私の語る「システム」論から、「こちら側の私たち」の〈難民・移民の受け入れ〉問題を「あちら側の彼ら」の提供する報道番組の一つである「報道ステーション」(2014年9,24)で取り上げていたドイツ地方議会選挙における移民・難民の受け入れ反対を主張する、極右政党と目されている「ドイツのための選択肢(afd)の躍進を批判的観点から報道する姿勢を、こちら側の私たちの立場から反批判するとき
*今回記事の最後の)(付言)において、布施祐仁著『従属の代償 日米軍事一体化の真実』から抜粋・編集した〈吉田茂が米国と交わした「約束」の正体に驚愕!強硬姿勢崩さぬ米軍に最後は…9/26(木) 6:50配信 『現代ビジネス』〉を紹介すると同時に、同記事の内容を踏まえて、矢部 宏治氏による「日米合同委員会」と「米国」との各々の役割分担とを切り離して、矢部氏の前者の日本への独立した強い影響力を主張する際の問題点に関して言及しているので、その点にも読者は目を向けてほしい。
(最初に一言)
先ずは確認であるが、わたしがこちら側の私たちの一員であるとすれば、私たちの生き残りのための最後の手段として、選択的条件の下に移民・難民を受け入れざるを得ないのだが、現状のように、あちら側の彼らの支配する社会の中に組み込まれている私の立場からすれば、簡単には賛成できないのである。その理由は、あちら側の彼らの社会を日本において体現する日本政府が、日本国民の総意に基づいて主体的に受け入れを推進するのではなく、「親分」である米国とその取り巻きの意向に従って成されることが容易に推測されるし、事実そのとおりなのだ。政治の世界において、移民・難民の受け入れを一大争点として、与野党が選挙戦で国民の信を問う形で相互に争う態勢は未だ整ってはいない国内の現状を踏まえれば、なおさら外部の力の強い声に従うのは否めないであろう。〈これに関連して、*でも指摘しているように、記事の最後の(付言)を参照されたい。〉さらにその後の国内に受け入れた移民・難民と、受け入れ先の国民との対立や衝突に対して無責任な対策・対応に終始して、その付けを末端の生活難民者に追わせるだけであるからだ。
その関連から言えば、結局のところ、ドイツのメルケル氏はドイツのその後の歴史に何らの責任も取ることもなく、ただただその後の欧州の不安をもたらしただけではなかったろうか。当時のドイツにおいて、今日の事態は既に予想されていたのだから。だが、ドイツの今の混乱を引き起こした張本人の一人は自由や民主主義、方の支配といった価値観を守ったとして褒め称されるのに対して、メルケル氏を含む当時の支配層がその一翼を担ったはずのドイツの格差社会の進行・深化と国内の治安と混乱問題に対して歯止めを撃つことを主張する者たちは、「極右」とレッテルを貼られるのだとすれば、これはやはりおかしなことではあるまいか。それゆえ、このように語る私もドイツのafd支持者と同様に、「極右」の一員として朝日の番組関係者には位置づけ理解されるのだろうか。勿論、それは容認し難い話である。報道ステーションでの内容も、私には到底受け入れ難い「偏向」報道」でしかなかったのである。
誤解のないようにさらに言及すれば、だからといって、すぐさまトランプ支持になるわけでもないし、ましてやナチス礼賛でもない。同様に、「自由主義・民主主義」体制万歳となるわけでもない。移民・難民の受け入れ問題は相当にややこしく込み入った問題が介在しているのだ。それゆえ、私たちはあちら側の社会の垂れ流す民主主義と法の支配を守る側と、独裁的専制主義体制を擁護する側云々といったあまりにも通俗的な二項対立的図式の枠組みの批判的検討から始めなければならない。ところがこうした観点からの見直しというか検討を、最初からあちら側の彼らの支配する社会は許そうとはしないから、あちら側の社会に生きている多くの人々はそうした枠組みを受け入れてしまうことになる。
自由主義・民主主義体制の下で生み出される非正規労働者に代表される大量の「生活難民者」を国内社会の安全かつ安定した生活空間の中に受け入れることに消極的あるいは反対の姿勢を示す欧州や日本の政権担当者は、軍産複合体を中核とする支配構造が推進する戦争や紛争の犠牲者としての難民や移民を、特にウクライナからの受け入れには躍起となっている。勿論、その原資は国民の税金であり、その中には非正規労働者党の生活難民者が支払う税金も含まれているのだ。彼ら支配者側の権力・利権・利害関係者は、戦争を利用しながら軍産複合体とそれを取り巻く巨大な私的経済権力の懐を潤す一方で、戦争や紛争で生み出される政治移民・難民を受け入れることで、さらにこうしたお金の成る木の循環を滞らせることなく進めるのだ。元より、こうした政治移民や難民に彼ら自身の非というか責任を求めるのはやはり酷と言うべきだろうが。
それゆえ、そうした政治を批判して、移民・難民の受け入れに生活困窮者が反対するのは、当然と言えば当然なのだ。ところが、報道ステーションのようなあちら側の彼らの社会の維持・安定に貢献する御用メディア?は、そうした動きに対して、いとも簡単に「極右」のレッテルを貼るのだ。今の日本は相当にヤバイのだが、それがほとんど国民の意識に反映されていないかのような有様なのだ。私のこれまでのブログ記事や拙著や拙論での主張は、先ずは私たちが置かれているこの社会の煙幕を取り払うことであった。換言すれば、「歴史叙述の神話」を暴露することであったといっても過言ではなかろう。
(最後に一言)
今回記事の流れとは直接結びつかないものの、前回、前々回記事を踏まえて、ここに補足説明をしておきたい。あまりにも痛まし過ぎる石川・能登の豪雨災害に際してこれまでと同様に思うことなのだが、メディアは都道府県の首長を始めとした政治家の災害時における「奮闘ぶり」をどうしてすぐさま主権者に伝えないのか
災害時にはいつも私は不思議に思うのだが、政治家はどうしているのかがほとんど伝えられないから、一番大事な瞬間における「政治」が見えてこないのは、私たち主権者には残念なことではあるまいか。たとえば、少し以前のブログ記事でも書いたが、首相は当時、国外脱出した。総裁選や代表選の政治家は何をしているのか、換言すれば、何をしていなかったのかはよく分かった。石川県の豪雨災害時、県知事は日本にいたのか。その他の政治家はどこにいて、何をしていたのか。これを伝えるのはメディアの大事な役割だと私は考えるのだが、いつもこの問題はスルーされるのだ。これほど自然災害の危険性が叫ばれている今この時であるはずなのに、また口を開けば決まって国民の命と暮らしを守るのが大事だと宣うのに、政治家が表舞台に表れて陣頭指揮している姿が見えてこないから、災害時には彼らは必要ないとでもいうのか。おかしな話ではあるまいか。
さて、前回記事において、私の「私的権力」云々の話に関して、読者の中には、もうついていけないと思われた方がいるのでは、と私は推察している。それも無理はない。私たちは、生まれてこの方、いわゆる「歴史叙述の神話」の世界の中で生きているのだから。たとえば、米国の政治を見るとわかりやすい。私的権力が本来は公的機関であるはずの公的空間をハイジャックして、公的な仮面を被り続けているのだ。その実態は私的権力が独占する私的空間でしかない。公的空間は死滅しているといっても過言ではないのだ。市民革命以来、ずっとこうした流れは不変なのだ。少なくとも、私はそのように論じてきたし、今もそのようにみている。
米国の「中央銀行」とされるFRBの構成主体は、民間の巨大銀行であり、その意味では、私的権力機関でしかない。「中央」という言葉に騙されるのだ。日本銀行を語るときも、政府の保有する株の構成を民間のそれと比較して、日本銀行の公的性格云々の議論がなされるのだが、これなども最初からおかしな話なのだ。明治維新とその前後の歴史の流れを鑑みれば、明治国家の誕生には英国の私的巨大経済権力の介入を無視することはできないはずだ。その英国も、私的巨大権力によって、公的空間はハイジャックされて久しい。英国国王の存在もそうした私的権力との関連から位置づけ理解するならば、私的空間の中に包摂されているとした見方ができるはずではあるまいか。日本の皇室もその英国王室との歴史的関係性の強いことを踏まえるとき、その延長線上に位置しているのではあるまいか。
私はこのブログ記事において、「私」と「公」の関係について何度も考察しているのだが、私たちは国家や国民、あるいは官庁や公務員と言うとき、どうしてもそこに「公」的側面を見てしまうのだが、その際、どれだけの人がこの「公」を構成する「私」と「私」と「私」の関係について思いを巡らすことができるのだろうか、と私は考えるのだ。すなわち、「公」と「私」の間には、幾重にも重なる関係が存在していて、両者の空間は繋がっている、連続しているということなのだ。両者の間を遮断する何か固いコンクリートのような物体など存在してはいないことに、私たちは気が付く必要がある、と私は強く述べておきたい。
もし、このようなイメージを浮かべることができれば、例えば、公的空間の中に私的空間がすっぽり入っているような「公」と「私」の関係を想像することもできるであろうし、逆に、私的空間の中に公的空間が埋没しているそうした両社の関係を想像することもできるであろう。それを踏まえて言えば、私たちが選挙で選んだ候補者が議員となって議会に議席を占めた時、通常は公的空間とされるその議会を支配しているのはいったい誰なのかを考えていくとき、それはややこしい話となるに違いない。たとえば、日本の国会は、もし日本が米国の属国であるとすれば、また今回記事でも紹介した布施氏による日米関係の密約の存在を踏まえれば、日本の国会を支配するのは米国であるということになるに違いない。
さらに、その米国を支配するのは一体、誰なのかを考えるとき、たとえば今回記事でも取り上げたFRBの構成主体を思い浮かべた時、また米国の共和党と民主党の両政党を背後で操作していると言われる巨大な世界的私的経済権力をその傘下に置いている超富裕層を念頭に浮かべるならば、米国中央議会は私的空間の中に組み込まれているということになる。そこから、回り回って、日本国家、日本政府、日本の国会は、米国の巨大な世界的私的経済権力がその構成主体である私的空間の中に納まっている、といったイメージを浮かべることができるのではあるまいか。それゆえ、「公」は「私」の中に組み込まれているということになる。前回記事での私の話は、こうした観点から再度読み直すならば、これまでの私たちの「公」と「私」に関する議論のおかしさに気が付くのではあるまいか。そこから、私たちがいま声高に叫んでいる自由主義や民主主義や人権や法の支配の構成主体を再検討・再考察するならば、いわゆる普遍的価値と普遍主義が抱える問題点にも気が付くはずに違いない、と私はみている。(なお、米国の経済支配者に関しては、広瀬隆氏やN・チョムスキー氏の著作を一読されることをお勧めしておく。)
*(付言)
(最初に一言)で述べていたように、日本政府が単独で主体的に移民・難民受け入れ等の政策を打ち出すことのできない理由に関して、私は今回記事の最初でも案内しているように、布施氏の見解に従いながら以下のように見ている。布施氏によれば、〈吉田茂と米国、交わされた「密約」〉を問題視している。それは、ーーー今から70年以上前の、日本がまだ米国を中心とする連合国の軍事占領下にあった時代までさかのぼーーーる。ーーー1950年秋、米国政府は連合国の占領終結後も米軍の日本駐留を認めることなどを条件に、日本と講和条約を締結する方針を決定しーーーそして、翌年の1月から日本政府との交渉を開始ーーーする。そこで一番重要なことは、ーーーこの交渉で米国政府は、占領終結後の日米の安全保障協力について定める協定に、有事の際は警察予備隊(自衛隊の前身)など日本の部隊を米軍司令官の指揮下に置くという規定を入れるよう要求しーーーたのに対して、ーーー日本政府は、「憲法と関連して重大問題をまきおこす懸念がある」などとして明文化することには強く反対しーーーたものの、ーーーしかし、明文化しない代わりに、当時の吉田茂首相が、有事の際に米軍司令官が日本の部隊を指揮することに同意すると密かに約束しーーーたということである。
これに関して、布施氏は次のように述べている。すなわち、ーーー1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は主権を回復しーーー同日、日米安全保障条約も発効し、占領軍であった米軍はそのまま日本への駐留を続けーーーその3ヵ月後の7月下旬、吉田茂首相、岡崎勝男外相、マーク・クラーク米極東軍司令官、ロバート・マーフィー駐日米国大使の4人が会談しーーークラーク司令官が会談の内容を報告するために国防総省の統合参謀本部に宛てて送った公電に、次のように記されていーーーた。すなわち、ーーー「私は7月23日夕刻、吉田(首相)、岡崎(外相)、マーフィー(駐日米国大使)と自宅で夕食を共にした後、会談を行った。私は、我が国の政府が有事の際の軍隊の投入に当たり、指揮の関係について日本政府との間で明解な了解が不可欠だと考えている理由を詳細に説明した。吉田は即座に、有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状の下では、その司令官は合衆国によって任命されるべきだということに同意した」ーーーとある。そしてーーーこの公電には、吉田首相がこの合意を秘密にするよう求めたことも記されていーーーるとのことだ。ーーー「(吉田は)この合意は、日本国民に与える政治的衝撃を考慮して当分のあいだ秘密にされるべきであるとの考えを示し、マーフィーと私はその意見に同意した」ーーーこれが、いわゆる「指揮権密約」と呼ばれているものでーーーあると、布施氏は述べている。
布施氏が語るように、日本政府は、当初から日本の主権を放棄すると同時に、米国の51番目の州」として自らその制約に甘んじることを選択した、と私はみている。占領期から今日に至るまで日本は日本の主権とその国防に関する主体的権限を米国に奪われてきたということを鑑みれば、日米関係における日本の不在を日本側が認めていたという問題こそが、先ずは日本の主体的行動を許さない大きな理由であったと、私は言わざるを得ないのだ。その大枠を、つまりは覇権システムの制約を認めた上での日米合同委員会の役割が問われるということになる、と私はみている。
日本は米国を中心としたGHQの占領期において、自己決定権の獲得とその実現を巡る争奪戦を俟たず、米国に自らの自己決定権としての主権を放棄すると同時に譲り渡したということを踏まえるとき、私たちは日米関係の下に米国から要請されるさまざまな要望リストの実現に迫られると同時に、覇権国の米国を中心的構成主体とする覇権システムから、そして私の語る「システム」からの要請にも従うことを迫られたと言うことではあるまいか。つまりは、日本と日本人は、覇権システム、そして「システム」における「米国」との関係の下で、その首根っこを押さえられたままに、今日に至っている、と私はみている。
*今回記事の最後の)(付言)において、布施祐仁著『従属の代償 日米軍事一体化の真実』から抜粋・編集した〈吉田茂が米国と交わした「約束」の正体に驚愕!強硬姿勢崩さぬ米軍に最後は…9/26(木) 6:50配信 『現代ビジネス』〉を紹介すると同時に、同記事の内容を踏まえて、矢部 宏治氏による「日米合同委員会」と「米国」との各々の役割分担とを切り離して、矢部氏の前者の日本への独立した強い影響力を主張する際の問題点に関して言及しているので、その点にも読者は目を向けてほしい。
(最初に一言)
先ずは確認であるが、わたしがこちら側の私たちの一員であるとすれば、私たちの生き残りのための最後の手段として、選択的条件の下に移民・難民を受け入れざるを得ないのだが、現状のように、あちら側の彼らの支配する社会の中に組み込まれている私の立場からすれば、簡単には賛成できないのである。その理由は、あちら側の彼らの社会を日本において体現する日本政府が、日本国民の総意に基づいて主体的に受け入れを推進するのではなく、「親分」である米国とその取り巻きの意向に従って成されることが容易に推測されるし、事実そのとおりなのだ。政治の世界において、移民・難民の受け入れを一大争点として、与野党が選挙戦で国民の信を問う形で相互に争う態勢は未だ整ってはいない国内の現状を踏まえれば、なおさら外部の力の強い声に従うのは否めないであろう。〈これに関連して、*でも指摘しているように、記事の最後の(付言)を参照されたい。〉さらにその後の国内に受け入れた移民・難民と、受け入れ先の国民との対立や衝突に対して無責任な対策・対応に終始して、その付けを末端の生活難民者に追わせるだけであるからだ。
その関連から言えば、結局のところ、ドイツのメルケル氏はドイツのその後の歴史に何らの責任も取ることもなく、ただただその後の欧州の不安をもたらしただけではなかったろうか。当時のドイツにおいて、今日の事態は既に予想されていたのだから。だが、ドイツの今の混乱を引き起こした張本人の一人は自由や民主主義、方の支配といった価値観を守ったとして褒め称されるのに対して、メルケル氏を含む当時の支配層がその一翼を担ったはずのドイツの格差社会の進行・深化と国内の治安と混乱問題に対して歯止めを撃つことを主張する者たちは、「極右」とレッテルを貼られるのだとすれば、これはやはりおかしなことではあるまいか。それゆえ、このように語る私もドイツのafd支持者と同様に、「極右」の一員として朝日の番組関係者には位置づけ理解されるのだろうか。勿論、それは容認し難い話である。報道ステーションでの内容も、私には到底受け入れ難い「偏向」報道」でしかなかったのである。
誤解のないようにさらに言及すれば、だからといって、すぐさまトランプ支持になるわけでもないし、ましてやナチス礼賛でもない。同様に、「自由主義・民主主義」体制万歳となるわけでもない。移民・難民の受け入れ問題は相当にややこしく込み入った問題が介在しているのだ。それゆえ、私たちはあちら側の社会の垂れ流す民主主義と法の支配を守る側と、独裁的専制主義体制を擁護する側云々といったあまりにも通俗的な二項対立的図式の枠組みの批判的検討から始めなければならない。ところがこうした観点からの見直しというか検討を、最初からあちら側の彼らの支配する社会は許そうとはしないから、あちら側の社会に生きている多くの人々はそうした枠組みを受け入れてしまうことになる。
自由主義・民主主義体制の下で生み出される非正規労働者に代表される大量の「生活難民者」を国内社会の安全かつ安定した生活空間の中に受け入れることに消極的あるいは反対の姿勢を示す欧州や日本の政権担当者は、軍産複合体を中核とする支配構造が推進する戦争や紛争の犠牲者としての難民や移民を、特にウクライナからの受け入れには躍起となっている。勿論、その原資は国民の税金であり、その中には非正規労働者党の生活難民者が支払う税金も含まれているのだ。彼ら支配者側の権力・利権・利害関係者は、戦争を利用しながら軍産複合体とそれを取り巻く巨大な私的経済権力の懐を潤す一方で、戦争や紛争で生み出される政治移民・難民を受け入れることで、さらにこうしたお金の成る木の循環を滞らせることなく進めるのだ。元より、こうした政治移民や難民に彼ら自身の非というか責任を求めるのはやはり酷と言うべきだろうが。
それゆえ、そうした政治を批判して、移民・難民の受け入れに生活困窮者が反対するのは、当然と言えば当然なのだ。ところが、報道ステーションのようなあちら側の彼らの社会の維持・安定に貢献する御用メディア?は、そうした動きに対して、いとも簡単に「極右」のレッテルを貼るのだ。今の日本は相当にヤバイのだが、それがほとんど国民の意識に反映されていないかのような有様なのだ。私のこれまでのブログ記事や拙著や拙論での主張は、先ずは私たちが置かれているこの社会の煙幕を取り払うことであった。換言すれば、「歴史叙述の神話」を暴露することであったといっても過言ではなかろう。
(最後に一言)
今回記事の流れとは直接結びつかないものの、前回、前々回記事を踏まえて、ここに補足説明をしておきたい。あまりにも痛まし過ぎる石川・能登の豪雨災害に際してこれまでと同様に思うことなのだが、メディアは都道府県の首長を始めとした政治家の災害時における「奮闘ぶり」をどうしてすぐさま主権者に伝えないのか
災害時にはいつも私は不思議に思うのだが、政治家はどうしているのかがほとんど伝えられないから、一番大事な瞬間における「政治」が見えてこないのは、私たち主権者には残念なことではあるまいか。たとえば、少し以前のブログ記事でも書いたが、首相は当時、国外脱出した。総裁選や代表選の政治家は何をしているのか、換言すれば、何をしていなかったのかはよく分かった。石川県の豪雨災害時、県知事は日本にいたのか。その他の政治家はどこにいて、何をしていたのか。これを伝えるのはメディアの大事な役割だと私は考えるのだが、いつもこの問題はスルーされるのだ。これほど自然災害の危険性が叫ばれている今この時であるはずなのに、また口を開けば決まって国民の命と暮らしを守るのが大事だと宣うのに、政治家が表舞台に表れて陣頭指揮している姿が見えてこないから、災害時には彼らは必要ないとでもいうのか。おかしな話ではあるまいか。
さて、前回記事において、私の「私的権力」云々の話に関して、読者の中には、もうついていけないと思われた方がいるのでは、と私は推察している。それも無理はない。私たちは、生まれてこの方、いわゆる「歴史叙述の神話」の世界の中で生きているのだから。たとえば、米国の政治を見るとわかりやすい。私的権力が本来は公的機関であるはずの公的空間をハイジャックして、公的な仮面を被り続けているのだ。その実態は私的権力が独占する私的空間でしかない。公的空間は死滅しているといっても過言ではないのだ。市民革命以来、ずっとこうした流れは不変なのだ。少なくとも、私はそのように論じてきたし、今もそのようにみている。
米国の「中央銀行」とされるFRBの構成主体は、民間の巨大銀行であり、その意味では、私的権力機関でしかない。「中央」という言葉に騙されるのだ。日本銀行を語るときも、政府の保有する株の構成を民間のそれと比較して、日本銀行の公的性格云々の議論がなされるのだが、これなども最初からおかしな話なのだ。明治維新とその前後の歴史の流れを鑑みれば、明治国家の誕生には英国の私的巨大経済権力の介入を無視することはできないはずだ。その英国も、私的巨大権力によって、公的空間はハイジャックされて久しい。英国国王の存在もそうした私的権力との関連から位置づけ理解するならば、私的空間の中に包摂されているとした見方ができるはずではあるまいか。日本の皇室もその英国王室との歴史的関係性の強いことを踏まえるとき、その延長線上に位置しているのではあるまいか。
私はこのブログ記事において、「私」と「公」の関係について何度も考察しているのだが、私たちは国家や国民、あるいは官庁や公務員と言うとき、どうしてもそこに「公」的側面を見てしまうのだが、その際、どれだけの人がこの「公」を構成する「私」と「私」と「私」の関係について思いを巡らすことができるのだろうか、と私は考えるのだ。すなわち、「公」と「私」の間には、幾重にも重なる関係が存在していて、両者の空間は繋がっている、連続しているということなのだ。両者の間を遮断する何か固いコンクリートのような物体など存在してはいないことに、私たちは気が付く必要がある、と私は強く述べておきたい。
もし、このようなイメージを浮かべることができれば、例えば、公的空間の中に私的空間がすっぽり入っているような「公」と「私」の関係を想像することもできるであろうし、逆に、私的空間の中に公的空間が埋没しているそうした両社の関係を想像することもできるであろう。それを踏まえて言えば、私たちが選挙で選んだ候補者が議員となって議会に議席を占めた時、通常は公的空間とされるその議会を支配しているのはいったい誰なのかを考えていくとき、それはややこしい話となるに違いない。たとえば、日本の国会は、もし日本が米国の属国であるとすれば、また今回記事でも紹介した布施氏による日米関係の密約の存在を踏まえれば、日本の国会を支配するのは米国であるということになるに違いない。
さらに、その米国を支配するのは一体、誰なのかを考えるとき、たとえば今回記事でも取り上げたFRBの構成主体を思い浮かべた時、また米国の共和党と民主党の両政党を背後で操作していると言われる巨大な世界的私的経済権力をその傘下に置いている超富裕層を念頭に浮かべるならば、米国中央議会は私的空間の中に組み込まれているということになる。そこから、回り回って、日本国家、日本政府、日本の国会は、米国の巨大な世界的私的経済権力がその構成主体である私的空間の中に納まっている、といったイメージを浮かべることができるのではあるまいか。それゆえ、「公」は「私」の中に組み込まれているということになる。前回記事での私の話は、こうした観点から再度読み直すならば、これまでの私たちの「公」と「私」に関する議論のおかしさに気が付くのではあるまいか。そこから、私たちがいま声高に叫んでいる自由主義や民主主義や人権や法の支配の構成主体を再検討・再考察するならば、いわゆる普遍的価値と普遍主義が抱える問題点にも気が付くはずに違いない、と私はみている。(なお、米国の経済支配者に関しては、広瀬隆氏やN・チョムスキー氏の著作を一読されることをお勧めしておく。)
*(付言)
(最初に一言)で述べていたように、日本政府が単独で主体的に移民・難民受け入れ等の政策を打ち出すことのできない理由に関して、私は今回記事の最初でも案内しているように、布施氏の見解に従いながら以下のように見ている。布施氏によれば、〈吉田茂と米国、交わされた「密約」〉を問題視している。それは、ーーー今から70年以上前の、日本がまだ米国を中心とする連合国の軍事占領下にあった時代までさかのぼーーーる。ーーー1950年秋、米国政府は連合国の占領終結後も米軍の日本駐留を認めることなどを条件に、日本と講和条約を締結する方針を決定しーーーそして、翌年の1月から日本政府との交渉を開始ーーーする。そこで一番重要なことは、ーーーこの交渉で米国政府は、占領終結後の日米の安全保障協力について定める協定に、有事の際は警察予備隊(自衛隊の前身)など日本の部隊を米軍司令官の指揮下に置くという規定を入れるよう要求しーーーたのに対して、ーーー日本政府は、「憲法と関連して重大問題をまきおこす懸念がある」などとして明文化することには強く反対しーーーたものの、ーーーしかし、明文化しない代わりに、当時の吉田茂首相が、有事の際に米軍司令官が日本の部隊を指揮することに同意すると密かに約束しーーーたということである。
これに関して、布施氏は次のように述べている。すなわち、ーーー1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は主権を回復しーーー同日、日米安全保障条約も発効し、占領軍であった米軍はそのまま日本への駐留を続けーーーその3ヵ月後の7月下旬、吉田茂首相、岡崎勝男外相、マーク・クラーク米極東軍司令官、ロバート・マーフィー駐日米国大使の4人が会談しーーークラーク司令官が会談の内容を報告するために国防総省の統合参謀本部に宛てて送った公電に、次のように記されていーーーた。すなわち、ーーー「私は7月23日夕刻、吉田(首相)、岡崎(外相)、マーフィー(駐日米国大使)と自宅で夕食を共にした後、会談を行った。私は、我が国の政府が有事の際の軍隊の投入に当たり、指揮の関係について日本政府との間で明解な了解が不可欠だと考えている理由を詳細に説明した。吉田は即座に、有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状の下では、その司令官は合衆国によって任命されるべきだということに同意した」ーーーとある。そしてーーーこの公電には、吉田首相がこの合意を秘密にするよう求めたことも記されていーーーるとのことだ。ーーー「(吉田は)この合意は、日本国民に与える政治的衝撃を考慮して当分のあいだ秘密にされるべきであるとの考えを示し、マーフィーと私はその意見に同意した」ーーーこれが、いわゆる「指揮権密約」と呼ばれているものでーーーあると、布施氏は述べている。
布施氏が語るように、日本政府は、当初から日本の主権を放棄すると同時に、米国の51番目の州」として自らその制約に甘んじることを選択した、と私はみている。占領期から今日に至るまで日本は日本の主権とその国防に関する主体的権限を米国に奪われてきたということを鑑みれば、日米関係における日本の不在を日本側が認めていたという問題こそが、先ずは日本の主体的行動を許さない大きな理由であったと、私は言わざるを得ないのだ。その大枠を、つまりは覇権システムの制約を認めた上での日米合同委員会の役割が問われるということになる、と私はみている。
日本は米国を中心としたGHQの占領期において、自己決定権の獲得とその実現を巡る争奪戦を俟たず、米国に自らの自己決定権としての主権を放棄すると同時に譲り渡したということを踏まえるとき、私たちは日米関係の下に米国から要請されるさまざまな要望リストの実現に迫られると同時に、覇権国の米国を中心的構成主体とする覇権システムから、そして私の語る「システム」からの要請にも従うことを迫られたと言うことではあるまいか。つまりは、日本と日本人は、覇権システム、そして「システム」における「米国」との関係の下で、その首根っこを押さえられたままに、今日に至っている、と私はみている。