虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ピラミッドとボールが動くしかけ

2017-05-30 20:12:46 | レゴ デュプロ ブロック

 ブロック講座が盛況のうちに終了しました。

今回のブロック講座では、一気に詰め込んで学ぶ日には、

● トンネルをくぐるとブザーが鳴るしくみ

● ブロックでピタゴラ装置を作る作り方

● ブロックのジュースが出てくる機械

● 子どもの作るレベルにあわせたさまざまなエレベーター

● 合体ロボの作り方

● 動く関節の作り方

● 子どもが創作に熱中するためのアイデア

● 交差する道路

● 連鎖するブロック爆弾の作り方

● たんじょうびケーキ

● ドールハウス

● 動く工場のシステム

(ブロックとは関係ないものの、質問が多かった

● 潜水艦の作り方

● ゴミ捨てをするロボットの作り方

● 水中エレベーター

などを学んでいただきました。

ゆったり自由に製作する日には、ブロックをふんだんに使って

作りたいものに没頭して、ところどころに動くしかけをつける部分で手伝いました。

 

「こうしたい」「こんなの作りたい」という思いを実現するように、子どもといっしょに

ピラミッドの世界を作って遊びました。

 

 

ブランコに乗せたスーパーボールが、コップにビー玉を入れると乗り物の中に落ち、

ハンドルをまわすと乗り物が動き出すしかけです。

 うまく動くと、笑いがとまらなかったAくん。


何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子  もう少しだけ

2017-05-29 21:00:06 | 通常レッスン

いつも大変興味深い記事をありがとうございます。

今回の記事は特に参考になり、深く考えさせられています。

「大人の期待を察するのが上手で、常に、「自分がどうしたいのか」よりも、「大人が自分に何を期待しているのか」「その場の空気が、自分にどう振舞うように求めているか」を優先させがちな子がいます。」

という箇所は、まさにそういう子いますね。
性格タイプのひとつ、とも言えるかと思います。

私自身、このような性格傾向を持っておりまして、現在40代になってもやはり、とっさに優先するのは「その場に相応しいこと」であり「相手がどう思うか」ということ。
大事な場面では「自分の気持ち」に気づくことは非常に難しいのです。

だからこそ効率的に物事を進められるし、多くの場合、様々な場所で適応し、成果を残してきましたが、子育てする場面においては、子どもの心情を配慮することが後回しになっているような気がします(気がする・・・としか書けないほど無自覚だと思うのです)。

最初の記事で、「「やっぱりもう少し小さい頃に、気になっていた問題に親御さんといっしょに向き合っていればよかったな」と深く反省する事態に」と書かれていましたが、是非そのあたりのことを、具体的に教えて下さると大変ありがたいです。
どのような事態になっていたのでしょうか。
もしよろしければ、お願い致します。

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「やっぱりもう少し小さい頃に、気になっていた問題に

親御さんといっしょに向き合っていればよかったな」と深く反省する事態というのを

具体的にというお話ですね。

 

わたしがいつも気にかかるのは、

2~4歳の時期に、自分の本性や要求、感情といったものより、

大人が期待することを優先させがちな子は、

小学校に入学する前後になると、

「あれあれこの子?ちょっと困ったな~」という感じる共通点を持っているということです。

 

ひとつは本能的な良心が欠けているように見えることです。

お母さんの前ではおりこうにしているし、集団での決まりもきちんと守れるのですが、

ここでは多少のことは大目に見てもらえるとなると、

歯止めが効かなくなって、相手方が困り切って懇願しても

好き放題してしまうようなところがあるのです。

ですから自分に対して高圧的に振舞う苦手な人とはうまくやっていけるのに、

自分を認めてくれるし好きだなと感じる相手には、いじわるなほど自己中心的に振舞ってしまうため

親しくなれないのです。

大人とだけでなく、お友だちとの間でも、そうした関係を作りがちです。

 

たとえば、幼い頃から、言葉だけで親の指示に従えていたような子は、

教室で飼っているやどかりを高いところから落として笑い転げたり、

わたしがお母さんに言いつけないと知ると、カーテンや机にマジックでらくがきをしてみせたり

します。

またビーズやスパンコールなどをわざとばらまいて、

「先生が片付けたらいいやん」と言ったり、

ぬいぐるみの顔を何度も足で踏みつけたりします。

 

お母さんがひとこと言えば、ボタンを押すだけで即座に切り替えられる心を持っているかのように、

 振舞えるような子によくある言動です。

 

 

でもそうして気になる行動としてアウトプットできている子は、時間とともに

そうした行為を卒業していくのですが、

自分の気もちを無視したままで、そこでも良い子としてだけ振舞い続ける子の問題はもう少し深刻で、

自分で自分をいじめるような性質を育てていく気がしています。

自分自身の可能性や選択肢を狭めがちで、どこかでいつも幸せな気持ちに浸れないようなところがあるようです。

もちろん、自分の感情を無視し続けることで、効果的に成果をあげていく方もいるはずですが。

 

 

 

虹色教室には、生まれつきのハンディーゆえに、多動や衝動性が激しくて

大人の指示に従うことに非常に困難を抱えている子らもたくさん来ています。

 

その子たちも年長さんの後半ごろには、聞き分けがよくなって落ち着き、

純粋な良心に基づいて、「これは~がかわいそうだから」「先生が困るからしない」

と、生き物や友だちや他人に対する気遣いや優しさを見せ始め、

学習にも真剣にまじめに取り組むようになってきます。

 

それだけに、一方で、時期を同じにして目立ち始める

おりこうさんたちのそうした気になる行動に

困惑することが多々あるのです。

また学習に対するしらけた態度や、「勉強なんておもしろくない、おもしろくない」と主張する

姿もよく見られます。

 

少し前の記事で次のように書きました。

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「わたしはどのように思うか」という個人的な感性でアドバイスさせていただくと、

ここはちょっとこうした方がいいんじゃないかな、という部分がいくつかありました。

それは、遊びやしつけのちょっとしたやりとりについてです。

また、◆くんの性質に添った知性や才能の伸ばし方についてです。

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これについての説明から話が脱線してしまったので、話を戻しますね。

 

◆くんの性質に添った知性や才能の伸ばし方とは、

 

まず◆くんがどのような頭脳活動をしている時に最も輝いているのか、

 

欠点はどのようなことで、

その欠点を美点に変えるにはどうすればよいのか、

 

潜在的な可能性を感じさせる分野は何か、

 

どのような学び方があっていそうか、といったことを

見極めながら、探っていくことです。

 

◆くんは問題解決能力が高い直観がよく働く子です。

「あっ、いいこと考えた」といってどんどんひらめく内容は、3歳代の子にしては

とても論理的で的を得たものです。

また、ひらめきを得た瞬間、◆くんの顔には満面の笑みが広がっていますから、

思いつくことが楽しくてたまらないのでしょう。

 

◆くんがどういう時にひらめいているのかというと、

次々と新しい遊びに移ろうとする◆くんに対して、わたしが

どこまでは良くて、どこまで以上はいけないか境界を示す時です。

 

そのように目の前に小さな障害物が置かれたような場面を、

◆くんは自分の知恵を絞って打破することが

何より面白い様子です。

 

そこで一番ワクワクしている姿から見て、

◆くんがひとつの遊びにじっくり関わらずに、出したおもちゃにちょっと触れるだけで

探索活動に戻ってしまう理由は、遊びの内容そのものより、

「ひらめくこと」を中心にした頭脳活動の方が楽しいからで、

常に頭がスカッとするような刺激を求めていることが理由のようです。

 

このように直観が優れている頭脳活動の好きな子には、

「枠組み」を与えることがとても大切だと思っています。

 

なぜなら、このタイプの子は、

いろいろと思いついて頭の刺激を求めるうちに、、結局、次の活動につながるような

何も蓄積されないままで、

何も上達しないし、完成しないし、

自分の自信につながらないという事態にたびたび陥るからです。

 

自由に創造的な考えを飛び交わせながらも、

それらがその子の自信や建設的な遊び方や論理的な考え方につながるような

枠を与えるのです。

 

 

 

「枠組み」については次回に書かせていただきますね。

 


何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子 続きの続きです

2017-05-28 18:50:53 | 幼児教育の基本

◆くんのお母さんの接し方は、厳しすぎることもなく、甘すぎることもなく、過干渉でもなく、放任でもなく、

早期教育的ではないけれど、知能がしっかり伸びるように関わっていて、

◆くんの月齢にあった子どもらしさを大切にしている理想的なものです。

 

ですから、本当のところは、これまで通り、自分の子育てを信じて

自信を持って日々を重ねていけばよいのだと思います。

 

でも、子育てって、普遍的な正しさに近づいていくものではなく、

同じ方法が子どもの個性次第、発達の時期次第で良くも悪くもなるものですから、

誰にしたって、その都度、微調整は必要なはずです。

 

「わたしはどのように思うか」という個人的な感性でアドバイスさせていただくと、

ここはちょっとこうした方がいいんじゃないかな、という部分がいくつかありました。

それは、遊びやしつけのちょっとしたやりとりについてです。

また、◆くんの性質に添った知性や才能の伸ばし方についてです。

 

◆くんは、しょっちゅう、「あっ、そうだ!」とひらめくタイプで、

直観が優れている子のようです。

このタイプの子は、おちゃめで頭の回転が速いところがある一方で、

次から次へと新しいおもちゃを出したがったり、片付けを渋ったりすることろがあります。

◆くんがあれもこれもとおもちゃに手を出すので、「◆くん、ひとつお片付け。どれか使わないものを片付けてちょうだい」

とわたしが言うと、知らんふりしていました。

「◆くん、ひとつお片付け」と再度言うと、「ちょっと待って、これをしてから」とやりかけている

遊びを見せます。「それなら、それをやり終えたら、必ずお片付けよ」と言っている先から、

「あっ、いいこと思いついた」と次のおもちゃを取りに行きかけますから、

「ダメ、ダメ。まず、ひとつお片付け」ときっぱり言うと、一瞬、白目をむいて、「いやだ」とちょっと反抗しかけて、

すぐさま、ニコッと笑顔に戻って、片付けをはじめました。

 

◆くんとわたしがお互いの気持ち(片付けしたくないと片付けなさい)をぶつけあうシーンで、

◆くんのお母さんは◆くんに言葉で言い聞かせて、わたしに従わせようとしました。

◆くんはとても素直で聞き分けがいいところがあるので、言葉で言いくるめられてしまうと、

自分の気持ちはどこへやら、

少し静かになって、シュンとしていたかと思うと、「わかった」という風に

片付けはじめます。

それのどこがまずいのか、と思う方もいらっしゃるかもしれません。

でも、わたしは「大人側のこうしなさい」を押し付けるときには、

理路整然とした正しさで動かしてしまうのではなくて、

子どもに不満があるなら、まず不満を表現する間を与えてあげたいし、

「その不満、ちゃんと受け止めたよ。そうだよね。そういう気持ちだったんだね」と

こちらがその気持ちを、ちゃんと受け止めたよ、という事実を示してあげたいと考えています。

その上で、こちらが子どもに求めている責任をはっきり言葉にします。

 

いかにスムーズに子どもに言うことをきかせていくか、という

最短ルートでしつけていく方法は、

自分の意志と判断力を持っている子どもに対する態度として

どうなのだろう、と感じているからです。

子どもは自分の気持ちをしっかり主張して、ネガティブな思いもきちんと受け止めてもらっていると、

自分の意志で、自分で誇りを持てるような

行動を選ぶようになっていくものです。

 

◆くんの話から少しそれるのですが……。

 

発達のいい育てやすい子を育てるというのは、

なかなか難しい一面があります。

 

子どもに多少の負荷がかかっても大丈夫ですから、親御さんがちょっと問題のある接し方をしていようと、

子どもは問題行動を起こすわけではなく、

むしろ周囲からは褒められなどするわけですから、

まずい部分を修正するどころか、

子どもによくない働きかけを「もっと、もっと」とエスカレートさせてしまうこともあります。

競争が過熱している習い事の場では、そうした親子の姿をよく見かけます。

 

また、トントン拍子に、停滞することなく発達していくということは、

次々と新しい体験を上滑りに進んで行くことでもあって、

たとえ他の子より進度は良くても、

子どもにその活動自体への愛着や、

「こんな風になりたい」という意志や夢、

うまくいかない時のジレンマをどう乗り越えたらいいかといった耐性や知恵が

育ちにくいという欠点もあります。

それは豊かな時代に暮らしているわたしたちが、飢餓感を味わうのが

難しいのと似ています。

 

だから発達は遅い方がいいというのではなく、

ゆっくりさんにはゆっくりさんの課題があるように、

発育のいい子には発育のいい子への課題がある、

そう考えて子育てするのが大事なのではないでしょうか。

 

聞き分けが良かったり、適応力のあったりする子のなかには、

大人の期待を察するのが上手で、

常に、「自分がどうしたいのか」よりも、

「大人が自分に何を期待しているのか」

「その場の空気が、自分にどう振舞うように求めているか」

を優先させがちな子がいます。

 

また、大人に言葉でしつけられてしまうために、

教わったように振舞う習慣がついて、

自分の要求や感情が自分でもわからなくなっていたり、

自分の願望と親御さんの願望の境界線がぼやけて、

自我の育ちが危うくなっている子もいます。

 

それのどこに問題があるのか、

と ピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。

また、問題があるならあるで、どんな対処をすればいいのか

見当がつかないという方もいらっしゃることでしょう。

 

ひとつヒントとなるような話を紹介しますね。

 

『ことばに探る 心の不思議』の本のなかで汐見稔幸先生が、

「ほめことばの多様は子どもの自信を奪う」

というタイトルで次のようなことを書いておられます。

 

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ほめことばは、それ(けなすこと)よりは肯定的自己イメージづくりに貢献する度合が

強いのですが、たとえば「アラ、ケンちゃんよくできたわね、スゴイ、スゴイ!」などというような

ほめことばが続きますと、

子どもは親はいつもこのレベルのことをできるように要求しているのだ、

それができないとぼくはよくない子なのだ、と思い込んでしまう可能性があります。

その結果、人の評価に過敏な、自分を自分で信頼できないタイプに育つ可能性が

あります。

つまり、ほめことばは、子どもの行為を認めるという(横並び)レベルでなら良いのですが、

必要以上に(縦関係に立って評価を下すという立場で)多用しますと、

子どもは大人の評価に過敏で依存的な性格になりやすいということです。

その意味で、保育者が間断なく子どもにほめことばを注いでいるのは、子どもの心の成長に

必ずしも寄与していないのだと自覚することがたいせつだと思うのです。

 

『ことばに探る 心の不思議』  今井和子 汐見稔幸 村田道子 編  ひとなる書房

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大人にすると、「じょうずね」とほめたところで、

子どもが、「お母さんは、こういうことができるように望んでいるんだな、こういうことができない自分は悪い子なんだな」

ということまで感じ取っているとは思っていないことでしょう。

でも、どこでも大人の満足がいくような行動をとれる子というのは、

そういう大人が言葉にしていない部分まで察して

行動に移すことができる子とも言えるのです。

 

 

「うちの子はそこまで良い子じゃないから大丈夫」という

表面的な目に見える部分で判断するのではなく、

そうした子どもという存在のあり様を素直に心にとどめておくことが

必要な気がしています。

 

もう1回続きます。


100円ショップのおもちゃの宝箱をピラミッドの財宝風に装飾

2017-05-26 21:58:27 | 工作 ワークショップ

 

100円ショップのおもちゃの宝箱を、ピラミッドの財宝風に装飾してみました。

青い油性マジックで色を塗った後で、100円ショップのネイル用の金箔と金箔風のテープで

飾りました。写真だとうまく色が写らなくて残念。

実物はかなりいい感じの

出来栄えになりました。


何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子 続きです

2017-05-26 07:22:19 | 日々思うこと 雑感

就園や就学や環境の変化を前にした子たちは、

◆くんのように外部から誰も侵入できないような物を作ることが

多々あります。

 

記事にしたこともありますが、トーマス好きの子は、窓ひとつない四方を壁にかこまれた部屋に

トーマスを入れて、天井も床も隙間ひとつないように覆うことを

繰り返していました。

 

遺跡作りの好きな子は、外部と厚い壁で隔たれた空間を作っていた時期がありますし、

お友だちに近づきたい気持ちと拒絶したい気持ちの間で揺れている女の子は、

布を敷いて自分のままごとコーナーを作った後で、

段ボールや布で外の世界を遮断してもらいたがっていました。

 

わたしが知っているそうした行動を取る子たちは、

普段から周囲の人がちょっと言葉をかけるのも躊躇するような過敏さやこだわりを

持っています。

ですから、◆くんの性質とはずいぶんかけ離れている印象です。

 

◆くんは、快活で柔軟で気持ちの切り替えが早い子で、

どんな環境の変化にもそれなりに適応して楽しんでいくだろう、という安心感を抱かせる

ところがあるのです。

 

ただそれだけに、

「入園を控えて、不安を抱えているのかもしれませんね」とわたしが告げても、

◆くんのお母さんは、「この頃、家でも秘密基地を作っていて」とか、

「この子の入る園は自由すぎるくらいなので、きっと大丈夫だと思います」と言いながら、

どこかさっぱりした様子で

◆くんの遊び方を眺めていました。

 

これが神経質な子どものお母さんでしたら、お母さんの方が心配で押しつぶられそうな表情をして、

おろおろしながらこうした作品作りの過程を眺めていたり、

その直前まで、「がんばって幼稚園に行ってもらわないと」と笑っていたような方でも、

言葉を失ったまま今にも泣きだしそうな様子で、

思わず子どもを引きよせてギュッーと抱きしめたりするのです。

 

そうすることが正しい親の態度で、サラッと対応している◆くんのお母さんの態度が

間違っているというのではありません。

 

楽観的で明るい◆くんのお母さんの長所や、

◆くんの強さや柔軟性に対する信頼感ゆえの反応でもあるのでしょうから。

 

でも、わたしは他の場面で、◆くんがネガティブな気持ちに囚われるたびに、

お母さんに頼ったり、甘えたり、やつあたりしたりすることなく、

すぐさま自分で解決していて、

お母さんの方に視線を投げることすらしないことが気にかかりました。

 

3つや4つの子らは、不安や悲しみや喜びなどで心が揺さぶられるときは、

必ずといっていいほど、お母さんの胸に飛びついて行って、身体と身体を密着させることで、

自分の感情を受け止めていこうとするものです。

 

でも◆くんは、感情の振れ幅が大きいときにも、

お母さんに抱きついて行くことは思いもつかない様子で、

自立したもっと年上の子らのように

対処していました。

 

◆くんには、自分のなかのネガティブな感情を自覚して、

いったんそれにどっぷり浸かって、自分のなかにある

ドロドロしたりムカムカするものを解放して、

それを癒していく過程をあまり体験していないようでもありました。

 

それは単純に◆くんの性格によるもののようにも見えました。

◆くんの嫌なことをグズグズ心にとどめておかない快活な子です。

また自分で最適な方法を思いつく頭の良い子です。

 

ちょっと不快な出来事にぶつかっても、

次の瞬間には、「そうだ、そうだ!こうすればいいんじゃない?」と解決策を考えついて、

ニコッとうれしそうな笑顔を浮かべているのです。

 

子どもについての気がかりな点を伝える時に難しいのは、

「それ」が正しいことか、間違っていることか、

良いことか、悪いことか、という

正誤や善悪の基準だけで伝わってしまいがちなことです。

そして、薬を処方するように、

「こういう時は、こうすればいい」という解決法を求めてしまいがちなことです。

 

「◆くんが扉から何も侵入できないように

これでもか、これでもか、というほどに防御の壁を厚くして遊んでいた」

ということにしても、

それだけ取り出して、

「気にとめる必要などないただの子どもの遊び」なのか、

「深刻な問題」なのか、と判断することは無意味なはずです。

 

こうしたことは、理性で客観的に判定するのではなく、

背後にあるさまざまな物事や人との関係に思いをめぐらせながら、

主観的な心で感じとるものだからです。

◆くんがもし秘密基地作りにはまっていて、扉を物でどんどん塞いでいってたのだとしたら、

「◆くん、遊ぼうよ」とやってきたお友だちのぬいぐるみに対して、

ワクワクしている表情で、「シーッ!ここは秘密の場所なんだよ」と小声で言って、

家の内部に入っていくところを楽しんだかもしれません。

 

◆くんが、遊びにくる人形は何であれ、つついてやっつける以外のことを

したくなかったという事実は、

◆くんのお母さんが、しっかり受け止めてあげるべきことだと

思われました。

 

そうした遊びの場面で、言葉にならない◆くんの本音が存在しているはずですから。

 

現実の生活で、◆くんがいつでもお友だちに友好的に対応しているとしたら、

◆くんは自分の気持ちに蓋をしたまま、

楽しげに遊んでいるのかもしれません。

もちろん、まだ幼い◆くんですから、

嫌々我慢して、お友だちに付き合っているというより、

その時、その時は◆くんもけっこう楽しんでいるのでしょう。

 

でもそうして楽しく遊んでいる時には、いつも本当の自分の思いから乖離した状態で、

過ごす習慣がついているのかもしれないのです。

 

◆くんが、もっと自分の内部から湧き上がってくるネガティブな感情をキャッチして、

嫌なお友だちを拒絶してみたり、グズグズ言ったり、めそめそしたり、不安を口にしたり、

ふてくされたり、甘えたり、かんしゃくを起こしたり、ひとりでぼんやりしたりする

ことができるように、

支えてあげる必要があるのかもしれません。

 

少し前の記事でも紹介した『ことばに探る 心の不思議』という本のなかに

「自我を深くくぐったことばとそうでないことば」というタイトルで汐見稔幸先生が次のようなことが書かれています。

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大人になってもそうですが、心を打つことばを語る人には、

一定の性格が共通しているように思います。

端的に言えばことばが自我の深いところをくぐって出てくるような人です。

ことばを発するときは、はじめは大人の行っていることを模倣しているだけの

ようなことばが多いのですが、自我が少しずつ育ってくると、

その自我の中の自分なりの感じ方、考え方を肯定しようとしている

部分をいわばくぐらせるような形でことばを発することが可能になってきます。

それに対して、ことばをパッパッと表出はしても、あまり自分の心の深い部分をくぐって

いないと思われる話し方をする人もいます。

(中略)

自我の中には、社会的な たてまえやしきたり、難しく言うと社会の規範にのっとって

行動すべきだと(無意識に)命じている部分があります。

それに対して、そんなこと気にするな、自分の本音に欲していることをやれ、と命じている

部分もあります。

このふたつの部分はたえず交流していて、実際には適当なところでおりあいをつけて

行動を選んでいるのですが゛……

(中略)

ですから、人の心を打ちやすいことばというのは、己の深いところにある本性や欲求に

誠実で、

かつ社会的なたてまえもそれなりにくぐっているという人のことば、ということに

なるでしょう。

人を打とうとして打つのではなく、己に誠実であろうとして

人を打つのです。

             、『ことばに探る 心の不思議』  (今井和子  汐見稔幸 村田道子 編  ひとなる書房) 

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子どもを集団生活に送り込む時、「少しでも早く社会的な規範にのっとった行動を身につけてほしい」

とたいていの大人は望みます。

もちろん自由でのびのび子どもらしく過ごしてほしいと願う方もいます。

◆くんのお母さんはどちらかというと、後者の考えをお持ちのようです。

でも「自由でのびのび」している姿が、

その子の本性や要求から遠いところで、

自我の深い部分に触れないままに、

外から幸せそうに見える、楽しそうに見えるという

だけでは、

何かが欠けているのかもしれません。

 

「でも、そんなことを言われても、

本人の性格なのだから仕方がない。どうすればいいのかわからない」

と戸惑うことでしょう。

正しい答えを示すことはできませんが、

わたしならどのようにするのか、

次回にお話ししますね。


デュプロの車が、トンネルを通るとブザーが鳴る仕組みを考えました♪

2017-05-25 15:29:30 | レゴ デュプロ ブロック

明日はブロック講座の日です。ブロック講座にいらした方へのプレゼントも兼ねて、

「トンネルを通るとブザーがなるしかけ」を考えてみました。3分ほどで作れます。

 

100円ショップのアルミテープをデュプロの車輪に貼ります。(後ではずせるよう軽く貼るのでもOK)

アルミテープの道路を走っている最中に、トンネル内で上から吊っている

アルミテーぷで作った帯に触れたらブザーが鳴ります。

このシンプルな見本をもとにして、子どもたちはさまざまなアイデアを発展させていきます。


何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子

2017-05-25 07:06:29 | 幼児教育の基本

早期教育の弊害の話の続きを書きたいのですが、

読んでいる人にきちんと伝わる形にまとめられず、

話があっちゃこっちゃ飛びつつ書きなぐっている状態です。

早期教育の弊害については、もう二十年近く気にかけて分析したり検討したり

していることなので、自分の内面ではかなり明確に捉えていることなのですが、

予備知識がない方に、どこからどう説明すればいいのかはかりかねています。

いったん記事を消して、別のタイトルで整理しなおすことも考えましたが、

ごちゃごちゃのままもう少し書き進めたいので、

読んでくださる方は雑談に耳を傾けるつもりで文章の粗さを許してくださいね。


先に過去記事をアップします。

早期教育の話題とは遠いけれど、わたしの中では地続きでつながっている話です。

早期教育の問題の核心は、

「大人の期待を察するのが上手で、常に、『自分がどうしたいのか』よりも、

『大人が自分に何を期待しているのか』

『その場の空気が、自分にどう振舞うように求めているか』を優先させることに

大人も子ども自身も疑問を抱かなくなっていくことにあるでしょうから。

 

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3歳8カ月の◆くんは、利発で明るくてしっかりしている男の子です。

 

幼い頃から手のかからない育てやすい子だったそうで、

幼稚園での集団生活を控えている今も、

活発で誰とでも親しくなる上、他の子と争わない優しさも備えていますから

安心です。

◆くんのお母さんは穏やかで優しく理知的な方です。

◆くんに心から愛情を注いでいて、接し方は過干渉でも過保護でもなく、

早期教育に走ることもなければ、放任しているわけでもなく適切です。

 

そんなふうに何ひとつ問題がないように見える◆くんと、

理想的とも思える◆くんとお母さんの関係ではありますが、

わたしには何点か、どうも心に引っかかることがありました。

 

そこで、◆くんのお母さんにその旨を伝えようとするものの

言葉で正確に言い表すことができなくて、

しまいに、「お母さんの接し方にしても、◆くんの発達にしても

何ひとつ問題がないし、むしろ◆くんは他の子よりも発達がよくて

とても頭の良い子ですから、わたしがあれこれダメ出しする理由もないのですが、

わたしには気にかかる点がいくつかあって、今この時期に無視するわけにはいかない

気がするんです。

文章でしたら、細かい状況を書いて整理できますから、あまり誤解がないように

伝えることができるかもしれません。

気になる点を指摘するので、もしかして不快な気持ちになるかもしれませんが、

よかったら、◆くんのことをブログに書かせていただいてもよろしいでしょうか」

とたずねました。

 

◆くんのお母さんからは、

「わざわざ遠方から通っていますし、わたしの態度で直す必要があるのなら、

直したいです。どうぞ書いてください」

とおっしゃいました。

 

今はもう小学生となった子たちですが、

3歳頃に、お友だちとは仲よく遊べるし、頭も良いし、活発で、気持ちが優しくて、

お母さんとの関係も良好に見えるけれど、

わたしの心には今の◆くん同様、どうも引っかかる点がちらほらあった

という子たちがいます。

 

その子たちが幼児の頃、わたしはいろいろと気にかけながらも、

「悩むことなく子育てしている方に、わざわざ心の葛藤を起こさせるような

アドバイスをするのもどうだろう?」と感じて、

言葉を飲み込んだまま見守っていたのです。

 

そうして成長した子らがどうなったのかというと、

どの子も、程度の差こそあれ、

「やっぱりもう少し小さい頃に、気になっていた問題に親御さんといっしょに

向き合っていればよかったな」と深く反省する事態にぶつかることになりました。

 

そんな経緯から、心がざわざわした時には、誰も気にとめないような些細な事柄でも

そこに問題が潜在しているなら、光を当てておきたいし、

解決が必要なことなら、取り組んでおきたいと思うようになったのです。

 

前回の続きです。

◆くんは自由遊びが主流ののびのびした幼稚園への入園を予定しています。

誰とでも親しくなり、揉め事も少ない◆くんですから、

おそらく新しい集団生活にすぐさま溶け込んでいけることでしょう。

 

それなら何をわたしが気にかけていたのかというと、

そのひとつは◆くんが夢中になって没頭している時に見せる遊び方でした。

 

教室に着いた◆くんは、木製のドールハウスに目をつけて遊びたがりました。

それから警察署のドールハウスも使いたがって、隣に設置しました。

近くにあったお茶犬ハウスもその正面に置きました。

 

その後、チェストの上に乗せているドールハウスを指して

「あれも取って!」と頼んできたので、「◆くん、おもちゃの出し過ぎ。

このドールハウスはだめ。今出しているおもちゃで遊んでね」と告げると、

サッと気持ちを切り替えて「だったら、あの階段のところだけは使ってもいい?」と

ダメだと言われたドールハウス内にある階段を指さしました。

 

わたしが、階段を渡すと、「でも、どこにつけようかな?」と迷っていました。

 

◆くんが今遊んでいるドールハウスは、

階段を引っ掛けるための穴が室内にあいていないのです。

そこでわたしが、警察署とドールハウスの間に隙間を作って、そこに階段を置いて、

2階の部屋に上がっていけるようにしました。

 

◆くんは、わたしに向かってにっこり微笑んで、

「ダメダメ、そこはこうやってひっつけとかなくっちゃ」と言って、

ドールハウスと警察署をピッタリひっつけなおしてから、

「それからね、この家は……」と言いながらお茶犬ハウスを半開きにして、

警察署のドアの前にドアを柵で囲うような形にセットしました。

それから、「どろぼうが来たらいけないから、入れないように、こうしてこうして

おくんだよ」と付け加えました。

 

わたしが黙っていると、◆くんは、

「悪いのが入れないように、こうしておこう!」と言って、

木製の立体パズルでお茶犬ハウスの隙間を埋め、「こうしたら入れないよ」と言いながら、

果物が入っているかごや、クルクル回して遊ぶおもちゃや、玉ころがしのおもちゃを

どんどん取ってきては、扉から誰も入れないようにしてしまいました。

わたしが、「お友だちが来たらどうしよう?」とたずねると、

◆くんはドールハウスの2階に小鳥の人形を舞い降りるようにさせて、

「鳥さんは、ここから来れるよ」と事もなげに言いました。


 「それ以上おもちゃを出してはダメ」と注意すれば、◆くんはすぐさま素直に

指示に従ったことでしょう。

でもわたしはしばらく◆くんのしたいようにさせていました。

 

というのも、◆くんのおもちゃの出し方は↑の写真の通り、

ランダムででたらめに見えるものの意図は一貫して、

警察署の扉から誰も入れないようにする作業のままで、

何かに憑かれたような集中力を見せていたからです。

 

さんざん扉をふさいだ後で、

しまいには、ビー玉転がしのおもちゃ等で、天井部分からの侵入を防ぐように

埋め尽くすことまでしていました。

 

わたしは、いくつかのぬいぐるみを持ってきて、◆くんに好きな物を選ばせました。

するとセサミストリートのビックバードの人形を選びました。

◆くんは鳥好きのようです。

 

わたしは黒猫ちゃんのお人形を手に、「◆くん、遊ぼうよ!」と声をかけました。

すると◆くんは、ビックバードを手にすると、黒猫ちゃんの頭を

ツンツンツンツンとつつきまわります。

その後も何度も、お人形を手にして「遊ぼうよ」と声をかけるたびに、

◆くんから、「うん、いいよ~」という応答はなく、

ビックバードのくちばしで、わたしが手にしている人形をつつきまわることを

繰り返していました。

 

◆くんが手にしているビッグバードの反応は、

いつも機嫌がよくて、誰が声をかけても、にっこりほほ笑んで、

「うん、いいよ~」と良い返事をし、大人から注意を受けた時さえすぐに気持ちを

切り替えて、さわやかに切り返す◆くんの姿からすると、正反対とも言えるものです。

さんざん攻撃をした後で、やっぱりやりすぎたなぁと気づいて、

「じゃ、遊ぼう」というような展開はなくて、いつまでたっても

「遊ぼう」と言って近づいてくる人形には、つつきまくって撃退する以外の

別の選択肢がない様子なのです。


何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子 3

何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子 4

何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子 5

何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子 6

何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子 7

何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子 8

何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子 9

何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子 10

何ひとつ問題がないように見えるけれど、気にかかる子 11

 


旅のスクラップブック と カセット付き絵本 と 音読教材 

2017-05-24 06:21:10 | 通常レッスン

 なつかしいレッスンのひとこま。

 

小学1年生の女の子たちのレッスンで、★ちゃんが素敵な旅行のスクラップブックを持ってきて

くれました。

道の駅のパンフレットやご当地キャラクターの切り抜きや買い物のレシートなどを

貼ったノートです。

他の子らがうらやましそうにスクラップブックを眺める中、

★ちゃんはキャンプ小屋の名前について……「あさがお」とか「ぼたん」なんて名前がついているのですが……

説明してから、「お父さんが作っているこういうノートには、もっといろんなものが貼ってあるよ。」と

言いました。

「そういえば★ちゃんのお父さん、面白い絵本を作ってたわよね」とわたしが言うと、

★ちゃんは、「そうそう、お父さんはね、毎年、わたしの誕生日に絵本作ってくれるのよ。

ぺらぺらさんとか忍者のなんとかとかお父さんが考えたキャラクターが出てきて、

動くようになっている絵本よ。

でも、今年の誕生日は仕事が忙しかったから絵本をもらってないわ」と言いました。

そこで、「★ちゃんも、今年はさ、★ちゃんが絵本を作ってお父さんにあげたら?

みんなもどう?」とたずねると、そこにいた☆ちゃんも○ちゃんもふたつ返事で

「作りたい!作りたい!」と大乗り気でした。

お友だちが何か作ってきた時、「すごいな」「面白いな」と夢中になって眺めたり、

それに刺激を受けて、「自分もやってみたい」と思ったりする子らは、

それまでさまざまな物作りを体験してきた子たちでもあります。

家庭でも想像力や創造力を使う場面をたくさん設けてもらっているのです。

 

 

さっそく絵本に登場するキャラクター作りを始めた子たち。

製本の仕方に凝りたいようで、糸綴じにしたい子とホッチキスで見開きごとにつなげていきたい子に

分かれました。

そうしながら、どんな話を書くのかアイデアが飛び交っていました。

 

大きなサイズの紙に「毎日、お正月とクリスマスだけが順番にやってくる世界の話」

を書き始めていた☆ちゃんが、

「先生、絵はなしにして、文章ばっかりの本にしてもいいかな?」

とたずねました。

「そりゃ、いいんじゃない?ほら、読むのがめんどくさいって子の勉強にもなるじゃない?

音読教材?」と言うと、☆ちゃんはうれしそうに

「そうそう、そういうのにしたいのよ。漢字ができるだけやめとくわ。1年生の子が

本を読む練習になるようなのを作りたいから」と言うやいなや

ものすごいスピードで紙を文字で埋めていきました。

「☆ちゃん。音読教材が作りたいんだったら、カセットテープがあるけど、録音する?

それだけ文字があったら、読むのがめんどくさいって子もいるでしょ?

カセットを付録につけておいたら、読むのも聞くのもできて一石二鳥でしょ?

教室に置いておいてくれるんなら、小さい子たちがきた時、勉強に使わせてもらうわ」

そうたずねると、☆ちゃん、★ちゃん、○ちゃんが口をそろえて、

「いいね~いいね~カセット絵本を作りたい!」と大きな声をあげました。

 

教室には買い置きのカセットテープが4巻ありました。

20分テープが2巻と10分テープが2巻です。

「かなり長いお話を書いても10分テープに十分入ると思うわよ」と言うのだけれど、

絵本を読み終えたら、「宣伝とか歌を入れたいから……」と3人とも20分テープを

使いたがりました。

「20分テープはそれだけしかないから、じゃんけんするなり、あみだくじ作るなり

自分たちで解決してちょうだい」と伝えて、

材料を取りに行って、戻ってみると、

★ちゃんと☆ちゃんが20分テープをもらって、○ちゃんは10分テープ2巻にそれぞれ①②とマジックで書いて、

絵本も2冊作っていました。

「これで平等に20分ずつになった」とのこと。

2巻で100円の100円ショップのカセットテープでよかったです~。

 

一番先にカセットの吹き込みを終えた☆ちゃんは、

ダイエット商品の宣伝を吹きこんでいたのですが、

★ちゃんと○ちゃんから、「カセット絵本は1年生向けの教材だったはずなのに、

そこにダイエット商品のCMが入っているのはおかしい……」というダメ出しをされ、

「子どものお母さんにって入れようか……」とか「カセット絵本じゃなくて、

ラジオとかの番組でお話が流れていて、その後で、ダイエット商品の宣伝になることにしようか?」

と本気で悩んでいました。

どうしてもダイエットネタを手放したくない様子の☆ちゃん……。

上のオレンジの色画用紙に書きこんでいるのは、

ダイエット商品の宣伝文句です。

 


貝殻の宝物作り と  と 算数の重さのパズル

2017-05-23 21:31:28 | 算数

教室では、今、貝殻を素材にした宝物作りとウォータードーム作りが人気です。

大人気の「ひとで」。

 

100円ショップで3つ100円で購入したヨーグルト用の容器に

洗濯糊を入れ、金箔、金粉、ラメの色の粉、特殊素材などと、

ビーズやスパンコール、貝などを入れて作っています。

こちらは、お兄ちゃんのレッスンについてきた年長さんの作品。教室の傍らでひとりで

作っているのに、なかなかの完成度。人魚の島です。

ウォータードームの蓋の周りに飾りをつけるときれいですね。

 

ねんどもプラス。

ことらは小学2年生の女の子たちの算数の様子です。

 

小さい丸+大きい丸+あひる×2=80g

大きい丸=小さい丸×2

小さい丸=あひる×2


といった問題を見て、それぞれの重さを求めます。他にも、応用問題を解きました。

小学3年生の難しいレベルの問題なのですが、こうして物を動かしながら考えると、

2年生の子たちも、

意欲的に楽しんで問題に取り組むことができました。


ゆる~いオーラと、忙しんだから話かけないでオーラ

2017-05-22 21:04:47 | 日々思うこと 雑感
昔は(数年前のちょっとだけ昔でも)子どもを取り巻く人々の中に、
「ゆる~い」印象を放射している人がたくさんいましたよね。

ムダというか、余裕というか……子どもの目にも暇そうに映って、
おしゃべりしたいときは自由に話せて、
相談すれば、喜んで乗ってもらえそうな……
24時間、一生懸命じゃない人。

休み時間や放課後の小学校の先生とか、児童館の職員さんとか、
用務員のおじさんとか、保健室の先生とか、街中の駄菓子屋のおじさんとか……。

仕事はしているんだけど……
とりあえず仕事中ではあるんだけど、
話しかけると、あんまり時間なんか気にしない様子で向こうも話に夢中になってくる人。

うちの子が小学校を卒業するあたりまでは、
児童館の職員の若いお姉さんもお兄さんも
子どもたちと「あうん」の呼吸で、ボードゲームの相手をしたり、
おしゃべりに花を咲かせたりしていました。

それが、ある時期から、児童向けの施設の職員はおもちゃの管理と児童館のお掃除……そしてパソコンの画面と書き込む資料を見つめて、

忙しい~忙しい~子どもは話しかけないで!!というオーラーを放っています。

学校の先生も同じで、忙しい~忙しい~!!という叫び声が歩く姿から放射されています。「話しかけないで~!!わずらわさないで~」という感じ。

以前、私は、文房具を扱うお店をしていた頃があります。
その頃、店に来る子の中には、
いつもお友だちの仲間に入れてもらえない子
表情が暗くビクビクした子、攻撃的でけんか腰の子など……
気がかりな子が数名いました。

それが、たまにわが子や地域のボランティアで小学校や児童館に足を運ぶ機会があると、
必ずといっていいほど、お店で気にかけていたそれらの子が目にとびこんでくるのです。
そうした子は、その場で「ゆるーい」オーラはなっている人に絡んでいて
甘えたり、遊んでもらったり、悩みを聞いてもらったり(ぶつくさぼやき)しています。

世の中狭いな~、
それぞれの子は自分に必要なものをうまく見つけるもんだな~、
と感じてホッとしたものです。
 
子どもが変わった~難しくなった~とよく言われるけれど、

私が見たところ、子どもが変わったんじゃなくて、

大人が変わった

大人が人と人とのコミュニケーションの仕方を子どもに伝えていく術を失った

子どもと大人の関係が、近すぎたり、遠すぎたり、
物を介して間接的にしかかかわっていなかったり……
といった奇妙なものになってきた

気がします。

大人が子どものためにがんばればがんばるほど、

子どもは孤独感を募らせたり
自分は注目を浴びたり、自由に話しかけたりできる存在じゃないんだ~
大人はきっと自分のことを嫌いだから忙しくしているんだ~
と自分卑下する方向に働いている感じがするのです。

この原因のひとつは、
小学校も子供向けの施設も、
大人の視線ばかり気にするようになったからではないかな?

と思います。

自分が子どもにどんなことをしてあげたいか……より、

子どもにどんなことをしている人 と大人から見られるか……に気持ちが
行き過ぎてるのです。自分の評価が何より気になる。

とにかく忙しそうにしていれば、大人からの評価は良いですから……。

でも、何ひとつ欠点がなくても
「忙しそう」であるだけで、
関係を築く以前の問題で、子どもを拒絶していることにはならないでしょうか?

それに学校関係者や児童施設の方々が気づいて、

意識的に職場にゆったりした空気を流していかないと、
パソコンや書類と向き合う時間を減らしていかないと、

きょうだいも少ない、遊び友だちも習い事でほとんどない……という
現代の子どもたちは、いったいどこでコミュニケーションについて学んでいけばよいのでしょう?

親も、ゆったり自信を持って子どもを学校に送り出して、のんびり構えてたら
、先生方の心にも余裕が生まれるのでしょうね。

できるだけ早い時期から幼稚園に入れたら、コミュニケーション能力が身につくように思うかもしれません。

けれど私が子どもたちと接していると、
こんなことが子供同士の間でよく起こっています。

ひとりの子が「ぼくさ~、うさぎにえさをやったことがあるんだよ」と、お友だちに言います。
それを聞いた子が、「それが~何だよ~!!」とお笑い芸人の
しらけ口調をまねて答えます。
すると、笑顔でお友だちに話しかけた子の顔が曇り、自分の経験を話しかけたらダメなのかな……と感じます。
次には、別のお友だちから自分が声をかけられたときに、「それが~何だよ!」とキレ気味に答えたりするのです。

こんな時、身近にいる大人が、子どもの言葉を喜んで受け取ってあげたら……
友だちに冷たい口調で返事をする子に、良い対応をちょっと教えてあげたら……
子どもたちの関係はとても豊かなものになっていくのではないでしょうか。

子どもはコミュニケーションをテレビから間接的に学んだり、
コミュニケーションが苦手な子の対応から学んだりすることが多くなっています。
そうした子どもの世界に、言葉の世界の広がりや
ボディーランゲージによるコミュニケーションの心地よさを伝えていくのは
大人の役目です。つきっきりで子どもの対人関係に口出しするのも問題だけど、
よその子でもちょっととまどっているときには
少しだけフォローしてあげると子供同士の関係がいいものになってきますよね。

虹色教室でも親御さんが席をはずすと、初対面でも
数分すれば、大の仲良しになってしまう子どもたちに
いつもびっくりしています。子どもはもともとコミュニケーションの天才なんですね。

子どもと大人の関係が
1対1か、
1対多人数か、
ばかりになっている現在、
子どもたちがそうした細かな人間関係を円滑にしていく方法を学ぶことは難しいです。

ならどうすれば学べるのか……?
それは大人が、少し「ゆるさ」を身につけて暮らすことではないでしょうか?
他人にも自分にも優しくなって、
子どもが必要としているときに、よその子も含めて、
先生はよそのクラスの子もふくめて、楽しく相手をしてあげることではないでしょうか?