エコール・ド・パリを代表する画家、アメデオ・モディリアーニ。
舌を噛みそうな名前だが、最近の私には少々馴染みとなっている画家だ。
風の又三郎さんのブログ『モディリアーニ展へ』の記事を読んでしばらくして、同展が岩手県立美術館でも開催され、ミーハー美術鑑賞家nihaoは当然出かけた。
直前にグッドタイミングでNHKハイビジョン特集の『生きた、描いた、愛したーモディリアーニと恋人の物語』が放映されたので、それを見てしっかり事前研修もした。
そして先日、映画『モディリアーニ~真実の愛~』が放映され、期せずして事後研修の機会も得た。
一ヶ月の間に展覧会と2本の映画を見たら、モディリアーニがもう他人とは思えなくなる。
若き芸術家の孤独な魂を演じるアンディ・ガルシアにもしびれっぱなしだった。
......で長い前置きになってしまったが、今日は絵画や映画の話ではなくカタカナ表記に関して。
私の記憶では『モディリアーニ』は、昔の美術書では『モジリアニ』と表記されていたと思う。
一体いつからモディリアーニになってしまったのだろう?
しかし今回テレビで発音をしっかり聞いていたら、なるほどフランス語ではモジリアニではなく確かにモディリアーニだった。
大好きな『パバロッティのツーランドット』も『パヴァロッティのトゥーランドット』だと子どもから注意をされた。
はたして日本語にトゥとかディとかヴァの発音があるだろうか?
外来語を本来の発音に近い表記にしようという努力は理解できるが、そのような必要性って本当にあるの?
『Tシャツ』をテーシャツ、『CD』をシーデーと言って笑われる世代だがどこが悪い!
中国なんてカタカナがないから、外来語は全部漢字で表す。
自国の言語を破壊せずに無理を通すところは大変立派ではないか。
と、このように常々カタカナ表記に関して疑問を持ち、また不明な点を抱えていたが、燃える闘魂さんから『誤字等の館』という興味深いサイトを紹介していただいた。
例えば巷間よく使用されているディスクトップやインストゥールという用語。
これらのスペルはdesktopでありinstallなのだから、本来の発音はデスクトップ、インストールが正解で、英語っぽくするためにわざわざ発音をねじ曲げるのは間違いであるとあった。
なるほどね。
滅多に使わないPC用語なのでどこが問題点なのかも分からなかったが、英語にしてみるとよく分かる。
日本人の英語コンプレックスの正体を教えられた感じがした。
舌を噛みそうな名前だが、最近の私には少々馴染みとなっている画家だ。
風の又三郎さんのブログ『モディリアーニ展へ』の記事を読んでしばらくして、同展が岩手県立美術館でも開催され、ミーハー美術鑑賞家nihaoは当然出かけた。
直前にグッドタイミングでNHKハイビジョン特集の『生きた、描いた、愛したーモディリアーニと恋人の物語』が放映されたので、それを見てしっかり事前研修もした。
そして先日、映画『モディリアーニ~真実の愛~』が放映され、期せずして事後研修の機会も得た。
一ヶ月の間に展覧会と2本の映画を見たら、モディリアーニがもう他人とは思えなくなる。
若き芸術家の孤独な魂を演じるアンディ・ガルシアにもしびれっぱなしだった。
......で長い前置きになってしまったが、今日は絵画や映画の話ではなくカタカナ表記に関して。
私の記憶では『モディリアーニ』は、昔の美術書では『モジリアニ』と表記されていたと思う。
一体いつからモディリアーニになってしまったのだろう?
しかし今回テレビで発音をしっかり聞いていたら、なるほどフランス語ではモジリアニではなく確かにモディリアーニだった。
大好きな『パバロッティのツーランドット』も『パヴァロッティのトゥーランドット』だと子どもから注意をされた。
はたして日本語にトゥとかディとかヴァの発音があるだろうか?
外来語を本来の発音に近い表記にしようという努力は理解できるが、そのような必要性って本当にあるの?
『Tシャツ』をテーシャツ、『CD』をシーデーと言って笑われる世代だがどこが悪い!
中国なんてカタカナがないから、外来語は全部漢字で表す。
自国の言語を破壊せずに無理を通すところは大変立派ではないか。
と、このように常々カタカナ表記に関して疑問を持ち、また不明な点を抱えていたが、燃える闘魂さんから『誤字等の館』という興味深いサイトを紹介していただいた。
例えば巷間よく使用されているディスクトップやインストゥールという用語。
これらのスペルはdesktopでありinstallなのだから、本来の発音はデスクトップ、インストールが正解で、英語っぽくするためにわざわざ発音をねじ曲げるのは間違いであるとあった。
なるほどね。
滅多に使わないPC用語なのでどこが問題点なのかも分からなかったが、英語にしてみるとよく分かる。
日本人の英語コンプレックスの正体を教えられた感じがした。
う~ん、チアリさんに存在感がないので、ちょっと微妙.......。
私の判定では「捩り兄ぃ」の勝ちですな。
っていうのを、何年も前にふとしたときに思いついて、自分では気に入っていたのですが、最近はチアリさんを知る人も少なくなって。
先日、その時代の後輩に会ったらそいつがそれを持ち出して、「おお、こんなところで文化遺産として生き残っていたか!」と嬉しくなりました。
すごくセンスのよいユーモアだと感心しました。
私はそれをただ捩っただけの「捩り姉ぃ」
芸無しです。
でも名作、名言を言い換えるのっておもしろそうですね。
又三郎さん、無断でブログの紹介をしてスミマセン。
又三郎さんに触発されて『モディリアーニ展』を見てきました。
どのように記事にしようかと考えているうちに遅くなってしまいました。
映画もとてもよかったです。
ジャンヌ役の女優さんは、肖像画の雰囲気そっくりでしたよ。
今日も世直し談義御苦労さまでござりやんす!(^^)
「ヴァ」は下くちびるを噛んで
「ヴ」そして唇を解放しながら「ァ」
日本人の日常はほとんど必要ない発音ですね
でも、バイクの排気音を表すときに
「ヴォ~ロロロロゥ!」というとこれは
聞いたことあるひとには実に解りやすい擬音です
福沢諭吉が考案したのですか?
ヴァイオリンやヴェルサイユが、バイオリンでもベルサイユでも一向に構わないような気がするのですが。
あっ、でもレッド・リヴァー・ヴァレーはレッド・リバー・バレーではなんかへんです。
闘魂さんがおっしゃるように区別するために必要な場合がありそうですね。
日本語として発音する時は通常V音もB音です。
地名、人名を問わず外来語も国語だと思いますが、慣用に従っていた表記さえ否定して、なにか馴染まない音を無理矢理持ち込んだような感じがしないでもないですね。
ディスクトップ、インストゥールに代表されるミスは、私もかっこ悪いと思います。
気をつけなければならないと思いました。
次に表記(おっと、言葉遊びみたいになってしまいましたが)。
「ヴ」は、福沢(諭吉)先生が発明した表記だそうです。因みに、慶應では「先生」は福沢先生だけ、休講のお知らせも「3限:藤田君 国際法」みたいに表記されます。勿論藤田教授・講師のことです。昔これで、ある外部の先生が怒ってしまった、という話を聞いたことがあります。
さてその「ヴ」ですが、英語由来の言葉や特に人名・地名で、v と b との区別がつかないと、本当に困ってしまうことがあります。勿論、正確にはフルスペルでなくてはダメですが、その他の部分は大体見当がつく場合が多い。スペルがわからなくても、なんとなく発音すれば大体通じます。しかし、知らない単語や固有名詞についてこの両者(v,b)の区別は致命的です。
そういう極めて実利的な観点からは、「正確な発音に近づける」という意味・意図よりも「区別する」ためには便利だと思います。
「誤字等」にてご指摘の問題は、ほんとに私も以前からとても気になっていました。
逆の場合は良いのですが(逆はそもそも「間違い」ではありませんから)、こっちの向きの(つまり、「トー」で良いのにわざわざ「トゥー」としてしまう方向の)間違いは、単純に「間違った情報である」にとどまらず、どうも「知ったかぶりしてカッコつけたら失敗した」感が、ぷんぷんと漂います。これは私の過剰反応の部分もあるとは思いますが、「よく知らない言葉を、確認もしないで使っているけど明らかに誤用」と同じニオイがするのです。
知らないならカッコつけんなよ。カッコつけたいなら調べろよ! と感ずるので、単純な間違い・勘違いに対してよりも、なんだかカッコ悪いなあ、と感じます。