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桜が咲くと風景が一気に色づき気分爽快になる。
NHKの朝ドラ『どんど晴れ』で一躍有名になった小岩井農場の一本桜(5月10日撮影)
後ろに雄大な岩手山を従えた光景は、県外の観光客からも大変な人気である。
ふる里は負けない! 今年の一本桜は岩手の復興の象徴だ。
しばらくブログの更新が滞っていた。
震災からこのかた、どうしようもない無力感に襲われて.....と言いたいところだが、この言い訳は嘘!
本当は歳のせい。やる気と集中力がさっぱり出てこない。
ネットの世界への関心もかなり薄らいできている。
昔からのブログ仲間たちも伝染したように沈黙しているが、皆さん一体どうしているのだろう?
nihaoはまたぼちぼち始めることにする。
今日で震災から二ヶ月経過した。
復興への歩みが続く一方、なお多くの人々が不自由な避難所生活を強いられている。
「今一番、何が欲しいですか?」
テレビで被災者へのインタビューを見ていたら、多くの人が口を揃えて「車が欲しい」と言っていた。
水や食料の運搬だけではなく、通勤や通学や病院等の送り迎え、買い物など、交通の手段のない沿岸部では、車は絶対に欠かすことの出来ない道具だ。
阪神・淡路の都市型の大震災と東日本大震災とでは、人々の暮らしにおける自家用車の重要性は比べるべくもない。
私たち岩手人の暮らしは、車がないと何ひとつ始まらないし何ひとつ終わることはない。
車庫証明のいらない軽自動車に人気が集中しているが、なかなか手に入らない上にさらに価格をつり上げていると聞くと腹が立つ。
この二ヶ月間、なにか役に立てることはないだろうかと自分なりに考えてきたが、やっと答が見つかった。
私は思い切って【愛車フジ子】を被災地に寄付することにした。
フジ子は平成7年式の三菱ミニカ。
かなり古い車だが、4WDだし、まだ6万キロしか走っていない。
大切に乗ってきたので外観も内装も美しいし、CDプレーヤーだって健在だ。
しかも今年の3月に車検を受けたばかり。
実は今回の車検に関してはかなり迷った。
我が家にはもう一台夫の車がある。
年金暮らしの台所事情では、当然フジ子を廃車にして一本化するべきである。
しかしまだまだ立派に動く愛車を見ていると、切なくて手放すことが出来なかった。
そして車検後に大震災発生。
被災者の切実な声を聞いた私は「フジ子の出番がついにやってきた!」と思った。
フジ子は私と共にいるよりは、被災者と共にいる方がよい。
必要な時、必要な場所に、一番必要な支援が出来るのならなんと嬉しいことだろう。
私は迷わず手放すことに決めた。
フジ子の行き先は、ボランティアで被災地に入っている人を介して探してもらった。
あまり詳しいことは聞かなかったが、200人以上の人が身を寄せている避難所に貰われていくらしい。
そこは一台も車がなく大変不便な毎日で、車を確保することは住民たちの悲願だったらしい。
みんなで仲良く交替で使いたいとのことだった。
フジ子には老骨に鞭打って、今しばらく頑張って欲しいと思う。
復興を誓って生き抜く人たちの一助となって欲しいと心から願う。
今日スーパーで、フジ子と同じ車種の車を見かけました。
思わず駆け寄って中を覗いてしまいました。
夫の車は運転出来るようにはなったのですが、エコと身体のために、出来るだけ歩くようにしています。
一日の中に歩くという行為を取り入れると、時間の経つのがすごく早いことに気がつきました(^_^)
車の名義変更をする時も手続きが大変だったようなのですが、おそらく義捐金も手続きにとらわれていて時間がかかっているのでしょう。
まったくネ...早く届けてあげて欲しいものです。
本当に出来ること、必要な事を必要な時に…
フジコちゃんのボランティアで第二の車生を颯爽と走って行く姿が想像出来ます♪
>あっという間に話が煮詰まって
計画された偶然…と言う言葉を思い出しました。nihao様の気持ちが引き寄せを呼んだのでしょうね(^・^)
早く義捐金が被災された皆様の生活の一助になるように心から祈ります。
我が家ではまだ手元に行き着かない現状を聞くたび「どっかで誰かがポッポないないしてるんちゃうか?」とボヤくのが日課となりました。
ゆっくり養生して元気回復してくださいね。
東北大震災の時はご心配だったことでしょうね。
幸いにも盛岡は被害が少なかったけれど、沿岸の方々のご苦労を思うと、今でも涙が溢れます。
震災以来、泣かずのnihaoもなんだか涙もろくなっています。
私は何も出来ないので、ここはフジ子に頑張ってもらおうと考えました。
>新聞社に届けました
あっ、そうか! 新聞社宛にすると名前が載るのか!
載らないようにするにはどうしたらよいのだろうと、私は真剣に考えていました(^_^)
フジコちゃんを手放すのは、勇気いりましたね。不便になるけどそうやって役にたつのはフジコちゃんも喜んでるでしょう。
車の生産が厳しい状況だというのは本当なんですね。
震災後は、あれもこれもと言うほど足りないモノがたくさん出てきました。
今回の被災地の太平洋沿岸には、いかにたくさんの工場が立地していたことがよくわかりました。
日本経済にとっても大きなダメージ、一日も早い復興が待たれます。
フジ子のいない暮らしに私もだいぶ慣れました。
昨日ボランティアさんから、有益に使って頂いているという報告を聞いて、本当に良かったなと思っています。
まだまだ、納車がいつになるのかわかりません。。。
比較的便利な街に住んでても、車がないと不便だったりしますから、
被災地ではなお更でしょうね。。。
nihaoさんの決断に拍手!!
きっとフジ子も、やりがいのある仕事が見つかって、ますます頑張ってくれることでしょう。
「オヤジという人種が世の中で一番嫌い!」と言っていました。
オヤジには敵わない、オヤジという存在を無視することが出来ないから、そのような発言になるのよね、きっと♪
オヤジたちよ、自信を持って頑張れ!!
でもオヤジはオバサンが嫌い。オバサンはオヤジが嫌い。
オヤジとオバサンがもっと歩み寄って仲良くなれば、日本は最強のチームです。
>まさか本当になるとは思わなかった
ホント、その通り。この後すごく早いですよ。
闘魂さんが、しーちゃんのお母さんの名前を思い出せないのは致し方ありません。
時々私も娘の名前で呼ばれることがあります
どうも近頃の若いモンは、オヤジはずっとオヤジだったと思っておるようぢゃが。
自分が「50歳にならない」と思っていたわけではありませんが、まさか本当になるとは思わなかった。
でも、ウチは娘に滅多に会わないせいか、今でも仲は良いです。
しかし一方で、「しーちゃん(娘)のお母さん(ええと、名前はなんといったかのぉ)」とは会話が無い。
私には愛着があります。
でも...彼らの方はどうでしょう
私にも固有の名前があります。
でも最近は呼ばれたことないです。
そのうち自分でも忘れてしまうかもしれません
声を大にして世の男性たちに訴えたい。
「オバサンという名の女はいない!」
>愛着心が生まれて大切にするような気がします。
>我が家の娘が小さいときからやっていました(^_^)
ウチの娘にも生まれたときに名前をつけました。
愛着があります。
もちろん「ボケ」です。
あっという間に話が煮詰まってしまいました。
車とは言っても、まだ使えるかなという程度のポンコツ車。
そんなに誉められるような行いではありません。恥ずかしいです。
愛用品に名前をつけるというのは馬鹿げた行為のようですが
愛着心が生まれて大切にするような気がします。
我が家の娘が小さいときからやっていました(^_^)
私が始めたというよりも娘の影響かもしれません。
義捐金、早く被災者の元に届くといいですね。
2ヶ月経っても見えないことだらけでスッキリしない。
確かに歯がゆいです。
車を寄付されたとのこと、
本当に素晴らしいです!
日赤に集められた義捐金は
未だ被災者のの手元には届いていず、
少なからず寄付した者とした
歯がゆく思っています。
nihaoさんのおうちの品々には、
名前がついているんですね。
キャラを想像してしまいます。
フジ子さんがんばって!
でもフジ子だけは私仕様にしてもらったので大切に乗っていました。
でも子どもたちや舅・姑もいなくなり活躍の場が少なくなっていました。
これから被災地でお役にたてるのなら幸いです。
今日、名古屋の河村市長が、岩手の被災地に車を13台寄付してくれたとのニュースを見ました。
本当に被災地は車が必要、寄付を思いついてよかったです。
なかなか出来る事ではありませんね。
年金生活の我が家も車2台です。いずれは1台にと思っていますが、父がいる間は手放せないと思い、乗りつぶす気でいます。
被災地で活躍する愛車フジ子さん。このような晩年を用意してくれたnihaoさんを誇りに思う事でしょうね。
夫が退職した年から、車は一台にしなければならないとずっと考えていたのです。
でもいつでも気楽に乗れるフジ子を手放すことが出来ず、ここまできてしまいました。
しかもフジ子なんて名前をつけると、よけいに離れがたくなる(^_^)
震災がきっかけで、やっと私も決心がつきました。
これで少しは家計が楽になります。
あとは夫の車に早く慣れて、上手に車庫入れ出来るようにしなくっちゃ!
いろいろ何かできないかみんな思っているけど
いざ行動に移すとなると戸惑ってしまう。
フジ子さん!がんばれ~!!
nihaoさん車庫入れがんばって~!
さすがに今年の車検は悩みましたが受けてよかったです。
私は車にあまり興味がないのですが、フジ子だけは自分の意志と好みで買った車なので愛着があります。
これで最後と考えていましたが、晩年のフジ子にふさわしい場が与えられてよかったです。
それにしても日本の車検は、諸外国と比べるとかなり高く、生活を脅かすことはなはだしいです。
車検貯金をしている賢い主婦もいらっしゃいますが、私は長年にわたりいつもトホホでした(^_^)
闘魂さん、九州・中国地方のツーリングを中止せざるを得なかったとは、まことにお気の毒です。
出来るだけ早く実現されますように
フジ子さんもその晩年を、求められ感謝されて過ごすことができる。
私の晩年もそんなのがいいなあ、と思ってきています。今まで好きなように生きてきたし。
仕事が見つからないまま、今月は九州とか中国地方にツーリングに行きたいと考えていましたが、そしてルートとか宿とかのプランもかなり具体的に立てたのだけど、クルマとバイクの車検が一緒に来て(そりゃ時期だから当然ですが)諦めました。
かなり古いけれど、まだまだ元気で活躍してくれそうなので廃車にしなくてよかったです。
瓦礫のなかを頑張って駆け抜けて欲しい!
ゆっかりんさんのところも、母上のことを考えれば現状では2台必要ですね。
車はあれば便利だけれど、車検が重なるとまったくトホホ...
ゆっかりんさん、ご自分のパスワードを忘れてしまうほどご無沙汰にならない程度に更新しましょうね(^_^)
きっと、nihaoさんの思いも一緒に、たくさん活躍してくれることでしょう。
がんばれー!フジ子さん!!
実は我が家も2台車があります。
一家に1台しか車がなかった事もあったのに、本当に贅沢になってしまって・・・トホホです。
母の用事を足したりするのに、随分助かっているんですが・・・。
私も少しずつ自分の身の回りを身軽にして生活していく事を考えようと思っています。
あ、私もブログの更新しばらくしてませんでした・・・。
それなのに、nihaoさんのブログを楽しみにしてる私・・・我儘ですね、ごめんなさい。
でもどうか、これからもひきつづき、楽しみにさせてくださいね。
(変な文章でごめんなさーい)
ポケッと女房さんは、私にとって全く未知の国、北陸にお住まいなのですね。
車がないとどこにも行けない地方の事情は
贅沢にも、一軒に大人の数だけ車がありますよね。
最近では駐車2台出来る賃貸住宅が増えていますが、土地に余裕がある田舎ならではの光景です。
私もフジ子を手放すとなると不便なのですが、きれいさっぱり諦めました。
問題は、これからは夫の車を運転しなければならないこと。
30年以上軽自動車しか動かしたことがないのでドキドキハラハラです。
まっすぐ運転する分にはよいのですが、自宅の車庫入れで汗をかいています(^_^)
なかなか更新されませんね。
もしかしたら一人だけでお楽しみだったりして?
何でも歳のせいにするのが一番楽で罪がないことにようやく気がつきました。
でも無理しても始まらないからと諦める一方で
際限なくだらだらしてしまう自分に自己嫌悪です。
アンチ・エイジング(心身の)を怠ってはいけませんよね。
>お互いに歳のせいかな♪( ´▽`)
なんて仲間作りをしようとするのは完全に歳のせいです(^_^)
車がないとどこへも行けないのはこちら北陸でも
同じ。おじいちゃんの免許を取り上げることが
出来ないのもそのせい。
被災地の方はどんなに喜んでいらっしゃるか。
良い援助を思いつかれましたね。 私も負けずに
何か考えてみよう。
書きたいことがないわけではないのですが
なんだか、億劫なときは無理して
書かないのでさんのnihaoの心境よく
わかります。お互いに歳のせいかな♪( ´▽`)
フジ子様、頑張ってくださいね!