アーキタイプについて書き始めたものの、扱っている内容が膨大で複雑な上、
多くのブログを見ている方にとって未知の概念であることを思うと、自分の手に余る気もして
気持ちがひるみかけています。
内容を要約して伝えるだけの場面でも、誤解を生むような書き方になったのでは、誤ったわたしの解釈
が含まれているのではと悩んだりして..。(前回の記事は、読み直すとおかしなところが多かったので書きなおしました)
でも、書き始めた以上、間を開けると続きが書きにくくなるので、(これまで、これでたくさん失敗しています)
多少、下手な伝え方になっても書き切ってしまうことに決めました。
というのも、アーキタイプについて知ることで、
多くの方がそれまで悩みや障害や問題として捉えていたことに、
新しい肯定的な見方を与え、
罪悪感ではなく旅に出る時のような意気揚々とした気持ちで向き合う力を得られるだろう、
と思うからです。
たとえば、アーキタイプには、『孤児』というわたしたちの内なる子どもが、
裏切られたり、ひどい扱いや無視を受けたり、幻滅させられた
時に活性化するものがあります。
一見、悪いものにしか思えないこのアーキタイプも、
わたしたちの人生にかかせない大切な象徴のひとつです。
『孤児』の活性化は行き過ぎれば機能不全をもたらしますが、成長と発達に欠かせないものです。
わたしたちはこのアーキタイプから「自分の面倒は自分でみなさい」
「他人をあてにするのはやめなさい」と教わります。
アーキタイプを通して、現実に対処する知恵が育まれ、
責任感と自立心が身についていきます。
このアーキタイプを成熟させていくことで、権力者に依存する代わりに、
助け合いと団結の精神で権力者に対抗する人々と相互依存の関係を築き、
現実的な予想を展開させます。
また、『破壊者』というアーキタイプは、確立されバランスのとれた自我が、
身近な人の死に遭遇したり、無力感を味わったり、目標にしてきたものや築きあげてきたものが
水泡に帰した時などにあらわれるアーキタイプです。
これも、あってはならない悪いものでしかないように思えますが、
他のアーキタイプ同様、欠くことができない大切なもののひとつです。
破壊者のアーキタイプが活性化されることで、
自分という人間や世界の存在意義についての認識が否定され、幻想が打ち砕かれた結果、
わたしたちは自分のアイデンティティを魂のレベルで発見する機会を手に入れます。
『破壊者』は、古い自己を手放し、新しい自己を誕生させるプロセスをつかさどるアーキタイプなのです。
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少し話が脱線しますが、つい最近、『無痛文明論』(森岡正博著 )という本を読み、
その後、ネット上の『無痛文明論』に対する批判も読み、それから『無痛文明論』への批判に応えて__
という著者の文章にも目を通しました。
著者による「無痛文明」とは、「苦しみを遠ざける仕組みがはりめぐらされ、快に満ちあふれた」社会、
「あらゆる面で痛みや苦しみをできるかぎり排除しようとする人工的に管理された」社会のことです。
著者の主張は、人間の「身体の欲望」が、人間自身から「生命のよろこび」を奪っている、というもの。
ここで生命のよろこびとは、苦しみやつらいことにあった時、そこから逃げようとせずに、自分自身の方を解体し、
変容させ、再生させたときにおとずれるよろこびとされています。
無痛文明論に対する批判の多くは、「現代文明にある必要不可欠なものまで
あれもダメこれもダメと攻撃し、昔に戻れ、田舎に帰れというありがちな説教をされているようでイライラする」
という「批判の多さに対する批判」や、
文章のあり方として、「生命のよろこび」が鍵概念であるのに、十分に語られていないことに対する
批判や著者が出した答えである「無痛本流と戦う」というあり方の矛盾点を突くものでした。
わたしはこの本の書かれ方や著者のこの問題への向き合い方がどうのこうのということは
いったん脇に置いて、
快を過剰に保証しようとする社会が、苦しい体験を通して、自分自身を変容させ成長するという
人間のあり様を変えつつあることに危機感を感じました。
『キャラ』という成長しないひとつのイメージに自分を閉じ込めて成長を拒む子たちや、
遊ぶことにすら、「めんどくささ」という苦痛を感じることが多くなった子たちのことを思いながら……。
教室をしていると、子どもたちの中でひとつのアーキタイプ(元型)が活性化されることで
子どもにそのアーキタイプから得られる才能が身につき、変容していく様を目にすることが
よくあります。
それはまさしく変容という言葉が表す通り、
子どもの内面の変化に伴って外に表す態度が変わることで、
諭されたりしつけられたりして態度を変えるのとは別物です。
たとえば、前回までに紹介した『援助者』のアーキタイプは、
『戦士』と並んで「責任感」を身につけることと関連があるので、
このアーキタイプが活性化される体験を経て、子どもが責任感を持って物事に取り組むように
なるのを何度も目にしています。
『援助者』のアーキタイプは、他人の世話を必要とする責務(親になるなど)を負った時や、
他人が困っていることに気づいた時などに活性化されるアーキタイプです。
教室でこんなことがありました。
アスペッ子のAくんは就学準備グループで同年代の子と過ごしていた間、
「自分の好きなことを好きなようにしたい、いつも好きなことしかしたくない」という態度を固持していました。
興味があることは、他の子にやらせず独占してしまい、
片付けや少し苦手な勉強となると、屁理屈を攻撃的な口調で並べたてて、
意地でも取り組もうとしませんでした。
ある時、他の子とコミュニケーションを取るのが難しい
一学年下のBくんがAくんといっしょにいる時はよく笑っていることに気づき、
それから毎月、AくんとBくん、ふたりのレッスン時間を設けることにしました。
回を重ねるにつれて、ふたりの間には本当の兄弟のような親密さが生まれてきました。
この時間は、Bくんの会話力や人と関わる力を伸ばしてくれただけでなく、
Aくんの外の世界との関わり方を心の深い部分から変えることにつながりました。
最初の頃、Aくんは「Bくんがぼくが作った電車と駅を取ろうとする!」「ここはぼくの場所なのに、Bくんが入ってくる!」
と文句を言う一方で、
Bくんが先に手にしている物を、理由をつけては奪い取っていました。
Bくんの幼さを受容できない上、Bくんの幼さにつけこんでそれを利用する態度も目立っていたのです。
わたしはふたりの間に適度に入りながら、AくんとBくんのふたりだからこそ
楽しめるような遊び(Bくんはサスペンス調の劇遊びが好きです)や実験や工作が楽しめるように
環境を整えていました。
Aくんの意欲をかきたてる形で、Bくんの手助けをしたり、Bくんの状態に気遣ったり、配慮したり
する機会を作りました。
実際にBくんのお世話をしたり、Bくんにゆずってあげたりしながら、
お兄ちゃん気分を味わったり、達成感を得たり、自分がとてもしっかりしていて役立っているという実感を
持ったりする体験を重ねるうちに、
Aくんの片付けや学習に対する態度が変わり始めました。
Aくんは気持ちを切り替えるのが苦手なので、遊んでいた道具を片付けて学習の準備をする際に
必ず一悶着あったのですが、テキパキ動いて、Bくんが散らかしたものまで片付けてくれるように
なりました。
以前のAくんは、学習中、少しでも考えなくてはならない問題にぶつかると、
「こんなの嫌だ!こんな問題、悪い問題だよ」と言い張って勉強をやめてしまい、
こちらの話を聞いて理解する場面では、毎回かんしゃくを起こしてしばらく機嫌がなおりません
でした。
が、自分よりできないことがたくさんあるBくんに配慮しながら
遊んだり学んだりする時間を過ごすうちに、
不安で気持ちが高ぶっている時も、
「できなくても、何回かやっていたらできるようになるんだよ」とか、
「ちゃんと話を聞いたら大丈夫だよ」といった自分で自分を鎮める言葉をつぶやいて
最後までがんばり抜くようになりました。
それは、なかなか席に座ろうとしないBくんに対して、
Aくんがかけてあげていた言葉でした。
いつの間にか、自分で自分を律する時の言葉になっていたようです。
これまでの記事を読んでも、「アーキタイプ(元型)って何のことなのかさっぱりわからない」
という方がいらっしゃるかもしれませんね。誤解が生じないよう
もう一度、簡単に説明しておきますね。
アーキタイプ(元型)とは、集合的無意識(個々の心の深層にある人類が共有する無意識)にある
特定の心の形式や普遍的なイメージのパターンやモチーフを形づくる傾向のことです。
集団的な経験のパターンは、一方では人から人へ話をすことによって社会的に伝達され、
もう一方では、生物学的に伝達されて、
普遍的な無意識の中に保存されているのだといいます。
元型的なイメージはわたしたちが心の中で想像するからあらわれる心の産物ではありません。
ユングはアーキタイプを数学的基盤を伴うプロセス構造として定義していて、
人にとって元型的なイメージは、強い生命力があって、
自律的な内なる他人のような存在としてあらわれるといっています。
アーキタイプの代表的なものには、影、アニマ、アニムス、グレートマザー、老賢者、自己などがありますが、
今回の記事は『英雄の旅』で取り上げている心を育む手助けをしてくれる
12のアーキタイプについて書いていきますね。
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の中で、わたしの母はわたしが物心ついた頃から子育てに悩む人であったこと、
そんな母に育てられていたわたしは、子育ての悩みというものや人の心について
敏感になっていったことを書いています。
☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 3
☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 4
☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 5
☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 6
☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 7
☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 8
わたしの母は、楽天的で純粋で優しい性格で、
辛いことがあっても少しすると良いように解釈して気を取り直していましたし、
どんなにひどい目にあっても、人への信頼感が揺らぐことはありませんでした。
また、非常に子ども好きで、わたしと妹に対する愛情も格別でした。
ですから、そんな母が、始終、子育てで悩む人であったことは、子どもの頃、
ずっと抱いていた不可解な謎でした。
時折、母が、「世の中には子どもに辛くあたったり、放りっぱなしだったりする母親もいるのに、
どうして自分だけ、悪い方に悪い方に進んでいくのか」という疑問を口にしていたので、
余計に不思議に感じたのかもしれません。
もっともわたしが抱く疑問は、母のそれとはずいぶん異なるものでした。
「母の純粋さにも優しさにも妹への愛情にも嘘は感じられない。
それなのにどうして、
いつになっても妹とのこじれた関係を修復することができないのか?」
「母の妹に対する態度が特にひどいように見えないし、
妹が特別悪い子なわけでもない、
母が歩み寄る努力をしていないわけではないし、
妹の母への愛情が薄いわけでもない。
それなのに、問題はどんどんこじれて悪化していくのはなぜなのか?」
今、アーキタイプという概念を通して母と妹の姿を振り返ると、かつての
謎の答えは至極単純なものに感じられます。
おそらく、母はいくつになっても、どんな場面でも、『幼子』のアーキタイプで乗り切ろうとした人だったのでしょう。
また妹は、『孤児』のアーキタイプの影の面を生きざるえなかったのでしょう。
『幼子』のアーキタイプは、自我の発達に関わる4つのアーキタイプ(『幼子』『孤児』『戦士』『援助者』)の
ひとつです。
『幼子』とは、わたしたちの中の人生や自分自身や他人を信頼する気持ちを指しています。
愛情をかけられて育った子は、他人を信頼し、結果として自分自身を信じるようになるおかげで、
生きていくのに必要なスキルを身につけることができます。
わたしたちは『幼子』の力を借りて、ペルソナ(世の中で身につける仮面。個人の人格と社会的役割を示す)を
身につけます。幼子の望みは、社会から受け入れられ、うまく適応し、愛され、誇らしく思ってもらう
ことです。
『幼子』の問題への対処法は、「存在を否定すること」です。
『英雄の旅』の中で「幼子の影」について書かれたこんな文章があります。
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幼子はすぐに物事を否定しようとするので、親や恩師や恋人が信頼に
値しない人間だという事実を直視したがらない。
そのせいで、他人から虐げられるという状況に自ら踏みこんでいって、傷つけられたり、
不当な扱いをうけたりする状況を何度も何度もくりかえすのだ。
(省略)
幼子は自分の行動を否定するという行為にも走りやすいため、問題が起こっても、
自分の責任から目を背けてしまうおそれがある。
幼子は、少なくとも初めのうちは、絶対主義的で二元的な存在なので、
「自分にも欠点がある」と認めた段階で
自分自身に恐れを抱いてしまうからだ。
だからこそ自分に至らない点があるという事実を
頑なに拒み続けるか、罪悪感や羞恥心に支配されてしまうかの、
二つに一つになってしまうのだ。
(省略)
傷ついた幼子が、自分の至らなさと向き合うのを恐れるようになると(大人のほうがその傾向が強い)
自分を相手に投影させて、相手に至らない点があるのだと責めるようになる。
こうした戦略を探っていると、
果たすべき責任を回避するようになっていく。
虐待を受けていることを否定していれば、自分を守るために立ち上がる必要はない。
自分の過失を他人のせいにしておけば、自分を変える必要もない。
他人の差別意識や敵対心といった悪意に満ちた態度を内面化させていれば、その状況から
のがれるすべを見つける必要も、自分の無力さをかみしめる必要もないまま、
自分を責め続けていればいいからだ。
幼子は、ペルソナ(仮面)や社会的役割のイメージどおりの姿にとどまることや、
世間に隠し事をしないことが重要なのだと信じている。
(省略)
魂の成長に関わるアーキタイプは、あまりにも威圧的だという理由で、別の姿に投影されてしまうだろう。
探求者は異端者。破壊者は敵対者、求愛者はふしだらな誘惑者、創造者は危険思想にかぶれた在任、
といった具合だ。そういう時の幼子は、胸にぽっかりと穴があいたような気分で生きており、
自己破壊的な習慣や性的な欲求に取りつかれ、無意識のうちに、劇的な状況や困難な状況を
創り上げたいという欲望を抱えている。
『英雄の旅』キャロル・S・ピアソン 実務教育出版 P129、130
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