15時から、JA佐賀の担当の引継ぎがあった。
そこで自分が言葉にしたのは、「頑張ってブランド化をしていこう」ではなく、今までとは全く違い「佐賀への期待度が下がった」という一言。
さらに、「頼んでも、もう佐賀は出来ないのではないか」という諦めの言葉。
「佐賀米高品質化プロジェクト」も、裾野ばかりが広がり、頂点は育たなかった。
「佐賀米販売計画」の機能は停止している。
だから、今迄も言ってはいたが、特にこの2年間は、佐賀に対して色々と提案をし、文句を言い続けていた。
品質についても、ブランドについても、Facebookについても、リーフレットについても・・・。
しかし結果として、提案はことごとく実行されなかった。
担当にお願いして、産地にまで行ってもらって説明してもらって。
それでも駄目。
またお願いをして、また産地で説明をしてもらって。
それでも駄目で・・・。
そんな繰り返しを何度もしてきた。
Facebookについては、佐賀だけでなく、全国のブランド化している産地に対しても、「書いてほしい」とお願いしていた。
でも、全ての産地は反応してくれなかった。
必要があるからお願いしていた。
必要だから、書き方までも、書く内容までも教えた。
しかし、産地側は答えてくれなかった。
なので何回も、Facebook等を通してお願いもした。
それでも思いは伝わらなかった。
伝わるまで、何度でも。
そう思ってはいたが、自分がその重荷に、先に潰されてしまった。
体調が崩れたことによって、自分の限界が近づいていることを確実に理解した。
気持ちだけでは、どうにもならないと理解した。
しかし、進めているブランド化を止めることは出来ない。
であるのなら、産地に対してのトーンを下げるしか、継続させる方法は無かった。
佐賀に対しても同じ。
高望みをしなければ良い。
今を維持させることだけに集中すれば良い。
その言葉が「頼んでも、もう出来ないのではないか」という諦めであった。
「超米屋」のラインナップではなく、全てのブランドを「和穀の会」のラインナップに留めておけば、何もトラブルは無い。
全て今までと同じ。
それで良ければ、とっくに「佐賀米販売計画」は完成している。
それで良ければ、自分の精神力も体力も持つ。
富士山の頂上には辿り着けなかったが、5合目まではちゃんと辿り着いた。
最終的に、辿り着く場所が変わっただけ。
そんなことは、幾らでも世の中にはある。
今は、それで良いのではないだろうか。
先に進みたくなったら、今度は産地で頑張ればよいと思う。
手法は教えてあるのだから・・・。
引継ぎで、いきなりこの話は、後任としてはかなりショックだったろう。
でも、今言っておかなければ、言うチャンスが無くなる。
なので、今日言った。