虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

いろいろ体験したがるけれど、「ああ、楽しかった」で終わってしまう 1

2018-08-14 20:59:39 | 幼児教育の基本

ユースの追加募集は参加人数に達したので、終了しました。

コメント欄にご応募いただいた方は、メールアドレスを書いて

再びコメント欄に書き込みをお願いします。非公開で見て

連絡させていただきます。


今年は猛暑の影響もあって

ユースホステルでのレッスンの募集を教室内の子だけに絞っていたのですが、

人数に少しだけ余裕がある日の募集を行います。

 

8月21日~22日 年中~小1の男の子 母子2組まで

8月28日~29日  3歳~5歳の女の子 母子2組まで

 参加ご希望の方は、コメント欄にハンドルネームとお子さんの性別と年齢、お住まいの地域を書いて

応募して下さい。数日以内に、来ていただく方を公表させていただきます。

 

ユースホステルの2~3年生の女の子たちのレッスンに行ってきました。

部屋でカフェを開くそうで、ケーキやドリンクをせっせと作っていました。

このところの3年生のAちゃんのケーキ作りのブームは、三角柱を展開図から作ることです。

平面が立体に変化するのは、何度体験しても不思議で面白いです。

2年生のBちゃんのすいか作り。

がぶっと食べたら、変化するところを作っていました。

光る風船を持ってきてくれた子がいるので、カフェは夜間営業をしていました。

 

 親御さんたちの勉強会で、子どもたちの姿について

こんなご相談をいただきました。

「工場見学に行ってみる?」「科学館に行ってみる?」などと誘うと、「行きたい!行きたい!」と

何にでも興味を示し、お出かけを楽しむ小学2年生のCちゃん。

でも、どこに出かけても、「ああ、楽しかった」で終わり、そこから何か得たようでもなく、

興味が広がったり深まったりするようにも見えない、というお話でした。

Cちゃんは利発で穏やかな気質の子です。

何でもそつなく器用にこなし、強い自己主張やこだわりはいっさいありません。

聞き分けが良く柔軟なので、周囲の声に合わせているだけに見えることもあり、

集団の場ではニコニコ笑顔を振りまく様子が目にとまるだけで、これといって目立たないこともあります。

Cちゃんのお母さんは、どこかに連れていくからといって、

そこで何か覚えてほしい、能力をアップさせてほしい、見たものに強い関心を寄せてほしいと思っているわけでなく、

ただ、「これでいいのかしら?」と何となくもやもやするのだと思います。

確かに、ユースに着いてすぐの工作の時間にしても、算数の学習時間しても、夕食までの

子どもたち主体の活動時間にしても、Cちゃんはみんなの輪に溶け込んでいて、終始明るく控えめにしていて、

これという目の引くものを作る姿もなかったし、「わかった、こうでしょ!」と意気揚々と

発言する姿もありませんでした。それは教室でのグループレッスンでもよく見るCちゃんの姿です。

でも、だからといってCちゃんの活動への関心が薄いわけでもないし、

その時間から取り立てて得るものがなかったとか、アウトプットがなかったというわけではないのです。

 

内向型の子に多いのですが、アウトプットの出方にかなり時間差があり、

アウトプットされたものは、

その子というフィルターを通って収束されているという特徴がある子たち

けっこういるのです。

 

話が途中ですが、続きは明日にでも書きますね。(お盆でのんびりしているので、更新がんばりますね♪)

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年中さんの「なぜ?どうして?」

2018-06-13 20:35:06 | 幼児教育の基本

年中のAちゃんは、さまざまな活動にマイペースにじっくり関わる子です。

この日も他の子が作ったビー玉コースターで、長い時間遊んで、どこがどうなっているのか、隅々まで観察して

うまく転がる理由や転がらない理由について熱心におしゃべりしていました。

Aちゃんのお母さんの話では、最近、「どうして?」「なぜ?」と一日中たずねているそうで、

工作や実験を通して物を観察する目が高度になってきたためか、

「このおもちゃの(さしこんである人形部分)あんぱんまんは、

どうやって入れたの?こっちを先に入れて、それから次にここを作ったのかな?

どういう順番で入れたのかな?」とか、

「どうして線路に石があるの?どうして線路に石がいるの?」とか、

どうして電車の上にひも(架線)があるの?どこまで(架線は)あるの?」

疑問が、以前より具体的なものになっているそうです。

Aちゃん、教室でも「なぜ?なぜ?」を連発していました。

この日は年中の女の子ふたりのレッスンだったのですが、年小時代に比べ、

何かやり遂げると、「もう一回」「もう一回」と繰り返しやりたがる熱心さが目立ちました。

 

上の本は、「1はウラパン、2はオコサ」と言いながら数を数えていく数遊びです。

けっこう難しいのですが、ふたりとも一生懸命参加していました。

ちょっと難しいことにチャレンジするのが楽しい時期のようです。

 

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個性的な資質を伸ばすのに大切な3歳児 (もう少し大きくなった子の親御さんも読んでくださいね)

2018-05-23 10:33:09 | 幼児教育の基本

 

個性的なその子その子の資質を伸ばしていく上で、
とても大事だな~と感じているのは、3歳の時期です。

1,2歳から親子レッスンで、子どものお世話をさせていただいている場合、
親御さんの考えと私の考えに微妙なずれが生じやすいのも、
この時期でもあります。

3歳の子というのは、
2歳のころの「大人の言うことや環境からの刺激を
吸い取り紙のように何でも吸収する姿」がまだ残っている上に、

「本人の意志でやりはじめること」は、
折り紙でしたら、ぐちゃぐちゃっとして、
名前をつける程度の
大人からすれば目を引かない……見栄えのよくない行動が多いのです。

3歳の子に、英語を習わせたり、音楽を習わせたりすると、
家に帰ってから習った英語を真似てみたり、
楽器を弾いたり、本人も楽しそうだし、親御さんも次はどんなことをさせてみようかとわくわくするようです。
また、幼児用のプリントを与えると、喜んで何枚もしたりして、
このまま学習習慣をつけてあげたいとも思うようです。

こんな風に3歳になったとき、
さまざまなことに積極的に集中してチャレンジできるのは、
2歳の時期に、目と手を協応させて、
遊びにじっくり関われるように育んできた結果でもありますから、
「いろいろやれる」のだから、無理強いはせずに「いろいろさせてみる」のは
何の問題もないように
見えるかもしれません。

私にしても、「これはまだ教えるのは早い」とか思うものはなく、「いろいろさせてみる」こと自体には何の問題も感じていません。

それなのに、親御さんと私の間に考え方の「ずれ」が生じるのは
なぜかというと、
親御さんが3歳の時に感動してあれもこれも伸ばしたいと注目しているポイントが、植物でいうと子葉の部分……つまり、3歳までの子の特有の長所に注目していることが多く、

私は、3歳ごろから芽を出し始めたばかりの
植物でいうと本葉の部分を見ていて、
まだ目立たない個性的な資質のあらわれを、守って、磨きをかけ、
大事に育んでいきたいと考えていて、

そこで、どちらに重点をおくかで、何度か話し合いになることがあるのです。

もちろん、どちらも大事にしていくことはできますし、私もそれを目指しています。
気をつけなくてはならないのは、
3歳という時期は、
「あまり重要でないもの」が立派に見えて、
「その子にとって重要なもの」は、生まれたばかりで目立たない
ということなのです。

この「重要でない」「重要」の差は、
写し絵と、本物の絵のちがいのようなものです。
まだ上手に絵が描けない子に、写し絵ばかりさせて褒めていれば、
何だか立派なものができたというパフォーマンスにはなっても、
絵を描く能力を衰えさせていくのは目に見えていますよね。

これは写し絵をさせてはダメだということでは、ありません。
写し絵をして伸びるかもしれない、手先の巧緻性を無意味だと
言っているわけでもないのです。

「重要でない」ことをさせて良いかどうかの問題ではなく、

「重要」なことは、他の何に気持ちが奪われていても
無視してはいけない

ということなのです。

3歳の時期、子どもの遊びは、
だんだん「意味」と「目的」を持ったものに
変化しはじめます。
遊んでいるうちに、「こうしたいな」「ああしたいな」と思いがふくらんだり、
前にうまくいった方法を発展させて何かしようとしたりします。

写真では、3歳の★くんが、ビー球が転がる先に鉄琴を置いてみて、
音を楽しんでいます。
その前に、鉄琴の上にいろんな物を落としてみて、音を面白がっていたのです。
それで、ビー球を転がしている時に、
それを思い出して、「転がったボールが鉄琴に当たるとどうなるだろう?」と
考えたようなのです。

3歳の時期には、

どんなことがやりたいか見つける(自分がやったら楽しいものがわかっている)
「こんなことがしたい」という思いを持つ

遊びながら工夫して、「さらにこうしたい」「こんなこともためしたい」と思いがふくらんでいく

前の経験を思い出し、今の遊びに活用する

ということができはじめます。

2歳の頃なら、ただ絵を描くだけだったのが、
いろいろな経験の幅を広げてあげると、
絵を描いたあとで、
「飾ってほしい」と言ったり、「切手を貼ってポストに入れよう」と言ったりします。

他の人のアイデアと、
自分のアイデアとに、ものすごく大きな興味の違いをしめすときでもあります。
他の人がすることよりも、
自分がすることは、「すごくてすばらしくて大満足!」
という時期でもあります。

面白いなと思うのは、3歳児の描いた何だかよくわからないプリキュアの
絵を3歳の子たちに見せると、
大人の描いた上手な絵よりも感心して、
「じょうず~」「りぼんじょうず~」と絶賛したりすることです。
この時期の子は、「自分でできそうだ」ということに
心が揺さぶられるようです。
 

3歳の時期、親御さんの考えと「ずれ」が生じる時があります~と書いたのは、
ちょうどこの頃から、
「難しいことはさせていないので、楽しくやらせているので、
~~をさせても大丈夫ですよね?」とたずねられることが増えるからです。
内容は、
ピアノや文字のワークや英語やリトミック、体操などです。

どの内容なら良いのか、どれくらいするのなら良いのか、さまざまな意見があるので、迷うそうです。

私が、う~ん、と返事に悩んでしまうのは、

子どもって、1歳でも、2歳でも、3歳でも、「楽」なことなんてしないで、
自分の能力の限界まで力を出しきっていろんなことをしているな、と感じているからです。
1歳児は懸命に歩こうとするし、2歳児は手を使う仕事に一生懸命です。

3歳児はというと、記憶したことを取り出したり、
自分で選んだり、
決定したり、目的を定めたり、自分の気持ちを言葉にしたり、
経験したことをごっこ遊びのなかで再現してみたりと、
自分の頭を使うことになら何でも真剣そのものです。

そのどれもが、録音、録画機能のある機械にも、計算機にも、ロボットにも
できないことばかりです。

そうした3歳児が「自分の頭を使いたい」と思っていることに
理解のある親御さんたちは、できるだけ子どもの言葉に耳を傾けて
周囲よりのんびりと生活しています。

子どもが上手にしたら、「上手に自分で達成できた事実」を、教えてあげています。

失敗したら、子どもが自分で気づくように見守っています。
あれこれすることを指示するのでなくて、
子どもがやりたい、達成したいと思う内容を
自分で見つけて
探求していくのを支援しています。
のんびりペースで、5歳、6歳を迎えると、想像力豊かで、思考力が高く、手先も器用で、意欲的な子に成長しています。また個性的なその子しかない才能は、その頃にはもう輝きだしています。


前の話題にもどって、
私が何をう~んと悩むのかと言えば、

3歳の子は、まだ自分の頭で考えることを始めたばかりですから、

しょっちゅう、考えるのを中断されたり、

自分で選んだり、決めたりできない場所でいろいろ指示されて真似することを繰り返したり、

自分の考えを実行に移すよりも
大人の求めるものを真似した方が褒められる体験をしていると、
「考えること」自体をやめてしまうからなのです。

集団でリトミックや英語などを体験するのが悪いわけではないのです。
大人の価値を置くものが外に向いていて、
お家でも、移動中も、お外でも、
あまりにも幼児の「頭で考える」時間が奪われている場合、
問題なのです。

脳の基本の操作がきちんと実行できるように、
この時期の子にはこの時期の子の
やっておかなければならない大切な仕事がたくさんありますよね。

見たり聞いたりしたことを、
遊びの中で再現しなおして、
記憶したことを、きちんとアウトプットできるようにしたり、
手で何か作ることで、
イメージしたものをアウトプットすることもそのひとつですね。
 
知的な課題が好きな子に育つお母さんの態度 嫌いな子に育つお母さんの態度



小学生と話していると、
「マンガを読むのもめんどくさい」
「ゲームをするのもめんどくさい」という子がけっこういます。
遊ぶのもめんどくさいし、何をしようかと考えるのもめんどくさいそうです。
以前、児童館でボランティアをしていたとき、
児童館の館長先生が、
「多くの子どもが、おもちゃで遊ばず、おもちゃを壊す、崩す、蹴ることばかりするのは、
どうしたものか……」と嘆いていたことがあります。

子どもたちの姿を見ていると、
どんなことをすれば自分が楽しい気もちになるか、それが持続できるかが
わからない様子でした。

子どもは、3歳くらいから、ひたすらそれを探求しはじめます。

どんなことをすれば自分が楽しい気もちになるか、それが持続できるか
は、探求すればするほど、
遊べば遊ぶほど、豊かになり、洗練されていき、
自分の個性的な潜在能力と結びつきます。

人は自分が最も得意としていて、
伸びる可能性のあることに
本気で取り組んでいるとき、一番楽しい気持ちになるし、
いつまでもそれをしていたいと思うからです。

幼児は、全身全霊をかけて自分の潜在能力探しをし続けている
と言っても良いくらいです。

大人がそれを手助けしようと思うなら、次のようなことが大切です。

★ まだ上手に言葉にできない部分を助けつつ、よく話やアイデアを聞いてあげること

★ 問題にぶつかったとき、自分で切り抜けられるように見守り、
適度に手をかすこと

★ 子どもの興味をより広い世界につなげてあげること

★ 大人が「ここは干渉しない方がいい」というタイミングを知り、我慢できること

★ 子どもが必要なもの(紙や描く道具やはさみやブロックやシンプルなおもちゃなど)と、前回の経験が生かせるような忙しくない生活リズムが確保されていること
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子どもの内面に 言葉にできないうっぷんが溜まっている時に

2018-05-06 07:38:12 | 幼児教育の基本

 

2歳10ヶ月のAくんは、大らかで茶目っ気のある性質。

2歳を過ぎた頃から、周囲で起こっていることをじっくり観察して

自分なりの意見をよく口にしていました。

 

ところが今回のレッスンでは、ちょっと様子が違いました。

やりたいことがあっても、他の子がしている間は

身構えた慎重な態度で立ちすくしている姿が何度も見られました。

 

これまでニコッと顔をほころばせては自分の考えをつぶやいていたのに、

終始、表情をこわばらせて黙りこくっていました。

そういえば、数ヶ月前から、Aくんが何かしようとするたびにAくんのお兄ちゃんに

全て奪い取られてしまったり、Aくんが「これで遊びたいよ」と言っても、

「こっちで遊ぶんだよ」と無理強いされたり、

Aくんが何か言おうとするとお兄ちゃんが割りこんできたりすることが続いていたのです。

男の子の兄弟は、こんな風に周囲をヒヤヒヤさせるほどの衝突を繰り返しながら成長していく

ものです。

とはいえ、あまりに理不尽すぎる出来事の連続に、

さすがに大らかな気質のAくんも自分のなかに溜めこんでいるものがあるようでした。

 

この日、Aくんのお兄ちゃんは教室に来ていなかったのですが、お友だちのBくんのお兄ちゃんが来ていて、

いっしょに遊んでいました。

Aくんが、Bくんのお兄ちゃんと同じおもちゃを使いたがり、同じ遊びをしたがるものですから、

自分のお兄ちゃんとの衝突ほど激しくないものの、たびたび思いがぶつかりあっていました。

 

といっても、Aくんは以前のように自分の意見を主張しようとせず、黙ったまんま

固まっていました。その表情から、口には出さないものの

Aくんの心のなかには、さまざまな思いが渦巻いているのが見て取れました。

 

この日教室には、他の子が「これは、いらない」と残していった

工作作品が置いてありました。それを見つけたAくんは、ゆっくり

それをやぶきだしました。

あわててお母さんが注意しても、さらにやぶいていきます。

「それはね、お友だちが、もういらないよって言ってた作品だから、Aくんがもらうことができるよ。

好きなように改造してみたら?」と問いかけても、まだやぶいています。

やぶいているAくんの表情は、派目をはずして悪さをしている感じではありませんでした。

何か言いたいことがあるけど、うまく言葉にできなくて

いじいじしている……そんな感じです。

 

内面に言葉にできないうっぷんが溜まると、子どもによって、

家のようなリラックスできる場で大泣きしたり、

攻撃的になったり、消極的になったり、赤ちゃん返りをしたりします。

本人の心は深い混乱にあるはずなのに、そうした素振りを少しも見せずに明るく過ごしている子もいます。

でもそうした子は数年先に、

一年以上難しい時期(年長や小1の頃に、問題行動を繰り返したり、極端な赤ちゃん返りをしたりすることです)

を送る姿を教室でよく見かけます。

 

それでは、子どもの内面に言葉にできないうっぷんが溜まっているような時、どうすればいいのでしょう?

内面にうっぷんを溜めやすい子自体がハイリーセンシティブチャイルドという

敏感なタイプの子が多いとは思うのですが、ごく一般的な子であっても

今ある環境に圧倒されて過敏になっている時期には、このHSC(ハイリーセンシティブチャイルド)の子と同様の

対応が重要になってくるように感じています。

 

そうした敏感な子への対応法は、これまでも何度か紹介させていただいている

マイコー雑記のマイコーさんが、

ハイリーセンシティブチャイルドの支援に取り組むセラピストによる「HSCが健やかに育つ7つのヒント」

という記事の中でまとめてくださっています。

 

タイトルだけ箇条書きにすると、次の7つです。

 

1、ダウンタイムを大切にする

2、人ごみを避ける

3、自然を楽しむ

4、創造性を優先する

5、一緒にすごす時を楽しむ時間をもつ

6、自ら選択する機会を与える

7、感情の調整を助けてやる

 

先にあげたヒントは、言葉通り解釈するのではなく、それぞれの子の日常や環境のなかで咀嚼しなおして、

「繁華街のような人ごみには連れて行ってないけど、幼稚園での集団の騒がしさで

疲れているはずだから、静かに自分の遊びに集中できる時間を作ってあげよう」など。

 

Aくんの話にもどりますね。Aくんは、しょっちゅう遊びを妨害するお兄ちゃんのせいでストレスを感じつつ、

お兄ちゃんに強く惹かれていて、お兄ちゃんのすることが面白くてたまらない様子です。

今回のレッスンでも、葛藤を抱えて黙りこみながらも、同年代のBくんではなく、

遊びを一人占めしてしまうBくんのお兄ちゃんにピッタリひっついていました。

 

Aくんの態度が以前に比べて全体的に消極的で自分らしさを抑えたものに見えたので、

Aくんの今の「旬の興味」を探ってたっぷりやらせてあげる必要を感じました。

自分がやりたいことを存分にやりつくすことで、子どもは情緒の落ち着きと

自分への信頼感や自信を取り戻しますから。

 

Bくんのお兄ちゃんがブロックで作ったストッパーを使って、

並べたミニカーを一気に滑らせるという遊びをしていた時、

Aくんの関心はこの遊びのメインである「ストッパーをあげた瞬間、ダイナミックに滑っていくミニカー」にあるのではなく、

車と車の間にできる一台分の隙間にミニカーを詰めることにありました。

他の遊びでも、空所を目にするたびに、そこにあうものを

詰めようとしていました。

 

 
そこで、写真のような木のパズルを用意して、ひとつだけ隙間をあけてみたのですが、
Aくんは興味を示しませんでした。
 そういえばAくんは、どっしりとした手ごたえのあるものを扱うのが好きなのです。
また、ストーリーのあるお話が好きなので、ボードゲームや知育玩具も、
無機質な教具教具したものよりも、それを手にしてお話ししながら遊ぶような
どこか温かみのあるものやとぼけた風合いのものを好むのです。
 
ですから、同じ「詰める遊び」にしても、Aくんが操作を心地よく感じるもので、ストーリーを展開しながら
それらで詰めていく作業ができるように枠を工夫することにしました。
 

ブロックで枠を作って、新幹線を入口から入れます。

Aくんは入れた後で、奥に電車を詰めていく作業が面白くてたまらない様子でした。

 

それを見ていたBくんのお兄ちゃんが、「ぼくもやらせてよ」と

言いました。Aくんは、列車を全部抱え込んで返事をしません。

「お兄ちゃん、Aくんは今貸したくないみたい。

列車ね、Aくんがこうやってこうやってこうやって

ギューッて奥に入れて遊んでいるのよ。まだ、もっともっとそうやって遊びたいはずよ。

教室にはたくさんミニカーがあるから、

いっぱいいーっぱいお兄ちゃんに出してきてあげるよ。

先生といっしょに駐車場を作らない?

Aくんのより大きくて、車が出たり入ったりするところと面白いしかけが

いろいろあるようにしたらどう?」とたずねても、

「いやだよ。ぼくも、列車で遊びたいんだ。列車を貸してよ」とBくんのお兄ちゃんも譲りません。

Aくんはというと、絶対、ひとつも貸すものかと

電車を抱え込んでいました。

しばらく経った時、Aくんのお母さんが穏やかな口調で、ひとり占めをせずにお友だちとわけあう大切さを教えながら、

「お兄ちゃんにひとつ貸してあげたら?」と誘いかけていました。

Aくんのお母さんの対応は正しいものでしたが、

これまでさんざん有無も言わせずおもちゃを取り上げられることが多かったAくんに対して

「今回は特別」という機会を作ってもいい気もしました。

 

「Aくん、列車を1台だけ貸してくれる?」とたずねると、「いや」と小声で答えます。

「じゃぁ、この列車は貸してくれる?」「いや」

「じゃあ、これは?」「いや」

「Aくんは、一台も貸したくないのね。ぜんぶ、Aくんが使いたいの?」と聞くと、

真剣な表情でこっくりします。

 

「お兄ちゃん、あのね、前にAくんが遊ぼうとしたらね、だめー貸さないよ、全部取っちゃうよ、って

Aくんのお兄ちゃんがおもちゃを全部取ってしまったのよ。それに、今日は、Aくんがミニカー並べたいなと思ったら、

だめだめ、触っちゃだめってBくんのお兄ちゃんが言ったでしょ。だから、今度はAくんは、この列車は

全部自分で使いたいんだって。ね、今日だけ、お願いよ。

今日は、Aくんが列車で遊ぶことにして、お兄ちゃんは先生とすごくいいおもちゃを探しに行くことにしたらどう?

お兄ちゃんの大きな駐車場を作って、宝物も隠せるようにしたらどう?」とたずねると、

Bくんのお兄ちゃんは「いやだよ。ぼくは列車で遊びたい。列車、取っちゃうよ!」と言いました。

 

するとその時、Aくんが、いいことを思いついたという様子で、

「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」と言いました。

「そうよね。電気消したら、夜になっちゃうかな?

きっとおもちゃが見えなくなって取れないよね。暗くしてみよう」と言うと、

それまで緊張して引きつっていたAくんの表情がほころんで、

笑顔がこぼれました。

 

部屋の電気を消してみると、少し薄暗くなりました。

「見えるよ。それに取れるよ!遊べるし。」とBくんのお兄ちゃん。

「えっ、電気を消したのに、本当に見えるの?」とびっくりした様子でたずねると、

「見えるよー!!」と答えます。

「お兄ちゃんは、暗くても、ちゃんと目が見えるの?」

「見えるよー!」

Aくんはそのやりとりをニヤニヤしながら見ています。

昼間なので電気を消しても、ちょっと薄暗いかな程度なのですが、

自分以外の人の目にその世界がどのように映っているのか

興味をそそられたようでした。

 

再び、電気をつけた後も、「列車を貸して」と言い続ける

お兄ちゃんに、「じゃあ、列車に聞いてみようよ。

お兄ちゃんがたずねてみてよ、いっしょに遊ぶ?って」と言うと、

「それは、先生が答えるんでしょ?いやだ、遊ばないって先生が答えるんでしょ」

とお兄ちゃん。怒ったふりをしていますが、目が笑っています。

 

Aくんはというと、「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」と言ってから、

急に本来のAくんらしいほがらかな茶目っ気たっぷりの態度に戻って、

ああだから、こうだから……と思いつくままにいろいろなおしゃべりを始めました。

 

Aくんいわく、貨車は列車の仲間じゃないので、列車といっしょに

並べるわけにはいかないのだとか。

前にも後ろにも新幹線の顔みたいなとんがったところがないからだそう。

 

いきいきしたAくんらしさを取り戻したとたん、新しい遊びを試してみたり、

不思議さに心を奪われたように覗きこんだりする姿がありました。

 

前回の記事で、Aくんに笑顔が戻ってきて、いきいきとしたAくんらしさが

発揮されだしたのはなぜでしょう?

 

子どもにはいろんな意味で、十分なスペース(余白)が必要だと感じています。

しつけ上のルールにも。

時間にも。

空間も。

人間関係も。

大人の考えにも。

 

 子どもは、自分の本当の気持ちを言っても大丈夫というスペースが保証されていないと、

自分の思いを別のネガティブな行動で表現することがよくあります。

本当の気持ちを言っても大丈夫というスペースを作るとは、「その場で本音を言ってごらん」

とアクションをかけるような浅い対応ではなく、

子どもは過去の出来事を事細かに記憶しているものだし、従う従わないに関わらず

大人の言葉の影響を大きく受けているものだと知った上で

子どもの思いを尊重して対応することです。

Aくんの「貸したくない」「全部、ひとり占めしたい」という気持ちには、

「電車は、全部電車の仲間だからここだよ。電車が1つなくなったら、間があいちゃうからダメだ」という

今、敏感になっている秩序への思いが含まれているのでしょうし、

「ぼくが最初に遊んでいたよ」

「さっきBくんのお兄ちゃんに別のおもちゃを貸してもらえなかったよ」

「前の時はぼくのお兄ちゃんが全部取ってしまって、ひとつも貸してもらえなかったんだよ」

 という訴えや過去の体験で味わった不満感を再び心の浮上させようとする行為でもあるのでしょう。

また、「今、やっている途中だよ。面白いからもっとやっていたい。やりだしたことを落ち着いて完成させたい」という

発達上の要求や、

「お母さんや先生は、お友だちに貸してあげなさい。順番よっていうから、言うこときかなくちゃ。

でもお母さんや先生の言うこと聞きたくない」という反抗期の葛藤もあるでしょう。

 

そうした複雑に絡みあった思いを整理して、自分を素直に表現できる状態になるには、

どう見積もっても、たっぷり時間が必要です。

 

訴えを言葉にできないものも含めて聞いてもらう時間も必要です。

 

不満感が満たされる体験、

不満やイライラなんてどうでもよくなるくらい自分のやりたいことをやりきる時間もいります。

 

自分の個性的な資質を発揮することで、自分の強みを手にして

いやな出来事を眺めることも大事です。

 今回の話でいうと、Aくんの強みは、「物語を作っていく力」です。

Aくんは自分の強みを使って、

「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」というアイデアを

言葉にした瞬間から、

「おもちゃを取ったり取られたり……」というストレスフルな体験を

ごっこ遊びのストーリーの一部として、

ちょっぴり刺激的で創造的に関わっていく

対象へと変化させていました。

おもちゃを貸してくれず自分のおもちゃを執拗に取り上げようとする

存在だったお友だちのお兄ちゃんは、

Aくんの遊びの世界を豊かにする案内人へと変わりつつあるようでした。

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遊べない子は、遊びに必要な技術を習得していない

2018-05-03 22:32:14 | 幼児教育の基本

 「子どもは遊びの天才」なんて言われますが、

実際には、遊ぶのが苦手な子、遊び方が不器用な子が

たくさんいるんじゃないかな?と思います。

 

子どもたちが心の底から楽しそうに真剣に遊び込むことができるようになるには、

いくつか体得していかなければならない技術のようなものがあると感じています。

 

遊ぶのに技術を体得しなくちゃならないなんて

おかしなことを言うように聞こえるかもしれませんね。

でもやっぱりいると思うんですよ。上手に遊ぶためのワザ!

 

目新しいおもちゃをちょっと触ってはうろうろするだけだったり、

遊び方の説明を聞いて、ちょっとうまくいかなくても何度か試してみるほどに

ひとつの物に根気よくつきあうエネルギーが乏しかったり、

遊びがワンパターンだったり、幼なかったり、依存的だったり、

友だちとふざけたり物を取り合ったりするばかりで

遊びが発展しなかったりする子っていますよね。

 

そうした遊び方は性格や能力に起因しているように思われがちです。

もちろん、それらの影響も大きいはずです。

 

でも、それとは別に、

「遊びに必要な技術を持っているかどうか」というのも

遊びの質と密接に関わっているのではないでしょうか。

 

では、「遊びに必要な技術」って、どんなものなのでしょう?

 

まず最初に大事なのは、

「何かとしっかり関わっていける力」をつけることかもしれません。

ひとつの遊びに愛着を抱いて、ひとつの活動を通して、

「面白いな、楽しいな」という気持ちを持続していくことができるようになることです。

 

遊びというのは、おもちゃがあって、それをいじってさえいれば

発展していくわけではありません。

楽しく遊ぶには、「いろんな形で想像力を使ってみる」という

実際に自分の頭と心を使って遊んだ体験が必要です。

遊びの世界で自分の頭を使えるようになっておかないと、

おもちゃがあるから、遊具があるから、楽しめるわけではないのです。

子どもは、自然に、物を何かに見立ててみたり、ごっこ遊びに興じたりするものですが、

大人の接し方やおもちゃが子どもの想像力を枯らせてしまったり、

奪ってしまったりすることもよくあることです。

また、もともと想像力に弱さがあって、ていねいに育んでもらわないと、

自分から使おうとしない子もいるのです。

 

環境と大人の役割は大きいです。

 

 

 
 
想像力だけでなく、思考力を遊びの中で活かしていく方法を習得すれば、
遊びはどんどん魅力的なものに発展していきます。
それでは、写真のブロック遊びをしている子どもたちを例に挙げて、
これまで書いてきたことを具体的に説明させてくださいね。
 
5歳と3歳の子たち、5人の遊びの風景です。
 
ひとりの男の子が電車のおもちゃを出してきて、ただ前後に動かしたり、
好きな電車を集めたりして遊んでいました。
遊んでいました……といっても、電車をいじっているだけなので、
それほど面白そうでじゃないのですが、飽きると新しいおもちゃを探しに行って
お気に入りに加えることで、本人の中では遊びが成り立っているようでした。
 
お家で、そうした遊びを遊びと思っている子がたくさんいます。
 
おもちゃをしばらくいじっていると、「片付けなさい」とお母さんに言われ、
片付けると、次のおもちゃが出したくなり、
出してきて触っているうちに、次の「片付けさい」という指示が来るということを
エンドレスに繰り返すうちに、
「遊び」という活動が、「赤ちゃん時期の見て触って満足」という段階から、
少しも発展していない子がたくさんいるのです。
 
電車のおもちゃを出してきて、ただ前後に動かしたり、好きな電車を集めたりして
遊んでいた子に、「ブロックを使って、その電車の駅や線路を作らない?」と誘うと、
少しとまどった顔をしながらうなずきました。
 
そこで、「ほら、前に、長い長い道路を作ったことがあるわね。
どんどん板をつないでいって」と言うと、
横でそのやりとりを聞いていた子が、パッと顔を輝かせて、
「あぁ、前にやった。もっといっぱい板がいる。もっともっと長くなくちゃ」と
言いながら、ブロックの板を並べだしました。
 

↑と↓は前にブロック用の板を並べた時の写真です。

 

↑ こんな風に道路を作って遊んだ楽しい体験を思い出したようです。

 

わたしが列車を走らせるためにブロックを横につないでいく見本を見せると、

他で遊んでいた子らも集まってきて、長い線路を作り始めました。

 

こうして手を使ってする作業に没頭し始めると、

子どもの態度は素直で落ち着いたものになっていき、

同時に頭の中はいきいきと活発に動きだすようで、

意欲的でよく練られた考えや言葉が出てくるようになります。

 

線路をつなぎ終えたとたん、Nゲージを走らせてみてから、

「そっちとこっちとで発車したら衝突しちゃうよ。

こっちの線路は、こっちからあっちに行って、あっちに着いたら

戻ってくるようにして、

あっちの線路は、あっちからこっちに行って、戻ってくるようにしたら?」と

言う子がいました。

すると別の子は自分の好きなように走らせたかったようです。

線路に1台だけ走らせるのでは嫌らしいのです。

 

そのため何度かNゲージが衝突することになり、言い合いになりかけたものの、

「それなら、連結したら?」という意見が出て、問題が解決しました。

Nゲージをどんどん(セロテープで)連結すると、長い1台の列車になるので、

1台ずつを行き来させているのと同じになったのです。

 

そうして遊び出すと、ここが終点、こうやって切符を買って……とごっこ遊びを広げる子、

駅で電車に乗る人が住んでいるお家を作ってストーリーを膨らませる子などが出てきて、

遊びが広がっていきました。

 

遊びって、ある程度、「ああ疲れた」「やるだけやった」というところまで

自分の身体なり、頭なりを使いきらないと、楽しさが湧いてこないものなのです。

その「やるだけやった」は、その時期その時期の子が

やっているうちにどんどん楽しくなっていって、「もうちょっともうちょっと」と

自分の限界までやり遂げないと気がすまなくなっちゃうような活動であること、

五感にとって気持ちいいこと、目で見て満足できるものであることが大事です。

 

だからといって、

わざわざこういうおもちゃを買いそろえなくちゃいけないということはなく、

お家にあるもので十分だと思います。

 

今回の「つないでつないで長く長くしていく」という活動は、

子どもにとって楽しくて達成感のある活動のひとつですが、

ブロックの板がなくても、下の写真のように「柵だよ」と言いながら

ブロックを置いていくだけでも、子どもにしたらさまざまな想像力を

掻き立ててくれりものなのです。

 

↑の写真の作品を作った子は、教室の端から端まで柵を付けた後で、

おもむろに立ちあがると、

しみじみと自分の作り上げた作品を眺めながら、

「どうして、こんなにすごいのが作れちゃったんだろう?」とつぶやきました。

 

置いていくだけ、並べていくだけ、囲むだけでも、道路ができ、

線路ができ、工事現場ができ、公園ができます。

そうした作業に熱中するうちに、想像力がいきいきと働き始めます。

 

「新しいおもちゃを出して、ちょっと触ってはお終い」という遊び方をしていたら、

自分の想像力を使うところまで行きつかないのです。

 

そうして想像力を働かせて遊んでいると、次には、

「上から電車を眺める駅を作りたいな」「これは特急で、こっちは回送で……」

「こういう風にしたい」「ああいう風にしたい」と

今度は思考力を働かせて、遊び始めます。

 

↑ 電車をくぐらせようとしたら、人形がトンネルの屋根にあたってしまうから

トンネルを高く作り直しました。

 

どんどんどんどん線路を長くしていく遊びから、

「地下鉄が上の駅のところに登って行くようにしたい」という願望が生まれ、

苦労してだんだん高くなっていく高架を作りました。

 

どんどんつないでいく楽しみも、

お城のなわばり図を作るという意味を意識しながら作ることで、

昔の人の知恵への関心が高まり、

自分たちもあれこれ知恵を絞って遊びこむことができました。

 

↑通ろうとすると、橋が崩れる仕掛け。

 

どんどん並べて、どんどん乗せているうちに、いろいろな物語が生まれていました。

 

どんどんどんどんつないでつないで……に熱中していると、こんな素敵な街になった

こともあります。

 

夢中になって遊ぶには、簡単にすぐできて、何度も繰り返したくなるような作業を

思い存分やることができる環境が大事だと思います。

公園でする砂遊びでも、お花を絞って作る色水遊びでも、何でもいいのです。

そうした身体を使って集中する活動を洗練させていきながら、

それがごっこ遊びにつながっていって、想像力をたっぷり使う機会が生まれるように

サポートしてあげることが大事だと思っています。

また思考力を使って次々生まれてくる願望を言葉にしたり、それを達成したり、

問題を解決したりする楽しさをたくさん体験させてあげるのも

とても大切な身近な大人の役目だと考えています。 

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常識やイメージの世界わかりはじめることからくる笑いのポイント 4歳児さん

2018-02-06 23:37:45 | 幼児教育の基本

 

過去記事が多くて悪いのですが、懐かしいのでアップさせてくださいね。

 

3歳児前後~3歳7カ月の子というこのグループの子たちのレッスンがありました。

 

数日前、この子たちより、

1歳年下の子らのグループレッスンがあった時のこと、

3歳児さんたち、言うことなすことあんまりかわいいもんですから、

それぞれの子のお母さん方は胸がキュンとなった様子で、

帰り際に、「かわいすぎる~」「ずっとこのまま大きくならなければいいのに~」と口々につぶやいて

おられました。

 

それに大きくうなずいていたわたしですが……。

それが、それが……4歳児さんたちが来たら、4歳児さんたちが最高におもしろかわいいし……。

5歳児さんたちが来ても、6歳児さんたちがきても……小学校高学年の子らが来ても、

やっぱりそれぞれが、思わず微笑んでしまうかわいらしさで……本当に、子どもたちには、

日々、癒されています。

 

前置きが長くなりましたが、

今回の4歳児さんたち、ちょっと自分を抑えることができるようになって、

おりこうになってきました。

 

ひとりの子が魅力的なおもちゃで遊びだすと、他のひとりが、「か~し~て」と言います。

そこで、「いいよ」と次の子におもちゃが渡るのですが、

その瞬間、別の子が、「か~し~て」と言うもんですから、

おもちゃは再び、次の子の手に。

そうするうちに、最初に遊んでいた子が、最後にそのおもちゃを手にしている子に、

「か~し~て」と言いますから、誰ひとり、1分たりとそのおもちゃで遊ぶことなく

おもちゃがぐるぐる子どもたちの間を回っているということが多々あります。

 

 

わたしが感心した様子で、

「みんな、お姉さんねぇ。お友だちにか~し~て、と言われたときは、

かしてあげるの?」とたずねると、

「そう、そう」とこっくりします。

「あのね、この間、赤ちゃんたちと遊んでいた時に、

おもちゃ、か~し~て!と言ったら、赤ちゃんったら、そのおもちゃを自分のお口に入れるのよ。

もういちど、か~し~て、と言ったら、今度は、ポーンとそれを投げるんだから」と言うと、

子どもたちはゲラゲラ笑いながら、「赤ちゃんはね、そういう風にするのよ~」と教えてくれます。

「でも、うちの●くんは赤ちゃんだけど、か~してって言ったら、はいっ、てかしてくれるよ」と

説明してくれる子もいました。

それから、ちょっと誇らしそうに、

「わたしたちは、4歳だから、お友だちにかしてあげるもん」と胸をはっていました。

 

こんな風に、赤ちゃんたちの行動をゲラゲラと笑っていた4歳児さんたちの様子を、

小学生らのグループで話すと、

遊びもしないで、かしてって言われたらはいって渡すなんて……!それじゃ、いつまで

たっても遊べないじゃない!」と言って大笑いしていました。

それぞれの年齢で、笑うポイントがちがいます。

 

4歳児さんたちが大笑いするポイントって、

3歳児さんとはかなり質が異なってくるように思います。

常識やイメージの世界がわかりはじめることから、

ユーモアを感じとる感受性が高まってくるようなのです。

 

今回のレッスンで、子どもたちが木製のおもちゃのケーキに木でできたろうそくを

さしてわたしに届けてくれるというシーンがありました。

このろうそくには、木でできた赤い炎がついています。

わたしが吹いて消す真似をすると、

子どもたちが口々に、「先生、それは、木だから消えないよ」と言います。

すると、「これは、真似だから」とみんなに説明している子もいました。

 

わたしが、「じゃあ、見ていてね。本当に火を消すからね」と言って、

ギュッと目を閉じて、「あっ、見えない、見えないから、火が消えちゃったよ」と言うと、

子どもたちはよほどおかしかったらしく笑い転げながら、

「おもしろい、おもしろい~」と黄色い声を出していました。

 

4歳ともなると、わたしから世界がどのように見えているかを

了解して、そこから生じるユーモアを感じとることができるんだな、

と楽しい気持ちになりました。

 

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遊んで育つというのは、基本的に普段の遊びのレベルが高い場合 ?!

2018-01-04 20:35:30 | 幼児教育の基本

KID´Sいわき・ぱふ代表、にほんこどもの発達研究所の岩城敏之氏が

『子どもの遊びをたかめる大人のかかわり』という著書のなかで、

「遊んで育つというのは、基本的には普段の遊びのレベルの高さです」

とおっしゃっています。

岩城氏はこんな例を挙げて説明しておられます。

 

大人が子どもたちに鶴の折り方を教えたとします。

上手な子はパパッと折って、下手な子は手伝ってもらいながら

作ります。もっと折りたいという子もいれば、

もうこりごりという子もいるはずです。

 

そこで、もっと折りたいと思うときに折れる状況が大事で、折り紙コーナーが

きちんとあるという環境を設定します。

教わった折り紙が面白かった子は、そこに集まって自分たちでどんどん勝手に遊びますし、

もしひとりも集まらなかったとしたら、そこが幼稚園や保育園の場合、教えていた先生だけが

面白くて、子どもは先生が真剣だからお付き合いしていただけということです。

 

それも悪くはないけど、遊んで育つという考え方からすると、それは遊ばなかったということ

と同じ。

つまり技術も身についていないし、習熟しないということです。

 

岩城氏の文章を引用させていただくと、次のような遊びと育ちの関係があるのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

何回も何回も「もう一つ作ろう、もう一つ作ろう、こんなんも作ろう、あんなんも作ってみよう」

と思って遊んで、はじめて子どもは育つわけです。

遊んで育つということは、こういうくりかえしが大切です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

たとえば、父の日に園でお父さんの絵を描くのはいいけれど、

普段から家族の絵を描いたり、ままごとコーナーにお父さんごっこがどれだけ盛り上がるような

仕掛けが置いてあるか、新聞とかたばことかお酒など……。

そういうことが

本当の意味で子どもの成長を育む

「普段の遊びのレベルを上げる」ということだ、とおっしゃっているのです。

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それぞれの子の個性と発達段階によって異なる敏感期の姿

2017-12-22 21:19:02 | 幼児教育の基本

 1歳7ヶ月の★ちゃん、☆ちゃん。2歳1ヶ月の●ちゃん、2歳6ヶ月の○くんの

レッスンの様子です。

 

ベビー向けのレッスンでは、親御さんに、子どもの遊び方や言葉から、

わが子が今、どんなことに敏感になっているのかに気づいてもらうお手伝いを

しています。

 

「敏感期」というのは、生物学者のユーゴー・ド・フリースによって提唱された概念です。

それを教育に取り入れたモンテッソーリは、敏感期を、

「発達の初期のころ、ある能力を獲得するために、身の回りの特定の

要素を捉える感受性が特別に敏感になってくる一定期間」として捉えていました。

モンテッソーリは、成長とは、曖昧なものではなく、

周期的なあるいは束の間生じて指針を与える本能によって、

細部に至るまで導かれる一個の作業だとおっしゃっています。

子どもの心や体の成長は、徐々に完成されるのではなく、

ある特定の時期に爆発的に完成されると考えていたのです。

 

また、敏感期には環境の習性や法則が

楽に喜びのうちに吸収され、課題の達成が簡単になること、

その時期に得られた能力や性向は敏感期を過ぎたあとも定着し、

次の段階の土台となると同時に後の生活や人生に影響を及ぼすことも指摘しています。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

実は、わたしはモンテッソーリの洞察力を深く信頼している一方で、

現在、日本の幼稚園や家庭で行われている

モンテッソーリ教育について、複雑な思いを抱いてもいます。

というのも、モンテッソーリの園に通っている子の親御さんの話をうかがうと、

その子個人の敏感期について、正確に読みとろうとする努力をせずに、

ただ「教具の世界での系統学習」という捉えで、子どもと関わっている先生や親が

多いように思われるからです。

また、同じ敏感期にあっても、子どもの個性や好みによって

教具や素材の質を変えた方がいいケースへの対応があまりないようでもあります。

 

たとえば、

折り紙を半分に折って、たくさんの三角形を作る作業に熱心な子がいる一方で、

同じように、真剣に大人の作業を観察して、正方形の角と角を合わせて

三角形を折るにしても、タオルハンカチのような素材で

人形のお世話やままごとの中で繰り返したがる子もいるのです。

 

○くんは、物のサイズに敏感な時期のようで、

長さの異なる乗り物がきっちり収まるような車庫を作ってあげると、

喜んで乗り物を入れていました。

また、懸命にブロックで物を埋めてしまおうとする活動にも熱心でした。

乗り物好きの男の子は、デュプロブロックのような色がはっきりしていて、

表面がつるっとしていて固いもので作った立方体や直方体を好むことがよくあります。

 

1歳7ヶ月の★ちゃんは、一つひとつの物の名前を言ってもらいたい時期のようでした。

幼い子たちと接していると、★ちゃん同様、物の名前をひたすら耳で聞きたい時期、

声に出して言ってもらいたい時期があるな、と思っています。

 

★ちゃんは、ミニカー類が入っていたケースをひっくりかえすと、

乗り物をひとつずつ掴んではわたしに手渡しました。

それらを受け取る度に、「白いスポーツカー。かっこいいね」

「トラック。荷物が入るのね」「これは、パトカー。警察の車よ」

「飛行機。空を飛ぶよ」「青い自動車。このタイヤ、前のタイヤの方が小さいね」

「銀色の車。ピカピカした銀色ね」などと、

ゆっくり聞き取りやすい声で言ってあげました。

★ちゃんの熱心さは、敏感期の子特有の「いったい、どれだけそれがやりたいの?」と

唖然とするほどのエネルギーに満ちています。

何十体もある乗り物を、ひとつひとつこちらに手渡しては、

わたしが「緑の車」と言えば、「みどい……ま」「トラック」と言えば、「アック」と、

必死に真似ようとしているのです。

途中で飽きて別のことを始めるなんてことはありません。

ひたすら、ひとつひとつ渡して、真剣な表情でこちらの言葉に耳をそばだてています。

また、「銀色の車。ピカピカした銀色ね」と言った時には、

もう一体、銀色の車を差し出して、それにも、「銀色の車。ピカピカした銀色ね。

いっしょ、いっしょ。銀色がいっしょね」とふたつの車を交互に指さすと

うれしそうに笑っていました。

 

★ちゃんと同じような時期の子は、機関車トーマスなどの絵カードの名前をひたすら

言ってもらいたがったり、「あっ」と自分が適当に指さすものを

ひたすら言ってもらいたがったりする子などがいます。

そうした時期に、ていねいにしっかり付き合うことで

語彙が爆発的に増えるのも実感しています。

 

敏感期の子と付き合う親御さんは、「ていねいにしっかり」とは

真反対の接し方をしていることがよくあります。

子どもが★ちゃんのように「はい」とおもちゃを手渡す行為にしても

あんまりしつこいもんですから、「はいはい」と適当に受け取る姿をよく見かけるのです。

 

この日のレッスンで、1歳7ヶ月の★ちゃんと同じように、

2歳1ヶ月のちゃんもお母さんの手に「はい」とおもちゃを乗せては、

その名前を言ってもらうのを喜んでいました。

が、★ちゃんとちゃんでは、同じように物の名前を言ってもらいたがるにしても、

お母さんに求めているフィードバックが少し異なりました。

 

★ちゃんの場合、とにかく何でもいいから手にしたものの名前を言ってもらいたい様子。

しかしちゃんとなると、ごっこ遊びの流れの中で、

ある同じカテゴリーの名前を続けて耳にしていくことに強い関心を示していました。

また、目にしている物と名前が必ずしも一致していなくても、

「そういう名前にしておく」と見立てた状態で、お母さんが名前を挙げることを

心から楽しんでいました。

たとえば、お弁当箱を手にしているお母さんにブロックを渡す度に、

「たまごやき」「ソーセージ」などの具材に見立ててもらう、といったことです。

 

この春、年長さんになった★くん。

最近になって急に文字を書くことに熱中するようになったとか。

 

これまで絵ばかりだった★くんの絵本作りに、文字がたくさん登場するようになりました。

 

★くんが文字を書くことに熱中しだしたのは、

絵だけ、切り抜きを貼っただけという絵本作りを

満足しきるまでやり尽くしたからのようです。

絵本作りのスタートは、虹色教室通信でも紹介している

色画用紙を半分に折っただけでできる、ハードルが低い絵本製作です。

最初に作った1冊を1年間楽しむような、ゆったりした関わりでしたが、

★くんの中に描くことと作ることへの強い情熱が育まれていきました。

 

 

 

★くんの大好きなジオラマ作り。遺跡の図鑑を見て、

パリの風景を真似しています。

 

 

恐竜、船、建物などに興味がある★くん。

いっしょに『世界一周ゲーム』をした後で、

初めて、ボードゲーム作りにチャレンジすることにしました。

 

 

 

ボードは図鑑のお気に入りの絵を選んでカラーコピーして使うことにしました。

進むマス目を書いて、物差しで線を引きます。

カードを作って、「たまご」をいくつか描いて、「肉食」か「草食」かも

書きました。

たまごはアルミハクを丸めて作りました。

 

サイコロでマスを進み、止まったところで、カードを引きます。

カードの指示通り、「たまご」と「肉」か「草」をもらいます。

たまごを取られるカード(バツ付き)もあります。

 

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遊べない子は、遊びに必要な技術を習得していない

2017-11-23 00:33:24 | 幼児教育の基本

 「子どもは遊びの天才」なんて言われますが、

実際には、遊ぶのが苦手な子、遊び方が不器用な子が

たくさんいるんじゃないかな?と思います。

 

子どもたちが心の底から楽しそうに真剣に遊び込むことができるようになるには、

いくつか体得していかなければならない技術のようなものがあると感じています。

 

遊ぶのに技術を体得しなくちゃならないなんて

おかしなことを言うように聞こえるかもしれませんね。

でもやっぱりいると思うんですよ。上手に遊ぶためのワザ!

 

目新しいおもちゃをちょっと触ってはうろうろするだけだったり、

遊び方の説明を聞いて、ちょっとうまくいかなくても何度か試してみるほどに

ひとつの物に根気よくつきあうエネルギーが乏しかったり、

遊びがワンパターンだったり、幼なかったり、依存的だったり、

友だちとふざけたり物を取り合ったりするばかりで

遊びが発展しなかったりする子っていますよね。

 

そうした遊び方は性格や能力に起因しているように思われがちです。

もちろん、それらの影響も大きいはずです。

 

でも、それとは別に、

「遊びに必要な技術を持っているかどうか」というのも

遊びの質と密接に関わっているのではないでしょうか。

 

では、「遊びに必要な技術」って、どんなものなのでしょう?

 

まず最初に大事なのは、

「何かとしっかり関わっていける力」をつけることかもしれません。

ひとつの遊びに愛着を抱いて、ひとつの活動を通して、

「面白いな、楽しいな」という気持ちを持続していくことができるようになることです。

 

遊びというのは、おもちゃがあって、それをいじってさえいれば

発展していくわけではありません。

楽しく遊ぶには、「いろんな形で想像力を使ってみる」という

実際に自分の頭と心を使って遊んだ体験が必要です。

遊びの世界で自分の頭を使えるようになっておかないと、

おもちゃがあるから、遊具があるから、楽しめるわけではないのです。

子どもは、自然に、物を何かに見立ててみたり、ごっこ遊びに興じたりするものですが、

大人の接し方やおもちゃが子どもの想像力を枯らせてしまったり、

奪ってしまったりすることもよくあることです。

また、もともと想像力に弱さがあって、ていねいに育んでもらわないと、

自分から使おうとしない子もいるのです。

 

環境と大人の役割は大きいです。

 

 

 
 
想像力だけでなく、思考力を遊びの中で活かしていく方法を習得すれば、
遊びはどんどん魅力的なものに発展していきます。
それでは、写真のブロック遊びをしている子どもたちを例に挙げて、
これまで書いてきたことを具体的に説明させてくださいね。
 
5歳と3歳の子たち、5人の遊びの風景です。
 
ひとりの男の子が電車のおもちゃを出してきて、ただ前後に動かしたり、
好きな電車を集めたりして遊んでいました。
遊んでいました……といっても、電車をいじっているだけなので、
それほど面白そうでじゃないのですが、飽きると新しいおもちゃを探しに行って
お気に入りに加えることで、本人の中では遊びが成り立っているようでした。
 
お家で、そうした遊びを遊びと思っている子がたくさんいます。
 
おもちゃをしばらくいじっていると、「片付けなさい」とお母さんに言われ、
片付けると、次のおもちゃが出したくなり、
出してきて触っているうちに、次の「片付けさい」という指示が来るということを
エンドレスに繰り返すうちに、
「遊び」という活動が、「赤ちゃん時期の見て触って満足」という段階から、
少しも発展していない子がたくさんいるのです。
 
電車のおもちゃを出してきて、ただ前後に動かしたり、好きな電車を集めたりして
遊んでいた子に、「ブロックを使って、その電車の駅や線路を作らない?」と誘うと、
少しとまどった顔をしながらうなずきました。
 
そこで、「ほら、前に、長い長い道路を作ったことがあるわね。
どんどん板をつないでいって」と言うと、
横でそのやりとりを聞いていた子が、パッと顔を輝かせて、
「あぁ、前にやった。もっといっぱい板がいる。もっともっと長くなくちゃ」と
言いながら、ブロックの板を並べだしました。
 

↑と↓は前にブロック用の板を並べた時の写真です。

 

↑ こんな風に道路を作って遊んだ楽しい体験を思い出したようです。

 

わたしが列車を走らせるためにブロックを横につないでいく見本を見せると、

他で遊んでいた子らも集まってきて、長い線路を作り始めました。

 

こうして手を使ってする作業に没頭し始めると、

子どもの態度は素直で落ち着いたものになっていき、

同時に頭の中はいきいきと活発に動きだすようで、

意欲的でよく練られた考えや言葉が出てくるようになります。

 

線路をつなぎ終えたとたん、Nゲージを走らせてみてから、

「そっちとこっちとで発車したら衝突しちゃうよ。

こっちの線路は、こっちからあっちに行って、あっちに着いたら

戻ってくるようにして、

あっちの線路は、あっちからこっちに行って、戻ってくるようにしたら?」と

言う子がいました。

すると別の子は自分の好きなように走らせたかったようです。

線路に1台だけ走らせるのでは嫌らしいのです。

 

そのため何度かNゲージが衝突することになり、言い合いになりかけたものの、

「それなら、連結したら?」という意見が出て、問題が解決しました。

Nゲージをどんどん(セロテープで)連結すると、長い1台の列車になるので、

1台ずつを行き来させているのと同じになったのです。

 

そうして遊び出すと、ここが終点、こうやって切符を買って……とごっこ遊びを広げる子、

駅で電車に乗る人が住んでいるお家を作ってストーリーを膨らませる子などが出てきて、

遊びが広がっていきました。

 

遊びって、ある程度、「ああ疲れた」「やるだけやった」というところまで

自分の身体なり、頭なりを使いきらないと、楽しさが湧いてこないものなのです。

その「やるだけやった」は、その時期その時期の子が

やっているうちにどんどん楽しくなっていって、「もうちょっともうちょっと」と

自分の限界までやり遂げないと気がすまなくなっちゃうような活動であること、

五感にとって気持ちいいこと、目で見て満足できるものであることが大事です。

 

だからといって、

わざわざこういうおもちゃを買いそろえなくちゃいけないということはなく、

お家にあるもので十分だと思います。

 

今回の「つないでつないで長く長くしていく」という活動は、

子どもにとって楽しくて達成感のある活動のひとつですが、

ブロックの板がなくても、下の写真のように「柵だよ」と言いながら

ブロックを置いていくだけでも、子どもにしたらさまざまな想像力を

掻き立ててくれりものなのです。

 

↑の写真の作品を作った子は、教室の端から端まで柵を付けた後で、

おもむろに立ちあがると、

しみじみと自分の作り上げた作品を眺めながら、

「どうして、こんなにすごいのが作れちゃったんだろう?」とつぶやきました。

 

置いていくだけ、並べていくだけ、囲むだけでも、道路ができ、

線路ができ、工事現場ができ、公園ができます。

そうした作業に熱中するうちに、想像力がいきいきと働き始めます。

 

「新しいおもちゃを出して、ちょっと触ってはお終い」という遊び方をしていたら、

自分の想像力を使うところまで行きつかないのです。

 

そうして想像力を働かせて遊んでいると、次には、

「上から電車を眺める駅を作りたいな」「これは特急で、こっちは回送で……」

「こういう風にしたい」「ああいう風にしたい」と

今度は思考力を働かせて、遊び始めます。

 

↑ 電車をくぐらせようとしたら、人形がトンネルの屋根にあたってしまうから

トンネルを高く作り直しました。

 

どんどんどんどん線路を長くしていく遊びから、

「地下鉄が上の駅のところに登って行くようにしたい」という願望が生まれ、

苦労してだんだん高くなっていく高架を作りました。

 

どんどんつないでいく楽しみも、

お城のなわばり図を作るという意味を意識しながら作ることで、

昔の人の知恵への関心が高まり、

自分たちもあれこれ知恵を絞って遊びこむことができました。

 

↑通ろうとすると、橋が崩れる仕掛け。

 

どんどん並べて、どんどん乗せているうちに、いろいろな物語が生まれていました。

 

どんどんどんどんつないでつないで……に熱中していると、こんな素敵な街になった

こともあります。

 

夢中になって遊ぶには、簡単にすぐできて、何度も繰り返したくなるような作業を

思い存分やることができる環境が大事だと思います。

公園でする砂遊びでも、お花を絞って作る色水遊びでも、何でもいいのです。

そうした身体を使って集中する活動を洗練させていきながら、

それがごっこ遊びにつながっていって、想像力をたっぷり使う機会が生まれるように

サポートしてあげることが大事だと思っています。

また思考力を使って次々生まれてくる願望を言葉にしたり、それを達成したり、

問題を解決したりする楽しさをたくさん体験させてあげるのも

とても大切な身近な大人の役目だと考えています。 

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「なぜ?どうして?」と問うことが少ないので心配です。

2017-10-26 19:45:55 | 幼児教育の基本

過去記事です。

 

コメント欄で次のような質問をいただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんにちは。子供について心配なことがあります。

それはあまり「何故?」「どうして?」と小さい頃から問わないことです。

私もそうだった気がします。そういうものだと受け入れてしまうのです。

これでは思考することが苦手になるように思います。

親がどのように導けばよいでしょうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「びっくりした」「ふしぎだな」「面白いな」 と感動する体験がたくさんあるほど、

子どもは、「どうして?」「なぜ?」と問うようになるように思います。

 

また、親子で「どうなるかな?」「こうなるんじゃない」「次は?」と予測したり

推測したりするおしゃべりが多いと、

「えっ?どうして?」という気持ちが生じやすいです。

 

たとえば、「今日、○ちゃんと夜ごはん食べてる時、お空にお月様来てるかな?

あそこらへんかな?」など話していたとすると、子どもは「お月様、空にいるよ。

夜だからいるよ、きっと」と答えるかもしれませんよね。

でも、実際、夜になって空を見上げると、月が見えなかった時には、

「どうしてお月様いないの?」

「今日は、曇ってて雲がたくさんあるから隠れているのかな?」

「どうして隠れているの?かくれんぼしているの?}

「どうしてかな?」といったおしゃべりにつながるかもしれませんし、

しょっちゅう夜空を気にかけるようになると、

「どうしてお月様の形はいろいろなの?」「だれか食べたの?」

「ごっつんってして、へっこんだの?どうして?」といった質問が

出てくるかもしれませんよね。

 

下の写真のような電車や駅を作って遊んでいる場合にも、

子どもが電車の上に人形を乗せた時には、トンネルにぶつかるかな?

ゴツンってするかな?」などと言うと、ヒヤヒヤしながらそれを見守ったあとで、

「あれ、ぶつからなかった~どうして?どうして?」と

親御さんが不思議そうにしていると、

子どもが「きっと、(トンネルが)高いから」などと答えることでしょう。

そんなふうに「どうして?」を口にして遊ぶことが多いと、

子どもから「どうして?」という疑問もよく出てくるようになると思います。

 

 

↑ ひもをひっぱると、あんぱんまんがぴょこんと飛び出す仕掛け。

こうした動きのあるブロック作品や工作作品は、

子どもの「どうして?なぜ?」という気持ちを育みます。

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