虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「ビジネスで一番、大切なこと」 と 関西人ファミリー 4

2011-02-28 23:39:34 | 日々思うこと 雑感
京都で3月1日から日本最大級の鉄道ジオラマを見ることができるそうです♪実際に機関車の運転席に座って走らせることもできるそうですよ。
教室の子たちと、ぜひ行ってみたいです。


『ビジネスで一番、大切なこと』にこんなこんな一文がありました。
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人間の行動は複雑だ。学問に携わることは、真実の追究に携わることだが、私が研究の過程で学んだのは、

人間の行動に関して言えば、真実はとらえどころがないということだった。人は馴染みのあるものを求める。
いや、ときには変化を求める。人は進歩を切望する。しかし、過去を懐かしむこともある。人はもっと多くを望む。いや、実際には少ない状態を望んでいることもある。
(略)
私もまさにハンターと一緒で、消費行動の実情やその原因について見極められたと思ったとたん、論破できない何か、私の出したそれほど厳密ではない結論に穴を開ける、新鮮な視点が現われるように感じる。
研究に没頭すればするほど、私はすべてに関して断定的にはなれない自分に気づいている。

   『ビジネスで一番、大切なこと』ヤンミ・ムン ダイヤモンド社

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「ビジネス」と「教育や子育て]には、共通点があります。
それは「相手が人間だ」ということです。

その共通点ゆえに、ハーバード大で ビジネスのことを語るヤンミ・ムンの言葉は、
自宅でくつろぎながら教育と子育てについて考えている私の心をも
大きく揺さぶります。
「そう、そう!そこが問題の核心なのよ……!」と。


ブログで教え方や接し方の < how to >を紹介しても、
「同じようにやってみるのですが、奈緒美先生のようにうまくいきません」
という声をいただくことがあるのです。

「ほら、してごらん」と魅力的な演出をしても、
笛吹けど踊らず……で終わるのは、
子どもを相手にするときのお約束。

子どもから強い意欲を引き出すには、熱血先生を装うより、

「ちょっとやらせてよ」と懇願されても
「子どもには無理じゃ。あっち行っとれ」と言いつつ、
大人の作業も手伝わせるような

……田舎のおじいちゃん風の態度の方が上手くいくものです。

友だちに自分の仕事のペンキ塗りを押し付けておきながら、
まんまとみつぎ物までもらった
トムソーヤの話は有名ですよね。

人間相手ですから、相手からやる気を引き出すのに、
必ずしも「やる気を出せ!」「がんばれ!」ってエールを送る正等な方法がうまくいくわけじゃなくて、

「えーやりたいの? やめといたら?」なんて変化球が、
「勉強したい~やらせてよ、お願い!」と懇願させる結果につながったりするのです。

そこには、こうすればこうなるというマニュアルは存在しません。

虹色教室の帰り際に、
子どもが「このぬいぐるみ持って帰りたい~」と ぐずる
とき、親御さんが真剣な表情でする
「これは先生とみんなの物でしょう? 他人のものを欲しがったりしたら……」なんてお説教は、
たちまち子どもを反抗的な困ったちゃんに変えてしまいます。

けれども、「そう、このぬいぐるみが気にいったのね。遊んで楽しかったのね。ありがとうね」と子どもに共感してから、
「じゃ、ぬいぐるみをしまっておくわね」
と言うと、ニコニコしながら素直に返すだけじゃなく、後片付けまで手伝ってくれるというおまけがついてきたりするのです。

言葉ひとつ、態度ひとつで、
雲泥の差が生じるのが、「相手が人間」ということでもあるのです。


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人間を相手にするときの感性というか、
ビジネスの舞台で、他人のニーズを感じ取って 適切に対応する能力という面で、
私は 娘にはかなわないな……という思いがあって、

「この娘は社会に出て、何度も頭を打っていろんな経験をした後で、
最後には自分で起業してやっていくんだろうな~」
などと考えています。

「ハイタッチ」(共感力、人間関係の機敏を感じ取る能力、自分の喜びを見つけ、他の人々が喜びを見つける手助けをする能力、日常的な出来事にも目的や意義を追求する能力)という面で
どこまでも極めて、それを新しいビジネスのスタイルへと昇華しようと思えば、
誰かのもとでマニュアルに縛られながら働くより、
規模は小さくとも自分の判断力と気づきが生かせる仕事が合っているでしょうから。


息子の場合、将来、仕事にしたいと考えている
ゲームクリエイター
(息子の考えるこれからのゲームクリエイター像は、
既存のものとはずいぶん異なるようですが……)
としての働き方を思うとき、
作品を介しての人との関わり方について、
いつも真剣に考えている模様です。

ある時、息子がこんなことをつぶやきました。

「今、IT産業の世界は、
こんな物が作りたいと思いついた時点で、
もうすでに誰かが作っているか、同じようにひらめいて制作に入ってる人がいるような状態でさ……
いずれ飽和状態が来て、新しい良いものができても、
人がそれを求めなくなるような時期が来るのは近いと思う。

それと作品の質より何より、
ネットの世界ならではの難題にどう向き合うかで、成功 不成功 が決まってくる面があるから、
作ることだけ考えていたらいいってわけじゃないんだ」

「どういう意味?」とたずねると、
次のような答えが返ってきました。

「たとえば、違法ダウンロードへの対策でさ、
ゲームを売り出すときに、プロテクトをかけるとか、コピーガードをかけるとかどんなに厳重にしても、守りを固めるだけじゃ逆効果なんだ。

遊び感覚でそれを破りたがるハッカーはどこにでもいるし、
一番の問題は、売れないことんだ。
だって、厳重にプロテクトをかけているゲームは、
しょっちゅう誤作動を起すし、そうなると正規ルートで買ったのに盗人扱いされているようでいい気がしないからね。

だって今は、フリーでいくらでもゲームができる時代だよ。

お客さんにすれば、無料で遊んでいるときですら、遊んでやっている!
って構えがあるのに、有料でそんなことされたんじゃ、
とうてい有名にはなれないよ。
考えてもみてよ。道端にタダのゲームがごろごろ転がっているんだよ。」

「だからって手放しで違法ダウンロードさせ放題ってわけにはいかないでしょう? それを回避する方法はあるの?」

「本当に難しい問題だけど……意外だけど、
人の『善意』が唯一の解決法だったりもするんじゃない?

ゲーム会社の中には、コピーガードをつけないって、
ある年度以来、つらぬいているところもあるんだ。
そうした姿勢が、企業としてお客から愛されているから、それが成り立っているところがあるんだ。

ゲーム業界と同じように、音楽業界も、無料で手に入るものに金なんか払っていられるかって客側の思いが、制作の場を荒らしてるんだろうけど……。

それでも、売れているバンドは、
客から、あの人にならお金を払いたい……って気持ちを引き出すようなファンサービスがあって、
客の側も無料でもいいところをわざわざお金を払うんだよ。

価格競争の時代じゃないんだ。
だって、値段=品質 という捉え方はもう古いからさ。

明和電気の「なこーど」ってあるじゃん。
電気のコードにしては高い買い物だけど、
ああいう物が売れたのも、
商品の背後に見える人に対する愛着というか……
この人の商品は買ってあげたいという人の善意が刺激された面があると思うよ。

だって、人間として生きていくのに必要でない物は、買わないという選択肢があるんだから。」

「人の善意がカギを握っているって、先が見えない気がするけれど……」
と私が言うと、
息子からはこんな返事が返ってきました。

「そうだよね。確かにその通りだけど……。

でもさ、違法ダウンロードを取り締まるのは難しいしいのって、
人間は犯罪に流れやすい傾向があるからだろうけど、

同時に人は善意にも流れやすいと思うんだよ。

今は思いやりがあっても、思いやりが出しにくい時代で、
共通の敵を作ってみんなで攻撃して団結力を確かめるようなことを
よくしているけれど……

そうした集団のフィルーターがかかってないところでは、
ひとりひとりは、こういう時に善意が引き出されてくるってものを
持ってると思うんだ。

ぼくなら、これまでこのアイデアはなかったなって驚きと、
品質への安心感と制作者が見えて良い感情を持てたなら……
お金を払ってもいい気になるんだ。」

「そうね。お母さんが物を買う動機も……ほとんど本だけどね。
出版業界への愛情とか、
特に店頭販売している本屋が生き残って欲しいって思いがあるわ。
ネットの方が安く買えても、
わざわざ損を覚悟で大量の本を取り揃えているようなサービスをしている本屋で買うもの。

でも、そうした善意は、どうしても
一部のマニアックな思い入れを抱いている人に限られるんじゃないかしら。

それにしても、そんな現状じゃ、ITの世界で働いていくのも大変そうね」

「うん。近い将来、飽和状態が来るのは覚悟しているけど。
エンターテイメントの世界では、ネットの世界が進みすぎて、もうネットだけじゃ、つまらないって人も増えてきているから、
これからはネットでつながった後で、
実際、出会って何か創造的な時間を過すといった
使われ方も増えてくると思うんだ。

もちろん、そこに侵入してくる出会い系の問題には悩まされるだろうけどね。
『IT』プラス『リアルなおにごっこ』といった
実体験とネット世界がつながった物が出てきているけど、そういったものも進化するんだろうな。

ぼくが、制作に関わりたいと思っているのは、
そうしたITの新しい可能性を広げる分野なんだ。
自分のやりたいことをどう収益につなげるか、難しい課題だけど、ずっと考えていってるよ」

息子の話を聞いて、「ネットの世界とはいえ、機械の向こうにいるのは人間なんだなぁ~。
人を相手にするのは、難しくて面白い……。
ITの世界で仕事をしていくといったって、おにごっこして楽しかった~という子ども時代の実体験が役立ってくるんだな~」
そうしみじみ感じました。





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キャンプファイヤー と 心の中の話

2011-02-28 20:15:46 | 日々思うこと 雑感

4歳の女の子ふたり、★ちゃん、☆ちゃん。
キャンプがしたいというので、段ボールで天窓つきのテントを作りました。
バーベキューもしましたよ。



★ちゃんが、このどでかいテントを持って帰りたいというので、

「★ちゃんのお母さんは、
こんな大きいもの持って帰りたくないというと思うよ」
と説得するものの聞き入れません。

そこで、「★ちゃん、★ちゃんの心の中と、先生の心の中はいっしょだと思う?」とたずねてみました。

「うん」とうなずきます。

「それなら、今、先生は、はやくテントを作らなきゃ、でも疲れちゃったなって思っているけど……」と言うと、
すかさず★ちゃんは、
「私もいっしょ、はやくはやくテント作らなきゃ、でもぅ、疲れたって思ってる」と言いました。

「先生は、このテントはでっかいな。こんなの車に乗らないよって思っているけど、★ちゃんはそう思っているの?」

「いっしょ、いっしょ」と★ちゃん。「でも、車に乗るもん。乗らないと思ってるけど、思ってるけど~乗ると思う」

「そう。それなら、★ちゃんと★ちゃんのお母さんの心の中はいっしょかな?
同じことを考えているのかな?」とたずねると、
「うーん」と自信なげに考えてから、「たぶん、いっしょ」と言い切りました。

「★ちゃんは、このテントを持って帰りたいのよね。お母さんは、このテントを持って帰りたいと思うかな?」
「うーん」とまたもや悩みつつ、「たぶん、いっしょと思う」と言いつつ、かなり自信がない様子……。

4歳くらいになると、少しずつ他人が考えていることと自分が考えていることが違うことがわかりだすのですが、
まだ あいまいなところもあって面白いです。真剣に悩んでいますから。

もうひとつこんな面白い会話が……。教室のセキセイインコを見ている★ちゃん、☆ちゃんに、私がこう言いました。

「ラブちゃんがね、あれ、おかしいな。
あの子たちは人間にしては小さいな。
人間の仲間かな? 鳥の仲間かな?
って考えているよ」

すると、ふたりに大受け。ゲラゲラ笑い転げます。

それだけ笑っている割に、
「★ちゃんと、☆ちゃんは、人間の仲間? 鳥の仲間? どっち?」とたずねると、かなり悩んでいます。
そして、自信なげに「人間の仲間かなぁ?」という★ちゃん。
「なら、私は鳥の仲間にしておく」という☆ちゃん。



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子どものわがまま過ぎる要求にどうこたえたらいいですか?

2011-02-28 13:41:30 | 幼児教育の基本

3、4歳の子のわがまますぎる要求にどう対応したらよいのか、
困っている親御さんによくお会いします。

さまざまなおもちゃがあるのに、
わざわざそこにないおもちゃを欲しがって泣き喚く、
お友だちのもおもちゃを全て独占してしまう、
椅子をたおす、おもちゃを投げるといった、乱暴な行為が目立つ、
弟や妹をたたいていじめるなど……

こうした目に余るわがままな姿を見ると、
子どもを厳しく叱ったり、にらみつけたり、子どもがかわいく思えなくなったりして、子育てにさまざまな迷いが生じてくることと思います。

わがままな子には、厳しく叱れば良い。

何でも受け入れてあげれば良い。叱らずしつけると良い。

飴と鞭でしつけていくと良い。

こういうときには、こういう対応。こんな場合は、こうすれば良い。

など~さまざまな意見がありますよね。

そうした意見は意見でどれも一理ありますが、
やはり子どもはそれぞれ個性的ですし、置かれている環境も違いますから、
「こうした場合は、こう対応」というマニュアル通りにてうまくいくようには思えません。

私自身は、子どもの問題行動が気にかかるときは、
それを子どもからの「ひとつのサイン」として受け取って、

その問題に対する
「叱る、注意する」といったその場限りの対応を超えた

もう少し「積極的な対応」をするように親御さんに勧めています。

たとえば、赤ちゃんの妹や弟をたたく子には、
「たたいちゃダメ」と叱るというレベルの対応ではなく、

上の子の寂しさや嫉妬心を感じ取って、
毎日、上の子だけを、ひとりだけでかわいがってあげる時間を取ったり、
家に上の子の友だちをできるだけ呼んであげて楽しい時間を増やしてあげたり、
言葉で上の子をかわいく感じていることを伝えたりするという

「積極的な対応」です。

もちろん、悪いことをすれば、善悪を教えるために、叱ることは大事なのです。

でも、叱ることは、親の気持ちを不安定にし、子どもとの関係が悪化していく引き金にもなりがちです。

悪いと思われることを繰り返さずにはいられない行動のもとを
できるだけ正確に察して
「積極的に対応」すると、親子ともに気持ち良く、物事が改善していくことは多いです。

3歳児のグループレッスン(前回の子たちとは別のグループです)
中、こんなことがありました。
☆ちゃんだけがいつも他の子の欲しがるおもちゃを独占して、
次々遊びを変え、
ここにないものを欲しがって大騒ぎしていました。

3歳児さんのグループですから、
ひとり甘えて私のひざに乗ってくる子がいると、他の子も負けじとひざに座ってきて
「先生~先生~」と自分の要求を次々口にします。
それでも、そうして甘えてくる子たちは無茶は言いません。かなえてもらえそうな要求を口にしているのです。すぐに対応してもらえなくても、いずれ自分の望みは聞いてもらえると感じているので、のんびりしています。

それが☆ちゃんだけは、イライラしはじめると、
大人に肩や髪の毛を触れられただけでも過敏になって暴れだし、
かなえることができないような要求ばかり出して
まるで大人の怒りを引き出すことだけを目的に、
ごねているように見えるのです。

こうしたとき、現状だけの判断で、この場合は叱る、この場合はこういう罰という対応をすると、根本的な解決法を逃してしまうように感じます。

☆ちゃんを見ていると、疲れた~お友だちのできることができない~といった
思い通りにいかない場面にぶつかって
負の感情が湧いてくるとき、

他の子のように大人を頼って、甘えて、
イライラや悲しみを解消したり
自分の感情を癒したりする術が絶たれているのです。

また、無茶な要求の裏に見え隠れするのは、
小さな要求を十分にかなえてもらったという体験の少なさです。
といって、☆ちゃんの親御さんが、子どもの要求を聞いてあげていないというわけではないのです。

とにかく子どもは個性的です。
要求が多い子もいれば、要求をうまく出せない子もいます。
また親御さんだって個性がありますから、気づきやすいこと、気づきにくいことがあって、
大きな要求をかなえることに悩んで、
小さな要求に気づいていない場合もあります。

ささいな要求が大人の都合で通らないことが多いと、
どれくらいの要求なら大人は快く聞いてくれて
どれはだめなのか
把握できません。
ストレスがたまって、自分でもコントロールできないような
爆発にむすびつきます。

ですから、こうした子どもが無理難題を突きつけてくる、
無茶な要求が多いという場合、

叱る、無視する、といったその場限りの対応でなく

「積極的な対応」をして、
子どもの気持ちを満たす「小さな要求」には、
毎回きちんと応えてあげるように
つとめると、わがままがどんどん減っていくことがよくあります。

また、感覚過敏と見える態度が
発達障害に寄るものか、
上手に甘えが表現できない親子関係に寄るものか見極めて、

どっちにしろ、フォーカスする部分を
子どもの問題行動から、
大人を信頼して甘えることができているかどうかに移すようにすると、
問題は劇的に解決しはじめます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
子どもが無理難題を突きつけてくる、
無茶な要求が多いという場合、

叱る、無視する、といったその場限りの対応でなく

「積極的な対応」をして、
子どもの気持ちを満たす「小さな要求」には、
毎回きちんと応えてあげるように
つとめると、わがままがどんどん減っていくことがよくあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
と書いた部分に、

「小さな要求」をかなえるって、具体的にはどのようなことをすればいいのですか。

という質問をいただきました。
大人、子ども関わらず、いつも自分の気持ちや要求がないがしろにされていると、あるとき我慢の限界が来て、
常にイライラした態度になったり、激しく攻撃的な態度になったりしますよね。
日ごろ、気持ちが満たされている子は、
気持ちが急変したり、無理な要求を通そうとして泣き喚くことは少ないです。
(反抗期、真っ最中の子と、発達障害によって何かの原因がある場合は別です)

「小さな要求」というのは、「お菓子ちょうだい」と言われて、おやつ以外の時間にあげるとか、
金額の安いものなら「あれ買って」と言われたら買ってあげるというたぐいのものではありません。

たとえば、子どもが大人からすると間違ったことを言ってごねているとき、
「それはちがう」とか「こうよ」とか言って
すぐにダメ出しをするのではなくて、
子どもの発言を言葉のままきちんと受け止めてあげるといったことです。

子どもは自分がいつも間違ってばかりいる悪い子になりたいのではなくて、
(親に指摘されると、そう信じ込んで、悪い自分しか表現できなくなるので)

今も良い子で、
これからもっと良い子になるために大人の意見も受け入れる
という形で、感情の嵐をおさめたいのです。

負の感情がたまっているときは、それに呑まれて
不安定になっていますから、大人に認められて、感情がおさまるのを待ってもらって、抱っこして安心させてもらいたいのです。

そうした子どもにとって正等で「小さな要求」をきちんとかなえてあげていると、
わがままを言い続けなくても、
安心して自分自身とつきあっていけると感じて
反抗期を終えて、成長するにつれて、
笑顔が多くなり、素直で優しい態度が育ってくるのです。

ただ何度も書いていますが、子どもは個性的です。
マニュアル通り
ああすれば、こうすればうまくいく~という具合にはいきませんよね。
「小さな要求」って言葉が微妙にわかりずらいですよね。

子どもがあれこれ言ってくるとき、親にすれば、「今はダメ」
「それは今度にして」「まだ無理」と否定的な言葉で返してしまうのですが、
「~~がしたいんだね」と要求が何であれ
とりあえずきちんと聞いてもらうだけで、
半分くらいは要求がかなったのと同じ気持ちになって
落ち着くときがあります。

抱っこしたり、褒めたり、喜び合ったりすることも、
子どもの心を満たしますよね。
できそうもないことをやりたがるとき、少しだけやらせてあげるか、
きちっと見本を見せてあげるのも、
子どもは自分の要求が満たされたと感じます。

セロテープを使う、えんぴつをけずる
といったことを子どもはやりたがってぐずぐず言うときには、
「あぶない」「できないよ」と決め付けず、

「テープ台をしっかりおさえて~
ここが危ない所だから、よーく見て、
テープを引っ張って、少しななめにしてピッと取る」

「えんぴつけずりの背中のところをしっかり手でおさえてね。
ここの間に手を挟むとあぶないよ。
気をつけて、ハンドルをぐるぐるまわす」

といった具合に、ひとつひとつの動作のポイントと、
危ない部分を説明しておくと、
子どもは真剣な表情で取り組むし、
気持ちが満たされてきます。

生活のさまざまな場面で、十分気持ちを満たしてあげると、
無理な要求はだんだん減ってきます。
子どもの要求って基本的にはかわいいもので、
その都度、気持ちが満たされるように対応したとしても、それほど時間も手間も取られないものです。
とてもエネルギーがある子の場合でも、一時期振り回されたとしても、それにどっぷりつきあっていれば、
いつの間にか、自発的で、がんばりやで意欲的な子に変身していることも多いです。

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「ビジネスで一番、大切なこと」 と 関西人ファミリー 3

2011-02-28 07:14:18 | 日々思うこと 雑感
(できるだけ今日中に、幼児教育の記事もアップしますね)

久しぶりの息子の登校日。
朝食の準備をしながら 音楽を聴いていると、
起きてきた息子が、
あれっという表情で私が聴いているソニーのCDウォークマンを見て
「買ったの?」とたずねました。
「そうなのよ。この間 買ったCDラジカセ、1ヶ月もしないうちに壊れちゃったのよ。交換に行かなくちゃならないんだけど、出先で買ったものだからめんどうなの。
それでちょうど小さいのも欲しかったから、近所(電気店)で買ってきたのよ。

CDラジカセね……これまで音楽系のものは
神経質に国産品にこだわってんだけど、
外から見たら完璧に見えたもんだから、
聞いたことがない海外のメーカーの機械だったけど、
つい気が緩んで買っちゃったのよ。
そしたら、たちまち壊れるんだもの……」

すると、CDウォークマンについている
小さなリモコンを面白そうに眺めていた息子が、
「やっぱり日本製のものって、このちっちゃい部品の部分まで完璧ってすごさがあるよなぁ。」とつぶやきました。

「ぼくはさ、こういうさぁ、もっと日本人の職人気質のワザのすごさみたいなものが見直されてもいいと思ってるんだ。
最近は、グローバル化って言葉がもてはやされるから、
アイデアとかポジティブさとかが上で、
これまで職人的に積み上げてきたワザ的なものは下みたいに捉えられているところがあるじゃん。
もちろん、ぼくも努力努力……
そればかりを強調する言葉は好きじゃないんだ。

でも、アイデアとかポジティブさとか人間関係上の能力と、
単に努力するってことの間に、そのどちらでもない日本が大事にしてきたことってあるよね。
日本の良さって、職人レベルのすごいワザが、庶民層にあるってことだと思うんだ。
日本の場合、この技術すごいなぁって感動するような
技術とクオリティーではブランド名にできるくらいの中小企業がたくさんあるよ。
以前、日本で子どもがブランド物持つのはおかしいって叩く人々がいた
けど、そういう意見が出るのって、
ブランド物じゃなくても、
日本の品物は品質が保証されているからっているのが
前提にあると思うんだ。

海外だったら、お母さんが買ったCDラジカセみたいなの
しょっちゅうつかまされて、
ブランド物を買わないと損をするかもしれないって不安があるよね。
子どもだって。

お姉ちゃんが買った海外物のカバンも、
すぐに留め金が壊れてひどかったじゃん。

確かに、これからの世の中は、そうした職人的技術だけで乗り越えていくのは難しいのかもしれないけど、
今は軽視しすぎている気がするよ」

「お母さんは、アイデアとかコミュニケーションとか、販売の新しい形とかを開拓していける人と、そうした職人的な日本が築いてきたものを仲介する人……つまり橋渡しをする人が、もっと必要だと感じているの」
と私が答えると、
息子から次のような答えが返ってきました。

「そうだよね。ただ、ぼくが思っているのは、もう少し別のことで……
ほら、お母さんがしている仕事にしたって、アイデア勝負で自由にしているようで、
職人的なものが基本のところにあるじゃん。
中身の質の面で、かなり積み上げてきているというか……。
たとえば桜井章一さんなんか、
麻雀なんだけど、運や発想だけではない、職人的なワザを守ってきている人だと思うんだよ。

今は、アイデアだけ運だけで成功したとしても、お金さえ手にしていたら、
みんなで褒め称える風潮があるけど、
そこに職人的な積み上げて築いていく確かなクオリティーがないまま突き進んでいくのはしんどいと思うよ。
それは職人的な人を下請けにしていけばうまくいくもんでもないと思う。

日本人の職人気質のよさって、海外の職人さんに比べると謙虚なところじゃないかと思うんだ。
海外の場合、職人気質がきつくて、時計職人は時計しかつくらないみたいなプライドに固執することがよくあるようだけど、
日本の場合、質も極めるけど、他業種の物も模倣してていねいに作るってこともするよね。
これからは、新しい世界の動きを取り入れつつ、
そういう日本の職人気質の良い面が生かせるような
仕事のあり方を、大きな視野から眺めなおして作っていかなきゃならないんだと思うよ。」

高校生くらいの子から見える社会は、そんな風に映っているのか……と
私も考え込んでしまいました。

次回に続きます。

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お祭り と 算数

2011-02-27 19:57:37 | 日々思うこと 雑感
4歳の女の子たちのグループレッスンです。

わたがし    コイン2枚
ヨーヨー    コイン2枚
金魚      コイン1枚
たこやき    コイン3枚

交換のルールを見ながら、お祭りごっこ。

7枚のコインを残らず使いきる場合、どれとどれとどれを買えるかな?

交換する前に何と何が買えそうか計画を立てます。
ちょっと難しかったので、お友だちと協力しながらできました。


 
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「ビジネスで一番、大切なこと」 と 関西人ファミリー 2

2011-02-27 08:54:37 | 日々思うこと 雑感

マイブームで……興味の赴くままにビジネス書を読み漁っていて感じるのは、

企業に向けて突きつけられている課題は、

一個人の……

私やうちの家族のメンバーひとりひとりのアイデンティティーを揺さぶるような内容

でもあるんだな~という事実。

 

「グローバル化」なんて言葉も、大きな企業の中でだけ語られる言葉じゃなくて、

うちの教室の幼稚園児にしたって、日々、「グローバル化」する世界でどう生きるかという課題を受け止めて暮らしているんですよね。

テレビ画面には遠い国の紛争や地震の映像が流れ、

子ども部屋には、世界のどこの国で作られたのかわからない物があふれているような

環境で生活しているのですから。

 

 

『ビジネスで一番、大切なこと』に、著者のヤンミ・ムンが、

子どもの頃、ある教師に感じた「いらだち」と、

大人になった今その教師に抱いている「共感」について語っていました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

子どもの頃、ヤンミ・ムンは

知性を何より尊ぶ ある根っからの教育者である先生に出会いました。

「知性とは何ですか」とたずねると、

「知性とは、赤ちゃんの最初の言葉よ」

「知性とは、三人兄弟が手をつなぐこと」と、子どもたちが混乱するような答えを返します。

 

その答えは的外れでいらだたしくもありました。

なぜなら、それはIQテストでよい成績を取るとか、

向上心の的になるような、はっきりした行動を導いてはくれなかったからです。

 

でも大人になったヤンミ・ムンは

自分をいらだたせたその先生が、一度もそういう答えをくれなかったことを感謝するようになりました。

 

知性や資質、成果、美しさといった理想については、

具体的で測定可能で、誰もが納得する定義があると、つい安心感を覚えてそれ以上、深く考えようとしなくなるものですから。

先生はきっとそのことを理解していたのだろうと思ったからです。

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わかりやすい定義がなければ、私たちは混乱する。

居心地のよい場所から一歩踏み出すときには、誰しも不安を感じるものだ。

しかし、長い目で見れば悪いことではない。

とりわけ目的が従順な模倣者の一群を生み出すことではなく、

多様な自発的思考を促すことにあるのであれば。

あなたが教師なら、まず、学生の能力を推定し、抽象的に表現することをやめよう。

学生たちにモノサシという権威に頼らずに

他から抜きん出ることの意味を考えさせよう。やがてあなたは、学生たちが創り出す成果に

目を見張るだろう。

学生たち自身も驚くに違いない。

           『ビジネスで一番、大切なこと』ヤンミ・ムン  ダイヤモンド社

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虹色教室で過ごす時間の多くは、子どもたちの自己判断に任しているのですが、

私自身にとっても、何を教え どんな風に教えるかという面で外からの制約はほとんどなくて

自由そのものです。

そこは小さくてアットホームな教室の利点で、

それぞれの子が自分の内側にかけがえのない価値を見出し、最初は不器用だけど、しまいには驚くほど流暢に自分の得意分野を伸ばしていく姿を見守ることができます。

私は、どの子も同じ基準で計測できる鋳型を使いません。それぞれが挑戦するレベルが高い課題は用意するけど、それを比べる道具として利用していないのです。

そうすると、どの子もそれぞれが特別にすばらしいことが、

子ども自身にも親にも受け入れられていきます。

本当に子どもはどの子も個性的ですばらしいですから。

その「すばらしさ」に自分で気づくように手助けするのが、

大人の役目だと思って仕事をしています。

 

ヤンミ・ムンも、「画一的な測定法は、逸脱者や異端児、冒険家が生まれなくなる」と指摘しています。

人は相違点を可視化すると、互いの違いを際立たせるのではなく、無意識に解消しようとするのだそうです。

競争力を測るという前向きな努力が、結果的に均質化を促すムチとなるのです。

評価は、個性のない似たり寄ったりの人間を育て、独創性を奪い、議論を精彩を欠いたものに変えてしまうそうです。

 

もちろん評価や画一的な測定法が必要な場もあるはずです。学校などもそうでしょう。

でも、そうしたものは親も子も「成績」教信者にしてしまうほど、

力を持ってはいけないはずです。

 

なぜなら、測定するということは、ある何かを重視しようと選んだに過ぎず、

それ以外のものを測定していないからです。

必ずしも重要なものから測定しているわけでなく、

非常に価値があるものでも、測定者に高い能力が必要だったり、数値にしにくかったりすれば

測らないのですから。

 

 『ビジネスで一番、大切なこと』を読んでいると、

経済界を悩ましている矛盾が、教育の世界も同じように曇らせているのを感じます。

有名病院が死亡率の公表に同意すると、

死亡率を下げたくないから、重症患者を引き受けないということが起こります。

 

同じように教育の世界も、教師を評価し、

子どもを評価し、学校をランキングで比べるのにうつつを抜かしているうちに、

何が起こっているのでしょう?

私たちは大切な子どもたちを、

「市場にあふれかえる最新の性能を備えているにも関わらず、

選ぶ意欲を減退させる似たり寄ったりな商品」

のような立場に追い込んでいるのではないでしょうか。

 

先日、私が幼児の世界にまで画一的な評価が浸透して、個性がないがしろにされている状況を嘆くと、

息子からこんな言葉が返ってきました。

「さまざまなところで人を評価するシステムが進む一方で、

個性が大事、個性を伸ばすってこともよく言われるようになっているよね。

 

でも、無駄に個性を求めすぎて、『個性』と捉えられているものが、画一的になってきているんじゃないかな。

一般化されたくない、個性的でありたいと思うあまり、他人が言葉に詰まるような

ショッキングな趣味や好みを言いたがる人がいるじゃん。

でもそれもまた画一的な既存の個性のイメージに無理やり自分を当てはめている行為で、

結局、自分の好きなものが

自分でも認められていないように見えるんだよ。

つまり、個性を求めるあまり、自然に個性的であることを

自分にも他人にも認めていないように見えるんだ。

その原因のひとつに、言葉によって個性的であるよう

プレッシャーをかけられていることがあるんじゃないかな。

個性もまた画一的な見方を生む評価の対象になっている気がする。」

 

そういえば、さまざまな矛盾する言葉に翻弄されながら

成長していく子ども側の気持ちに思いや感じ方に馳せるのを忘れていました。

息子の言葉をゆっくりと咀嚼しました。

 

 

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「ビジネスで一番、大切なこと」 と 関西人ファミリー 1

2011-02-26 20:37:58 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

お正月にハーバード白熱教室という番組が放送されていました。

政治哲学などという やたら堅そうな授業の割に、ニュース・バラエティーかと思うような話題がどんどん飛び出して……かなり関西人のアンテナに引っかかる内容でした。

思わず家族中で見入ったあげく、番組終了後にああだこうだと長い議論になりました。

目ざとい娘は、その直後に、『これから正義の話をしよう』というその講義を書籍化したものを買ってきていました。

それ以来、ハーバード大学のユーモアと遊び心にすっかり感服している私。

本屋に行っても、ハーバードという言葉が目に付くと、取りあえず、中身をチェックするように……。

 

そんなわけで、ハーバード・ビジネススクールのヤンミ・ムン教授の

『ビジネスで一番、大切なこと』  (ヤンミ・ムン  ダイヤモンド社)を手にしたのですが、

人間味と笑いに満ちた内容に立ち読みがやめられなくて、

そのまま棚に戻さずに売り場に向かいました。

 

このところ、私がビジネスの本をよく手にするようになったのは、

娘、息子、ダンナと私……と家族全員が いつ何回話していても飽きない話題というのが、

このビジネス関連の話だからなのですが……

興味の範囲外の話でもビジネスがらみの

話には即、反応してしゃべり出すあたり……関西人(商売人?)の血が全員流れているんだなぁ~と感じています。

 

そのせいで、何のブログだかわからないような話題に、

幼児教育について学びにきた読者を無理やり引っ張り込んでいるのですが……

疲れたら遠慮なく読み飛ばしてくださいね……

 

話を 『ビジネスで一番、大切なこと』に戻すと、

私が一番共感したところは、著者の執筆スタイルに大きな影響を与えた本が、大学生の頃読んだ『ご冗談でしょう、ファイマンさん』 (岩波現代文庫)だということ。

日々の生活や教師としての経験、研究をめぐるとりとめもないエピソードの集まりが、

読み進むにつれて心に入り込み、本を閉じる頃には科学の真髄をたくみに語った物語だと確信するようになったそうです。

私も『ご冗談でしょう、ファイマンさん』 の大ファンなんですよ。

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研究者が物事の理解に貢献する方法は二種類ある。

一つはパワーポイント的アプローチ。

複雑な現象を取り上げ、そこから不要なものを取り除いて核心にたどり着く。

もう一つはその逆で、不要なものを取り除くのではなく、思いもよらない方向から

微妙なニュアンスをくみあげ、積み重ねていく。

これがファイマンのやり方だった。科学というテーマを日常生活に織り込み、

豊かさや味わい、深みを加える。

『ビジネスで一番、大切なこと』  (ヤンミ・ムン  ダイヤモンド社 )P6より

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私もブログで自分の思いを伝えるには、ファイマンのような方法でしたいと憧れています。

どんなにあがいても、パワーポイント的アプローチはできそうにないから……

ということもありますが。

 

この本は、どこか遠くのビジネスの話題ではなく、

私の足元や心に光を当てて、「私はどんな時代のどんな環境で暮らしているのか?」「私はどのように生きたいのか? 働きたいのか?」という思いを、

浮かび上がらせてくれる本でした。

興味深かったのは、「選択肢の増加イコール多様化、ではない。むしろ製品数が増えるにつれて、違いは小さくなっていく」という話題。

 

ジュースにしろ、洗剤にしろ、店の棚では、どんどん最新の品揃えが増え続けているわけですが、

ある段階に達すると、もはや愛好家さえ区別がつかなくなるのだそうです。

カテゴリーが成熟すると、購買頻度の最も高い消費者さえ

比べる努力をむなしく感じはじめるのです。

ささいな違いに注目する愛好家が減り、違いの意味に疑問を持つ顧客が増え始めるのだとか……。

この気持ちわかるんですよ。特にシャンプーを選ぶとき……新製品が出るほど、「よいのを選んで買おう!」と意欲がなくなって、適当に特価品をかごに放り込んじゃうんですが……。

 

ヤンミ・ムンは、

 

多くのカテゴリーで差別化が難しくなっているのは、私たちが本来の競争ではない

「競争」に入り込んでいるからだ。

 

と訴えていて、でも「例外もある」と続けています。

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例外的な企業の優勢は、世界が変わりつつあること、古い知恵が新しい知恵にとって変わられようとしていることの予兆である。

そこでは、神話を最初に手放したものが優位に立つ。

これらの異端児を調べれば、有益な教訓が見えてくる。

誰でも文章の書き方、絵の描き方、音楽の演奏法を学ぶことはできるが、

歴史に名を残した巨匠は常に、それぞれの分野の境界線を新たな方向へと広げてきた。

原則を十分に理解しているからこそ、それを打破しなければならないと知っている。彼らが教えてくれるのは、暗黙の前提がどれほどもろいか、である。

ビジネスも同じだ。雑魚の集団から抜け出し、消費者と純粋な絆を生み出せる傑出した企業は、残念なほど少ない。

しかし彼らは、私たちがとらわれているビジネスの原則なるものの限界を教えてくれる。

        『ビジネスで一番、大切なこと』 (ヤンミ・ムン  ダイヤモンド社) P29      

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食事時に、こういう話題がのぼると、家族全員、誰一人黙ってないのですよ。しゃべってしゃべって、しゃべりまくる……どれだけ関心があるのか……

こうした話がどこかの企業に向けられた話のように見えず、

うちのような平凡に暮らしている関西人の家族ひとりひとりに、

自分自身のこととしてリアルに響いてくるのも……そういう変化の時代に生きているからなんだな~と感じました。

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シングルフォーカス と  学習困難  人間関係

2011-02-26 13:03:55 | 子どもの個性と学習タイプ

昨晩は知人の誘いで、ネット上の読書会に参加させていただきました。

今回読んだ本は、

『ソーシャルブレインズ』 開一男 /長谷川寿一  東京大学出版社  でした。

ミラーニューロンの話等で盛り上がりました。 この本の話題はまたの機会に記事にさせていただきますね。

読書会といえば……こんなホームページを見つけました。

読書と読書会、そしてその周辺 reading-circle.com

こういうホームページを目にするたびに、ネットってほんとに便利だな~!と感じます。

それでは本題に……↓

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発達に気がかりがある子たちの学習を見ていると、

知的な面では問題がないのに、

『シングルフォーカス』

 (一度に一つのことしか目に入らない。同時に複数のことをこなせない。たくさんの情報の中の一部分に反応する。頭の切り替えが難しい)

という特性が原因で、勉強につまずいてしまうケースが多々あります。

教室に来てくれている小1の★くんは、学校では学習面でのつまずきや立ち歩きもないし、友だちとも遊べているので担任の先生からは何の問題も指摘されていません。

でも、親御さんの目から見ると こだわりが強すぎる点や

コミュニケーションがぎくしゃくしている点が気にかかる……ということで、

病院に連れて行ったところ、アスペルガー症候群の可能性を告げられたそうです。

知能テストの結果も凸凹が大きかったそうです。

この★くん、比を使った問題や大きなケタを扱う問題でも

直観的に理解して解いてしまう一方で、

気乗りしないと 易しい問題でも「できない」「やらない」の一点張りで取り組もうとしません。

その結果、できることとできないことの凸凹の差が、さらに広がってしまうのです。

 

★くんはシングルフォーカスに陥りやすく、頭を切り替えるのがとても苦手です。

パッと見た瞬間に、「嫌だ」と感じたものは、しっかり読めばわかるものでも、少しがまんすればすぐに終わる課題でも、

気持ちに折り合いをつけて 取りかかかったり、やり遂げたりすることができません。

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シングルフォーカスに陥って、大騒ぎしたり 集団の中で ひとりだけ好きなように振舞う子は、

「甘やかされて しつけをされていない ワガママな子」と

捉えられている場合がよくあります。

 

でも そうした行動が顕著な子は、

脳の特徴からそういう振る舞いになっている場合がほとんどです。

叱ったり、しつけを強化したりするだけでは、ちゃんとするどころか、

2次障害になってさらに困った行動を誘発するケースも……。

 

シングルフォーカスの特性は、次のようなものがあります。

 

★狭い細部に強く注目してしまう

★次の活動に切り替えられない

★全体の結びつきを理解しにくい

★聞くと書く 足と手 など同時にふたつのことを処理できない (不器用)

 

シングルフォーカスの特性が原因となっている学習困難って、

「こうすればうまくいく」という解決法がバシッとあるわけではありません。

それぞれの子が 異なる落とし穴から、「ヘルプ!ヘルプ!」と声にならないサインを出しているのを感受して、

その子が、自分で穴に落ちこんでいる事実に気づいたり、その穴から抜けだす方法を学んだり、ハンディーを軽減する別の方法を模索したりするのを

少しだけ手助けするくらいしかできないのです。

それでも 頭ごなしに押さえつけたり、無視して放置したりするのに比べて、適切な努力は

いつかは報われるものです。

シングルフォーカスの子への指導法は、来週中に続きを書きますね。

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シングルフォーカスの問題は勉強だけでなく

友だちとの関係が壊れる原因にもなりやすいです。

以前、お会いしたことがあるアスペルガー症候群の当事者の方(幽冥土さんという方です)が、人との間で起こりやすいシングルフォーカスによる揉め事の事例を教えてくださいました。

「シングルフォーカス」で周囲で起こっていることがわかりにくいAちゃんという小学生の子どもの話です。
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1+1=2は絶対に正しいことだから、それを唱えることが大好きなAちゃん。
算数の時間に連呼するのはまだ良かったのですが・・・ 国語→音楽→図工→・・・と科目が変わっても「1+1=2」の話をしてばかりでした。
うんざりした先生やお友だちが「Aちゃん。わかったから1+1=2の話はもうしないでね。」 と言うと、

「正しいことを言ってるのにどうして怒るの。お友だちだけじゃなくて先生まで。
おかしいよこの学校」
と判断をくだしてしまいます。

数少ないお友だちの一人のBちゃんに「みんないじめるんだよ!」と言うと、
「みんなAちゃんがうるさかったから言ったんだよ。いじめじゃないよ。
休み時間でもみんなゲームの話しているのに1+1=2の話ばかりしてちゃダメだよ。」と言います。

AちゃんはBちゃんの言葉を「極端な悪いこと」と受け止めます。
極端な事とは、「1+1=2」は正しいことなのにおかしいと言ったことです。

「シングルフォーカス」で周囲の状況がつかめないAちゃんは、
CちゃんがBちゃんに入れ知恵したと感じます。


BちゃんとCちゃんに掴み掛ってケガをさせます。

Aちゃんは気がついたら先生に怒られていました。
「Aちゃん!自分の言うことを聞いてくれなかったからってケガさせちゃだめでしょ!あなたは規則を守るの子なのにどうしてこんなことしたの!」


正義の戦いをしたと思っていたAちゃんは悲しくなりました。

BちゃんもCちゃんも悪いことをしたのだからケガをしてもあたりまえだと思ってたのでした。

Aちゃんはみんなから仲間はずれをされるようになりました。


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シングルフォーカスゆえのこうしたトラブルは、
周囲からこうした特性を持っている子が一方的に悪いと決め付けられて
終わりがちです。

規則を守らないお友達の手をひねって罰した
アスペルガー症候群の幼児が、
その子だけが先生から叱られ、
お友だちにも避けられてしまう……
といった話は、たびたび耳にします。

『いくら正しいことでも、その場の状況や自分のすることの内容によりけりで
間違ったことにもなってしまう』

ということを理解する事が難しいのです。

テストの点や勝負の勝ち負けにこだわるあまりに
シングルフォーカスゆえに、競争相手をののしったり馬鹿にしたり
周囲から客観的に眺めると???な行き過ぎた行為に走って
自分の価値を大いに落としてしまう事をしてしまう

といったトラブルも学童期によく聞くトラブルです。

 

私は、シングルフォーカスが原因で起す暴力と、
一般的なやんちゃくんやADHDのみがある子が起す暴力は
別物として捉えて、
全く同じ対応をしていてはいけないと考えています。

それって差別では? どちらかをえこひいきすることになるのでは?
と考える方もいるでしょうね。
それに普段、園や学校では全く同じ対応になっているのでしょう……

どうして、暴力自体は同じなのに、別物と捉えなくてはならないのでしょう?

私が思うに
やんちゃくんにしてもADHDの子にしても、衝動がおさえ切れなくて
暴力行為に至った場合、自分のしたことが良いことか悪いことかは
わかっている場合がほとんどです。


家庭環境のせいで、善悪の区別がきちんとついていない子でも、

それを「正義の戦い」と捉えて

行為に及んでいることはまずないと思います。


しかし、シングルフォーカスを特性とする子のハンディーは、

「場面によって価値判断が変化する」ことを理解しずらいという点にあるのです。


前回の例で紹介したAちゃんが、
お友だちにつかみかかってけがをさせたような事件が学校で起こった場合、
先生や周囲の大人は、Aちゃんを
「ふだんは良い子なのに突然キレる現代っ子」というくくりで
眺めてしまうかもしれません。

実は、Aちゃんの内面では、周囲からは「キレた」と見えている時も
まだ、

「規則を守る正しい行為の為に、正義の戦いをしている」わけです。

周囲の状況が読めていないので、
Aちゃんにとっては……あくまでAちゃんの心の世界からするとなんですが……

「キレた」という暴力行為は存在しなくて、

規則を守らない悪い子達が当然の制裁(罰)を受けた

という事実だけが存在するのです。

「正しいことを言ってるのにどうして怒るの。お友だちだけじゃなくて先生まで。おかしいよこの学校」

極端な事とは、「1+1=2」は正しいことなのにおかしいと言ったことです

悪いことをしたのだからケガをしてもあたりまえだと思ってたのでした。

という部分からも、Aちゃんが最後まで正義の戦いをしていて、
叱られても正確に出来事を把握できていないことがわかります。

虹色教室でそのようなトラブルが起こったケースでも、トラブル主くんは、本来 素直で規則を良く守る子なのです。
それが問題行動のさなかにも、その行為のどこが悪いのか正確に理解できなくて、
相手の誤りを罰しようという正義感のために、事がエスカレートしてしまうのです。

それでは、シングルフォーカスに陥っりがちな子が、
暴力に至った時は、どうすればいいのでしょう?

「頭の切り替えが難しい」のが
トラブルの原因なのですが、

トラブル後も、「頭の切り替えが難しい」ために

親や先生が最初に発した言葉や、問いにとらわれてしまって、
肝心の何が悪かったのか、次からどうすればよいのか、
が考えられなくなってしまうことが多々あるのです。

ですから、シングルフォーカスの特性を持つ子が問題を起した場合は、
反省させたり、謝罪させたり、どうしてそんなことをするのかと問いただしたり、
罰したりする前に、
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まず「教える」「理解させる」ということを最初に意識して、
対応していくことが大事だと思っています。
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以前、こんなことがありました。

グレーゾーンの男の子が、悪さをしたので、

親御さんがおこづかいの一部を取り上げました。その子が私に向かって繰り返しぼやいていたのは、
「おこづかいって言うのはさぁ、親が子どもにあげるものでしょう?でもぼくのお母さんは、子どもから親にお金が行くようにしてるんだよ。方向が逆でしょ。おかしいでしょ。親から子どもじゃなくって、子どもから親なんだから!!」
あんまり熱くなって、それを繰り返すので、本人がした悪さの内容(かなり悪いことです)についてたずねてみました。
すると、急に熱が冷めたように「わからない」と答えました。もう半分忘れてしまったような様子です。
言葉の定義や、自分の狭い考えにとらわれてしまって、そこから抜け出せないのです。

アスペルガーの当事者の方にうかがったところ、

「シングルフォーカス」で状況がつかめないと被害妄想にも陥りやすく、
怒りに「シングルフォーカス」して気がついたら法律を破る暴力をふるっていることだってあるそうです。
殴る蹴るといった暴力ではなく
ネット上で悪い人に対して正義の戦いをしたつもりでも、

いつの間にか常識や法を破る(=暴力)ことになってることがあるようです。

周囲の目にはズレてうとましくしくうつっていても、
本人はシングルフォーカスゆえに、
周囲の状況が読みづらいので正しいことを言っている、やっていると思っている状況があるのです。

Aちゃんの「1+1=2」は、
人によって、規則だったり、
ある知識だったり、
その人が常識と信じるものだったり、
正義だったり、
道徳だったりします。

「正しさ」というのは、
状況によって変ります。
「1+1=2」のように永久不変に思える正しさであっても、
「国語の時間に連呼する」という行為がともなえば、正しくないものになってしまうのです。

そうした「暗黙の了解」の上に成り立つルールを
シングルフォーカスという特性を持っている子に伝えていくのはとても難しいです。

一般的な親や大人は、
正しい事が、状況や使われ方によって正しくないといった
暗黙の了解は、「言わずとしれたこと」なものですから、
意識にのぼらせたこともないという方は多いです。

そのため、トラブルの際に、
そうした言葉にしにくいものを
きちんと説明して、理解させている方はほとんどいないようです。

私は、そうしたタイプの子には幼児のうちから、叱って終わりとせずに、

『普遍的で正しい事実も、
状況や使い方次第で正しくなくなることもある』

ということを、経験の中で、その都度ていねいに教えていくことが

大切だと感じています。

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『うそ発見器』で実験

2011-02-26 12:33:01 | 日々思うこと 雑感

年長さん~小1生のグループレッスンです。

電子ブロックで『うそ発見器』を作ったあとで、

面白い実験をしました。

『うそ発見器』は、人の体が数百キロオームの抵抗になることを利用して

使用します。

テスター棒を握る手が 汗をかいたり、棒を強く握ることで抵抗が変化し、

ビ~ブルブルブル~

といった音が変化するのです。

本来、ひとりで右と左の手でテスター棒を握るべきところを、

たまたま2人の子がそれぞれ1本ずつ握って、「いっしょにしようよ」と言って

スイッチを入れました。

すると、音が出ません。

そこで、手をつなぎあうと「ピービリビリ~」と鳴り出しました。

「そうか!そういう仕組みだったのか……」と思いつつ、自分の中に電流が流れていることに

おっかなびっくりな子どもたち。

手をはなしてみたり、3人でつながったり、肩を組んでみたりして実験しました。

 

 

 

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「才能は自分の中になく、社会の中にある」

2011-02-25 13:36:14 | 日々思うこと 雑感

山田ズーニーの言葉に、

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「才能は自分の中になく、社会の中にある」

「才能は自分の中になく、他者の中にある」

いったんこう極論してしまったらどうか?

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というものがあって、はっとしました。

自分とは他者との関係性によって成り立っているものだから、

才能といったって社会との関わりを断ち切ったところでは存在できないし、育たないのかもしれません。

そんな盲点があるものだから、

母子が密着した形で、どんなにわが子の才能開発に力を注いだところで、

かえって子どもの足を引っ張るだけに終わるのかもしれません。

山田ズーニーの言葉は、前々回取り上げた『働く理由』という本の中にありました。そこでもうひとつ、こんな言葉に出会いました。

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新しいことを始めて  (さまざまなことを試み)、

いままでと違う人たちと交流し  (人間関係を変え)、

生まれたばかりの可能性というレンズを通して

人生の物語を解釈しなおせば  (深く理解し納得すれば)、

実際にアイデンティティーは変わっていく。

                ハーミニア・イバーラ

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「確かにそうだなぁ」と思いました。

私の子どもの頃を思い出しても、母に連れまわされて、

あっちこっちの習い事に行った経験は

「時間を無駄にしたな」くらいの印象しか残っていないのだけど、

人との出会いや人の生き方を見ることから得たものは

何十年も経った今も自分の生き方に影響を与え続けているのです。

 

そういえば、こんな出会いからも……。

中学生のとき、友だちの家のそばに 犬を飼っている家があったのです。

犬は ほっそりした雑種のメスでキャンディーという名前でした。

その家は千里山駅から関大前駅に続く道路沿いにあって、

当時はどちらの駅前もそこそこ開発が進んでいたわけだけど、

それ以外の場所といったら完全に田舎でした。

ちょっと道に迷って、数分歩いていると、

田んぼや竹林や墓場に行き着くような具合です。

キャンディーが飼われている家の周辺も、古い家並みが続いていました。

 

私と友だちとキャンディーの飼い主の女性との間には

最初 面識はなかったのですが、

遊んでいるときに挨拶をかわすうちに、だんだん親しくなって、

終いにはキャンディーの散歩を頼まれるようになりました。

犬が飼えない私と友だちは喜んで 散歩係をやらせてもらっていました。

 

するとあるとき、かなり唐突に、

そのキャンディーの飼い主が木造だった家の改築して、

コンクリート打ちっ放しの喫茶と画廊が一体化した家を建てたのですよ。

田舎の何もないところに

いきなりヨーロッパの建築雑誌に出てきそうなもの作るんですから、

うちの親や近所の主婦層からは絶対出てこない発想で、

かなりのカルチャーショックを受けた記憶があります。

それで私も大人になったら、周囲の思惑なんか気にせずに、

自分のやりたいことをやってやろうと決心しました。

生き方の指針は、そんな風に 

自分の世界から一歩外に出たところで出会う人から得る場合がよくあるのですね。

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私が子どもの頃とちがって、うちの子たちともなると、

ネットで世界中の情報とつながっているのが当たり前のような暮らしをしていますから、

社会から受け取るものもずいぶんちがいます。

 

今日も息子がiPod touchを見ながら大騒ぎしているので、何かと思ってたずねたら、

「マクスウェルの悪魔が 実験で実現したらしいんだ。すっごいな~すごい~!!」

と言葉をつまらせて感動していました。

何でも中央大学と東京大学の研究チームが

情報エネルギーの変換に成功したという話題を目にしたらしいのです。

情報を媒介して駆動する新規ナノデバイスの実現の可能性を示したそうです。

 

マクスウェルの悪魔といえば、私の本棚に『ユーザーイリュージョン』

(トール・ノーレットランダーシュ 柴田裕之訳 紀伊国屋書店)という著書があって、それを息子も読んだことがあるので、興味を持っていたようです。

私の本ですから、私も読んだのですが、物理に関する部分は私には少し難しかったから、

息子のようにそれが情報エネルギーの変換の成功に心底感動するという方向には向かっていかないところが、興味の方向や出会いの質がちょっとちがうのでしょうね。

 

ここでもジェネレーション・ギャップを感じます……。

私が子どもの頃は、母親たちの立ち話が唯一の情報源みたいな

社会から切り離された世界で生活していました。

それはそれでのんびりした良いところもあったし、人との関わりが今よりもっとシンプルだった気もします。

「よそのお母さん」というのに憧れて、未来の自分の行き方に想像をめぐらすこともありました。

過去記事ですが、よかったら読んでくださいね。↓

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私が育ったのは 大阪の吹田市です。

教育熱心な土地柄もあって 
3歳から ヤマハの音楽教室に通っていました。
幼稚園にあがってからは
本格的なピアノの個人レッスンにかわりました。

当時のレッスンは ほとんどスパルタ式。
けんばんに指をたたきつけられるのは
ざらでした。

家での練習に役立てようと 
母がお教室に小型のテープレコーダー持参していたのですが
帰って再生してみると 
先生の怒声と 私の鼻をすする音ばかりが……。

その頃 私の一番の仲良しは
みっちゃんという同い年の女の子でした。
みっちゃんは 確か 小1の時 引っ越してしまったので…
それから推測すると
幼稚園の年長か 小1の春の出来事で
とても鮮明に覚えていることが あります。

みっちゃんのお家に遊びに行くと
いつもお家の中から たどたどしいピアノの音色が
聞こえました。
チェルニー練習曲1番~♪
ちょうど 私も練習し始めていた曲でした。

少しすると つっかえて
また初めから~また 弾き間違えて 初めから~♪

みっちゃんが 練習しているのではなくて
みっちゃんのお母さんが練習しているのです。
私は みっちゃんのお母さんが
どうしてみっちゃんにピアノを練習するように言わないで
こんなに間違えてばかりの曲を
自分で弾いているのか
不思議でなりませんでした。

私は そのへたっぴ~な音色が好きでたまらなくて
長い時間 ノックもしないで
ドアの外に立っていることが よくありました。

私の母は 自分は我慢してもまず子どもたちに…
と考える愛情深い性格でした。
けれどそれは しばしば母の夢や期待の押し付けともなって
ちょっと重たい部分もあったのです。

が みっちゃんのお母さんは
音楽でも工作でも読書でも
まず自分自身が 心底楽しんでいるようでした
そして
みっちゃんが それをするかどうかなんて 気にもかけていないようでした。

もちろん 私もみっちゃんも


やりたがりました!!
いつでも小躍りしながら
「やるー!やるー!」の大合唱。

みっちゃんのお家には 
何か創造的なこと 知的なことをしたくなるような
雰囲気がみなぎっていました。

「お父さんのつくえ」と呼んでいた机の引き出しには
色鉛筆 折り紙 はさみやのり などが
開けるたびに 息を呑むほど美しく
しまわれていました。
私とみっちゃんは いつでもそれらで
工作することを許されていました。
パラシュートを作ったり
色紙パズルを作ったりして遊んだ記憶があります。

本棚には リンドグレーンの全集やヨーロッパの絵本が並んでいて
遊びに飽きたら
「やかまし村の子どもたち」や
「ちいさいちいさいおばあさん」などに
読みふけりました。

あまり干渉しない みっちゃんのお母さんでしたが
時々 紙袋から珍しいものを取りだして
遊びに誘ってくれました。

ある時は ヨーロッパの知育玩具の「色板」でした。
今でこそ それとわかるのですが
当時はもちろん 何なのかわかりませんでした。
あまりにきれいで 万華鏡の中身が
自分の目の前に広がったように感じました。

私が今 虹色教室でしようとしているのは
その時の感動の再現かなぁ?
と思うときがあります。

毎月必死で家計をやり繰りし
習い事に通わせてくれた母には感謝しているのですが…
習い事で何をしたのか ひとっつも記憶に残っていないんですよ。

そのかわり みっちゃんのお家で
見たもの 触れたもの 感じたもの 考えたこと
作ったものとなると…
昨日のことのように 鮮明に心に浮かんでくるのです

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