4月3日に、玉川高島屋店B1のスズノブ玉川高島屋店を閉店した。
理由についは、すでにブログでも述べているし、HPにも掲載しているので、ここではもう書くことはしないが、閉店の前後の数日間の気持ちは、やはり複雑であった。
なぜなら、玉川高島屋店は、売れる店を作ろうという考えよりも、産地の活性化のために必要だという考え方から作った店だった。
震災があったからこそ、産地のために動かなければならない店のはずであったのに、それが閉店することになってしまうのは、明らかに矛盾している。
しかし、産地からお米が来ない、流通が安定しないという状況の上に、まだ復興計画を決めていない、決められないという産地の現状。
そして、「この状況が、まだ数年間は続く」と、考えられる。
これでは無理である。
産地を考えていた店だからこそ、「確実」という事が言えないのであれば、続けることは不可能なのだった。
これによって、火曜日・木曜日・土曜日と週3回行っていた納品がなくなったので、身体的には、かなり楽になった。
しかし、8年にわたって続けていた納品が、いきなりなくなってしまったも、やはり身体は覚えているので、早く寝ようが、遅く寝ようが、いまだに、深夜3時頃には、一度目が覚めてしまう日々を続けいてる。
理由についは、すでにブログでも述べているし、HPにも掲載しているので、ここではもう書くことはしないが、閉店の前後の数日間の気持ちは、やはり複雑であった。
なぜなら、玉川高島屋店は、売れる店を作ろうという考えよりも、産地の活性化のために必要だという考え方から作った店だった。
震災があったからこそ、産地のために動かなければならない店のはずであったのに、それが閉店することになってしまうのは、明らかに矛盾している。
しかし、産地からお米が来ない、流通が安定しないという状況の上に、まだ復興計画を決めていない、決められないという産地の現状。
そして、「この状況が、まだ数年間は続く」と、考えられる。
これでは無理である。
産地を考えていた店だからこそ、「確実」という事が言えないのであれば、続けることは不可能なのだった。
これによって、火曜日・木曜日・土曜日と週3回行っていた納品がなくなったので、身体的には、かなり楽になった。
しかし、8年にわたって続けていた納品が、いきなりなくなってしまったも、やはり身体は覚えているので、早く寝ようが、遅く寝ようが、いまだに、深夜3時頃には、一度目が覚めてしまう日々を続けいてる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます