虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

お母さんが持っている困り感と子育て

2014-05-31 19:46:57 | 初めてお越しの方

子どもの側にではなく、親御さん側がいくつかの困り感を抱えていて、

それが子育てを難しいものにしているケースに出会うことがあります。

 

ユースホステルでのレッスンのように食事やお風呂、雑談の時間など

レッスン外の時間をいっしょに過ごすことが多いと、

「子どもの困った行動に振り回されている」とおっしゃる親御さん自身が

さまざまな困り感に囚われていて、当の子どもは

混乱させるような対応をしなければきちんと年齢相応の振舞いをし、

与えられた課題をこなすことができる場合があるのです。

 

この「お母さんの困り感」にどのように対応するかは、今のわたしの重要なテーマです。

 

お母さんの困り感というのいうのは、

「部分にこだわりだすと、シングルフォーカスに陥ってしまいがちで、

全体が見るのが苦手」

「状況に合わせて柔軟に動くことが苦手」

「想像力を働かせて、自分や自分の子にあったものに調整することが苦手」

「変化に心がついていけなくて、疲れきったりイライラしがち」

といったものです。

  

「子どもにこういうことをさせたい」「子どものこういう問題を克服したい」という

目標のようなものは多々あるのに、

それを達成するにはどのような過程を踏むをよいのかさっぱり見当がつかない

という方も、先に挙げた苦手をたくさん持っていて

あまり自覚していない場合がよくあります。

 

目標のために 「これをしよう」とやりはじめることが、本筋からずれてしまいがちで、

どんなに努力しても、ほかの子と比べると子どもが思うように動いてくれないので

困惑しておられることがよくあります。

また子どもというものを、親が抱く目標を達成していくためだけに存在していると

捉えているように見える方もいます。

目標を立てることが好きで、完璧ともいえる子どもについての計画を練るけれども、

実行するその子に合っているかという視点や、余白がなく、

うまくいかなかったとき、どう対応していくか、というイメージが欠けている場合も

あります。

 

「先を見通して計画を立てたり、イメージを膨らませたり、その都度、

起こってくることに柔軟に対応する、ということが非常に苦手」

 

特に「周囲の空気を読むというか、状況を判断して、今は何を優先させるべきか

決断するのが極端に苦手」

 

といった困り感を抱えている親御さんの中には、子どもに何かさせようとするたびに

強いストレスを感じて、疲れきっている方もおられます。

 

「だったら何もさせなければいいのではないか」と外野は思うでしょうが、

目標を見通した適切な道筋からはるかにずれてしまいがちな方に限って、

その子にこなせないほどのたくさんの目標を立てて、すべてを達成することを

強迫的に望みがちなのです。

 

 

 

そこで、自分自身の「疲れ」を子どもの性格とか態度などが悪いから

こんなに大変なんだ、と思ってしまうと、

子どもは自己肯定感が下がって素直になれなくなって、

消極的で怠惰な態度を取るようになるので、さらに親御さんが子どもを責めてしまう

という悪循環に陥りがちです。

 

ここで大事なのは、親が自分の困り感を自覚して、

それがどのような認知の歪みを生みがちなのか

把握しておくことじゃないかな、と思っています。

問題が起こりがちな場面では第三者の客観的な判断をあおぐことができるように

しておく工夫もいるのではないでしょうか。

 

子どもの問題のように見えていることをいったん保留にして、

自分自身の体験していることや感じていることを

順を追って整理してみて、別の視点からもそれを眺めてみることも大事です。

 

お母さんたちの相談をお受けしていると、

「子どものすることにもう耐えられません」

「子どもに腹が立ってどうにもおさまりません」とおっしゃる親御さんの言葉と

目の前の子どもの姿やそれまで子どもがしていた行動とが、

どうも噛み合わないケースがあるのです。

 

もちろん子どもによっては近くにいらした親御さんもわたしも

満場一致で、

「これだけの困ったちゃんの面倒を四六時中見ているのだから

そりゃあ、お手上げ状態にもなるし、愚痴もこぼしたくなるし、誰かにSOSを

発したくもなるのが当然」とうなずくことは多々あるのです。

そんなふうに、目の前の子どもの姿と親御さんの訴えが周囲の目からも理解できる

ものだと、子どもの問題に向き合うことで親御さんの悩みも消えていきます。

 

けれども、子ども自体にこれといった問題はなくて

親御さんの感じ方や見え方や考え方の側に

子育てに対するフラストレーションが高まる原因がたくさんある場合、

子どもを親御さんが思うようにいじろうとすればするほど、

つまり子どもの問題(とお母さんが感じること)を修正しようとするほど、

問題のなかった子が混乱して、緊張したり、臆病になったり、攻撃的になったり、

できることもできなくなっていくことが起こりがちなのです。

 

自分自身が困り感を抱えて子育てしておられる方には、

「わが子とはうまくいかない面はあるけれど人づきあいは苦手ではない」という方と、

「昔から対人関係が苦手で場の空気を読むのが極端に苦手」という方の

2タイプおられるようです。

 

前者の方は、一時期、視野が狭くなっていることはあっても、

相談相手に恵まれて、自分の見方や考え方の幅を広げていく場があれば

困った体験を肥しにして

子どもと良い関係を築いていきやすいようです。

 

でも「昔から対人関係が苦手で場の空気を読むのが極端に苦手」という方は、

子どもの問題や子どもとの関係がとことんこじれて

修復しようがないところまでいってしまうこともあるので注意が必要だと思っています。

 

ここで伝えようとしているのは、子どもの問題や子どもとの関係をこじらさないための

アドバイスであって、

「対人関係が苦手」なことを、わたしが「悪いこと」だと思っているわけではないこと、

こうした人の得手不得手は、善悪や正誤として白黒つけられるものではない

ことをご了承ください。

 

それでは、どのようにこじれやすいのか、

どうしたら陥った悪循環から抜け出すことができるのか

説明させてください。

 

続きを読んでくださる方はリンク先に飛んでください。

お母さんが持っている困り感と子育て 4

お母さんが持っている困り感と子育て 5

お母さんが持っている困り感と子育て 6

 

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子どもに辞書的、図鑑的知識は必要?パソコン教育は必要? (息子とおしゃべり) 

2014-05-31 19:39:56 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

隙間の形がギザギザの星型になるように「覗き眼鏡」を作りました。

何段か、同じ組み方で重ねます。比較的安定したはずれにくい組み方です。

ペットボトルの底部分を輪ゴムで装着しています。

 

数日前に息子から、わざわざノイズ(CDの傷等によって生じるギーギー言う音)を

編集して取り入れることで、音に深みを出す工夫をこらした曲を紹介してもらい、

娘とは、画材がはがれた部分や本来は見えないはずの絵の下地の部分を利用して描かれた

現代美術の展示会に行ってきたため、わたしもブロックでそういう普段は見えない部分、

意識しない部分が意味を持つようなものを作ってみたいな、と思っていました。

ブロックの作品よりも、ブロックで囲まれてできる穴の方に注目がいくように

作っています。

 

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中学入試の動点の問題を解くための教具を作りました。 で、

算数の文章問題を解くのに必要なのは、

言葉から言葉に翻訳するような国語の読解力じゃない。

記号の解釈に時間をかけるんじゃなくて記号の元となる本来のものに触れさせることが

大事だと思う……と言う息子と、話し込むうちに、

「子どもに辞書的、図鑑的知識は必要か、パソコン教育は必要か?」という話題に

移りました。

 

息子 「子どもはまだ経験が浅いから言葉という記号の意味するイメージを

明確に持てないことが多いよね。

たとえば算数の図形問題なんかも、様々なものに触れて形を知っていないと難しい。

速度の問題にしてもミニカーやビー玉を転がしたり、

モノを投げたりした体験の蓄積がないと、実感がわかないはずでさ。

速度の問題が解けるようになるには、まず様々な速度に触れることが大事だよね。

 

学問って、抽象的なものを扱ってはいるけど、

抽象的なものを理解するには情報が必要なんじゃなくて、

まず、第一に、ベースとして感覚や実感といったものが必要だと思うんだ。

 

ぼくにしても、言葉を読んだとき、イメージや実感がないまま、ただ言葉として

わかっているってものがたくさんあってさ。

たとえば、カブトムシといった言葉にしても、その動き方まで具体的にイメージ

できるかっていうとあやふやだし。

それこそ植物にあんまり興味がないから、花の名前なんて、文中で「おじぎ草」なんて

名前を目にしても、言葉を記号としてスッと流してしまっていて、

ただ文字を目で追えているにすぎないって状態だよ。

 

記号の解釈に時間をかけるっていうのはさ、たとえば、

「遮る」という言葉を覚えるとき、

「遮る」の語源や辞書的意味を覚えて、間に隔てになるものを置いて、

向こうを見えなくするとか、進行・行動を邪魔してやめさせる。妨げる、

というふうに覚えてもすぐ忘れてしまう上に意味がないと思うんだよ。

 

遮るを理解するのに、本を使うのはあまり賢い手段じゃないよ。

 

実際に「遮っている」という状況を見たり体験したりすることで、

はじめて覚えることができるものだからね。

その場合に必要なのが情報ではなくて直感的なものだ。

 現実に起こったことをいつも説明して、あれは虹で光の反射から生まれて~なんて、

すぐに説明するのも良くないよ。

 

言葉で説明するというのは、現実に起こっていることを一つの解釈に閉じ込めると

いうことで、本来起こっている出来事から離れさせてしまうからね。

 

言葉で言い表せないような感情があるように、

現実の世界はもっと抽象的で人間に直接訴えかけてくるものをたくさん含んでいるよね。

子供を無理やり、言葉と記号の世界に閉じ込めたらいけないよ。」

 

 

私  「ネットでアフォーダンスについて書かれた文章を読んでいたら、

現在のコンピュータ教育って、UFOキャッチャーのようなもので、

目的は見えるけれど、実際に触れてないから、

つまり直観的にわかっているわけでないから、理解はつかめても、ただそれだけ。

視覚情報とボタンだけが、理解をつかむプロセスになってるから、

UFOキャッチャーの景品の特性から得る情報があるのか?単純すぎないか?

という話を目にして、なるほど、と思ったわ。

 

パソコンのいいDVDも出ているけど、実体験に先だってパソコンで学んだり、

現実の体験量が少ないのに、パソコンから学ぶような教育が増えると問題なんだろうな

って感じたわ。」

 

息子 「パソコンは、ある程度、しっかり考えられるようになってから使った方が

いいだろうし、現実で実現可能なら極力そうした方がいいんだろうな。

 

でも、パソコンでの学びをUFOキャッチャーにたとえて、

プロセスが単純すぎて、対象の特性から得る情報があるのかどうか……と

考えていくのは、どうなんだろう?

パソコンでの教育を、

電卓みたいに「検索して即座に答えを得る」道具として使うか、

英単語を覚えたり、計算を訓練したりする単純作業をゲームの中に組み込んで、

楽しく学ぶための道具として使うかに限って捉えているように思うんだ。

 

パソコンが教育の場で本当の意味で力を発揮するとしたら、

実体験の限界を助けるというか、実体験の幅を大きく広げる場合なんじゃないかな。」

 

私 「どういうこと?」

 

息子 「たとえば……正二十面体を作って触ったり見たりするのは現実でもそんなに

難しいことじゃないけど、正八十面体を作ったり触ったり見たりしようと思ったら、

よほどの技術がない限り不可能だよね。

 

そういう実現不可能なものを、ぼくたちがイメージしようとすると、

どうしても現実から遠のいてしまう。

となると正八十面体の物体というのは、イメージ上でしか存在できない虚構の物体と

なってしまうよ。

でもパソコンを使えば、そうした虚構をより現実に近い形で表現することができる。

さらに数式や記号といったものが実際どのように使えるかも体験することもできるよ。

 

パソコンのそうした面は、具体的な操作する体験を与えてくれるレゴブロックに

近いものがあるんだ。」

 

私 「レゴブロックに?」

 

息子 「パソコンは、虚構といった現実には存在しないものに外観をつけて

自由にいじることができるようにしてくれるからね。

数学ってものを、レゴブロックのように自由に改造しながら、感じることができる面が、

パソコンが教育の場に貢献できる一番潜在力が大きい部分だと思うよ。

今は、そうした活用のされ方は、ごく限られた人にされているだけだろうけど。

でも、これからは、そこが重要になってくると思うよ」

 

私 「★(息子)は、そういう操作が可能で、遊び心があって

デザインが優れているものが作りたいって言ってたわよね。」

 

息子 「そうだよ。数学を実際触ることができるようなソフトがもっと広まればいいと

思っている。

勉強はそもそも虚構を扱うものだよね。それを教科書や参考書を読んで、

記号だけで本の中で解釈していこうとすると、それらが試験問題を解くためにだけ存在し

ているような薄っぺらな無味乾燥なものに感じられてくるはずだよ。

 

数学が、日常生活を便利にするために使われる道具だってことを実感するには、

虚構にいろいろ飾り付けをして、より現実的にイメージできるようにするのも

重要なんだよ。パソコンはそれが可能だからね。

 

パソコンをわからないことを問いかけて、すばやく答えが出てくるものしか認識して

いないとしたら、レゴブロックでいえば、自由に創造力を解放する道具として使わずに、

ただ設計図通りに組み立てる遊びとしてしか捉えていないってことと、

同じなんじゃないかな?

レゴのように実際に触れながら、その都度フィードバックを確かめながら遊べる

おもちゃの醍醐味は、自由に改造しながら、記号のもととなる本質的なものを

直に感じ取れるってことだよね。パソコンにしても、そんなふうに

直観的にわかる体験を作りだせる良さを教育の場で活かすべきなんだろうと思うよ。」

 

 

↑ 年中さんの女の子のパパさんが作ってくれた作品。

車を動かすとデュプロの車輪に巻きつけてあってひもが引っ張られて車輪が回り、

車輪が回るとかけていた輪ゴムの力で、もう一方の車輪も回り、

それが回ることで、黒い帽子用のゴムが動いて、ユーフォーキャッチャーとして

ぶらさげていたひもが動きます。

 

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やる気のない態度 と あとから振り返る子育て

2014-05-31 13:47:58 | 幼児教育の基本
2歳、3歳のころから接してきた子どもたちが、
 
5歳、6歳、7歳と成長してから、数年前の姿を思い返すと、
 
教育にとって大事なことに気づきます。
 
わが子なんて0歳からいつも見てきて、もうすぐ社会に出て行こうという年に
 
成長しましたが、そこから十数年前の姿を思い出すと、
 
そこで気づく大事なことというのも、それと同じです。
 
大事なこと……というのは、子どもの態度やノリについてです。
 
幼児を持つ親御さんは、何か働きかけるたびに、特に教育的なことの場合、
 
目をキラキラさせて、意欲的で積極的で熱心な姿をしるすことを
 
望んでいます。そうして子どもからそういう態度が得られたときだけ、
 
価値がある時間を過せたと感じがちです。

また教えたことが、すぐさま結果としてあらわれて、何かを覚えたり、
 
周囲を驚かせたり、目に見える数値で成果を確かめられる場合のみ、
 
子どもに正しいことができた、良いことをしてやれたと思いがちです。
 
とても短い期間に、子育てに近視眼的になればなるほど、そう感じがちです。

けれど、いったん、子どもがある年齢まで成長して、
 
さまざまな年齢の子どもの姿を振り返ると、
 
何をするのも乗り気ではなくぐずぐずしていた時期も、
 
反抗ばかりして少しも成果が見えなかった時期も、どちらも非常に重要で、

大人が食いついた~と評する状態で学んでいる時期同様に

子どもを大きく成長させていたことがわかります。
 
子どもにはさまざまな成長段階もあるし、個性もあります。
 
物との関わり方も、無関心を装いつつ、実は熱心に観察している子、
 
頭の中ではあれこれ考えている子がいます。

たとえば、虹色教室には、5~6歳の3トリオさんが通ってきていますが、
 
この3人のうち、TくんSくんが3歳、4歳のときのレッスンなんて、
 
2時間、私のすることに1から10まで反抗して、
 
レッスンとして成り立たないときもよくありました。
 
かなりのやんちゃさんでしたから……。

それでも私は淡々とその時期の子の心に響く体験を用意していきました。
 
子どもの態度にまどわされず、その子に必要なものを与えていくのです。

反抗期がひどくなると、部屋にいることすら嫌がってかんしゃくをおこす
 
ので、TくんとTくんのお母さんと私とで、外を散歩しながら花を見たり、
 
建物を見に行くことをレッスンとした日もありました。
 
それでも泣きつづけて機嫌をなおさないTくんに、
 
根気良くつきあうTくんのお母さんの姿を見て、今さえ乗り越えれば、
 
一年もすれば、この子はとてもしっかりしたお兄ちゃんになるだろうな~と
 
感じました。
 
なぜそう感じたかというと、Tくんを見てそう思ったのでなく、
 
Tくんの態度に動じないTくんのお母さんの姿を見てそう感じたのです。

そして、私が推測していた通り、一年たたないうちに、Tくんの中から、
 
自立していて、意欲的で、まじめで、がんばりやで勉強好きの
 
性質がどんどんあらわれてきました。
 
お友だちとのグループレッスンになってからはリーダーシップを取りながら、
 
お友達の意見をよく聞き、自分の意見をきちんと表現し、
 
大人の話にも集中して耳を傾ける「できすぎくん」となっていました。
 
態度が悪くて聞いていないように見えた時期の学習は、
 
なぜかすべて覚えていて、まじめに取り組んでいた子以上によくできます。
 
しっかり反抗期を超えているので、依存的なところや、
 
赤ちゃん返りがあまりなくて、
 
学んだり、何か技術をマスターすることにいつも心が集中しています。
 
幼稚園でも「根っからの優等生」と先生から評されているのだとか……。

Sくんも同じような経緯をたどっています。
 
 
またうちの子を振り返っても、娘はフランス語の暗唱でも英語の暗唱でも、
 
4歳のころには、教えればすぐさま吸収して、アウトプットし、
 
手先も器用で幼稚園時代から絵画で賞をもらったりしていました。
 
息子は、わが道を行く子で、私がすることをいっしょに楽しむものの、
 
ふざけるだけで幼児期にはアウトプットはなし。
 
絵なんか、卒園時に棒人間でしたけど……。

でも大きくなれば、娘も息子も、私が働きかけたことは、
 
その時期の子の態度や、外からみえる成果にかかわらず、
 
同じようにすべて吸収されていたんだな~と感じることが多々あります。

あとから振り返ると、子どもの中に生き続け、芽を出し、
 
成長し続ける幼児体験というものがあるのです。

それは、子どもがどんな態度をしるしたとか、乗り気かとか、
 
何ができるようになったとかで評価しないで、
 
ただ子どもの周辺を「質の良い学ぶことの喜びと美しさ」で彩る行為です。

子どもの環境を知的なものと友だちになれるように整える、
 
ただそれだけです。

また子どもの中から、肯定的で前向きで好奇心あふれる姿勢が
 
あらわれてくるまで、急いで評価を下したり、大人がふらふらせずに、
 
気長に楽しみながら待つことです。
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抽象的な概念を学ぶこと と 「わからない」を保つこと

2014-05-31 08:50:30 | 国語


小5の★ちゃんが、中学入試をするというので、

志望校の国語の受験問題を解いてもらって、一緒に答え合わせをしながら

解き方について会話を交わして、理解を深めていく手助けをしています。

★ちゃんは理解力があって物覚えもいい子です。

素直で勉強に対する意欲もまずまずです。

読書家で、言葉についてよく知っている★ちゃんですが、中学入試の国語問題で

問われる抽象的な言葉は、難しすぎるようで困惑していました。

先日も、「偽物の正義感」という言葉が表わす内容を抜き出す問題で、

「偽物」という言葉と、「正義感」という言葉の辞書的な意味がわかった後にも、

文の中で表現されているどのような行為が、「偽物の正義感」にあたるのか、

ピンとこないようでした。


★ちゃんの志望校の国語の読解問題は、大人向けの本の脳科学や生物の多様性の

話題が取り上げられるなど、難易度が高めです。

それでも★ちゃんは、国語の読解の際に

「肯定的なイメージで書かれている場所」と「否定的なイメージで書かれている場所」

を見分けて、文の内容がぼんやりとしかわからないときも、適切な答えを選んだり、

文を抜き出したりできるようになってきました。

こんなふうに試験で良い点を取るためのコツをマスターするのが上手な★ちゃんですが、

★ちゃんのお母さんは、日常生活で何かに疑問をもつとか、

納得できない事柄で悩むとか、

「わからない」ことを長い期間、保つようなことがほとんど見られない★ちゃんの様子を

少し気にかけておられて、次のようにおっしゃっていました。

「素直で要領がいいのはいいことではあるのですが、いつも あまりにあっさりと相手の

意見に同調してしまうし、日常生活で問題が起こっても、すぐに他人の意見を聞いて

納得してしまうので心配です。

その場でぶつかった問題は、無理があっても、中途半端な理解でも、その場、その場で

終わらせたいようで、問題を引きずるのが何よりきらいなようなのです。

そのおかげで、集団の場では協調性があるし、

確かに試験の成績は伸びてはいるのですが、いいことばかりでもないのです。

「こういうときはこんなふうに解けばいい」という方法を暗記して解くので、

どうしても問題の表面をさらっていくような解き方で、

ちょっと異なる問い方をされると、基本中の基本とも言える概念が

わかっていないという場合がほとんどなのです。

★は小さい頃から育てやすくて、何でもすぐにマスターする教えやすい子でしたが、

今、その性質がネックになって、本当の理解に達するまで考えていく力が

失われているように感じます」。


★ちゃんのお母さんの心配ごとは、

優等生の子の親の贅沢な悩みのようにも聞こえるかもしれません。

でも、「まったく見過ごしていてもいい、放っておいてもいい」とも思えません。

現に、入試の国語で出てくる抽象的な言葉を学ぶとき、

これまでの★ちゃんのやり方が通用しなくなりつつあるのです。

というのも、抽象的な言葉が指すものは、

「暗記したらおしまい」という一つの意味と結ばれるわけではないからです。

同じ「正義感」という言葉も、

こちらの文章では、このような場面にこのような態度で発揮されていたけれど、

別の文章では、心の中に秘めている思いとして表現されていたり、

明るく肯定的な意見で使われていたかと思うと、皮肉っぽく自己卑下するような

言葉の中で使われていることもあるのです(「ぼくの薄っぺらな正義感」など)。

そうした複雑で多様でさまざまな意味を含んでいる抽象的な概念の理解は、

日常の暮らしの中で「悔しいな」って思ったり、納得できなくてもんもんとしたり、

悲しくて胸が張り裂けそうになったり、

喜びで舞い上がりそうな気持ちになったりしながら、

自分の内面で言葉を練ることを通して発達していきます。

勉強では、理解をするときや記憶するときには集中しても、

ほかの場面で、いつもその場に流れる空気に同調するだけで、自分の考えを持たないで

過ごしていると、「答えが一つ」ではない問題を解く力が育ってこないのです。


★ちゃんは、ひとつ年下の☆ちゃんと一緒にレッスンしています。

☆ちゃんは、★ちゃんとは正反対ともいえる性質の子で、本気で考えているわりに、

すんなり「わかった!」という状態に至ることはめずらしく、

何ヶ月もわからないまま問題を置いていることがよくあります。

算数の文章題を解く際には、少しでも納得できない点があると、

「わからない」と言って考え続けているので、なかなか先に進めないときがあります。

そんなふうに☆ちゃんは、★ちゃんの「得意」としている素早く理解し

マスターするという面で、「苦手」があります。

でも、それは悪いところばかりとは言えず、

「わからない」と言い張るには、自分の頭でしっかり考えているからとも言えて、

☆ちゃんが「あっ、なんだ。そうだったのか、わかった」と言うときには、

その概念の非常に深い意味まで☆ちゃんの内面で消化されてもいるのです。


先日も、つるかめ算をベースにした買い物をする問題で、

数ヶ月前にはでたらめな式を立てて、間違えた答えを書きつづけていた☆ちゃんが、

自分の間違いを見直しながら、なぜ間違っているのか納得できないからと、

さんざんぶつくさこぼしていました。

が、見直しながら図を描いて考え込んでいた☆ちゃんが、「あーなんだ。そうか!

わかった、わかった」と言いだしたかと思うと、

同様のかなり難しい応用問題も解いてしまいました。

「ここが納得できない」「どうして、これがこうなるの?」

「なぜ?」「わからない」とさんざん「わからない」と格闘していた結果、

教わって、「こう解けばいいのか」と納得するよりずっと深い理解に達したのです。

もちろん、★ちゃんと☆ちゃんを比べて、

☆ちゃんの方が★ちゃんよりできるとかできないとか、

上とか下とかいう話ではないのです。

どちらにも長所があって、学習していく上で、一方に偏らず、どちらの良い面も

少しずつ取り入れていく工夫が必要だと感じているのです。

『「プロ編集者による」文章上達<秘伝>スクール』という本に、

文章を書くということについて、次のように書かれています。

これって、文章を書くことだけでなく、抽象的な概念について考えを練っていくときも

こういうところがあるな~と思ったので引用させていただくことにしました。
 
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それでも文章に関心がない人っている。

どうして、ものを書く人と書かない人が分かれるかっていう疑問があるよね。

すごく根本的に言って、うまくいろんなことに適応しちゃっている人は

そんなに書く必要を感じていないのね。そもそも。 

(略)

基本的にうまくいかないことを埋めていくために言葉って生まれていくんだけど。

で、どんどん自他が別れていくと、人間はいろいろ考えちゃうんだよ。

うまくいってる時には考えない。

例えば、ここにクーラーがついてればクーラーのことは忘れて、

ただ快適にいるわけだけど、クーラーが壊れていて暑かったら

「クーラーどうしたの?」という言葉が必要になってくるんだよね。

(略)

だから、自分の中でうまくいかないことを治療するために言葉ってのは

生まれてきてるんだよ。人の肉体が傷つくと血が出るでしょう。

それと同じように人がうまく世界とつながれないと、

そこに言葉が必要になってうまれてくるんだよ。

(『「プロ編集者による」文章上達<秘伝>スクール』 村松恒平
 メタ・ブレーンより)

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うまくいっているときには考えない……

確かにその通りなのでしょうが、

誰でもわが子が、悩んだり迷ったり、ミスして恥ずかしい思いをしたり、

欠如感を感じたりするような体験をさせないように手を尽くしがちですよね。

その結果、子どもたちは、問題や障害物にぶつかること自体がほとんどなくて、

何となくいつの間にか、真剣に考えることも、

自分に足りないものに気付いて、強く欲することもなしに

日々をやりすごしているのかもしれません。

虹色教室でも、子どもたちが、真剣な表情で

「ああでもない~こうでもない~」と言葉をひねり出しながら訴えてくるときは、

何か心に引っかかることがあって、納得していないときです。

☆ちゃんは、教室に着くなり、

「ねぇ、先生、聞いて聞いて。うちのクラスの~が……」と

学校の愚痴やら、何だか納得できない心に引っかかっていることやら、

これはおかしいんじゃない?と感じた出来事なんかを、話しだすことがよくあります。

それで、私は「へぇ~そうなの」とうなずきながら、よりくわしく説明してもらために、

「それはいつのこと?」「その時、どう思ったの?」「それなら☆ちゃんが、

運が悪いって言い方で表現するのは、カードゲームをするときに、

悪い札が回ってくるとか、くじびきをしたら外ればかり引くとかいうことなの?」

といった質問をします。

すると、☆ちゃんからは、「私は運が悪いけど、席替えのときに隣に座る子とか、

友だちは良い子ばっかりだから、そういう運はいいけど、

でも、ゲームの時の運は悪いのよ」などと返してきます。

そうしたときに、「なら、☆ちゃんの私は運が悪いって言葉は、遊びの中のゲームの

一部にだけ限定して言えることなの?」

「それなのに、私はいつも運が悪いと感じてしまうのは、事実ではなくて、

一部をすべてのように錯覚して使っているんじゃないかしら?」

というように、「限定」とか「事実」とか「錯覚」といった

まだ☆ちゃんには少し難しいけれど、会話の中で使っていると自然にどのような意味か

わかってくる抽象的な言葉も使うようにしています。

こうした私と☆ちゃんの間で交わされるような話は、同じ時間に通ってくる★ちゃんと

交わすことはこれまであまりありませんでした。

★ちゃんは、お勉強のできるしっかりした子ではあるのですが、

会話が始まると、すぐに「そっか~」「うん、わかった」「そだね~(そうだね)」

「そうそう、まあね~」とうなずくだけで、

ニコニコしながら満足そうに話を終わらせてしまうところがあるのです。

子ども同士でけんかになりそうなときも、「じゃ、いいよ。私は今度でいい」と

すぐに譲ってしまって、何事もなかったかのように過ごします。

周囲の人がアドバイスすると、「うん、そうしとく」とふたつ返事で納得します。

★ちゃんのお母さんは、★ちゃんにさまざまな体験をさせるように

気を配っていますが、何をするにも★ちゃんは上機嫌でうれしそうにこなすものの、

強く心に響くということもないようです。


★ちゃんは、幼稚園の頃から先生の期待するものをそのまんま取りこんで、

自分がやりたいことなのか先生の望みなのかわからなくなるほど、

良い子に振舞うことがよくありました。

それが小学校に上がってもずっと続いてきたために、文章は読めるし、

文法も漢字もわかるのに、文章の中で描かれている主人公の心の軌跡や、

抽象的な言葉が指している内容について、

どれほど具体的に説明されてもピンとこないところがあるのです。

あんまりものわかりのいい良い子もちょっぴり困ったところがあるものです。


算数の勉強のときも、「こういう問題はこのパターンで解けばいいのか~」といった

理解が早いので、根本的な問題の意味をつかまないうちに

解けるようになってしまうところが、★ちゃんの親御さんが気にかけていた

「問題の表面をさらっていくような」解き方になってしまうということなのです。


私は、★ちゃんに、国語で出てきた抽象的な言葉について、

それが表わす具体的な例をいくつか挙げて、

「ね、さっき説明したような偽の正義感を振りかざすような人がいたら、

今度教えてね。あっ、こういうの、偽の正義感だ。自分は道徳的に正しいことを

している態度を示しているけど、それって、何だかずるくないかな?って

ことを言ったりしたりする人がいないか、いろんな人を観察してきてね」

という宿題を出しました。

算数の勉強では、やったけどわからないから、その日はわからないまま置いておいて、

自分の頭のなかでじっくり考えてみることを大切にするように伝えました。

 

★ちゃん、素直ですから、そんなややこしい課題にも、

「うん、わかった。やっとくねぇ~」と明るい返事でした。


 


中学入試に出てくる難解な国語の文章や言葉を目にすると、
 
「そんな難しい言葉が出てくるようになるのか」とびっくりして、
 
「それなら、早めに辞書を引く習慣を身につけさせておけばいいの?」
 
「幼いころから、難しい言葉の意味を教えていけばいいの?」
 
と感じた方がいらっしゃるかもしれません。
 
そうして、大人が知識を与えて、それに自分の意見をはさまずに素直に
 
吸収するほど、幼いころは賢く見えるし、学習を先に進めることができます。
 
でも、そうすればそうするほど、
 
子どもは現実の世界で自分が理解できないことにぶつかっても、
 
「大人が正しい答えを教えてくれるから、自分の頭を使って考える
 
必要はない」という態度を示すようになります。
 
それか、本に正しい答えが書いてあるから、
 
苦労して自分で「ああかな~こうかな~」と考えて、
 
間違えるくらいなら、「何も考えないようにして、暗記した方が得」と
 
感じるようになったりします。
 
子どもは子どもの脳の仕組みを使って、自己中心的に物事を考えて
 
いきますから、
 
正しいか正しくないかという大人の世界の尺度で測れば、
 
たいていでたらめで間違っています。
 
でも、そうやって、子どもが自分の頭で考え、
 
自分の言葉で練った内容というのは、
 
子どもが自由自在に自分の内面の世界を歩き回る際の
 
地図の役割を果たしてくれもいるのです。
 
たとえば、仲良しの友だちが別の子にいじわるされているのを見て、
 
「どうしたらいいのかな?」って自分の中でさんざん迷って、
 
勇気を出してお友だちを助けてあげたという体験があるとします。
 
すると、子どもの内面には、「正義感」という言葉や「勇気」という
 
言葉の概念を理解するために元となる体験が、一つ蓄積されたことに
 
なります。
 
でももし、大人が「こういうときは、こうするんですよ」と教えることを
 
徹底しすぎて、お友だちのいじめを見た子が反射的に
 
「先生~○○くんが悪いことしてる~」と言いつけて、
 
あとは大人の仕事と考えて、すぐに自分の遊びに戻ったとすると、
 
同じ体験にぶつかっても何も残らないかもしれません。
 
もちろん大人の助けを借りなければならない場面というのはあるのです。
 
いじめも早めに芽を摘んでおかなくてはならないものでしょう。
 
でも、そうして、子どもが直接体験して、
 
自分で考える体験を奪ったら奪っただけ、
 
それ以外の場所では、大人は一歩、控える必要があると思うのです。
 
何から何まで大人が口をはさんで、決めてしまったのでは、
 
いったいいつ、子どもは、「正義感」とか「勇気」とか「罪悪感」とか
 
「憧れ」とか「欲求」とか「自覚する」といった言葉のもとになる体験を
 
自分の中にためていくのでしょう?
 
大きくなって、そうした言葉に出会ったとき、
 
「ああ、私がいつまでもごねていて、
 
しまいに夕ご飯いらないって言ったときの気持ちが、本の中の……
 
自分の気持ちと折り合いがつけられなくて、わけもなく執拗に……って
 
言葉が表わしているのと一緒かな?」と察するためには、
 
それまで生活の中で、感情を通して味わったさまざまな体験が
 
たくさん必要なのです。
 
大人は、子どもに指示を与えたり、答えを教えたりするよりも
 
一対一でじっくり会話をする時間を設けて、
 
子どもの話にじっくり耳を傾けるようにすると、
 
より体験が子どもの中で深まるのではないでしょうか。


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自分の頭が最高の資源 一番のおもちゃ

2014-05-31 07:45:03 | 日々思うこと 雑感



ユースホステルでの幼稚園児さんたちのレッスンに行ってきました。

工作道具やおもちゃや実験道具を、キャリーバックにパンパンにつめ込んで

出かけているとはいえ、一人で持ち運べるものなんて知れています。

最初のレッスンの場として借りているココプラザの和室は、テーブルが2台あるだけの

何にもない空間。

でも、それくらい物が少なくて、できることが限られていると、そこで得られる楽しさは

「あるものを利用して、どれだけ知恵を絞って面白い遊びを創り出すか」

にかかってきます。

物があふれる豊かな時代の、至れり尽くせりのサービスに囲まれて生活している

子どもたちにとって、自分の頭で、無から有を生み出すことは、心躍る体験のようです。

 

最初にあったのは、2本のひも。

一人がケーブルカーを作り、それが奪い合いになりました。

ケーブルカーは紙コップに輪ゴムをつけて作り、

輪にしたひもの一方えお引くことで、動かします。

そこで、もうひとつケーブルカーを作り、

「やっぱり、エレベーターにしよう」ということで、

参加のパパさんに肩車をしてもらって、エレベーターを設置。

ついでに、紙皿を貼ったゴミ袋(を切ってつないだもの)でマンションも作りました。

ハムスターが待っています。




自分もエレベーターが作りたい子が現れたものの、もうひもがありません。

そこで、ビニールテープを貼り合わせてひも作り。

 

何かが足りないということは、問題解決する楽しみを味わうのに、

ぴったりの瞬間でもあります。

私が子どもの頃、「一休さん」というアニメが放映されていました。

一休さんが、いろんな人から難題を突き付けられたあとに、座禅を組んで、

静かに考え込んでいて、「アッ!ひらめいた!」という様子で解決するのを

爽快に眺めていた記憶があります。

でも、小学生の私には一休さんの「とんち」は、無理に言葉でこじつけているようで、

納得できないところもありました。

毎度、毎度、もっと目でみて、あっと驚くような仕掛けを期待していたような……。

その間に、ティッシュ箱で連結する電車を作っていた男の子たちは、

ざぶとんを使って、地下鉄を走らせる空間を作って盛り上がっていました。



↑ となりの工事も完成。

 

途中で、ティッシュで作った電車にモーターを取りつけたところ、

一人の女の子は空飛ぶ飛行船を作ることを思いつきました。

何もなかった空間は、駅、線路、マンション、エレベーター、ハムスターたちの村と家、

女の子のお家、さまざまな乗り物……飛行船、地下鉄、寝台列車、宇宙船、新幹線

などであふれていました。

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愛情をかけて可愛がって育てているのに困った言動が増えてくるとき (ユースホステルのレッスンから)

2014-05-30 14:13:18 | 日々思うこと 雑感

ユースホステルでのレッスンの様子を書いた過去記事を、いくつか紹介します。

 

記事中に登場する5歳の★くんは、現在、小学生。

就学前、教室の就学準備グループに一年間通っていただきました。

その間、★くんは精神面でも知力の面でも目覚ましく成長し、

学校に上がる直前には、教室の片付けや学習態度でほかの子らの模範となるほどでした。

就学準備グループを始めた当初、★くんといっしょにふざけたり反抗したりしていたある

男の子は、自分の行動を律してテキパキと活躍する★くんの姿を見て、それまで頑として

やろうとしなかったおもちゃの後片付けを進んでするようになりました。

 

  

親御さんはいつも優しく根気よく愛情をたっぷり注いで育てているのに

子どもの困ったちゃんぶりが日増しに強くなっていく場合があります。

前回のユースホステルのレッスンでも

今回のユースホステルのレッスンでも

そんなわが子の態度に戸惑う親御さんの姿がありました。

 

親御さんからの承諾を得て、5歳の★くんのケースを紹介します。

★くんはユースホステルの異年齢レッスンに初めて参加してくれました。

目がクリッとした茶目っ気のある男の子です。

運動神経がよくて活発な明るい子です。

 

発達面で気がかりなことはなさそうなのですが、

わかっていても大人の声かけを無視することがたびたびあって、

危険なことをしている時に注意しても知らんふりしていて

制止がきかない様子は気になりました。

 

また本人に十分できるレベルの課題も嫌がってやろうとしなかったり、

質問を聞こうとしなかったりしました。

ちょっと考えなくてはならないような知的な課題全般に

耳を傾けることさえ拒否するような、意欲のなさが目立ちました。

 

「聞く」こと自体を拒絶して、

憎まれ口をたたいて逃げてしまうので、

語彙の量や語彙の理解力などに問題がないか

お泊りレッスンの間、★くんの言葉に注意を傾けていました。

「見る」作業中、たちまち落ち着きなく視線が泳ぎだすようだったので、

見る力についても、何か問題が感じられないか注意していました。

 

★くんは人が好きな快活な子で、誰とでもすぐに仲良くなれる一方で、

年上の力のありそうな子を足で蹴ってちょっかいをだしたり、

友だちが集中して何かしていると邪魔したり、

理由もなくお母さんを叩いたりする

人との関わり方の幼さがありました。

 

★くんのお母さんもお父さんも温和で常識的で落ち着いた方々で、

★くんにたっぷり愛情を注いで育てています。

 

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記事の内容とは関係がないのですが、ついでに

今回のユースホステルでのレッスンの様子を紹介します。

 

1枚の紙に切り込みを入れるだけで、立体があらわれる様子に

4~6歳の子らはため息を漏らして感動していました。

 

さっそく見よう見真似で創り出す5歳の◎ちゃん。

 

↑◎ちゃんのお絵かき作品も素敵ですね。

 

押し入れのなかで上映会。熱中症にならないように注意がいります。

 

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教室外の子どもたちと接する機会があると、

発達障害などのハンディーキャップがないにもかかわらず

★くんのような気になる態度を示す5、6歳の子とたくさん出会います。

「どうしてそうした困った態度を身につけてしまうのか」のもとをたどると、

2、3歳という自我が生じはじめて、自己統制力が育っていく過程で

周囲の接し方がまずかったり、環境に少し問題があったんじゃないかな、

と思われることが多々あります。

 

過去の原因探しばかりしていても仕方がないのですが、これからどのようにして

気になる行動を克服していくといいのかを話題にする前に、

2、3歳児を育てている親御さんたちに学んでいただくためにも

そうした困った態度が生じてくる仕組みについて説明させてくださいね。

 

山梨大学の加藤繁美先生は、次のようにおっしゃっています。

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「自己チュー児」などと呼ばれる「超わがままタイプ」の子どもは、

「しつけ」ができていないというよりも、

自分の言葉を聴き取られ、自分の思いを受け止めてもらう心地よさを

知らない子どもが、「荒れ」た行動をとっているのである。

その理由は、子どもの自己統制力が育っていく道筋が、

実はそうした構造をもっているからにほかならない。

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子どもは最初に、大人と親密なコミュケーションの過程で、

愛されることの心地よさを獲得していきます。

加藤繁美先生によると、一口に「愛されることの心地よさ」と言うけれど、

実は乳児期に体験する大人・子どもコミュニケーションの質は、

その後の子どもの育ちを規定するくらい大きな意味を持つものなのだそうです。

 

大人たちは子どもが自分でも自覚していない要求を読みとり、

ていねいに「意味づけ」し続けます。

子どもはそうやって繰り返されるコミュニケーションを通して、

自分の要求と音声が対応していくことを知っていきます。

そうして乳児期に獲得した「愛されることの心地よさ」をベースに、

音声で表現できることを知った要求世界を

自分の興味・関心にひきずられるようにして、どんどん表現するようになります。

それが「自我」の誕生と呼ばれるものです。

 

要求を主体として成長していくこの時期に、

大人が子どもの発するものを受け止め、同時に方向づける

という対応を辛抱強くていねいに続けていくことで、

子どもは言葉で表現するようになった世界を大人と共有することに

幸福を感じるようになるそうです。

 

そして2歳半を過ぎる頃から、大人と共有した価値の世界がはっきりしてきて、

知性として形成される「第二の自我」の芽となるのだとか。

第二の自我とは、

「社会的存在としての自分がどう行動すべきか」という形で

知性として認識される「規範的自我」「理想的自我」である点を、

特徴としているそうです。

 

 3、4歳とは、身体が求める要求世界としての「自我」の世界と、

知性として育てた「第二の自我」の世界の間に生じる、

矛盾と葛藤を生きている時期で、

やがて4歳半を過ぎる頃から「自己内対話」をしながら生きていくようになります。

 

現在は「自己内対話能力」がうまく育っていかない子が

急速に増えているといわれています。

5,6歳という幼児後期になっても「自我」の世界だけは出し続けるけど、

「第二の自我」が育っていかないという、困ったちゃんが増えているのです。

 

5歳の★くんにしても、自分の要求はいくらでも出すのですが、

「社会的存在として自分がどう行動すべきか」に気づいて、

自分の内面でそれと折り合いをつけて行動に移すことができません。

「欲しい」とか「したい」とか、自分から要求を出すこと以外に無関心で、

外からの要求には無視するか、憎まれ口をきいて相手もやりこめるかの

どちらかで対応しているのです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

↑ ユースホステルのレッスンで。

回転すると模様がどのように変化するのか確かめています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

★くんのお母さんもお父さんも★くんを心から可愛がっている方々です。

愛情をたっぷり注いで、しょっちゅうギューッと抱きしめています。

それにも関わらず、

「★くんがこれまで自分の言葉を十分に聴き取ってもらえず、

自分の思いを受け止めてもらう心地よさを知らないから、荒れた行動をとっている」

 と捉えるのは、親御さんたちに対して失礼にあたるかもしれません。 

とはいえお母さんが近くにいるときの★くんは

まるで聞き分けのない2歳児のようにわがまま放題に振舞っているのも事実でした。

 

そこでいったんお母さんに離れておいていただいて

わたしと★くんがペアになって行動することにしました。

すると★くんは「こういうことがやってみたい」というチャレンジ精神が薄いわけでも

大人の指示に素直に従えないわけでも、

見たり聞いたりすることが苦手なわけでもないことが徐々にわかってきました。

もちろんふたりで過ごしだしたとたん、★くんの「困ったちゃんモード」が

「いきいきしたしっかりさんモード」にコロッと切り替わったわけではありません。

でも、最初はこちらの声かけを無視したり、

憎まれ口を返したりして対応していた★くんが、

★くんの本当の気持ちに光を当てるうちに自ら進んでお手伝いをしたり、

一度は放りだした課題に再度取り組んだりするようになってきました。

そうするうちに★くんの内面には、

個性的なさまざまな良い資質が潜在しているのに、それを発揮する機会がないために

わがまま放題な態度に終始しがちになっているのが見えてきました。

 

続きを読んでくださる方は、下のリンク先までどうぞ。

 

愛情をかけて可愛がって育てているのに困った言動が増えてくるとき (ユースホステルのレッスンから)4

愛情をかけて可愛がって育てているのに困った言動が増えてくるとき (ユースホステルのレッスンから)5

愛情をかけて可愛がって育てているのに困った言動が増えてくるとき (ユースホステルのレッスンから)6

愛情をかけて可愛がって育てているのに困った言動が増えてくるとき (ユースホステルのレッスンから)7

愛情をかけて可愛がって育てているのに困った言動が増えてくるとき (ユースホステルのレッスンから)8

愛情をかけて可愛がって育てているのに困った言動が増えてくるとき (ユースホステルのレッスンから)9

愛情をかけて可愛がって育てているのに困った言動が増えてくるとき (ユースホステルのレッスンから)10

愛情をかけて可愛がって育てているのに困った言動が増えてくるとき (ユースホステルのレッスンから) 11

(12は、補足記事だったので削除しています)

愛情をかけて可愛がって育てているのに困った言動が増えてくるとき (ユースホステルのレッスンから)13

 

 

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寺田寅彦のエッセイ と夏の理科遊び

2014-05-30 09:16:53 | 理科 科学クラブ

小学生のころ、学校の図書室で、

岩波少年文庫『科学と科学者のはなし 寺田寅彦エッセイ集(池内了編)』を読んで

えらく感激した記憶があります。

古本屋でその本を見つけたので、買ってきてさっそく目を通しました。

今読んでも、とても面白かったです。

読みながら、紙芝居か、実演で、子どもたちにこの本の面白さを伝えたいな~という

思いが湧き上がってきました。

まぁ、そんな大がかりなことをする前に、教室の科学クラブで子どもたちに、

この本をもとに小さな実験をいくつか見せてあげて……

それからブログでこの本を紹介して、夏休みにこの本に目を通した親御さん伝いに、

寺田寅彦の思いが少しでも子どもたちに浸透していくといいな~と感じて……

さっそくブログの記事にすることにしました。


まず、大好きな『茶碗の湯』というエッセイ。

物理学者の寺田氏が、湯の入った茶碗ひとつを前にして、繰り広げる話です。

茶碗の湯って、何のおもしろみもないようですが、よく気をつけてみていると、

だんだんにいろいろの微細なことが目につき、さまざまな疑問が起こってきます。

湯の面から立っている白い湯気は、熱い水蒸気が冷えて、小さなしずくになったもの。

雲や霧の仲間です。

黒い布をむこうにおいて透かすと、粒の大きなしずくはチラチラ見え、

日光に透かせば、場合によっては、虹のような赤や青い色がついているそうです。

これは白い薄雲が月にかかったとき見えるのと似ているそう。

茶碗から上る湯気をよく見ると、暑いかぬるいかおおよそわかるのだとか。

暑い湯は温度が高くて、周囲の空気より軽いため、どんどんさかんにたちのぼり、

湯がぬるいと弱いのです。

湯気が上るときはいろいろの渦ができます。茶碗の上で起こる渦の大じかけのものは、

雷雨のときに空中に起こっている大きな渦です。


白い茶碗に入っている湯は、ひなたで直接日光に当てて底を見ると、

ゆらゆらした光った線や薄暗い線が不規則な模様になって動いているのが見えます。

夜、電灯の光を当ててみると、もっと鮮やかに見えます。

茶碗の湯が冷えるのは、湯の表面の茶碗の周囲から熱が逃げるため。

表面にふたをしておくと、茶碗に接したところでは湯は冷えて重くなって下方へ流れ、

真ん中は上へ。

ビーカーの底をアルコールランプで熱したときの水の流れが、

湯の中の糸くずの動きで見ることができるのだとか。


いっぱいの茶碗の湯は、ほかにも「かげろう」のでき方、湖水や海の水の流れ方、

山谷風、モンスーンなどがどうやってできるのを、わかりやすく教えてくれるそうです。



寺田氏の言葉に次のようなものがあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
俗に、明きめくらというものがあります。

両の眼は一人前にあいていながら、肝心の視神経が役に立たないために

何も見ることができません。

また、たとい眼あきでも、観察力の乏しい人は

何を見ても、ただほんのうわつらを見るというまでで、

何一つ確かな知識を得るでもなく、ものごとを味わって見るでもない。

これはまず心の明きめくらとでも言わなければならない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

子どもたちを『心の明きめくら』にしてしまってはいけませんね。

子どもたちとともに、いろんなものをゆっくりじっくり味わいたいな~
と思いました。

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親御さんへのダメ出し 

2014-05-28 11:51:00 | 幼児教育の基本

ユースホステルでのレッスンで、

何度か親御さんに「ダメ出し」をすることがありました。

といっても、親御さんの言動が間違っているわけでも、

教育方針がまずいわけでもないのです。何かにつけてちょっとゆるめの私からすると、

こちらが見習ったらいいような内容ばかりでした。

それならどうしていちいち「ダメ出し」などをしたのかというと、

親御さんのしていることも言っていることも、それ単体としたら少しも悪いところが

ないけれど、今、その時の子どもと親御さんの関係のなかでは、

ちょっと引いた方がいい、ちょっと押した方がいい、ちょっとゆるい方がいい、

ちょっと厳しい方がいい……なんて場面があったからなのです。

子どもが自ら成長していくための道筋を作ることができるよう余白を作る意味で

親御さんに「ダメ出し」をして子どもへの対応を調整していただいたのです。

 

たとえば、次のようなことがありました。

少し前のユースホステルでのレッスンに、親御さんの話によると

「意欲がない」「やる気がない」「じっくり考える力が弱い」「ぐずぐずしつこくごねる

態度に手を焼いている」と困った態度がオンパレードという小学2年生の◎ちゃんという

女の子と、お母さんが参加してくれていました。

工作やお勉強や友だちとの自由遊びやベッドメーキングや配膳のお手伝いなどをしながら

一日一緒に過ごしてみたところ、

確かにこの◎ちゃんは、親御さんが子育てに悩むのもごもっとも……と思われるほど

困ったちゃんぶりを発揮する場面が時々ありました。

そうしたときに、親御さんは一方的に叱りつけるようなことはせず、イライラしつつも

辛抱強く、諭していました。

◎ちゃんのお母さんは、子どものことを一生懸命考える愛情深くて賢い方なのです。

 

この日、私が親御さんに「ダメ出し」したのは、こうした◎ちゃんが、

しつこく親御さんが嫌がることをしたり、注意を受けても何度も止められていることを

したりしていたシーンではありません。

一見、何気ないおだやかなひと時の、

親御さんの応対やちょっとした表情やあえて褒め言葉を控える態度が気になって、

失礼ながら何度か「ダメ出し」させていただいたのです。

というのは、それが◎ちゃんを、イライラした投げやりな態度と

過剰にいい子になろうとする態度の間を揺れ動く不安定な心の状態に

させているように見えたからです。

 

といっても親御さんが無意識にしていた◎ちゃんへの働きかけは

一般常識に照らせば、ごく普通の問題のないものでした。

ただ、◎ちゃんという

「神経過敏でまじめでちょっと不器用なところがあって

すぐに自分への自信を失ってしまうように見える子」とペアになったときに、

「少し関係を調節した方がいいかも?」と思うものだったのです。

 

たとえば、◎ちゃんはルームキーを預かる役を引きうけたとき、

それに誇りを感じている様子で、責任を持って何をするときも片手に握っていました。

ただ2段ベッドに登るときも、ルームキーをぶらぶらさせて登っていたので、

目に入りそうで危険だったので、私が「◎ちゃん、危ないからカギはテーブルにでも

置いておいて」と告げました。

すると、◎ちゃんはこれは大事な預かり物だからテーブルの上なんかに放っておいて

無くすわけにはいかない……というようなことを言ってためらっていました。

「でも、それは危ない」と私がもう一度言うと、急にひらめいた様子で、

自分のベッドの枕の下にしまいにいきました。

私はしっかりしているなと感心して見ていたのですが、◎ちゃんの親御さんは

私から注意を受けたのにしばらくためらって即座に動こうとしなかった態度について

不満があるようで、「いつも、ああなんですよ」とこぼしていました。

その後、◎ちゃんはルームキーを枕の下にしまったことを忘れて出かけてしまい

部屋にカギがかけられなくなる事件が起こりました。

途中で、◎ちゃんが枕の下にしまっていたことをそこにいたメンバーが思い出し、

無事部屋のカギを締めることができました。

◎ちゃんのお母さんは、「いつもいつもあの子はこうで……」と、

◎ちゃんを見つけて叱りつけなくては……!と怒り心頭でした。

この出来事で私が気になったのは、◎ちゃんがルームキーを預かることに

責任感を感じていて、これをきちんとやり遂げたいと素直に心から感じていたことが

わかっていたからです。他の2年生たちは、そんな面倒な役はしたがりません。

◎ちゃんは、ほかの人やお母さんの役に立ちたいという気持ちを持った、

まじめが取り柄な子なのです。でも同時におっちょこちょいでもあるのです。

◎ちゃんが前向きな気持ちで取り組んでいることに対して、

ちょっと自分でどうするか迷ったり、そそっかしさから失敗してしまったりするたびに、

「あなたはこんなにダメな子だ」「また~こんなだわ」とため息ばかりつかれたのでは、

ほかの子がやりたがらない仕事を、自分から進んで引きうけようとは

思わなくなりますよね。こういう場面では、自己肯定感が向上するように

次から気をつける点のアドバイスはしても成功を感じて終わらせてあげたいものです。

 

こんなシーンもありました。

ユースホステルの夕食は子どもも大人と同じ量が出るため

「子どもにしては多すぎますかね?すいません。」とコックさんに恐縮されるほど

おかずの量が多いのです。よく食べる外国の方も満足するような分量ですから。

そのため、子どもたちはたいてい3分の1ほど残すのです。

その日も、子どもたちがちょこちょこ私の方にやってきては、

「先生、すいません。もうおなかいっぽいです。残してもいいですか?」と

すまなそうにたずねてきていて、

「もともと量が多いからね。食べられる分食べたらいいのよ」と答えていました。

途中で子どもたちのテーブルに行ってみると、

2年生の女の子たちはどの子も、せいいっぱい食べたのでしょうけど、

その日のメニューのフライものも野菜も半分くらい残していました。

そのなかで◎ちゃんだけはかなりがんばっておかずはすべて食べきり、

野菜が少し残っているだけでした。

と、それを見た◎ちゃんのお母さんが、

きちんと食べていないことに不満そうにちょっとしたコメントをしました。

ものすごくちょっとしたひとことではあったのですが、

でも、ほかの子たちと見比べてもよく食べている◎ちゃんに注意するのは、

まるで98点を取ってきた子に100点でないことを愚痴るような

気持ちの萎える言葉ではありました。

◎ちゃんのお母さんは冷たい方でも厳しすぎる方でもありません。

でもご自分がかなりいい子として生きてきて、

完璧ないい人であるよう努めるところがあるので、

無意識のうちに子どもに期待する理想が常に高めに設定されているようでした。

◎ちゃんはそんなふうに一日の大半は非常にまじめにいい子になろうと努力していて、

それでもいつもお母さんからはダメ出しをもらうことが多いし、自分自身も完璧主義で

自分の行動に満足できないので、しまいに自信が揺らいでイライラが募って、

わがままな態度やしつこく止められることをするといった行動に

つながっているようでした。

いざ、◎ちゃんがそうした悪い態度を表現しているときには、

◎ちゃんのお母さんは辛抱強く優しい態度で接していました。

◎ちゃんのお母さんも◎ちゃんと似たところがあって

自分に無理をさせても「いい人であろう、いい親であろう」とギリギリまで

がんばるところがあって、そのせいでかえって、

どうでもいい場面や◎ちゃんががんばっているときにチクチクと嫌みを言ったり、

ため息をついて不満を表現したりすることになっていたのです。

 

ユースホステルに宿泊する日の夜は、親御さんたちと真夜中過ぎまで、

親のための勉強会をしています。

毎回、和気あいあいとしてそれは楽しい時間になっています。

 

この日は、いろんな面できちんとした性格のために、

独身時代や職場ではそれで物事がうまく回っていたけれど、

子育てをする際には、決まりごとをゆるめたり、

曖昧さやルーズさを受け入れたりしていくことにとても苦労したという

Aさんも参加していました。

Aさんは◎ちゃんよりもう少し大きな子を育てています。

 

Aさんは、◎ちゃんのお母さんの気持ちがよくわかる~と共感した上で、

「まず、小さな一つだけ、まあいいか……とゆるめる部分を作ってみると、

ほかの部分でも、これもまぁいいか……あれもまぁいいか……と少しずつ許容できる

範囲が広がっていきますよ」と、具体的なアドバイスをしていました。

 

その晩は、◎ちゃんのお母さんが子育ての悩みや、不安や、小さな喜びや、

面白さやイライラなどの本音を自由に言葉にしていくのを、

ほかのお母さん方も私も、共感したり、なだめたり、応援したりしながら

耳を傾けていました。

結局、「本音に耳を傾けた」というそれだけのことをしただけなのですが、

そうした時間を過ごすことで、◎ちゃんのお母さんはもちろんそこにいた誰もが、

親としてどのように子どもと接していこうかと

普段は見ようとしなかった自分の心の内面の風通しをよくして、

子育ての足元を固めるための時間を共有できたように思います。

 

私のようにもう大人に半分足をつっこんだような子どもたちを育てていても、

こうした子育て最前線に立っている親御さんたちの迷いや決意や本音や幸福感に

触れていると自分の築いてきた親子関係を新鮮な目で見直して、

ちょっと反省したり、自分に優しくなったりするのです。

親同士、学びあえるいい関係を作ることは大事だな~と実感しました。

 

「ダメ出し」と言えば、別の2年生の○ちゃんとの親御さんとの間で

こんなこともありました。

私は言葉上では「ダメ出し」していないのですが、

親御さんが子どもを厳しく叱ったあとで、

私がそれと反対の言動をしたので、結果的に親御さんの言動にダメ出しをしたような

雰囲気になったのです。

 

でも、実際、私は、反対の態度をとりつつも、

心の中では親御さんの対応はその時その場にちょうどいいものだと思っていました。

親御さんが間違っていたから私が子どもに親御さんと異なる対応をしたのではなくて、

親御さんが先にきちんと子どもに厳しい態度をしめしていたので、

私はその場に足りなかった部分だけを補う形でよかったのです。

 

ユースホステルでは、2段ベッドの上段で寝るのがとても人気です。

毎回、子どもたちの間で激しい争奪戦になっています。

2段ベッドがふたつと畳でふとんで寝るスペースがある部屋で

小学2年生の女の子4人で揉め事が持ち上がりました。

 

隣の部屋にいた私は、「あっちの部屋でベッドを取り合って○ちゃんが泣いているよ」

という話を聞きつけて、様子を見にいくことにしました。

すると、○ちゃんはこれまで相当ごねていた様子で、私が着いたときには、

しまいにお母さんから「そんなことなら家に帰るわよ」と叱られた○ちゃんが

部屋の隅で三角座りをして膝に顔をうずめてしくしく泣いていました。

 

私が部屋に入ると、

左右の2段ベッドの上段から■ちゃんと◎ちゃんがひょっこり顔を出して、

「先生!聞いてください!私が説明します」「先生、説明させてください!」と

体育大会なんかで、「宣誓!わたくしは~」なんて言うときのような口調で

これまでの経緯をまくしたてました。

 

続きを読んでくださる方はリンク先に飛んでくださいね。

親御さんへのダメ出し 3

親御さんへのダメ出し 4

親御さんへのダメ出し 5

親御さんへのダメ出し 6

親御さんへのダメ出し 7

親御さんへのダメ出し 8

親御さんへのダメ出し 9

親御さんへのダメ出し 10

親御さんへのダメ出し 11

親御さんへのダメ出し 12

親御さんへのダメ出し 13

 

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自閉っ子が成長するとき 2

2014-05-27 20:04:05 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

自閉っ子が成長するとき

の続きです。

 

こちらが準備した課題をやらせるのと

子ども自身から出たアイデアをていねいに受け止めて、

一緒に広げていくのでは、その後の子どもの成長の質がずいぶん違います。

特に自閉っ子の場合、

周囲とコミュニケーションがほとんど取れない状態から、

積極的に会話を継続させていこうとする状態に劇的に変化する

きっかけともなりやすいです。

 

 この日、さまざまな時計作りに取り組んだあとで、Aくんは

電車の絵本の泣いている赤ちゃんを指さしながら、

「赤ちゃん、泣いてるねぇ」と言いながら、お母さんとの会話を楽しんでいました。

この電車の絵本は、何度も真っ暗なトンネルを通るシーンがあります。

一緒にレッスンしているBくんは、

このトンネル内の場面になるたびに、教室の電気を切って、

「暗くなった、暗い、暗い」とはしゃいでいます。

Aくんは、Bくんのしていることがまだピンときていない様子です。

それでも、自分が興味を持った本をBくんも面白がって

「トンネルだから暗くする」と言って、毎回、電気のスイッチを操作している……

という状況は、Aくんの次の成長のための伏線の役割を果たしてくれるだろうとも

思っています。

 

ポップアップ絵本のドールハウスを見ながら、

お母さんと簡単なごっこ遊びを楽しむAくん。

 

偶然、丸めて置いた段ボールが

Bくんが思っていた駅の屋根のイメージにピッタリだったようで、

Bくんはとても得意そうでした。

「すごいのができたね。どうやって作るのか教えて!」と言うと、

段ボールをギューッ抱えて、「こうやって、こうやる。」と答えました。

「そう、段ボールを抱えて、手でギューッと丸めるのね。そうするとトンネルみたいな、

丸い屋根みたいな形になるのね。大阪駅の屋根はこんなふうよ。本当にそっくりよ」

と言葉を添えました。

 

そんなBくんの姿が、Aくんにさまざまな良い影響を与えているのを感じます。

テレビとDVDプレイヤーを作ってBくんと遊びました。

差し込むブロックをDVDに見立てて、

「魚のDVDか、アンパンマンかどっちを見る?」と聞きながら、

映像を見ているフリをして遊んでいます。

Bくんが作ったリモコンです。

青いブロックは音量を大きくしたり小さくしたりするスイッチなのだそうです。

Aくんは、このごっこ遊びをBくんほどきちんと理解していたわけでも楽しめていたわけでも

ありませんが、見たいDVDを決めて、ブロック板のリモコンを触っていました。

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『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』という本

2014-05-26 14:02:57 | 日々思うこと 雑感

『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと(山田太一/PHP研究所)』

という本を読みました。

まえがきに次のような文章が綴られていました。


「生まれてくる子の性別も選べない。容姿も頭のよさも性格も健康も、

あるがままに受けとめるしかない。その上で『親ができること』をさぐりさぐり、

なんとか一緒に生きていく。

その一緒の歳月では無論、親は子供に影響をあたえるけれど、

その影響の大半は意識的な『子育て』によるものではなく、

親の『存在』が避けようもなくあたえてしまう影響だというように思います。

いくら『教育方針』などというものを持って教育に励んでも、

結局その親の器量以上のものを、子どもに伝えることはできない。

放っておく親とそれほど大差はないどころか、放っておいた親のほうが

『よき影響』をあたえてしまうというようなことが、いくらでもあるのが

子どもと親との関係だと感じています。」



「生まれてきたときから、子どもは他ならない『その子』です。

他の子と交換可能な個性のない存在ではありません。(略)


親ができることは『ほんの少しばかりのこと』です。親の力の限界を知り、

その中でどう生きるかというのが、子供との関係の基本だと思います。」


子どもは個性をもってうまれてくる存在だから、どこまで行っても、その子はその子。

子どもには親の持っている以上のものを伝えることはできない。

そうした言葉を目にすると、

がっくりして、子育てに励む気力が失せる方がいるかもしれません。

一方で、「そんなネガティブな意見は信じない、親の努力次第で子供の将来は豊かに

なっていくはずだ」と憤慨する方がいるかもしれません。

私は、たくさんの子どもに会えば会うほど、

「確かに子供は、交換可能な個性のない存在ではないな」と感じています。

0歳児でも、はっきりとしたどの子とも交換することができない個性を

放っていますから。

それなら「いくら『教育方針』などというものを持って教育に励んでも、

結局その親の器量以上のものを、子供に伝えることはできない」という考えに対して

どんな思いを抱いたのかというと、

「それは真実なのだろうな。子どもをこれこれこういうふうに育てたいと思って

がんばっても、何もしないほうが良い結果が待っているのかもしれない。

でも、親が子どもとの関わりの中で、自分の視野を広げ、人への理解を深めて、

学ぶことへの愛情に目覚めていくなら……そうして自分自身の器量を大きく育てて

いくなら、自分があたえることができる最上のものを伝えていくことができるだろう」

というものでした。


虹色教室で期待通りに成長してくれない子にやきもきして、

悩んだり、叱ったり、あれもこれもといろいろなことを試したり、イライラしたり、

愚痴をこぼしたりしていた親御さんが(たいていの場合、親御さんが困惑するのも、

ごもっとも……と思われる子どものやる気のなさや頑固さや困ったちゃんぶりが

あるものですが)この子はこういう子なんだなと、あるがままに納得するときが

あります。


その上で「気持ちが優しいし、素直な性格だ」「こういうときは、きちんとしている」

「ユーモアがあって、明るい」などと、子どもの良い面を見つけて、

自立をうながしながら、適度に手助けしはじめる方がいるのです。

すると、それまでダラダラ~グタグタ~していた子が、

突然、意欲的にがんばりだすことがあります。

いきなり良い成績を取り出すまでにはならなくても、

その子の個性的な素晴らしさが輝き出して、

子どものグループの中でも一目置かれる存在になりはじめることがあるのです。

『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』の中で山田太一氏が、

次のように書いておられました。

 

「歩き出したら、片時も目をはなせない。そんな厄介な存在と暮らして、

幸福感があるのが不思議でした。

勿論、うんざりして、いなくなってくれないかな、と願ったことも何十回かは

ありましたが、何十回ぐらいですんだのは、子どもの可愛さでした。

子どもの可愛いのには、何千回も感嘆しました。

すべてが小さくて、しかしぜんぶそなわっていて、無力すぎる故に抗しがたくて、

ほんとうに生物というものはよくできている、ちゃんと親の苦労にむくいるように

子どもをこんなに可愛くつくってあるんだ、と見惚れました。」


子どもって、生きているだけで、そこにいるだけで感嘆するほど可愛いものです。

でも、子どもに、今この場で、いろんなものを求めてしまったり、

自分の子育てに自信が持てなかったり、親が自分自身の価値を認めて、自分を大切に

扱えないときには、子どもを可愛く感じられなくなるかもしれません。

でも、そういうときは、「子どもがこんなふうにしてくれたら……」とか、

「子どもがこんな子だったら……」と思うのでなく、

まず子どもを可愛く思えない自分の気持ちを認めて、

自分をいたわってあげるといいのかもしれません。

そうして自分に素直に向き合えば、、自分の器量が少しだけ大きくなりますよね。

そうすれば、少し大きくなった器量で、子どもに接することができるでしょうから。


私は前にも書きましたが、ADDの特徴をたくさん持っているので、

調子が良いときに限って、自分でも信じられないようなミスをしがちです。

私が調子が良いときというのは、いろんなことを抱えすぎて、

頭の中がいっぱいいっぱいになっているときでもありますから。

そうしたミスをするたびに、自分で自分に裏切られたような気持ちになるし、

何をしても無意味だという気持ちに飲み込まれそうにもなります。

でも、私は自分がそういう特徴を持っていなかったら、

もっと子育てで間違った方向に進んでたんじゃないかなとも感じているんです。

うちの子たちも、遺伝なんでしょうけど、同じような失敗が多い子なので、

小学生くらいの頃は、「何度言ったらわかるの?」「何回ミスすれば気がすむの?」

と喉元までそんな言葉が上ってくるような失敗をたくさんしていました。

でも、私は責める代わりに、失敗が続いたとき、

「どうしたら自分はダメな人間だとやけを起しそうになるときにも、

正直に自分の欠点を見つめて前向きにがんばれるのか」

「どうしたら、何度失敗してもチャレンジし続ける勇気が持てるのか」を

伝えるようにしてきました。


それは私がADDの特徴があるからこそ、何度も何度も、自分の能力に絶望しながら、

そのたびに、何とか気持ちを立て直して、自分にとっての最善をつくす方向に、

一歩踏み出そうとしてきたからなのです。

それがどんなに苦しいことが、よくわかっているので、わが子がつまずいたときには、

子どもが自分で問題を見つめて、欠点を乗り越えていくまで、

大らかに待ってあげることができました。

それで、私の子にすれば、同じ年齢のころの私よりずいぶんしっかりしているし、

それぞれの子が何にひるむことなく自分の可能性を広げ続けることに一生懸命なので、

うれしく感じています。

 

この著書には次のような文章もありました。

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……そういう意味でいまの日本って、お人好し社会だと思うんです。

お人好しでなにがいけないかというと、人間の実態に鈍感ですから、たとえば、

自分の実態を超えて過度にいい人になろうとするとか、

他の人にもうんといい人であることを要求するとか、子どもに対しても、

そんなことを要求しても無理だということを要求してしまったりして、

その無理がどこかで暴力的に表に出て、

自他を傷つけてしまうというようなことがあるからです。

たとえば、子どもの能力に関係なく東大に入れたいとか、幼児から慶応に入れて、

あとをラクにしてあげようとか計画を立ててします。

子供は無力です。十歳くらいまでは、どうしても親の計画に合わせざる得ない。

東大へ入ったから、なんなの?という議論は別にしても、その子の能力を考えない、

無茶苦茶な計画である場合も多いわけです。

残念なことだし、なんかひどく頭の悪い人の計画というように感じてしまいます。

(省略)

親がどうぬけめのないプランを立てたって、子供がその通りにならなければ、

手も足も出ません。

いい学校へ入れようとしても入れない子どももいるし、

コネを総動員してなんとか入れたら、こんな学校行きたくない、と

登校拒否してしまうという例も少なくないようです。

それが子どもの素晴らしさだと思うしかないのではないでしょうか。

はじめに流行の教育コースがあるのではない。生身の子どもがいるのです。

子どもに従うしかない。

それが一番リアルなことだ、というように思います。

子どもが「なにが好きか」を基準にする他はない。

それを助けることしか、親のできることはない、と思います。

   ——親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと/山田太一(PHP研究所)

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「人間の実態に鈍感」という言葉を目にして、

このところ心に引っかかってもやもやしていたことが、浮かびあがってきました。

最近、教室の能力の高いしっかりさんたちが、小学校に通うだけでヘロヘロになって

帰ってきて、勉強に対しての不満や怒りを口にするようになりました。

親御さんたちにたずねると、少し前まで授業中に騒ぐ子がいて親からのクレームが学校に

集中したものですから、今度は学校側が過剰に厳しいルールを徹底するようになって、

授業中は後ろに手を回して「聞く姿勢」というのを保つことを要求されることが

多いそうなのです。

手遊びをさせないための配慮でしょうが、低学年でも6時限まで授業がある日も

あるので、四六時中、緊張し続けていると、かなりストレスが溜まるようです。

おまけに、そうやって微動だにせずに耳を傾けなくてはならない先生の説明が、

みんなが正解するレベルに設定した

「これとあれは、どっちが正しいでしょう?」といった簡単なものばかりなので、

授業が単なる苦行となっているようなのです。

一方で、文字がちょっとゆがんだり、はみだしたりするだけで

赤で修正されるものですから、書き取りを嫌がったり、細部に神経質になるあまり、

それまで書けていた字も書けなくなったりしているようです。

 

今の学校は少しルールをゆるめると、たちまち収拾がつかなくなるようなところが

あるので、学校の対応とすれば、ある面、仕方がないのかもしれません。

先生方も大変で一生懸命だ、ということもよくわかります。

それでも、もやもやした嫌な気分がくすぶるのは、小学校での問題解決の方法が、

どんどん生身の子どもとか人間というものの実態から、

かけ離れていくように感じるからです。

人間は疲れるし、ストレスも溜まるし、興味をそそられる話や

自分が能動的に関われる場面では、夢中になって集中しているけど、

そうでないときは気がゆるむものです。

もちろん、小学校の授業を個々の子供の能力に合わせるのは難しいですから、

それは仕方がないし、子供に常に先生の話に集中するように指導するのも

当然といえば当然です。

でもそこに、人間というものを知っていて、

全体に向けての基本のルールは徹底するけど、そこにちょっと遊び心を含めたり、

余白を設けておいたり、感情の部分では、ストレス抱えてがんばっている子どもの

気持ちを理解していて、ある部分で見て見ぬ振りをするとか、大目に見るといった、

ささやかな個別対応があっていいと思うのです。

親の側も、先生が自分の判断で、たまにはルールをゆるめたり、

一人ひとりの子にじっくり関わるのを、人間というものへの理解から、

「ちゃんとしていない」とか「ひいきだ」とかいっていちいち目くじらを立てずに、

そっとしておくことも必要なのかもしれません。

山田太一氏が親に向けて、次のようにおっしゃっているのですが、

教育現場でもいえることだな、と思いました。

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人生の先輩として、方向をリードしたり忠告したりしたくなるのも人情でしょう。

しかし、親は自分の人格以上のものを口先で子供に伝えることはできないし、

口で伝えるようなことは、黙っていても伝えてしまっているのが、

親子というものではないか、と思います。自分の毎日の姿で伝えるしかない。

教育的な言辞は無駄なことが多いと思います。

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