虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

小さな要求をかなえることでワガママな態度が減ってきます

2012-10-31 17:09:29 | 幼児教育の基本
 
 
 
3、4歳の子のわがまますぎる要求にどう対応したらよいのか、
困っている親御さんによくお会いします。

さまざまなおもちゃがあるのに、
わざわざそこにないおもちゃを欲しがって泣き喚く、
お友だちのもおもちゃを全て独占してしまう、
椅子をたおす、おもちゃを投げるといった、乱暴な行為が目立つ、
弟や妹をたたいていじめるなど……

こうした目に余るわがままな姿を見ると、
子どもを厳しく叱ったり、にらみつけたり、子どもがかわいく思えなくなったりして、子育てにさまざまな迷いが生じてくることと思います。

わがままな子には、厳しく叱れば良い。

何でも受け入れてあげれば良い。叱らずしつけると良い。

飴と鞭でしつけていくと良い。

こういうときには、こういう対応。こんな場合は、こうすれば良い。

など~さまざまな意見がありますよね。

そうした意見は意見でどれも一理ありますが、
やはり子どもはそれぞれ個性的ですし、置かれている環境も違いますから、
「こうした場合は、こう対応」というマニュアル通りにてうまくいくようには思えません。

私自身は、子どもの問題行動が気にかかるときは、
それを子どもからの「ひとつのサイン」として受け取って、

その問題に対する
「叱る、注意する」といったその場限りの対応を超えた

もう少し「積極的な対応」をするように親御さんに勧めています。

たとえば、赤ちゃんの妹や弟をたたく子には、
「たたいちゃダメ」と叱るというレベルの対応ではなく、

上の子の寂しさや嫉妬心を感じ取って、
毎日、上の子だけを、ひとりだけでかわいがってあげる時間を取ったり、
家に上の子の友だちをできるだけ呼んであげて楽しい時間を増やしてあげたり、
言葉で上の子をかわいく感じていることを伝えたりするという

「積極的な対応」です。

もちろん、悪いことをすれば、善悪を教えるために、叱ることは大事なのです。

でも、叱ることは、親の気持ちを不安定にし、子どもとの関係が悪化していく引き金にもなりがちです。

悪いと思われることを繰り返さずにはいられない行動のもとを
できるだけ正確に察して
「積極的に対応」すると、親子ともに気持ち良く、物事が改善していくことは多いです。

3歳児のグループレッスン
中、こんなことがありました。
☆ちゃんだけがいつも他の子の欲しがるおもちゃを独占して、
次々遊びを変え、
ここにないものを欲しがって大騒ぎしていました。

3歳児さんのグループですから、
ひとり甘えて私のひざに乗ってくる子がいると、他の子も負けじとひざに座ってきて
「先生~先生~」と自分の要求を次々口にします。
それでも、そうして甘えてくる子たちは無茶は言いません。かなえてもらえそうな要求を口にしているのです。すぐに対応してもらえなくても、いずれ自分の望みは聞いてもらえると感じているので、のんびりしています。

それが☆ちゃんだけは、イライラしはじめると、
大人に肩や髪の毛を触れられただけでも過敏になって暴れだし、
かなえることができないような要求ばかり出して
まるで大人の怒りを引き出すことだけを目的に、
ごねているように見えるのです。

こうしたとき、現状だけの判断で、この場合は叱る、この場合はこういう罰という対応をすると、根本的な解決法を逃してしまうように感じます。

☆ちゃんを見ていると、疲れた~お友だちのできることができない~といった
思い通りにいかない場面にぶつかって
負の感情が湧いてくるとき、

他の子のように大人を頼って、甘えて、
イライラや悲しみを解消したり
自分の感情を癒したりする術が絶たれているのです。

また、無茶な要求の裏に見え隠れするのは、
小さな要求を十分にかなえてもらったという体験の少なさです。
といって、☆ちゃんの親御さんが、子どもの要求を聞いてあげていないというわけではないのです。

とにかく子どもは個性的です。
要求が多い子もいれば、要求をうまく出せない子もいます。
また親御さんだって個性がありますから、気づきやすいこと、気づきにくいことがあって、
大きな要求をかなえることに悩んで、
小さな要求に気づいていない場合もあります。

ささいな要求が大人の都合で通らないことが多いと、
どれくらいの要求なら大人は快く聞いてくれて
どれはだめなのか
把握できません。
ストレスがたまって、自分でもコントロールできないような
爆発にむすびつきます。

ですから、こうした子どもが無理難題を突きつけてくる、
無茶な要求が多いという場合、

叱る、無視する、といったその場限りの対応でなく

「積極的な対応」をして、
子どもの気持ちを満たす「小さな要求」には、
毎回きちんと応えてあげるように
つとめると、わがままがどんどん減っていくことがよくあります。

また、感覚過敏と見える態度が
発達障害に寄るものか、
上手に甘えが表現できない親子関係に寄るものか見極めて、

どっちにしろ、フォーカスする部分を
子どもの問題行動から、
大人を信頼して甘えることができているかどうかに移すようにすると、
問題は劇的に解決しはじめます。
 
 
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子どもが無理難題を突きつけてくる、
無茶な要求が多いという場合、

叱る、無視する、といったその場限りの対応でなく

「積極的な対応」をして、
子どもの気持ちを満たす「小さな要求」には、
毎回きちんと応えてあげるように
つとめると、わがままがどんどん減っていくことがよくあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
と書いた部分に、

「小さな要求」をかなえるって、具体的にはどのようなことをすればいいのですか。

という質問をいただきました。
大人、子ども関わらず、いつも自分の気持ちや要求がないがしろにされていると、あるとき我慢の限界が来て、
常にイライラした態度になったり、激しく攻撃的な態度になったりしますよね。
日ごろ、気持ちが満たされている子は、
気持ちが急変したり、無理な要求を通そうとして泣き喚くことは少ないです。
(反抗期、真っ最中の子と、発達障害によって何かの原因がある場合は別です)

「小さな要求」というのは、「お菓子ちょうだい」と言われて、おやつ以外の時間にあげるとか、
金額の安いものなら「あれ買って」と言われたら買ってあげるというたぐいのものではありません。

たとえば、子どもが大人からすると間違ったことを言ってごねているとき、
「それはちがう」とか「こうよ」とか言って
すぐにダメ出しをするのではなくて、
子どもの発言を言葉のままきちんと受け止めてあげるといったことです。

子どもは自分がいつも間違ってばかりいる悪い子になりたいのではなくて、
(親に指摘されると、そう信じ込んで、悪い自分しか表現できなくなるので)

今も良い子で、
これからもっと良い子になるために大人の意見も受け入れる
という形で、感情の嵐をおさめたいのです。

負の感情がたまっているときは、それに呑まれて
不安定になっていますから、大人に認められて、感情がおさまるのを待ってもらって、抱っこして安心させてもらいたいのです。

そうした子どもにとって正等で「小さな要求」をきちんとかなえてあげていると、
わがままを言い続けなくても、
安心して自分自身とつきあっていけると感じて
反抗期を終えて、成長するにつれて、
笑顔が多くなり、素直で優しい態度が育ってくるのです。

ただ何度も書いていますが、子どもは個性的です。
マニュアル通り
ああすれば、こうすればうまくいく~という具合にはいきませんよね。

「小さな要求」って言葉が微妙にわかりずらいですよね。

子どもがあれこれ言ってくるとき、親にすれば、「今はダメ」
「それは今度にして」「まだ無理」と否定的な言葉で返してしまうのですが、
「~~がしたいんだね」と要求が何であれ
とりあえずきちんと聞いてもらうだけで、
半分くらいは要求がかなったのと同じ気持ちになって
落ち着くときがあります。

抱っこしたり、褒めたり、喜び合ったりすることも、
子どもの心を満たしますよね。
できそうもないことをやりたがるとき、少しだけやらせてあげるか、
きちっと見本を見せてあげるのも、
子どもは自分の要求が満たされたと感じます。

セロテープを使う、えんぴつをけずる
といったことを子どもはやりたがってぐずぐず言うときには、
「あぶない」「できないよ」と決め付けず、

「テープ台をしっかりおさえて~
ここが危ない所だから、よーく見て、
テープを引っ張って、少しななめにしてピッと取る」

「えんぴつけずりの背中のところをしっかり手でおさえてね。
ここの間に手を挟むとあぶないよ。
気をつけて、ハンドルをぐるぐるまわす」

といった具合に、ひとつひとつの動作のポイントと、
危ない部分を説明しておくと、
子どもは真剣な表情で取り組むし、
気持ちが満たされてきます。

生活のさまざまな場面で、十分気持ちを満たしてあげると、
無理な要求はだんだん減ってきます。
子どもの要求って基本的にはかわいいもので、
その都度、気持ちが満たされるように対応したとしても、それほど時間も手間も取られないものです。
とてもエネルギーがある子の場合でも、一時期振り回されたとしても、それにどっぷりつきあっていれば、
いつの間にか、自発的で、がんばりやで意欲的な子に変身していることも多いです。
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ピッケの絵本の展示会の準備をしている子どもたち

2012-10-31 12:45:52 | 工作 ワークショップ

絵本の展示会の日、絵本を飾るスペースの背景になるように

コラージュ作品を作ってくれています。

 

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高機能自閉症の子に「教えて」と助けを求めて教える力をつけていくべき? 5

2012-10-31 06:05:25 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

高機能自閉症の子に「教えて」と助けを求めて教える力をつけていくべき? 1

高機能自閉症の子に「教えて」と助けを求めて教える力をつけていくべき? 2

高機能自閉症の子に「教えて」と助けを求めて教える力をつけていくべき? 3

高機能自閉症の子に「教えて」と助けを求めて教える力をつけていくべき? 4

の続きです。

 

「高機能自閉症の子だけでなくアスペルガー症候群やグレーゾーンの子も含めた

自閉症スペクトラムの子たちにどうやって深い思考をする力をつけていくのか」への

わたしなりの答えを書かせていただきますね。

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★ その子がこだわっている世界の中で

さまざまな思考が使って行けるようにサポートしていきます。

特に、「何段階かに分けて、難しいものを易しいものに分解して

解決していく」ことや、

「自分の力では解決できない時、どうやって調べればいいのか」や

「表の見方」「グラフの見方」「図への表し方」なも体験させます。

また、好きな世界について、さまざまな種類の本を取り寄せて

読んでいくことを応援します。

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★目で見て、手で操作できる世界で

考えさせるようにします。

物作りを習慣づけることもいいですが、

「工作教室」や「工作体験」の場で、先生の見本通りそっくりに作ることや

きれいに作ることだけにフォーカスして作品を作るようになってしまうと、

そうした物作りと抽象的な記号の世界とのつながりがスパッと切れてしまって、

ここでもまた「聞く耳持たず」「興味のないことは見ることもせず」という状態を作って

上手だけど、思考の役に立たなくなっていることもあります。

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一般的な子は、自分を取り巻く環境の中でさまざまな物事に関心を持ったり、

他人の関心に乗っかったり、物や人と相互交流をしたりするなかで、

「論理的に筋道を立てて物事を考えていく」方法や、

「物事の背後にある理由に気づく力」「予測や推理をするための技術」

「年相応の自分に課せられていること、社会から求められているもの(精神的な課題)」などに

気づいていきます。

 

でも、自閉症スペクトラムの子たちが、漠然とした日常の体験や人との交流から

そういったことを学んでいくことは

とても難しいようにも見えます。

 

もちろん体験から学ぶことはたくさんあるのですが、

自分の内面で会話をしながら内省する力が極端に弱かったり、

シングルフォーカスに陥って現実を性格に把握していなかったりするので、

学びとる内容に偏りが出がちなのです。

 

ただ、自分がこだわっている世界の中では、

一般的な子同様か、それ以上に

「論理的に筋道を立てて物事を考えていく」方法や、

「物事の背後にある理由に気づく力」「予測や推理をするための技術」

「年相応の自分に課せられていること、社会から求められているもの(精神的な課題)」

などを極めていくことができるのも感じます。

1分すら集中できないように見えた子が

何時間でもくじけずにチャレンジし続けたり、

数年に渡ってひとつの問題について考え続けたりすることができるのです。

 

「こだわっている世界」はその子が最初から持ち続けるものもあるでしょうが、

後から「新しく生れるもの」や

「大人の継続的な働きかけの中で作られて行く愛着のようなもの」もあって

ゆっくりだけど成長とともに変わっていくようです。

 

先日、学童で頭脳ゲームの記事にこんなうれしいコメントをいただきました。

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1年前に見たこの記事がずっと頭にありました。
2年生、自閉圏にいる男児がいます。

ゲーム機にさほど興味を示さないので、ないままここまで来ました。息子が興味をもつことは、水道の水、電気類。
水道へのこだわりには何年も悩まされていました。

息子の世界を広げたくて、手順を重ねながら物事を考えることを教えたくて、発達が気になり始めた年中の頃から半分に枚数を減らしたトランプでの七並べ、神経衰弱などをボチボチやってきました。

もちろん進んでやりたがるわけではありません。
やってみない?やってみようよと半ば強引に誘い、時々やっていました。

トランプも枚数を減らさなくても良くなってきて、オセロなども少しはできるようになり、ドラえもんの世界一周すごろくなども時々やり、でもルールを覚えることは苦手で、自分からやりたがることはなかったのです。

それが夏ごろから、毎晩のように「やろう」というようになりました。
トランプ、オセロ、すごろく。買い足したウノ、ぴっくテン、ワードバスケット、動物将棋、人生ゲーム。ブロックスも。
ルールもそれなりに理解し、強くなって来ました。

それと前後して、いつもなんだか危うい感じだった数の概念も徐々にしっかりしてきて、勉強面が伸びてきています。
また、推測する、じっくり考えるということもできるようになってきました。
社会性も伸びてきて、何年も悩んでいた水道へのこだわりがなくなってきています。

ここに来て様々な面での成長を感じています。

大げさかもしれませんが、諦めないで働きかけてきてよかったと思います。
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教室では、ピッケの絵本を作ることで急速に知的な面や精神的な面での

成長を遂げていった女の子もいます。

アスペルガー症候群の子と創造性 1

アスペルガー症候群の子と創造性  新しい発展 1

アスペルガー症候群の子と創造性  新しい発展 2   

アスペルガー症候群の子と創造性  新しい発展 3

アスペルガー症候群の子と創造性  新しい発展 4

アスペルガー症候群の子と創造性  新しい発展 5

アスペルガー症候群の子と創造性  冒険心とアイデアの広がり

   次回に続きます。

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200円で作る大きなドールハウス

2012-10-30 22:23:55 | 100円グッズ

 

↑人形がたっぷり飾れるようにジャンボサイズ。隣は子ども用のいすです。

 

 

ピッケの絵本にちなんだ物作り + 算数遊び  を開く際、

子どもたちが作ったピッケのお人形たちを飾るためのドールハウスがあったら

見栄えがするんじゃないか……と思いつきました。

 

そこで100円ショップで組み立て式の段ボールの箱を2つ買ってきて、

作ることにしました。

 

↑ こんな箱です。

逆さにして立ててみると、いい感じ。

そこでこのままの形を活かして

お家にすることにしました。

一面だけ切り取ったら、後は折っただけ。(窓等は切り取りました。

屋根もあまり切らずにすむように、そのまま使えそうなところを貼りつけました。

(床も)

壊れたら嫌なので、2階部分の固定には100円ショップの割りピンを使いました。

ついでにドアの取っ手も割りピンで。

こんな感じ。

割りピンは好みで使っていただくといいですが、

基本の本体は、200円でできます。

子どもが工作で作った家具や人形を飾るのに最適ですよ。

背後にたまたま映ってしまったブロックから、お家のサイズを推測してくださいね。

 

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小学生の子どもたちと算数学習の様子です。

2012-10-30 18:36:34 | 算数

小学生の子たち(主に1~3年生の子らです)と算数を学んでいるときの様子を

いくつか紹介します。

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 <帯分数や分母の異なる分数が分かるようになる『分数ゲーム』

小学1年生の子らと分数ゲームを作りをしました。

 

紙皿を2つに切り分けたもの、3つに切り分けたもの、4つに切り分けたものを

数枚分ずつ作って、ケーキやピザの絵を描いたらできあがり。

サイコロにシールを貼って、2と3と4の数字を書きます。

(サイコロを加工するのがめんどうな時は、普通のサイコロのままで遊んで、

2と3と4以外が目が出た時に振りなおすのでもOKです)

 

<遊び方>

サイコロを振って、3が出たら3分の1のピース、

2が出たら2分の1のピースを取っていき、

1枚のケーキ(ピザ)を作った方が勝ちです。

 

勝った人は、1と2分の1のカードを手にして、

1と2分の1を目指してゲームを続けます。

 

写真では、勝った子が2を目標にしてゲームを続けているところです。

 

帯分数は習ったときに、できるようになっていても、

しばらくすると、どうやって仮分数に直すのか忘れてしまう子が多いです。

こうしたゲームをしていると、

直観的に2分の1+4分の2=1といった

計算がわかるようになってきます。

また分数の理解が進み、分数のたし算、ひき算、かけ算、割り算などが

できるようになっていきます。

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<表に整理すること と 規則を見つけだすこと>

小学2、3年生の科学クラブのレッスンで。

メンバーのひとりの☆ちゃんが、「お家でしたけれどわからなかった」という問題を

持ってきてくれました。

小学2年生用の問題集(『スーパーエリート問題集』)に載っているものだとはいえ、

東京学芸大附世田谷中の入試に出た過去問でなかなか難しい規則性の問題でした。

ちょうど科学クラブの子たちは、実験のデーターを表に整理することや、

表から規則的なルールを読みとることを大切にレッスンをしていますから、

実験後の学習タイムに

みんなで取り組んでみることにしました。

まず、大きな紙に図を描きなおして、

並んでいる奇数に番号を打ちました。

 

それぞれの番号にある数を書き込んでから、

どのように数が変化しているのか、

その数を求めるためにはどんな式を作ればいいのか

アイデアを出し合いました。

科学クラブの子らはどの子もこうしたルールを見つけだすのが

とても得意なので、「できるからやらせて!」「ぼくがやりたい!」「わたしが!」と

難なく書き込んでいました。

が、わたしがいじわるにいきなり、「それなら、100番目はどう?」と

たずねると、1+2×(100-1)のところを、1+2×(101-1)と

間違えていました。数が大きくなるというだけで、

何となくこんがらがりますね。

その後、1列目、2列目、3列目それぞれの一番最初の数に

つけた番号を調べて、その番号の求め方の規則についても考えました。

↑ ■くんは、30列目の1番最初の数についている番号を

当てることができてうれしそうでした。

答えは、1+2+3+4+5………+29+1

で求まります。

プログラムロボットで遊んでいます。(左端の円柱形のおもちゃです)

一度壊れてから、子どもたちが

線をつなぎなおしているので、元の形と異なります。

ロボットで紙コップを倒すコースを作っていたのですが、

良い写真が残っていません。

■くんがブロックで作ったゲームで■くんと☆ちゃんが遊んでいたのですが、

「ルール違反をした」とか「こんな小さなスペースで試合の仕様がない」とか

「そんなルール聞いていない」とか「サッカーでの罰則は、

このゲームでもあたり前に守るべき」とかでひと揉め。

 

そこへ●くんが、「何揉めてるの?」と仲裁に入り、

どうすれば解決するかいっしょに考えてあげていました。

ルールをもう一度確認しあい、ゲームのサイズを大きく作りなおして

一件落着です。

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<2年生の子らと規則性>

小学2年生の女の子たちのレッスンで。

数ヶ月前から算数の力がしっかりついてきた女の子ふたり。

文章題なら最レベの3年生の複雑な問題もスムーズに解けるようです。

ひとりの子が、「でも、これはさーっぱりわからなかった」と言いながら持ってきてくれたのが、

中学入試用の規則性の問題が載っている問題集です。

三角形が積み重ねてあって、「三角形が81枚になるときは、

何段目の時か?」といった問題です。

こうした規則性の問題は確かに難しいけれど、一方では

いくつの子がチャレンジしても、

パズルやゲームに似た解く楽しさを満喫できる問題だとも言えるのです。

足し算さえできたら、後は紙に書きだしていく方法さえ工夫すれば

答えにたどりつけるのですから。

 

そういえば、息子が

「難問を解くということは、

汎用性の高い基礎的な事柄をしっかり身につけることでもあるよ」と

つぶやいていたのを思いだしました。

 

こうも言っていました。

「難しい問題を解いても意味がない、易しい問題をたくさん解くべきだって言う人は多いけどね。

でも東大や京大の数学の問題のように難解だと思われている問題は、

実際には、数の世界の基本中の基本を扱っているというか、

数学のそれぞれの問題の本質的な意味を理解しているかどうかを問うているところが

あるよ。だから、センターの問題は小学生に解かせても意味がないけれど、

東大の問題なら小学生の解かせてみたたら楽しめるんじゃないかって問題がけっこうあるよ。

体系的な知識の積み重ねや訓練で解くのではなく

直観的な洞察力を使って解くものが主だから。

遊びの要素が濃いのかな。

といっても、しっかり解けるようになっておくには、勘だけじゃ無理で

時間はいるな。ある程度の時間、それに関わるのは避けられないけど。もうちょっと時間が欲しいな」

超のんびり屋の息子も、

受験日が近づくとさすがに時間の大切さを実感している模様です。

 

 

話を2年生の子らのレッスンに戻しますね。

規則性の問題を理解するために

ブロックで規則的に大きくなっていく形を作りました。

最初は小さなサイズで作るつもりが、

女の子ふたりとも、どんどん三角を大きくすることが楽しくてたまらなくなって

巨大な三角形をこしらえていました。

表を作って気づいたことやわかったことを話しあうと

どんどん面白い意見が出ました。

ブロックのパーツのひとつひとつに上から

番号をつけていくと、(左から右)

3段目なら、5,6,7,8、9の番号になります。

そのように番号をつけていく時、4段目の一番小さな数はいくつで、

一番大きな数はいくつか、

10段目の一番小さな数はいくつで、一番大きな数はいくつかといった

問題も考えました。

ブロックでさんざん遊んでいた子らは、

ブロックを指さしながら、

「一番小さい数って前の段の最後の数よりひとつ大きくなるだけだから

そんなの簡単だ」と言っていました。

↑自分なりに数のきまりについて

書いて考えいました。

規則性の問題を子どもと楽しみたいという方は

写真のようなブロックの山を作りながら、

「この三角の山に隠れている秘密を探り出そう!」と提案して、

思いつく限りのルールを自由に言い合うといいかもしれません。

規則性の問題の解き方を教えるのではなくて、

物をよく観察して、「いくつずつ増えているか」とか「こういう表を作ってみたら面白そう」といった

自由なアイデアを出しあって

紙に書いて検証しあうのです。

計算してみて、面白いルールを見つけたら

それも発表しあいます。

算数の世界がとても好きになりますよ。

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<どうして低学年の子に植木算や旅人算などを教えているの?>

 

虹色教室では、小学校低学年の子らにも

植木算や旅人算といった中学入試向けの算数の問題に触れる機会を

たくさん設けています。

 

でも「どうして?いくら何でもそんな先取り必要なの?」と感じている

方がいらっしゃるかもしれませんね。

 

実際に、とても有利にはなるでしょうが、

中学入試に有利だから、という理由でそんなことをしているわけでは

ありません。

 

さまざまな理由がありますが、

一番の理由は、算数が実生活でどのように役立つのか、

今練習している計算訓練は、何のためにあるのか、

問題を通じて自然に理解することができるからなのです。

 

算数の本当の面白さや頭を使うことの楽しさにも

気づけます。

 

植木を道路に植えていくということ、

自分が見慣れている都市の景観にどれほど算数が深くかかわっているのか、

そうしたことを知っていると、

「算数が将来なんの役に立つんだ?」何て疑問に縛られて、やる気を失うこともありませんよね。

野球の試合も見せずに、野球を知らない子に、

素振りばかり練習させても、上達させるのは難しいはずです。

算数だって同じです。

 

植木を端から端まで3メートルおきに植えていく時、

2本植えたら、端から端までは何メートルで、

3本植えたら何メートルかという植木算の基本的な問題は、

指を折って、簡単な足し算ができるようになった子ならすぐできます。

そこで、絵を描いて考えてみることを学ぶと、

たちまち応用がきくようになってきます。

 

子どもの頃、わたしは団地や学校の階段で、

じゃんけんしては「グーリーコ」「チヨコレイト」「パイナップル」と言いながら、

段を上り下がりする遊びをしていました。

そこで起こっていることは、旅人算について考える上で描く線分図の上で起こっていることとよく似ています。

幼い幼児にしても、グリコばかり続くよりも、パイナップルばかり続いた方が相手より先に

進めることを体感で理解しているはずです。

そして、こうした生活に溶け込んでいる算数の概念に

好奇心をくすぐられる感性を持っているからこそ、これが子どもを惹きつける遊びになるんですよね。

 

虹色教室の幼児さんたちは、物を規則的に並べていくことが大好きだし、

ブロックでピラミッドのような形を作ることを喜びます。

そうした時に、算数の規則性の概念への気づきにつながるような

問いかけをしていると、

算数がとても好きになっていきます。

 

計算のタイムを縮めるために計算プリントをこなすのでなく、

そこに勉強の動機があるのではなくて、

植木を植えるために計算する……というのは、

意味を実感しやすい体験です。

そこで、ミスをして、自分の盲点となっていることに

気づくことは、その子が抱かされてきた

イリュージョンを揺るがせて、素直に世界を眺めることができるようになる

きっかけを作ってくれます。

 

なぜ算数を学ぶの?

 

という問いは、小さな本作りをしてみるだけでも

すぐに理由を理解することができます。

たてとよこの長さを無視すれば、

絵が貼れないとか、本の形にならないとか何らかの

不都合が生まれてくるのです。

基礎的な知識をためたり、

計算を訓練したりすることは大事です。

 

でも、実際の暮らしのなかで、どう算数が使われているのか知り、

自分も算数を使って何かしてみて、

それから訓練に戻る、

訓練からまた、どうして算数が必要なの?という疑問を探る

活動に戻る、

という行きつ戻りつする

学びの時間を作ってあげたいと感じています。

 

 

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ブロック講座5日目  「ゴム」の性質に夢中になる  「高さ」で遊ぶ 

2012-10-30 12:58:19 | デュプロブロック

4歳1ヶ月の★くん。

ゴムによって運動を生み出す方法をいろいろ学んでもらっていたところ、

えらく感動した様子で、自分でもゴムの力を使ったものを作ろうと一生懸命でした。

 

ビー玉用のコースターに

ゴムではじく部分を付けて、試行錯誤していました。

どうもうまくはじくことができない様子。

 

そこで、摩擦を減らすように

ツルっとした面を作りだす工夫をすることや、

ブロックにゴムを挟むことで、前後の動きがスムーズになるようにする

提案をしたところ、大成功。

 

うまくいってとっても喜んでいました。

線路を作った後、トンネルを作って

そのトンネルに列車に乗せた動物たちがひっかかるかひっかからないかを

楽しんでいた4歳6ヶ月の●くん。

次には線路上にひもを渡して、

障害物競争のような「ひっかかるかひっかからないか」ドキドキしながら

通るゾーンを作っていました。

●くんも前回の子同様、感覚が優れている子のようで、

「高さ」や「同じものをたくさんつなげていくこと」などが

作品作りの中核になっていました。

 

↑ 水族館の移動車の作り方を教えていたら、

釣り堀を作ってくれた子がいました。

今日は4歳の子らが2人参加していたので、

算数タイムにポケモンのチップでゲームをして遊びました。

まず、自分の好きなポケモンを3ずつ選びます。

 

勝負をする時は、その中から1匹、場に出して、

さいころを振ります。

チップに書いてあるさいころの目(3と4と5など)が出たら、

書いてある攻撃力で戦えます。

 

どのポケモンを選ぶと強いのか戦略を練るのが

面白いのと、

どのような手順で勝ち負けになるのか

理解力も必要です。

 

さすがに4歳のふたりは、勝つためによく考えて

手を出していて、

それを見ていた1歳児さん、2歳児さんたちは、

形だけ真似して、

なぜそんなことをしているのか意味はわからないまま、

さいころをじろじろ見ながら動かす振りをして、自分の出したい目が出るように細工しようとしていました。

火山の噴火。1歳11ヶ月の○くんと1歳10ヶ月の◎くんが

前のめりになって、泡がぶくぶく吹き出してくる様子に大はしゃぎしていました。

 

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ブロック講座 4日目 ブロック遊びと性格タイプ

2012-10-29 16:17:21 | デュプロブロック

ブロック講座で初めて教室に来てくれた4歳3ヶ月の●くん。

お母さんから、「身近で接していてもわが子の性格タイプがわかりません。

もしわかれば教えていただきたいです」とお願いされていました。

 

●くんは教室に着くなり電車のおもちゃに興味を示して、「どうしてドアが開いているの?」と

何度もたずねていました。

ドアを開け閉めするためのレバーを教えると、

しばらく遊んでいました。

その後、高い位置に線路を渡して遊ぶ時は、少しでも線路がずれると

ゆがまないように直したり、

デュプロの線路をつないでいく際には上の写真のように線路のわきに沿うように

ていねいにブロックを組んでいました。

また、穏やかで大人しい性質なのに、「自分の大事なもの」に触れられると激怒したり貸せなかったりする姿、

色や物の長短や数に注意が向く姿、

光のような美しさを感じる科学の世界に

魅了される様子や考える作業が必要な活動で一番いきいきと楽しそうにしていたのを見て、

内向感覚の思考寄りの子ではないかと思いました。

 

●くんがとても喜んでいた電車の電飾掲示版。

100円ショップの色が変わるライトの周囲にセロテープで作った文字の

シートを回転させて動かしています。

 

ストローの先にブロックを取り付けています。

アンテナのようです。

↑クリスマスの駅なのだそうです。

4歳1ヶ月の女の子とママの共同作品。

階段のように見えますが、男の子たちには

エスカレーターに見えていたようです。

ブランコは、デュプロの汽車のおもちゃの部品でできています。

算数タイムにブロックで作る数の階段パズルや合わせて5のじゃんけん、

かわいいケースに3個ずつボンボンのお菓子を詰める遊びなどをしました。

とても面白かったのは、お姉ちゃんの付き添いで参加していた1歳半の★くんが

一人前に椅子に座って、自分も1の指を作ってしっかり参加していたことです。

3、4歳のお兄ちゃん、お姉ちゃんが熱心に3個ずつぼんぼんを詰めていたら、

最初は1個だけ容器に入れて満足していた★くんですが、

どうも自分だけちがうようだ、と勘付いたらしく、自分でぼんぼん入りのプラスチックの入れ物を取りにいって

何と……ちゃんと3個盛って、「はい」と見せていました。

この通り。わかっていたのか、偶然なのか……!?

 

3個集めては、「うまくできた」とニコニコの子どもたち。

 

 

 

性格タイプと作品についてまとめた過去記事をコピペしておきます。

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虹色教室では(ユングのタイプ論による)子どもの性格タイプを把握して、
それに合わせた接し方をすることがよくあります。

このように話すと、子どもを一時期の外からの見た目で分類して、
「○○タイプ」という情報のフィルターを通して、
小さな枠に押し込んだ形に育てるのじゃないかと心配する方もいます。

でも、実際に性格タイプについて思いをめぐらすことは、
そうしたステレオタイプな見方や考え方とは
真逆にあるとも言えるものです。

もともと人は、自分以外の人を眺めるとき、
「自分」というフィルターを通して眺めているものです。


自分の感じ方や見え方や感じ方

それまでの自分の経験や教えられたこと

自分が良しとするもの、価値を感じるもの、あこがれるものによる格付け

今いる環境にある価値観をどうとらえているか……


そのように「自分」を通して相手を理解しているものです。

わが子についてより広い視野で理解しようと思っていても、
自分にとって「わからないもの」「ネガティブに捉えてきたもの」は、
やっぱりそのようにしか見えないし、
理解しようと思うあまり、極端な甘やかしに傾いたり、
嫌な部分は見て見ぬふりをしてしまうこともあります。

一方、欠点は小さいうちからしつけて修正していかなくてはと思うあまりに、
その子の個性的な長所まで押さえつけて、
子どもの性質となじまない親の価値観を押しつけてて育ててしまうことも
多々あります。

性格タイプを知るということは、
まず、自分の見え方や感じ方や価値観が
全てではないと知ることです。

また、今、子どもの置かれている環境にある価値基準も、
あるひとつの価値観を体系化したもので、
絶対的なものではないことを学ぶことです。

たとえば、ユングのタイプ論では、
人の構え(態度)を大きくふたつに分けて考えています。

外向性と内向性です。

といっても、人はそのどちらかに分類されるのではなく、外向性も内向性も持っているけれど、
ふだん表に出ている態度がどちらなのかで、「外向的な人」と「内向的な人」という違いが生じています。

外向的な人とは、関心が外の世界に向かっていて、どんな環境や状況にも
合わせることができる人です。
内向的な人とは、外の世界よりも自分の心の中の世界に関心が向かう人で、
身の回りの環境は、
自分の心に合っているか、受け入れられるかを一番に考えます。

環境や出来事が、みんなからうらやましがられるようなすごい価値を持ったものでも、
自分にとって興味がなければ価値を感じないのです。

わが子が、外向的な人にも内向的な人にも
その性質だからこその長所があります。どちらかが正しくて良い態度だから、
どちらかの態度に矯正していくものではなく、
一方に偏り過ぎずバランスよく、
長所を磨きながら生活していくのがよいのだと思います。

外向的な人の長所はどんな環境にも合わせられることです。
でもそれは自分が何をすると、楽しい気分になり、充実できるかを、
環境や状況に依存しているともいえます。

内向的な人は、新しい環境や状況になかなかなじめないけれど、
ひとたび自分に自信を持つと、
トラブルが起きたり、周囲から批判されたりしても、
強く信念を抱いてやりすごせるところがあります。

そのように、人の態度に、外の世界か、自分の内面かという
ふたつの方向性のようなものがあって、
どちらにも長所と短所があることを知っておくと、
次のような良い点があります。

たとえば、子どもをサークルや幼稚園に連れて行った時、
そこになじまず、嫌がって泣くことが続くと、
「この子は、社会性が育ってないのかしら?」「今まで甘やかしすぎたのかしら?」
「発達障害があるのかしら?」
「どうしてこんなに頑固でわがままなんだろう?」と、
子どもに対するネガティブな思いでいっぱいになってしまう時があります。

確かに、そうした態度を取る子の中には、社会性の育ちがゆっくりで、
発達障害の疑いのある子もいます。

でも、そうではなく、内向的な性質のために
新しい環境になじむまでに時間がかかる子もいることを知っておくことは、
大事なことだと感じているのです。

もし、それを知らないと、「この子は協調性がないから」と
子どもに無理させたり、攻撃的な言葉で責めて自信を失わせるような
こともあるからです。

特に外向的な方が内向的な子を育てている場合や、内向的な方が外向的な子を育てている場合は、
誤解や偏見によって、子どもの心を傷つけたり、
本来の子どもの性格を抑圧して、親の価値に添うようにゆがめて育てることがないように
注意しなくてはなりません。

そうした意味で、私は子育て中、
性格タイプに考えをめぐらせることや、
子どもの性格タイプを把握するように努めることは大事なことだと
感じています。

 

子どもの性格タイプについて知っておくことが特に大切だ、と感じるのは、
[子どもとはこういうものですよ」「子どもはこのように発達します」
「子どもはこのようなことを好み、こうすると進歩します」
といった人気の育児法や教育法をもとに子育てしている時です。

たとえば、モンテッソーリ教育を実践している方の中には、

「全ての子どもは秩序感を好み、同じ作業を満足するまで繰り返すもので、
それをしたがらない子は発達を逸脱した子ではないか」

と信じている方がけっこういます。

実際、モンテッソーリ教育の関連本では、「全ての子どもはこのような存在である」と言い切るような
説明がなされています。

私はモンテッソーリ教育のすばらしさを実感しているし、どの子にも大切なものだとは思っています。

でも、子どもたちに接していると、
モンテッソーリの「お仕事」を嫌がり、
手本通り教えようとすると、おちょけて自分勝手に振舞う
ごく普通の子たちがいるのです。

モンテッソーリ教育というフィルターを通して眺めると、
「問題児」か「困ったちゃん」か「発達がゆっくりの子」にしか見えないほど、
感覚的な作業を繰り返すことを嫌がり、いつも新しい刺激を求めて
奇想天外な物の使い方をし、手本通りせずに、自分のやり方にこだわる子です。

子どもは「どの子もこのようなものである」という捉え方を緩めて、
子どもにはさまざまな性格タイプがあって、優れている機能が異なる……という見方をすると、
直観が優れている子たちは、感覚が劣等機能にあたるので、
モンテッソーリの教育法が苦手な子がいても少しも不思議ではないのです。


「感覚的な作業を繰り返すことを嫌がり、いつも新しい刺激を求めて
奇想天外な物の使い方をし、手本通りせずに、自分のやり方にこだわる子」

というのは、

「想像力に富み、独創的で創造的で、機械的推理能力が優れていて、
ユーモアがあって柔軟で意味を察することが得意」な子が多い
直観が優れているタイプであることがよくあるのです。

 



↑ユースホステルのレッスンで。マジックボールを10ずつすくっています。30すくって、「10の3回分」と言っていた子もいました。(ココプラザの美術工房です)


今回のユースホステルでのレッスンは、
外向型の子と内向型の子が、半々くらいの比率でした。

全員、初めて会った子たちなのですが、外向型の子らは、
和室での2時間半ほどのレッスンの間に
もう何年来の仲良しみたいに親しくなって、じゃれたり、けんかしたり、「いっしょに~しようよ」と相談しあって
移動したりしていました。
私にもたちまちなついて、
食事の時には、「ぼくが先生の隣だよ」と主張したり、自分の工作を動かすための方法を習いたがったり、
理科でクイズを出すときには、自分が先生のように振舞って、「みんなちゃんと座って!こっちで勉強しないと
意味ないじゃんんか!」としきることもまでやっていました。
ルールのあるカードゲームも、
初めてするものも、すぐにゲームの流れを察して、
楽しそうに遊んでいました。




一方で、内向型の子たちは、そうして積極的に参加している子たちの様子を観察することからスタートし、
ゆるゆると自分のペースで関わっていました。
私が、「○○してみる?」と誘うと、
ちょっとひきつった表情をして、固まるか、首を振る子もいます。

そのように表面的には、その場の活動への参加を嫌がっているように見える時も、
こうした内向型の子たちは、
イメージの世界では、「こんな風に参加したい」という自分像を持っていたり、
ひとりひとりの人を観察しながら、その人との距離の取り方を測っていたりするのが
わかりました。

内向型の子たちは、その内気でもじもじした消極的な態度からは
想像がつかないくらいに理想的な自分の振舞い方のイメージや高いプライドや自分なりの考えや判断を
持っている場合が多々ありますから、
安易に積極的な子たちと同じ活動をするよう干渉しすぎると、
それが原因で傷ついたり、へそを曲げてしまうことがあります。

自由度が高い場では、ちょっと冷たいようでも、(ひとりにさせておくようで気にかかるでしょうが)本人がしたいようにして、
そっとしておくといい場合があります。
そうして、あまり構いすぎないようにして様子をうかがっていると、
自分がやってみたいと思うことをしている子たちの方を
食い入るように見つめているはずです。

もし、そこで、大人が寄ってたかって
機嫌を取ったり、なだめすかして参加させようとしたり、強制的に他の子の輪に入れようとすると、
内向型の子たちは、
そうした自分への侵入的な態度に反発したり、ただなすがままに依存的に従ったりして、
「ぼくは(私は)ダメな子なのかな?」という
他の子たちより自分には足りないものがあるというイメージを自分にかぶせるときがあります。

ただ、そっと子どもを尊重して待ってあげることが、
大事な場合が多々あるのです。(発達障害を持っている子への対応はまた異なります)

 

続きを読んでくださる方はこちらをどうぞ

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 4

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 5

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 6

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 7

子どもの性格タイプについて考えることでどんないいことがあるの? 8

 

子どもの性格タイプによって
作る作品も創作活動から学び取るものもずいぶんちがうように感じます。
感覚タイプや感覚寄りの子たちは、労を惜しみません。大量の作業をこなしながら「規則性」を導きだします。
直観タイプや直観寄りの子たちは、大雑把であまりていねいに作りませんが、独創的で、自発的に次々ひらめいて作ります。
科学的な仕組みを利用した
工作なども好みます。
作品作りから抽象的思考を発展させます。
感情タイプの子も思考タイプの子も、感覚寄りか思考寄りかで、
作品作りから何を学びとるかが、異なるように思います。


<内向的思考感覚寄りの子の作品>(内向的感覚思考寄りの子かも)



内向的思考感覚寄り、内向的感覚思考寄りの子たちは、
大人顔負けの作品を作るけれど、大人の手助けを嫌がって
全て自分で作りたがります。

直観タイプの子たちが壮大なアイデアを思いつくものの、
めんどうな作業は手伝ってもらうことをすぐにあてにするのとは
ずいぶんちがいます。

このタイプの子たちの作品は計算された建築物のような美しさがあるものが多いです。
色にも形にも数にもこだわります。

作品作りを通じて、「規則性」に気付きます。

<内向的思考感覚寄りの子の作品>(内向的感覚思考寄りの子かも)



<内向的感覚思考寄りの子の作品>(内向的感覚感情寄りかも)



<外向的思考直観寄りの子の作品>(外向的直観思考寄りかも)


駅のエレベーター。入口と出口が変化するように
工夫しています。色使いもきれいです。



独創的で直観的な作品作りが多かったので、ずっと外向直観思考寄りの子だと思っていたのですが、
成長するにつれて思考力が急速に伸びてきたことと、感覚を必要とするていねいな作業も得意なことと、
他人の感情を読むことが少し苦手なことから、
外向思考直観寄りの子だろうと思うようになりました。


<外向的直観思考寄りの子の作品>(外向思考直観寄りかも)




おおざっぱな作りとはいえ、独創的で宇宙をテーマに作っているところと、
他に船や車などを作るときに、動きを作りだす工夫をしたり、自分で発想して、問題を解決していく力があるところから、
外向直観思考寄りの子ではないかな、と思いました。

<外向感情感覚寄りの子の作品>




たくさん作る労を惜しまないところがあります。
感情に響く作品作りが好き。写真は詩のカード。



友だちとの交流を目的にした作品作りも好きです。

<外向的直観感情寄りの子の作品>







遊べる作品が好き。自分のオリジナルアイデアを盛り込みます。仕上がりはこだわらず、大きなサイズのものを
作るのが好き。
<外向的直観感情寄りの子の作品>


アイデア重視で、2階建てにするとか、3階建てにするとか、凝ったものが好きです。
大きなサイズの遊べるものを作るのが好きです。


<外向的感覚思考寄りの子の作品>

このタイプの子は、労を惜しまないところと、
頭を使うことを好むところがあるので、自分から「テスト」や「通知表」「スケジュール表」などを作りたがる子がいます。


<内向感覚感情寄りの子の作品> (内向的感情感覚寄りの子かも)


美しい色が好き。労を惜しまないところと、ていねいに作業する繊細さがあります。
自然への興味につながる制作を好みます。

(香水作り、石鹸作りなど、貝殻でする制作、星座を手芸で表現するなど)


<外向的感情感覚寄りの子の作品>

労を惜しまないところがあります。ファッション、お人形などのテーマを好みます。



<外向的直観思考寄りの子の作品>(外向的直観感情寄りかも)






ボールの向きを変えるアイデアを工夫しています。
他にも運動の向きを変えたり、
玉を押しだすさまざまな仕組みなどを、ゼロから考え出す力が優れています。



<外向的直観思考寄りの子の作品>


中学生の男の子の作品。ライトがつくピタゴラスイッチ。

<内向的直観思考寄りの子の作品>


うちの息子の高校生のときの作品です。色合いや構図がこのタイプの子が
好みそうなものだなと思いました。

 






内向感覚思考寄りの子 と 内向思考感覚寄りの子
外向感覚思考寄りの子 と 外向思考感覚寄りの子 は、たいていどの子も積み木遊びが大好きで
そこから自然に多くのことを学びとります。

↑の写真は、おそらく内向思考感覚寄りと思われる1歳後半の男の子と積み木で遊んでいる様子です。

感覚タイプの子たちは、物のサイズに敏感で、
囲った空間に、ぴったり物を収めることが大好きです。
秩序も好きですから、
同じ数ずつ、空間に収めて並べていく作業も喜びます。

積み木遊びに色画用紙を取り入れて、
数台の電車をはみださないように置くことができる
スペースを作ってあげると、「狭い」「広い」という概念に親しみ、
面積に対する興味にもつながります。

色画用紙を折ってトンネルを作ったり、紙で立体を作って
展開図のようになったものを見つつ遊べるようにしてあげるのも
このタイプの子の気持ちを満たします。

このタイプの子たちは長さが比べられる写真のような棒状の積み木や
遺跡などを作るとき仕上がりがきれいなレンガ積み木でよく遊びます。

このタイプの子らは、遊ぶことと学習の壁が薄いです。
歴史や地理や化学や計測と関係ある算数を幼いころから好みます。

けれども、感覚的に学びたいときに、
考える問題をあれこれ出題されると
勉強を嫌がるようになるかもしれません。

自分の興味からスタートする学習を
何度も繰り返すことが好きなのです。
几帳面で完璧主義なので、できることが確認できないと、
取り組みたがりません。理想やプライドが高い子が多いので、
他の同年代の子と比べるような学習をさせると、
強い拒絶を示すときもあります。

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積み木遊びの話からそれますが、お勉強の話も少し……。

感覚タイプの子たちは、計測することがとても好きで、
算数を学び出したとき好むのも、


まわりのながさが、14センチの四角形があります。
たてはよこより1センチながいです。
たてとよこの長さは何センチですか


といった問題や、


12デシリットルと、300ミリリットルを合わせると、何デシリットルになりますか


といった問題や、

表やグラフにデーターをまとめてあって、分析しながら解いていく問題です。


感覚が優れている子たちはたいてい
新しいことよりも慣れている繰り返しを好みます。

ですから、毎日コツコツがんばって、
スローステップで力をつけていく系統学習を好む子も多いし、実際、それによって
力がついていきもします。

ただ、感覚が優れている子の中でも、
思考を使うことを好み、難問にチャレンジすることが好きな

外向か内向の感覚思考寄りの子 と 
外向か内向の思考感覚寄りの子の一部には、

スローステップで学ぶ方法はまどろっこしくつまらなく感じられる子もいるようです。

感覚が優れている子で、

思考タイプで感覚寄りという子も

感覚タイプで思考寄りという子も、

一般的に基礎計算の繰り返しなどを好むと捉えられている

「幼児期や低学年の子」

という枠からはみ出してしまうような

論理的な思考や抽象的な考え方を、
早い時期からしはじめます。

そうした子らは、暗記して練習させるだけでは、勉強に対する興味を失ってしまいます。


知力を限界まで使いたい子たちには
解いていて充足感が味わえるような問題を与える必要があります。

話を積み木遊びにもどして……


↑の写真は、外向的思考直観寄りの子と作った「なわばり図」ですが、
これはもともと内向的感覚思考寄りの子の作品からスタートした遊びです。




↑のような遺跡作りも、
美しさだけでなく
世界や歴史への興味を広げられる点で、

内向感覚思考寄り、内向思考感覚寄り、
外向感覚思考寄り、外向思考感覚寄りの子が好む積み木遊びです。

 

 

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算数難問研究部 が発足。 算数好きの小3、小4生が集まりました。

2012-10-28 17:27:37 | 算数

算数が好きな小3、小4生を集めて

算数難問研究部を始めることになりました。

(教室は狭いので、部屋を借りています)

 

今日が一日目。すごい熱気です。われこそは……と必死で問題を解く姿勢が

飛び火して、さんざんおふざけをしていた子たちも問題を解きだしたとたん、

自分から進んでより難しい問題に取り組もうと真剣そのものでした。

 

最初に面棒を使って自由な形を作る時間に

正八面体や正二十面体を作っていた子がいたので、

跡見学園中学の次のような問題をみんなで解くことにしました。

正二十面体の各辺を3等分して、図2のように頂点を含む部分を取り除き

図3のAのようなサッカーボールに似た形を作ります。

①多面体Aの面の個数は? (答え  32個)

②多面体Aの頂点の個数は? (答え 60個)

③多面体Aの辺は何本か?(答え 90本)

自分たちで作った正二十面体に触ってみながら、

一部分について深く考えてみることで規則を見つけ出しています。

 

ヒントを頼りにしながらも、全員正解にたどりつくことができました。

 

この問題を解いた後で、作った模型が大切な宝物のように感じられたようです。

 

↑科学と工作が大好きな●くんが持ってきてくれた電磁石。

休憩時間に、光るシャボン玉液を作りました。

シャボン玉を飛ばしたのは昼間の屋外だったので

光っているようにあまり見えませんでした。

今回のテーマは、「図形を上手に描くには?」や「辺と角、立体図形の関係」「面積図に慣れる」

といったことだったので、色つきの木の棒を使った遊びもしました。

 

 面積図を使って解く問題の数々は、数学パズルのようで
とても面白かったようです。
 
面積図にする作業が面白くて、子どもたちを夢中にさせていた問題はコレです。
↓ きちんと解けていました。
  
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何人かの子どもたちが、ならべた長いすに座ります。1脚に4人ずつ座ると、
16人が座れません。また、1脚に6人ずつ座ると、1脚だけ2人が座り、1脚あまってしまいます。
長いすは何脚ありますか。 また、子どもは何人いますか。  (答え  13脚  68人) 
 
 

 

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作品が半壊して涙。心が折れそうになるのを乗り越えて完成。

2012-10-28 16:51:01 | デュプロブロック

年長さんたちのグループレッスンで。

今日は、親御さんたちにブロック遊びをテーマにして子どもたちの姿を参観していただきました。

 

どの子も自分で課題を作りだし、自発的に集中して取り組むことができていました。

 

線路を高架の上に走らせたいと考えた★くん。

最初は、2、3の線路のつなぎめの下に

支えを作ってためしていたのですが、だんだん夢中になって、自分ひとりでこんなに立派な作品を

作り上げました。

参観しているお母さんといっしょにいた☆ちゃんの妹ちゃんが、そのそばを横断しようとして

転んでしまい、せっかく完成間近だった作品がガラガラと崩れました。

 

それには、★くん、涙をポロポロ。

大人が元通りにするのを手伝いかけると、怒ってそれも崩してしまいました。

でも少しの間、泣かせてあげると気を取り直して

自分で黙々と作り始めました。

 

その後も何度も崩れるアクシデントがあったのに、それからは

心を強くして作り続けていました。

そして、とうとう完成。列車を走らせることもできました。

とてもすてきな作品ですね。

 

女の子たちの作ったドールハウスです。透けた屋根から中が覗けます。

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『生きる力』のもとは真実の言葉を話すこと、人と出会うこと

2012-10-28 06:31:18 | 教育論 読者の方からのQ&A
明治生まれの国語教師、
大村はま先生の著書『日本の教師に伝えたいこと』(ちくま学芸文庫)
を読んで、深く感動しました。
少しだけ紹介させてくださいね。(一部省略しています)
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(子どもたちは)まず真実の言葉を話せるようにしなくてはなりません。
どんなときに真実の言葉が育たないかと言いますと、たとえば何か読んだあと、すぐに教師が感想を聞くとします。

感想というのは、言葉にすることの難しいもので、たくさんあっても、なかなか言えないものです。
考え深い子どもが、かえって言えなくなる場合もあります。

ところが学校には、学校型の優等生がいて、ぱっと手を挙げて感想を言います。
すると教師はそれを聞いて、「ほかに」と言って、(発言した子は、ちっともねぎらってもらうこともなく)「ほかに」「ほかに」とやっているうちに、
とにかく答えることがいいんだ。
考えることよりも答えることが大事だと心得る、そんな風にならされていくわけです。

答えられたときだけ褒められて、黙っているとよくない。子どもは教師に喜んでほしい。これはもう当然のことですから、何か言おうとします。

私は、これは恐いことではないかと思います。
ほんとうに自分の気持ちが表せる言葉でなくとも、とにかく適当に言えるというのは、
恐いことではないでしょうか。

それから教師が「ほかに」と言って、じっと自分のほうを見ていると、
何か言わないと悪いような気がしてきて、子どもはそういうところは
大人とまたちがった可憐なところがあるので、
それでついちょっと思いついた言葉を言います。

ちょっと思いついた言葉なのであって、心の中から本当に出てきた、
言おうと思った言葉ではありません。
言おうと思ったことばではなくとも、何か言えるとほっとするのです。

そういうふうに、言おうと本当に思ったことではないことが、いちおう人に言えるということは、とても寂しいことのような気がします。

別に悪いことではないと思いますけれども、しかし、あまり親友を得たり、本当にに人と交わる喜びを感じたりすることが、少し難しくなるのではないかと思うのです。
            (↑『日本の教師に伝えたいこと』より引用)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今の時代は、
『心の中から本当に出てきた、言おうと思った言葉をを言う』
ことの大切さをすっかり忘れているのかもしれません。

幼い子たちにしても、大人たちがまるでパソコンやロボットにインプットするように知識を注いで、
それらが、できるだけ素早くたくさんインプット通りに子どもから出てくることを期待する姿があります。

本当は、子どもは大人が大人の知識を入れたり出したりする道具ではなくて、
その子の内面で熟成され、形になろうとしている
まだ言葉にならないその子特有の思いがあるのです。
黙っている子どもは、
それを外の世界に出そうとする生みの苦しみを抱いているのです。

そうして表現した自分の言葉を他人に受け止めてもらってはじめて、
子どもの自分というものの核となるものができてくるように思います。

大村はま先生は、読後の感想なども、感動するほど、言い表すことばが浮かばないもので、それは単に表現力がないということと別物だとおっしゃっています。
それを無理に言葉にさせてしまうと、適当に、とにかく言う習慣が身に付いて、
言語生活者として基本的な、

『本気で考えて、本気のことを素直に言う』

ということがなくなっていくそうです。

子どもに何げなしに、
苦しまぎれに何か言わないと、できない子と思われる、
という気持ちにさせないことが大切なのだとか。

のど元まで出ている気持ちが言えないときには、
大人が自然な形で「こうかな」と具体的な言葉でフォローしてあげると良いそうです。

工作のワークショップや虹色教室で、子どもが自分の真の言葉を語ってもいいという雰囲気を作っていると、
子どもたちはひとことしゃべるごとに、自分への自信を深めていることがわかります。

子どもの表情の輝き、したことがない算数の問題に「はい」「はい」と手を挙げる様子、その後、家に帰ってからも、何時間も何かに熱中する姿があるのです。

大人たちは、いろいろ教え込んで子どもを「できる子」に仕立て上げて、
自信をつけてあげようと考えがちです。

でも、そうした愛情が、自分の真実の言葉を見失うほど
他人の言葉を子どもの中に注ぎ込むことだとしたら、

何ができるようになっても、子どもは大村はま先生がおっしゃるように
真の言語生活者になれないのかもしれません。

写真は、京都のワークショップに参加してくれた男の子の作品です。
いつも言いたいイメージが溢れてきて、何も言えなくなってしまうところがあるようです。
ゆっくり耳を傾けると、面白いアイデアが次々飛び出してくるのです。

先日は家族でクレパス絵画展に来てくれて、もじもじと恥ずかしそうにしていたのですが、「ブログに☆くんのパトカーの作品をアップするね」と言うと、
満面の笑みを浮かべていました。
家に帰ってから、
「お母さん扉の外にいて欲しかった」と告げたそうなのです。
絵画展では緊張して話せなかったけれど、私に話したいことがいろいろあったそうです。
照れて何も言えなかったようだけど、誰かに本気で伝えたいと思う自分の言葉を、
心の内側にしっかり持っているところが、すてきだなと思いました。
 
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明治生まれの大村はま先生の指摘は、
今もちっとも古くなっておらず、むしろこれから教育の場で非常に重要になってくるのかもしれないと感じました。

というのも、
ちょうどいただきものの雑誌類を整理していて、ついでにパラパラと拾い読みしていたら、こんな記事を見つけたのです。
記事で目にとまったのは、「物語る力」という言葉。

ビジネス・ブレークスルー大学院大学学長の大前研一氏が、
アメリカ人ジャーナリストのダニエル・ピンクのこんな言葉を紹介していたのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いまもっとも必要とされるのは「物語る力」だ。
「符牒的な答」など存在しない時代だから、自分の意見を物語として説明し、相手の「共感」を得る必要がある。
もちろん反論も出るだろう。それをくみ上げたうえで、両者が納得できる結論を生み出す。そうした「合成する力」こそ、21世紀のリーダーに求められるものだ。        
 (講談社MOOK セオリー より)
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「物語る力」といえば思い浮かぶのが、息子の学校のある先生です。
過去記事を紹介しますね。↓

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
息子の通っている学校に、
『教えるのがとても上手な先生』という方がいらっしゃいます。

息子いわく、
学習内容への興味を掻き立ててくれるし、モチベーションが上るし、授業がわかりやすくてとても良い~とのこと。

その先生が、今の学校で教えるようになるまでの経緯を聞いて、
ちょっとびっくりしてしまいました。

何でも、旅行好きだった先生は、若い頃は、定職に就かずに、
世界中を貧乏旅行して渡り歩いていたそうです。
あるとき、塾の教師になろうと働き始めたとき、
その塾は、生徒たちに、
「授業のわかりやすさ」等で先生を評価するシステムをとっていたそうです。
すると、何と、結果は最下位だったのだとか。
その結果を前にして、
「絶対、だれよりも教えるのがうまい教師になってやろう!」と決意したそうです。


その後、その思いを強くして、教員を目指して勉強し始めたときは、
かなりの年齢になっていて、
いざ、教職に就こうと学校を打診しはじめたときは、
教員になる年齢制限の35歳くらい~を、過ぎていたのだとか。

そこで、この先生はどうしたかというと、
自分がどのような経緯で今にいたり、どんな人間か……等、自分の思いをつづった手紙を50通、さまざまな学校に送ったのだそうです。
すると、年齢制限の枠を超えているとはいえ、
5通の返事があったのだとか。

その後、その先生は、その5つの学校に
「自分はまだ教育実習を受けていないので、
働く際に、そこの学校で、まずそれを受けさせていただいてから、
働かせてください~」といった内容の手紙を送ると、

何と、良い返事が3つあったそうです。

そうして、今の学校で、授業の上手な先生として
働いておられます

この先生の情熱を受け取って、手紙を返したってところで、
うちの学校もなかなかやるじゃん~と思っているらしい息子。
確かに、先生もすごいし、学校も太っ腹ですね。

人間、なりたい夢がはっきりしていて、
思いが強ければ、どんなことでもなせばなるのもですね~
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息子はこの先生の
「人は会って話をすれば面白い人間かどうかわかる。そのために面接があるようなもんだ」という言葉が気にいっていて、
娘と将来について話すとき、よく話題にしています。

娘も、「音楽聞いたり、本物の芸術に触れたり、自分でいろんな体験をすると、それが全部自分の一部になるって読んだことある。
成績とか資格などとは別に、自分らしさを磨く体験をいろいろしておきたい」と言います。

大前研一氏は、次のようにもおっしゃっています。(簡単に要約しています)
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新しい時代において20世紀型の秀才はまったく役立たない。どんなに暗記が得意でも、正解そのものが存在しないからだ。

答えがないなら、自分の頭で考えるしかない。
そういう意味では、先生に言われたことを従順にこなす子どもより、
むしろ単純作業に嫌気がさして宿題をわざと忘れてくるような子どものほうに可能性がある。「なんでやらなきゃいけないのか?」と疑問に感じる心が大切なのである。

新しい時代に通用する人材を見抜くポイントは3つある。

まずは、前提条件を提示する能力。
知識自体は価値を持たない時代には「頭の構造」を調べる必要がある。
「そもそも」という発想ができない処理型人間ほど無用の存在はいない。

次に大切なのは環境の変化に合わせて自分を変えていく能力だ。
細かい兆しを見落とさず、一人で柔軟に対応するしか生き残る方法はない。

3つ目は、能動的な生き方をしてきたか。アメリカのヘッドハンターは、必ず過去の業績を見る。中学の頃に運動クラブを立ち上げて会計係をやったとか、高校のブラスバンドで老人施設を計画的に訪問していたとか、何でもいい。
イニシアチブをとる人間だったのか、それともフォロアー(その他大勢)だったのか、自然に見えてくる。

一方、日本の履歴書は箇条書きで、資格の欄に普通免許とか書き込むだけ。
国民皆免許の時代には何の意味もない。将来、花開くようなやつは、仲間を集めて近所の川掃除をしていたり、学生時代に冒険旅行に出たり、必ず何か語れるものをもっていた。
20世紀型の秀才たちは不思議と書くことがない。先生の言うとおり生きてきた人間は、朝起きました、歯を磨きましたという日記風にしか書けない。

エスカレーターに乗って受動的に生きてきた人間は、文章を書かせるだけでもはっきり見分けられる。
         (講談社MOOK セオリー より)
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これから「物語る力」が、どうしてこうも求められるのか?

それは、グローバル化が進んでいるからなのでしょう。
大前氏のインタビューから例を借りると、
日本の若者たちも日本の外に出て、
海外の工場が閉鎖するようなときに、
どうやって相手を納得させるかといった手腕が問われるようになってきたからなのでしょう。

新学習指導要領の『生きる力』でも、思考力・判断力・表現力等をはぐくむ観点から、言語活動の充実があげられています。

それはただ語彙をたくさん知っていて、
問われたらそれなりの答えが返せるということより、
大村はま先生のおっしゃるように、

『本気で考えて、本気のことを素直に言う』
『自分の心から湧き出てくる真実の言葉を言う』

ことが重要なのでしょうね。

 
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