午前中に書いたブログを読んだ生産者から、「これからは、個人のお米は取り扱わないということですか」というメールが届いた。
自分が売りたいお米は、将来があるお米であって、今どんなに実力があったとしても、将来が見えないのなら、やはり売ったとしても意味が無いと考えていることから、基本的にはその通りで、一個人のお米の取り扱いは、今まで付き合っている生産者以外は、ほとんど無くなってしまう。
地域を助けたいというのなら、地域で頑張っている生産者を助けても同じではないかという考え方も、確かにあるのだが、1人だけを助けても、地域の将来が良くなっていくとは考えられない。
もしも、地域の将来をプラスに変えられるほどの生産者であるならば、自分が立ち上がって地域のために動けばよいのであって、わざわざ消費地にいる自分の協力を得なくても良いと思う。
それに、それほどの生産者であるのなら、当然、そうとう量のお米を、既に自分たちで販売していることだろう。
ということは、生産者という範囲ではなく、完全に米屋である。
その米屋が、米屋である自分に助けを求めるというのも、考えてみれば変な話である。
自分が売りたいお米は、将来があるお米であって、今どんなに実力があったとしても、将来が見えないのなら、やはり売ったとしても意味が無いと考えていることから、基本的にはその通りで、一個人のお米の取り扱いは、今まで付き合っている生産者以外は、ほとんど無くなってしまう。
地域を助けたいというのなら、地域で頑張っている生産者を助けても同じではないかという考え方も、確かにあるのだが、1人だけを助けても、地域の将来が良くなっていくとは考えられない。
もしも、地域の将来をプラスに変えられるほどの生産者であるならば、自分が立ち上がって地域のために動けばよいのであって、わざわざ消費地にいる自分の協力を得なくても良いと思う。
それに、それほどの生産者であるのなら、当然、そうとう量のお米を、既に自分たちで販売していることだろう。
ということは、生産者という範囲ではなく、完全に米屋である。
その米屋が、米屋である自分に助けを求めるというのも、考えてみれば変な話である。
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