日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

№99私の語る「システム」論から、改めて覇権システム、「システム」における「親分ー子分」関係の下で、「政治」に対する「8割のこちら側の国民」の腐敗と堕落、そして緊張感なき怠惰な接し方を考えるとき

2023-12-02 | 日記
№99私の語る「システム」論から、改めて覇権システム、「システム」における「親分ー子分」関係の下で、「政治」に対する「8割のこちら側の国民」の腐敗と堕落、そして緊張感なき怠惰な接し方を考えるとき




(最初に一言)


 前回記事で、与野党とその政治家連中の「腐敗」云々と述べていたのだが、その元をたどると、政治に対する私を含めた「8割のこちら側の国民」の腐敗と堕落、さらに緊張感なき怠惰な向き合い方が、当然のように浮かび上がってくるのではあるまいか。




 今さら改まってこんな物言いをする必要もないはずだが、何しろ私たちは2割の「上級国民」と同様に、すべてが私の語る「システム」を担い支える同じ「システム人」であるとの自覚と自戒を、との思いからここに述べた次第。




 それにしてもなのだ。最近の内外の出来事に対するこちら側の反応というか対応はあまりにもお粗末すぎないか。こちら側の国民を今またあざ笑うかのように、11月29日の米軍オスプレイ機の鹿児島県屋久島沖での墜落事故報道にも、それは示されている。米軍の行動は目に余るのではあるまいか。私の住んでいる愛媛県松山市の南梅本町には自衛隊の陸上駐屯基地がある。最近はヘリコプターが家の上空を飛び交う回数も多くなってきたように思われる。岩国基地の関係もあるかもしれないが、日米合同訓練の一環として、この松山の基地も組み込まれているのかもしれない。


 もっとも、私の勘違いでなければ、米軍は今では愛媛県の空港や港湾施設を、いつ何時でも使用できるようになっているのではあるまいか。勿論、そこには緊急性を要するとか、その他の付帯条項はあるに違いないが、これまでの歴史を、とくに沖縄のそれを踏まえるとき、それらは有名無実化するとみた方がいい。愛媛の空も、オスプレイが飛び交い、いつ何時、屋久島沖のような事故となる可能性は否定できない。それどころか、もう既に何度も何度も飛行している?ように思われるのだ。


 それゆえ、以前から言われていたオスプレイ機の事故「多発」に関する原因究明と調査・検証の必要性については言を俟たないと同時に、その間の飛行禁止は当然の話となるはずだが、現実はそうはいかないのである。覇権システムと「システム」における日米安保体制の制約によって、親分の米国の意向に子分の日本は従わざるを得ないからだ。勿論、いくら子分だからと言っても、こんなおかしな話はない。


 どうしてこんなことになったのか。それは言うまでもなかろう。日米関係に象徴される「親分ー子分」関係問題を含む様々な差別と排除の関係に対する「8割のこちら側の国民」の腐敗と堕落、そして緊張感なき怠惰な姿勢・態度が、一番の問題である。少なくとも、私はそう見ている。それゆえ、「なれ合い?」の交渉となる。最初から、日米双方は8割のこちら側の国民とその代表とされる野党の出方と腰抜けぶりを見切っているので、どうにもならない。


 案の定、それは12月1日配信の『毎日新聞』や『読売新聞』の記事からもうかがえる。それらによると、〈米軍、オスプレイの飛行を当面継続 日本政府は一時停止を要請
12/1(金) 6:18配信 毎日新聞〉、〈オスプレイ墜落、米国防総省「飛行停止の要請は受けてない」…当面は安全対策より捜索優先12/1(金) 10:21配信 読売新聞オンライン〉とある。最初から予想されるシナリオではあるまいか。


 さらに、そうした危機的状況・状態を目の当たりとしても、8割のこちら側の国民は、それを「危機」とはとらえられないままにある。まさに「イジメッコ」の米国に「いじめられっ子」の日本は、「ああ、またか」「まあ、それも仕方ない」という態度で、ただただ時の過ぎ行くのを待つのみなのだ。そしてまた事故が繰り返される―――。もう、この辺でいい加減、止めにするべきではあるまいか。


 それにしても、与党はともかくとして、野党は総選挙のたびに国民に向かって、「今度の日米安保条約継続に関して、「8割のこちら側の国民」の方から、もうそろそろ「NO」の立場を米国側に伝える準備をすべきだ云々とのメッセージを伝えてもいいはずなのに、これをしないままに放置してきた。そしてただただ、「戦術」の面だけを、たとえば消費税減税・廃止、憲法改悪を許すな、社会保障の充実等々を語り続けてきたのだから、これではどうしようもないだろう。


 何度もここ数回の記事で述べてきたように、覇権システムとそれを前提とした(私の語る)「システム」とどのように向き合いながら、私たち「8割のこちら側の国民」の命と暮らしを守るための安全保障とその実現にいかにして取り組むべきかの「戦略」とその構想・構築作業は、どうしても必要なのだ。戦術と戦略を合わせて国民の前に提示して、それを介してさらなる議論の活性化を目指すしかあるまい。




(最後に一言)


 それはそうだとしても、次の、そしてこれからの総選挙では、当面は前回記事のタイトルに示したように、選挙戦に臨むことが望ましいと、私はみている。私は前明石市長の泉房穂氏を全面的に応援したい。泉氏の提言に従って、「8割のこちら側の国民」が一致団結して総選挙を戦うことができれば、勝算はあると、私はみている。もっとも、それほど現実は甘くはないだろうが。それはそうだとしても、今は前を向いて進むしかあるまい。

(付記)
 いつも記事を書きながら、「お前何様のつもりなんだよ」との、私の中の何人かはわからないが、それでもはっきりとその声を聞く。私一人で生活するのもままならない現状を踏まえると、笑うしかない。



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