虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

よく読まれている性格タイプについての話題です

2019-02-08 14:03:42 | 子どもの個性と学習タイプ

<内向的直観タイプのわかりにくさについて>という記事が

よく読まれているので紹介します。

この子は感覚、感情、直観、思考の

教室でひとりひとりの子とじっくり関わっていると

どれを主にしてものを考えていくのかよく見えてきます。

とはいえ、見えやすいタイプ、見えにくいタイプというのはあって、

子どもの姿の一部分だけ捉えて、「この子は○○タイプだろう」と決め付けても

あまり意味はないと感じています。

「こういう面があるから、この子は○○タイプじゃないかな」という印象は持っても、

「やっぱり、○○タイプなんだろうな」と実感するのは、何年もの期間、遊んだり、物を作ったり、考えたり、

おしゃべりしたりする姿を見守り続けた後となります。

「この子は、○○タイプじゃないかな」と思っても、関わる時間が増えるにつれて、

「最初の印象とは別の○○タイプの子にちがいない」という確信を持つようになる子もいます。

 

教室でスーパーボールすくいのような遊びをする時でも,

性格タイプによって、何に熱中するか、何をもっとも面白いと感じているか、どんなことに気づくか、

そこから何を学びとるかなどは、性格タイプによってずいぶん違います。

わたしが、「ちょうど100グラムぴったりになるようにスーパーボールをすくってね」とはかりをだすと、

直観タイプの子たちは、コップに入れたスーパーボールを何度か試しに量ってみてから、

戦略的に100グラムちょうどになるような方法を編み出そうとします。

「スーパーボールをひとつ取り除くと、はかりの針がこれくらい後ろにさがるから、

3個くらい取るといいだろう」とか、「ボールがコップにいっぱい入っている時は100グラムのところより

このくらい過ぎているから、コップの半分と残りの半分の半分くらいまで入れたら100グラム」といった具合に。

遊んでいるうちに、新たな「こうしたい」を見つけて

熱中しだすことはあるものの、本人なりのねらいがあるあたり感覚タイプの子たちとの違いを感じます。

 

感覚タイプの子たちの子の場合、ひとつのねらいというより「網羅したい」「できるまでやりたい」という

あたりにモチベーションがあるので、

最初に「100グラムにぴったりになるように……!」と告げていても、

スーパーボールを乗せてははかることを繰り返して、1回、1回、「あっ、○グラムだった」「今度は○グラムだった」と

確認することが遊びのメインになっていきますから。

 

思考タイプの子たちは、活動そのもにには熱心でない場合が多いけれど、

はかった重さをまとめた表を見ながらデーターを分析したり、

原因や理由について考えさせる場面でいきいきしています。

感情タイプの子たちは、お友だちと同じ目標で動いたり、

他の子らをびっくりさせたり感心させたりすることにモチベーションを持ちやすいです。

 

見えにくいタイプのひとつに内向的な直観タイプの子が入ります。

 

外向的な直観タイプの子たちは、次々と新しいことに興味を移して

「ひらめいた!」とばかりに自分のアイデアを口にするけれど、

内向的な直観タイプの子たちは、頭の中は忙しくてしていても行動はおっとりしていたり、

直観の使い方にしても、自分の内面での「あっ、そうだったのか」というひらめきが

主なので、外からわかりにくいのです。頭の中で自分の考えを追っている時は、

フリーズしたようにボーッとしているので、考えている時ほど、何も考えていないようにも見えます。

 

わたし自身は内向的直観タイプなので、

「自分の内面の動きや頭の働かせ方に似ているから内向直観の子じゃないかな」と

感じるのですが、他のタイプの子たちに比べて、

はっきり目に見える判断材料がほとんどないので、「うちの子の性格タイプは?」とたずねられると、

幼児期は、「たぶん、……でしょうけど」「おそらく……でしょう」とあいまいな返事を続けることになりがちです。

たいてい小学校中学年くらいになると、読書の好みやおしゃべりの内容に

内向的直観の子らしさがはっきりしてきます。

 

大学生の息子と話をしていると、「この子はやっぱり内向的直観タイプだな。

内向きの直観をよく働かせるんだな。」と実感することが多々あります。

物事が行き詰った時にしろ、普段のちょっとした問題解決にしろ、

自分の内面に光を当てることで答えを見いだす姿がありますから。

先日もこんなことがありました。

学校で自分の名前をテーマにした作品をプログラミングで作る課題があったそうです。

他の課題の提出時期と重なっていたため、一夜漬けで、

「自分以外の人(友人等)の名前の集合体が、クリックボタンを押す度に

まぜあわさって、だんだん自分の名前に確率的に近づいて行き、最終的に何クリックかで

自分の名前ができあがる」というアルゴリズムを組んでいました。

評価自体はよかったようですが、その出来に、

短い時間で慌てて作ったのと、何かが足りないという不全感を抱えていました。

そこで、他の作品提出の機会にそれをもう少しいい形で練り直して出すことにしたようです。

コメント

内向的直観タイプの子のわかりにくさについて 3

2016-07-15 20:16:58 | 子どもの個性と学習タイプ

再度、作品に手を加えるにあたり、息子なりに、何が足りないのか、これから何に最も力を注ぎ、

どういう方向性で作っていったらいいのか、もんもんと考えていました。

というのも、親しい友人に、「○○くん(息子)が60%の力で作ったものは、周囲から絶賛されるけど、

100%の力を注いだものは、理解されないよな」と冗談交じりに指摘され、

「そういやいつもそうだなぁ」と苦笑しつつ、単純に、だったら肩の力を抜いて作ればいいんだなとも取れなかったようです。

 それについて、息子とこんな会話をしました。

 

息子 「大学にしろ、学会にしろ、評価の場ではあって、現時点に終始していて、

すでにどれだけ完成されたものかだけで考えるからさ。もちろん、社会に出ても、

それが重要なのはわかっているけど、作品発表での評価基準が、どうしてもパッと見の受けのよさや外から見た印象……

宣伝広告で扱われるような部分だけに

重きがおかれててさ、中身の質とか、アルゴリズムの新奇性とか、実際に使っていくなかで引き込まれていく部分なんかは

ほとんど注目されないのは残念だな。

ぼくが全力を出す時は、自分のなりのビジョンを追ってて、

未来に価値を置いているからなぁ……これから面白くしていきたいいろいろな可能性を見ながらさ」

 

わたし 「自分のビジョンの価値に気づいて、守って、温めていけるのは自分しかないんじゃない?」

 

息子 「そうだけど、これまで何か納得できなかった理由は、

そうした評価のあり方に不満や不信感を抱いていたというより、あまり考えずに全面的にそれをよしとしてしまって、

そうした評価と自分の関係のとり方についてよく考えてこなかったからじゃないかと思ってるよ。

 

ぼくが中身のアルゴリズムや内容を一番重視するのは、

今後、どうあったって変わらない部分だけど、同時にデザインや周囲にどう印象づけるか、外から見て

魅力的なものに感じられるようにするのかだって、すごく大事だと思ってることなんだ。

そして、内部になんか少しも興味がないっていう

一般的な人が、パッと見で惹きつけられるようなものを作っていく上で、今、先生から得られる

アドバイスはすごく役立つし、ぼくに足りない部分だ。

ただ、自分のあり方について何も考えないまま学んでいると、周囲の価値観を取り込みすぎて、

自分が一番重要だと思うものが寝食されていくのも事実でさ。

そうすると、成功すればするほど、自分を苦しめる悪循環が生じるよ。

 

だから、自分の強みであって、長い時間をかけて自分のなかで育てていきたいものを持ちつつ、

外の意見に耳を傾けて、足りない部分を学びとっていこうと思って」

 

息子 「名前の作品をもう一度見直してみて、内容はそう悪くないんじゃないかと思って。

これまでもの作品もそうだけど、

言葉で説明したり、自分の表現したいことを正確な言葉におきかえる面で全然足りていないんだ。

デザインとか使いごごちの修正も

もちろんするつもりだけど……。

たとえば、タイトルを、『他人と自分の境界線』ってのにして、他人の名前だけから自分ができていく様子を、

アイデンティティーがあいまいになっていく状態とするとか。

まぁ、これはちょっと行き過ぎたタイトルだけどさ。

『情報から生成される自分』くらいがちょうどいいかな?」

 

息子の話を聞きながら、問題を解決する時に、

自分の内面を探索するのは、内向きの直観ならではだな……と妙に納得しました。

コメント (3)

内向的直観タイプの子のわかりにくさについて 2

2016-07-14 19:42:46 | 子どもの個性と学習タイプ

 

見えにくいタイプのひとつに内向的な直観タイプの子が入ります。

 

外向的な直観タイプの子たちは、次々と新しいことに興味を移して

「ひらめいた!」とばかりに自分のアイデアを口にするけれど、

内向的な直観タイプの子たちは、頭の中は忙しくてしていても行動はおっとりしていたり、

直観の使い方にしても、自分の内面での「あっ、そうだったのか」というひらめきが

主なので、外からわかりにくいのです。頭の中で自分の考えを追っている時は、

フリーズしたようにボーッとしているので、考えている時ほど、何も考えていないようにも見えます。

 

わたし自身は内向的直観タイプなので、

「自分の内面の動きや頭の働かせ方に似ているから内向直観の子じゃないかな」と

感じるのですが、他のタイプの子たちに比べて、

はっきり目に見える判断材料がほとんどないので、「うちの子の性格タイプは?」とたずねられると、

幼児期は、「たぶん、……でしょうけど」「おそらく……でしょう」とあいまいな返事を続けることになりがちです。

たいてい小学校中学年くらいになると、読書の好みやおしゃべりの内容に

内向的直観の子らしさがはっきりしてきます。

 

大学生の息子と話をしていると、「この子はやっぱり内向的直観タイプだな。

内向きの直観をよく働かせるんだな。」と実感することが多々あります。

物事が行き詰った時にしろ、普段のちょっとした問題解決にしろ、

自分の内面に光を当てることで答えを見いだす姿がありますから。

先日もこんなことがありました。

学校で自分の名前をテーマにした作品をプログラミングで作る課題があったそうです。

他の課題の提出時期と重なっていたため、一夜漬けで、

「自分以外の人(友人等)の名前の集合体が、クリックボタンを押す度に

まぜあわさって、だんだん自分の名前に確率的に近づいて行き、最終的に何クリックかで

自分の名前ができあがる」というアルゴリズムを組んでいました。

評価自体はよかったようですが、その出来に、

短い時間で慌てて作ったのと、何かが足りないという不全感を抱えていました。

そこで、他の作品提出の機会にそれをもう少しいい形で練り直して出すことにしたようです。

 

 話の途中ですが、遅い時間になったので、続きは明日にでも書きますね。

コメント

内向的直観タイプの子のわかりにくさについて 1

2016-07-14 09:46:38 | 子どもの個性と学習タイプ

教室でひとりひとりの子とじっくり関わっていると

この子は感覚、感情、直観、思考の

どれを主にしてものを考えていくのかよく見えてきます。

とはいえ、見えやすいタイプ、見えにくいタイプというのはあって、

子どもの姿の一部分だけ捉えて、「この子は○○タイプだろう」と決め付けても

あまり意味はないと感じています。

「こういう面があるから、この子は○○タイプじゃないかな」という印象は持っても、

「やっぱり、○○タイプなんだろうな」と実感するのは、何年もの期間、遊んだり、物を作ったり、考えたり、

おしゃべりしたりする姿を見守り続けた後となります。

「この子は、○○タイプじゃないかな」と思っても、関わる時間が増えるにつれて、

「最初の印象とは別の○○タイプの子にちがいない」という確信を持つようになる子もいます。

 

教室でスーパーボールすくいのような遊びをする時でも,

性格タイプによって、何に熱中するか、何をもっとも面白いと感じているか、どんなことに気づくか、

そこから何を学びとるかなどは、性格タイプによってずいぶん違います。

わたしが、「ちょうど100グラムぴったりになるようにスーパーボールをすくってね」とはかりをだすと、

直観タイプの子たちは、コップに入れたスーパーボールを何度か試しに量ってみてから、

戦略的に100グラムちょうどになるような方法を編み出そうとします。

「スーパーボールをひとつ取り除くと、はかりの針がこれくらい後ろにさがるから、

3個くらい取るといいだろう」とか、「ボールがコップにいっぱい入っている時は100グラムのところより

このくらい過ぎているから、コップの半分と残りの半分の半分くらいまで入れたら100グラム」といった具合に。

遊んでいるうちに、新たな「こうしたい」を見つけて

熱中しだすことはあるものの、本人なりのねらいがあるあたり感覚タイプの子たちとの違いを感じます。

 

感覚タイプの子たちの子の場合、ひとつのねらいというより「網羅したい」「できるまでやりたい」という

あたりにモチベーションがあるので、

最初に「100グラムにぴったりになるように……!」と告げていても、

スーパーボールを乗せてははかることを繰り返して、1回、1回、「あっ、○グラムだった」「今度は○グラムだった」と

確認することが遊びのメインになっていきますから。

 

思考タイプの子たちは、活動そのもにには熱心でない場合が多いけれど、

はかった重さをまとめた表を見ながらデーターを分析したり、

原因や理由について考えさせる場面でいきいきしています。

感情タイプの子たちは、お友だちと同じ目標で動いたり、

他の子らをびっくりさせたり感心させたりすることにモチベーションを持ちやすいです。

話がタイトルの話題にまでいきつきませんが、レッスンの時間が近づきましたので、続きは午後に書きますね。

 
コメント

子どもの性格タイプについて考えることでどんないいことがあるの?

2016-07-06 08:29:01 | 子どもの個性と学習タイプ

虹色教室では(ユングのタイプ論による)子どもの性格タイプを把握して、
それに合わせた接し方をすることがよくあります。

このように話すと、子どもを一時期の外からの見た目で分類して、
「○○タイプ」という情報のフィルターを通して、
小さな枠に押し込んだ形に育てるのじゃないかと心配する方もいます。

でも、実際に性格タイプについて思いをめぐらすことは、
そうしたステレオタイプな見方や考え方とは
真逆にあるとも言えるものです。

もともと人は、自分以外の人を眺めるとき、
「自分」というフィルターを通して眺めているものです。


自分の感じ方や見え方や感じ方

それまでの自分の経験や教えられたこと

自分が良しとするもの、価値を感じるもの、あこがれるものによる格付け

今いる環境にある価値観をどうとらえているか……


そのように「自分」を通して相手を理解しているものです。

わが子についてより広い視野で理解しようと思っていても、
自分にとって「わからないもの」「ネガティブに捉えてきたもの」は、
やっぱりそのようにしか見えないし、
理解しようと思うあまり、極端な甘やかしに傾いたり、
嫌な部分は見て見ぬふりをしてしまうこともあります。

一方、欠点は小さいうちからしつけて修正していかなくてはと思うあまりに、
その子の個性的な長所まで押さえつけて、
子どもの性質となじまない親の価値観を押しつけてて育ててしまうことも
多々あります。

性格タイプを知るということは、
まず、自分の見え方や感じ方や価値観が
全てではないと知ることです。

また、今、子どもの置かれている環境にある価値基準も、
あるひとつの価値観を体系化したもので、
絶対的なものではないことを学ぶことです。

たとえば、ユングのタイプ論では、
人の構え(態度)を大きくふたつに分けて考えています。

外向性と内向性です。

といっても、人はそのどちらかに分類されるのではなく、外向性も内向性も持っているけれど、
ふだん表に出ている態度がどちらなのかで、「外向的な人」と「内向的な人」という違いが生じています。

外向的な人とは、関心が外の世界に向かっていて、どんな環境や状況にも
合わせることができる人です。
内向的な人とは、外の世界よりも自分の心の中の世界に関心が向かう人で、
身の回りの環境は、
自分の心に合っているか、受け入れられるかを一番に考えます。

環境や出来事が、みんなからうらやましがられるようなすごい価値を持ったものでも、
自分にとって興味がなければ価値を感じないのです。

わが子が、外向的な人にも内向的な人にも
その性質だからこその長所があります。どちらかが正しくて良い態度だから、
どちらかの態度に矯正していくものではなく、
一方に偏り過ぎずバランスよく、
長所を磨きながら生活していくのがよいのだと思います。

外向的な人の長所はどんな環境にも合わせられることです。
でもそれは自分が何をすると、楽しい気分になり、充実できるかを、
環境や状況に依存しているともいえます。

内向的な人は、新しい環境や状況になかなかなじめないけれど、
ひとたび自分に自信を持つと、
トラブルが起きたり、周囲から批判されたりしても、
強く信念を抱いてやりすごせるところがあります。

そのように、人の態度に、外の世界か、自分の内面かという
ふたつの方向性のようなものがあって、
どちらにも長所と短所があることを知っておくと、
次のような良い点があります。

たとえば、子どもをサークルや幼稚園に連れて行った時、
そこになじまず、嫌がって泣くことが続くと、
「この子は、社会性が育ってないのかしら?」「今まで甘やかしすぎたのかしら?」
「発達障害があるのかしら?」
「どうしてこんなに頑固でわがままなんだろう?」と、
子どもに対するネガティブな思いでいっぱいになってしまう時があります。

確かに、そうした態度を取る子の中には、社会性の育ちがゆっくりで、
発達障害の疑いのある子もいます。

でも、そうではなく、内向的な性質のために
新しい環境になじむまでに時間がかかる子もいることを知っておくことは、
大事なことだと感じているのです。

もし、それを知らないと、「この子は協調性がないから」と
子どもに無理させたり、攻撃的な言葉で責めて自信を失わせるような
こともあるからです。

特に外向的な方が内向的な子を育てている場合や、内向的な方が外向的な子を育てている場合は、
誤解や偏見によって、子どもの心を傷つけたり、
本来の子どもの性格を抑圧して、親の価値に添うようにゆがめて育てることがないように
注意しなくてはなりません。

そうした意味で、私は子育て中、
性格タイプに考えをめぐらせることや、
子どもの性格タイプを把握するように努めることは大事なことだと
感じています。

 

子どもの性格タイプについて知っておくことが特に大切だ、と感じるのは、
[子どもとはこういうものですよ」「子どもはこのように発達します」
「子どもはこのようなことを好み、こうすると進歩します」
といった人気の育児法や教育法をもとに子育てしている時です。

たとえば、モンテッソーリ教育を実践している方の中には、

「全ての子どもは秩序感を好み、同じ作業を満足するまで繰り返すもので、
それをしたがらない子は発達を逸脱した子ではないか」

と信じている方がけっこういます。

実際、モンテッソーリ教育の関連本では、「全ての子どもはこのような存在である」と言い切るような
説明がなされています。

私はモンテッソーリ教育のすばらしさを実感しているし、どの子にも大切なものだとは思っています。

でも、子どもたちに接していると、
モンテッソーリの「お仕事」を嫌がり、
手本通り教えようとすると、おちょけて自分勝手に振舞う
ごく普通の子たちがいるのです。

モンテッソーリ教育というフィルターを通して眺めると、
「問題児」か「困ったちゃん」か「発達がゆっくりの子」にしか見えないほど、
感覚的な作業を繰り返すことを嫌がり、いつも新しい刺激を求めて
奇想天外な物の使い方をし、手本通りせずに、自分のやり方にこだわる子です。

子どもは「どの子もこのようなものである」という捉え方を緩めて、
子どもにはさまざまな性格タイプがあって、優れている機能が異なる……という見方をすると、
直観が優れている子たちは、感覚が劣等機能にあたるので、
モンテッソーリの教育法が苦手な子がいても少しも不思議ではないのです。


「感覚的な作業を繰り返すことを嫌がり、いつも新しい刺激を求めて
奇想天外な物の使い方をし、手本通りせずに、自分のやり方にこだわる子」

というのは、

「想像力に富み、独創的で創造的で、機械的推理能力が優れていて、
ユーモアがあって柔軟で意味を察することが得意」な子が多い
直観が優れているタイプであることがよくあるのです。

 



↑ユースホステルのレッスンで。マジックボールを10ずつすくっています。30すくって、「10の3回分」と言っていた子もいました。(ココプラザの美術工房です)


今回のユースホステルでのレッスンは、
外向型の子と内向型の子が、半々くらいの比率でした。

全員、初めて会った子たちなのですが、外向型の子らは、
和室での2時間半ほどのレッスンの間に
もう何年来の仲良しみたいに親しくなって、じゃれたり、けんかしたり、「いっしょに~しようよ」と相談しあって
移動したりしていました。
私にもたちまちなついて、
食事の時には、「ぼくが先生の隣だよ」と主張したり、自分の工作を動かすための方法を習いたがったり、
理科でクイズを出すときには、自分が先生のように振舞って、「みんなちゃんと座って!こっちで勉強しないと
意味ないじゃんんか!」としきることもまでやっていました。
ルールのあるカードゲームも、
初めてするものも、すぐにゲームの流れを察して、
楽しそうに遊んでいました。




一方で、内向型の子たちは、そうして積極的に参加している子たちの様子を観察することからスタートし、
ゆるゆると自分のペースで関わっていました。
私が、「○○してみる?」と誘うと、
ちょっとひきつった表情をして、固まるか、首を振る子もいます。

そのように表面的には、その場の活動への参加を嫌がっているように見える時も、
こうした内向型の子たちは、
イメージの世界では、「こんな風に参加したい」という自分像を持っていたり、
ひとりひとりの人を観察しながら、その人との距離の取り方を測っていたりするのが
わかりました。

内向型の子たちは、その内気でもじもじした消極的な態度からは
想像がつかないくらいに理想的な自分の振舞い方のイメージや高いプライドや自分なりの考えや判断を
持っている場合が多々ありますから、
安易に積極的な子たちと同じ活動をするよう干渉しすぎると、
それが原因で傷ついたり、へそを曲げてしまうことがあります。

自由度が高い場では、ちょっと冷たいようでも、(ひとりにさせておくようで気にかかるでしょうが)本人がしたいようにして、
そっとしておくといい場合があります。
そうして、あまり構いすぎないようにして様子をうかがっていると、
自分がやってみたいと思うことをしている子たちの方を
食い入るように見つめているはずです。

もし、そこで、大人が寄ってたかって
機嫌を取ったり、なだめすかして参加させようとしたり、強制的に他の子の輪に入れようとすると、
内向型の子たちは、
そうした自分への侵入的な態度に反発したり、ただなすがままに依存的に従ったりして、
「ぼくは(私は)ダメな子なのかな?」という
他の子たちより自分には足りないものがあるというイメージを自分にかぶせるときがあります。

ただ、そっと子どもを尊重して待ってあげることが、
大事な場合が多々あるのです。(発達障害を持っている子への対応はまた異なります)

 

続きを読んでくださる方はこちらをどうぞ

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 4

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 5

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 6

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 7

子どもの性格タイプについて考えることでどんないいことがあるの? 8

 

 

性格タイプによって、作る作品にこんな特徴があらわれることがあります。 ↓

----------------------------------

子どもの性格タイプによって
作る作品も創作活動から学び取るものもずいぶんちがうように感じます。
感覚タイプや感覚寄りの子たちは、労を惜しみません。大量の作業をこなしながら「規則性」を導きだします。
直観タイプや直観寄りの子たちは、大雑把であまりていねいに作りませんが、独創的で、自発的に次々ひらめいて作ります。
科学的な仕組みを利用した
工作なども好みます。
作品作りから抽象的思考を発展させます。
感情タイプの子も思考タイプの子も、感覚寄りか思考寄りかで、
作品作りから何を学びとるかが、異なるように思います。


<内向的思考感覚寄りの子の作品>(内向的感覚思考寄りの子かも)



内向的思考感覚寄り、内向的感覚思考寄りの子たちは、
大人顔負けの作品を作るけれど、大人の手助けを嫌がって
全て自分で作りたがります。

直観タイプの子たちが壮大なアイデアを思いつくものの、
めんどうな作業は手伝ってもらうことをすぐにあてにするのとは
ずいぶんちがいます。

このタイプの子たちの作品は計算された建築物のような美しさがあるものが多いです。
色にも形にも数にもこだわります。

作品作りを通じて、「規則性」に気付きます。

<内向的思考感覚寄りの子の作品>(内向的感覚思考寄りの子かも)



<内向的感覚思考寄りの子の作品>(内向的感覚感情寄りかも)



<外向的思考直観寄りの子の作品>(外向的直観思考寄りかも)


駅のエレベーター。入口と出口が変化するように
工夫しています。色使いもきれいです。



独創的で直観的な作品作りが多かったので、ずっと外向直観思考寄りの子だと思っていたのですが、
成長するにつれて思考力が急速に伸びてきたことと、感覚を必要とするていねいな作業も得意なことと、
他人の感情を読むことが少し苦手なことから、
外向思考直観寄りの子だろうと思うようになりました。


<外向的直観思考寄りの子の作品>(外向思考直観寄りかも)




おおざっぱな作りとはいえ、独創的で宇宙をテーマに作っているところと、
他に船や車などを作るときに、動きを作りだす工夫をしたり、自分で発想して、問題を解決していく力があるところから、
外向直観思考寄りの子ではないかな、と思いました。

<外向感情感覚寄りの子の作品>




たくさん作る労を惜しまないところがあります。
感情に響く作品作りが好き。写真は詩のカード。



友だちとの交流を目的にした作品作りも好きです。

<外向的直観感情寄りの子の作品>







遊べる作品が好き。自分のオリジナルアイデアを盛り込みます。仕上がりはこだわらず、大きなサイズのものを
作るのが好き。
<外向的直観感情寄りの子の作品>


アイデア重視で、2階建てにするとか、3階建てにするとか、凝ったものが好きです。
大きなサイズの遊べるものを作るのが好きです。


<外向的感覚思考寄りの子の作品>

このタイプの子は、労を惜しまないところと、
頭を使うことを好むところがあるので、自分から「テスト」や「通知表」「スケジュール表」などを作りたがる子がいます。


<内向感覚感情寄りの子の作品> (内向的感情感覚寄りの子かも)


美しい色が好き。労を惜しまないところと、ていねいに作業する繊細さがあります。
自然への興味につながる制作を好みます。

(香水作り、石鹸作りなど、貝殻でする制作、星座を手芸で表現するなど)


<外向的感情感覚寄りの子の作品>

労を惜しまないところがあります。ファッション、お人形などのテーマを好みます。



<外向的直観思考寄りの子の作品>(外向的直観感情寄りかも)






ボールの向きを変えるアイデアを工夫しています。
他にも運動の向きを変えたり、
玉を押しだすさまざまな仕組みなどを、ゼロから考え出す力が優れています。



<外向的直観思考寄りの子の作品>


中学生の男の子の作品。ライトがつくピタゴラスイッチ。

<内向的直観思考寄りの子の作品>


うちの息子の高校生のときの作品です。色合いや構図がこのタイプの子が
好みそうなものだなと思いました。

 






内向感覚思考寄りの子 と 内向思考感覚寄りの子
外向感覚思考寄りの子 と 外向思考感覚寄りの子 は、たいていどの子も積み木遊びが大好きで
そこから自然に多くのことを学びとります。

↑の写真は、おそらく内向思考感覚寄りと思われる1歳後半の男の子と積み木で遊んでいる様子です。

感覚タイプの子たちは、物のサイズに敏感で、
囲った空間に、ぴったり物を収めることが大好きです。
秩序も好きですから、
同じ数ずつ、空間に収めて並べていく作業も喜びます。

積み木遊びに色画用紙を取り入れて、
数台の電車をはみださないように置くことができる
スペースを作ってあげると、「狭い」「広い」という概念に親しみ、
面積に対する興味にもつながります。

色画用紙を折ってトンネルを作ったり、紙で立体を作って
展開図のようになったものを見つつ遊べるようにしてあげるのも
このタイプの子の気持ちを満たします。

このタイプの子たちは長さが比べられる写真のような棒状の積み木や
遺跡などを作るとき仕上がりがきれいなレンガ積み木でよく遊びます。

このタイプの子らは、遊ぶことと学習の壁が薄いです。
歴史や地理や化学や計測と関係ある算数を幼いころから好みます。

けれども、感覚的に学びたいときに、
考える問題をあれこれ出題されると
勉強を嫌がるようになるかもしれません。

自分の興味からスタートする学習を
何度も繰り返すことが好きなのです。
几帳面で完璧主義なので、できることが確認できないと、
取り組みたがりません。理想やプライドが高い子が多いので、
他の同年代の子と比べるような学習をさせると、
強い拒絶を示すときもあります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
積み木遊びの話からそれますが、お勉強の話も少し……。

感覚タイプの子たちは、計測することがとても好きで、
算数を学び出したとき好むのも、


まわりのながさが、14センチの四角形があります。
たてはよこより1センチながいです。
たてとよこの長さは何センチですか


といった問題や、


12デシリットルと、300ミリリットルを合わせると、何デシリットルになりますか


といった問題や、

表やグラフにデーターをまとめてあって、分析しながら解いていく問題です。


感覚が優れている子たちはたいてい
新しいことよりも慣れている繰り返しを好みます。

ですから、毎日コツコツがんばって、
スローステップで力をつけていく系統学習を好む子も多いし、実際、それによって
力がついていきもします。

ただ、感覚が優れている子の中でも、
思考を使うことを好み、難問にチャレンジすることが好きな

外向か内向の感覚思考寄りの子 と 
外向か内向の思考感覚寄りの子の一部には、

スローステップで学ぶ方法はまどろっこしくつまらなく感じられる子もいるようです。

感覚が優れている子で、

思考タイプで感覚寄りという子も

感覚タイプで思考寄りという子も、

一般的に基礎計算の繰り返しなどを好むと捉えられている

「幼児期や低学年の子」

という枠からはみ出してしまうような

論理的な思考や抽象的な考え方を、
早い時期からしはじめます。

そうした子らは、暗記して練習させるだけでは、勉強に対する興味を失ってしまいます。


知力を限界まで使いたい子たちには
解いていて充足感が味わえるような問題を与える必要があります。

話を積み木遊びにもどして……


↑の写真は、外向的思考直観寄りの子と作った「なわばり図」ですが、
これはもともと内向的感覚思考寄りの子の作品からスタートした遊びです。




↑のような遺跡作りも、
美しさだけでなく
世界や歴史への興味を広げられる点で、

内向感覚思考寄り、内向思考感覚寄り、
外向感覚思考寄り、外向思考感覚寄りの子が好む積み木遊びです。

 
コメント

「がんばり屋だけど考えるのが苦手な子」 「飽き性だけど頭の回転が速い子」

2016-06-17 10:38:14 | 子どもの個性と学習タイプ

子どもの個性も長所も十人十色です。

たとえば、
「がんばり屋だけど考えるのが苦手な子」
「飽き性だけど頭の回転が速い子」っていますよね。

「がんばり屋だけど考えるのが苦手」という子の長所は
「もっともっとたくさんしよう」「がんばろう」とするエネルギッシュさです。

といっても、勉強の場合
いくらがんばり屋でも 考えるのが苦手だと、
「考えなくてはならない問題」で先に進めないことが続くと、
勉強を避けるようになるかもしれません。

勉強以外のスポーツやお手伝いや携帯ゲームの攻略などでは
長所の根気のよさを生かすけれど、
勉強は苦手というタイプに成長するかもしれません。

かといって、「易しい計算問題ばかり」をスローステップでやらせていると、
ある時点で、考えなくてはならない文章問題の学習に入ると、
満点ばかり取っていて良くできると思っていたのに、
小学3年生くらいから
いきなり成績が急降下しはじめるということも起こります。

「がんばり屋でも 考えるのが苦手という子」の答案を見ると、
はりきってたくさん問題にチャレンジしているものの、
どれもこれも間違いばかりということがあります。

そんなときに、相手ががんばり屋さんですから、
多少手厳しいことを言っても、まじめで素直な対応が返ってくるものですから、親もつい本人の心への配慮を怠ってしまいがちです。

せっかく自発的にたくさんがんばったという場面でも、
「何でこんなにミスばかりなの?」と本人が自分には能力がないと錯覚するようなことを言ったり、
たくさん×をつけて、「たくさんがんばれば、×が増えるから、自分から努力すると損だ」と思い込むようなことをてしまいがちなのです。

学校の授業やテストでは、
間違えた問題にすぐに×がついて、間違いを修正するのは大事です。

でも家庭で自発的に学習する場合にも、
身近な大人が
自分の「勉強とはこういうもの」というイメージを
子どもに無理に押し付けていると、子どもの長所が学習で生かせなくなってしまう場合があります。

カナダ人の心理学者アルバート・バンデューラが提唱した感覚に、自己効力感というものがあります。

自己効力感とは、
「外界の事柄に対し、自分が何らかの働きかけをすることが可能であるという感覚」
「ある具体的な状況において適切な行動を成し遂げられるという予期、および確信」
といったものです。

勉強の場面で、
過去に「自分の強みを発揮して成功できた」という体験がなければ、
次に「きっと自分にはうまくできるから、がんばろう」と自発的に取り組む動機は生まれてきませんよね。

私は、学習の場面で、子どもに「自己効力感」が身につくまでの間は、
「最初が肝心だから、ミスはその都度きちんと直しておかないと」とか、
「たくさん失敗しても、それを乗り越えられる強い子になってほしいから」
といった大人の持っている学習へのイメージを
子どもが「自己効力感」を得るか否かよりも
優先しない方がいいと思っています。

私たち大人でも、外国の方を相手に、勇気を持って習いはじめの外国語で声をかけたとき、間違いを馬鹿にされたり、注意されたり、何度やっても通じなかったという体験が続けば、
それでもがんばって話しかけ続けるか……というと難しいのではないでしょうか?

でも、相手が外国の子どもだった場合、こちらのミスをいちいち気にしていないとしたら、たくさん話しかけるうちに、自分は外国語で会話ができるという自信がつくし、回数を踏むうちに、
上手に正しい使い方ができるようになってくるかもしれません。

「自己効力感」がないまま、
何年、英語を学んでも、外国の人と会話のキャッチボールをするのは難しいのかもしれません。



多くの勉強が苦手な中高生は、
知的なハンディーキャップを持っている子ばかりではありません。
また、発達障害があって、努力や計画的に物事を進めることに
ハンディーキャップがある子ばかりでもありません。

ごく普通の小学生の頃はがんばり屋で成績も良かった子の多くが
「勉強ができない子」に成長しているのです。

その原因には、日本の教育では、個人個人の「自己効力感」より、
集団に通用する「教育ってこういうもの」という大人が信じやすいものを
優先しすぎているからのように思います。


私は 子どもの個性はさまざまですから、
集団の場でない限り、その子が
「自分の有能さ」を感じ取れるような勉強が必要だと思っています。
本来なら、集団の場でも、「みんなから認められている」「自分は有能だ」というフィードバックを得る体験がたくさん必要だとも思っています。
勉強の場で、「自分の有能さ」を発揮できるという
確信が、いくつになっても自発的に学び続ける姿勢を育てるからです。


一方で、いつも先に解き方を暗記させておいて
から良い点を付けていくスローステップの学習で
「考えない」癖をつけてしまうことも問題だと思います。

このさじ加減は難しいので、何度かにわけてくわしく説明させていただきます。

 

「飽き性だけど頭の回転が速い子」っていますよね。
さまざまな新しいことをやりたがってチャレンジ精神旺盛なのはいいのだけど、
やる前は、大騒ぎして、「どんな苦労もいとわない!」という様子だし、
やってみると人一倍、呑み込みもいいのに、
すぐに飽きて放り出してしまう子。
目ざとくて、知恵もよく働くけど、気が散りやすくて怠けがちな子。

こういうタイプの子って、お友だちが習い事をしているのを目にすると、
すぐに自分もやりたがって、泣いて騒ぐことがよくあります。
「それならと……」習わせると、少しすると、
今度は練習や宿題が嫌で、毎日、親とバトルになるという結末をたどりがちです。
通信教材もしかり。「ぜったいがんばるからやらせて!」と地団駄を踏んでいたのもつかの間、教材を取り出したとたんに、ほとんど手付かずのまま溜め込んでいくものです。

注意が必要なのは、「自分がやると言いだしたんでしょ!がんばりなさい!」
「ちゃんとがんばればできるのに、努力が足りない!」と叱り続けるうちに、
幼い頃は自分から知的なことに何でもチャレンジしたがっていたのに、
大きくなるにつれ、勉強に関わることは自発的にチャレンジするのを避けるようになってくることです。


その代わり、後々、「やる、やらない」でもめたり、
「やめたい、しんどい」と悩んだりしなくてもいい
テレビゲームとか、買い物などでは、
相変らず、ごね続けるようになりがちです。

飽き性の子に、我慢することや努力することを、しつけていくことは大事です。
けれども、現代は大人と子どもの境界線が薄れていますし、幼い子も消費のターゲットになっている時代ですから、
「あなたが自分でやるって言い出したんだから、すぐに投げ出さずにがんばりなさい」と叱ると、年齢不相応な自己責任の押しつけになってしまうことも多々あるのです。

3歳、4歳、5歳といった子が
「お友だちといっしょにリトミックを習いたい」とごねたところで、その子の年齢だと、
「お友だちが公園に行ってるから私も行きたい」とごねているレベルの
先の見通ししか持っていないものです。

まだまだ、自分に何が合っているのか、どんなことなら長続きするのか、何をすると一番がんばれるのかといったことを、
いろいろ試してはやめて、夢中になっては卒業して、
より自分を成長させることができる何かを外にも、
自分の内側にも探索していく時期なのです。

それなのに、大人の世界が幼い子の暮らしにまで浸透して、
子どもの習い事に、ママ友同士のおつきあいが絡んでいたり、
子ども向けの商売のシステムのせいで、幼児が数年計画の責任感を問われることになっていたりするのです。


「飽き性だけど頭の回転が速い子」の長所は、
新しい興味の対象に向けるエネルギーの強さです。
「やりたい!」と言っているときのエネルギーと、やりはじめた当初のエネルギーが維持されたら、この子はどれだけ賢くなることか……?
と感じている親御さんはたくさんおられることでしょう。

私は、あまりお金などの負担がかからないことで
いろいろチャレンジさせてみて、
やってみたり飽きたりを繰り返しながら、
「こういうことならがんばれそう」「自分が生かせそう」という
自己効力感を得られるものに気づかせていくことが大事だと感じています。

勉強で、基礎を繰り返し学習するのを極端に嫌がる場合、
「あなたは勉強嫌いの悪い子だ」
「あなたは怠けもので、こんなことをしていたら将来勉強が苦手になってしまう」というイメージを植え付けないように気をつける必要があります。

このタイプの子は、
易しい問題と難しい問題が混在したワークで、
「好きなものを1問選んで解いてね」と言うと、
ちょっとひねったものを選んで解いて、それを機会に「もっと解きたい」と言い出す場合がよくあります。

子どもの学習に構いすぎるのもよくないのですが、
義務を無理強いして大の学習嫌いにさせるよりも、
長所の頭の回転が良さを使って、知的な課題の面白さに気づかせることが
大事だと思っているのです。

飽き性って悪いことばかりじゃなくて、
執着心のなさや、自分によってより必要なものを見極めていく力や、
好奇心の強さとも関わっているものです。
今、自分にとって一番重要な目的に全力投球できる能力でもあります。


短所に見えるところも、罪悪感を植えつけず、大らかに関わっていると、
そのように良い資質として使っていけるようになっていきます。

うちの子たちにしても、飽き性とはちょっと異なるのですが、
コツコツがんばることが苦手です。
ですから、決まりごとや義務が多い場では、欠点ばかりが目立っていた時期もありました。
でも、ゆっくりと長所も欠点もどちらも大切に育てていくようにすると、
長所だったものはもちろんですが、
短所と思われていたものが、自分で目的を定めたり、深く考えたり、創造的に解決したり、

学び続けたりする原動力となっているのがわかるのです。

わが子が、子どもとは呼べないような年齢になると、
子どもに対して親ができることは本当にしれていて、
役に立つのは信じてあげることくらいだと気づきます。
子どもは本当に自分がなりたいものに向かって、自分の力で成長し続けていくのです。

コメント (1)

自分に自信がない、自己肯定感が低い子 4

2016-05-19 15:28:22 | 子どもの個性と学習タイプ

 

前回の記事にこんなコメントをいただきました。(もとのコメントは非公開にしているものですが、子どもの名前の部分以外は公開することを許していただいているので紹介します)

-------------------------------------------

以前保育園の保護者の方の様子を見て、子供の要求と保護者の希望を混同している

保護者が多かったこと、さらには大人の希望のみで子供の要求に

気付いていない保護者が増えてきたと感じているとコメントでも書いたことがありましたが、

どうしてそんなことを感じたかと言うと、自分の軌跡だと気付いたからだと思うのです。
同様に、この一連の“自分に自信がない、自己肯定感が低い子”の記事を見て、

このAくんもお母さんも両方とも私であると感じました。

最近も、自分と他人との境界について考えることがありますが、

私は子供の頃、他人の気持ちに敏感であるために、自分の

考えがわからなくなっていたのかなと考えています。そのまま成長し

、合理的な考えでしか判断できない大人になっていたのだと考えています。

大人になるにつれて他者の気持ちを優先しなくても良いようになったから

楽になったようでいて、自分のこともわからないままだったため、

なにか軸のようなものを見失ったまま、生きている実感がないような感じでした。
自分の子供がうまれたとき、久しぶりに他者の気持ちと通じる必要が出てきたけど、

すっかりその他者と通じる感覚を忘れていました。

もちろん自分というものも見失ったままだったので、子供がもっと小さい頃は、

合理的な考えや浅い部分で感じる自分の欲求と子供との関係をバランス

ゲームのように築こうとしていたのかなと考えています。子供がそれで問題なく育てば良いけど、

うちの子供たちは、敏感さをもつ、他者との境界があまりはっきりしない子供たちだったから、

押し付けがましい周囲の考えはどんどん子供たちの内面に流れていくけれど、

子供自身は自分の欲求と折り合いをつけないといけなかったから

だったからしんどかったでしょうね。それで色々問題が起きたのかなと

考えています。そこではじめて、子供がなにを考えているか、問題がどうしておこるのか、子

供のことを知りたいなと考えるようになりました。

ひたすら育児書などをみたけど私の知りたい答えは見つかりませんでした。
結局子供を知る、感じることができるようになってきたきっかけは、

自分をみつめたことでした。自分の感情に相反するものが存在すること(両義性)と、

子供の頃の自分にあったもの(先生の娘さんたちが起こした会社の面接など)

を見つけたことでした。子供との関係で、自分のなかに絶対的な善悪や基準など

の境界がなくても良くて、色々な状況に応じてフレキシブルに動きうる、ファジーさ

を残した境界があれば良いのだと実感したことと、子供のころの自分と

目の前の自分の子供が同じであり、子供という存在の普遍性を感じたことによって、

子供と自分にバランスのよい境界をつくっていこうと考えることができたのだと思います。
子供たちのお陰で、これからも子供の頃に失ったままだった自分を

見つけられるのではないかと思っています。もしかしたら、

子供の頃に見失ったからこそ、見つけられるものがあるのではないかなと予感しています。

------------------------------------


何度か紹介させていただいている『マイコー雑記』というブログで

一次体験を堪能しておくと二次・三次情報に触れても 好奇心の勢いや理解の深さが違う

 という記事を読みました。

この数年、密かに抱えていた悩みを解決する糸口を見いださせて

いただいく内容でした。

悩みというのは、こうしたことです。

わたし自身は教室で子どもたちと驚いたり感動したり

わくわくする気持ちを探究したり真剣に考えをめぐらせたりして、この記事にある一次体験というものを

どっぷり堪能した後で、そこから生まれた気づきや知恵やアイデアを言葉にして伝えています。

でも、そうして一次体験の先にあるものを目にすることで、受け取る親御さんのなかには、

マイコーさんの記事にあるように、体験を子どもが味わう間もなく、「これを機会に学ぼうモード」に

なってしまう方がいらっしゃるのです。

それはまだいい方で、ちまたでは、一次体験をすっとばして、二次・三次情報だけで

子どもの環境を作ってしまおうとする動きもあります。

ブログを読みやすくする意味で、「○○する方法」というタイトルで記事を書くことも

あるのですが、本当は、子どもが生きていることを実感できるような一次体験が土台にあって、

その体験をより豊かな実りあるものにするための工夫を言葉にするつもりが、

読み手に伝わる時には、本末転倒して、「○○を習得させるという目的のために、子どもに

こういう体験をさせる」という形に変形してしまうことも多々あるのです。

 

前回までの記事で、大人の目線で子どもの体験を眺めることについて書いてきましたが、

それは言い換えると、「子どもが一次体験を堪能する」ことの軽視とも言えます。

また、コメント主さんのおっしゃる

「子供の要求と保護者の希望が混同されること」や「大人の希望のみで子供の要求に

気付いていないこと」とも言えるのかもしれません。


親のみならず子どもに関わる専門職の方や、

子ども思いの気持ちの優しい親であっても、自分がしらずしらずそのようにふるまっていることに

気づかないほど、そうした関わり方が多数派になりつつあるのを感じています。

 

 

 

コメント

自分に自信がない、自己肯定感が低い子 3

2016-05-18 21:01:56 | 子どもの個性と学習タイプ

常識的な配慮だと思いながらも、

Aくんとお母さんのやり取りが心に引っかかったのは、お母さんはどこまでも

大人の目線でAくんの体験を眺めていたところなのかもしれません。

少しの間でもAくんの目線まで降りてみたら、やりたいことがあれもこれもあって、

やってみたらうまくできた喜びに満たされて、

もっとすごいことができそうだと予感して

いいものも見つけたし、やってみたいアイデアもあるし

ちょっとアクセルを踏み過ぎちゃったほど心が自信で膨らんでいたのだということに

気づいたかもしれません。

ですからら、たとえ、今回、「それは教室の大事なものだから持って帰れないよ」と

伝える状況だったところで、

まず、「いいもの見つけたね~」「それで作るもの思いついたの?どんなもの?」と

興味を抱いてたずねたり、自信がついてあれこれやってみたくなっている心を

励ますような代替え案を用意したりできたはずなのです。

 

先の記事で、Aくんは、

「誘う→

いやいや参加する→

すぐに飽きて別のことを始める→

しばらくすると戻ってきて、最初の活動(特に工作)がやりたいという→

自分なりのアイデアや「こういう風に作りたい」「これが作りたい」という→

そうして自分発でやりたがったことは最後まで熱心にやり抜く→

「もうひとつ作りたい」「これもやってみたい」と次にやりたいことに思いが膨らむ」

という参加の仕方をしていたという話を書きました。


こうした姿を大人の目線だけで捉えていると、

大人側が意図している活動への誘いにスムーズに乗るかどうか、

それに一定時間、取り組めるかどうか、のみに注意が向きがちです。

カリキュラムがかっちり決まっている園でも、

集団で同じ課題に取り組ませる時の反応だけ見て、子どもの意欲や集中力のあるなしを

判断してしまうのかも……と感じています。

 

話が途中ですが、次回に続きます。


 

 

コメント

子どもが思い通りに育たないのは、育て方を失敗したため? 2

2016-05-05 08:23:36 | 子どもの個性と学習タイプ

前回の記事の最後に、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

子どもの困った状態は、接し方や子どもの捉え方を変えれば改善するけれど、

だからといって、今、子どもの問題の原因は

それまで間違った育て方をしてしまったからとは思われない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

といったことを書きました。

これはわたしが教室をしながら、何度も実感していることです。

 

わたしは「たくさんの子どもたちと接する機会がある」という点と

「今、困った状態にある子と非常によく似た時期を経た子が、

その数カ月後、1年後、数年後には、

どのように成長していったのか目にしたことがある」という点で培った勘のような

ものですが、それは、子どもの言動に途方に暮れている親御さんが感じたり考えたり

判断したりしている内容と、かなりずれがあります。

 

子どもの問題行動がエスカレートしている時、たいていの方は、

「叱りすぎているのでは」「これまでの接し方が間違っていたのでは」と

親の自分にその原因があるのではないかと悩んでいます。

でも実際にそうした子とじっくり付き合ってみると、子どもの気質の側に因があって、

親の叱り過ぎや接する際の悩みを引き出しているように見えるのです。

 

周囲を疲労困憊させるほど困らせる子には、

発達に偏りのある子もごく一般的なもあるでしょうが、

どちらにしろ、際だって魅力的な面を持っている場合がほとんどです。

知能がとても高かったり、美的な感性が優れていたり、好奇心が強く科学への関心が

強かったり、エネルギッシュで粘りがあったりするのです。

繊細で優しい気持ちを持っていたり、

きちんとしよう完璧であろうがんばろうという気持ちが人一倍強かったりする子も

多いです。

 
コメント (1)

感情が優れている子 と お勉強  つづき

2016-04-28 19:47:05 | 子どもの個性と学習タイプ

通い始めた塾で

「算数がとてもよくできる子」という評価を得るようになった●ちゃんは、

自分で考えて解こうとする意気込みも、私の解説を聞いて学ぼうとする熱意も

これまで見たことがないほど強いものになりました。

 

何でも虹色教室で習ったことが塾のテストで出て高得点が取れたのだそうです。

「◇さん(私を●ちゃんはこう呼びます)のおかげで、すごくいい点が取れました」と、

自分の努力や能力より先に、こちらを持ちあげるような言葉が小学生の口から

無意識に出てくるあたりが、感情型の子だな~としみじみ感じます。

 

●ちゃんは、これまでずっと勉強を嫌がりはしないけれど、それ自体を楽しむような

考えることを愛するようなところは薄いように見える子でした。

それで、これまで●ちゃんのモチベーションとなっていたのは

虹色教室のアットホームな雰囲気やそこでいっしょに過ごすお友だちとの交流や

家族や学校の先生に対する義務感のようなものでした。

 

それが、通い始めた塾で周囲から一目置かれていることや、

高い評価を受けたことなどは、これまで見たことがないほど

●ちゃんの気持ちを高揚させ、努力に向かわせる動機となるようでした。

内向的感情型と思われるうちの娘もこうした人との関わりから得る動機が、

勉強のモチベーションにつながる子です。

この●ちゃんの快挙を知った○ちゃんは、自分も塾に通いたいと言い出しました。

○ちゃんも虹色教室に通い始めた当初は算数が苦手な子で、

簡単な計算ルールを理解するのに、他の子の何倍もかかっていたのですが、

次第に算数が好きになり最近では受験向けの凝った問題も解けるようになった子です。

すると、●ちゃんはすかさず、

「ここで(虹色教室)で問題が全部解けるようになってから、

塾に入った方が絶対いいよ。そうしたら、最初から一番になれるし、

塾で習うときにどれも簡単なんだから」と○ちゃんに言って諭していました。

そういうことを私に媚びようとしているのでなく

自然に内側から溢れてくるように言うところは、直観や思考や感覚タイプの子では

まず考えられないけれど、感情タイプの子たちはよくあります。

「お母さんのおかげで……お父さんのおかげで……先生のおかげで……」といった考えが

自然と浮かぶようなのです。

ある対象に「好き」か「嫌い」かで評価を下すのは「感情」の仕事です。

あらゆる知識をインプットしてある高性能のロボットも、人間のように

何かに対して自分がそれを「好き」か「嫌い」か評価する力はないはずです。

「感情」というのは意外な感じがするのですが、理性の法則によって与えられる

合理的な機能なのだそうです。

これも意外なのですが、裁判官による法律の適用は感情の働きなのだとか。

裁判って、よく考えてみると確かに科学的な判断で裁くわけじゃないですね。

難しい人間の問題を評価し、人間の関心事を公平に扱うためのものですから。

 

感情タイプは、外向的感情タイプと内向的感情タイプに分けられます。

『ユングのタイプ論』 (M.L.フォン・フランツ J.ヒルマン 創元社)に

書かれている説明を私流に易しい言葉に変えて簡単に説明させてくださいね。

 

外向的感情タイプは、

外の世界や感覚を通して知ることができるいろいろなものを評価したり、

それと適切な関係を結んだりして適応していきます。

すぐに友だちを作り、相手の良いところも悪いところも的確に把握しつつ、

うまくつきあいます。要領よく生きて、自分が欲しいものは相手の人が自分から

差し出してくれるように仕向けることができます。

フォン・フランツによると、外向的感情タイプが毛嫌いするのは

哲学的原理や抽象概念や生にまつわる根本的問題に関する思考といった内向的思考です。

 

内向的感情タイプも、感情機能を用いて生活に順応するけれど、

「内向的」という点で少し違います。

内向的感情タイプは、「これこそ本物だ」と自分が感じるもの、

本当に重要な要素が何かを内的に見て取ります。

内向的すぎて黙っているのに、

内向的感情タイプの倫理的価値基準があまりにも正しいため、

周囲の人は知らないうちにこのタイプの価値基準にそうように振舞っていることが

あるそうです。内向的感情タイプの考える上での弱点は、

「数少ない概念で、無数の資料の中をせわしなく動き回る」ことで、

それが強みとなったときには、「簡明で明晰でわかりやすい」という良い面とも

なります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 感情タイプというのは、感情的に振舞う人とはずいぶん異なります。場所に応じて

タイミングよく適切な感情で振舞える人なんですね。

 

といっても、

F.G.ウィックスによると、感情タイプの子どもを精神的に追い詰めると、

感情タイプの良い面が正反対の困った面に反転するようです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

感情が抑圧され、無意識的になると、明らかに反対の質を帯びる。

抑圧された愛は、わけのわからない憎しみになり、未分化な情動としてうっ積する。

この抑圧された感情が暴発すると、子どもは残酷になり「感情のない小暴君」になる。

自然にあらわれるはずの生来の感情だから、その力は思考やその他の劣等機能に

逃げ込むこともできない。自分にはできない知的なことで、

他の子が愛や賞賛を受けるのを見たり、無理に

頭で考えさせられたり、問題の解決に直観を使うこともできないまま、

ただ本来の豊かな感情が無視され、求められない場合には、子どもは劣等感をつのらせ、

無力感や怒りが残酷な行為にはけ口を見出す。

(『子ども時代の内的世界』 F.G.ウィックス 海鳴社 より)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

感情タイプの子に学習させるとき、このタイプの子の美点を正しく理解して尊ぶことと、

十分な愛情をかけること、

それから心地いい学習環境を作りながら根気よく付き合っていくことが

他のどのタイプよりも必要だと感じています。

コメント