいのは、こちら側の私たちの一員として自分自身を位置づけ理解できない限りは、おそらくは死ぬまで、あちら側の彼らの提供する事物を批判・非難するだけで終わってしまうのがおちだということである。そうした学者や知識人というか物書きたちは、未だにあちら側の読者に向かって我こそはここにいる!」の思いに駆られているのではあるまいか。誤解を恐れずにたとえて言えば、芥川賞とか直木賞を獲得しようとして日夜悪戦苦闘しながら小説を書いている物書きを想像してみるとき、何度挑戦してもダメな物書きは、それで失意のどん底に落ちるかもしれない、と私は推察する。その時、違うんだとの天の声が聞こえてくるといいのだが。すなわち、あなたの書いている内容は、あちら側の彼らには面白くもない内容かもしれないが、こちら側の私たちには素晴らしい内容であるかもしれない。如何せん、こちら側の私たちを代表する審査員が審査に加わっていないのだから、それは仕方がないのではあるまいか。


 あまりそんなことにこだわるのはもうそろそろやめにして、自分の書きたい作品を残しておくことを私は勧めたい。というのも、どうしても選考委員の好きそうな作風や作品内容を頭の中に描いて小説を書くとすれば、それはたとえ賞を手にしたとしても物書きとしての先の大切な書くことの面白さを失いかねないからである。此処での私の物言いが杞憂であればそれでいいのだが、私たちの社会科学の世界でも、往々にして権力に迎合する為に書き手の書きたくないものを書かざるを得なくなる者もいるのではあるまいか。それはメディア関係の仕事に従事しているジャーナリストや物書きによくみられる、と私はみている。


 つい最近までの私のように。もっとも、そうはいっても、なお私の中の多くの者に認められたいという「色気」は消せはしないのだが、冷静になって私の書いてきたものをちょっとでも読んだならば、あちら側の彼らと彼らに組みする人たちは、「なんだよ、このごみのような塊は!」と嘲笑されるのは必至だろう。そんな私の書いたものを、後生大事に大切に読み続けてくれる読者もいるのだから、これはありがたいことではあるまいか。そうした読者のことを念頭に置くとき、私の立ち位置は、やはりこちら側の私たちなのであり、それゆえ、私は何としてもこちら側の私たちが安心して暮らせるような「衣食足りて礼節を知る」の営為の在り様を提示する必要があるはずなのだ。


 私からすれば、こうした方向でもって、こちら側に位置すると目されている学者や知識人を始めとした様々な範疇に属する物書きは、もっともっと、あちら側の彼らとは異なるこちら側の、私たちの「衣食足りて」に関する論を展開すべきであると思うのだ。私が特に気にしているのは、こちら側の私たちに属していると思われる物書きたちが、「衣食足りて」にはあまり目を向けることなく、むしろ「礼節を知る」に関する論考を発表することに重きを置いているように思われて仕方がないのだ。それはそれでいいのだが、それらの内容は、あちら側の彼らの物書きとあまり変わり映えがしないのには、私は失望するばかりなのだ。その理由は、すぐ上でも述べたように、あちら側の彼らの提供する衣食足りての営為と、それを正当化合法化する私的財産権の自由や英表活動の自由の抱える問題とほとんど向き合うことができないからである。


 「あちら側の彼ら」の世界で繰り返される不愉快な出来事を論評することも元より大事な仕事であると私も認めるのだが、そうした作業は、読者の多くをあちら側の提供する「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係を担い支える一員として、あちら側の世界に留まらせることに与るのではあるまいか。私にはそのように思われて残念なのだが、特に最近のネット記事を読み・聴きながら、何か恐ろしいような流れが出来上がっているように思われて仕方がない。ここまでのくだりでも何回か述べていたように、オリンピック報道に接するたびに、様々な読者の意見が出ているにもかかわらず、それらの意見がいつの間にか収れんされてしまい、何が問題であったかさえもわからなくなるように編集されていくようで、やはり私には怖いというしかないような現状となっているのではと感じられるのだ。




(最後に一言)


 今日こそは記事を投稿しようとの思いでここまで書いてきたが、苦しい日々が続いた。こんな物を書いて、それを発表するとなれば、また確実に友達であった人を失うのは必至であるから。だが、もし本当に戦争を二度と繰り返さないのであれば、やはりガンジーやトルストイのイワンのような生き方をするしかあるまい。勿論、それはほとんどの人には不可能なことだと私は言わざるを得ない。かくいう私も、そんなことはもうできない。それを承知で、今回記事でもまた恥をさらすような話をしてきたのは、もし本当に戦争の悲惨さや核攻撃を避けるのであれば、私たちの生き方を先ずは変えることが最低限、求められる、と言いたかっただけである。


 だが、ここから先がさらにうっとおしくなるような話となるのだが、たとえガンジーやイワンのような生き方を私たちがある空間において実現した としても、残念ながら、その空間のどこかに向かって、他国から発射されたミサイルを防ぐことはできないということも、これまた起こりうる出来事であるのは否定できない。それはそうなのだが、こちらから攻撃することはないというかできない相談であるし、それは最初から無理な話であるのも確かだ。それゆえ、この空間の中に、ガンジーやイワン等の生き方に賛同する世界中の人たちを集結させることは、どうしても安全保障のために必要となるのではあるまいか。そのためにも、こちら側の私たちは、こうした方向性を目指す歩みを、少しでも可能とするような「衣食足りて礼節を知る」の営為の関係について、侃々諤々の議論が求められているのではあるまいか。もっとも、こうした空間づくりが出来上がったとしても、なおミサイル攻撃の危険性は避けられないのだが、「システム」から一歩でも遠い地点へと離れることにおいて、それはこちら側の私たちの夢想する「へいわ」の実現に際して、大きな収穫ではあるまいか。


*読者には誠に申し訳ないのだが、私の目の不自由さから、音声入力で文章を書いている 関係上、どうしても誤字脱字を避けられないことを、あらかじめ断っておきたい。



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私の語る「システム」論から、斎藤幸平氏による〈反五輪でボイコット〉発言を再考するとき(続)

2024-08-03 | 日記
私の語る「システム」論から、斎藤幸平氏による〈反五輪でボイコット〉発言を再考するとき(続)


(最初に一言)


 前回記事において、---私たちの社会は差別と排除の人間関係を前提とするものであり、そのような社会の中で生きているのは問題がある云々といくら叫んだところで、私たちの生存それ自体がそうした差別と排除の人間関係を前提として成り立っていることを承知していることから、なかなかそれは一筋縄ではいかないことになる。ーーーと私は述べていた。今回記事はこのくだりを論の起点として以下に話をしていきたい。*なお、引用貼り付けに際して、前回記事のくだりを一部削除したことを断っておきたい。




 そこで私が読者に伝えたかった差別と排除の人間関係を、明治維新当時の日本を取り巻く国際社会の文脈の下に言い換えて論じていたのが、福沢諭吉の『文明論之概略』において強調していた「製物の国」と「産物の国」に見いだされる差別と排除の人間関係であったと私はみている。福沢は、そうした差別され排除される側に置かれた産物の国から、差別し排除する製物の国へと移行することを、明治日本は目指すべきと訴えていたのである。


 福沢は、こうした論との関連から、文明ー半開ー野蛮の差別と排除の関係を理解すると同時に、その関係を善悪というか道義的・倫理的な問題ではなく、現実の国際社会の中で生き残るためにはどうすべきかとの「責任倫理」の観点から、「文明」を目指す必要性を説いていた、と私はみている。そう説くことによって、福沢は、私の語る「システム」を前提とした人間関係とそれが体現した国際社会を容認した、積極的な形で受容したのである。その意味において、福沢は、「あちら側の彼ら」の提供する知識人として「システム」に奉仕する学者であった、と私は位置づけるのだ。


 だが、そうであるからといって、そのような福沢を、「お前は差別論者だ」としてすぐさま批判・非難することが、果たして私たちにできるのだろうか。その際、私たちの正規労働者と非正規労働者の議論を鑑みるとき、私たちは奇妙な議論を行っていることに気が付くかもしれない。それは、国際社会における、より構造的な差別と排除の関係には目を向けることなく、むしろそうした人間関係を受容しながら、それでいて、日本国内における製物の国に呼応する正規労働者と、産物の国に呼応する非正規労働者の関係に対しては、少しでも是正しなければならないと語っているのだから。


 そうした物言いはやはり何かを隠しているというか、都合の悪い関係をみようとはしていないように、私には思われるのだ。たとえば、福沢が先に指摘していた産物の国と製物の国の格差の関係は、今日においては、第一次産業と第二次産業といった表現で描き直されてしまっているのだが、それに関して私たちは、産業構造における当然の「発展」(「段階」)の推移くらいにしか考えていないのではなかろうか。そこからはもはや、差別と排除の関係云々の臭いすら嗅ぐのは難しい話となっているのではあるまいか。


 それゆえ、私たちはダブルスタンダードを含む国際社会における多種多様な構造的格差に象徴される差別と排除の関係について、それらが一体どうして、どのようにしてつくり出されてきたかの考察が求められているだろう。この点にこそ私たちは目を向けて、その理由について論及しなければならないのではあるまいか。その際、私は、「こちら側の私たち」と、「あちら側の彼ら」といった区分けをせざるを得ないと感じるようになってきたのだ。


 ここで誤解のないように読者に話しておくならば、私は福沢を「あちら側の彼ら」を構成する一員として位置づけ理解しているとしても、彼を簡単に批判・非難するつもりはないのだ。その関連から言うと、彼の「脱亜論」に関しても、私の語る「システム」を前提とする限り、当然の選択肢の一つであったとみるのである。ここでも道徳論というか「宗教倫理」でもって国際社会の中での私たちの命と暮らしを守る安全保障を議論することは差し控えた方がいい、と私はみている。


 だが、それと同時に私が問い質したいのは、そうした方向を私たちが辿ったとしても、私たちすべてが生き残れないという現実を認めるならば、どうしても生き残ることの確率の低い人々は、今一度、「こちら側の私たち」という立場から、「システム」の中で生き残るためには、どのような「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉が存在しているのかに関して、徹底的な議論を繰り返すことが大事である、と私は強調しておきたいのである。


 ここでも私が残念に思うのは、こうした私の問いかけに対して、本来ならば当然ながら、こちら側に属していてもおかしくないはずの相当数の人々が、あちら側の彼らの構成員と一緒になって、私の提言には耳を傾けるどころか一笑に付してしまう様が大きく見えることである。これまた、仕方のないことだが、そこには、こちら側の私たちといった観点から、話の輪を広げてこなかったという問題がある、と私はみている。


 ここまでの話の流れを踏まえるとき、私のこれまでの論は、こうした観点に立って展開されてきたといっても過言ではない。このような私からすれば、たとえ政治とお金の問題で泥まみれの自公政権を批判して、可及的速やかな政権交代が必要であると野党勢力が主張しているとしても、また民主主義の危機を叫び、民主主義を取り戻せ!と力説したとしても、さらに憲法が危ない、今こそ憲法を擁護すべき時である云々とか、またその逆に、憲法が時代にそぐわないから憲法を改正すべしと主張したとしても、私はそれらの議論が「システム」の抱える宿痾と切り結ぶことのない話であるといわざるを得ないのだ。


 それゆえ、こちら側の私たちにとって是非とも必要であると思われる、「システム」からどうすれば少しでも離れた地点で私たちの生存を確保できるかについての議論を、ほとんどといってよいほどに論及できないことから、失礼ながらも、私にはあまり役に立たない話となってしまうのである。誠に偉そうな物言いであることは承知しているのだが、それを断ったとしてもやはりこのままではどうにもならないことは確かだということを、改めて強調しておきたいのである。




(最後に一言)


 結局のところ、「あちら側の彼ら」と同じ土俵の上に立って、彼らの利権・利害関係を体現する「システム」の提供するメディア情報に対してあれやこれやと難癖?をつけても、結局のところ、そこから次へと続くような話とはならないだけの消耗戦に陥るだけで、意味はないということを、こちら側の私たちはそろそろ気が付いた方がいいのではあるまいか。もっとも、こちら側の私たちも、元より彼らと同じ「システム」の中で生きているのだが、如何せん、私たちの側は、彼らとそん色のないメディア情報を提供できないままにある。


 ここで少しあちら側のメディア情報について述べておきたいことがある。それは少し前の記事でも触れていたと思うのだが、トランプの登場でアメリカ社会の分断・分裂が激しくなった云々の情報に関してである。それと関連して、今の欧米社会に顕著な難民や移民の流入と国内の格差の進行に伴う社会の分断・分裂を問題視するメデイア情報の氾濫?に私たちはもう少し注視すべきである、と私は強調しておきたい。


 そこにはこれまでの欧米社会で常識とされてきた主権国家と国民国家の下に国民が「一つの姿」として統一され統合されてきた社会を、またそうした社会の下で豊かさを手にすることのできる?資本主義と、自由と人権と法の支配と平和を享受できる?民主主義の実現された社会の在り様を、善とするような見方が色濃く投影されているのではあるまいか。それゆえ、そうした善とされた、望ましい姿として位置づけ理解された私たちの社会の歩みそれ自体が、今日の欧米社会の分断・分裂を引き起こしたのではないかといった私の「仮説」は、あちら側の彼らには、決して思い浮かぶものではない?と同時に、それこそ何を戯言を語っているのかとの批判となるか、あるいはその逆に、まったくの無視となるかもしれない。


 あちら側の彼らは、彼らの提供・操作するメディア情報を介して、私のそうした見方に代えて、今日の分断・・分裂を導いた「主犯」は、トランプの登場とポピュリズムの猛威であるとか、極右・極左の台頭とその下での暴力的破壊行為であるとか、果てはプーチンや習近平等々に代表される権威主義体制が支配する世界の風潮であるとか、私には怪訝に思えるような話のオンパレードばかりなのだ。それゆえ、私は今回記事でも述べたように、「こちら側の私たち」といった立場を鮮明に打ち出すと同時に、こちら側の私たちにとって、あちら側から提供される氾濫する情報を前にして、何が有益となるのかの識別作業を重視したい、と私は考えている。



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私の語る「システム」論から、斎藤幸平氏による〈反五輪でボイコット〉発言を再考するとき

2024-08-01 | 日記
私の語る「システム」論から、斎藤幸平氏による〈反五輪でボイコット〉発言を再考するとき


(最初に一言)


 今回の話も、おそらくは大半の日本人には「どうでもいい」ような話として済まされるように私には思われるのだが、斎藤氏が問いかけた問題を、私の語る「システム」論から掘り下げて考えてみたい。




 「こちら側の私たち」にとっては、斎藤氏の「反五輪でボイコット」の主張は、至極当然の物言いとして位置づけ理解されるということを、最初に述べておきたい。その際付言すれば、だからといって五輪を見ることもしないのかどうかは、こちら側の私たち各人の判断に委ねるしかあるまい。私が今回記事で問題としたいのは、斎藤氏が指摘する以外に、五輪に反対する理由はないのかという点に関してである。私はもう少し広い文脈の下で反対の立場を表明しておきたい。


 それでは斎藤氏による反対の理由を紹介しておきたい。氏は主として二つの理由を挙げている。一つ目は、ロシアの五輪参加は認めないのにイスラエルの参加は認めるという国際社会や国際オリンピック協会の「ダブルスタンダード」の姿勢を問題視している。イスラエルの五輪への参加により、イスラエルのパレスチナに対するジェノサイドについての感覚が人々から消えていくことを危惧している。もう一つの理由は、「祝賀資本主義」によって格差の拡大が助長されるということである。なお、これらに関する記事としては、〈東大准教授「news23」での「反五輪」発言に反響 スポーツウオッシュの問題点指摘「私は抵抗したい」7/31(水) 16:57配信 スポニチアネックス〉と〈「反五輪でボイコット」東大准教授、番組で明言 イスラエル出場の「ダブルスタンダード」指摘 7/31(水) 19:16配信 J-CASTニュース〉を参照されたい。


 冒頭でも指摘しておいたように、こちら側の私たちには、斎藤氏による反対理由は、当然の物言いであるとみている。それを踏まえたうえで、私はこちら側の私たちによる反対理由について言及しておきたい。その際、以下のような問題提起をしておく。先述したようにダブルスタンダードに関しての話として、それではロシアも認めてイスラエルと共に両国の参加を認めれば良かったのか、あるいは逆に、イスラエルも認めないで両国の参加を共に認めなければ良かったのか、という問題から考えてみたい。結論から言うと、両国ともに参加しない方向で国際社会がまとまればよかったのだが、それは現実の政治力学の前にどうにもならず、イスラエルの参加が許されるという事態となったのだ。おかしな話だが、結局はそうなってしまったのである。


 それゆえ、斎藤氏による先の発言がなされるわけだが、誤解を恐れずに言うならば、私にはこうした抵抗は、現実の政治力学を前にして、ほとんど意味を持たないというしかないのだ。あまりにも弱すぎるといえば言い過ぎだろうか。勿論、何を言ったとしてもほとんど意味を持たないのは確かなことだが、それを踏まえてもなお、こちら側の私たちには、もっと強いメッセージを発信する必要があるのではなかろうか。これに関して言うならば、こちら側の私たちには、五輪はもうやめてもいいのではないかと思われる事案の一つである。それこそ国体(国民体育大会)の見直し論が高まっている。両者を比較すること自体にも問題はあるのは私も承知しているのだが、それを踏まえてもなお言うならば、今の激しく拡大している格差の時代を鑑みるとき、「みんな楽しく見ている五輪」とは程遠い現状ではあるまいか。


 ロシアとウクライナの戦争、イスラエルによるパレスチナへの長年に及ぶ暴力行使は元より、世界中を見渡すとき、此処彼処で対立・衝突・内紛が勃発している。それこそフランス国内を見ても、先の総選挙の結果が物語るように、とてもオリンピックの開催どころの話ではない状態・状況におかれているのは間違いない、と私はみている。これは東京五輪でも同様であったはずである。なぜならまだフクシマは終わってはいないからだ。私のような立場からすれば、五輪の開催は開催当事国を含めた世界中の危機的問題を隠蔽すると同時に、こちら側の私たちに向かって、お前たちも「あちら側の彼ら」の仲間になる方が利口であるし世渡りにも都合がいいかのようなメッセージを送っているように思われるのである。


 ところで、私はこれまでもずっと私の語る「システム」論を、犬の遠吠えのようにこれでもかと論及してきたのだが、それは私の語る「システム」の抱える宿痾というか、私たちが後生大事に信奉してきた自由・民主主義・人権・法の支配・平和といったいわゆる英・米・仏の市民革命に端を発する普遍的価値とその実現の歩みとしての普遍主義の抱える問題に対して、私たちはもっと真面目に向き合い、それこそ命を懸けて挌闘すべきなのだということであった。そうした生き方こそが、明治以降から今日に至る私たちの自己決定権の獲得とその実現を巡る差別と排除の格差の関係の歩みに対する贖罪となりうると同時に、「システム」と距離を持って生きていける、これまでとは異なる生き方の創造につながる、と私はみている。


 そんな私からすれば、戦後の日本と日本人の生き方は覇権国である米国主導のGHQの占領統治とその下での日本国憲法体制に組み込まれて以来、戦前・戦中の日本とは別の形の差別と排除の「親分ー子分」関係を前提とする力(暴力)の支配の下に組み込まれてしまったということである。大日本国憲法体制と日本国憲法体制の表層的な違いはあれども、その内側において綿々として続いてきた、スペイン・ポルトガルを始めとした歴代覇権国を中心としてつくり出された覇権システムに特徴づけられる差別と排除の「親分ー子分」関係を前提とする力(暴力)の支配は、ほとんど何も変わってはいないのである。


 そうした暴力的支配の姿は、「システム」の低度化の深化の進行するかつての先進諸国においては、国内における分厚い中間層の解体と相まって、たとえそれがどんなに表面的なものだったとしても、これまでの寛容の精神も涵養されなくなった社会には、対内的にも対外的にも「弱者」に対する余裕はなくなり、それが弱者の切り捨てとして表面化する事態となっている。たとえば、国内では低所得者層に自己責任の論理をことさら強く求めるとか、国外に対しては、移民や難民の流入はお断りといった強硬な姿勢を打ち出すとか等々である。


 元より、私たちのこれまでの豊かさとそれに裏打ちされた寛容の精神は、私の語る差別と排除の関係を前提とした「システム」によって提供されたものであることから、それほどというか、ことさら礼賛されるものでは全くないのである。付言すれば、これまた何度も語ってきたように、米国のニューディール期の黄金の資本主義社会と民主主義社会も、こうした差別と排除の関係を抜きにしては実現しなかったことを銘記しておいた方がいい。同じく、戦後日本の高度経済成長と民主主義の実現に体現される日本国憲法の各条項に示された「理念」も、私の語る自己決定権の獲得とその実現を巡る差別と排除の関係を前提とする「システム」によって提供されたことを、もう少し具体的に言えば、「システム」が時の覇権国である米国を介して日本に提供したということを、私は今回記事においても強調しておきたいのである。


 ここまでの私の話を踏まえるとき、私たちのいう「ダブルスタンダード」の問題は、それ自体の問題というよりも、そうした基準をつくり出す仕組みというか構造は、果たして何であるのかを問うことの方が、さらにこちら側の私たちには大切であるように、私には思われる。前々回記事?でも述べていたように、私たちの自由・民主主義・人権・法の支配・平和が実現するには、私の語る「システム」全体を構成する諸国とそこに暮らす人々に対する有無を言わさぬような強制連行的な総動員体制を前提としているにもかかわらず、結果としてその果実を享受できるのは、その一部に限定されるという事実なのだ。たとえて言えば、同じ仕事をしているにもかかわらず、正規と非正規においてその手にする果実が違い過ぎるという今の格差社会の現実と重なる姿なのだ。


 ここでもおかしな話だが、そうした格差社会に対して私たちは確かにそうした賃金格差を問題にはしているのだが、そうだからと言って、そうした格差問題に対して、それこそ本腰を入れて真面目に向き合い挌闘するかと言えば、そうではない。むしろ後ずさりするか、声はあげてもそれ以上に深入りするのは避けるのだ。どうしてなのか。それは私たちの享受している幸せは、そうした格差を、すなわち差別と排除の関係を前提として初めて手にできることを、十分すぎるほどにわかっているからなのだ。


 それと同様に、世界のカクサ(格差)に関しても、よくわかっているのである。たとえ、それを理論的というか、いろいろな事実とされる事象を積み重ねて説明できなくても、生身の人間として強く体感しているのだ。少し付言すれば、私たちの知的状況は、特に左翼的・革新的とされる知は、こうした普通の人々の体感に至るまで到達できるそれではもはやないのである。民主主義と帝国主義は「水」と「油」の関係にあるといくら知識人が強弁したとしても、普通の人々はそうした物言いの偽善性に気が付いているのだ。イスラエルによるパレスチナ人に対する虐殺に象徴される帝国主義を見せつけられる度に、民主主義と帝国主義が手に手を取って弱い者いじめをしていることを、体感するのだ。もはや彼らに偉そうに民主主義の崇高さ云々の話は通じないのだ。


 ここには、私たちの生き方それ自体における「ダブル・トリプル・スタンダード」が色濃く刻印されている、と私はみている。それこそ、福沢諭吉の説いた「文明ー半開ー野蛮」の関係を前提とした生き方を本能的に自覚?しているのだ。こうしたダブルスタンダードには目を向けないままに、私たちはロシアとイスラエルを巡るダブルスタンダード云々の話には食いつきやすいのではあるまいか。おそらく、斎藤氏の問題提起は、「どうでもいい」ような話で盛り上がって、それでしばらくすれば終わりとなるに違いなかろう。本当ならば、本来ならば、それで済まされてしまっては残念なのだが、これまたどうしようもないのだ。私たちの社会は差別と排除の人間関係を前提とするものであり、そのような社会の中で生きているのは問題がある云々といくら叫んだところで、私たちの生存それ自体がそうした差別と排除の人間関係を前提として成り立っていることを承知していることから、なかなかそれは一筋縄ではいかないことになる。


 だが、ここで問題となるのは、それでは私たちが差別し排除する側から、差別され排除される側に回った時に、従容としてそうした関係に甘んじて生きていけるのだろうかということである。それはできない相談だというのが、つい最近までの歴史が教えてくれる。欧米社会での極右・極左の暴動やポピュリズムのうねりがそれを端的に示している。こうした動きが、やがて戦争へと私たちを今また駆り立てることにでもなれば、それは大変であるのは言うまでもなかろう。


 憲法を守れと叫んだところで、また9条に体現される平和憲法を改正しろと叫んだところで、私たちを取り巻く危機的環境にうまく対応・対処できると私は考えてはいない。何度も言うのだが、私の語る「システム」とそれが抱える宿痾を直視して、「システム」と格闘しなければならないことを、私は主張するだけである。特に、{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれる今進行中の「システム」の動きから目を離してはならない。


 この「システム」を少しでも学んだ人であれば、今や米・中覇権連合の強化の下に、着々と次期覇権国としての中国の台頭が準備されていることを理解できるに違いない、と私は推察している。私から見るとき、今の日本と日本人は20世紀の両戦間期において、突如として?日英同盟を米国からの圧力で廃棄されてしまい、英米覇権連合の下で孤立感を深めて戦争へとひた走った姿と重なってしまうのだ。そろそろ日米同盟も廃棄される時期に差し掛かっているのかもしれない。


 それゆえ、ここで大事なことは、「システム」の発展とその維持・存続に際して、「システム」が打ち出すであろう「一手」を、私たちも前もって予測・予想しておいた方がいいということである。そのためにも、私の語る「システム」は、何よりも戦争を、カネの成る木としての「システム」にとって、最重要なエネルギー源(収入源)として位置づけ理解しているということを知っておくのは、私たちの生活上の安全保障にとって必要不可欠なことであると言えよう。それゆえ、「システム」は覇権国の米国と次期覇権国の中国を介して(使いながら)、次の戦争を仕掛けよう時としているのだ。それとの関連で、今のロシアによるウクライナ戦争は位置づけ理解される、と私はみている。これらに関しては、以前のブログ記事を参照されたい。、




(最後に一言)


 今回記事は斎藤氏の「反五輪でボイコット」に関する記事をたたき台として、私の語る「システム」論から論及した次第。私はそろそろ「こちら側の私たち」の「おりんぴっく」を考える時期だと思っている。お金のない私たちのそれは、華々しい採点とはかけ離れた、それこそすべてが自給自足的な競技会になるはずだ。おそらくというか必ずや「あちら側の彼ら」のそれと比べられないほどにお粗末なレベルな代物だと私は確信している。だが、その中にこそ、私たちが見失った人間の持つすばらしさ?・輝かしさ?があるのかもしれない。そんな物言いをしながらも、残念ながら、私には未だにそれが見えてこないのだ。だからこそ、もしそんなものがあるのならば、それを見てから、正確にはそれを感じながら死にたいと切に思うのである。


 あちら側の彼らの提供する祭典とは異なるこちら側の私たちのそれを提示できるようになって初めて、あちら側の彼らに向かって発せられる「反・五輪でボイコット」論は、論ではなく現実の形となるはずだ。もっとも、そんなこちら側の私たちの祭典が実現したとしても、やはりそれに対するこちら側の私たちからの反対やボイコット論があるのは否定できないだろうが、それは異なる次元における反対でありボイコット論である。当然ながら、それらの異議申し立ては空気のように自然な姿として、私たちは受容するであろう。別にことさら何か社会に対する「異論」であるかのように取り上げる必要もない。


 ここまで書いてきたのだが、読者はおそらく「お前のいう五輪反対に関する理由は何かが不鮮明ではないのか」と私に尋ねるかもしれない。それは残念なことだが、私の語る「システム」の中で、それこそ差別と排除の関係を前提として生きている社会において、そうした差別と排除の人間関係を不問に付したままで、どうして五輪の開催とか参加などを考えられようかというのが、こちら側の私たちの反対の理由である、と私は強調しておきたい。


 そうした差別と排除の関係を前提とした「システム」の中で、ロシアのウクライナ戦争やイスラエルのパレスチナに対する暴力行使が引き起こされるのだから、ダブルスタンダード云々や祝賀資本主義云々の問題も、私の語る「システム」と結び付けて語ることは当然である、と私はみていることから、「システム」を俎上に載せてそれと挌闘する者ならば、そもそも「システム」の主要な利権・利害関係者が支配するあちら側の彼らの提供する祭典に参加することはやはり気が引けるというしかあるまい。これらが私の反対理由である。だが、これまた何度も述べてきたように、こちら側の私たちも、あちら側の彼らと同様に、私の語る「システム」を担い支えるシステム人であることを自覚するならば、それこそ反対のトーンは弱弱しいものとなることだけは否めない。それを承知したうえでの、恥の上塗りとなるのを覚悟しての、今回記事での私の論の展開となった次第である。




(付論)


 前回記事に関する補足説明をしておきたい。大きく分けると二点であるが、今回記事では最初の点についてのみ付言しておきたい。それは、〈平衡感覚を私たちが相当になくしてしまった〉云々に関してである。平衡感覚というとき、多くの人は誤解するかもしれないが、私たちの社会における「立ち位値」は決して平衡というか平らな地点には位置してはいない。それゆえ、それは「法の前に平等」であることを憲法が謳っていたとしても、、その理念を享受する現実の私たちは、差別と排除の格差の関係を前提とした社会の中で生きているということを忘れてはならない、そこから目を背けてはならないということである。


 何度もこれまた述べてきたように、私たちは自己決定権の獲得とその実現を巡る差別と排除の格差の人間関係を前提とした社会の中で生きている。それゆえ、私たちの平衡感覚には、そうした社会の格差が的確に埋め込まれていることが何よりも必要となるのだが、ここで大きな問題として、私たちは現実に生きている世界を直視する前に、社会はこうあるべきだとの観点から社会を捉えようとしてしまう。特に、日本人はそうした感性に邪魔されやすい、と私はみている。


 前回記事でも述べていたが、民主主義に関した話においてもそれは顕著ではあるまいか。いつも理念というか、あるべき状態を物差しとして、そこから現実の距離を測るというような倒錯した議論があまりにも多すぎるのだ。それゆえ、そもそも今俎上に載せられている民主主義とは、どのようにして、どのような人間関係を前提として作られてきたのかといった最低限度の話さえもスルーしても何も問題はないかのように話が展開されてしまう。これはやはりおかしいのではあるまいか。


 平衡感覚を磨くためにも、現実を直視して、それを起点とした理念との距離を図ると同時に、どうしてあるべき理念が現実に投影されないのかを問いただす作業を試みたほうがいいのである。そうすることによって、理念とそれをつくり出した仕組みというか構造と、それが抱える問題に、換言すれば私の語る「システム」に初めて目が向けられることになる、と私はみている。


 もう一つの残された問題は、最近の異常気象を前にした際の、私たちの災害時に備えた向き合い方に関してである。これに関しては、いずれ別の機会に取り上げて論じたいと考えている。少し言及しておくと、どうして二人の若い警察官は「殉職」しなければならなかったのか。私には本当にあってはならない事件なのだ。今も考えている。



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