日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

私の語る「システム」論から、?「こちら側」に属する「私たち」のできること?を考えるとき

2024-07-16 | 日記
私の語る「システム」論から、?「こちら側」に属する「私たち」のできること?を考えるとき


(最初に一言)


 今の「システム」における「こちら側」の「私たち」と「あちら側」の「彼ら」を含めたAに位置したかつての先進諸国とその一員であった日本における人間関係を踏まえるとき、Aの社会において、{[B]→(×)[C]→×[A]}で示される私の語る「システム」の人間関係(そこには諸個人間、諸集団間、諸共同体〈国家〉間の相互に織り成された人間関係を含む)が、〈共時態的一体関係〉として抜き難く存在していることを、議論の前提として銘記しておく必要がある。




 早速すぐ上での私の物言いを、もう少し具体的に語ってみよう。たとえば、米国からの日本に対する政治・経済・社会・教育等に関する変革を求める要望書が幾度か提出されてきたのは記憶に新しい。それによって日本は何某かの圧力を受けて米国に従って今の日本が出来上がったと理解している読者に対して、私は強調しておきたいのである。それは順序というか順番が違うのではないか、と。すなわち、日本は私の語る「システム」の下で生きることを迫られてしまったことから、その「システム」の構造的圧力を甘受せざるを得なくなってしまい、この「システム」のAグループの下位に位置する日本において、私たちは「システム」の人間関係を受容する形で生きていることから、Aの上位にある米国からの圧力とその政治経済的影響力を受けることとなり、その結果として、先の米国からのもろもろの日本解体・変革に関する要望書を受け取るということになったのである、とくれぐれも位置づけ理解する必要がある、と私は言いたいのである。


 換言すれば、決して「木」と「森」を取り違えてはならないのだが、私たちの多くはそんな見方に終始してしまっているのではあるまいか。米国からの要望書なり圧力は、いわゆる木に他ならず、それは森としての「システム」ではないということなのだ。ところが、残念なことに、私たちの多くはそれを見間違っているというか、未だに森全体を直視できないままなのである。今のウクライナの惨状は明日のというか今の日本の惨状とそっくりであることに、どれほどの日本人が気が付いているのだろうか。すなわち、ウクライナと日本が置かれている「システム」における人間関係は類似しているということである。


 たとえば、「阿修羅・総合アクセスランキング・瞬間」に〈ブラック・ロックがウクライナを買収 ウクライナ戦争はプーチンとグローバリストのウクライナ争奪戦である http://www.asyura2.com/23/holocaust7/msg/148.html投稿者 魑魅魍魎男 日時 2023 年 5 月 10 日 09:19:51: FpBksTgsjX9Gw 6bOWo@mx6bKSag〉の記事が投稿されていた。その記事に描かれている内容を、私の語る「システム」論とコラボさせて読み直すとき、ウクライナで展開されている人間関係は、この日本で展開されているそれと酷似しているのがわかるのではあるまいか。すなわち、このAの日本の中で、{[B]→(×)[C]→×[A]}で示される自己決定権の獲得とその実現に際して繰り返される差別と排除の人間関係が展開しているのだ。


 逆に言えば、先の記事で述べられているロシアと米国によるウクライナの利権をめぐる争奪戦の歴史は、1970年代以降から今日に至るまでその形成と発展の歩みを示してきた私の語る「システム」がつくり出した出来事として位置づけ理解できる、と私はみている。換言すれば、{[B]→(×)[C]→×[A]}に描かれている〈「システム」とその関係の歩み〉の形成と発展の下につくり出される構造的圧力によって、たとえば「システム」を構成するBのロシアの、同じくBに位置するウクライナに対する侵攻が、あるいはその前のAの米国によるBのロシア政治に対する様々な介入と干渉が引き起こされた、と私はみている。そうした中での、先の記事にあるウクライナの肥沃な国土・農地の分捕り合戦なのだ。


 繰り返して言うのだが、その合戦は、あくまでも私の語る{[B]→(×)[C]→×[A]}の〈「システム」とその関係の歩み〉が作り出す構造的圧力の下で引き起こされたということである。そのようにみるとき、今の日本社会は、まさにその「システム」が引き起こす構造的圧力の下で、滅茶苦茶な状態・状況に置かれていることに気が付くのではなかろうか。Bの中国とAの米国を主要な担い手とする「システム」とその構造的圧力によって、これまで日本と日本人が悪戦苦闘する中で手にしてきた日本の富とその伝統文化が奪われ破壊されているのだ。その原因と言うか元凶は、Aに位置する日本に生きている私たちは、先の「システム」で示される{[B]→(×)[C]→×[A]}の人間関係からもはや自由になれないことが大きく与っている、と私はみている。


 それは先の都知事選で注目された日本の首都である東京も例外ではない。たとえば、〈超高層のタワマンが「回復不可能」なまでに破壊したもの…大規模再開発の戦犯は誰か
7/15(月) 10:02配信 ダイヤモンド・オンライン〉の記事にも見事に垣間見られる。同記事は、ーーー吉見俊哉著『さらば東大 越境する知識人の半世紀』(集英社新書)を一部抜粋・編集したものーーーだが、そこに描かれた「東京」をつくり出したのは、まさしく私の語る先の「システム」の下で、Bの中国とAの米国が中心となって、Aの下位に位置する日本に構造的圧力を加えた結果として捉え直すことができるのではあるまいか。同記事の最後で、吉見氏は、ーーーさらに2000年代初頭の都心大規模再開発は、超高層のタワーマンションを建てる技術が進んだことで、そうした破壊を壊滅的なものにまでしていってしまいました。そうした破壊の最もシンボリックな下手人はもちろん巨大デベロッパーだったわけで、彼らが進めた街区単位での巨大開発は、今も東京の時間的重層性を回復不可能なまでに破壊し続けています。ーーーと指摘している。ここにも私の語る「システム」とその人間関係の発展の歩みが、東京を惨めなまでに激変させたということを、私は強調しておきたい。


 それでは本論?というか、さらに論を展開していこう。すぐ上で言及したことを踏まえるとき、もはやAに位置するこちら側の私たちもあちら側の彼らも、この「システム」で描かれるB、C、Aから構成される人間関係とそれが導く構造的圧力を否定したり抗うことは許されないということである。換言すれば、BC、Aからの、特にBとCからAに押し付けられる構造的圧力から、逃れられないことを意味している。それを具体的に言えば、先ずは難民や移民の流入を拒むことができないということである。また海外の巨大な経済的力を行使できる多国籍企業の要求や要請を拒むことは容易にできないというか、その多くを受け入れざるを得ないということである。それはAのアメリカはもとより、BやCのグローバルサウスを構成する諸国からの圧力に抗することも容易ではないことを意味している。


 もう少し大胆と言うか直截に言えば、Aのかつての先進諸国にも、またこの日本の中にも、中国とその国民が、ロシアとその国民が、インドとその国民が、その他のB、Cを構成する諸国とその国民が〈共時態的関係として〉、共存していることを意味している。それは日本と日本人が住んでいるはずの日本と言う空間に、Aは元より、BとCの諸国とその国民は、彼らが望む限りいつ何時でも、日本で暮らせることを意味しているのである。もうそうした流れに対して私たちは何もできないということを意味しているのだ。それを踏まえて言うならば、私たちの多くの議論は無意味であるということである。


 たとえば、難民や移民の制限をすべく日本政府は対応する必要があるとか、米国や中国を始めとした大国による日本の買い漁りを許してはならない等々の話は、もはや通用しないのである。(最初に一言)で述べた私の話を鑑みれば、こちら側の私たちも、あちら側の彼らも同じく、そうした人間関係の中で生きているということを確認しておく必要がある。その際、私たちは、その原因の多くは彼らと彼らの擁護する利権・利害関係者によってもたらされた災厄であるかのように位置づけ理解しているように、私には思われるのだが、何度もこれまた言及してきたように、私の語る「システム」の構造転換・変容によって、それらの災厄が導かれたということを、何はさておいて押さえておくことが大切なのだ。


 こうした現状を踏まえるとき、私たちに一体何ができるのだろうか。ほとんど打つ手のない状態・状況ではあるまいか。それにもかかわらず、たとえて言うならば、「システム」のAの下位に位置する日本と日本人は、世界中の諸国とそこに暮らす人たちを納得させることのできる「政治」を、今まさに求められているということなのだ。だが、その際に銘記しておくべきなのは、私たちの生きている「システム」における地点とその段階である。これまた何度も語ってきたように、私の語る「システム」は自己決定権の獲得とその実現に際しての力(暴力)と力(暴力)のぶつかり合いを介してつくり出されてきた差別と排除の「親分ー子分」関係を前提としてその実現をみた覇権システムと、そのシステムの下で同時につくられてきた世界資本主義システムと世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される差別と排除の関係から成る一つの「システム」であるということだ。


 そうした「システム」の存在に気が付くならば、これまでの親分の米国とこれからの親分の中国の意向をくまない限り、とても先の政治などできるわけもなかろう。また仮に世界の諸国とそこに暮らす人々を納得させる政治が実現したとしても、その背後に先の親分の力が存在したという意味では、日本主導の政治であるとは言えないのは自明の理ではなかろうか。もっとも、私はこんなできもしない議論に時間を費やす必要もないのだが、どうしてこのような無駄な話をしたかと言えば、先の都知事選挙において、私たちの政治談議があまりにも閉ざされた内向きの空間でおこなわれていたことに対して、相当の懸念と危惧を抱いたからに他ならない。候補者のほとんど誰も、「最初に一言)において私が提示していた問題に対して、向き合うそぶりさえ見られなかったからだ。もっとも、向き合ったところで、ほとんど結果は何も変わらないだろうが、それでもこちら側の私たちは、何とかしてそうした現状を国民に訴えるべきではなかったろうか。


 私から見れば、私たちの議論の方向が逆なのだ。私たちの人間関係がもう手の付けられないほどに「ぐちゃぐちゃ」」になっているにもかかわらず、それを不問に付したままで命と暮らしを守るとか、若い世代の人々の手取りを増やすとか、子育てのし易い環境づくりを目指した少子化対策等々の話をするのだが、これはあべこべではなかろうか。そもそも私たちの差別と排除の関係に満ちた人間関係があまりにもぎくしゃくしすぎていて、安心できない環境で生きていることを、先ずはどうすべきかを問い直すべきではなかろうか。その際、「私たち」の中には、これまでの日本という閉ざされた空間の中で生きてきた日本人としての私たちの他に、AばかりではなくBやCの諸国とそこに生きている人々も、「当然に」含まれるということを忘れてはならないのである。


 こうした問題提起を私は少し躊躇しながらしている。日本人の間ですら共に生きるのが難しいのに、どうして他の諸国民と「共生」などできるのだろうか、と。きれいごとを言うのは得意な私ではあるが、同時にその嘘にも相当に疲れてきているのも確かなのだ。だが、ここでも忘れてならないのは、「共生」社会の実現をこれからは目指そう云々の掛け声を私たちに向かって発しているのは、私の語る「システム」と、それがつくリ出す構造的圧力が、私たちに〈強制〉しているという現実を、忘れてはならない。結局は、どんなに嫌々しながらも、私たちはこの圧力の下に従わざるを得なくなるのだ。とはいえ、そこに至る歩みは、今の欧米諸国の移民排斥の動きにも垣間見られるように、一筋縄ではいかないのもまた確かなことだが。同時にまた、どれほどの流血騒ぎを必要とするのか。そこからさらなる社会の分断が引き起こされ、修復し難いことに至るとすれば、それこそ踏んだり蹴ったりなのだが、これまでの歴史を鑑みるとき、残念ながら、私たちの差別と排除の関係を別の何かに置き換えるのは絶望的であるように、私には思われて仕方がないのである。


 こうした現実と言うか現状を踏まえてもなお、それでも私たちは生きるために、生き残るために何とかしなければならなくなるのは必至であろう。それではどうすべきなのか。前回記事で、私は「オワコン」云々の話をしていたのだが、私からすれば、それこそ私の語る「システム」それ自体を、オワコンとして放擲したいのである。だが、この「システム」はそれを拒否するに違いないし、それを可能とする力(暴力)を保持しているのは間違いない。結局のところ、オワコンなるものも、私たちがそれを欲しているかどうかではなく、「システム」が「システム」にとって、それをどれだけ有用・有効であるかどうかの判断に与っている、と言うことでしかあるまい。




(最後に一言)


 今回記事もまた、何か難しい語り方となってしまったようで、読者には申し訳ないのだが、この先の話にもどうかお付き合い願いたい。次回記事では、こちら側の私たちに、今の「システム」とその構造的圧力を踏まえるとき、いったい何ができるのかについて、考えてみたい。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私の語る「システム」論から... | トップ | 私の語る「システム」論から... »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事