花あそび

庭で育てた花々や嵯峨御流の花、そして時には野の花を
いっときいただいてそばに置きました。

仙翁花(せんのうげ・せんのうけ)

2011年08月07日 | 嵯峨御流

昨日八月六日は旧暦の七夕、そして明日が立秋です。
いけばなの古書「仙伝抄」に
『十二月の花の事。・・・七月・・・仙翁花をば。三具足の第一に用なり』
また『五節句の花の事。・・・七月七日の真に仙翁花ききよう。これは事によりきらうなり・・・』
とあります。
ここにある仙翁花って? 
京都嵯峨(仙翁寺)から出たものとする説もあります。
ネット情報を頼りに昨年九月初め、
岡山県北東部にある大聖寺に、
「嘉永元年(1848)京都嵯峨御所より嵯峨御流花伝書と共に仏花として株分けされ今に至る」とあるこの花を友人と訪ねました。

大聖寺:仙翁花  http://daisyouji.or.jp/flower/senno



その時の詳細など、昨年友人がブログに掲載してくれています。

http://blog.goo.ne.jp/sunroom2007/e/e34f18d0b4354911692376cbfdee2eea




帰りの道中、大聖寺近くの山野草店にセンノウと札がついているポット苗があり、
大聖寺と同じものとのこと、
それが今年七月末ごろから咲き始めました。

 

 



鉢栽培で、花茎数を増やすため摘芯したせいもあり、今年花丈は45㎝ほどですが
昨年大聖寺で見たものはたしかに1メートルは優に超えてました。


芳澤勝弘氏の『仙翁花』の論文によると
 
http://iriz.hanazono.ac.jp/frame/k_room_f3g.html
 


この花は室町時代に一世を風靡していたようです。
次第に陰を潜めていくこととなったのはなぜでしょうか。
江戸時代といえば江戸園芸が盛んになり、椿・牡丹・菊・蘭・朝顔・花菖蒲・・・など
花競べが盛んでした。
その中には同じセンノウ属のマツモトセンノウの花もありました。
同属であり姿形も似ています。人気の違いはどこにあったのか、
交配により花色や形状等変化しやすいマツモノセンノウに比べ
仙翁花はタネができない三倍体のため、改良も難しかったからでしょうか。
しかしマツモトセンノウは草丈が30〜60cmほど、5月から6月に開花で
7月から9月にかけて咲く仙翁花とは開花時期も異なり草丈にも格段の差があります。
江戸時代大型化した池坊の立花にしても、
また嵯峨御流の生花(この時代には「未生御流」と呼ばれてます)しても
草丈の高い花は花材として多いに魅力的だったはずです。
ましてはこんなに目を引く印象深い花です。
まだ手もとにきて一年なので確かではありませんが、栽培も比較的簡単です。
マツモトセンノウは育ててませんが、フシグロセンノウ、エンビセンノウなのに比べても
生育状態は良好です。
背丈・花開時季からして桔梗とよく似てると思います。
姿を消した理由はいったい。。。
「仙伝抄」の『これは事によりきらうなり』とは何を意味しているのか、また
芳澤氏の論文後半第13回から最終回にかけて書かれていることが関係しているのでしょうか。




江戸時代後期の1848年この花と共に送られた嵯峨御流花伝書とは、
1836年刊行の「華術三才之巻」のことでしょうか。
この年の前後刊行された未生御流関係の花図集、手元にある資料は限られますが
この花を探してみました。
見つかった花図はひとつだけでした。 



「伝書四方之薫」未生斎広甫(1844年)


ここにあるセンノウが仙翁花の可能性は高いと思います。
またこの古書の後半、饗應用四季栞として月別の花の記載があり、
仙翁(センノウ) 剪秋羅、剪紅紗花 追咲七月迄 』とありました。
この絵図でも七夕の花として挿けられてます。


また昨年特別公開された大覚寺の秩父宮御殿手前にある小堀遠州の作庭の庭
(この写真はH22年7月半ばに撮ったものです)

写真には入ってませんが、手前にはオオバギボウシの花が咲いていましたし、
朱色の花二種:ヒメヒオウギスイセン・オニユリもしくはコオニユリがありました。
素朴な花が植えられているのが意外でもあり印象的でもありました。
この大覚寺内の庭に仙翁花が咲いていたらどんなにか綺麗だろうと思います。
大聖寺からお里帰りはしないのでしょうか。
大覚寺の有無、ネットではないとの情報もありますが、私自身
たしかめたわけではありません。。。
庭に咲いたこの美しい花を眺めながらあれこれ思い巡らした今夏
お花をいけるのと同じくらい楽しい時間でした。
いっきに疑問が解決しないのもちょっと謎めいていて面白いように思います。
とにかく来年には大聖寺で見たほどの丈に成長させ、
大好きなお生花にいけてみたい!私の来夏の目標ができました^^
 



旧七夕の昨日
立秋が近いこともあり五行思想における秋の色 白色の花器に
仙翁花を一輪挿しました。



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3 コメント

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Unknown (ミセスサニー)
2011-08-08 23:00:05
大覚寺で育っていたら、ロマンですね~

去年、大聖寺のガラスに貼ってあったのは
「芳澤勝弘氏の『仙翁花』の論文」ですね。
その中に、「6月28日、仙翁花、大聖寺殿に献ぐ。」の文章があって、マーカーがしてありましたが、
あの大聖寺は、当時左京区長谷にあった「長谷大聖寺殿」(親長卿記、15世紀)の可能性が高いと思います。だって、遠すぎますもの。
という点があって、こちらの大聖寺1848年の記録は、確認してみたい部分です。どうやって~(汗)

これは事によりきらうなり、の部分は、
キキョウの事で、「祝言に忌む」からだそうです。
今度コピーを送りますね(^^♪
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Unknown (YUKI)
2011-08-09 17:15:42
こんにちは
マーカーがあったものだから、この寺に届けられたものと思いこんでだけど。。。たしかに!そりゃあそうよね。
それでとりあえず「大聖寺・京都」で検索して一番最初にでた写真をみたら。。。
「あれっ?見たことあるぅ~」
娘の住んでるすぐそばじゃないですか 笑っちゃいました。
当時は左京区にあったんですね。

お花が現在まで大切に守られているのだから、『嵯峨御流花伝書』もきっとあるのでしょうけどね。。。

またいろいろわかったら教えてね。



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Unknown (YUKI)
2011-08-09 17:27:14
そうそう。。。
先日いっしょに嵯峨御流のお花を学んでる友人に
この花をお見せしたら、一目惚れでした♪

嵯峨菊は嵯峨の地で大切に守られてきたのに。。。
やっぱり不思議です。
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