平安のはじめ嵯峨天皇の離宮として造営された大覚寺、
その離宮内にある大沢池に野生していた野菊が起源とされる嵯峨菊
嵯峨天皇が愛でられたという嵯峨菊を描いたものが大覚寺に残っているそうですが
それは現在栽培されている嵯峨菊とは趣の異なる野生の野菊であったそうです。
それがどのようにして現在のような嵯峨菊に変化したのかは一切不明だそうですが、
その嵯峨菊は嵯峨地方の極小地域のもので
大覚寺のみで保護され長い間、門外不出とされてました。
一般に知られて来たのは江戸末期から明治にかけて、
実生すると必ず変ったものが出来るとされ、大正の頃には46種もの品種があったようです。
大覚寺の嵯峨菊
下から7花、5花、3花、「七・五・三」の3段に仕立ててあります。
嵯峨菊のもつ繊細で雅やかな雰囲気を野生菊なども添えていけ表してみました。