虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

今年も一年ありがとうございました

2010-12-31 14:51:22 | 教育論 読者の方からのQ&A
いつの間にか、もう大晦日。
年末になってもずっと多くの方々にブログに訪れていただいて、
とてもありがたく感じています。
母のことがあって、年明けのごあいさつはできませんが、
みなさんがよい年を迎えられることを心から望んでいます。

ブログは1月3日から再開する予定です。
1月には、京都での工作ワークショップ(定員を満たしているので、もう募集はしておりません)と、
春に発売予定のオンライン教材の詰めの作業、
新大阪の画廊での絵の展示会(くわしい内容は年明けにブログの記事にさせていただきますね)があって、
大晦日の今日もその準備でバタバタしています。

2007年からはじめたブログが、また年をまたいで続いていくことに
ジーンとうれしい気持ちを味わっています。

このブログは、自分が何を望み、どんな夢を実現したいかを
探る場でもありました。

ブログを通して、多くの方々と交流するうちに、
みなさんと協力しあって、

『ひとりひとりの子どもの自尊感情を向上させ、
豊かな遊びの場と時間を取り戻し、
人と関わりあう喜び、
想像広げる楽しさ、
創造性を解放する爽快さ、
思考する面白さを、
子どもたちに伝えていきたい、
何度も繰り返しそうした体験を味あわせてあげたい』

という願いを強くしました。

たくさんの出会いに感謝します。
来年もよろしくお願いします。

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テクニックよりも態度と心 4

2010-12-31 13:33:30 | 教育論 読者の方からのQ&A
子どもの精神面の健康度を測る調査によると、
日本の子どもの幸福度は世界最低レベルなのだそうです。
自分自身や学校などの満足度に関する質問では、多くの子たちが、「ほとんどない」と解答しているのです。
高校一年生の調査では、暗澹とするほど自尊感情が低く、実業系の高校ではクラスの3分の1が、自尊感情がゼロだったそうです。

(くわしく調査内容が知りたい方は、『日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか』古荘純一 光文社新書 を、ぜひ読んでみてくださいね)

自尊感情とは、自分を肯定的にとらえることであり、人生のさまざまな困難を乗り越え、他人と協調していくためにとても必要なものです。
自尊感情が低いと、他人からの言動を被害的にとらえ、
他人のことも否定的にとらえがちです。

自尊感情が低いまま社会に出て行けば、
自分で踏ん張ってがんばっていく前に、職場が悪い、社会が悪い、パートナーが悪い、思い通りに育ってくれない子どもが悪いと、何でも被害的に捉えていく人生がどこまでも続くことでしょう。
世界でもめずらしいほどに、そうした自尊感情が低い子たちを
生みだし育てている日本の家庭と教育の場は、
テクニックに走る前に、
まずこの問題を直視する必要があるのではないでしょうか?

もちろん、子どもの自尊感情の低さは、
周囲の大人たちが、
テクニックにばかりに気を取られて子育てや教育をしていることが
直接の原因というわけではないでしょう。

けれど、子どもに何かの方法を施すことに夢中になると、
与える側も与えられる側も、
自分の身体から乖離し、生身の感情を鈍らせてしまうことが多々ある
ことは事実でしょう。

自分が何を心地よく思い、何を楽しく感じ、どんなことがうれしいのか、
自分が欲し感じ考えることを最優先にできなくて、
テクニックを使って対応してくる側が、欲することや気持ちいいこと、
喜ぶことを第一にしなくてはならないからです。

それが長引けば、子どもの生身の感覚は鈍り、感情はゆがんでいきます。

テクニックで接するということは、つまり、人にマニュアルで接することでもあります。
私たちは、全国チェーンのコンビニやハンバーガーショップで、
マニュアルに基づいた対応を受けます。
全国チェーンの習い事や塾でも、マニュアルに基づいた対応を受けます。

家庭や学校が、コンビニやハンバーガーショップみたいになっちゃったら
嫌だなぁ~と思うんですよ。

対人的スキルって、相手が自分とは別の独自の心を持っていることを理解することから発展していきます。
でも、自分の心ではないマニュアルに基づいて行動する人の態度から、
心を推測しようがないですよね。

私が子どものころの大人は、もう少し、気持ちや考え方や行動が
その人らしくてわかりやすかった気がします。

子どもなりに、いろんな人がいて、いろんな考え方があるんだな、
親によっていろんな対応だな、学校の先生たちもそれぞれ信念やら、それぞれ個別の愛情表現やらあって、揉めごとにまきこまれながらも自分で解決して強く生きているんだな……と納得していました。
そうやって、きれいごとだけじゃない世界で、
たくましく生きていく大人の姿を見て、自分も、
いずれそうやって生きていくんだな~と
感じていました。

子どもにこのようなことをするといい、子どもはこう育てるとよくなる、こうすれば賢くなる~というテクニックを伝授する方法はちまたに
溢れています。

これって、人間相手のものですから、
子どもだって人間ですから……

「こうすれば彼女に好かれる」とか、「このプレゼントを贈れば、彼氏に振り向いてもらえる」とかいうたぐいの
人の好悪の感情や個性やテクニックを施す側の人間性なんかを
無視した上での、
良さげなアイデアに過ぎないんですよね。
そこで、テクニックにだけ走るということは、
『ストーカー』のような一方的なまなざしで、
「雑誌に載ってた通りのプレゼント贈ったのに、彼女が振り向いてくれない、むかつく~ボコボコにしてやりたい」
って感じるのと、似たりよったりでもあるのです。

子どもに何かするとき、大人は、もっともっと、
自分の立ち位置やまなざしのあり方について、
きちんと考える必要があると感じているのですよ。

こういうことって、どうでもいいことじゃなくて、たとえば、
結婚相手から、「家事をテキパキこなして、お金ももうけてくれ、自分に反抗しない完璧な嫁を作り上げよう」なんて考えのもとで、
あれこれテクニックを施そうと構えられたら、たまらないですよね。
単に頭の中で考えているだけ………
といったって、いい気がしないし、そこで、自分らしく快活にこの人と生きていこうなんて気持ちはとうてい起こりませんよね。

子どもだって、同じだと思うんですよ。
親や教師が自分をどのように捉えているか、

それがストーカーや、理科実験をする人や、利益を上げたい会社の上司みたいな
まなざしで、子どもに接するのか、

自ら成長していく子を愛情を持って適度にサポートするのか

そのちがいは、変わらないようで、
ものすごく大きいものだと思うのです。


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テクニックよりも態度と心 3

2010-12-30 21:03:24 | はじめに


写真は、小1の子どもたちと『暗算ゲーム』をしているところです。
1~13までの数が書いてあるラミイキューブの札を何枚か並べて、瞬時に答えを出す遊びです。
最初は2枚からはじめてだんだん数を増やしていってます。
私が「7枚チャレンジしたい人?」「8枚チャレンジしたい人?」と声をかけて、自分から進んでやりたがった子にさせています。
8枚までは「はい!」「はい!」と元気よく全員の手があがっていたのですが、
それを境に、意欲満々に手をあげる子は減っていきます。
必ずしも、計算が得意な子がチャレンジし続けるわけでなく、
計算はそれほど得意ではないけれど
リラックスして、難しい課題にチャレンジしようとする子と、
計算は得意だけど、慎重で失敗を恐れる子もいます。

この日、10枚にチャレンジしたいという2人の1年生が、
「用意、スタート!」で計算していきました。
ひとりの子が先に解答し、答えもあっていました。
もうひとりの子は答えは合っていたけれど、少し時間がかかりました。
時間がかかった方の子にどうやって解いたのかたずねると、
ユニークで新鮮な解き方でした。
12+8とか、13+7とか、20になるものを除外して、残りも10の位がいくつになったのか意識しながら足していき、10の位の数と1の位の数をできるだけすばやく出すようにしたのです。

私は、計算が速かった方の子には、すばやく丁寧に計算できていることを褒めて、
遅かった方の子には、工夫して効率的に解く方法を考えついたことを褒めました。
また、10個の暗算にチャレンジした子たちには、
「負けるかもしれないって怖さを乗り越えて、やってみようって思ったことはそれだけですごいことよ」と褒め、
「9個まででやめておく」と宣言した子には、「自分がどこまでやりたいのか、自分の意志できちんと決断できるのはえらいことよ。」と褒めました。

子どもの行動に対して、具体的に良いところを説明して褒めると、
子どもたちは友だちを尊重して認め合うようになります。
小競り合いこそ、しょっちゅうありますが、
思い切り自分の気持ちをぶつけあった後でも、
すぐに仲直りしていて、いっしょにいるのがうれしくてたまらない様子なのです。

テクニックの話題にこんな話を入れたのは、

『計算速度をあげるために、こういう方法で訓練する』という

○○法‥‥‥という方法に重きを置くと、
こんな場合に、効率的な計算の工夫を編み出すことも、自分で自分のことを決めることも、友だちの良い部分について学ぶことも
なくなってしまうということをお伝えしたかったからです。

私は、単にできるようになることだけでなく、

友だちに親切にわかるように教えてあげること、
友だちから習うこと、
自分の苦手を自分で分析して、どうしたら改善できそうか考えてみること、
しんどいときは、休んでもいいと知っていること、
どんな方法ですると自分のモチベーションがあがるのかいろいろやってみること
など、さまざまな経験をすることが、(それが計算練習であっても)
子どものメタ認知力や発想力、思考力を向上させると感じています。

テクニックは、ひとつの指針となりますし、
実際役立つものです。
でも、それを使う人の立ち位置は、
テクニックという一本の直線の上でも、
テクニックの世界の中心でもダメで、

それを十分理解し、消化して、
それを基礎、基盤とした上で、
子どもの個性に対応し、さまざまな外の世界の価値観にも開かれた場でなくてはならないのでしょう。


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テクニックよりも態度と心 2

2010-12-30 12:17:11 | 教育論 読者の方からのQ&A
写真は、パカパカ駆ける馬。からくりの仕掛けを教えるために作った小1の男の子との共同作品です。ストローにモールを通すことで回転する部分を作りました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ABAについての解説書を何冊か読むうち、

「こういうことって、教える上では
ごくごくあたり前のことのように感じていたけど、
わざわざ理論になっているんだな」

と、ちょっと驚くと同時に、

「子どもが良くない行動をするとき、
それを自然にやめさせる方向へ導き、
良い行動をしたときはそれを持続させる方向に導く大人の態度とか、

子どもに教えるとき、

課題とその子の今の能力の間にどのような種類のステップが存在していて、

何から取り掛かればスムーズに階段をのぼるように
必要な課題に達することができるか

わからないという方が多いのだろうな。」

とも感じました。

私の周囲には、ABAについておそらくご存じないでしょうが、、
『子育ての勘』として、
この応用行動分析で理論として展開されているような子どもへの接し方を
している方はけっこういます。

私にしても、目の前に子どもがいれば、無意識のうちに
そうした行動をとっていて、
(習ったわけではなく母性的な勘で)

それを基本とか基盤とした上で、

「教え教えられるという枠を超えた成長をうながしていくにはどうすればいいだろう」
「柔軟に新しいことに対応したり、創造的に解決したり、
自発的にいろんなことをしていくようになるにはどうすればいいだろう」
といった問題を悩みつつ、
解決しています。

何が言いたいのかというと、どんな理論にしろテクニックにしろ、

そこに目標があるわけでも、それが全世界でもなくて、

取りあえず踏まえておくべき基本とか基盤のようなものだ
ということなんです。
もちろん相手が自閉症児であってもです。

話がややこしくなってきたので、いったんABAの話題からそれますね。

子どもを伸ばすためのテクニックって、あっちでもこっちでも溢れていますよね。
子どもは、大人から、より合理的に効果的な結果を出すことを期待されて、
さまざまなテクニックを施されます。

いろんな知識をインプットされることもそうですし、
叱らない受容的な態度で子育てするというのもそうですし、
早期からの習い事、○○式、○○法などもそうです。

そうしたテクニック自体は、どれも一理あるのでしょうし、その方法が合っている子もいるのでしょう。

その良し悪しについて言いたいわけではないのですが、
次のような点で注意が必要だと思っているのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
チンパンジーの子って、産まれた時から人間の子と一緒に育てると
4~5才くらいまで、よく似た発達をするそうです。
そこで、チンパンジーの子と、人間の子に、
箱の中に「まる」「しかく」「さんかく」と順番に入れるように
指示する実験をしたそうです。

正確にチンパンジーも人間の子も入れることができ、
何度もするように言うと、何度もしたそうです。

ところが、人間の子は次にこう聞いたそうです。

「なんでこんなことをするの?」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人間の子は、大人が既存のテクニックで接しても、
そうした枠を超えて、自分のしていることの意味を問い、
それをより広い意味を与える視野の中におこうとします。
それほど賢いのです。

でも、それは周囲の大人が
地に足をつけ、今ある広い世界や現実の社会に心を開いてコミットメントして
生きているからこそ可能なことで、

テクニックに適応させることしか見えていない大人のもとだと、
そうした人間の子としての成長が阻害されるのではないでしょうか。

人工的に作られた○○式とか○○法とか、
○○理論とかにがんじがらめになって、
それが『世界』になってしまったら、

「なんでこんなことをするの?」という人間の子にしかない問いは
生まれなくて、
指示された課題を素早くたくさんこなす力だけが、伸びるのではないでしょうか?

最初の話題から話しがそれていてすいません~
次回にまとめます。


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テクニックよりも態度と心 1

2010-12-30 09:21:15 | 教育論 読者の方からのQ&A
前回、共同注視を誘う遊び方について記事にしたのですが、
こうした内容をテクニックと捉えて実践しても、
なかなかうまくいかないかもしれません。
書いておいて、うまくいかない……とは、失礼なのですが、
なら、どうすればうまくいくのか、言葉にできる範囲で書いていこうと思います。

広汎性発達障害の子のこだわりを真似るといっても、
ただ、向こうのすることを真似すればいいというわけではありません。
その前に、子どもと表面的には見えない部分で、
心がつながりあっていなくてはならないのです。
ゆっくりと関係作りをし、小さなサインをたくさん受け取って、
「あっ、この子の中に私への興味と、
いっしょに遊びたい気持ちが芽生えているな」と感じ取って、
その次の段階で、「子どもの遊びを真似る」というテクニック的な部分があるのです。
そこには、大人の側のとても繊細な感受性が必要です。

私は多くの方々が、(親も教師も)
『子どもに対してテクニックを使う』ことに慣れすぎて、
まるで理科実験でもするような一方的なまなざしで子どもに接するために、

子どもの側にすると、対人的スキルを学ぶ見本がどこにも存在しない

ということが、発達に問題がない子たちの間にも起こっているように
感じています。

言葉でうまく伝えられるか自信がないのですが、
最近こんな出来事があったので、それから、伝えられる範囲で
このことについて話してみたいと思います。

私は長い間、ABAという名前は聞いたことがあってもそれがどういうものか知りませんでした。
ABAというのは、「応用行動分析」と訳され、
自閉症の子たちに教えるのによいとされている理論です。
何度か、知人からその名前をうかがっていたので、何冊かそうした関連の本を購入して目を通してみました。

次回に続きます。
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共同注視を誘う遊び方 3

2010-12-29 16:35:58 | はじめに

広汎性発達障害の子たちは、それぞれの子が
その子固有のこだわりを持っていることがよくあります。
そうしたこだわりをやめさせたい、減らしたいと考えている親御さんは
多くて、
子どもがひとつのことに熱中しはじめると、
他のことをやらせようとしたり無視したりしがちです。
でも、そこで、こだわりを助長するのでは‥‥‥という不安をいったん脇において、本人が楽しいと感じていることに、こちらも参加してみると、
それが子どもの世界を広げるきっかけとなることが
よくあります。

特に、大人がやめさせたいと思うようなこと‥‥‥
パンパン机をたたくくせや、
紙をやぶったり、ドアを繰り返し開け閉めしたり、輪ゴムを引っ張っり続けたり、
かなり大きいのにベビー向けのおもちゃで遊びたがったり、
大量のビーズを糊の中に放り込んだり‥‥‥
といったことを、ユーモアを交えて、こちらも楽しそうにやってみせるのです。(危険がないように注意)

そうして、真似ると向こうもやって、向こうがすればこちらもするという具合に
順番にするようになっていき、
次第に、「相手は次にどうするかしら?」といった期待や、思った通りでゲラゲラ笑いだすと、こちらもいっしょに期待する表情や、笑いを重ねます。
すると、子どもの側に、
ああ、他人と呼吸を合わせるってこんな感じなんだな、というコツがつかめてくるのです。
同じ場面で、いっしょに笑ったり、同じことをいっしょにする
楽しさに少しだけ気づきます。

広汎性発達障害の子たちは、他の人がすることを見て真似るのが苦手です。
集団で過ごしているとき、お手本を見せて、
他の子たちが私の方に注目して真似ていても、
ひとりだけ自分のしたいことをしていることがよくあります。

障害特性ゆえ‥‥‥といえば、そうなのですが、
『他人のすることを見て真似る』という体験自体をしたことがなくて、
真似るってどいうことなのかわかっていない面もあります。
ですから、ごく簡単なことでも、真似るパターンを学んでいくと、
「お友だちのしているのをよく見てちょうだい。どうやってすればいいかわかるでしょ」と言うだけで、さっと態度を正せるようになってくることがあるのです。

そうした真似る体験をさせるのにも、
まず1対1で、広汎性発達障害の子のこだわりの世界に
大人の側が近づいていくというのが役に立つのです。
まず、本人の大好きな世界にこちらが共感をしるすことで、
子どもは、誰かといっしょに楽しむという体験をします。
まず大人が子どもの真似をします。
すると、自分の真似なので、子どもは興味を持つのですが、
それを見て、自分もやってみることを繰り返していると、
相手の手本を見て真似るという形に移行していくことがよくあるのです。

写真は、★くんと私の共同作品のカメラです。
この日、私が、ティッシュ箱に穴を開けていくと、★くんはチラッとこちらを見て、知らんふりでした。

が、その後で、私がサイコロを振る遊びや引き出しをかき回す「ないない」につきあって、★くんの真似をし、いっしょに笑いあうことをしたところ、

★くんは自分からこの箱を手にして、穴に目をあてて、カメラに見立てているような素振りをしました。
そこで、「カメラを作ろうか?」といってキラキラする折り紙をセロハンテープを用意すると、積極的に制作に参加しました。
★くんは、これまで工作の誘いにほとんど乗ったことがなかったのですが、
その様子からは、「他人といっしょに何かする」ことを
自分から求めているように見えました。

それから、うれしそうにポーズ。私の写真を撮ってくれています。


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人生について考える 夢みる 

2010-12-28 20:59:38 | はじめに
前回の続きは明日、書きますね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
娘は友だちとディズニーランドに出かけていて留守。
受験勉強で家に缶詰になっている息子、
肩こりがひどくなってダウン……大掃除もせずにダラダラしている私、
明日は会社の大掃除というダンナ……

の3人で夕食を囲んでいる最中、
就職氷河期についての話題がのぼりました。

ダンナは息子をちょっとでも大きな企業に就職させたい意向。
理由は、もし転職となったときも、大きなところから小さなところに移るのは簡単だけど、中小からの転職は難しいから……というもの。
バブルやらリストラやらで踊らされてきたダンナらしい考え……。

「ぼくは、やっぱりクリエイターが向いているのかなと思うよ」と息子。
「大企業に入れたところで、合わないと思うよ。
そういう場で評価される能力が優れているわけじゃないからね。

履歴で評価される世界じゃなくて、
実力が一番物を言う世界で仕事をしていきたいんだ。

ぼくの強みといえばさ、偏見がないところかなと思うんだ。
物を作っていく上で、いろんなものに偏見を持っているか持っていないかで、すごいちがいが出るよ。
多くの人が、自分の支持する何か以外のものを、
馬鹿にしたり、無視したりして、そこから少しも学べないために、創造性を発揮できないでいるように見えるんだ。
音楽一つにしても、クラシックが好きな人々は、
ジャズやJポップやアニソンをぼろくそにけなして見向きもしないし、逆もある……でも、それは面白いものを作り出していくにはもったいないことなんだ。
学校での人間関係にしても、成績がトップクラスの人たちは、体育界系やオタ系の人を話もしないし、体育界系の人たちは、オタ系や勉強熱心な人に偏見を持っているし、オタ系の人にしたって、他のタイプの人々に話しかけようとも思っていないんだ。

でも、偏見なくいろんなタイプの人たちと話をしていると、それぞれとても面白いし、得るものもたくさんあるんだよ。
そうした自分の得意を生かして仕事をするとしたら、クリエイターになるのがいいって考えているんだ。

こんなものを作りたいってイメージははっきりあって、
そのためにどんな苦労もいとわない覚悟はあるしね。10000時間の法則
っていうのも、その通りだと思うんだ。それだけ時間を努力すれば、必ず作り出せるって思うし、それをやり遂げる自信はあるんだ。どれだけ時間がかかってもね(10000時間の法則というのは、伝説的なプログラマーのビル・ジョイのような人や、ビル・ゲイツや、ビートルズのようなバンドの成功も、「10000時間の努力」と、いくつかのタイミングが支配しているといった考えのことです)」

「そういえば、●(息子)は、無料の何かを作りたいんだったわよね」

「うん、そうだよ。
世の中の人は、結局、それほど身勝手な人ばかりじゃないと思うんだ。けっこう親切というか……。
だからさ、Linuxが無料でソースを提供しても、それで損をしてるってわけじゃない。
本当はビル・ゲイツのような大金持ちになれるかもしれない可能性があったのに、Linuxがそれを無料で使えるようにしているのって、すごいと思って尊敬しているんだ。
それでも、寄付したり、強く支持している人がいるし、
無料で提供したから大損ってわけじゃない。
ぼくもより多くの人が喜んでくれるものを作り出して、Linuxのように無料で
提供したいって思っているんだ。
その上で、ぼくのいろんな夢をかなえていきたい。
すぐに結果は出せないかもしれないけど、やり遂げる自信は絶対あるんだ」

ダンナは渋い顔で聞いていましたが、息子の決意が揺らぐこともなさそうなので、しぶしぶ寝室にテレビを見に行きました。

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共同注視を誘う遊び方2

2010-12-28 18:55:11 | 通常レッスン
教室で使っている『ミラクルファイブ』というゲームについて、
次のようなコメントをいただきました。将棋と五目並べを合わせたようなゲームです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
教室で遊ばせて頂いた ミラクルファイブを
楽天で 1000円で見つけました。送料が
480円かかりますが 良い買い物ができました。

http://item.rakuten.co.jp/toyseltown/4975430014667?s-id=top_browsehist

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<お知らせ>
コメント欄で教室のレッスンについてのお問い合わせをたくさんいただいています。レッスンの予約は数年先まで埋まっているので、新規の生徒の募集は行っていない状態です。
申し込みのコメントは、とてもありがたく読ませていただいていますが、
ご希望に添えなくて、大変申し訳ありません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前回の続きです。

広汎性発達障害の子たちに、「ごめんなさいって言いなさい」「勝手に取っちゃだめ。」「ありがとうは?」「お友だちに入れて~って言ってごらん」など言葉でコミュニケーションする方法を教える方は多いです。
けれども、
非言語の世界の
「場の雰囲気を読み、それにふさわしい行動をとったり、
相手の気持ちを察して、相手を良い気持にさせたりする」といったやりとりは、教えにくい上、こうした子たちは教えてもわからないと
捉えられている場合がよくあります。

けれども、
友だちに親愛の気持ちを行為であらわしたり、
遊びや仕事で協力したり、
視線や身ぶりで気持ちを伝えたり、
他人と歩調を合わせたりといった
広汎性発達障害の子たちが苦手な非言語の世界のやりとりは、

ひとつひとつ成功体験を積むことで、
少しずつですが、身についてくることでもあります。
私は子どもたちの姿を観察しながら、
広汎性発達障害の子たちであっても、
3人くらいまでの少人数のグループで
良い体験を積むことで、
お友だちと程良い関係が築けるようになってくるなと感じています。

それには、療育の場で、友だちと過させるというだけでは足りなくて、
いくつかの具体的なステップが必要だと感じています。

その一番最初のきっかけとなるのが、
ひとりの人に対する好感とか、愛着とか、興味を持つことです。

私は子どもとの間にそうした親しい心の結びつきを作るために、
出会ってからしばらくは積極的に誘ったり、
何かさせようとしたりしないようにしています。
子どもがこちらに心を許すより先に、
子どもをこちらの思うようにコントロールしようとすると、
それだけで、その先ずっと心を閉ざしてしまう場合もあるからです。
広汎性発達障害の子たちは、こうした他人の態度をとても怖れます。

(ケースバイケースで、場合によっては、強行手段に出ることもあります。子どもによって必要は異なります)

そうして、誘わない代わりに、その子にとって魅力的な遊びや行動を
いろいろします。
どういう遊びがその子にとって魅力的かは、
また次の機会にくわしく書きますが、
たいていの場合、親御さんはその子が嫌がる遊びをして、
「この子はブロックをさせようとしても、~しても遊びません」と言ったりします。

広汎性発達障害の子たちは、他人であるわたしの反応が
「わかりやすい」と、私に興味をしるします。
次が予測しやすい人が安心できて好きなのです。

その子がサイコロを振れば、私もサイコロを振るとか、
私が、「そのおもちゃちょうだい」と手を差し出して、もらってから、「あ~げ~る」とオーバーに返すといったことを繰り返すなどです。

そうして、子どもが安心して私とやりとりするようになると、
少しずつ私の行動が私として意味を持っていること、意図があることを
感じさせる行動を増やしていきます。
また、私が見ているものを、子どもも見て面白いと感じるような
場面を作っていきます。共同注視を誘うように遊ぶのです。

次回に続きます。

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共同注視を誘う遊び方

2010-12-28 09:34:44 | 通常レッスン
2つの病院で、高機能自閉症、広汎性発達障害の診断を受けている3歳後半の★くんのレッスンでの話です。
★くんとは、これまでグループでするレッスンに何度か来てもらったことがあります。
人への興味が薄く、他人との関わり方がわからないため、
3歳くらいの男の子が好みそうなミニカーや電車での遊びも
友だちや私といっしょに遊ぶことは困難でした。
面白そうな遊びに
呼んでも来ないか、相手を見ずにいきなりおもちゃを奪い取るとうな乱暴に関わる姿が目立ちました。
そこで、段ボールで壁を作って、お店の窓やビー球をやりとりする穴を
作って、直接人と変わらなくても
遊びが成り立つようにすると、
友だちといっしょに遊ぶことができました。

そうした小さな成功体験は、次の成長の新しい芽になります。

今回は、少し年下の子1人といっしょのレッスンでした。
★くんは、その子も私のことにも頓着しない様子で
ままごとのコーナーに向かいました。
無関心そうに見えても、★くんの中に、こちらに対する興味や親しみが芽ばえてきているのを感じました。
私が面白そうな遊びをしてみせるたびに、
ほんの一瞬、チラッとこちらを見る程度の変化でしたが……。

その後、線路のおもちゃを出してひとりで遊びはじめた★くんは、
丸く線路をつなぎたかったのに、レールが1本足りないことに困惑していました。
「どうしてないの!」と訴えつつ、別のもので代用しようとしてみたものの
気に入らず、「ないない~」と、おもちゃの入っているいくつかの引き出しをかきまわしていきました。
私もそのレール探しに参加して、「ないね~」とやっていると、
以前は私の顔を見ようとしなかった★くんが、
時折り、言葉を発する私の顔をチラッと確認しています。
最後に、意外なところからレールが見つかって、「やったね~よかったね~」と喜び合うと、私の表情を見上げる★くんの顔いっぱいに笑顔が広がっていました。

★くんは、これまで、他の人と視線を共有する「共同注視」ができませんでした。それ以前に、相手の目や表情を見るということもほとんどなかったのです。

それが、ほんの1瞬とはいえ、私の表情を自分から確認するようになったのですから、
次に「共同注視」をうながす遊びができないかな~という期待が膨らみました。

サイコロを転がしはじめた★くんの横で、私もサイコロ代わりに穴のあいた積み木を転がしました。
「あっ、★くんが5!先生は1だ。ざんね~ん」
「あっ、★くん6だね。先生、また1だ。ざんね~ん」とオーバーに残念がっていると、数の多い少ないが少しわかっている★くんは、
私の表情を見て、私の視線の先のサイコロを見て、ふたたび私の表情を見て
キャッキャッと笑うということを繰り返しました。
私が転がすサイコロ(積み木)がいつも1しか出ないことは、
★くんをとても安心させ、楽しい気持ちにさせたようです。
でも、「どうして、1しかでないのかな?」とたずねると、
「わかんない~」と首をかしげていました。
★くんは、数はわかるし、数の大小もわかるけれど、こうした意味を問う問題はとても苦手なのです。

次回に続きます。
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お家で、ものづくり

2010-12-27 18:56:34 | 工作 ワークショップ

科学クラブの小1の男の子がキロボ、角度調節できるマイク、
ブザーのなるイライラ棒、福引のガラガラ、カギのついたちょきん箱などを作ってきてくれました。
作る楽しみを覚えると、毎日、楽しいですね。


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