虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ハートキャッチプリキュアごっこ と 声優さんから涙のコメントが届いた話

2012-08-31 12:56:15 | 幼児教育の基本
今日は新しい記事を書く時間がとれないので、以前、ハートキャッチプリキュアの声優さん(本人)と名乗る方から、
涙のコメントが届いた出来事を紹介させていただきます。
 
きっかけは次の記事。
 
『ハートキャッチプリキュアごっこ』
 
 
 
年中さんの女の子たちのハートキャッチプリキュアごっこ
に付き合いました。
年中さんともなると、設定が細かくて
面白いです。
最初に、女の子3人で、
何の役をするかでもめていたものの、プリキュアたちの役ともうひとつふつうの人間の役の設定がいるそうで、
お母さん役が決まったあとで、「私、小学生をするわ」という子、「なら私、小学6年生をする」という子。

負けじと、ただの小学生から、「じゃあ、私も5年生にする」と修正する子。

すると、お母さん役の子が、
「小学2年生になったら、ひとりで学校に行かなくちゃダメで、帰りもそうなのよ。泣いたらダメだし、それと、登校班なんだから」
と、小学生役の子を、
ちょっとうろ覚えな小学生情報で諭してしました。

「先生、悪いのの役してよ」とせっつくので、
「イヤよ!悪者なんて!
先生は、スーパーにお買い物に行ってる途中で、財布を見つけて、
拾おうとしたら、財布から煙が出てきて、それが怪物だったから、
ハートキャッチプリキュア!助けて!って叫ぶおばさんの役ならするわ」
と言ったら、「それして!」と大喜びです。
そして、私が、かごを手におばさんの役をし、財布を見つけたふりをして、
「あ~煙が!助けて、ハートキャッチプリキュア!」と呼ぶと、
3人が飛んできて、「エイ!エイ!エイ!」と、
ビームのようなものを出してやっつけてました。

それが、えらくあっさりした戦闘シーンなんですよ。
殺虫スプレーを虫にひと吹きって、感じにしか見えないんだけど、
「えっ?もうやっつけたの?」というと、
「そう。ねぇねぇ、先生。スーパーにお買い物に行ってる途中で、財布を見つけて、拾おうとしたら、財布から煙が出てきて、それが怪物だったから、
ハートキャッチプリキュア!助けて!って叫ぶおばさんの役してよ~」
と、やたら細かい設定まで覚えていて頼んできます。
そこで、
「会社に行こうとして、電車に乗ったら、
駅にカバンを置き忘れたことに気づいて、戻って、カバンを持とうとしたら、煙がモクモク出てきて、カバンが怪物に変身して、ハートキャッチプリキュア!助けて!って叫ぶお父さんの役ならするわよ」
と言うと、
大うけで、おなかを抱えて笑い転げていました。

社会のこととか、人の生活とか、
年少さんの頃にくらべて、観察力や理解力がアップしていて、
いろんなシチュエーションを考えるのが楽しくてたまらないんですよね。
その後、3人は、
さまざまな「くどいシチュエーション」を考え出しては、
笑いこけ、相変わらずあっさりした「エイ!エイ!エイ!」という戦闘シーンでした。

そういえば、この子たち、数ヶ月前に、おもちゃのキャリーバックを引っ張りながら、海外旅行ごっこをしていました。
そのときは、空港のロビーで、
携帯電話で、ホテルに空き状況をたずねると一杯だと言われ、
いろんなところに電話をして、事情を説明して泊めてもらおうとする設定で遊んでいました。
てっきり旅行慣れしているのかと思って親御さんにたずねると、
海外に行ったことはないのだとか……。
この時期の子たちの世界観……面白いです。

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その後、先の記事にプリキュアの声優さん(?)からコメントが届き……。
 
 
先に紹介した記事に、web拍手のコメント欄で、
声優?さんらしき方からコメントが……

ひどい・・・・・。 by プリキュアの声優(本物)

……ごめんなさい。
プリキュア、一度も見たことがないので、
こちらもあまり見たことがないうろ覚えの『地獄先生ぬーべー』(古すぎ!)の
イメージで遊んでました。

娘と息子に記事をチェックしてもらったところ、
「最悪……そりゃ、怒るわ~」
「これはヒドイ……これは、ないで……」
と大受け。

プリキュアファンの皆さんも、ごめんなさいね。

とりあえず、web拍手のボタン押した後での、コメントですし……、
プリキュアの声優(本物)さんが、
あんまり怒ってないことを祈っています。

4歳児さんたちのおしゃべり  5歳児さんたちのものがたりの算数

2012-08-31 12:44:28 | 幼児教育の基本
4歳児さんたちのおしゃべり。

★くんが、「ぼくが生まれる前にねぇ、お父さんとお母さんが結婚したんだよ」と、すごいでしょっ と自慢するように言いました。

それを聞いた☆ちゃんが、ちょっとあやふやに、
「あのねぇ、うちのお父さんとお母さんは私が赤ちゃんのときに結婚したよ(たぶん……という様子)」と言いました。

それを横で聞いていた●ちゃん。
「じゃあぁ、赤ちゃんだったけど、結婚式のときはお留守番してたの?」
と心配そうにたずねました。

考え込む☆ちゃん。

「だったらさぁ、いっしょに連れてってもらったらいいんだ。結婚式に」と★くん。
一同、そうそうその手があった~!とほっとしてから、大笑い。

「ウェディングケーキを作ろうか?」とたずねると、
「ケーキを作りたいけど、ウェディングケーキはいや!」と☆ちゃん、●ちゃん。
「なら、お誕生日ケーキ?」
「そんなのいやー!」
そう言いつつも黙々とケーキの飾りつけをする子どもたち。
「だったら、ぐりとぐらが森の中で焼いたケーキにする?」とたずねると、
「そうするー!!」「わたしもそうする!!」「ぐりとぐらのケーキがいい!」
と元気いっぱいの返事が返ってきました。
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想像力と創造力がとっても豊かな年中さんの★ちゃんと年長さんの☆ちゃんレッスンです。

「お話を聞かせて!」と言うので、

算数に関わるお話を即席で作って、ふたりに質問を投げかけてみました。

 

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<ものがたりの算数>

ある日のこと。

クッキーがたくさん、たくさんあったのよ。

先生が1枚食べてみると、まだたくさんあったわ。

もう1枚食べると、まだたくさんあったの。

それでね、もう1枚、もう1枚、もう1枚、もう1枚って食べて、しまいに9枚食べたらね、

びっくりすることが起こったの!

クッキーが少ししかなかったのよ!!!

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この話はふたりに大受けで、

ついでに「少しって何枚くらいだったと思う?」とたずねると、

なかなか抜け目のない答えが返ってきました。

「だって最初に何枚だかわかんないと、どれだけ残ったかなんてわかんないわよねー」と★ちゃん。

「ねー」と☆ちゃん。

「初めが100枚だったら?」とたずねてみました。

「ええーっ!!」と★ちゃんはびっくりした声をあげてから、疑り深い口調になって、

「それね、1枚、1枚って食べても、少しになるの?」とたずねました。

「おっかしいよねー」と☆ちゃん。

正確に答えがわかるわけではないけれど、

100という数の食べ物の量と、それをある程度食べてもたいして減らないという経験があるようです。

「じゃ、最初が10枚だったら?」とたずねてから、10の指を見せて1本、1本折り曲げて9枚分曲げると、

ふたりとも当たり前のことを聞く……とふんがいしたように、

「それは、す、こ、し、でしょー!」と言ってから、ちょっと自信なさげになって、

1が少しなのか、ただの1なのか

ふたりで相談していました。

 

そんな算数のお話をした後で、足し算、引き算の文章題をいくつか出すと、

ふたりともとても喜んで解いていました。

 

最後にもうひとつ <ものがたりの算数>

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魔法使いがいてね。

1枚のクッキーに魔法をかけました。

ちちんぷいぷい~エイ!1枚のクッキーたくさんになあれ。

(エイのところで、クッキーをたたくまねをします)

ほらね。こまごましたかけらが、いっぱいいっぱい。たくさんのクッキーになったわよ。

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この話にお腹がよじれるほど笑っていた★ちゃんに、

「本物の魔法使いじゃないから、しょうがないわ。こんな魔法でも。

だって、この魔法使いは魔法使いの格好をしていた☆ちゃんのお母さんだったんだもの」

というと、今度は☆ちゃんも涙が出るほど笑っています。

 

そこで、「でもね、たくさんのかけらはあっという間になくなったの。

なぜだと思う?」とたずねました。

 

いつも奇想天外なストーリーを思いつく★ちゃんが、「そりゃあ、

どろうぼうが持ってったってことも考えられるけど、

あんまりそういうことはないわね。

どろぼうはあんまりこういうところにいないから。

アリかもしれないわ。アリはちいさいけど、みんなで力を

あわせてうんしょうんしょって

運ぶこともあるんだから。

それと誰かがたべたのよ。子どもとか。

でも、先生。これはうその話?本当の話?」

「うその話」

ふたりは笑いながら、「うそなんかついたら、本当にあったことかって信じちゃうじゃない」

「そうよ。わたしのお母さんが魔法使いの格好していたって、本当かと思っちゃう」

「あら、でも、絵本のなかのものがたりはうその話もあるわよ。

先生のするお話は算数のものがたりだから、作ったお話なのよ。

ね、ふたりとも絵本にでてくるクマやうさぎがおしゃべりしていろんなことをする話は

本当の話だと思う?」

「ちがうよ。それはうその話だよ」と★ちゃん。

「でも、クマやうさぎがおしゃべりする話は、どれもみんなうその話なのかな? それとも、ほんのちょっぴりは

本当に話もあるのかな?」と聞きなおすと、

真剣な表情で考えていて、「やっぱりおかしいもん。きっと全部、うその話」「そうそう」という返事が

返ってきました。

 

わたしが、「うそのお話を考えるのもなかなか難しいよ」と言うと、

★ちゃんが、「そんなことないよ。うそなんか誰でもかんたんかんたんにつけるんだから。

幼稚園の◎くんだって、いっつもうそつくんだから」と言いました。

「どんなうそ?」

「きのうきゅうしゅうに飛行機で行ったっていうんだよ」

「きゅうしゅうでは何を食べたの?」

「ラーメン!」

「それは、凝っているうそねぇ。でも、本当にうそをつくのって簡単かな?」と

たずねると、★ちゃんの次のような返事が返ってきました。

「うそなら★も簡単につけるよ。あのね、きのう、くつやさんに行ったらおばけがいたの。

そのおばけのなかには、☆ちゃんが入っていて、☆ちゃんの中には奈緒美先生が入っていて、

奈緒美先生のなかには、★のお母さんが入っていて、

★のお母さんの中には☆ちゃんのお母さんが入っていたのよ。ほーらね、

うそついたわ」

「面白いうそね。なかにはいってるってどんな風に?」

「マトリョーシカちゃんみたいに。パカッと開けたら、どんどん小さくなっている人が

入ってるのよ」

 

それは、なかなか魅力的なうそですね……。

こんな風に★ちゃんは、お話を考えるのが大好きで、

☆ちゃんは、一日がどうして24時間なのかとか、宇宙や星のこととか、時間の流れや天体の動きや

身の回りのありとあらゆることが不思議でならない子です。

☆ちゃんとそうした話をしていると話が尽きません。

いつも遊んでいる仲良しさんのふたりですが、

興味を持つことや、理解する内容がずいぶんちがっています。

子どもの個性って面白いなとしみじみ感じます。

 


「小さな要求」をかなえることで、わがままな態度が減ってきます

2012-08-30 14:25:39 | 幼児教育の基本
☆わがまますぎる要求にどう対応すればいいでしょう?
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子どもが無理難題を突きつけてくる、
無茶な要求が多いという場合、

叱る、無視する、といったその場限りの対応でなく

「積極的な対応」をして、
子どもの気持ちを満たす「小さな要求」には、
毎回きちんと応えてあげるように
つとめると、わがままがどんどん減っていくことがよくあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
と書いた部分に、

「小さな要求」をかなえるって、具体的にはどのようなことをすればいいのですか。

という質問をいただきました。
大人、子ども関わらず、いつも自分の気持ちや要求がないがしろにされていると、あるとき我慢の限界が来て、
常にイライラした態度になったり、激しく攻撃的な態度になったりしますよね。
日ごろ、気持ちが満たされている子は、
気持ちが急変したり、無理な要求を通そうとして泣き喚くことは少ないです。
(反抗期、真っ最中の子と、発達障害によって何かの原因がある場合は別です)

「小さな要求」というのは、「お菓子ちょうだい」と言われて、おやつ以外の時間にあげるとか、
金額の安いものなら「あれ買って」と言われたら買ってあげるというたぐいのものではありません。

たとえば、子どもが大人からすると間違ったことを言ってごねているとき、
「それはちがう」とか「こうよ」とか言って
すぐにダメ出しをするのではなくて、
子どもの発言を言葉のままきちんと受け止めてあげるといったことです。

子どもは自分がいつも間違ってばかりいる悪い子になりたいのではなくて、
(親に指摘されると、そう信じ込んで、悪い自分しか表現できなくなるので)

今も良い子で、
これからもっと良い子になるために大人の意見も受け入れる
という形で、感情の嵐をおさめたいのです。

負の感情がたまっているときは、それに呑まれて
不安定になっていますから、大人に認められて、感情がおさまるのを待ってもらって、抱っこして安心させてもらいたいのです。

そうした子どもにとって正等で「小さな要求」をきちんとかなえてあげていると、
わがままを言い続けなくても、
安心して自分自身とつきあっていけると感じて
反抗期を終えて、成長するにつれて、
笑顔が多くなり、素直で優しい態度が育ってくるのです。

ただ何度も書いていますが、子どもは個性的です。
マニュアル通り
ああすれば、こうすればうまくいく~という具合にはいきませんよね。

「小さな要求」って言葉が微妙にわかりずらいですよね。

子どもがあれこれ言ってくるとき、親にすれば、「今はダメ」
「それは今度にして」「まだ無理」と否定的な言葉で返してしまうのですが、
「~~がしたいんだね」と要求が何であれ
とりあえずきちんと聞いてもらうだけで、
半分くらいは要求がかなったのと同じ気持ちになって
落ち着くときがあります。

抱っこしたり、褒めたり、喜び合ったりすることも、
子どもの心を満たしますよね。
できそうもないことをやりたがるとき、少しだけやらせてあげるか、
きちっと見本を見せてあげるのも、
子どもは自分の要求が満たされたと感じます。

セロテープを使う、えんぴつをけずる
といったことを子どもはやりたがってぐずぐず言うときには、
「あぶない」「できないよ」と決め付けず、

「テープ台をしっかりおさえて~
ここが危ない所だから、よーく見て、
テープを引っ張って、少しななめにしてピッと取る」

「えんぴつけずりの背中のところをしっかり手でおさえてね。
ここの間に手を挟むとあぶないよ。
気をつけて、ハンドルをぐるぐるまわす」

といった具合に、ひとつひとつの動作のポイントと、
危ない部分を説明しておくと、
子どもは真剣な表情で取り組むし、
気持ちが満たされてきます。

生活のさまざまな場面で、十分気持ちを満たしてあげると、
無理な要求はだんだん減ってきます。
子どもの要求って基本的にはかわいいもので、
その都度、気持ちが満たされるように対応したとしても、それほど時間も手間も取られないものです。
とてもエネルギーがある子の場合でも、一時期振り回されたとしても、それにどっぷりつきあっていれば、
いつの間にか、自発的で、がんばりやで意欲的な子に変身していることも多いです。


お母さんが持っている困り感と子育て 6

2012-08-28 08:53:51 | 教育論 読者の方からのQ&A

このところいくつかの締め切りのある原稿を抱えているので、記事の更新を少なめにさせていただいています。

毎日楽しみにしてくださっている方、申し訳ありません。ロボット化する子どもたの記事の続きは、まとまった時間が取れた時に

書かせていただくことにします

 

次のようなことを書きました。 

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自ら「困り感」を持っているお母さんの場合、どんな状況でも

(本当は無数に選択肢があるはずの場面で)

「自分のなかにある2つの選択肢のうちどちらかを選ぶ」という行為に

固執しがちなのが、

子どもの言動からストレスを受けやすかったり、

子どもとの関係が悪循環に陥りやすい原因なのかな、と感じています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

子どもに向かって常に白か黒かふたつの選択肢を押し付けていると、

知らない間に、

「話してはダメ」「感じてはダメ」「自分を信頼してはダメ」「質問してはダメ」「考えてはダメ」

というルールまで押し付けてしまうことがあります。

もちろんお母さんにすれば、そんなつもりはさらさらないはずです。

 

最初からお母さんの心に「こうであってほしい」「こうしてほしい」という思いがあって、

その思いが余白の少ない枠にはまったものであればあるほど、

子どもにすれば「やるにはやるけど、こういう風にしたいけど」「するのは嫌じゃないけど、先に自分のしたいことをしてからしたい」

といった自分の思いがふつふつと湧いてくるはずです。

 

そこで、お母さんに何か言っても、

言葉で言いあいになると、「理路整然と大人側の正しさを説明されておしまい」となったり、

いつまでも「こう言った」「ああ言った」と言葉にこだわってぐちぐち言われたりすることが重なると、

子どもも「嫌だけど、やらなくちゃならないことだし仕方がないな」と妥協する態度がなくなって、

無言でプイッとどこかに行って、

「やらない」ことを選択するようになりがちです。

 

その場その場の状況や子どもの状態、出来事の流れなどを判断材料に入れずに、

「正しいか間違っているか」「理想的か、そうでないか」といったことを

言葉だけで白黒つけて説明されたら、

それに口を挟むのは至難のわざです。

すると子どもは、白黒の「黒」ばかり、するしないの「やらない」ばかり選ぶ癖がついてしまうのです。

 

その場の空気というか場の状況や子どもの状態、出来事の流れなどを読みとることが苦手だ、

とおっしゃるお母さんは、

2歳児にもくどくどと説明してわからせようとしているのを

見かけます。

言葉だけに頼るのはほどほどにしないといけませんね。

 

それでも、状況にある無数の選択肢なんて想像がつかないし、

どうしても「自分のなかにある2つの選択肢のうちどちらか選ぶ」しか

できない、という方はどうすればいいでしょう?

 

2つの選択肢に偏りがちな自分の思考を自覚して、

もうひとつだけ白でも黒でもない玉虫色の選択肢を用意しておく、

ということが大事なのかもしれません。

はっきりしない「この問題は保留にしておく」といった結果に終わっても、

「うまくいかなかった」「失敗した」「悪い未来が待ち受けているのではないか」といった

不安な精神状態に陥らず、

「白黒どちらでもない」という3つ目の選択肢を今選んだんだ、と考えて、

気を落ち着けることが大事です。

 

3つ目の選択肢のバリエーションには次のようなものがあります。

 

★ 子どもの言い分に耳を傾ける。

しっかり話を聞いて、

発言する自由を与えてあげる。受け入れる、受け入れないに関わらず、

すぐに大人の言葉で評価をくださない。

 

★ 別の視点から眺めてみようと努力してみる。

 

★ これは絶対、今でないといけないことか、考える。

少し時間が経ってから、別の機会に

させることにする。

 

★ お互いに妥協できる点を模索する。

 

★ 第三者に協力してもらう。

 

 


おりがみでつくる IQアップ 教材集

2012-08-27 14:39:07 | 教材作り

☆ 3歳から遊べる手作り将棋


☆ 簡単!おりがみで作る「九九でビンゴ」


☆ピグマリオン2~3年生用の問題から、折り紙パズルを作りました。


☆ ピグマリオン2~3年生用の問題から、折り紙パズルを作りました。 2



お母さんが持っている困り感と子育て 5

2012-08-27 06:19:17 | 教育論 読者の方からのQ&A

お母さん自身が困り感を抱えて子育てをしている場合、

子どももまた困り感を抱えているのか、抱えていないかで、

問題のこじれ方も解決法もずいぶん異なることと思います。

 

今回は、子どもは、ごく一般的な子で、特別な困り感を抱えていない場合について

書かせてください。

 

お母さん自身が「困り感」を抱えていると、

その場その場に柔軟に対応するより、自分がその時にこだわっている何かに

フォーカスして、子どもをコントロールしようとすることが増えます。

 

すると、子どもはやりたくないことがあるとプイッと無言でその場を去ったり、

他の人がいて注意しにくい場面に限って、それもお母さんが最も気にかけてきちんとしてほしいことを狙って、

反抗したりするのをよく見かけます。

 

子ども自身も困り感を抱えている子だった場合は、

やりたくないことがあると大騒ぎしたり、わざわざ注意され続けるような場所でストを起こしたりしがちですが、

早々と無言で去る、といったことはあまりしないようです。

また、「他の人がいて注意しにくい場面に限って、それもお母さんが最も気にかけてきちんとしてほしいことを狙って、

反抗する」にしても、独特の不器用さや状況の読めなさゆえにそうなってしまうだけで、

わざとそうしているわけではないでしょう。

 

でも「困り感」を抱えているお母さんと、「困り感」がない子のペアの場合、

子どもが親の気持ちや態度をコントロールする目的で、

つまり子どもの側がお母さんの感情や思考を自分の思い通りに操作する目的で、

「無視」とか「去る」とか、不安感をあおるといった

面と向かって言葉でぶつかりあうのではない形で

お母さんを自分の思うようにコントロールしようとしていることが多々あるのです。

 

次回に続きます。


お母さんが持っている困り感と子育て 4

2012-08-25 08:33:43 | 教育論 読者の方からのQ&A

子どもの相手をする時、たいていの方はその状況にある無数の選択肢のなかから

無意識に一番重要そうなひとつを選んで、実行しています。

 

その時、それを「重要だ」と判断する決め手となっているのは、子どもの表情、素振り、何をじっと見ているのかといった

言葉を介さない情報です。

 

言葉はなくても

「うれしい」「ちょっといや」「恥ずかしい」「してみたいけど、もうちょっと待って」「自信がないの」「あんな風にしてみたい」

「悲しい」「寂しい」「疲れていて、今はやりたくないの」「ちゃんとしなきゃって思うけど、何からしたらいいのか忘れてしまったの」

「不安」「怖い」「楽しい」「悪かったなと思っているけど、今は謝れない」「お母さんに認めてほしい」「あんなことしてみたい」「本気」

といった気持ちは、

そうした表情や素振りや視線がどう変化していくかということから伝わってきます。

 

また「重要だ」と判断する決め手は、その時間のその場にある状況で、

何が重要で何が重要でないかといった

状況に応じたあいまいな判断です。

 

たとえば、「お友だちの物を借りるときは、貸してっとお願いして、いいよって返事されてから、

ありがとうを言ってそれから使うのよ」と子どもにしつけていたとしても、

児童館のようなみんながおもちゃを共有している場で、相手の子が手に持っているもの、それまで遊んでいたものの

全てにその手順を踏まなくちゃならないのか、お友だちのお家ではどうなのか、

自分の家に相手の子を招く場合どうなのかなど、

その時々の状況によって、ルールを微調整していかなくてはならないですよね。

 

もしそこで最初に決めた「ルール」の方を重要視して、

どこでもかしこでも強硬に、「お友だちの物を借りるときは、貸してっとお願いして、いいよって返事されてから、

ありがとうを言ってそれから使うのよ」を守らせるようにすると、どうなるでしょう?

 

ごっこ遊びのように子ども同士が物を共有して発展させていく遊びができなくなったり、

妙に引っ込み思案になって、同年代の遊びの輪に入りにくくなったり、

相手に「ありがとう」を強要したり、厳しくルールを守らせようとしたりして、お友だちから避けられるようになるかも

しれません。

 

また、その人の過去の体験で、

どのようにしてみて、どんな結果を得たのか、どんな感情を味わったのかということも

何が重要か判断する際の大きなウェイトを占めているはずです。

 

それからもうひとつ、「重要だ」と判断する決め手となっているのは、その方が信頼している情報、

つまり子どもの発達の専門家の意見とか、信じている教育法も参考にしていることでしょう。

 

子どもが遊ぶ姿をのんびり眺めている時ですら、

その状況には数えきれないような選択肢があって、

たいていの人はほとんど意識しないまま、非言語のメッセージにしろ、その場にある暗黙のルールにしろ、自分の過去の記憶にしろ、

専門的な情報にしろ、その全てを絶妙な配分で判断材料にして

子どもへの対応を決めていることでしょう。

 

わたしの場合、こうした判断材料とは別に、その子の発達段階や個性、社会性の発達の様子、

各能力の最近接領域、どれくらいの声かけと手助けがあると意欲的で前向きな態度を持続できるのか、

喜んでしているように見えても、休ませないといけない目安はどこか、どのような視覚的なメッセージが

その子にどんな影響を与えているのか、

短期目標と長期目標など、そのどれにも同時に配慮するよう気を配りながら、

その瞬間瞬間に最優先すべき何かを選んで行動しています。

 

といっても最優先すべき何かなどとオーバーな言い方をしても、

子どもは自ら自分に必要なプログラムを内に秘めて成長していますから、

たいていの場面では何もせずにリラックスして見守ってるくらいが一番いいのです。

そして、「ここぞ」という要となる瞬間にだけ、適切に対応したら十分だと

思っています。

 

前置きがやたら長くなってしまったのですが、

自ら「困り感」を持っているお母さんの場合、どんな状況でも

(本当は無数に選択肢があるはずの場面で)

「自分のなかにある2つの選択肢のうちどちらかを選ぶ」という行為に

固執しがちなのが、

子どもの言動からストレスを受けやすかったり、

子どもとの関係が悪循環に陥りやすい原因なのかな、と感じています。

 

特に、信頼している専門家の意見とか、信じている教育法というフィルターを通して

「正しい」「重要」と思う何かを選らんでいる方の場合、ふたつの選択肢どころか、

「最初から1つしか選ぶべきものはない」という強迫的な思い込みに囚われていて、

現実から返ってくるフィードバックも全て、その1つの選択肢に合う合わないで

曲解してしまわれることもよくあります。

すると、

わが子が生きている現実と

おかあさんが捉えている現実が、全く別のものとなってしまうので、

当然、子育てが非常に難しいものとなっていくのです。

 

 

次回に続きます。

 

 


お母さんが持っている困り感と子育て 3

2012-08-24 12:55:52 | 教育論 読者の方からのQ&A

自分自身が困り感を抱えて子育てしておられる方には、

「わが子とはうまくいかない面はあるけれど人づきあいは苦手ではない」という方と、

「昔から対人関係が苦手で場の空気を読むのが極端に苦手」という方の

2タイプおられるようです。

 

前者の方は、一時期、視野が狭くなっていることはあっても、

相談相手に恵まれて、自分の見方や考え方の幅を広げていく場があれば

困った体験を肥しにして

子どもと良い関係を築いていきやすいようです。

 

でも「昔から対人関係が苦手で場の空気を読むのが極端に苦手」という方は、

子どもの問題や子どもとの関係がとことんこじれて

修復しようがないところまで行ってしまうこともあるので注意が必要だと思っています。

 

ここで伝えようとしているのは、子どもの問題や子どもとの関係をこじらさないための

アドバイスであって、

「対人関係が苦手」なことを、わたしが「悪いこと」だと思っているわけではないこと、

こうした人の得手不得手は、善悪や正誤として白黒つけられるものではない

ことをご了承ください。

 

それでは、どのようにこじれやすいのか、

どうしたら陥った悪循環から抜け出すことができるのか

説明させてください。


お母さんが持っている困り感と子育て 2

2012-08-24 08:49:39 | 教育論 読者の方からのQ&A

お母さんたちの相談をお受けしていると、

「子どものすることにもう耐えられません」

「子どもに腹が立ってどうにもおさまりません」とおっしゃる親御さんの言葉と

目の前の子どもの姿やそれまで子どもがしていた行動とが、

どうも噛み合わないケースがあるのです。

 

もちろん子どもによっては近くにいらした親御さんもわたしも

満場一致で、

「これだけの困ったちゃんの面倒を四六時中見ているのだから

そりゃあ、お手上げ状態にもなるし、愚痴もこぼしたくなるし、誰かにSOSを発したくもなるのが

当然」とうなずくことは多々あるのです。

そんな風に目の前の子どもの姿と親御さんの訴えが周囲の目からも理解できるものだと、

子どもの問題に向き合うことで

親御さんの悩みも消えていきます。

 

けれども、子ども自体にこれといった問題はなくて

親御さんの感じ方や見え方や考え方の側に

子育てに対するフラストレーションが高まる原因がたくさんある場合、

子どもを親御さんが思うようにいじろうとすればするほど、

つまり子どもの問題(とお母さんが感じること)を修正しようとするほど、

問題のなかった子が混乱して、緊張したり、臆病になったり、攻撃的になったり、できることもできなくなっていく

ことが起こりがちなのです。

 

次回に続きます。

 

 


お母さんが持っている困り感と子育て 1

2012-08-23 18:19:51 | 教育論 読者の方からのQ&A

「ロボット化する子どもたち」の続きは明日か明後日に書きますね。

 

子どもの側にではなく親御さんの側がいくつかの困り感を抱えていて、

それが子育てを難しいものにしているケースに出会うことがあります。

 

ユースホステルでのレッスンのように食事やお風呂、雑談の時間など

レッスン外の時間をいっしょに過ごすことが多いと、

「子どもの困った行動に振り回されている」とおっしゃる親御さん自身が

さまざまな困り感に囚われていて、当の子どもは

混乱させるような対応をしなければきちんと年齢相応の振舞いをし、与えられた課題をこなすことが

できる場合があるのです。

 

この「お母さんの困り感」にどのように対応するかは、今のわたしの重要なテーマです。

 

お母さんの困り感というのいうのは、

「部分にこだわりだすと、シングルフォーカスに陥ってしまいがちで、全体が見るのが苦手」

「状況に合わせて柔軟に動くことが苦手」

「想像力を働かせて、自分や自分の子にあったものに調整することが苦手」

「変化に心がついていけなくて、疲れきったりイライラしがち」

といったものです。

 

 

「子どもにこういうことをさせたい」「子どものこういう問題を克服したい」という目標のようなものは

多々あるのに、

それを達成するにはどのような過程を踏むをよいのかさっぱり見当がつかない

という方も、先に挙げた苦手をたくさん持っていて

あまり自覚していない場合がよくあります。

 

目標のために 「これをしよう」とやりはじめることが、本筋からずれてしまいがちで、

どんなに努力しても他の子と比べると子どもが思うように動いてくれないので

困惑しておられることがよくあります。

また子どもというのを親が抱く目標を達成していくためだけに存在しているように

捉えているように見える方もいます。

目標を立てることが好きで、完璧ともいえる子どもについての計画を練るけれども、

実行するその子に合っているかという視点や、余白がなく、

うまくいかなかった時どう対応していくか、というイメージが欠けている場合もあります。

 

「先を見通して計画を立てたり、イメージを膨らませたり、その都度、起こってくることに

柔軟に対応する、ということが非常に苦手」

 

特に「周囲の空気を読むというか、状況を判断して、今は何を優先させるべきか

決断するのが極端に苦手」

 

といった困り感を抱えている親御さんは、

子どもに何かさせようとする度に強いストレスを感じて疲れきっているのを見かけるのです。

 

「だったら何もさせなければいいのではないか」と外野は思うでしょうが、

目標を見通した適切な道筋からはるかにずれてしまいがちな方に限って、

その子にこなせないほどのたくさんの目標を立てて、全てを達成することを

強迫的に望みがちなのです。

 

 

 

そこで、自分自身の「疲れ」を子どもの性格とか態度などが悪いから

こんなにたいへんなんだ、と思ってしまうと、

子どもは自己肯定感が下がって素直になれなくなって、消極的で怠惰な態度を取るようになるので、

さらに親御さんが子どもを責めてしまうという悪循環に陥りがちです。

 

ここで大事なのは、親が自分の困り感を自覚して、

それがどのような認知の歪みを生みがちなのか

把握しておくことじゃないかな、と思っています。

問題が起こりがちな場面では第三者の客観的な判断をあおぐことができるように

しておく工夫もいるのではないでしょうか。

 

子どもの問題のように見えていることを

いったん保留にして、自分自身の体験していることや感じていることを

順を追って整理してみて、別の視点からもそれを眺めてみることも大事です。

 

次回に続きます。