『僕たちの好きだった革命』
脚本・演出 鴻上尚史 出演 中村雅俊 片瀬那奈
[1969年、高校の自主文化祭に機動隊導入。混乱の中、山崎は負傷し昏睡状態に……そして30年。長い眠りから覚めた山崎は還ってきた。
47歳の高校生山崎が、あの日中断した“自主文化祭”へ向けて現代の高校生たちと巻き起こす「革命」]
初演は07年。今回の再演全国ツアーは宝くじ助成の特別料金で嬉しい2500円。
このお芝居、珍しく私を誘うことなく夫だけがひとりで見に行った。
あれっ?どうして私に声をかけなかったのだろう。
絶対にひとりでお芝居なんか見に行く夫ではないのに.......
そう言えば40年前の私たち、中核派だ、革マル派だ、ML派だののセクトに競って参加し、全共闘運動のまっただ中で学生時代を過ごしていた。
夫も4年間ヘルメットを脱ぐ暇なくあちこち駆けずり回っていて、卒業出来たのが不思議なくらい。
私たちは、革命という言葉に郷愁を感じる唯一の世代だ。
おそらく夫は『僕たちの好きだった革命』というタイトルに惹かれ、ひとりで青春時代の思い出に浸っていたかったのだろうな。
前回『亭主在宅拒否症候群』の記事の中で、妻と同伴でなければ外出できない夫がいることを書いたが、我が夫もその傾向がある。
ひとりで行動すると、何から何まで自分でやらなければならないので不安だし、面倒なことは妻に押しつけてしまえという魂胆が見え見えなのだ。
夫族に言わせれば「楽しみは一緒に分かち合うものだ」ときれい事を述べるに違いないが、妻たちにとってみれば大きなお世話。(反論もあろうが)
何のことはない。現職中の管理職体質が、退職後は妻たちにじわじわと向けられていくのだ。
だから今回夫がひとりでお芝居に出かけたことは、私にとっては目を瞠る歓迎すべき出来事だった。
今後もどんどん外出して、自分だけの世界を広げていってほしい.......
旅行だってひとりで行っていいのよ、私は留守番しているから.......
しかし昨日、I大学の図書館で調べ物をしなければならなかった夫。
夫「おまえ、I大学の図書館に行ったことある?」
私「うん。」
夫「駐車場の場所知っている?」
私「うん。」
夫「面倒な手続きはいらない?」
私「うん。」
夫「........あの~、一緒に行ってくれないか?」
私「いや!」
夫には引き続き革命を目指して欲しい。
自分自身の内的革命を!
(*^_^*)微笑ましいことでございます。
男の人の方が寂しがりやさんが多いのでしょうか?
面倒なことを妻に押しつける、と言うのは出来た妻で無いと無理ですね~。
宅の相方は押し付けようとして押し付け返されてるしなぁ。。。
相方は毎週末、呆れるくらいマメマメしく場外馬券場へ買い物に行きます。あのマメさをもっと他にもむけて欲しいと思っています。
自立していない証拠ですね、まったく。
ウチだけではなく、一人では外出しない夫たち、ホントに多いんですよ。
疎ましいかぎりでございます。
夫がひとりで行く場所と言えば.....およよさん相方氏と同じく競馬場。
ひと頃休んでいたのですが、最近また復活しました。
おかげさまで私も夫に頼んで時々買って貰っています。
いつか当てるぞ!万馬券!
それはそうと「亭主在宅拒否症候群」は
妻族が持つアレルギー症状であり、一種の
病気なのだろうと思いますから、妻族は
自らもそこから脱却すべく、自助努力が
必要なのだろうと思料致します
亭主族のガラスのハートを代弁すれば
「亭主調教インストラクター」としては愛情を
もって、辛抱強く、優しく、そっと、そして
何度も背中を押して頂きたいものだと思います
そして、上手に出来たら「えらいね~!
やればできるじゃん!」とこれまた優しい
労いの言葉を添えて頂きたいものだと思います
前回の書き込みはわかったようなことを
書きましたが、定年になったとたんの
熟年離婚や濡れ落ち葉扱いは因果応報だと
しても、三行半を突き付けられたおとうさん
の驚愕を想像するとやはり悲しすぎますからね
ていうか・・・
近い将来、嫁にそのような調教を受けるかと
思うと上手に『騙して』欲しいものだと(^^)
nihao家のご健闘をお祈りいたします
しかもかなり独断専行。
又三郎さんの軽妙洒脱なコメントで、はたと我にかえりました。
>妻族は自らもそこから脱却すべく、自助努力が必要
まことにその通りです。これは夫婦の責任ですね。
それぞれが自助努力をしていかなければならないと思います。
>亭主族のガラスのハート
う~ん、これは正直想像もしたことなかったのでドッキリしました。
夫たちも傷つきやすい存在だったのか?
そう言えば以前夫たちの『帰宅拒否症候群』がありましたが、あれはガラスのハートたる所以の現象だったのかもしれません。
夫たちにも気の毒な歴史があったんですよね。
労りの言葉を忘れないよう、また上手に騙しながら一級調教師の道を模索していこうと思います。
いろいろ参考になりました。ありがとうございます。
何が変わると信じていたのでしょうね。
あんなにどこかが違うと感じていた思いは何処にいったのでしょうね。
成る様にしかならない、観念したように暮らしている今の自分は何なんだろう。
熱い思いはもう何処にも無い。
朝ご飯、昼ごはん、晩ご飯、掃除に洗濯、かァーッ。毎日の生活のリズムを壊さない事で精一杯。ひよっている私であります。
相棒はテレビをつけたまま口をあけて居眠りしている。なんと幸せな時間なんでしょう???
いつの間にか自立革命も無くなった。
どうしましょう、どうしょう、これでいいのかなァー。革命の言葉からちょっと焦り気味の私がいます。本当にこれでいいの。なんでもかんでも忘れてしまって。情熱なんて言葉すらないんだわー。
ああ、熱かった70年代のことを思い出させてしまいましたね。
田舎で平和に暮らしていた高校生が、都会に出て初めて受けた刺激が、カルチャーショックではなくイデオロギーショック。
おろおろして最初はついていけなかったけれど、気がついたら嵐のまっただ中でした。
結局は、いくら頑張っても世の中は何も変化しないということをお勉強しました。
特異な経験をしてきた団塊の世代は、熱い心を持ったおじさんとおばさんになりましたが、それももう歳には勝てない。
>相棒はテレビをつけたまま口をあけて居眠りしている。
士別さん、今になって焦ることはないわ。
幸せな時間を大切にしていきましょうよ。
今も昔もこの辺の女性はしっかりしていらっしゃるようです。
それにしても「あの~一緒に行ってくれないか。」なんてかわいいですね。
うちなんかこんな会話のやりとりなしで、自動的に私も巻き込まれます。いつもそうです。
ときどき思うんですが、私が先に死んだらこの人はどうするんだろって思います。
ただの自惚れであって欲しい今日この頃です。
若いときは、おおかたがそのように思うのですが.......(笑)
「可愛い!」「仕方ないわね~」と甘えさせているうちに妻への依存度が高くなるから要注意ですよ。
「男の人はいつまっでん子供ばい」
子供にさせてしまってきたのは、母と妻の共同責任でもありますね。
それにしても義母上の福岡弁(?)、味があってステキ、優しくて強い女のイメージね。
当地だと
「オドゴはいづまでたってもわらしだ」となり、なんか諦めに似たムードとなります。