虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

秋のお願いへの返事さっそく

2015-09-30 15:53:50 | 日々思うこと 雑感

教室に通っている子たちへ秋のお願い

という記事を描いたら、さっそく2歳のAくんが落ち葉を2枚届けてくれました。

Aくん、自分で拾ってきたことがよほどうれしかったのか、

1枚1枚の葉っぱを繰り返し見比べては、穴を指さして、

「穴があいているね。こことこことここのところに」などとつぶやいていました。

「だれがかじったのかな?」とたずねると、「かいじゅう」とのこと。

 

年中のBくんと2歳のCちゃんの兄妹は

さまざまな種類のどんぐりと葉っぱを拾ってきてくれました。

もじゃもじゃした『かさ』のどんぐりは、

クヌギかアベマキかカシワのどんぐり。

落葉樹のどんぐりです。

知らなかったのですが、どんぐりがなる木の仲間には、落葉樹だけでなく

四季を通して緑の葉っぱを保っている常緑樹もあるようです。

 

さて、このもじゃもじゃかさのどんぐりは、

クヌギかアベマキかカシワのどれでしょう?

 

カシワはカシワ餅の葉っぱの形なので、この葉はちがいますよね。

『どんぐりノート』という絵本によると、

「クヌギとアベマキの葉っぱは見たところ似ているけれど、

アベマキの葉っぱの裏には毛が密生している」ので、

そこで判断できるのだとか。

BくんとCちゃんのとってきてくれた葉っぱの裏は

さらっとして毛がなかったので、クヌギのようです。

 

他のどんぐりは、また教室に来た子どもたちと追々推理していく予定です。

 

 

沸騰したお湯につけてから乾かしているところです。

 

 


現在の子育て、幼児教育の盲点 (間違った幼児教育が意欲と考える力が弱い子を量産している)7

2015-09-29 06:02:07 | 教育論 読者の方からのQ&A

幼い頃からもりもりと工作に興じていた子たちには、小学校中学年頃になると、

さらに作る技術を洗練させながら物作りを極めていく子たちもいるし、

それまでの作ることへの強い情熱が薄らいで、

ボードゲームやカードゲームをしたがったり

友だちやわたしと会話する時間が長くなったりする子たちがいます。

 

どちらにしても、しっかり手を目を使った作業に熱中した時期が長かった子たちは、

その頃から、頭と言葉を使った活動で非常に高い能力を示しだすことを実感しています。

 

物作りが大好きな子たちには、

手と目を使った活動から、頭と言葉を使う活動へと移行していく

「頭でイメージして手で活動する、言葉で説明しながら目で確かめる」

ことがとても活発になる過渡期のようなものがあります。


それぞれの子固有の意志や想像力や思考を使うことを大事にしていると

自然発生的に「手と目」から「頭と言葉」へ橋渡ししていくような活動につながり、

次第に頭脳活動の色が濃くなっていく印象です。


 

家庭や園が、運動や楽器演奏や学習のように、外から系統的に教え込んでいく教育に

ばかり力を入れていると、そうした自然な過渡期を見かけないようです。

うまく楽器が演奏できるようになっていたとしても、スポーツで力を発揮しても、

計算や文字を書くことができても、移行の時期に必要な

十分に頭の中でイメージする力や自分で見つけ、選び、決断し、実行に移す力や

自分自身の行動をメタな視点から眺める能力が足りないのです。

「間違った幼児教育が意欲と考える力が弱い子を量産している」なんてタイトルは

刺激が強すぎるかな、毒があるかな……と思いつつも、

「こうしたらこんな効果」「ああしたらあんな効果」という言葉に踊らされるうちに、

子ども自身が自分で決めたり選んだり、想像を膨らませたり、

やってみたりやめたりするチャンスもエネルギーも奪われているようで

見ていてやきもきするのです。

 

先日、物作りが大好きな年長の男の子たち3人の創作風景と算数の学習の様子を見て、

手と目を使った活動から、頭と言葉を使う活動へと移行していく時期にあるのを

実感しました。

 

「ダンボールに剣の絵を描いて、切り取り、クーピーで雑に色付けする」という

自己流の剣作りを繰り返していたAくん。

「同じものばかり何度も何度も作りたがるし、作る素材も作り方も同じで、

作業もちょっと雑……でも、本人は全身全霊をこの活動に打ちこんでいる」

という状態が1年近く続いた後で、Aくんにいくつもの変化が訪れました。

 

Aくんが手と目でする作業と頭と言葉でする作業の移行の時期にあると思ったのは、

誰に言われるともなく、先に設計図や完成図を描いて、計画を立てて作品作りに入る

姿を目にしたからです。

 

何本も何本もダンボールの剣を作るうちに、ダンボール製のため剣が何度も折れて

しまうという憂き目を見てきたAくんは、常に作る際の補強する材料に気を配るように

なりました。事前に割り箸やストローなどで折れない工夫をしてから作っていきます。

 

相変わらず剣が好きだけれど、剣以外のものも、目で見たものをどのように作ろうかと

自分でイメージして作り始めました。

弓矢を作る時に曲線部分はモールを巻きつけることで補強していました。

 

仕上がりをきれいにするためにカラフルな折り紙を貼ったり、色テープで

模様を描いたりするようになりました。

 

「お城が作りたい」と言うBくん。

作る前に「どのようにしたらできるのか」を言葉にして、

わからない部分は納得するまでわたしと話しあった上で作業に入るようになりました。

形や色の完成度をあげたい気持ちが高くなっていて、

思っている仕上がりと角度が異なったり、端の処理がいいかげんだったりすることが

許せないようで、苦労しても美しい出来上がりになるよう努めていました。

 

Bくんはこれまで物に素材を当ててみて、大雑把に切っていく方法で

作品作りをしていました。

今はそうした方法を計画段階で駆使して、あるものを使って、

どのような作品にしていくのか調整するのがとても上手です。


Cくんはブロックや積み木で多彩な作品を作るけれど、紙を使った工作は

手伝ってもらいながらしている段階です。

でも、「どうやってするの?次は何をしたらいいの?」とたずねるCくんに、

「紙を置いてみて、こうだろうと思うところを切ってみたら?」と告げて、

しばらくして戻っると、自分なりに工夫して船らしい形に仕上げていました。

これまで何度か別の素材でいっしょに船作りをした時の勘を思いだしたようです。

Cくんにしても、普段物作りに親しんでいる分、

何をするのか決めて、それをするにはどんな手順が必要か考え、

イメージした画像に沿うような作品に仕上げて行くことや、

問題が起こった時に知恵で解決する力がついているようです。

 

教室の子たちの成長を追っていると、こうした移行の時期を経た子たちのほとんどが、

長文の算数の文章題でも、何から順番に解いていけばいいのか、

どのような考えを追っていけばいいのか、自力でつかむ力を持っています。

また言葉を画像イメージに変換させて、

頭の中だけで自在に操作していくことができるようです。

最後まで解き切る集中力や長い思考に耐える熟考する力も鍛えられています。


自分なりの審美眼

2015-09-28 17:32:40 | 日々思うこと 雑感

東大パパさんのブログの

「きょーちゃんに国語の才能があると思う理由」という記事を

読ませていただいて、とても心に響きました。

ちょうど春休みのレッスンで、それぞれの子の持つ才能の多彩さや独自性を

面白く感じていたところなので、なおさらです。

 

「お父さん、『絶対にもらえるかもしれない』っておかしいよね」とか、

「お父さん!ここに『チョコレートできるまで』って書いてあるけどおかしいよね。

『チョコレートできるまで』だよね!」といった指摘をするきょーちゃんについて、

東大パパさんは、こんな感想を書いておられます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

小学一年生で出版物の方が間違っていると主張できるくらいに、

自分の中の言葉の感覚に確信を持っているというのは大したものです。

国語に限らず才能というのは、自分の中に絶対的かつ合理的なものさしを

持てる力のことだと思うのです。審美眼と言い換えても良いかもしれません。

才能を認められるためには、独創的な何かを生み出さなければいけません。

相対的なものさしでは独創的な何かは生み出せませんし、

不合理なものさしで生み出す何かは誰からも認めてもらえません。

きょーちゃんはこれから、自分の中の絶対的かつ合理的な国語ものさしを使って、

美しい言葉、美しい文章を追い求め、これまで無かったような新しい表現を

生み出していくことでしょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 教室の子たちと一緒に工作をしたり、ゲームをしながらおしゃべりしていると、

きょーちゃんの言葉の指摘のようなその子独自の目利きの冴えに「あれっ」と驚くことが

よくあります。個性的な才能の輝きを感じます。

 

ある種のユーモアに対して、すごく面白がって、表情をパアッーと明るくする様子

を見て、それを感じることもあります。

春休みの算数クラブの6日目に、こんなことがありました。

参加してくれていたのは新1年生の子たちです。

 

初めて会った★ちゃんと☆ちゃんが、★ちゃんの作ったカードゲームで

遊んでいたときのことです。

★ちゃんがカードを引くたびに悪い手が出て、☆ちゃんが勝ち続けていました。

 

それを見ていたわたしが、冗談半分、

負けている★ちゃんの気持ちを和らげる目的半分で、

「これは、★ちゃんが作ったゲームだから、★ちゃんが勝っちゃうと、

ちょっと気まずいかもしれないよね。

ほら、★ちゃんの自作ゲームで一緒に遊びましょって展開になっているとしたら、

☆ちゃんはお客さんのようなものじゃない?

お客さんには、自分より良いもの勧めるのが礼儀だしね」と笑いながら言いました。

 

するとたちまち、★ちゃんの顔に好奇心いっぱいの表情と満面の笑顔が広がりました。

この話題、★ちゃんの興味のど真ん中を突いたようです。

「そうそう、こういう場合は、☆ちゃんはさ、お客さんのようなもんなんだから、

わたしが勝ったら困っちゃう。そうなったら、し、つ、れ、い、になっちゃう」

と目をくりくりさせて、オーバーリアクション付きで、そうした相手への気遣いが

どれほど大切か熱弁したあとで、☆ちゃんとしっかり手を握り合ってゲームを

続けていました(もう一度、書きますが二人はこの日初めて会いました)。

 

★ちゃんは感情の世界の機微や人の振舞いに、とても敏感な子なのです。

わたしが、「もしもこれが3歳の子たちだったら……こうするはず」とか、

「もしも、これがやんちゃな男の子たちだったら……こんなことするんじゃない?」とか、

「もしもこれがお母さんたちだったら……どうなると思う?」といった話題を出すと、

お腹がよじれるほど笑ったあとで、

「きっとさ、こうなんじゃない?」と的確な推理を働かせていました。

 

 

二人のうちの一人は、札幌から来てくれた女の子でした。

そこで、ご当地キティーちゃんの人形(うにの帽子をかぶっています)を

みんなに見せて、北海道の紹介をしているところです。

 

この日のレッスンで、

★ちゃん☆ちゃんは、すばやくゲームを作って、遊んでいたのですが、

●ちゃんと○ちゃんはゆっくりと自分らしい工夫をたくさん加えながら作っていました。

 

そこで、わたしが、★ちゃんと☆ちゃんには、

「何でもテキパキ素早くこなすことはいいことよ。速いってすばらしいわ!」と言い、

●ちゃんと○ちゃんには、

「時間がかかっても、じっくり納得するまで取り組むのは大事よ。

自分らしい工夫を凝らしているのはすばらしいわ!」と言うと、

全員が、そのどちらにも「そうそう」とうなずいていました。

 

次回に続きます。

 

 

 

自分なりの審美眼 2

 

自分なりの審美眼 3

 


教室に通っている子たちへ 秋のお願い

2015-09-27 20:45:56 | 日々思うこと 雑感

教室に通っている子たちへのお願いです。

 

外を歩いていて、秋らしいものを発見したら教えてください。

木にどんな実がなっているのか、葉っぱの色はどうか、

空にどんな雲が浮かんでいるのか、お店屋さんにどんなやさいやくだものを

見かけるようになったのか、よく観察してください。

目で見るものだけでなく、音や香りで「秋だなぁ」と感じるものもありますよ。

 

もしどんぐりを見つけたら、どんぐりのかさと葉っぱもいっしょに

教室に持ってきてください。名前やそのどんぐりの仲間たちのことがわかるかもしれません。

みんなで本物のどんぐりのどんぐり図鑑を作る予定です。

もしどんぐりがたくさん集まったら、どんぐりせんべいやどんぐりチップスや

どんぐりクッキーを作ろうと思います。

みのむしも大歓迎です。

みのむしに色紙や毛糸やアルミ箔のみのを作ってもらおうと思っています。

(でも、本当はみのむしはちょっと苦手なんですが……)

 

もうひとつお願いがあります。

夜、お家の人と外に散歩に行くことがあったら、

お月さまが後ろをついてくるかどうか、時々振り返って見ていてください。

ずっとどこまでもついてきたでしょうか?

今度会ったら、どうだったか教えてくださいね。

 

 

 キャベツの花が咲くでしょうか?水栽培中です。

 

お月見の後で、宇宙の本をお家の人といっしょに楽しんでね。

 

まつぼっくりがなっている木とどんぐりがなっている木のちがいはわかりますか?

まつぼっくりとどんぐりの木を見つけた人は報告してください。


現在の子育て、幼児教育の盲点 (間違った幼児教育が意欲と考える力が弱い子を量産している)6

2015-09-26 17:48:11 | 教育論 読者の方からのQ&A

現在の子育て、幼児教育の盲点 (間違った幼児教育が意欲と考える力が弱い子を量産している) 3

で、『学びの物語の保育実践』の中のこんな言葉を紹介しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

★ 子どもは自分より高い技能を持つ他者とかかわり合うことを通じて、

文化が提供するさまざまな道具(目に見えるモノ的道具だけでなく、言語や思考こそ

「文化的道具」という見方に立っています。)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

虹色教室では、工作の他にゲームやごっこやブロック制作や実験など

さまざまなことをして遊ぶのですが、

何といっても工作をしている時ほど、この言葉にあるような「目に見えるモノ的な

道具だけでなく、言語や思考といった文化的な道具」を提供していることを

実感することはありません。

物作りは、子どもの日常にあるありとあらゆるものを対象としていますし、

それらを想像力を使って形にしていく活動です。

問題にぶつかって解決することもあれば、サイズや形について気づくこともあります。

目標や目的を持つこと、イメージすること、模倣すること、手順について

思いを馳せること、手を使うこと、選ぶこと、判断すること、問題を解決すること、

他者から教わること、集中してやり遂げること、言葉で説明すること、

うまくいかない状況と折り合いをつけることなど、物作りを通して子どもがする体験は

多岐にわたります。

 

先日、年少のFちゃんと年長のGちゃんのふたりと工作をしている時、

こんなことがありました。

二人が「お家が作りたい」と言うので、

わたしはテーブルや椅子やベッドの作り方を教えることにしました。

 

「長しかくの形を切るのよ。折り紙の形に似ているけど、もっと長い本や

新聞みたいな形。テレビのリモコンみたいな形」と言いながら長方形を切って、

端と端を折って「テーブル」とし、同じ折り方で「椅子」や「ベッド」と命名しました。

 

すると、Fちゃんは「長方形でしょ?」とどこかで聞いたらしい言葉を返しました。

「Fちゃん、よく知っているね。そう、長方形の形に切ると、テーブルも作れるし、

椅子もできるし、ベッドもできるし、足拭きマットもできるし、鏡もできるね」

と言うと、Fちゃんは自分が長方形という難しそうな言葉を知っていたのがよほど

うれしかったようで、それからは紙を手にしては長方形に切り取って、

下の写真のようにちょこっと折り返しては、「テーブルができた」「椅子ができた」

とはしゃいでいました。Gちゃんも、そんなFちゃんにつられて、

長方形を切って家具を作る作業に熱中していました。

 

窓にするために、同じ形の長方形をふたつ貼り、カーテンにするために、

じゃばらに長方形を折るうち、

FちゃんもGちゃんも、ただ目で見て「こういう形」と知っていた長方形について、

理解の仕方を新たなものにしていくのがわかりました。

すると、Gちゃんが、「丸いのはお皿」と言って、

少しいびつな丸を切り抜いて、テーブルに置きました。

Fちゃんは、「まくらとおふとんは、四角いね」とこちらもちょっとゆがんだ長方形を

切っていました。

わたしが長方形をくるっと丸めてゴミ箱の形を作ると、ふたりとも大きなため息を

つきながら、「すごい!ゴミ箱だ」と言いました。

 

ふたりがそれほど感動したのは、ゴミ箱を作ってもらったからでも、

ゴミ箱の作り方がわかったからでもなく、

「形」について、その時、心の中で強い好奇心が渦巻いていたからこその

ものなのでしょう。

ちょうどFちゃんもGちゃんもお風呂を作りたがっていたので、

長方形がどのようにしてお風呂の形になるのかを見せると、

こちらもふたりに大受けでした。

 

テーブルや椅子を作った時のように両端を横に折ってから、

次は縦に両端を折ります。

折目の一部に切り込みを入れるとお風呂になりますね。

 

 

Gちゃんが大好きなアクセサリー作り。
帽子用のゴムにアイロンビーズを通してブレスレットを作っています。
 
「ねぇ、どうしてまっすぐの線なのに、丸くなるのかな?
ほら、棒みたいにまっすぐな線でしょう?
なのに、腕に巻くと、丸い形になるでしょ。
どうしてだと思う?」とたずねると、
ふたりとも長い間、考え込んでいましたが、
Fちゃんが、「くるっとするから、丸になるの」と答えました。
Gちゃんは、まっすぐなのに丸くなる理由について、うまく言葉にできない
ながら、何か言おうと一生懸命でした。
 
 
Fちゃんにとっても、Gちゃんにとっても、
こうした物作りは、「家の作り方がわかった」「ブレスレットを作れるようになった」という体験に
終わらず、「形の発見」「形との出会い」と呼んでも
あながち間違った表現でもないように感じました。

自閉っ子の隠れた才能

2015-09-25 14:21:53 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

自閉症スペクトラムの子たちと付き合っていると、

この間1のレベルだったのに、3ヶ月後、突然70のレベルに……100のレベルに……

といった急な成長にびっくりすることがしばしばあります。

対面しているその子の言動からは、「まだとうていできそうにない」ということも、

取りあえず、手本を見せて、可能性を広げる環境を用意していると、

ある日、突然、できるようになるのです。それもかなり高い完成度で。

 

5歳の自閉っ子のAくんのレッスンに、数ヶ月前から『ピッケのつくるえほん』を使った

絵本作りを取り入れました。

『ピッケのつくる絵本』を使った知能やコミュニュケーションを育む遊び (自閉症の子と)

という記事は当時のAくんに対する働きかけをまとめたものです。

それを書いた今年の夏直前は、

どんどんイラストを画面にドラッグすることばかりやりたがるAくんに対して、

顔の表情を変える遊びに誘ったり、わたしが誘導してストーリー風の場面を作って、

画面上のキャラクターに「どうして泣いているの?」とたずねて、

「お母さんがいないから」などに理由をAくんと考えて、わたしが文字を打ったり、

絵に手を加えてあげるのがやっとでした。

 

Aくんは「こういうことをしよう」と目的を決めて、手順を踏んで実行していくのが

とても困難な子です。

たいてい、何かをしようとするやいなや、注意が他に逸れて、ゲラゲラ笑い転げて

ひとりごとを言いだすか、ふらふらと歩き始めるのです。

それでも地道に工作や絵本作り等の取り組みを続けるうちに、

そうした創造的な遊びがAくんの生活にずいぶん浸透してくるようになりました。

 

すると、突然、Aくんがストーリーのある絵本を自分で作るようになりました。

木の背後にあるのはテントなのだそうです。

キャンプに行ったら、おばけがでてきた……という話。

Aくんの口から流暢に自作の物語が出てくるのにはとても驚きました。

 

検索語を押して画像を見るのを楽しみだしてから、

文字を打つことに興味を持ち始めました(どんな言葉や画像を検索するようになるか

わからないので、今後のインターネットとの付き合い方はよく配慮してあげなくては

ならないですね)。

 

「時計好き」から、「時計を分解してみたい」という興味に変化してきました。

今回のレッスンでは、100円ショップの時計を分解し、透明ケースにおさめて

観察できるようにしました。

 

 ポップアップ絵本をきっかけに、興味の幅が広がってきました。

 


500系の運転席 と 苦手な計算

2015-09-24 20:11:44 | 工作 ワークショップ

年長のAくんは新幹線が大好きです。教室に着くなり、

「今日は500系の運転席が作りたい。自分で運転できるようになっていて、

丸いとことかボタンとかハンドルとかあるやつ」と言いました。

いくつか材料を出してくると、「それじゃぁダメ、もっと大きいのじゃなくちゃ」

とのこと。

ようやく納得した箱に青いガムテープや色画用紙を貼ると、

それらしい形になりました。

Aくんははりきってモニターの画面やボタンの部分などを作っていました。

 

ちゃんと折りたためるようになっています。

 

発達に凹凸があるAくんは、数の把握に困難を持っています。

物をひとつひとつ数えられるようになるのにもずいぶん時間がかかりました。

小学校にあがってから算数につまずきがでないように

簡単な計算や文章題に親しむようにしていますが、

「6+3」や「8+4」など、ちょっと難しそうな計算にぶつかると、

数えるための小道具を用意していてもパニックを起こして大騒ぎしていました。

 

そこで、問題を見るだけでかんしゃくにつながっていた計算問題をピックアップして

ICカード風にし、お気に入りの500系の運転席に透明ファイルの一部で

タッチパネルを数字カードを出し入れできるようにしてみました。

すると、大嫌いだったはずの計算問題を手にしても、

「いくぞー、こんなの簡単だぁ!エィッ!」とポーズをつけながら、

答えの部分にカードをタッチさせて喜んでいました。

 

ブロックで作った電話を設置。

 

Aくんは、もともとこの運転席に

8両までの車両をチェックするモニター画面を作っていたので、

答えが8になるまでの計算問題を口頭ですると、

正しい数字に指をタッチさせて得意そうにしていました。

そこで、Aくんが「不審者を確認するモニター」と言っていた画面に

10より大きな数をいくつか書いて

(↓の写真を、この記事の最初の写真と見比べてください)

Aくんにとってまだ難しいくりあがりのある計算のカードを作ったところ、

ご機嫌で問題にチャレンジしていました。

 

 

大きな作品なので教室に置いて帰る予定だったのですが、

本人の強い希望でお家に持って帰ることになりました。

 


現在の子育て、幼児教育の盲点 (間違った幼児教育が意欲と考える力が弱い子を量産している)5

2015-09-23 15:07:15 | 初めてお越しの方

現在の子育て、幼児教育の盲点 (間違った幼児教育が意欲と考える力が弱い子を量産している)4

 

前回の記事で、年少グループの子たち(ひとりだけ年長)がかばん作りのあとで、

ドールハウスを作り始めたことを書きました。

 

子どもたちは、「模倣することや教わること」と

「自分のアイデアを活かすことや自分で考えること」を

バランスよく取り入れていました。

 

みんなと同じ手順でお家を作っていたCちゃん。

ふいに作っていたお家の壁を倒したかと思うと、

「先生、これお布団みたいね」と言いました。

「本当ね。お布団そっくり。お布団を作る? 作るのはお家じゃなくっても

構わないのよ」と答えると、Cちゃんは大きくこっくりして、

布団だと言っていた部分にカーブをつけてから、大発見でもしたようなはしゃぎ様で、

「なおみ先生、こんなおうちあるね。これおうちだね」と言いました。

見ると、お布団だと言っていたものは、テントのような洞穴のようなものに

変形されていました。「面白いお家。素敵なお家ね。屋根が虹の形ね」と言うと、

「わたしやっぱりお家を作る。これを貼るとおしゃれでしょう?」とCちゃんは

屋根にリボンをデコレーションし始めました。

 

 一方、Bちゃんは他の子らにベージュの色紙を配り終えてから、

茶色い床の中央に貼っていました。

それから見つけてきた小さいタイルを床のあちこちに貼っていました。

 

「先生、きらきらの折り紙使ってもいい?」とたずねてきたAちゃんに、

「いいわよ」と答えると、

Aちゃんは壁一面にダイナミックに金色の折り紙を貼りだしました。

その際、Aちゃんは驚くような模倣する力を発揮していました。

わたしはBちゃんのお家を使って、「折り紙の床のはみ出している部分の両端を折って

立てた画用紙と主直になるようにテープでつけることで平面の壁が立つように

なることを実演して見せました。

 

といっても年少さんたちには難しいので、順にわたしがしてあげる予定でした。

ところが、Aちゃんの色紙の貼り方は左に寄っていたので

両端を折ることができなくなっていました。

 

わたしがほかの子らの様子を見て回ってからAちゃんのところに戻ると、

Aちゃんは自分で気づいて床の紙を正しい位置に貼り直して、両端を折って

テープで壁が垂直に立つようにしていました。

Aちゃんの模倣する技術は、ただ真似るのではなくて、

「どうしてそのようにしているのか」という意味を察して真似るレベルにまで

達しているのだな、と感じました。

 

このように模倣ひとつとっても、さまざまな形やレベルがあって、

「見なさい。聞きなさい」と言われても、心ここにあらずで応じる子と

「見なさい。聞きなさい」と言われて初めて、

ようやく他の人のしていることに注意を向ける子と

「見なさい。聞きなさい」と言われなくても、

先生からも友だちからもそこに置いてある見本からも学び取り、

模倣でありながらそれがどんな理由でそうしているのか気づく力がついている子とでは、

物事を習得する量も質もずいぶんちがってきます。

 

そのように学ぶ力そのものを高めるには、

子どもが学びたいと思っていること、つまり子どもが関心を抱いているその子にとって

意味のあることに身近な大人が共感を寄せ、

不確実で未知の可能性に満ちた時間と自由を十分保障した環境で……

つまり「何をどのようにする」とか「こういう目標に向かう」といった決められた

レールに乗って活動するのではなく、子ども自身が気づいて考えて行動できる

余白のある活動の場で……

より高い技術を持った大人がそれに関わり、子どものチャレンジを支えてあげる

必要があると実感しています。

そうした場では、子どもたちが自ら、自分の新しい行動のレパートリーを増やし、

できることを洗練させていきます。

 

Aちゃんの年長のお姉ちゃんのDちゃんは、

折り紙を4枚正方形に貼り合わせ、ぐるりを壁で覆って、

大きな家を作っていました。壁にはドアや窓がついて、

カーテン等の飾り付けもされていました。

 

その後、画用紙をコの字型に折ったものをいくつか用意して

立体パズルでも組み合わせるように何かを作っていました。

「お部屋かな?」「トイレかな?」と周囲の関心が集まる中、

黙々と作り続けて、できあがったのは……?

 

ストローの水道がついたシンクでした。

 

シンクの下の扉を開けると、排水管が。

水量を調整する蛇口の位置が少し上下にずれているのは、

最近、家で水道を止めなくてはならない時があって、

どこに調節ネジがついているのか目にしたからなのだそうです。

年長のDちゃんともなると、模倣も高い観察力と結びついたものになっているんだな、

と感心しました。

 

帰り際にDちゃんが、「先生、この家はちゃんと折りたたみ式になっているのよ」と

言って、実演してくれました。

折り紙の作品を作る時のように斜めの線を利用して下りたためるようにしていました。

 

Cちゃんは、Dちゃんのすることが気になって仕方がないようで、

Dちゃんがドアを作ると、すぐさま、「わたしも玄関を作りたい」と言いつつ、

曲面の屋根だけでできているお家にどうやってドアをつけたらよいのか悩んでいました。

「折り紙でドアを作って、ここに貼ることもできるわよ」と教えると、

「そうする」と言っていたのですが、少しして見にいくと、

屋根でもあり壁でもある曲面にDちゃんと同じような切り込みを入れて

ドアを作っていました。

真似ること、考えること、問題を解決すること、選ぶこと、決断すること……

Cちゃんの頭の中でさまざまなことが同時に起こっていたのでしょうね。

 


恐竜好きの子が喜びそうです。『爬虫類カフェ』に行ってきました。

2015-09-22 13:58:17 | 初めてお越しの方

娘と息子に誘われて、大阪の日本橋の『爬虫類カフェ』に行ってきました。

ドリンクを飲んでいると、イグアナアやら蛇やらカメレオンやらを

次々とテーブルに連れてきてくれました。

 

 

イグアナって見れば見る程、恐竜とそっくり……!

恐竜好きの子たちに見せてあげたい……。

 

驚いたのは、爬虫類の手脚。

上はイグアナ。カメレオンのハートの形のかわいい手も何とも言えません。

 

 

とても注文する気になれませんが、

メニューに本物のゲテモノ料理の名前が並んでいました。

 

娘の肩に乗るカメレオン。

 

息子の手からゆっくり移動していくヘビ。

 

   2Fです。


現在の子育て、幼児教育の盲点 (間違った幼児教育が意欲と考える力が弱い子を量産している)4

2015-09-21 23:51:02 | 幼児教育の基本

かばんを作り終えた後で、わたしは100円ショップで見つけためずらしい折り紙を

子どもたちに見せました。

木製の床の柄が印刷された折り紙です。

この珍しい折り紙を見たとたん、どの子も創作意欲が刺激されたようで、

「ドールハウス作り」に誘うと喜んで応じました。

 

物作りをする時、自分で自由に発展させやすい基本の部分や基本の技術だけ

手本を見せて、後はそれぞれがやりたいように任せて見守っています。

今回教えたドールハウスの基本は、「床の柄の折り紙2枚をテープでつなぐこと」と、

「それを画用紙貼って、画用紙部分を立てて壁にすること」です。

要望に合わせて、「窓を切る時は、紙を折って切り込みを入れるとよいこと」も

教えました。

 

すると、こちらが思いもしない場面で、子どもの側から、

社会参加のレパートリーを変容させる行動を起こすことがよくあります。

 

もうすぐ4歳になるBちゃんは、内向的で物静かな子です。

レッスンに参加し始めた当初は、黙って周囲を観察するだけで、

固まっている時間が長い子でした。

が、グループでの活動に慣れてくるにつれ、Bちゃん自ら、積極的に他の子へ

働きかけていく行動が増えてきました。

 

Bちゃんは「きれいなもの」「めずらしいもの」がとても好きなようで、

そうしたものが目につくと、手に取って、あれこれたずねてきます。

特に淡い上品な色合いの自然素材やさまざまな色がたくさん混在しているものに

目がないようです。

木目柄の折り紙を見た時も、最初は他の子らと同じ濃い茶色のものを

2枚選んで手本通りに作っていたのですが、

途中で他の柄を確かめに折り紙置き場に行っていました。

 

と、突然、何やら閃いた様子。淡いベージュの木の柄の折り紙を手にすると、

自分の1枚を取ってから、1枚ずつ他の子らに配りだしました。

わたしは材料を購入する時、子どもが自分の思いつきを実現したり

気に入った作業を思う存分繰り返せるように

魅力的で安価で応用のきく素材を「たっぷり」用意するよう気をつけています。

人数分、同じ量の材料をそろえるだけでは、さまざまなバリエーションの意欲に

つながらないからです。

Bちゃんにとって、「自分が見つけた魅力的な材料を、その場にいるひとりひとりが

手にできるようにする」という行動の発見はあとても大きなことだったようです。

その直後から、ストローの先に銀色の紙を貼ってスタンド式の鏡を作ったり、

自分が気づいたことや思っていることを一生懸命言葉にしようとする姿がありました。