虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子育ての悩みと問題はこんがらがってくるほど多種多様

2013-08-31 23:38:45 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

この記事に「子供とかかわるすべての職業の方々に、読んで頂きたい大切な記事です。

一元的な考え方では、現在の子育て状況で苦しんでいる母子を救いだすことはできないと思います。」

というコメントをいただいたので、過去記事ですがもう一度アップします。

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虹色教室では、赤ちゃんから小学生までの
さまざまな年代の子の成長を見守りながら、
その都度、親御さんの悩みや迷いに耳を傾けています。

子育てには、悩みと迷いがつきもので、
「何学年も先の学習も楽々こなして、聞きわけがよくて、友だちもたくさんいる」
といった悩みようがないような子を育てている親御さんにしても、
常に新しく現われてくる障害物に頭を抱え込んでいる現状があります。

そうした問題は、親御さんの「考えすぎ」というより、
現代の子どもをめぐる環境と深い関わりがあるものが多いです。

ですから、安易に問題から目をそらしたり、不安な気持ちに蓋をしたり、
その都度、流行の解決法を盲信したりするのではなく、

ひとつひとつの問題にきちんと向き合って、
心の整理をしていく必要があると思っています。

そうでなければ問題と問題が複雑に絡み合って雪ダルマ式に膨らんでいって、
簡単には解決しない問題に発展することがめずらしくないからです。


幼児を育てている親御さんが悩んでいるとき、

★子どもにハンディーキャップがある場合

★子どもにハンディーキャップがない場合

のどちらかで、考えの整理の仕方も対応方法もずいぶん異なるはずです。


といっても、このふたつのケースは簡単に線引きできるものではなくて、

「子どもに明らかな障害が見て取れて、病院で診断も出ていて、
療育の環境も整っていて、
親御さんの心が子どものハンディーキャップを受け入れている」方と、

「子どもの発育が良好で、発達そのものには何ひとつ気がかりがない」方の
間には、

「周囲の子に比べて気になるところはたくさんあるし、検診や園で指摘を受けているけれど、ハンディーがあるとは受け入れたくない」方とか、

「気がかりな点は多々あるけれど、個性の範囲内。
トラブル続出で悩みがつきない」方とか、

「子どもにハンディーはなさそうだけど、親子の相性が悪いために、
子どもの問題行動が多い」という方とか、

それは多種多様の立場で悩んでいる方がいらっしゃるはずです。

「子どもには まったく問題はなく、周囲からもそう言われるけれど、
親の不安や心の問題が投影されて、しじゅう子どもに問題があるように感じられる」という方もいます。

「子どもが常に周囲の子よりもダントツによくできて、何一つ欠点がないという状態でないと、(普通のレベルだと)子どもに問題があるように感じる」という方もいます。

そうしたそれぞれの違いをあいまいにしたまま
ぐるぐる悩み続けたり、
誰かにアドバイスを求めても、
その問題は解決したとしても、解決法そのものが次の問題の火種になったり、
問題を先送りにして深刻化させるだけだったりするものです。


子どもの問題にぶつかるとき、問題そのものは似通っていても、
それにぴったりあった解決法はそれぞれ異なります。


★ 親御さんが悩みを言葉にして、リラックスして、
子どもへのまなざしのあり方や言葉のかけ方を変えると解決するケース。

★ 子どものハンディーキャップを受け入れ、障害特性を学んで、
対応法を改善すると解決するケース。

★ ママ友同士の関係や子どもに過剰な期待を抱いてしまう癖といった
親の問題が子どもの問題のように感じられていることに
気づくと解決するケース。

★ 現代の子育て環境の中で、子どもの運動量が減っていて、
一般的な子の身体や脳の発達不全が原因で問題が起こっていて、
十分、暴れまわる時間を作るなどすると解決するケース。

★ 手と目を協応させる作業を増やすと、解決するケース。

★ 「泣く」「怒る」といったネガティブな感情を
表現することを許されて、子どもが自分の気持ちを言葉にできるようになると解決するケース。

★ 子どもの性格タイプにあった働きかけを増やすと解決するケース。

など。


問題が起こったとき、解決法を模索することも大事なのですが、

現代の子育て環境が原因で起こっている問題は、
事前に予防することも大切だと思っています。

「幼い頃から発達が良好で、幼稚園にも習い事にもすぐに適応できました。
友だちも多いし、学習課題も年齢よりずっと先のものまでできています」

という子を育てている親御さんが
小学校に通い始めたわが子のことで悩んでいると聞くと、
「なんと贅沢な……悩まなくてもいいことで過剰に悩んでいる」という
印象を受けるかもしれません。

でも、現代の子育て事情では、
小学生を育てている親御さんの非常に多くの方々が、

「すぐに疲れた、疲れたと体をくにゃくにゃさせて、家に帰ればゲームかテレビ。
意欲や向上心が見えず、時折りびっくりするような幼い言動が目立つ」

わが子の姿に悩みを抱えているのです。

そうした子のほとんどは、
上で紹介したような
「幼い頃から発達が良好で、幼稚園にも習い事にもすぐに適応できました。
友だちも多いし、学習課題も年齢よりずっと先のものまでできています」
という経歴の持ち主で、
今現在、学校での勉強や友だち関係で何か問題があるのかというと、
皆無に等しい子らなのです。

だったら、気にする必要はないのか……というと、
親なら誰もが、子どもが毎日疲れ果ててヘナヘナ~と崩れそうになって生活していれば、やはり気にかかるし、
意欲や向上心が見られなくて、
愚痴や苦情ばかりつぶやいていたり、ちょっとしたことでキレたりしていれば、先々のことが心配になるものです。

それなら、どうすればいいのかという対応法を考える前に、
その原因のひとつ思われる子どもの大脳の活動の働きの変化について
お話しますね。

日本体育大学で、子どもの「大脳新皮質」の覚醒水準や前頭葉の活動のようすを調べる実験をしたところ、次のような結果が出たそうなのです。

大脳活動の働きは基本的には「興奮」と「抑制」の過程から成り立っています。
本来、 刺激に対してあまり興奮もしないが抑制もできないという「そわそわ型」は、幼児には多いけれど、小学校に入ると減ってくるのがこれまでの傾向だったそうです。
それが、90年代中ごろになると、小学校に入学したあとも5割をこえる高い水準になって、高学年になるにつれて増えていく傾向もみられるようになってきたのだとか。

このような子どもたちは、先生の話を聞き続けられるのはせいぜい1分間ぐらいです。
そうした困った脳を持っている子がクラスの多数派になっている現状では、
いくら「これから習う漢字や計算はできている」状態で
子どもを学校に送り込んだところで、
子どもの教育に関する悩みから解放されるのは難しいのです。

人は成長するにしたがって
「何かあれば十分に興奮できるし、必要なときには抑制もできる」という「活発型」の要素を身につけ、発達していくものなのだそうです。

それが、ごく普通の多くの子どもたちが
「集中力が弱く、落ち着きもない」という「そわそわ型」の脳のまま小学校生活を過していて、
それが高学年になるにつれ増えていっているとすれば、
当然、だんだん学力が下がってくるという問題にもぶつかるでしょう。

そのとき、塾に行かせるとか、通信教材を取るといった解決法で上手くいくのかというと疑問なのです。

「何かあれば十分に興奮できるし、必要なときには抑制もできる」という「活発型」の脳は、平均的な割合では幼稚園年長児で15%前後なのだそうです。
でもある幼稚園ではこの「活発型」の子が55%もいるのだとか。
その園では、毎朝30分、友だちといっしょに、じゃれつきあい、転げまわる「じゃれつき遊び」という遊びを実践しているそうです。

一昔前の子なら、きょうだいや近所の子と四六時中していたと思われる
じゃれつき遊びを30分するだけで、
学んだり、我慢したりすることが疲れずにできるような脳に発達していく子が
そんなに増えるなんてびっくりしますよね。
 「とっくみあい」や「おしくらまんじゅう」など昔ながらの「接触型」の遊びには、こうした「活発型」の脳にしていく効果があったのではないかと見直されているそうです。

関連があるのかはわからないのですが、虹色教室で、
ゲラゲラ思いきり笑うとか、自由に友だちとふざけあう時間を持つだけでも、
その後の学習時間に、「えー」「わかんない」「何?」といった半分寝ているようなぼんやりした反応が減って、問題を解くときの集中力が増すことがあります。

これも関連があるのかわからないのですが、
豊かな自然に囲まれて海外で暮らしている子が教室に来ると、
キラキラした目の輝きや体中にみなぎっているやる気や好奇心に
ハッとするときがあるのです。
一方、お勉強や集団でのしつけを売りにしている幼稚園に通い出すと、
それまでいきいきとして頭の働きが良かった子が、
ぼんやりとしていることが増えたり、
会話を交わすとき体をくねくねさせて返事が遅くなったりすることが
気になっています。


話をもとに戻しますね。

「すぐに疲れた、疲れたと体をくにゃくにゃさせて、家に帰ればゲームかテレビ。
意欲や向上心が見えず、時折りびっくりするような幼い言動が目立つ」

という小学生を抱える親御さんの悩みは、
一朝一石には解決しないのかもしれません。

でも、幼児期に、
自然と触れあいながらゆったり外遊びをさせたり、
自由遊びの多い園を選んだり、
家族でじゃれあって遊んだりすることは、
そうした問題の予防にきっと役立つのではないでしょうか。

 

 

子育ての悩みと問題は、だいたい次のようなものに
分けられると思います。

★ 子どもが、今、他のみんなと同じようでない

★ 子どもが、今、自分の期待通りではない

★ 自分が設定した子どもの目標と、子どもがあっていない

★ 自分が、今、親として自分の理想通りではない

★ 子どもの環境が(幼稚園、学校、友だち、教育、教師、遊び場など)自分の期待通りではない

★ 自分の環境が(ママ友、夫、祖父母、子どもから離れる時間、肉体的疲労、精神的ストレス)期待通りではない

★ 具体的に解決方法を模索したい問題がある

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こうした悩みのひとつひとつは、
正確に「誰が、何を、どうしたい悩み」なのか
把握しておかないと、
もやもやとくすぶらせたままで、見当違いの解決法に走ると、
次々と別の悩みを連鎖的に生み出す原因となってしまいがちなのです。

どうして、「誰が、何を」なんて点を明らかにする必要があるのかというと、
この悩みには「子ども」という
親とは別の人格なのに、
親の一部とも延長線上にあるものとも錯覚してしまいがちな存在が
関係しているからなのです。

たとえば、親が「うちの子はみんなと同じではない」と悩みを抱いたとします。そこで、「みんな」と感じているのは、親子がいっしょに付き合っている
同じ月齢の3,4人の子どものことなのかもしれません。
はっきりさせると、自分が近視眼的になっていて、
見方にゆがみがでていたことに気づくかもしれません。

「同じでない」と感じているのは、
知的な能力のことかもしれないし、
乱暴、臆病すぎといった気質のことかもしれません。

この悩みをいったん言語化して客観的に眺めてみると、
子どもの発達の順序や時期にはずれがあるので、大きな時間の流れで物事を捉えれば解決するかもしれないし、
実際に、何らかのハンディーを知らせるサインかもしれず、
情報を集めたり、病院で診断を受けるきっかけになるかもしれません。

気質の問題だとすると、
親がママ友との仲に固執するあまり、
その子の気質にあった子と遊んでいないという問題かもしれません。

「誰が」をはっきりさせるというのは、
本当に「子ども」が困っているのかという見方で見直すと、
「子ども」にとっては、自分よりしっかりしたタイプの子が多い中で過しているおかげで、最適の成長を促されているので、
とても良い状態である場合もあるのです。

でも、そこで、「子どもが、今、他のみんなと同じようでない」という悩みをあいまいにしたまま、子どもに期待をかけると、
「子どもが、今、自分の期待通りではない」という新たな悩みがはじまります。また安易に、目標を定めて改善しようとすると、
「自分が設定した子どもの目標と、子どもがあっていない」という悩みも加わり、そこで子どもを叱ったり、冷たい態度を取ったりすると、
「自分が、今、親として自分の理想通りではない」という悩みも生じます。
そうして悩み出すと、子どもと自分を取り巻く環境全てが
うらめしく思えて、環境が悪いので自分の悩みは改善しようがないという気持に陥るかもしれません。

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幼児を育てている親御さんが悩んでいるとき、

★子どもにハンディーキャップがある場合

★子どもにハンディーキャップがない場合

のどちらかで、考えの整理の仕方も対応方法もずいぶん異なるはずです。
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ということを、書きました。

私はもともと 子どもを「障害のある子」「ない子」で分ける捉え方が
好きではありません。
特に発達障害の子の場合、名前の中に「障害」などという言葉が入っているものの、
実際には「育ち方の個性が強い子」「対応にちょっと工夫がいる子」
といった言葉の方がしっくりくる気がしています。

実際に子どもたちと接していて、ハンディーキャップをもっている子は、ない子に比べて、ある面で苦手なこともあるけど、得意もあるし、短所も目立つけど、磨けば輝く長所も際立っていると感じています。

ただ、気にかかる面がいろいろある子に対して、
「子どもには個性があるものだから、
何かができないからといって、障害うんぬんの話をするのはおかしい。」と
決め付けて、発達障害等に情報を全て遮断してしまうのはどうなのかと思うのです。

変なたとえですが、アトピー性皮膚炎のある子を育てながら、
なぜアレルギーが起こるのかという情報を知ろうとしなければ、
皮膚のかぶれを悪化させたり、
薬を誤用して副作用によって後々苦しむことになったりしますよね。

それと同じで、子どもに気になる点が多いとき、
発達障害についての情報に目を通して、

「知らないことが原因で、誤った対応をする。子どもの困った態度をより悪化させるような対応や2次障害を起させるような対応をする」

ことを避けるだけで、

気になっていた問題はどんどん消えていき、
発達障害かどうかといったことで悩む必要がなくなるケースは多いのです。

ですから、子どものことで悩んでいるとき、
「いろいろ気になることはあるけれど、この子に障害なんかない」
という気持ちで、子どもに厳しく当たったり、周囲の対応に不満を感じたりするよりも、

「発達障害かどうかはわからないけれど、まず情報にだけは目を通して、
今の気がかりな問題に、取りあえず正しい対応をしておく。」と、
悩みが悩みではなくなり、
解決することが可能な具体策へと変わってくるはずです。

以前、「(今の社会に)発達障害児は多すぎるのでは?」という意見をいただいて、それに対するお返事の記事を書いたことがあります。
過去記事で長くなりますが、興味のある方は読んでくださいね。

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最近、ちょっと問題を感じたらたいしたことない子まで発達障害という名前をつけて、騒ぎすぎる……

と考えておられる方によく出会います。

昔は、そんな診断しなくてもちゃんと育った……

そうおっしゃる年配の方々もよくいます。

ここで注意が必要なのは、

かつての小学校では、今、発達障害と診断されるような子もそんな診断名はつけられずに普通に育っていたし、
そんな診断つけて騒ぐから問題のある子になるんだ……

という考えの盲点です。
現在、非常にたくさんの子が不登校となり、
たくさんの若者がひきこもりとなっています。
また、就職したくてもできない、就職しても続かない若者がたくさんいます。


もちろん、不登校やひきこもりの子がかならずしも
発達障害を持っているわけではありません。

けれども幼稚園や小学校で、周囲とうまくなじめなかったり、
攻撃的だったり、不器用すぎたり、言葉の理解にたくさんひっかかるようなところがあったり、授業中立ち歩いたり妨害したりする子……
というのは、親も先生も何らかの対策をとって
ていねいにその子に向きあっていかないと……

当然、子供同士の関係悪化や「先生に自分だけ叱られる」「勉強がわからない」といった理由で、
不登校になるリスクは高くなるのではないでしょうか?

子どもなんてそんなもの……
発達障害などという考えを追放してしまえば
昔と同じように子どもはきちんと育つ

と考えるのは、ある意味「無策」でもあって、今後、さらに子どもや若者の問題を増大させていくように感じます。
子どもの発達障害について切り出すと、
「最近の親はしつけもせずに、何でも病気のせいにして……」と厳しい
批判を加える方がいます。
「個性よ。個性。昔は、発達障害なんて言葉はなかったし、
きちっと叱れば子どもなんてどの子もちゃんと育ったものよ」と言い張る方もいます。

多少対人関係に苦手があっても
親の仕事を継いだり身内の職場で雇ってもらえたりした時代なら、
親は安心して子育てできたはずです。
人付き合いが極端に下手でも、それはそれで素直に親の指示に従えて
良いと考えていたかもしれません。

しかし現在の厳しい就職事情のもとで、
社会人としてひとりで自立して生きていくためには
社会性のハンディーは死活問題です。
また貧しかった時代とちがって、だらしない服装をしているというだけで、
アルバイトで雇ってもらうことすら難しいのです。

偏屈で人嫌いで身なりに構わない人も
世間にはいろんな人間がいる~と、
それなりに仕事をして社会に受け入れられて生きていけた時代……

そんな時代なら、たとえ発達障害がある子であっても
成長過程のでこぼこを、個性とあきらめて育てていけばよかったのでしょう。
叱られても叱られても悪い癖がなおせずに、
しまいに2次障害になってアルコール中毒やギャンブル中毒になっても、
男とはそういうもの……男らしさのひとつの形として
理解されていた時代なら良かったのです。

しかし現在に生まれた発達障害を持った子は、
定型発達の子でも仕事を続けていくのが難しい社会を
自分ではコントロールできない部分に振り回されながら生きていかなければ
ならないのです。

子ども時代なら、親が親身になって、
克服しなければならないことを乗り越える手立てをしるしてもらえます。
だからこそ勇気のある親たちが
力を振り絞って病院に出かけたり、診断を受け入れたり、子どものためにできることを真剣に考えているのです。

子どもの言動がわからないところだらけなのに、発達障害についてわかってきた過去の貴重な知識の集積をあてにしないで、一個人の親が思いつくしつけ法で、何ができるといえるのでしょう?

叱ったり、罰したりするうちに
親子ともども追い込まれて、
たくさんの親子が繰り返してきた悪循環の渦にのまれるだけではないでしょうか?


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上の文に次のようなコメントをいただきました。↓
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今は親ともに安らぐ子育てはしてはいけないのですか?昭和の時代の子育てはジャイアン症候群とかのび太症候群なんて病気はありませんでした。ジャイアンのような子はガキ大将として、のび太のような子は、優しい子として周りは接してくれていました。しかし今は少しでも着替えが遅いと病気ガキ大将的存在の子は病気、何か苦手な分野がみつかると、病気!病気!病気!何なんですか?!大人の手をやかせる子はみんな病気なんですか!
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昭和の時代は、ある意味、おおらかで生きやすい時代でしたよね。

昭和の時代は、確かに病名こそつかなかったけれど、虐待に近いしつけもまかり
通っていたはずです。また明らかな差別もありました。
理解できないものは、追い払う、排除する、という人権を無視した行為が
行われても、だれも疑問も持たないような空気もあったのです。

「窓際のトットちゃん」がちょっと落ち着きがないからと、
小学校をやめさせられたことを
知っている方はたくさんいますよね。

私が小学生のころも、クラスに、今なら発達障がいと診断を受けるような子がいたのですが、親たちの苦情と、先生の無理解のなかで、転校していきました。☆お塩の足りないスープ鍋
という記事で書いています。

私が中学生だったころも、今思うと発達障害があったと思われる子が保健室で体育の先生からボコボコに殴られるなんて日常茶飯事でした。

それこそ、中学3年間、最高の「悪さ」が、廊下を早足で歩いた程度という
まじめ一筋の私や友人でも、廊下で少しふざけていたという理由で、
体育教師から思い切り平手打ちにあったり、頭をげんこつでなぐられたりしたことが何度もあるのです。
教室で態度が悪い子がいるからと、英語の教師が教室内で竹刀を振り回したこともありました。
でも、どんな理不尽な出来事も、テレビのニュースで取りあげられることもなければ、親たちが騒ぐこともありませんでした。

また、当時は医学的な知識がなかったので、自閉傾向を持つ子の母親は、育て方が原因とされて周囲から責め立てられ、
それは辛く苦しい思いをして子育てをしていました。
きちんとさせようという責任感が、子どもへの虐待行為に
なっていたことも多かったと思います。

実際、大人になって発達障がいがあることに気づいた方が、
子ども時代を振り返って、辛い記憶を告白するとき、
先生から汚いもののように扱われたり、裸に近い格好をさせられたり、
「また学校に来たのか?よく来るな…」といやみを言われたり……
と信じられないようなお話をたくさん耳にすることがあるのです。

それでも、昭和の時代は、大人が今のように子どもを監視する習慣はなかったので、
どこか間が抜けていて、すき間だらけで、
やんちゃで乱暴な子にも、いじめられっ子にも、居場所があったような気もします。
また、確かに、小学校が、親たちから文句を言われない完璧さを
保とうと今のようにピリピリしたところがなかったのでしょう。

大人の手をやかせる子はみんな病気なんですか? 

という疑問の『病気』という言葉は、
今、親や教師や療育関係者や社会が理解しようとつとめはじめた
『発達障がい』という言葉があらわしている概念と重ならなくなってきているように感じます。

確かに、最初、発達障がいは、病院という場で、子どもの不適応や不登校や情緒的な問題を分析する中で、体系化されてきた歴史はあるのでしょう。

そのように障害として見ることからスタートした
発達障がいに関する知識の蓄積は、
現在、発達に、ある特性がある子、
一般的な発達の順序とは少し異なる育ち方をする子、
脳のタイプが多数派ではない子というかつてより幅広い捉え方で、
子どもの困り感に寄り添おうとする親や教師たちの
情報源となっているように思います。

昭和の時代のように、差別するためにレッテルを貼るという発想は、どんどん社会から失われているのです。それよりも、違いはある、できるできないはある、
といった運命に対するあきらめを含んだ態度から、

ひとりの子の人権、可能性、幸福、最適の教育、教師のあり方を
模索していく個にフォーカスしたひとりひとりを大切にする発想が、
支持されつつあるのだと思います。

現代の学校は、確かに問題もたくさんあるのでしょうが、
かつてより、ひとりひとりの子どもを大切にしていることも事実なのです。

発達障がいの知識は、けっして、検品作業の中で、一部の子を
粗悪品として除外するために使われている訳ではないはずです。

さまざまな個性を尊ぶ、人権が大切にされつつある世の中の動きのなかで、

かつては、読字障害のある子は、知能の遅い子とみなされたり、
一生できないまま終わっていたところを、
方法さえ探ればできるようになる可能性を与えたり、

かつては感覚過敏の苦痛を訴えればわがままとして、
ただ我慢させられたり、鍛えられたり、わがままと叱られるだけで終わっていたのを、
感覚過敏を理解し、最低限の暮らしやすさを約束してあげることにつながったり、

多動ゆえに、知能に問題がないのに教育から恩恵が受けられなかった子に、
教育のチャンスを与えたり、

不登校、家庭内暴力、ニート、鬱、離職といった、発達障がいの2次障害の問題が起こらないようにする

ことに役立ってきたのです。

科学にしたって、最初は錬金術からのスタートです。
同じように、発達障がいをめぐる問題は、
最初こそ、障害を研究することからはじまったのでしょうが、今は障害という概念を越えて
さまざまなレベルの子の困り感に役立っていると感じています。

妙な例で、例えると、肩こりは病気って呼べるでしょうか?
言えませんよね。
しかし、肩こりという痛みや困り感を軽減するのに役立つ知識は、
病気の研究から出発して蓄積されたものですよね。
(そんな肩こりも、病院で薬をもらって直そうとすると、「●●●障害」なんて、
えらくかしこまった名前をつけられるかもしれません。)

それと同様に、今、発達障がいについて、正確に知りたいという方が増え、
その知識の蓄積が
子どものさまざまな問題の解決に役立ち始めた現代は、

子どもの可能性をできる限り伸ばそう、
「できない」とあきらめていたことも、解決法があるのではないか……

といった期待のもとで、発達障がいについて考えていく方が増えたのだと思います。

教師が、発達障害では?と子どもに疑問を抱くとき、「変な子だな~」と思って、親を傷つけるために、そうした考えを持つことはめったにないと思います。
どう教えてもできるようにならない子も、
きちんと正しい手順を踏めば……方法を学べば……解決法を探れば……
できるようになるのではないか?
そうした思いで、発達障がいについて学び始める方がほとんどだと思います。
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発達障害の当事者の方から
次のようなコメントをいただきました。↓
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「何が何だかわからない安心できない世界」の中で生きているということは、社会に対する基本的信頼が形成されにくいということでもあります。
教師の言葉に従って行動したら、学級で自分ひとりだけ違うことをしていたとか、友達と話し合って決めたことを実行したら、自分以外誰もそうしていなかったとか、そういうズレを多数経験すると、何を信用していいのかわからなくなることがあります。
客観的には本人が相手の言葉の意図や場の状況を把握できなかっただけのことですが、本人の主観では虐めに遭ったのと区別がつかない場合もあります。
しかし、どのように生まれつこうと、心的向こう傷のない人生は有り得ないですし、すべてを理解しあえることも有り得ません。
自閉スペクトラムという概念を知って、自分のズレが招いた様々なことに何年かかけて納得した時、社会に対する恨みが減少しました。
ほどよく諦めがついたのが、建設的に作用したのだと思います。
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私は、できるだけ早い時期に 発達障がいの可能性に気づいて、
親や周囲の大人は、
そうした知識に目を通すだけでもしておいた方がいいと考えています。

それを、何でもかんでも「病気」と決め付ける行為とは
思っていません。

そうして、いくつかの対応をとってみたら問題が消えて、
気にしすぎだったな~と笑えるときがくると、
とてもうれしいです。

どうして早めに発達障がいかも……という気づきが得たいかというと、

知能に問題がないのに、発達障がいによる2次障害が原因で、
勉強についていけなくなる子や、
不登校になる子を減らしたいからです。

また、子どもがいじめを受けたと感じて傷ついているときに、
親や教師といった大人たちまでも「おまえが悪い」と決め付けて、取り返しがつかないほど子どもを傷つけてしまうようなことをしたくないからです。

そうして、困り感を減らすうちに、発達障がいなどという
言葉がそぐわなくなったなら、
それほどうれしいことはないのです。

子どもに、「何が何だかわからない安心できない世界」の中で生きているという
そんな辛い思いだけは抱かせたくない
と心底 思っています。

コメント (2)

発達障害のある子への学習支援

2013-08-31 23:32:51 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

『決定権を誤解する子 理由を言えない子』 には次のようにあります。

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発達障害のある子と関わる専門家には、

「知識・技術」「価値観」「予見する力」の

三つが必要です。

具体的に言えば以下の四つになります。

●子どもを理解するために、的確な評価をしているか

●課題指導の際に求められる相応の技術を身につけているか

●評価を踏まえた上で、子どもの今や将来にとって必要で適切な課題設定をしているか

●その課題は、子どもができるようになるという確かな予測に基づいているか


(発達障害がある子に誤解をもたせない育て方のポイント)湯汲英史 小倉直子 かもがわ出版

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この発達障害のある子と関わる専門家に求められるという

「知識・技術」「価値観」「予見する力」は、
学習面でいろいろ気になるところがある子たちの学習を
支援する親や教師たちにとっても

大切な能力だと思います。

学習で「わからない」や「できない」が多い子に、

とにかく基礎が大事だからと、
計算を大量に解かせたり、漢字を練習させたりして、
見た目上「自学自習」のスタイルが保てるようになると、
これで大丈夫と考える方がいます。

また、通信教材で、できる部分をさせていたら、
やらないよりましだから、それでいいだろう、と考えている方もいます。

早めに補習塾に通わせて、授業の予習復習をしてもらえば
いいんじゃないか、と思う方もいるでしょう。

それらが悪いわけではないでしょうが、
学習面でいろいろ気になるところがある子に対しては、
それだけだと、大事な時期にしておかなければならないことを
やり残してしまうように思えるのです。

ここで私が伝えておきたいことは、

「学校で測るテストが、

そうした子たちの困難な部分を正確に測りとってはくれていない」

という事実を忘れないでほしいということなのです。


学習でつまずく子の困難は、本当は、
「繰り上がりをなかなか覚えられないところ」に
あるのではなくて、


3歳児向けの「まちがいさがし」のようなものでも、
ごちゃごちゃある中から、情報を拾い出すことができないとか、


耳で、ふたつのルールを聞いた場合、
一方しか覚えられないとか、


少し長い文章を読む場合、人は情報を整理しながら読んでいるということがわからなかったり、

極端に語彙力が少ない上、間違って覚えているものが多すぎたり、

質問されて、意見を言うときには、
「質問内容をきちんと聞いて理解して答える」ということがわかっていなくて、
人と話をするときに、会話中も、自分の話たいことから始めていたりすることなのです。


ですから、取りあえず繰り返させて、
「その問題」はできるようになっても、
現実には、後から乗り越えることができないような「わからない」が待っているのは
目に見えているのです。
それを放置して、学校でついていってるかだけに
対応するのは危険なのです。


『決定権を誤解する子 理由を言えない子』から言葉を借りるなら、
普段の生活の場面で、

その子の力を的確に評価して捉えておくことと、

これから先の展開を予見しておく必要があるのではないでしょうか。

たとえば、耳で聞いて記憶することに苦手があるのに気付いたら、
2年生でかけ算の練習が始まるより
半年~1年前から、手遊びに九九を取り入れたり、
いっしょに唱える時間を持ったりして、
長期戦で、九九に親しませておく必要があるのではないでしょうか。

九九は、「唱えられるようになったらそれで終わり」えはなく、
できるようになったと思うと、バラバラに、4×7とか6×8とか言われたら
パッと答えを言えるようになることを求められます。


公立学校はゆっくりペースで進んではくれますが、
何らかのハンディーがあった場合、
それがとても追いつけないくらいのスピードで進んでいるように
感じられる子もいるのです。

たとえば、2年生になると、けっこう難しい漢字を、毎日いくつか
覚える課題が出るときがあります。
一般的な子にとって、怠けさえしなければ、何ということのない量でしょう。
でも、目からの情報をうまく処理できない子にとって、
これは耐えられないような苦行となるはずなのです。

そんなときは、早めに、どのような見え方の問題を持っているのか
見極めて、細かくフォローしておくと、
「覚えられないから、勉強しない」といった
あきらめて放り出すような態度にはならないかもしれません。

学習に困難が感じられる子には、
自学自習の習慣を身につけてほしいという親の希望はいったんわきにおいて、
先にぶつかりそうな「困った」に気を配りつつ、
安易に外注せずに、
一対一で、きめこまやかに対応することが必要だと思っています。

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ちょっと気になる知的好奇心の薄さ 1

2013-08-31 08:55:52 | 理科 科学クラブ

夏休みの科学クラブは、毎回、大盛況でした。

3、4歳の子たちも小学生の子たちも、心から実験を楽しんでいました。

ただそうした子どもたちの中に

「ちょっと気になる知的好奇心の薄さを示す子」がいました。

 

知的好奇心が薄いように感じられる子にもさまざまなタイプがあります。

 

身体的な発達や知力の発達自体がゆっくりしていて、

周囲で起こっていることに意識がいきにくい子。

 

興味の範囲が狭く、こだわりが強いため、好きなものには好奇心を示すけれど、

興味のないものには無頓着で、

興味のあるものとないものの比率が、「興味がない」ものの方が圧倒的に大きい子。

 

発達や知力に問題なく、社会性の発達も順調で言葉も達者で何でもやりたがるし、年相応にできるけれど、

知的な好奇心が薄いという子。

 

今回、「ちょっと気になる知的好奇心の薄さ」として取り上げたのは、最後の

「発達や知力に問題なく、社会性の発達も順調で言葉も達者で何でもやりたがるし、

年相応にできるけれど、

知的な好奇心が薄いという子」についてです。

 

そうした子たちは、年齢も異なり、個性も違っていても、

とても似ている点があることが多いのです。

何が似ているのかというと、お母さんやお父さんのその子への接し方です。

 

親御さんたちの

声をかける頻度、言葉かけの内容、関わり方、解説の仕方、誘導の仕方、諭し方、

可愛がり方、叱り方、注意の仕方、期待のかけ方などが、

そっくりなのです。

 

途中ですが、次回の続きます。

 

 

 

 

 

 

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自発性と創造性を育てるには……?

2013-08-30 22:28:42 | 日々思うこと 雑感
仲の良い……とても信頼できる友だちや知人、数名から、相田みつをの本を
いただいたことが何度かあります。
口を揃えて言うのは、「大衆的だと思って敬遠していたけれど、とてもよかったの」という言葉。
私も、読むたび、年々、
その良さが、心に響くようになった気がします。

一番好きな著書は、

相田みつを 書 
佐々木 正美 著 

の『育てたように子は育つ』

この本には、子育ての実話が相田みつをの書といっしょに載っていて、
とても考えさせられるものです。

ささいな親の注意にカッとして、母親のろっ骨を折ってしまったり、窓を割ったりする若者に共通しているのは、
小さい頃「素直ないい子」なのだそうです。
「やらなければならないこと」を優先する習慣がついて、
本当にやりたいことをやる能力を失ってしまったのです。

それに大きな悔いと不満を感じ、混乱し、人生をやり直そうとしているかのような行為。
両親は自発性や創造性が育つよう、干渉し過ぎないやり方で根気よく
やりなおさなくてはならないそうです。

相田みつを の 待つ という美しい書に、
佐々木氏が次のような話をそえています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
子どもに限らず草花でも農作物でも、何でも育てることが上手な人は、
待つことが上手な人だと思う。待っていることに喜びや楽しみを感じていられる人である。
日常で、最善をつくしているという実感があれば、待つことの楽しみは最大になるであろう。結果を問わない気持ちができていれば、待つことは安らぎでもある。

子どもを育てるとき、努力と結果を問題にするならば、先の結果より、努力の「今」に共感してやりたい。
休息の「現在」であれば、その現在を静かに見守ってあげたい。

休息が終わって活動を再開するのを、いつまでも待ってやりたい。
はた目には待ってやったことが無駄だったように見えても、かけがえのない親子のような関係の者にとっては、苦楽を分かち合ったものにしかわからない
存在の重みの感動が必ず残る。
だからじっと待ってやりたい。

子どものなかの自律性や自立性は、待ってやるからこそ育つ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
わが子も、教室の子も、とてもすばらしい成果を目の当たりにするとき
というのは、他のようにできなくても
のんびりゆっくり待ってあげた結果だな~と思います。

好きなことばかりして、苦手なことから逃げてばかりいる
すぐお友だちに手が出る
かんしゃくを起す
よく泣く
何をするのも遅い
よく忘れる 

子どもが大人の期待通りに動いてくれないときに、
しつけたり、子どもに正しい見本を見せたりして最善はつくす

でもできるできないは、時を待つ~

とのんびりゆっくり構えていたら、どの子もすばらしい才能をしめし
はじめます。
特に、他の子の何倍も時間がかかって、それを待っていてあげた子は
本当にすばらしい力を発揮し始めるんですよ~。

わが子にしても、「この子のこういうところすばらしいな~」と感激する
部分は、教えた結果でなく、「待った」結果、身についたことばかりなのです。

「小さい頃にきちんとしつけないと、わがままな子に育つ」と言って
おどす人は多いと思います。
でも、小さい頃に親の言いなりでいい子をしていても、
思春期になれば、ほとんどの子は生意気で軽はずみな行動が多くなってきますよね。
でも、待ってあげる という親の姿勢は、
子どもの心に深く届いて、義務ではなく自分の本心から生じる
優しさを生むように思います。

かつて勉強を見ていた近所の子に、
大きくなって久しぶりに会うとき、
小中学生の頃は
好き放題言うので、私もずいぶん勝手を聞いてあげたものだけど、
本当に優しくしっかりした子に育って、
自分で考え、ばりばり仕事しながらがんばっている姿を見て
心からうれしく感じています。
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今日で夏の日帰りレッスンは終了です♪

2013-08-30 17:32:36 | 通常レッスン

今日で夏の日帰りレッスンは終了です。

なかなか時間が取れなくて、レッスンの様子をあまり記事にできていないのですが、

また時間のある時にでも少しずつ書いていく予定です。

小学生の夏の算数クラブの様子です。お休みがあったので

3年生の★くんと2年生の○ちゃんのふたりだけのレッスンでした。

自由な活動時間に、★くんはジオラマ作りをし、

○ちゃんはオカメインコの人形今、教室で流行中です)作りをしていました。

算数タイムにサピックス(ぴぐまりおん)の文章題や中学入試問題の

一部にチャレンジしてもらいました。

どこから手をつけたらいいのかわからないような問題は、

まずわかっている数値を書きだしてみると

解法の手がかりがつかみやすいです。

中学入試問題はブロックを使って断面図を推理しながら

取り組みました。

どちらの問題もとても難しかったようなのに、★くんも○ちゃんも

根気よく取り組んで、心から満足そうな笑顔を浮かべて帰っていきました。

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子どもは何を望んでいるのか? 子どもの成長に必要な環境とは? (ユースホステルのレッスンから) 4

2013-08-29 23:13:55 | 日々思うこと 雑感

 子どもたちの創造性を解放していると、ひとりひとりの子がびっくりするほどさまざまな発見をします。

最初は、自分たちが何が面白く、何を美しいと感じるか、何をしているとワクワクするのか、といった自分についての発見します。

次には、そうした自分のアンテナに引っかかったものを通して、

身の回りにあるありとあらゆるものに不思議を感じたり、疑問を抱いたり、性質を理解したり、

新しいそれまでなかった好奇心に駆り立てられていきます。

 

小1~小3生が中心のユースホステルのレッスンで、こんなことがありました。

 夕食後、ラミィキューブというゲームをする子らとアクセサリー作りをする子たちの二手に分かれて

遊んでいました。

 

アクセサリー作りは、子どもたちの間から自然に生じた遊びです。

昼のレッスンの時に、鳥の人形作りをした時、鳥の冠羽にビーズを通しておしゃれをさせていたのが

面白かったらしく、次は自分たちで身に着けるものが作りたくなったようです。

髪飾り、首飾り、腕輪、指輪などを作っては、

まるで昔のお姫様みたいに飾り立てていました。

 

 

翌日、ユースホステルのレッスンの後で国立民族学博物館に寄られるという方が何名かいたので、

わたしもちょうど空き時間があったので

同行することにしました。

(この日はたまたま気温が低かったので行ったのですが、夏の間は希望があっても

めったに行くことはありません)

 

すると、面白いことがありました。

 

民博の中では地味な展示物であるアクセサリーコーナーに群がっては

写真を撮る子どもたちの姿があったのです。

どのような作りか、どうやったら作れそうか、どんな意味があるのかを探るように、

熱心に観察しては、なかなかその場を離れようとしませんでした。

前日はアクセサリー作りをする女の子たちのそばでラミィーキューブに夢中になっていた子らも、

アクセサリーコーナーに惹きつけられていました。

戦士がつける腕当てや宗教的な意味がある装飾品が

男の子たちの心を捉えていたようです。

ビーズの花嫁衣装。

こんな仏教の展示コーナの前で座禅を組むポーズを取って

お坊さんになりきっている子もいました。

民族博物館の出口近くに展示品に触ってもいいコーナーがあります。

1年生の☆くんが、いきなり顔に真鍮のお面をつけて、「ううっ、取れない、取れない、誰か助けてくれ~!」と

迫真の演技。

幼い子たちは、本当に顔に貼りついてしまったのかと震えあがっていました。

笑い転げている同学年のお友だちも、いざ、「はずしてあげて。でも、自分の顔に貼りついてしまうかまも……」と脅かすと、

「うそうそ~」と笑いながら後ずさりしていました。

 

この日、子どもたちは、前日のアクセサリー作りで芽生えた興味を通して、初めて訪ねる民族学博物館を

味わっているようでした。

子どもが、何にどのような形で興味を持ち始めるのかは、大人のそれとはずいぶん違います。

↓の写真は、民博内に韓国の料理屋さんです。

店そのものが展示物で中に入ることもできます。

オンドル(朝鮮半島や中国の華北北部・東北部で普及している床下暖房)もついています。

大人は、オンドルやサイズが小さな扉などに目が奪われるのですが、

子どもたちはというと、扉を閉める際の木でできた鍵のようなものが

一番面白かった様子。

民博を出る時、小さな女の子たちまで口をそろえて、「今度、教室で作りたい」と言っていたのは、

熊を捕まえる罠の仕掛けでした。

エサに手をつけようとすると、穴の入口が閉まって閉じ込められるようになる仕掛けが作りたいとのこと。

 

やっぱり子どもの着眼点と興味の持ち方は大人とはずいぶん違うもんだな……と実感しました。

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ブロックスで面積当てクイズ

2013-08-29 21:58:09 | 算数

過去記事です。

 


小1の3人グループのレッスンでブロックスで遊びました。
正規の遊び方は知っている3人ですが、この日は、自分たちが考えたルールで遊びたいということで、
「一番面積が大きい正方形を作った人が勝ち」というルールで勝負。

私が作った 8×8=64(平方センチメートル)を超えるということで、
「8×8なんてしょぼいよな~」「11×11で作るからさ~」と
生意気な口をききながら作っていました。

ブロックス勝負……同じ色で正方形を作るのはきついと判断した3人……
いきなり一致団結して、
「みんなで合体させて、大きいの作ろう!」と言い出すがはやいか、
写真の15×15の正方形を作って、「勝った!」「勝った!」と
笑っていました。

「それにしても、15×15の面積は、九九では答えが出せないね。
答えを出すよい方法はあるかな?」と問うと、
全て数えきろうとするYくん。
「そうね。全部数えるのは良い方法だけど……。大きすぎる場合、切って分けてから考えることもできるよね」と言うと、

10×10=100なら3人ともすぐわかるということで、その(延長)線で4つの面に切り分ける案が出ました。
案を出し、
10×10と、5×10、5×5、10×5の4つの面に分けると良いということで意見が一致しました。

この3人、幼児期に工作や積み木、ブロック遊びをたっぷりしてきたので、
面や立体について、さまざまな角度から考えていくことがとても得意です。
幼児期のもの作り体験は、図を見ると、補助線が自然に浮かんでくる
状態を作ります。
また、習っていなくても新しい問題解決の方法を思いつくことも
上手です。こうした能力も、工作などで養えます。

ブロックスなどを使って、直感的に面積を理解する遊びをしていると、
中学入試で『面積図』を使って、平均やつるかめ算などを考えていく
ことも得意になっていきますよ。


ゲームで遊んだ後で、
『面積当てクイズ』と『まわりの長さ当てクイズ』をしました。

写真のものでしたら、
「5×6-2×2」というかけ算の形で答えを言っています。
まわりの長さは、「5+6+5+6+2×4」です。

面積は、「5×2+2×2+2+5×2」という答えも出ました。
それも合格です。

この3人グループの子たちは、知識をインプットするのでなく、
遊びの体験を豊かにし、もの作りする楽しみをたくさん教えてきました。
それと同時に、幼児期は、たくさんおしゃべりして言葉の力を育て、
1年生になってからは、そうした語彙力の豊かさが
読む力につながるように、気をつけてきました。

といっても遊びの中で、少しだけそうしたことに気をつけてきただけですが、
1年生も後半になった今、2,3年生用の文章題の問題を見せると、
長い文もきちんと理解しながら解いていました。

たくさんだらだら学ばせるのでなく、
本人が自分で「やりたい」という分量を、集中して考えながらするように
してきたことは、きちんと力につながっていると感じています。

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レオナルド・ダ・ウ゛ィンチのグレートカイトとスウィングブリッジ

2013-08-29 21:28:55 | 工作 ワークショップ

レオナルド・ダ・ウ゛ィンチのスケッチをプラモデル

したおもちゃを何種類か教室に置いていて、子どもたちにとても人気です。

「こんな風に動くように作ってみたい!」という子も

たくさんいます。

1年生の★くんとわたしが協力して作ったグレートカイトと

スウィングブリッジです。

 

ひもを引っ張るとはばたく人力飛行機。

動く橋、2タイプ。

いっしょにいた●くんはマルチプルスリングという立派な投石機を作っていたのですが、

残念ながら写真を取りそびれてしまいました。(●くん、ごめんね~)

 

工作をした後で、少し難しい文章題のプリントをしたのですが、

3人ともよくできていました。

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子どもは何を望んでいるのか? 子どもの成長に必要な環境とは? (ユースホステルのレッスンから) 3

2013-08-28 14:14:46 | 日々思うこと 雑感

子どもは何を望んでいるのか? 子どもの成長に必要な環境とは? (ユースホステルのレッスンから) 2

の続きです。

 

小学校や中学校で担任や副教科の教師をしている知人が、異口同音にこんな話をしておられました。

クラス全員に向かって、正しい答えを示しても、それぞれの子が「先生、これであっていますか?」と確認を求めてきて、

個人個人に「あっていますよ」と言わないと納得しないのだそうです。

正解を示して、隣同士で正誤を確認するといったこともできません。

どんなことでもいちいち自分だけに対する大人の承認を求めて、

相手の口からOKが出るまで落ち着かない子が多いのだとか。

 

中学生の場合、主要教科の授業でそこまで大人に依存的に振舞うことはないようですが、

家庭科の実習のように、普段やり慣れない活動だと、

教師がクラス全員に語った内容を、ひとりひとりの子にいちいち説明しなおして、

その子の一挙手一投足に対して、「それであっているよ」と承認しなければ、

みんなになされた説明を思いだしてやるとか、他の子のすることを見てやるとか、テキストを確認してやる

といったことができないようです。

 

子どもがどうしてそんなに自分で動けなくなっているのか、

自分の思考力や判断力に自信が持てないのか、

極端に大人に対して依存的に振舞うのか、

社会が真剣に考えていかなければならない問題ではないか、と感じています。

 

本来、子どもはとても創造的で、まだ知られていない未知のものを探求することに

貪欲です。

身近な大人が承認しようがないような新しい発見をするし、

それを恐れません。

それなのに、最近、学校で非常にたくさんの子にみられるという

何でもかんでもいちいち大人に一対一で承認してほしいと思う心のあり様は、

それまでのどのような大人との関係から生じているのでしょうか。

 

この記事のタイトルのひとつ、

「子どもは何を望んでいるのか?」という問いに対して、

わたしが子どもたちと過ごす中で実感している答えは、

デウ゛ィット・ボームの言葉を借りて答えると、

「創造的な仕方で過ごし、あらゆる新しい発見をすることを許されている」ことです。

子どもたちが、友だちと知恵を出し合い、協力しながら創造的に振舞える場や時間を用意すると、

どの子も表情を輝かせて、心から満足そうにいきいきと振舞います。

 

そんな風に、どの子にしても、自分の頭を使って、自分で判断し、何かを試してみて、

いろいろな発見をし、遊びを発展させていくことを心から望む姿があるのに、

多くの子が先に紹介したように、

大人に自分の一挙一動を承認してもらうような態度を身に着けているとすれば、

子どもをめぐる環境が、子どもの望んでいるものからかけ離れたものに

なっているのではないかと心配されます。

 幼い子を育てているお母さんたちが孤独に陥らないように

子育て支援の活動をしておられる方々から、こんな声も耳にしました。

幼い子を持つお母さんたちが集まると、

話題が、育児情報の交換だけに終始するそうなのです。

どこどこの習い事はいいか悪いか、あれはお得、あれは損……といった話ばかりが続くので、

いつまでたっても、人と人との親しい関わりへと発展していかないそうです。

 

子育て支援の場であっても、お母さんたちの心に子どもは不在のようです。

そのため、子ども同士の小さな揉め事も

子どもの心を無視して大人が解決してしまい、

子どもの成長に影を落としているのだとか。

 

そんな話をうかがいながら、

「子どもは何を望んでいるのか?」「 子どもの成長に必要な環境とはどのようなものか? 」を

子どもと関わるひとりひとりの人が

真剣に考える必要があるように感じました。

 

 

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公文式の1~50までの数のカードで学習

2013-08-28 10:35:54 | 算数

公文式の1~50までの数のカードで学んでいます。

こうした数カードやデュプロブロック一番小さなパーツといった

シンプルな教材は、幼い子から中学受験生までの学習に役立ちます。

 

↑の写真は、ユースホステルでのレッスンで、幼児~小3生を中心に集まった子どもたちの

数当てゲームの様子です。

 

<幼児向けの数当てクイズ>

☆ 5の次の数はなあに?

☆ 3+2=

☆ 6の次の次の数はなあに?

☆ 10より1つ小さな数はなあに?

など。

<1年生向けの数当てクイズ>

☆ 5より2つ大きな数は、その数より2つ小さいです。

その数はなにでしょう?

☆ 3より3つ大きな数より1つ少ない数はなにでしょう?

 

 

<2年生向け数当てクイズ>

☆ 4日が木曜日の時、1週間後の木曜日は何日でしょう?

☆17より3つ大きな数はその数より2小さいです。

その数はなにでしょう。

☆1から順番に並んでいます。

7番目の子と13番目の子の間には何人の子どもがいるでしょう?

 

<3年生向けの数当てクイズ>

☆ある月の15日から30日までの間、毎日1ページプリントをしました。

何枚プリントをしたでしょう?

☆↑の答えは30-15=15の15日にならず、16日になります。

その理由は何でしょう?

☆袋に1から10までの数が書いてあるお菓子があります。

1から5までのお菓子を食べると5つ食べますね。

5~10までのお菓子を食べると、5つでしょうか?

違うならなぜでしょうか?

☆今日の問題がわかったという子は解いてください。

15から100までの数のカードは何枚でしょう?

 

<4年生以上の子向けの数当てクイズ>

素数、倍数、公倍数、公約数について教えた後で……。

☆ 1~50までの数カードの中から素数を選び、その枚数を答えてください。

☆ 1~50までの数カードの中で、4でも5でも割り切れない数はいくつありますか。

3で割っても4で割っても5で割っても1あまる数は何ですか?

 

(↑デュプロブロック一番小さなパーツで中学入試の差集め算を考えています)

どんな難しい問題も数カードを前にして、

あたりの数をかるたをする時のように手をついてこたえようとすると、

意欲的に取り組めます。

学年が上の子向けの問題も懸命に考えようとしていました。

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