虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

集団生活になじめない子と過ごすかけがえのない時間 

2022-03-28 20:00:15 | 不登校
 
いきなり個人的な話から入って悪いのですが、わたしは、子どもの頃からの夢だったこともあり、虹色教室の合間に物語を書いています。
これまで3作書いたのですが、そのうち2作は原稿用紙300枚を超える長編になってしまい、字数制限の厳しい新人向けの公募先が見つからず、いつかチャンスがめぐってくるまで家で寝かしておくことになりました。
そうやって物語を書きながら、子育てについて感じたことがあるんですよ。
 
物語を書いていると、書いているうちに、「生む」行為に夢中になって、だんだん何が何やらわからなくなって、どこか客観的に自分の書いているものを見ていない親バカ状態になるんです。
すごくいいとか思っているわけじゃないんです。
わが子だから、どんなだってかわいい!という心境です。
そんなことを考えるうち、実際の子育てでも、そして物語の創作でも、夢中で生んで育てている間、子どもが自立しはじめて、世の中に出ていく準備を自分で始めるくらいまで、それでいいのかな、という感じがしたんです。
 
物語の場合も、書きあがるまでの自分と自分の創作物との蜜月は、一度、誰かに読んでもらう段になると、ぎくしゃくし始め、ゆっくりと終わりを迎えます。
それからは自分もそうした外にある客観的なまなざしで、自分の作品を眺め始めるので、「ここもだめ」「あそこもだめ」とダメな部分も大いに出てきて、欠点を底上げしていく作業に四苦八苦するわけです。
でも、そうやって四苦八苦できるのも、長い親バカな期間がしっかりあったからなんですよ。
とにかく自分の作り出したものが愛しいという気持ちがベースにあるからこそ、そうした厳しさを自分に課せるし、創作物自体がそれ固有の命を持っているかのように私の予測を超えた成長を遂げてもくれるんです。
 
虹色教室の「私も親バカ万歳の1人です」とおっしゃるやんちゃくんのお母さんが、
「ダメなところというかきっと外の世界では?でしょうけど、その時までゆっくり温かく育んでいくことが、外に出た時の力になるのだろうなと思います。
かといって甘やかせば良いのではなくて、その子の力を見くびらないで、接するようにしたいです。
うちの子の中心は輝いています。大切に育つよう見守りたいと思います。」
とおっしゃっていました。
 
その時、うかがった「中心の輝き」という言葉が、その通りだな、と強く心に響きました。
 
教室にはいろんな子が来ていて、まるで台風の目のように、周囲のいっさいがっさいを投げ飛ばしていくような荒っぽいエネルギーを持った子もいるんですが、その中心にはその子固有の命が輝いています。
その子だからこそ、その子にしかない輝きがあるのです。
密にずっとつきあっていると、困らされることも含めて全てが愛おしくなってくるから不思議です。
 
 教室にはいろいろな理由で、(単に時間の調節の難しさなどからの子もいます)グループから離れて、個別で見ている子がいますが、たとえ、最初の理由が「困りごと」を発端にしていても、ひとりの子とじっくり関われるということは、ありがたいことだな、と感じています。
 
先に書いた物語を生み出す過程にも似ていて、その子の存在を自分の世界にいったん取り込み、外の世界から離れた狭い暖かな世界で、育み守っていく期間を持つようなところがあって、子どもと自分の間にまるで親子のようなきずなが生まれることも多いのです。
 そうした閉鎖空間の中で、ただただ親バカならぬ教師バカの期間を経ると、その後で、その子は自分の置かれている外の環境を生きていこうとする力がついているのがわかります。
 
子育て期間で、子どもが他の子や環境と合わなくて、外の世界から引きこもってしまう時期があるとしたら、それはそれで、そうした秘密の庭のような自分たちだけの世界で、子どもと過ごすことが許されている特別な時間でもあると思ってもいいのかな、と教室で個別レッスンの子どもと私だけの至福の時間を味わうたびに、そう感じました。
「許されている」という言葉を使ったのは、たとえ親が望んでも、子どもが新しいチャレンジや同年代の子との関わりを求めて動き出す時には、自分たちだけの世界で遊ばせておくわけにはいかないでしょうから。
 
子どもが、環境にあわない時期は、同時に個性的な才能なり、その子が愛情を注ぐものとの関係なりが、育つ時期でもあります。
 
ですから、子どもが幼稚園や学校で集団活動がうまくいかないような時に、まるで戦地にわが子を送り出すような気持ちで集団に適応することだけを目標にして、親も子も追い詰められる必要はなく、その期間が許してくれる特別な時間を満喫してみるのもいいんじゃないかと思ったんです。
園や学校に通えなくなっている場合はもちろんですが、園や学校でうまくいっていないわが子を見て、やきもきする場合もそうです。
 
そういえば、先日も、「うまくいかない状況」が作ってくれたこんな時間に、子どもも私もふたりで元気をもらいました。
 
その子は昨年まで、他の子の物を奪ったり、他の子に手をあげたりすることが多かったので、ひとりでレッスンに通ってもらうようになった子です。
それで、この1年ほど、親御さんにも席をはずしていただいて、わたしとふたりきりで、ひとつひとつの物事にじっくりていねいに関わることや、想像力や思考力を使って遊んだり学んだりする時間を過ごすようにしてきました。
 
その日も、教室に着くなり、次々と目移りし、おもちゃを出して遊ぼうとするので、
「まず、気に入ったおもちゃをいくつか出してきていいけど、それを見て、こんなものがほしいな、あんなものがあればいいな、と思ったら工作して作ろう」と言うと、
おもちゃをあれもこれもと両手に抱えるように取ってきて、
「セブンイレブンを作ろうよ」
「それからマクドナルドと駐車場のところとダンプカーを作ろう」
と言いました。
 
「それなら町を作ろうか」といって紙工作の道具や材料を用意したところまではよかったのですが、「そうだ、ケーキ屋さんもいるね」「それから公園も作らないと」「それからコンクリートミキサー車も」
と次々と作りたいものが膨らむ中で、
本人は、ちまちまと緑の紙を切って、「草」を作り、その後、灰色の紙もちまちま切って「レンガ」を作って、それまで作ろう作ろうと言っていたセブンイレブンやらマクドナルドなどは、「先生、作っとき」と私に丸投げしようとするんです。
「さぁ、マクドナルド、作らないと」と私を催促します。
思いや言葉と実際にすることとできることの落差のようなものが大きくて、困り感を抱えているのです。
 
それで、「Aくんの工作はAくんが作るんだよ。先生じゃないよ。どうしても難しいところはお手伝いしてあげる。さぁ、お店の形を作る方法を教えるから、ちゃんと見ていてよ」というと、「うん、わかった」と返事はいいものの、目はそわそわと空を動いていて、
「次は、駅を作ろう」
「次は、工事現場作ろう」と作りたいものばかり増えていきます。
私が簡単な工作の手本を見せている間も、新しくひらめくアイデアに夢中で、こちらの手元に注意をとどめておくことはできませんでした。
 
Aくんは、この頃、園であまり問題を起こさなくなったようですが、まだ互いに思いを通わせて遊びを共有するには、もう少し時間が必要なようです。
(虹色教室で、こうした困り感を抱えていた子らは、小学校の2,3年ごろには、友達を大事にするようになり、仲良く楽しく遊ぶようになっています)
 
それで、私は2,3度紙を折って、切りこみを入れたら、建物の形になる作り方の見本を見せました。
すると、「そうだね、そうだね!」と機嫌よく見ていたAくんは、「じゃあ、火山と川と公園を作らないと」と作るものを3つも増やしていました。
 
これでは、一向にらちがあかないので、タイミングを見て、「次から次へと作りたいものが増えているけど、先生に全部作っときっていうのはバツです。
ダメダメダメダメ。Aくんが自分でちゃんと作ってください!」とはっきり言うと、はじめて、気づいたように、ちょっと考え直して、ぼちぼち作りだし、しまいにすごくうれしそうに創作に関わっていました。
というのも、最近、文字の練習をしているので、「まくどなるど」とか「せぶんいれぶん」などの看板を作って、紙に貼り付けると、自分の作りたいものになると発見したようなのです。
また、トラックの作り方を習った後で、荷台に自分がちまちま切り刻んだ紙のレンガを乗せるうちに、だんだんやっていることに興味が出てきたようでした。
 
私が、弟くんにお母さんと公園に行くための地図を描いてあげたことを思い出した様子で、「そうだ、地図を描こう」と言いながら、町にする画用紙の土台に、道や「公園の裏の壁になっている家」(お母さんと私の話を聞いていたんです)や駐車場の車を乗せるスペースを描いて、満足そうな笑みを浮かべていました。
そうして、工作をしあげた後で算数のプリントをする時、本人にすると120%くらいの集中力を注いで、一生懸命取り組んでいました。
 
こうした子どもとふたりだけで過ごす時間というのは、こちらが子どもに教えるだけでなく、子どもの発想や知恵、今超えようとしているものなどが、ごくごくささやかなものでも見えてくるような余裕があるし、そのひとつひとつに感動や喜びというフィードバックをしっかり返してあげることもできるんです。
 
ちょっと話が脱線するのですが、先の「中心の輝き」という言葉を使っておられた親御さんが、
「子供のやっている遊びが一見生産性のない遊びだったりしても、その中に広がりを感じることがあります。
子供の行為の裏に、面白いという感情を感じたり誰かのために一生懸命だったり。
そういうものを感じると、ムダだとか、それをしてくれなくて良いとか、とてもいえなくなります。歓迎されないものであっても」
とおっしゃっていたことがあります。
 
子どもの行為の中に「広がりを感じる」という、子どもとの繊細な関わりは、集団の場ではなかなか叶わないもので、ちょっとそこから引きこもったのんびりおっとりした無駄のあふれる時間の中でこそ、見出せるものかもしれません。
 
たとえば、「看板作り」は、次々思いつくけれど、ひとつひとつに関わるのが難しいAくんが、今、自分ができる力で、自分の思いついたものに一通り関わったという自信を与えてくれる飛び切りの秘策だと思いました。
そこにも広がりがありますよね。
 
Aくんは、絶え間なくおしゃべりしていて、作業の方は亀の歩みで進んでいるわけですが、そうしておしゃべりしながら、いっしょに行動を調整するうちに、次第に自分の言葉で自分を励まして、やらなくてはいけないことに方向を見出す力を蓄えているのです。
それは、算数のプリントをしている最中にわからないところにぶつかるたびに、言葉で自分を導きながら、乗り越えていく姿に垣間見ることができました。
 
環境への不適応は、ある意味「負け」のようで、一度は撤退を余儀なくされることもあるけど、そこに適応している方が優れていて、適応できていないから劣っているとか、適応していることが正しくて、適応していない状況が間違っているわけではないな、と感じています。
そこにある豊かさのようなものを味わう余裕があってもいいな、と。
 
子どもが元気で「そうしたい」という意志を持てば、親がどんなに子どもとふたりきりの時間を過ごしたくても、手を放していかなくてはなりません。
子どもに必要なのは安全な膜で、安全な壁ではないんです。
でも、不適応という機会が、特別な不思議な時間を作ってもくれるのだと感じました。
 
私はそうして教室の子らとふたりっきりで遊ぶ時、お互いを癒してくれ、成長させてくれる魔法のようなプロセスが展開していくのを実感する時があります。

不登校の子の声に耳を澄ます 3

2022-03-24 15:01:44 | 不登校

『学校ってなんだろう』に登場する専門家たちは、学校を、「新しい知識を得、可能性を引き出し、選択肢を広げる場であり、社会性を育んだり、生活リズムを整えたりする意味でも、大事な役割を持っている」とする一方で、次のような意見も付け加えていました。

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学校は一つの学び場に過ぎず、本人が必要とするスキルが得にくい環境なら、他の場所も検討していい(前田佳宏さん)

対話を通じて相手を理解したり、自分の軸、スキルを持って行動したりする力を育めるなら、必ずしも形式的な「学校」にこだわる必要はない (鬼澤秀昌さん)

学校には役割があるものの代替えできないものではない(車 重徳さん)

無理してまで学校に行く理由は何もない。本人が安心できる場所で本人に合った学びができれば良い(政井マヤさん)

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また多くの方々が、学校の教育制度が、約150年間、ほとんど変わらないシステムで続けられてきたことを危惧していました。

そろそろ新しい教育システムへ変えていく時期ではないか、と考えておられました。

確かに、いくら何でも古すぎて、世の中の変化からも、海外の教育法の進歩からも遅れている日本の教育システムが、これから何十年も何百年も存続していくとは考えにくいです。

では、どんな風に変わっていけばいいのか考えを練っていく時、大切になってくるのは、今、不登校になっている子たちの存在なのかな、と感じています。

「学校に行きたくない」という子がいる時、ひどいいじめがあるとか、体罰があるとか、学校の管理が厳しすぎるとか聞くと、それは学校に行けなくもなる、と誰もが納得します。

その一方で、

「友達とも仲がいいし、先生も親切、勉強もそれほど大変でない、でも何となく行けない」とか、

「朝起きるのがしんどい、疲れた、電車通学がしんどい」とか、

「授業にずっと出るのはしんどい。体育や音楽といった好きな教科だけ学校に通って、友達と遊んで帰りたい」

と聞くと、

「甘えじゃないか? 怠けじゃないか? 将来、きちんと仕事に就けなくなるんじゃないか?」と、もやもやを抱えることになるのではないでしょうか?

虹色教室にも、“子ども”というざっくりしたくくりで眺めると、なぜ不登校になったのか、わかりにくい子らが何人かいます。

でも、じっくり一人一人の子と深く関わっていると、わがままという言葉だけで片付けられないさまざまな理由が見えてきます。

 

ある子は感覚が過敏で、繊細すぎて、ちょっとした刺激に圧倒されてしまうため、

ある子はディスレクシア、読字障害のハンディーキャップを抱えているため、

ある子は自分でじっくり考えるのが好きで、丸暗記で学んでいく学習が合っていないため、

ある子はずっと外の世界に合わせる暮らしを続けてきて、燃え尽き症候群の症状が出ているため(一時的に自分自身の内面を育む時間が必要となった)、

ある子はシックハウスのアレルギーがひどいため(学校で症状が悪化し、衝動性が増す)、

ある子はADHDによって、集団で椅子に座って学ぶという活動に、一般的な子の何十倍、何百倍も疲労を感じてしまうため。

そうした子たちは、その子に合った学びを提供すると、きちんと学ぶことができています。

そうした学び方の個性や身体的な特性などによって、知識を得ていく過程では、集団で学ぶのが難しい子たちも、友達を求めます。

友達と関わりながら、社会性や人間関係能力を育む必要もあります。

すると、「自分の好きな教科だけ授業に出る」、「学校は休んでいるけれど、放課後は友達と遊ぶ」と言う形で“登校”することとなります。

子ども側の「学校に行けない」に始まって、新しい学校との関わり方を模索していく中では、次々と課題が見えてくることもあるでしょうし、困った事態にぶつかることもあれば、心配することはなかったと胸を撫で下ろすこともあるでしょう。思わぬ成果もあるでしょう。

こんな工夫によって問題が解決した、とか、さまざまな外部の支援を利用した、とか、時には、子どもを取り巻く社会の暗部に気づくこともあるでしょう。

また、それまでに深い傷を負っている子には、まず心が修復していくまでの長い時間、見守る作業がいりますよね。

そうした時、寄り添う人も子どもも、何一つ前進しているように見えないかもしれません。

でも、「そこで足踏みしていること自体に価値があるのだ」とする精神的なものへのまなざしがいるのかな、と思います。何もしていないように見える時間の流れの中で、子どもも周りの大人も、きっと、深いところから変容していくのだと思います。

みんなに向けてパッキングされた教育を選ばないということは、不安や迷いを抱きながら、恐る恐る暗闇を探っていくようなものです。

他の人の投げかける言葉やまなざしに親も本人も傷つくことも多いはずです。

でも、そうした個別の歩みは、これから教育が変わっていく上で、よくも悪くも貴重な現場の声の蓄積となっていくんじゃないか、と感じます。それぞれの個性と向き合った工夫と努力の結晶ですから。

 

うちの息子は、不登校にはならなかったものの、学校のシステムにはかなり不満を抱いていたようです。

就職の際には、どのような働き方がしたいのか悩み抜いて、自分の個性に合った仕事を選んでいました。

学校が辛い子に知ってほしいこと の中で、就職して三年目に入ろうとする息子の言葉を綴っています。

 

前回までの記事に、★くんのお母さんからコメントをいただきました。

何一つ正解が見つけられない状況の中で、苦しみもがきながら、親としてできる最善を探っておられるのがよくわかりました。

★くんのお母さんも★くんも、今、真っ暗な闇の中にいるのでしょう。

そう思うと、ふと、ル・グウィンの「目をくらませる明かりの中ではなく、栄養物を与えてくれる闇の中で、人間は人間の魂を育むのです。」という言葉をお伝えしたくなりました。

長くなりますが、過去に書いた記事を貼らせていただきますね。

 

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ゲド戦記の著者として有名なル・グウィンの「左ききの卒業式祝辞」という文章を目にして、いろいろなことを考えさせられました。

誰もが一直線に成功を目指して、どのポジションについたか、何を獲得したかで人の優劣を判断したり、人生の価値を品定めしたりするのは、自分の持てるすべてで宝くじを買って、上位の当選を夢みて生きるようなものなのかもしれません。

宝くじが当たらなかった時、手元に残ったくじは、すべて紙屑と化してしまいます。

でも実際の人生では、成功という当たりくじは、親の期待やその時代の世間の見方が与えた幻想で、個人的な生きる喜びを感じることや自分を活かせる場、自分を高めていく機会は、はずれくじだと思っていたものの方にあるのでは……とも思います。

「目をくらませる明かりの中ではなく栄養物を与えてくれる闇の中で、人間は人間の魂を育むのです。」というル・グウィンの言葉が心に響き、ふいに、心理療法士のP・フェルッチのこんな言葉を思い出しました。

「(人生とは)試み、失敗、学習体験、そして成功などから成っている旅。より大きな意味と気づきへの進行形の旅。あるいは旅になり得るもの。」

「人は偶然や、間違いや、思いがけないことからトランスパーソナル・セルフ(生物的構造の中にある中核)を充分に実感することができません。

すべての注意を傾け、役立つものはすべて役立てる系統的なアプローチによってのみ、実感することができるのです。」

P・フェルッチは、境界、執着、所有、競争、死への不安などの上に築かれるわたしたちの通常の自己感覚に対して、トランスパーソナル・セルフにある自己感覚は、存在の純粋な気づきと「すべてのもの」との一体感に基づくものと説明しています。

 

ル・グウィンの「暗闇で生きてください」という言葉が、何について語っていたのか、想像するしかできませんが、わたしたちが「成功」のイメージをフェルッチのいう通常の自己感覚の枠内で設定するなら、ル・グウィンが語る暗闇とは後者の「すべてのもの」との一体感に基づく自己感覚が横たわっているところなのだろうと感じました。

 

暗闇といえば、まだ息子が小学生だった頃、息子の質問をきっかけに、こんな詩を書いたことがありました。

11歳の孤独

 

子どもたちと接していると、どの子にもいえることなのですが、自分の生きている世界や自分自身について深く考えるようになる年がくると、子ども時代の根拠のない万能感は失われていきます。

自分を客観視できるようになるほど、特別でも完璧でもない地球上に数えきれないほどいるちっぽけな自分が感じられるようになるのです。

そうして、身ひとつで、あちこちにぶつかりながら歩いていくことしかできません。

 

でも、そんな小さな存在が、頭の中に広大な宇宙を取り込んで思考していくこと、混沌から自然に立ち現れてくる秩序について気づき、夢想すること、自分の内奥を探っていく孤独な仕事に取り組みだす姿に触れると、人の不思議を思います。

人の中核にあるもの、能力や体験が生じてくる源を垣間見たような心地になります。

 

話が脱線しますが、トランスパーソナル・セルフについての話題が出たついでに、P・フェルッチが教育について述べている言葉をここに書いておこうと思います。

ここに書かれている教育について思う時、ただ、他者に勝利してよいポジションを勝ち取ることを教育のなかで後押ししていくことのむなしさに気づきます。

そこで自分の意志とは関係なく煽られる子どもたちはなおさらです。

成績で評価できるテストに合わせて、子どもの資質を価値づけして、伸ばしたり、無視したりしている現状をどうとらえるべきか、ひとりひとりの人の個性や才能を育んでいくには、どのような考え方を土台に据える必要があるのか、多くの人が、教育について、じっくりと考えをめぐらせていくことを願います。

 

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子どもや生徒のなかにトランスパーソナル・セルフの存在を認めることは、その人のなかの価値あるすべてのものにいのちを与えることを意味します。

本当の意味での教育とは、人がトランスパーソナルセルフへの道を歩むのを手助けすることなのです。

発明の才能、共感、勇気、集中、美の鑑賞、直観力、細部への注意、分析的な考え方や統合的な考え方、身体を通じて喜びを呼び覚ます能力、目に見えない世界への気づきと意識の広がり、苦痛への建設的な態度など、能力や体験はすべて、認知し、刺激することが可能なものです。

このような教育は、もはや単に情報を伝えるだけのものではなく、「ユニバーサル(普遍的)な人間」を呼び起こすものです。

 

『人間性の最高表現』P・フェルッチ 誠信書房 (一部を要約して引用しています)

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上のイラストは、子育て中(特に娘や息子の子育てで、困ったな〜という事態に遭遇した時)に書いた詩につけたものです。↓はその詩です。

ある日の娘 ある日の息子


不登校の子の声に耳を澄ます 2

2022-03-21 06:44:43 | 不登校

『学校って何だろう』に寄せられたどの意見も、確かにそうだとうなずけるものでした。

中でも、臨床心理士の村中直人さんのこんな言葉が心に響きました。

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私は実は「絶対に学校に行かなくてはいけない」とは思っていません。

だから学校に“行かない・行けない“こと自体は、何も悪いことじゃないと考えています。

そして私は、学校に行くことよりも自分で学べる人になることのほうが、これからの時代を生きる子どもたちにとってとても大切だと思っています。

(中略)私は、これからの学校は、「一人ひとりの学び方を尊重できる」ようにならなくてはいけないと思っています。

(『学校ってなんだろう』ソクラテスのたまご編集部 編 P35  P36)

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村中直人さんによると、学校というのは、必要な学習カリキュラムを提供してくれる世の中にとって大切なシステムではあるけれど、100年前からあまり変わっていないため、さすがに古くなって時代に合わなくなっているそうです。

だから子どもたちに向けて、

いまの“学校”に違和感や問題点を感じたら、ぜひ「もっとこうして欲しい」と声をあげてください。

あなたが学校に合わせるのではなく、学校があなたの学びに合わせてくれる未来がきっとやってきます。

と声をかけておられました。

村中直人さんの「学校に行くことよりも自分で学べる人になることのほうが、これからの時代を生きる子どもたちにとってとても大切」という言葉を目にして、

★くんは自分で学べる子であり、今、★くんが学校に行くのが辛くなっている理由が、学校というシステムが、決まったやり方で決まった役割を子どもに押し付けるばかりで、子どもの中には、受動的に教わるよりも自分で考えながら学ぶ方が頭に入りやすい子がいたり、自分で学習計画を立てて進めたいと思う子がいたり、どの子にとっても自学する力を鍛える機会が必要だろうという想像力とか余白とかいうものがないからだとしたら‥‥‥それってどうなんだろう?と感じました。

ふと、かつて大学生だった息子と、学校のあり方についてこんな話をしたことを思い出しました。

(会話の記録を過去記事の中でアップしていました)

長くなりますが、よかったら読んでくださいね。

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息子 「学校が無作為に40人前後の人を集めて、人と関わる力を育てようという設定自体が、あまりに雑な対応で、無理があるよな。

もし、人に自分の思っていることを伝えたり、他人と協調して何か成し遂げていく力を育てるなら、同じ趣味を持ってる者同士とか、好きなものややってみたいことが重なる者同士とか、議論や会話や思いがそこそこ成り立つ前提と人数で、もう少していねいにそういった力を育てようとするべきでさ。

小学校の頃は、せめて、3年生までと4年生以降で、クラスの組み方を変えてほしいと思っていたな。

 授業中は教科書を先に進んでもだめだし、わからないからと戻ってもだめって決まりが絶対だから、結局、クラスで最も理解が遅れている子のペースに合わせることになる。

そうしたことを6年間続けていて、学力にしても人間関係能力にしても、それだけの犠牲を払うほど何か得られるのかっていうと、疑問だな」

 

わたし 「確かに、海外在住の方が日本の学校を見学してまわった後で、今の小学校のあり方は、だれにとっても幸せではない、子どもにとっても先生にとっても。だれにとっても、実りの少ないものになっているって感想を言ってたわ。でも、改善するのは難しいわよね。A(息子)は、どんな方法を取ればいいと思うの?」

 

息子 「子どもの個性を大事にする教育と銘打って、どんなに公教育を改善しても、4,50人の生徒を無作為にひとところに押し込めて、急激に成長する時期にいつまでも同じスタイルで教育しようとしている限り、難しいよ。

そんな風に足し算しようと無茶するんじゃなくて、引き算の発想で、同学年の子全員に必要だと思う教育部分を減らして、午前中に基本の授業を終えたら、午後は、公民館、図書館、小さな学び舎などさまざまな学習の場を国が支援して、子どもの好みや学びの段階や学び方に合った教育をするとか、そうした選択をする人も認めるとか、週の半分くらいは自由選択の部分を作るとか。

子どもってだけでひとくくりにして、能力のちがいや好みのちがいや身体的なものや思考のちがいまで、ざっくりと大雑把にしか子どもの教育をとらえていないんなら、1から10まで自前でコントロールしようとするのをやめた方がいいんじゃないかな?」

 

わたし 「お母さんもそう思うわ。それに、教室に来る親御さんたちも、学校に対して、そうした考え方をする人が多くなったのを感じる。

というのも、勉強は2学年ほど先までできるし、友達も多い、社会性も育っている、でも、学校が苦痛で、学校に通えない、というこれまでと異なる不登校の子を教室でも何人か見るようになった。

不登校まで至らなくても、予備軍と言えるような同じ訴えをする子らが増えている。

支援級があるからかもしれないけど、勉強がわからないから学校に行きたくないという子は聞かなくなったけど、勉強が簡単すぎて、授業が苦痛でたまらないから学校に行きたくない、という話はよく聞くようになったわ。

学校がなくなればいいとまで思わないけど、共通に学ぶのが半日なら喜んで学校に通えるような子を不登校に追い込んでまで、今のあり方にしがみつく必要はないと思うわ」

 

息子 「学校はどうあるべきか、どんなに話しあったって、それはある子たちにとっていいあり方で、別のある子たちにとっては最悪のあり方かもしれないじゃん」

 

わたし 「そうよね」

 

息子 「周りが就活をするようになって、会社側は、何をやりたいのかという目的意識をしっかり持っているかどうかを求めてくるのを感じてさ。

学校で詰め込むような知識にしても、まず、先にその目的意識ありきで、そのために必要な知識を持っているかという順で見られるよ。

それで、ふと、小学校の読書感想文のコンクールなんかで、そこでなぜ賞を与えるのかってことについて考えたよ」

 

わたし 「どうしてだと思うの?」

 

息子 「小学生なのに、文才があるとか、こんなことができてすごいってことじゃないなって。それだけが目的の審査員はダメだと思う。

なぜ、それがすごいのかといえば、小学生の時点で何かしらに興味を持って、それがパクリでもいいから、自分なりの解決策を探ってみる、という一連の流れを学ばされるための賞じゃないかと考えてさ。

小手先のテクニックを教えて、賞を取りまくっても、あんまり意味がないよね。

やっているうちに、自分の中にやりたいことが明確化されていくことが大事でさ。」

 

わたし 「わかる、わかる。お母さんも、教室の活動の中で、一番大事にしている点だから。お母さんがこういう風に子どもに能力をつけさせよう、作り上げよう、何かを目指させよう、とするんじゃなくて、いっしょに、手や頭を使って、いろんなことをやってみるうちに、心の底から自分がやりたいと思うものは何かが見えてくるし、それに一歩近づけるのよ」

 

息子 「そうだよね。お母さんの教室は、自分の興味から、自分のこれからの方向性をつかんでいけるようにって工夫してるしね。そういうの、どの子にとっても大切だと思うよ」

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「子どもってだけでひとくくりにして、能力のちがいや好みのちがいや身体的なものや思考のちがいまで、ざっくりと大雑把にしか子どもの教育をとらえていないんなら、1から10まで自前でコントロールしようとするのをやめた方がいいんじゃないかな?」という息子が大人たちに向けて投げかけた疑問は、大学受験を前にして、自分にとって必要な学習をする時間が取れずに焦り、疲弊していく★くんの「10のうち1でも2でもいいから、僕に自分で学ばせてよ!」という切実な気持ちと重なるのじゃないかな、と思いました。

不登校の子の声に耳を澄ます 3 に続きます。

(上のイラストは、周囲の期待に応えようとがんばるうちに、自分を見失い苦しんだ若い頃の私の詩につけるため描いたものです。★くんが環状線から降りること、それは脱落ではなく、再び自分の意志で乗りなおすか、別の線に乗り換えるのかの撰択に繋がっていると思っています。詩はこちら↓)

『環状線』

 


不登校の子の声に耳を澄ます 1

2022-03-20 10:35:55 | 不登校
 
先日、こんなコメントをいただきました。
 
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長い間ご無沙汰しています。小学生のときお世話になった★の母です。(九九タワーの発案者?です)以降もずっとブログを拝見しておりました。
先生が予言されたとおり中学3年になったとたん猛烈に勉強を始め、無事希望の高校に入学しました。今年高3になります。順調に学校生活も進んでいたのですが、最近「学校は疲れた。朝早く起きて電車通学して、つまらない授業を受けて、緊張して」と言いだし不登校になりました。「受験勉強がしたいのに毎日学校へ行くと疲れて、何もできなくなる。そもそも朝なぜそんなに早く起きなければならないの?塾の自習室で勉強したほうがいい。でも高校卒業しないと大学へ行けないから卒業はする。学校は体育をしたり、友達に会ったり息抜きをするところだ」これが彼の主張です。
奈緒美先生はよく息子さんと人生の話をされていらっしゃいましたね。最近よくそれを思い出します。息子さんが大学受験のとき、友達とキラキラ語り合っていたことも思い出します。まさか、ここにきて、息子が不登校になるとは。
学校は○○高校、といって、息子にはもったいないほどの進学校です。進学校なのに校風は自由で、宿題もありません。でも、とても疲れるのだそうです。時間の拘束や集団授業など。でも私は学校を中退というのは避けたい。ただ、毎日行けないのなら、もう他に方法がないのか、すこしずつ話し合いながら、家族で考えていこうと思います。
コロナ休暇が長い世代であったのも災いしています。学校がなくても友達と連絡を取り合い、自学自習をしながら楽しそうでした。学校っていったい何なんでしょう。
 
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★くんのことはよく覚えています。
出会ったのは★くんが幼稚園の頃。
外から見えない空洞の中をビー玉が滑っていく通路を作るのが大好きでした。
まだ小学校にも上がらない子が、何度も何度も改良を重ねながら、真っ暗闇を駆け抜けるビー玉コースターを、作り続けていた姿が目に焼き付いています。
 
★くんは、じっくり時間をかけて深く思考する男の子でした。
算数が好きで、ただ問題を解くだけでなく、創造性を発揮して、その本質を探ることに夢中になっていました。
 
以前、虹色教室で、「九九タワー」という、九九をデュプロブロックで表現する遊びが流行ったことがあります。

九九タワーが流行っていた頃の記事です↓
夏休み向けの『難問 算数クラブ』

そのすばらしい数学的な建造物の発案者は、小学生時代の★くんでした。
 
そんな★くんが、不登校になったいきさつを伺って、胸が痛みました。
学校に行けなくなるまでに、★くんは心身ともに疲れきっていたのでしょう。
不登校を選択してからは、罪悪感、周囲への言い訳、家族の思いへの反発心、自暴自棄になる気持ち、未来に対する漠然とした不安など、さまざまな思いが渦巻き、ほんの少しの間も、ほっとリラックスしたことがないのかもしれません。
 
そんな時は、身近な人のアドバイスも、愛情も、期待も、心をザワザワさせる雑音でしかないのでしょう。
 
家族にすれば、★くんの「学校へ行きたくない」発言は、まさに晴天の霹靂だったことでしょう。
皆が羨む進学校に在籍し、その学校は校則も自由で、宿題もない。親しい友達もいる。勉強がついていけないわけでもない。どうして、いきいきと学校に通い、友達と楽しげに語りあわないのか。
卒業まで、あと少しだというのに、我慢できないのか。
それは、わがままじゃないか、甘えではないか。
そう感じても無理ありません。
 
でも、わたしは★くんはとても我慢強い子だと思うし、(だからこそ難関高の入試で成功したのでしょうし)★くんの主張は、じっくり耳を傾ける価値があると思っています。
(その話は続きの記事の中で、時間をかけて書いていこうと思います。)
 
颯爽と凛々しい姿で学校に通う★くんも素敵なら、不登校になって、葛藤を抱えて学校に通う意味を自問していく★くんの姿も、何ものにも代えがたく魅力的なものに映ります。
 
とはいえ、このまま高校中退というのは避けたいですよね。
通信制の学校に籍を移して、卒業に必要な残りの単位を取って、大学の受験勉強に励むのか、なんとか自分に鞭打って、卒業に必要な日数だけでも今の学校に通うのか、など、★くんと一緒にこれからの進み方を探っていけたら、と思います。
 
ただ、今しばらくは、そうした家族での話し合いは、他所に置いて、★くんが自分の気持ちを感じ取り、自分の本当の思いを聞き取れるように、自分の可能性や将来について真剣に自分と語り合えるように、満足するまで時間を与えてあげるのがいいかな、と感じました。

周囲の大人は、今何もせず、何も考えず、★くんが自分の内面の声に耳を澄ませ終わるのを待つべきだし、★くんが語り出したら、それを終わりまで自分の意見を挟まず聞くべきと思っています。これからどうするかは、そのあとだと思っています。

 
コメントの中に、「学校ってなんでしょう?」という問いがありました。
わたし自身も学校という名のつくところに通っている間も卒業してからも、何度考えたかしれない問いです。
今回のコメントをいただいてから、他の人々の意見が知りたくて、専門家たちの声を集めた『学校ってなんだろう』という本を手に取りました。
 
 
(上のイラストは、息子が親や集団とは異なる自分自身の心の声に耳を傾けたり、自分の価値観を形作っていこうとし始めた時期の姿を詩にしたものにつけるため描いた絵です。↓詩はこちら)


授業参観での出来事

2017-06-13 22:23:42 | 不登校

ウルトラマンの戦いシーンが作りたいという小2のAくんの作品です。赤いビームが相手に当たるようにしました。

 

写真と下の文章は関係ありません。

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3年生の子の授業参観に行ってきた親御さんから、こんな話をうかがいました。

わり算の導入の授業だったのですが、9÷3について

考えさせるために10人の子を当てるものですから、

間延びしすぎて見ている大人も何が何やらわからなくなってしまった、

とのことでした。

少しして海外に出かけた時、現地の学校を訪れたところ、

日本よりずつと遅れていると思われてきた国だけれど、

授業が驚くほどいきいきしていて魅力的で、子どもたちも夢中になって

よく頭を使っていたとお聞きしました。

 

教室で子どもたちの勉強を見ていると、参観日だけでなく、

「みんなで足並みそろえること」や

「わかっていても自分の思考の筋道を無視して、先生が指導する通りになぞるように答えること」

に気を取られるあまり、

勉強というものが、「考えてはいけない」ものになっていくケースが、まじめな子ほどあるのです。

 

「考える」ためには、ただ公式をなぞるのではなくて、

自分の体感でそれがよくわかっていて、それを土台にして、自分の頭で考えていける、

ということが大事なはずです。

 

日本と海外、2つの参観日を覗いてみた親御さんは、日本の将来がとても心配になったそうです。