日本農業新聞e農ネット[震災の記録 12]に、「飯舘牛(4) 張り合いがない・・・ (2014/3/12)」という記事が出ていた。
内容は以下の通り
福島県飯舘村は、受精卵移植(ET)で育種価が特に高い牛を作るため、受精卵バンク・畜産技術センターを1995年に県内で初めて開設した。
以来、3000頭以上に移植してきた。
原発事故の避難に伴い、村内の畜産農家の大部分が廃業を決めると、センターも活動停止になった。
村内の牛から集めた肉牛として高い能力が期待される受精卵のストロー約200本が、村内で使われなくなった。
開所から所長を務める今村幸三(71)は、「いつか有意義に使われるかもしれない」と受精卵の血統を示す証明書を作成した。
ただ、証明書が活用されることはなかった。
避難区域になった村では、受精卵の冷凍保存に必要な、液体窒素の補充を続けることが難しい。
センターの母体である村振興公社とJAそうまが協議し、廃棄処分を決めた。
今村の目の前で、ストローの入ったタンクが運び出されていった。
今村に感傷に浸る余裕はなかった。
しばらく時間がたってから、失ったものの大きさを感じた。
村和牛改良組合の山田長生組合長は避難のため、40年以上続けた和牛繁殖をやめ、雌牛と子牛、計30頭を全て手放した。
現在、避難先の福島市では仮設住宅で暮らしている。
テレビで和牛の映像が流れると、つい見入ってしまう。
車で道路を走行中、市場へ出荷する牛の運搬車とすれ違うと、「今日の市場は高いかな」と昔の癖が消えない。
部会の仲間と再会しても、話題は牛のことばかり。
「あのとき、おめぇの牛高く売れたよな」「子牛が寒さで弱った時に、みんなで湯船に入れたら子牛が元気になったよな」。
牛のいない仮設に戻ると「張り合いがない」とため息をつく。
そんな山田は月に1、2回、車で1時間かけ、猪苗代町の県畜産研究所に妻と出掛ける。
村から避難させ、預けている自分の繁殖雌牛5頭の様子を見に行くのが楽しみになった。
ただ時間がたつにつれて、牛の、山田さんへの反応が薄れてきたのも感じる。
「ここになじんできたんだ」と思うようにした。
山田は、村で和牛繁殖を再開できるようになれば、県に預けている牛を、また村で飼育しようと考えている。
菅野典雄村長に直訴したが、除染の遅れなどが立ちふさがる。
現在も村に戻るたびに、家の除雪や畜舎の掃除をして、営農再開を待ち続ける。(本文敬称略)
というもの。
見えない明日というのは、体力も精神力も衰えさせていくもの。
政府が言っている、強い農業って、いったい何なのだろう。
隠されている現実。
これが解決できる日は来るのだろうか。
内容は以下の通り
福島県飯舘村は、受精卵移植(ET)で育種価が特に高い牛を作るため、受精卵バンク・畜産技術センターを1995年に県内で初めて開設した。
以来、3000頭以上に移植してきた。
原発事故の避難に伴い、村内の畜産農家の大部分が廃業を決めると、センターも活動停止になった。
村内の牛から集めた肉牛として高い能力が期待される受精卵のストロー約200本が、村内で使われなくなった。
開所から所長を務める今村幸三(71)は、「いつか有意義に使われるかもしれない」と受精卵の血統を示す証明書を作成した。
ただ、証明書が活用されることはなかった。
避難区域になった村では、受精卵の冷凍保存に必要な、液体窒素の補充を続けることが難しい。
センターの母体である村振興公社とJAそうまが協議し、廃棄処分を決めた。
今村の目の前で、ストローの入ったタンクが運び出されていった。
今村に感傷に浸る余裕はなかった。
しばらく時間がたってから、失ったものの大きさを感じた。
村和牛改良組合の山田長生組合長は避難のため、40年以上続けた和牛繁殖をやめ、雌牛と子牛、計30頭を全て手放した。
現在、避難先の福島市では仮設住宅で暮らしている。
テレビで和牛の映像が流れると、つい見入ってしまう。
車で道路を走行中、市場へ出荷する牛の運搬車とすれ違うと、「今日の市場は高いかな」と昔の癖が消えない。
部会の仲間と再会しても、話題は牛のことばかり。
「あのとき、おめぇの牛高く売れたよな」「子牛が寒さで弱った時に、みんなで湯船に入れたら子牛が元気になったよな」。
牛のいない仮設に戻ると「張り合いがない」とため息をつく。
そんな山田は月に1、2回、車で1時間かけ、猪苗代町の県畜産研究所に妻と出掛ける。
村から避難させ、預けている自分の繁殖雌牛5頭の様子を見に行くのが楽しみになった。
ただ時間がたつにつれて、牛の、山田さんへの反応が薄れてきたのも感じる。
「ここになじんできたんだ」と思うようにした。
山田は、村で和牛繁殖を再開できるようになれば、県に預けている牛を、また村で飼育しようと考えている。
菅野典雄村長に直訴したが、除染の遅れなどが立ちふさがる。
現在も村に戻るたびに、家の除雪や畜舎の掃除をして、営農再開を待ち続ける。(本文敬称略)
というもの。
見えない明日というのは、体力も精神力も衰えさせていくもの。
政府が言っている、強い農業って、いったい何なのだろう。
隠されている現実。
これが解決できる日は来るのだろうか。
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