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niceshotpeteの山旅

新潟県内外の山々を旅した記録です。山座同定に力入れてます。掲載した写真の何枚かはピクスタで販売してます。

10月24日 上越・光が原高原からの山岳展望 槍ヶ岳を望む。 

2021年10月26日 | 上越の山々

登りついて不意にひらけた眼前の風景に

しばし世界の天井が抜けたかと思う。

やがて一歩を踏み込んで岩にまたがりながら、

この高さにおけるこの広がりの把握になおもくるしむ。

無制限な、おおどかな、荒っぽくて、新鮮な、

この風景の情緒はただ身にしみるように本原的で、

尋常の尺度にはまるで桁が外れている・・・・・

美ヶ原と比べるのは、あまりに申し訳ない。

光が原高原には、そこまでの広がりはないけれど、

「おおどかな、荒っぽくて、新鮮な、この風景の情緒」は十分に感じることができる。

背景は、信越トレイルの最高峰・鍋倉山。

 

以下は、朝日新聞の2011年の記事を引用

~長野県境に近い、新潟県上越市板倉区関田の光ケ原牧場(標高約850メートル)の跡地を「ブナの森」に生まれ変わらせようという試みが続けられている。地域の人びとが始めた取り組みを県上越地域振興局が引き継いだ。かつて多くの牛がにぎわい、5年前に閉鎖された牧場を、日本海の漁場保全にも役立つ森に育てようとしている。

 光ケ原牧場(約110ヘクタール)は1964年に旧板倉町がブナ林などを伐採して開いた。元教諭中嶋公さん(75)=板倉区達野=らによると、明治時代には軍馬の養成に使われたこともあったが、牧場ができるまではブナ林は町営キャンプ場やたきぎ、炭焼きの山として利用されてきたらしい。

 牧場ができ、肉牛を中心に400~600頭が預けられていた時もあったが、91年の牛肉の輸入自由化に伴う畜産農家の激減で、2006年に閉鎖された。乳牛14頭を飼う新井一充さん(64)=同区関田=は「板倉では30~40軒が牛を飼っていたが、今ではうちだけになった」と語る。

 牧場が寂れるにつれ、牧場や近くの別所川沿いで、牧草の種に混入していたと見られる西洋タンポポやヒメスイバなどの帰化植物が猛繁殖。地元住民でつくった「ふるさとを考える会」は「昔のブナの森に戻せば帰化植物は少なくなる」と考え、97年から5年間で約1万本の苗木を植えた。

 会を結成したリーダー格の市村照男さん(77)=同区筒方=は「我々の植林活動があったから県にやってもらえるようになった」。植林継続の要望を受けた県は、09年度から牧場内の20ヘクタールでブナを中心とした広葉樹の森づくりを進めている。事業計画終了の12年度末までに計15万本を植える計画だ。

 森が育つまでには百年ほどかかる。根を深く張るブナの森に降った雨は、土中を通る際にミネラルを含んだ水となって川に注ぐ。県は、その水が別所川から関川を経て上越の海に注がれるようにし、プランクトンや海草がより育つ漁場にする一助に、と考えている。

 10月下旬、植栽活動に参加した地元・田屋町内会の中部利一会長(65)は「景色のよい場所なので大切にしたい。子どもたちにも植栽を体験させたい」。

 新井清三さん(65)=同区関田=は昨年から、旧牧場内でトウモロコシなどの試験栽培を始めた。「痩せた赤土に有機肥料を入れて土づくりをしている。高原を北海道の富良野のような美しい圃場(ほじょう)にするのが夢なんです」(河畑達雄)~

 

 

「お帰りモネ」の前半のストーリーに通じるものがあるなぁ。

光が原高原とは、そんな処。

縦長の黄色い建物は、風車だったらしい。

 

残念ながら妙高の山頂は隠れてしまった。

で、光が原に上がる前に麓で撮った妙高山。

この後、妙高山が顔を出すことはなかった。ちょっと残念。でも、それを補って余りある・・・・

高デッキ山と黒姫山の間を拡大。

 

 

きょうのドライブの目的の、大きな部分はこれで達成。

上越市HPより

光が原高原センター

視線を移せば、日本海も見下ろせる。

直江津港方面

手前の建物は、坊ヶ池湖畔の天文台・星のふるさと館。

 

 

では、グリーンパル光原荘へ。

途中にあるのは、

左が実際にあさま山荘で使用された鉄球で、右が映画で使用された鉄球。

 

光原荘着

高原センターを見下ろす。

この後、一旦来た道を戻ってから、関田峠へ向かう。

続く。

 

 

 

コメント (2)
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