虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

世界の算数ゲーム 2

2010-09-30 19:55:45 | 算数
コマはどんぐりでも小石でも、おはじきでも、
2色の小さなものが、20個ずつくらいあれば、
さまざまなゲームで遊べます。

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がんばりやでまじめで、
会話などからすると頭の回転の良い子なのに、
算数の筆算のルールがなかなか覚えられなかったり、
図形問題が解けなかったりする子がいますよね。

そうした子と、この世界の算数ゲームで遊んでいると、
3目ならべ風のゲームで、
「すぐ目の前に3つ並ぶ空間があるのに気づけていない」
ということがよくあります。
頭を使いながら、空間上の位置を記憶したり、目を即座に四方に動かして
確認するといったことが
苦手な子がいるのです。
幼児期にこうした遊びをしたことがないということもあると思います。

算数ゲームやパズルは、
すばやく空間の中で考えていく力や
柔軟な発想力などを育ててくれます。

世界の算数ゲームの本は、次のような力を伸ばすためのゲームやパズルとして、
それぞれに、4~10個のゲームやパズルが紹介されています。
だいたいが、シンプルで易しく、オセロがきる子なら十分、遊べるものです。

先を読む力、
計算の基本、
推理する力、
確率の考え方、
計算力、
論理的な考え方、
図形立体の知識、
対象な図形の見方・作り方
図形の応用知識と美的センス

親子で遊ぶだけではつまらないので、ぜひ、お友だちと楽しんでくださいね。

私は、2冊購入しましたが、説明はコピーで十分というのであれば、
1冊で、ボードを切り取って遊べますよ。

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世界の算数ゲーム 1 学童、特別支援学級でもおすすめです♪

2010-09-30 19:39:19 | 算数
学童、特別支援学級でもおすすめです♪


『世界の算数ゲーム』
クラウディア・ザスラフスキー著
株式会社 ワニブックス  1500円

という本の中の9メンズ・メモリーズ(イギリス)やトリーク(コロンビア)
ダラ(ナイジェリアのゲーム)で遊びました。

この『世界の算数ゲーム』は、世界の70あまりの数学的なゲームやパズルを集めた本です。
見本のボードのサイズが大きく
切り抜くとそのまま使えるので、
本を2さつ購入して、切り離して、説明と、ゲーム盤として、
使用しています。

6年前の購入したので、今も売っているのかわからないのですが、
とても面白いし、幼児でもすぐできて、数学的なセンスを
身につけることができるゲームがいっぱいです。

今日来た小学生たちは、『ダラ』に夢中でした。
3目ならべとチェスが合体したような遊びです。
幼い子でもすぐにできるけど、大人でも頭を使います。

もし、家庭で学習や工作やゲームの会を開こうと思ったら、
この本があるととても便利ですよ。

私が気にいっているのは、
イスラムのモザイク芸術家のコンパスと定規だけでモザイクを作る方法や
アメリカンインディアンの棒のゲーム
(棒を投げて、表を書きながら、点数計算する遊びです)
など。

どれも、国々で遊ばれている様子が載っていて、魅力的です。


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学校に広がる工作の輪

2010-09-30 10:03:21 | 工作 ワークショップ
web拍手で、こんなうれしい報告をいただきました。
夏休み等の算数クラブや科学クラブに小学生のお子さんたちと
何度か足を運んでくださった方からのコメントです。
教室では、いっしょにからくりのある工作を楽しんでいただきました。

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3年前に小学校での仕事を始めた時から、子どもたちの暴力的な行動や無関心な行動の中から発せられる「苦しいよ。つらいよ。」という気持ちを感じてきました。「大人はいいよな。いつも外側にいるだけで、ぎゃぁぎゃぁ口で騒ぐだけで、結局、何もしやんと誰かの何かのせいにして自分は安全なとこに逃げてるし。子どもは、つらくても苦しくても、逃げることもできず、この世界の中で生きていくしかないんやから。この世界に関心を持って、みてしまったら最後、苦しすぎて生きていけへん。学校に来るのが嫌になって¨悪い子¨¨落ちこぼれ¨のレッテル貼られるだけや。」こんな心の声が今も聞こえてきます。
去年は6年生と深く関わっていました。近くにいくだけで、「近づくな」オーラを出してきて、いいなと思ったところを褒めても「わざとらしい。どうせ、おだててもっと勉強やらせよ。とか、思ってるだけやろ。」と、大人に対する不信感の固まり。それでも、ひるまずに受け止め、毎日一緒に笑って、遊んで、怒って、泣いて…半年以上も一緒に過ごしてやっと、本当の姿を見せてくれる子が出てくるようになりました。刺や仮面をつけて、必死で自分自身を守っていた子も、本当はどの子も優しくて、正義感があって、思いやりにあふれています。それは、高学年の子でも変わりありませんでした。子どもは今も昔も変わってなくて、変わらなければならないのは大人なんですよね。先生が記事に取り上げて下さり、私もまたがんばろうと気持ちを新たにしました。
やんちゃくんと一緒にやっていた工作ですが、今では20分休憩にいろんな子どもたちが工作に集まってくるようになりました!男の子も女の子もみんな工夫して、素敵な作品を作っています。
そして、昨日担任の先生から、この工作を授業に取り入れ発展させて、工作で作ったものでお店屋さんを作って、お客さんとして他の学級のみんなを呼ぼう!と言っていただきました。もし、私が奈緒美先生のブログと出会わなければ、今も面白くない復習のプリントばかりしていただろうな…と思います。本当にありがとうございます。奈緒美先生に教えていただいたたくさんの事、私にできることから少しずつ始めたら、周りも動きだしてきました!
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こちらこそどうもありがとうございます。
とてもうれしいです。


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自分で感じて、考えて、行動できる子に~♪

2010-09-30 06:17:39 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
web拍手のコメント欄で次のようなコメントをいただきました。
お仕事に差し支えるといけないので、一部をあいまいな表現にして、
私が書き換えています。


小学校に併設の幼稚園に勤めている方のお話です。
障害のある幼稚園児を小学校の高学年たちが威圧していじめるという出来事があり、園の先生が注意してもやめなかったそうです。
驚いた園長が、小学校に出向き子どもたちに話しに行ったところ、
小学校側の子どもたちへの指導は、「用事がないときは幼稚園に行かないこと」という新いルールを伝えたことだったそうです。


表面だけ決まり事で解決しようとする学校。

幼稚園の子が怪我をしたときに保健室の先生に頼るのは立場が違うからダメだと言うルールもあるそうです。
(近くで困っている人を助けなくていいと子どもたちに教えることにならないのでしょうか……?)
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知人からこんな話をお聞きしたことがあります。
その方の自閉症の子どもさんが迷子になり、町中を探していたところ、
「子ども安全パトロール」の車が通りかかったそうです。
呼び止めて事情を説明すると、
「私たちの管轄する仕事ではないから」とあっさり言われ、
地域の警察の電話番号すら教えてもらえなかったそうです。

私も、同じような?な気持ちを味わったことがあります。
小児病棟で、幼い孫にタバコの火を押し付ける真似をしては
遊んでいる老人がいて、以前、他の場でもその家族がその子の兄に虐待
(灯油缶で頭を繰り返し殴るなど)をしているのを見かけ、児童相談所に通報したところ、「住所がわからないと何もできない」と、とりあってもらえなかったため、
保健証などから住所がわかっている病院に少しでも協力してもらえないかと、
看護士さん方に小声で相談したところ、
顔を見合わせて、そのままになってしまいました。
業務以外は返事なし……何もしない……という方は多いのです。

もちろん、そうした方が冷酷非道で、悪い人だと思っているわけでは
ありません。小児病棟の看護士さん方ですから、笑顔を絶やさず、
優しい口調でお話されています。
ただ、
自分の自由な判断で、何かを決め、
さっと動くことができない方が多いな~
与えられたルールから一歩も踏み出せない方が多いな~と感じるのです。

その場合、相手の痛みとか、問題の深刻さとかを
きちんと把握できなていないな~と思うケースがよくあるのです。
あっという間に、「もっともらしいルール」(病院は個人的な家庭の事情には立ち入ることはできませんとか)にすりかわっちゃうので、状況について
よく考えられないのです。上司の方針以外で何かするなんて思いもつかないというか……
(そうして、子どもが虐待死するなりして、本当の犠牲が出て初めて、
ルールを少し変えるのって遅くないのかな?と思うのですが)

小学校でしたら、「早寝早起き朝ごはんの徹底」と、「虐待を受けているように見える状況下で子どもが数日学校を休んでいる状況」が
同じ扱いを受けるというか、

むしろ、朝ごはん食べたかチェックする方が
大事なんじゃないかと捉えているように見える先生もいたりして……

表面的には大多数の人にとって、
気持ちよく明るく優しい社会だけど、(そのためにルールが作られますから)
ルール厳守で、みんなを大事にして、
ものすごく困っているひとりは、少数派という「数」を理由に切り捨てていくのって、
何かなぁ……と思えるのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先日、小学生の子たちのレッスン中、
ひとりの子が後ろを見ずに椅子を下げたため、通りかかった他の子の足を
椅子の足で思い切り踏んでしまうという出来事がありました。
踏まれた子は痛がってうずくまっていましたが、踏んだ方の子は
「ごめん」と軽く言っただけで、うずくまっている子を振り返りもせずに、
別の子と笑って遊びはじめました。
「★くんの様子を見て。あんなに痛そうよ」と言うと、
「もう謝ったよ」と言います。

それで、「もし、あなたが★くんのように足を椅子で踏まれて、痛くてうずくまっているときに、ごめんと言ったきり、踏んだ子が向こうで他の子たちと遊びだしたら、どんな気持ちになるの?」
と聞くと、「いやだ」と言って、「大丈夫?」と介抱しはじめました。

その場にいた他の子は、自分は事件に無関係だからという様子で、
そちらに目もくれずに勉強をしはじめました。
そこで、その子も呼んで、自分がその立場になったとき、周囲の態度で
どのように感じるかたずねました。すると、わかったようにうなずきました。

学校のような場では、
こうしたとき、他の子に関わりあっていると、「
あっちいって自分のことしなさ~い」と叱られるんでしょうから、
この子たちの態度は、
けっして冷淡さから出たものではないのです。
集団の場では、すぐさま、心や感情のスイッチを切って、
集団行動に戻ることをしつけられますから。

この子たちは、どの子も、気持ちはとても優しい子です。
特に、友だちを椅子の足で踏んでしまった側の子は、
幼稚園の頃から他人を思いやる気持ちが強く
誰にもとても親切で人気者なのです。

でも、小学校にあがってから、とにかくパッパと気持ちを切り替えるのが速くなったな~と感じています。(どの子もですが)
何が起こっても、教えられたルール通り、
素早く処理することを
優先するようになってきたんです。


ルールを速く実行していくには、心で味わったり、自分の頭で考えたりする
時間はありませんし、

学校では、自分の気持ちで行動すれば、「自分勝手」と決め付けられることも
多いので、

小学生になると、多くのしっかりした子たちが、
行動と心が噛み合わないまま、さまざまなことをするようになってきます。

虹色教室の場合、そうした出来事にじっくり関わったところで、
「授業に支障をきたした~勉強の進みは?」といってクレームを言ってくる方々はいませんから、
子どもたちがゆっくり自分の心や感情と触れる時間も取れるのですが、
学校ではそんなわけにいかないのでしょう。

それにしても図書室で1時間ほどいるだけで、
数名訪れた大人の方々は、
子どもが話す間も与えず、
反論しても聞かず、
一方的に普段の「きまり」をまくしたて、それを守っていないことを責め立てて、
子どもの傷ついて混乱した心をフォローすることもなく、
追い立てていきました。

こうしているからこそ、学校という集団生活を保たれているとも
言えるのでしょうが……。

子どもの心の成長と、
考える習慣を身につけるためには、
よくないな~と感じるのは私だけなのか……。

こうしてうだうだとひとつのことを深く考えていくのは、
馬鹿馬鹿しいこと、うっとうしいことで、
集団の運営からすると、「悪」でもあるのでしょうね。

ひと昔前の子どもたちの姿と、今の子の姿について、比べると、
今の子にダメ出ししているようですよね。
昔の子というより、本来の子どもらしい子、
友だちとたっぷり遊んで、たくさん失敗して、自由に自分の頭で考えていた子
たちといっていいのかもしれません。
子どもから子ども時代を、奪い取っている事実から
目を背けてはいけないと感じています。

コメント欄で次のような声をいただいています。

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女子でもクラスにはグループがいくつかあって、違うグループの子が「かわいそうやん、やめたげて!」と言ってきて、いじめられてた子がしばらくそのグループに入れてもらったり、誰かが先生にそっと告げたりとなんらか逃げ道がありました。

けっこうお互いに口出ししあってたなあと。
残酷な笑いが起こったり、誰かがそれをたしなめたり…色んなことで、たしなめたりたしなめられたり、またそんな出来事を終わりの会という場で、熱く話し合ったりしてました。

なんか子供なりに、中身は何にせよ、いちいち真剣でした。しょうもないことにいちいち熱かった。
幼友達と語り合うと、そんな自分たちが、可笑しくて、可愛くて 嬉し恥ずかし懐かしくてお腹を抱えて笑いあいます。
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……普段はみんないい子です。が、ときどき度を過ぎたいたずらや悪意にもとれる無関心。普段から仲間はずれにしている人に対してだけでなく、自分たちの都合がうまくいっているときはびっくりするぐらい、他者が困っていようと無関心でいるところに、心冷える思いをしたことがあります。
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幼稚園選びでも『ここの幼稚園は、母さん同士が仲良くならないと、子どもはお友達と遊んでもらえなくなるよ』と聞きました。人は集団になると怖いな~と感じます。
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私が知るある一年生の女の子、
保育園へ通っていた時は絵を描くのが好きで
物を作るのが好きなとても表現力のある子でした。

ただ、小学校へ通うようになり、少しずつ
「あれっ?!」と思うような変化が既に見受けられるのです。

元気に挨拶ができたていたのに、
相手の存在がまるでないかのように
ご挨拶しても上の空でお返事がなかったり、
「きもい、きもちわるい」と言ったような
不快な表現が必要以上にあるので、
こうした言葉を頻繁に学校で聞いているのか
(もしくは言われているか)と思ってしまわざるを得ない感じです。。。

幼少から言葉の習得も早く、小学校からはじめた
○○教室では、算数が今はもう2年生のやってる!
と調子よく話してくれるのですが、
実際学校のことを聞くと、全てに面倒くさい
と言うような言葉がついて回っていて
お勉強ができても心よりすごいねぇ~と思えず、
何だかとても心配になります。
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子どもって、本来、とても愛情深くて、正義感がつよくて、自分たちの場を浄化していくような自浄力といった力も持っているものだと思います。
2歳の子でも、病気で休んでいるお母さんに毛布を持っていったり、
誰かが泣いていると、「大丈夫?」と心配そうに覗き込んだりするのです。

せわしなさと、たくさんの情報と、ルールや指示で
子どもの心をがんじがらめにして、

感じること、考えること、自分で判断して動くことを
ストップさせた状態に子どもを追い込んでいないか
振り返る必要がありそうですね。


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玉入れと計算

2010-09-29 17:53:31 | 算数
1年生たちと、玉入れ遊びをしました。
本格的に天井からかごを吊って投げ入れて、
その後、玉の得点計算をしました。

全ての玉が1個ずつ入っていたので、1+2+3+4=10点

ついでに少し難しい問題にチャレンジ。
色ごとにA~Dの記号をつけて、

A+2×B+C
とか、
3×B+D
を計算。
なんとか解けました。



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いじめがあったのは昔も同じでは?

2010-09-29 13:32:55 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
小学校に出かけてショックを受けました~の記事に次のようなコメントをいただきました。
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いじめは、昔からあったことで、今あっていることではないとおもいます。
60年前、母はお弁当に牛乳と卵を毎日持ってきていた・・ということで、ひどいいじめにあっていたそうです。
私も、30年前に小学生のころなどいじめを見ています。

それより、私が気になるのは、親や大人が、今、マイナスのこの世界や周り、環境にばかり目がいって「これじゃだめだ・・・」「昔は・・」ということがどうなんだろう?っと思います。
昔に比べたら、衛生的で、病院も安価で受診でき、学校教育も受けられます。
1,4歳の子持ちで、頻繁に公共機関にも乗りますが、よくしていただいていて、嫌な目にもあったことはありません。遠いところに住んでいらっしゃる先生のブログを拝見することで、私の育児にも参考になることがたくさんです。

大人も「ないない」ばかりでなく、「昔より、これがある、これもある」っていうそんなプラスの考えにならないといけないのではないかなぁといつも感じています。

的外れだったらごめんなさい。
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確かに私の時代にもいじめはありました。
でも、昨日私が感じた寒々した思いや、
知人のお子さんがいじめにあって、教育委員会や校長に会ったときの対応などは、平和で優しい社会で、わざわざ暗部をほじくりだして
見つめるというのとは、ちょっと異なる気がしています。

人の気持ちに鈍感というか、
他人の痛みに無関心というか……

他人に起こっていることを自分に置き換えてじっくり考えてみる前に、
次々訪れる情報やニュースに気を取られて、
即座に「ない」ものにしてしまえるというか……。

いじめが何十年も前にもあったからという理由で、

「首を絞められる、水をかけられる、裸にされる」といった
人権や命にかかわるいじめを訴えているのに、
校長先生がそれを無視しても良いのか
教育委員会が一笑に付しても良いのかといった話を

軽くスルーしてしまっていいのでしょうか?

現代は、子どもに手をあげる先生もいなければ、
無料でいろんなものがもらえる、店に行けばサービス満点、人々は優しい世の中です。
でも、そうした子どもを叱らない優しい先生が一方では、
虐待を受けているのかな?と思われる子に対して、見て見ぬふりをしたり、
いじめを打ち明けても、ないものにしてしまったりするのです。


子どもたちの姿を見ていると、他人の気持ちにしろ、自分の気持ちにしろ、
「感じる」ことへの鈍さを持っているようです。
たとえば、残酷なことを言って、ゲラゲラ笑っている子たちに、
「自分が言われたらどんな気持ちがする?」と少し厳しく注意したところで、
まずかったな~悪かったな~といった
「シュンとする」といった心や感情が感じられる表情があまりないのです。

「良心のうずき」といったものが見えないというのか……。

たとえば、
図書室で自分が出した本を大人に押し付けて、
さっさと立ち去る子たちは、
まるで消費する商品のように他人を見ている気がするんですよ。
親切にしてもらったり、さっきまで甘えていた相手に対して
次の瞬間、手のひらを返したような態度を取っても平気……
という心のあり様は、
やはり
昔の子どもでは多数派ではなかった気がします。
友だち同士、ほとんど会話がなく、しゃべったり笑ったりするときは、誰かの欠点を見つけて笑いものにするときだけ……という遊び方もしていなかったように
思います。

虹色教室に通っている子たちというのは、とても気持ちが優しく、
いじめやからかいもありません。
でも、そうした気持ちの優しく礼儀正しい子たちが、
他の子がいじめられた話を聞いても、「へぇ~そうなん?」と笑っていたり、
「ふーん、それで?」と言ったきり無関心……
というのは、利発な子たちの特徴でもあります。

また、普段はとてもよい子たちなのに、小さい生き物(ヤドカリなど)や動物が死ぬような悪ふざけをしてはゲラゲラ笑う、
親切にしてくれた他人の大事にしているものをわざと壊したり傷つけたりする
ということは、よくします。
私や娘はそうした姿を見ると、毎回、軽いショックを受けてしまいます。

それが、友だちとの付き合いや教室での過し方ではわがままな言動が目立つ
発達障害の子たちは、
そういった面では、
心がピュアで、他人や生き物の痛みを感じ取って
常に深い愛情をしるしたり、小学生になっても子どもらしい素直さを失わなかったりするのです。
他人の気持ちを察するのが苦手なので、
柔軟に空気を読んで動けないし、時にはこだわりが強くなるけれど、
心と言う面では、
昔の子と変わらない、叱られれば、悪かったな~とシュンとするし、
小さな生き物に残酷なことはしないのです。
あくまでも虹色教室に来ている子たちの枠内ですが。

でも、幼稚園などでも適応してきている物分りの良い子たちが、
利用できるなら仲良くする、
仲間はずれにならないためいっしょにいておくといった、
刹那的で表面的な人と人との関係を築きがちなのを見て、
やはり心にひっかかるものがあるんですよね。

話が少し変わるのですが、
教室の4歳のお子さんを持つ親御さんたちが、公民館の無料の
工作教室に通っているそうです。
そこで、こんな体験をしょっちゅうするそうです。

ああいった公民館の工作教室って自由参加のものが多いので、
参加人数が読み辛いものです。
それで、たまにクレヨンが1~2色足りないことが
あるそうなんです。
でも、隣の人と貸し合えば済むことだし、
その色なしでも絵は描けるんです。
でも、「どうして、私のクレヨンだけ足りないの?」とせめ寄って
先生に自宅までクレヨンを取りに帰らせるようなことがたびたび起こるそうなのです。
私も以前、児童館等で無料の工作教室してたからわかるのですが、
講師の先生は、だいたいが無料奉仕で、材料費も自分で出していることが多いです。
また筆記用具などを持って帰ってしまう方も多いので、
自費での買い足しが大変です。(施設にあるものを使用させていただける場合や、ひとり50円ほどの材料費を施設からもらえる場合もあります)

講師の好意で、タダで参加しているという状況でも、

「みんなといっしょじゃない!どうして私の子のだけ足りないの!」
というプチ切れを起しちゃうお母さんというのは、

昔もいたのかな?
最近は、どこでもたくさん見かけるし、小中学生なら
大多数がそんな態度なのだけど、
それって昔もそうだったのかな?
と不思議に感じるのです。

見方によれば、そんなお母さん方がいても職員さんたちはニコニコスマイル、
講師の先生もペコペコ謝ってクレヨン取ってくるんですから、
良い世の中になったじゃない……?
といえるのか……悩むところ。

いじめの問題とは別の部分で、
言葉にしづらい点で、無視しちゃいけない
問題が隠れている気がするんですけどね……。


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ニキーチンの積み木

2010-09-29 08:49:33 | 積み木  ピタゴラスイッチ
小学1年生さんたちとニキーチンの積み木で遊んでいます。
『みんなの積み木』『模様作り』です。

楽しめる目安は、だいたいでいうと、
『模様作り』は年中さん~小学1年生。
『みんなの積み木』年長さん~小学6年生
です。

『ニキーチンの積み木遊び』B・P・ニキーチン 暮らしの手帳社
ろいう本に載っている
『ユニキューブ』
『レンガ積み』
『組み立て設計局』
といった遊びは、中学入試にも通じる内容だと思います。

立体積み木がたくさん安く手に入れば、ニキーチンの積み木類は手作りできます。
レンガ積みはレンガ積み木があれば遊べます。

空間認知力の力は入試ではとても高いものが求められるものの
小学校で学ぶことはほとんどない上、
家庭での遊びで伸ばす機会も少ないです。

お友達同士、こうした問題形式の積み木の知育遊びを
楽しむ時間が作れるといいですね。


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小学校に出かけてショックを受けました~

2010-09-28 21:09:50 | はじめに
ここのところ暗い話題が続いていたので、書こうかどうしようか迷ったのですが、子どもたちの現状を知って欲しいという
思いから書くことにしました。

今日は、学校図書館活性化事業のお手伝いをする日で、
近所の学校の図書室で1時間子どもたちと過してきました。

低学年の子たちは、人懐っこく、
「いっしょに本を読もうよ」と甘えてきました。

選んでくる絵本を何冊か読んだあとで、

近くにいた高学年の子たちに声をかけて、
みんなに本を紹介する活動に誘いました。
すると、数名の5年生たちが、
たくさんの本を抱えて、「これ紹介する~」と、どさっと、
本を持ってきました。
「へぇ~、いろんな本を読んでいるのね」と感心して、
話しかけていると、
ひとりの高学年の子だけ、絵本を開きながら、「ここが面白いの~この絵がかわいいの~」と説明してくれるものの、

他の女の子たちは、野良犬のノンフィクション物語を差して、
ゲラゲラ笑いながら、
「死ぬで~これ死ぬで~!」と椅子からころげおちてまで笑い続けました。

その後、大学生のボランティアの男性が低学年に読み聞かせしているのを
指差して、ヒソヒソ声で何か言っては、大笑い。

「どうしたの?」とたずねると、
いきなり立ち上がって、顔面に障害がある人の本や、身体障害のある人の
本を取って来て、私の前にどさっと置くと、
障害で膨らんだ頬を指差して、さらにゲラゲラと笑い続けました。

その間、子どもの親や先生など数名の大人が図書室に顔を出したのですが、
低学年の子を見るなり、
頭ごなしに、ガミガミ叱りだす、一方的に注意する、
子どもたちが、「私は、そんなことしていない」と言うのを
まったく聞かず、そのまま立ち去るという姿がありました。

友だちといっしょに過している子たちというのは、
ほとんど会話をかわすことなく、
しゃべるときにはひとこと耳打ちする素振りをするくらいで、
後は、人や残酷な画像などを指してゲラゲラと笑い転げるだけ。
他にも高学年の子たちのグループが何組か
図書室を訪れましたが、
無言で漢字ドリルをすませて、互いに無表情なまま出て行きました。

図書室の閉館時間が近づいたので、本を持ってきた子たちに、
元に戻すのを手伝うように言うと、
無言で、さーっと立ち去りました。
人懐っこい子どもたちも、
他の子と同じことをしていないと不安なのか、
めんどくさいのか、無言のまま、
自分たちで持ち出した本をこちらに押し付けるなり、立ち去りました。

大学生のボランティアの男性はショックのあまり、立ちつくしていました。
私も寒々~とした思いで図書室を後にしました。

たまに1時間過すだけで、こんな寒々とした気持ちになるのに、
この学校で毎日過している子どもたちは
どんな思いでいるのでしょう?
いじめられている子、笑われている子、無視されている子は
いないのでしょうか?

帰りに大学生といっしょに、教頭先生にその様子をお伝えしました。
すると、こちらに赴任されて間もない教頭先生も、
高学年の子らの心の荒れを気にかけているようでした。

帰宅後、今、成人しているかつての生徒の女の子と親御さんが
いらっしゃったので、図書館で感じた寒々とした思いをお話したのですが、
女の子も親御さんも、驚く様子もなく
「小学校の荒れやいじめはあたり前ですよ~」とおっしゃいました。
なんでも、女の子のご兄弟が以前、学校でいじめに合われて、
タオルで何度も首を絞められ、水をかけられ、校庭ではだかにされたりしたのに、
校長や教育委員会に訴えても、まったく取り合ってくれなかった
そうです。
最終的に病院の先生に動いていただいて、少しだけ問題が解決したのだとか。

公立小で、子どもがはだかにされて、
涙ながらに校長先生に訴えても、
全く聞く耳もたなかったり、教育委員会も一笑に付していたという
事実に、
あまりのショックに信じられませんでした。

でも、ひどいいじめを受けている子はめずらしくなく、
先生につげても取り合ってもらえないので、
何年にも渡っていじめられ続けるそうです。
私立小でのいじめも陰湿で、それはそれで深刻なのだそうです。
聞いているうちにショックで唖然としてしまいました。
そんな環境で暮らしている子たち、どうなってしまうのでしょう?

大人たちは、本気で子どもの環境を守らなくては
ならないんじゃないか?
子どもたちが暮らし、成長する空間を、
大切にしていかなくてはならないんじゃないか?

「公立小はいじめがありそうだから、うちの子は私立にやろう」
というレベルの解決法を続けてきたから、
こんなことになったんじゃないか……
ちょっとひどすぎる現状に、子どもたちが気がかりでなりません。
コミュニケーションが失われて、
すさんだ世界で育っていく子たちを思って心が痛みました。


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大人だけの勉強会を終えて と オンライン教材の話

2010-09-28 04:22:14 | 教育論 読者の方からのQ&A
昨晩、この秋、予定していたいくつかの『大人のための勉強会』を終えました。
自分の心の整理でだらだら文章書いてますから、お忙しい方はこの記事は、
読み飛ばしてくださいね。

大人の勉強会の記事
について、高校の教師をされている教室にも何度かレッスンに来ていただいた方から、次のようなコメントをいただきました。
とても、うれしいです。
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ああ先生、この分析素敵です!すばらしい!

自分が子供のころの級友達や、中学~高校の生徒を教えた経験から、「小学生から頑張って勉強してきて中学校までは成績がよかったけど、高校やそれ以降伸び悩む」という人たちを何人か見てきて、「小さいころから頑張りすぎて伸びしろがなくなってしまった。」「狭い範囲での学習を暗記に頼ってしまうと、それを越えた部分では伸びなくなってしまう。」と自分なりに言葉で説明をつけてきました。(もちろん、幼児や小学生が勉強したらダメ、と主張しているのではないのですよ。もしそのように読み取れたらごめんなさい。)
 だから小さい子供に勉強させるのは、ちょっと怖い、だけどじゃあほっといていいのか、というとそこまで割り切れない、と悶々としてきました。
 そこで先生の虹色教室通信と出会い、色々大切なことを教えていただき、だいぶ楽になってきていました。そして、最近の「勉強ができない理由」の記事と、特に今回の記事で、何を大切にしたらいいのか、目当てができました。
 実は大変整理べたで仕事と生活に追われ、ぐうたらなのもあるけど、先生のマシンガンのように繰り出されるグッドアイディアを、ただ読みっぱなしで、たまにしか実践できずにいたのです。そして、実践できない自分をだめだなあ、と勝手にプチ自己嫌悪。
 この四点に集中、ということなら、「先生のやり方おぼえなきゃ」とか、「こんなすごいことできない」とかグダグダ考えず、今の自分にできることは何か、とできる範囲で実践できそうです。
ありがとうございます!!
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こちらこそ、ありがとうございます♪


昨晩の『大人のための勉強会』は、数回開いた中で一番、
満足のいく楽しい時間となりました。

初日の2回は、初めての経験だったので、
これまでブログをしたり、教室をしてきた中で、
「実際見てもらえば、簡単にどうすればいいか伝わるのに……」
「人と人の関係の微妙なニュアンスは、言葉だけでは伝わらないから、直接、
経験してもらえばわかるはず……」と感じてもやもやしていたもの……

たとえば、

算数を手遊び等で子どもに理解させる方法

6年生くらいまでの学習は、体感で身につく核となるものを大事にしておくことで、どれほど簡単になるか
具体的に問題を体験してもらいながら知ってもらう

子どもの科学的な疑問を日常生活で引き出すコツ
それを大きく広げるコツ

家庭でモンテッソーリ的アプローチをするときのポイント

など「私側」が伝えたいことを、忙しく、次々、
見ていただく、やっていただく、理解していただく……で終わりました。

最初の目的はそこそこ果たせて、参加者にも喜んでいただけはしました。

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前回、4回に分けて書いた『大人だけの勉強会 幼児期に防ぐ小学生のつまずき 』のような話題でも、

書き言葉にするのとちがって、
言葉だと、相手が
「そうか」と理解しやすい形で伝えられるし、
(関西風のお笑いの精神を交えて話せますしね……)

おまけに、「なら、どのようなことをしていけばいいの?」
「具体的に、こんなこと、あんなことすればいい」ということを、
身振りや目で見て操作できるものを通して、「わかる」という状態につなげるのは易しいのです。

つまり、勉強会のように直接のコミュニケーションだと5,6分の前置きだったような内容が、
ブログに書くとなると、勉強会の主のテーマみたいに伝わってしまうことが、
書き言葉の「うーん」となってしまうところ……(記録に残るし、整理して伝えられるよさはありますが……)

そんなわけで、伝えやすさ、理解してもらった感じとしては悪くなかったけれど、
初日の勉強会は自分の中では反省するところだらけ……改善点だらけ……
でした。
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それで回を重ねながら、問題と思われた部分を解決する方法を考えていきました。

そして、昨日の『大人のための勉強会』は
自分自身もとてもうれしくなるような感動できる時間を過せて、満足~♪
でした。

一番の成功要因は、参加メンバーの人数。

他の日は12名以上だったのですが、昨晩の参加メンバーは9名。

まず、最初の10分ほどで、ひとりひとりのお子さんの年齢や普段感じていること、知りたいことなどを話していただきました。
そのおかげで、勉強会の内容を、参加メンバーのニーズにそった形で、噛み砕いて、
よりわかる形にしたり、参加メンバーが求めていると思われる情報を
加えることができました。

つまり、一方通行にならずに、
相互に交流しつつ学べるスタイルで、勉強会ができたのです。
結局、最終日だけは、きちんと、

「子どもを科学や歴史や地理や算数と親しませる方法、
そして、そうしたことの意味が、
大人も世界に対する好奇心を味わう体験をしてもらう中で理解していただけたけたかな?」

と実感できました。初日の勉強会の方々ごめんなさいね~。またお会いしましょうね。
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どんなイベントにしろ、

人数
場所の環境
準備や教材
相手のニーズをこちらがどれくらい理解しているか
相手の学び方をこちらがどれくらい理解しているか

ということが、全てベストの状態でないと、本当の学習にはつながりにくいな~
と感じました。

大人の勉強会の場合、9人がベスト。
それ以上だと、結局、消化不良になる人が出る上、
学ぶ側に軽い緊張が走ったり、私もどこに焦点を当てたらよいかつかみずらくなったりして、
きちんと機能しないのです。もちろん一方的に私が言いたいことを伝えていく形なら、何十人も相手にできるのでしょうけど。

大阪での工作イベント、大人の勉強会
を振り返って、今月、もやもや~と悩み続けていたことが
吹っ切れました。
今後も、「量より質のクオリティー重視で行こう」ということ。
参加できない方から不満が出るのは承知でも、私にできることは
限界がありますから。


そうなると、閉鎖的な教室運営になる一面もあるのです。
でも、私ってひとりの人間が、もうすでに、
何百人って子どもや親御さんと会って、その子たちの成長を見守っている状態です。

そこで、何も考えずに、新しい方、新しい方~と何百人でも求められるだけ、
関わる人を増やし続けていくのって、
現実的に不可能だし、
結局、それは誰にとっても満足いかない無責任な仕事を生むと思うのです。

一度見たら、ほうりっぱなしって、どうなのでしょう?
人を消費する物みたいに
扱っているようでイヤだなぁ……と。

(東京や地方から、わざわざ足を運んでくださった方に、
「私の代わりです」と、教室のノウハウややり方を実行してもらうアルバイトやパートの先生に対応してもらうのなんて、できないですよね……。)

だからって理由で、「新しい参加者はいっさい募集していません」と
して、完全に新しい方々との関係を遮断してしまうのも
どうなのかなぁ?
とも。

「遠方で参加できないから、勉強会やイベントの様子を記事にしてほしい」という声にこたえていたら、

それを見るたび、「自分は参加できない」と、ストレスを感じる方も出るわけです。

教室で新しい募集ができない状態だから、
参加できない人が辛くなるから、
虹色教室通信をやめます~というのも
それはそれで楽しみにしてくれている方に失礼な話ですよね。

これまで平日の午前に来てくれていた子が幼稚園に通うようになった
場合、だからといって土日にできるレッスンは定員オーバーです。

それなら、せめてイベントに参加してね……と、
工作イベントを設けたのですが、少し人数に余裕があるので外部の方も抽選で選ばせていただくことにすると、
もともとその子たちのための設けた時間が、
「同じ方ばかり選ばれている。いつも参加していてずるいな~」という思いも生むのです。

(くどくどなりますが、これまで書かなかったことが、トラブルのもとだったので、くどく書かせていただきますね。)

だからって、完全に外部の方の参加を遮断すると良いのか……トラブル回避だけでいいのか……
悩むところ……。

近所の学校は、算数セットのおはじきをなくす子、友だちに盗まれる子がいるから……と、トラブル回避で、算数セットを使わせなくなったため、数の理解があやふやな子が急増しているそうです。
また、先日、通った駅のトイレに、「トイレットペーパーが盗まれるため、今後はトイレットペーパーの設置はやめさせていただきました」という張り紙が……。
どちらも、トラブルは完全に避けられるでしょうが、それでいいのか……
何だかしっくりしない話……なんですよね。

クレームやトラブルは、多少引き受ける気持ちで、
できることを続けた方がいいのでは……?と感じるのは、私だけなのか……?

今の時代、何をしても、クレームは出ると思うんですよ。クレームに向き合ってたら、一生懸命がんばったって、報われない気持ちになるかもしれないけど、
避けたり、逃げたりするより良い気もするんですよ。

時間が経てば、それなりに良い解決法も浮かぶものですしね。


最終的には私のペース、私の決断、私がベストと思うものを選んで、
進んでいくしかないんですよね。

私のやり方は、見方によったら、閉鎖的、保守的ともいえるし、

別の見方をすれば、開放的、自由にオープンにしているともいえるし……

それはそれで、自分らしさや私の長所を反映しています。

以前、私と息子のふたりで調べ物コンテストで、ゲームと数の?な関係』が、
「子どもと調べる学習」の部で、優秀賞をいただいた際、

審査員の方から
次のような講評をいただきました。

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この部は、ときどき親の方が夢中になって子どもの姿が見えなくなることがあるが、『ゲームと数の?な関係』は、子どもの疑問に対する追及の姿勢、親のほどほどの関わり方、明るくて楽しい家族が見えてくるようなレポートであった。
いかにも子どもの疑問という点では『ふしぎはっけん』の素直な疑問と、それに対して親がていねいに調べ、きちんと答えているのにも高い評価があった。しかしその一方で、夏休みの毎日、こんなにも疑問を出されてはたまらない、子どもは調べることに参加しているのか、という疑問もでた。今年も著作権のことが問題になった。資料を切り抜いたり、コピーをし、貼り付けるという作品もあった。ただ集め、資料を並べただけでは゛調べ学習゛にはならないし、著作権は人格権でもあることも念頭に置いて欲しい。(小川 俊彦)
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これを読み返して、
他の良いと思われる方法がいろいろあったところで、
自分の長所を基盤にした、自分のペース、自分のやり方、立ち方を、簡単に崩しちゃいけないな~と感じたのです。

私の長所は、どっぷりやりすぎないところ。現状や人との関係で溺れてしまわないところ。
それでいて、どっぷりするところ……です。好きなことはとことん熱中しますから。


もちろんマイペースに凝り固まっちゃったらまずいから、
ひとつひとつの声はきちんと受け取って、じっくり検討しますが……。

それに応じて、強いニーズを受信したら、それなりに対応する……
新しい問題解決方法を、しぼり出す……という方法をとっています。

「教室に来たいと思っていても、一度も参加できなかった~」という方々に
来てもらうイベントを考えなくちゃな……とか。
ただその場合、普段のイベントよりかなり人数を少なくしないと、
うまくいかないだろうな~とか。

まあ、すぐには解決しないし、その問題を解決すれば、次の問題や課題が生まれてくるものです。

話は変わって、
オンライン教材について……。

勉強会やイベントへの参加希望が
思ったより多くて、事務処理や準備にかなり時間を取られています。
それで、教材を製作しているスタッフと話し合った結果、
当初の予定より発売日を伸ばして、
来年3月に発売する予定で、製作をすすめることとなりました。
これにしても、急いで作って、質の悪いものを提供してもしょうがないかな……と話あいました。
お待たせしている方々、どうもすいません。
どうぞよろしくお願いします


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大人だけの勉強会  幼児期に防ぐ小学生のつまずき 4

2010-09-27 16:46:57 | 算数
小学生がつまずく点をいくつか書いてきたのですが、
「結局、幼児期に何をさせたらよいの?」
ととまどったかもしれませんね。

私は、
お友だちとの遊びや、お手伝いの場面で、
大人主導でない状態で
自分でできることを増やすこと、
大人が指示を出している習い事などとは別の
自分の判断でできることをひとつでも増やすこと、
少しでも長い時間できるようにさせることが大切と
感じています。



幼稚園のときに、
「何をして遊んだら良いのかわからない、ママ考えて~」という
状態にならないことがひとつの目安かな?
と感じてます。

話が少しそれますが……
キャンプの世話をしている知人から、
「最近の子はお友だちを馬鹿にすることは
いっぱい言うけど、
なんでだろう?という疑問を口にしない」という話をうかがっています。
キャンプファイヤーの火をともす間も、
うまくいかないと、友だちに対して、さんざん馬鹿にしたような野次が
飛ぶそうです。
そうして、野次を飛ばしている子たちは、
馬鹿にされるのが怖いので自分からは何もしようとしないそうです。

「なんでだろう?」が減っているのは、
私も感じています。
言われたことを疑ってみる、見ているものを疑ってみるという
態度が皆無に近いのです。

とにかく幼いころから大人が考える前に答えを教えるので、
自分から疑問をみつけて、考えてみようとする子がいないのです。
常に、心のアンテナは、友だちの「できていないこと」に向かいがちです。

心が、外の世界を吸収したり、理解したり、疑問を膨らませたり
状態にないのです。
また、失敗を気にせずに、「自力でやってみたい」という
意欲が乏しいです。

ちくいち子どもに教えこまず、子どもをコントロールしすぎず、
大人たちが子どもの失敗にいちいち関わらない状態で、
自分でやってみる

ということを、

昔の幼児でしたら、1年のうち365日×6時間以上
していたはずですよね。
幼稚園も、子どもは遊ぶのが仕事と捉えていましたから。

現代の幼児にも、そうした自分の心と身体で関わって、成功から、失敗から、
学ぶ経験が
たくさんたくさん必要だと感じています。
そうした体験の中で、
子どもは生きることは考えることと結びついていることを
体得していくはずですから。

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