niceshotpeteの山旅

新潟県内外の山々を旅した記録です。山座同定に力入れてます。掲載した写真の何枚かはピクスタで販売してます。

2024年田上町梅まつり & 2024年新潟市開花宣言???

2024年03月27日 | 植物
27日は全国的に晴れ予報。
そろそろ田上町の梅も見頃か?行ってみよう。
車に乗ると、なんと雨が降ってきた。でも、すぐ止むだろう。降水確率10%だし。
梅林に着く頃、雨もほぼ止んできた。よしよし、いい傾向。
梅は、見頃。過去一番くらいの良いタイミングだった。

青空はないが、梅は見事。
しかも、畑の色がいい感じ。

まさに和の配色だ。




背景を緑に。
ヒメオドリコソウもあちこちから。

坂を下りきれば紅梅。








さて、もっといろんなアングルからと、思ったのも束の間。また雨が!
しかも降りがだんだん強くなる。即、坂を上り、車に避難。
もっと写真撮りたかったが、止む様子は無い。まあ仕方ない、帰路へ。

新潟市の桜開花予想は4月4日頃。
べつに、桜には全く期待してなかったが、なんとなく帰路の途中で、ほぼ毎年花見に訪れている鷲ノ木新田に寄る。そのまま素通りするつもりだったが。
あれ?桜が開花してる!通り過ぎてから路駐し、カメラを持って戻る。桜公園の染井吉野ではない。
少し離れた民家の中。
色が濃い。どうやらオオヤマザクラのようだ。




5輪以上咲いている。新潟市の、オオヤマザクラの開花を、非公式宣言します。

でも、葉があまり伸びてない?オオヤマザクラは葉と花が同時にでるんだ。
と思って全体を見ると、下の方の枝は葉が伸びている。

こういう咲き方をするの?
そもそもオオヤマザクラは、ソメイヨシノより、早く開花するんだったっけ?
で、某生成AIに訊いてみた。

Q: ソメイヨシノと、オオヤマザクラは、どちらが早く開花するか? 

(すると、以下の答えが返ってきた。)

A: 「ソメイヨシノ」と「オオヤマザクラ」は、日本の桜の代表品種で、どちらも春に美しい花を咲かせます。両者の違いと咲く時期について詳しく説明しますね。
  1. オオヤマザクラ(大島桜):
    • 花色: 
    • 花径: 4~5㎝
    • 開花時期: 3月から4月
    • 特徴: 葉が桜餅の葉に使われるため、「モチザクラ(餅桜)」とも呼ばれます。香りのある大きない花を咲かせ、見応えがあります。
  1. ソメイヨシノ(染井吉野):
    • 花色: 淡紅白色
    • 花径: 3~4㎝
    • 開花時期: 3月から4月
    • 特徴: 葉が出る前に淡紅白色の花を咲かせ、風に揺れる姿が美しいです。江戸時代に染井村で生み出され、その上品で優しい色合いが特徴です12。
したがって、ソメイヨシノは新葉より先に花を咲かせ、オオヤマザクラはい花と葉が同時に展開します。どちらも日本の春を彩る美しい桜ですね。🌸

(国会答弁じゃあるまいし)
訊かれた事だけ答えてください。
答えになってないじゃないですか!
しかも赤字の部分、間違ってます。
生成AIとしての完成度、低すぎますね。

では、質問を変えます。

Q: 染井吉野の開花の条件は?。

A: 染井吉野の開花時期を予想する方法にはいくつかありますが、一般的な方法としては以下の方法があります:
400℃の法則: 2月1日以降の平均気温の合計が400℃を超えると開花するとされています。この法則を使えば、手軽に桜の開花を予想できます。

400℃じゃなくて600℃じゃないんですかぁ?いい加減ですねぇ。

Q: では、オオヤマザクラの開花の条件は?
A: オオヤマザクラ(大島桜):
 ・花色: 
 ・花径: 4~5㎝
 ・開花時期: 3月から4月・・・・・

同じ答弁を繰り返さないでください!間違ってるって言ってるじゃないですか!速記、停めてください!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時間が来ましたので、質問終わりますが、あまりに酷い答えで呆れます。

というわけで終わり。(∀`*ゞ)エヘヘ
生成AI。まだまだ簡単に信じちゃいけないよ。

(故八代亜紀のお別れ会。生成AIで作ったという八代亜紀の声で挨拶が。
そういうの禁止しない?詐欺に悪用されるんだよ?)


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3月24日 魚沼市・赤城山西福寺の石川雲蝶 その2

2024年03月25日 | 寺社仏閣
まずは本堂で。


早々に。
越後日光開山堂
日光東照宮の彫刻にも匹敵する素晴らしさから越後日光と称される。


ネットにも、書籍にも、沢山掲載されているので、目にすることも過去に何度もあるし、それは誰しも同じだろうが、やはり、百聞は一見に如かず。
思わず溜息が漏れる。天井を見上げるから口も自然にポカンと開く。
開山堂の入口を入ると何段かの階段がある。その下から見上げることになるが、当然上下が逆になる。で、写真を上下反転

道元禅師猛虎調伏の図

禅僧の道元が中国に修行に行った際、虎に襲われそうになり手元の杖を虎に投げつけたところ、杖が龍になって虎を退治したという伝説をもとに作られた。

残念ながら、この見上げる位置からは虎の頭が隠れてしまう。
階段上がると、私のレンズでは全体は入りきらない。
床に寝そべれば撮れたのか?そこまで頭が回らなかった。
外には多くの観光客が訪れていて、当然開山堂の中にも何人かいるだろうと思っていたが、我々が入っていた間には誰も訪れなかった。
寝そべるべきだった~~~~。





道元禅師

鬼退治の仁王像







他にも、それこそ無数の彫刻が。
雲蝶の、卓越した技術は勿論素晴らしいが、なにより、その根気や集中力には畏怖すら感じてしまう。






開山堂を出てから、法堂の隣の部屋へ。


雲蝶の間



雲蝶は絵も素晴らしい。そりゃ、彫刻する際も、下絵を描いてから彫るんだろうからな。
兎に角、百聞は一見に如かず。これに尽きる。
聞きしに勝る素晴らしい開山堂の彫刻だった。
が、それに間違いはないんだが、僕は木目の美しい彩色されていない彫刻のほうに、より魅力を感じるなぁ。

帰路、同じく雲蝶の作品がある永林寺にも寄ってみたが、ここは写真撮影不可。残念。撮影可能な時期を合わせてくれれば。

まだまだ雪の多く残る、さすが雪国魚沼。でも、桜の季節はもうじき。
終。




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3月24日 魚沼市・赤城山西福寺の石川雲蝶

2024年03月25日 | 寺社仏閣
ぐずついた天気が続く日々だが、24日日曜日は晴れる予報。
長距離運転大丈夫か?台車だし傷でもつけたら大変と、若干のためらいはあったが、あと1か月たつと、写真撮影不可期間に突入してしまうので決行。
運転は無理をせず、80km/hを守って走る大型トラックの後ろを車間距離充分とって追従した。
小出ICで降りて少し走れば。
曹洞宗赤城山西福寺。
大力山、権現堂山、魚沼アルプス、駒見山、そして奥只見へ、等々。
何度も足を運んでいる魚沼市だし、いつでも行けると思っていたら、延ばし延ばしになっていた。

寺らしくない後ろの高い建物はなんだ?と思ったら、この下が開山堂。
建物は、茅葺き屋根の開山堂を守るためのものだった。




では、中に入る前に向拝の彫刻を。

鳳凰

木鼻に、獏?と阿形の獅子。獏は子供を咥えている。


左は吽形の獅子、かと思ったらこちらも阿形。この組み合わせもあるんだ。
獏は子供を食らう?夢を食べるんじゃなかったっけ?神獣が人を食べるわけないよねぇ。

正面の鳳凰の下に烏天狗。烏天狗の彫刻は初対面かも。


その奥にも彫刻が。


海老虹梁には

龍の上で巻物を広げる翁

あまりに彫刻が細かいと、梁としての強度は大丈夫なのかと要らぬ心配をしてしまう。

反対側の海老虹梁 には

こちらは龍の上で琴を弾く天女。
それぞれの彫刻には、ちゃんとストーリーがあるはず。

其の上に太刀で鬼退治。髷をつかむと宇良のように反則負けになるぞ。

緻密で絢爛な透かし彫りの彫刻。さすが雲蝶の最高傑作と称される彫刻が施された西福寺。
この向拝周辺の彫刻だけでも見応え充分だが、開山堂の中には、あの彫刻が。
では拝観料納めて、本堂から開山堂へ。
続く。

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魚沼市の雲蝶

2024年03月24日 | 寺社仏閣
魚沼市の石川雲蝶の彫刻を見てきた。
烏天狗
烏天狗は神か、妖怪か?
赤城山西福寺を守護してるんだから神なんだろう・・・

続く。
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結桜

2024年03月23日 | 植物
2016年4月。山形県小国町から頼母木山に登った帰り、国道113号線を走っている時に見かけた、珍しい桜。
一本の木に白とピンクの花が咲いていた。
珍しい!あれは何桜?と思いつつも、その後見ることもなく、とうに「記憶にございません」状態になっていたんだが。
新潟の民放で紹介されていた結桜(ユイザクラ)。
この桜だったんだろうか?
本家結桜のピンクはも少し薄かったような?私が見た桜のピンクは写真のように濃かった。
でも、そういう種類の桜があることがわかってそれなりに納得。
鈴木大和園。今年、訪れてみようか?


コメント (3)
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3月19日 新潟市の石川雲蝶

2024年03月20日 | 寺社仏閣
入院中に見ていた本の中に、「越後のミケランジェロ」石川雲蝶の彫刻を集めた本もあった。雲蝶の最高傑作と言われる魚沼市西福寺開山堂の彫刻。まだ見たことがないので自宅療養で毎日が日曜日の今のうちに行きたいと思って調べてるうちに、写真撮影が許可されてるのが4月25日までだと知った。あれあれ、この寒波が収まる週末に行こうか?混むかな?長距離運転できるか?あれこれ考えていたら新潟市にも雲蝶の彫刻があることがわかった。
病院に診断書の申請に行った後、寄ってみた。

中央区の佛興寺





お彼岸。20日の悪天候を避けてか、お墓参りの方も多い。
まずは手を合わせてから撮影。

龍と獅子




いささか小ぶりな龍だが、眉毛や髭の繊細さが素晴らしい。

ちょっと優し気な表情もいい。

こちらは、隅角の下の龍。

こちらは、雲蝶作ではないのかな?繊細さが全く感じられないぞ。

では、木鼻の獅子。
阿形


吽形

妖しの雲を纏ったような鬣の表現が雲蝶の真骨頂か。




もうすぐ桜の季節。桜と雲蝶なら三条市の本成寺も。
西福寺に続く・・・か?

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信濃川火焔街道と津南町・沖ノ原遺跡&栄村・長瀬新田遺跡

2024年03月17日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その8

岡本太郎が初めて火焔型土器を見た時に「なんだ、コレは!」と叫んだということから、
「なんだ、コレは!」
信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化
というストーリーで新潟市・三条市・長岡市・十日町市・津南町の5市町から申請が出され、2016年に日本遺産に登録された。2017年には魚沼市も加わった。
約5000年前に信濃川流域で生み出された火焔型土器だが、この形態の土器が初めて出土したのが長岡市の馬高遺跡で、この土器が火焔土器と命名された。
その後、各地の遺跡から同様の形態の土器が出土し、火焔土器と同様の型ということで、後に続くものは火焔型土器と呼ばれるようになった。
つまり、火焔土器と呼ばれる土器はひとつしかない。
そして、ひとつということで言えば、十日町市の笹山遺跡から出土した火焔型土器「縄文雪焔(ゆきほむら)」が、新潟県ただひとつの国宝。
津南町では米原Ⅱ面上の沖ノ原遺跡から火焔型土器が出土している。
火焔型土器は一見実用的な形ではないが、ちゃんと煮炊きしたあとが残っているものもあるらしい。
沖ノ原遺跡からは他に縄文クッキーと呼ばれるクッキー状炭化物も出土している。木の実と動物の血液などを混ぜて焼いた、縄文時代の食べ物。

信濃川、というから新潟県だけかと思うが、長野県栄村堺の志久見川左岸、標高約520mの朴ノ木坂面上に位置する長瀬新田遺跡でも出土している。まあ、その頃は県境なんて関係ないけどね。
やっぱり、この辺りの遺跡は段丘面上にあるんだねぇ。
中津川右岸の朴ノ木坂面と同じ段丘面が志久見川沿いにもある。スケールが僕のちっぽけな頭の思考範囲を超えている。
長瀬新田は、も少し上流

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旧齋藤家別邸のひなまつり2024

2024年03月17日 | にいがた庭園街道
HPより。
旧齋藤家別邸は、豪商齋藤家の四代齋藤喜十郎(庫吉1864~1941)が、大正7年(1918)に別荘として造ったものです。 砂丘地形を利用した回遊式の庭園と、近代和風建築の秀作といわれる開放的な建物は、大正時代における港町・商都新潟の繁栄ぶりを物語る文化遺産です。
戦後この邸宅は進駐軍による接収を経て、昭和28年(1953)には加賀田家に所有が移りました。
時代が移り平成17年(2005)、所有権の移転や解体の可能性などの話題が聞こえてくるようになり、保存を願う運動が市民有志によって起こされました。 署名・募金運動、市議会への請願などが実を結び、平成21年(2009)、新潟市はこれを公有化しました。

毎年あちこち雛人形を見にいってるが、出遅れた今年はもう時期を外しそう。
旧齋藤家別邸へ行ってみようか。お庭からのあの立派な建物も見たいし。
先に、新潟県の埋蔵文化センターへ寄り道。
苗場山麓ジオパークのお勉強してるが、何回か記事にしてるうちに、だんだん論文から抜粋だのウイキペディアから拝借だのが多くなり、無断使用とお叱り受けるんじゃないか?と心配になってきた。せめて写真は少しでも自分で撮って、と思い、埋蔵文化センターで無斑晶ガラス質安山岩だの、菫青石(これは埋蔵物じゃないか)などを展示してないかなぁと思って行ってみたが、それとわかるのは黒曜石の石器くらいなもの。そういうのは地元津南町や、糸魚川のフォッサマグナミュージアムにでも行かなければならないか?まだ遠くまで運転する自信なし。

じゃ、旧齋藤家別邸へ。

白壁通り(旧齋藤家別邸の壁が白で、手前の料亭の塀が黒。)




まずは1階の蔵の中のお雛様



1階の仏間として使われていた部屋。


奥の間の掛け軸

梅花鳴鶯
この色はむしろメジロに近いな。

大座敷


今年は梅もほとんど見てないので、ここでお花見を兼ねる。

2階へ











お庭に出て、この建物を外から撮影したかったが、能登半島地震の揺れで灯篭などが壊れたため、お庭は立ち入り禁止になっていた。

隣の茶室では、安田瓦の鬼がお茶を頂いていた(笑)




もっと沢山歩く予定だったが、右足の踵が割れちゃて痛くて長く歩けない。
前よりカメラを構えた時の腕の痛みは減ったけど、6枚くらい連射すると痛い。
退院してあっという間の2週間だが、看護師の監視の目がなくなってからの自堕落な生活は情けない。次の検診で怒られるんじゃ・・・。

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アバランチシュートと筋状地形の違いについて。

2024年03月17日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その7
苗場山麓ジオパークガイド認定検定は、
-奥信越の火山と川がつくりだした大地・雪に育まれた自然と歴史文化- 
ということで、雪に関する問題も多い。このキャッチフレーズも暗記しとくと1点稼げる。


雪崩地形の分類について Classification of Snow Avalanche Landform 関口辰夫(国土地理院) Tatsuo Sekiguchi(Geospatial Information Authority of Japan)
より抜粋 

日本海側の山地では毎年のように多雪となり、雪崩 や雪崩災害が頻繁に発生している。これらの山地斜面 では全層雪崩による特有の地形が形成されている。全層雪崩によ って侵食されて岩盤が露出した幅の広い直線状で急傾 斜の地形をアバランチシュートと呼んでいる。アバランチシュートと同様に急傾斜で直 線状だが、幅や深さが数mの幅の狭い溝状の地形を筋 状地形と呼び、北海道から山陰地方にかけての日本海 側山地に広範囲に分布している。新潟県内において筋状地形を詳細に調査した結 果、積雪深が1.0~1.5m以上、標高が200m以上、傾 斜が35~45°の斜面に多く、山地斜面や地すべり滑 落崖、火山のカルデラ壁、段丘崖などの急傾斜の地形 で多く分布していることが明らかになった。

こんな図も見つけた。はっきり区分されてる。



「のよさの里」の先の、「鳥甲山の展望台」で2021年10月に撮影した鳥甲山。
豪雪地帯の秋山郷なので、アバランチシュートが、当たり前にみられる地域のように思われるが、意外にもこの黄色で囲った辺りでしか見られない。
他のアバランチシュートは、もしかしたら地滑りでなくなったのかな?

一方、同じ関口氏の別の論文から拝借した筋状地形の空中写真

立体視可能とあるが、やってみたけどこの写真ではイマイチ。ちなみに立体視とは、わずかに撮影場所をずらして撮影した写真を並べて、右目で右の写真、左目で左の写真を見ると、頭の中で合成されて立体的に見える事。最初は難しいが、2枚の写真の間にハガキなどを置いて遠くを見るような視線でやってみると、見えるよ。

上記の抜粋で明らかだが、アバランチシュートと筋状地形は、どちらも雪崩地形だが別の物と理解するのが正しいんじゃないかと思われる。
が、時に混同されて、あるいは一括りにされて使用されていることがあり、認定検定で解答する際は、いかにもそれらしい選択肢を選んで1点損することが無いよう注意を要する。
(凄い遠回しの言い方になってる事をご理解ください💦)

奥只見湖のアバランチシュート(2023年6月撮影)


海谷山塊から望む千丈ヶ岳のアバランチシュート(2020年8月撮影)



見事なU字溝

同じ海谷山塊・鋸岳にて2018年7月撮影。
手前の斜面。木々の間に縦筋が。これぞ筋状地形?
こんな地形は、多雪地域にはどこでもきっとある。


The 筋状地形  2018年11月15日明神岳



これは筋状地形?
アバランチシュートと筋状地形の中間??
2013年6月御神楽岳から撮影

間違いがあったらご指摘ください。
続く。

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苗場山麓ジオパークガイド検定でよく出題されるSK030

2024年03月12日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その6


                                     ウィキペディアの写真を拝借

穴藤の川原で見られるSK030と呼ばれる火山灰に含まれる菫青石(きんせいせき)は、青紫色で透明感のある鉱物。角度によって違う色に見える多色性がある。
115万年前に榛名山付近で起こった火山活動の噴出物である上越火山灰をSK030と呼ぶ。
魚沼層群の模式地(ある地層の標準となる露頭がみられる特定の地域)は長岡市小国町の芝ノ又地域で、SKのSは芝ノ又、Kは鍵(key)層のKから取っている。
ちなみに、鍵層とは、地層の年代を比較し特定するために用いられる特徴的な地層。広い地域にわたって短時間に形成され、かつ識別の容易な地層で、地層の区分・対比の基準となる。鍵層の例としては、火山灰層・凝灰岩層・石灰岩層・化石層などがある。
魚沼層群の上部に挟まっている特徴的な鍵層はSK010、020、030・・・130等に分類されていて、そのうちのSK030に含まれる菫青石は、苗場山麓ジオパークガイド認定検定試験(初級)で必ずといっていいほど出題されるキーワードなので覚えおかなければいけないよ。(誰が?自分でしょ?さすが、検定試験。細かいとこついてきます)

間違いがあったらご指摘ください。
続く。
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苗場山麓ジオパーク 前倉橋と結東層

2024年03月12日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その5

前倉集落の上流側の、苗場山麓ジオパークを代表するスポットのひとつ、前倉橋。(カシミール3Dに登録した前倉が前嵓になってた💦)


新潟の橋50選に選ばれている。
その価値を高めているのが周囲の岸壁。


この岩は結東層という、新生代第三紀中新世(今から1500万~1800万年前)、日本海ができ始めた頃に海底に堆積した、海底火山噴出物を主体とした地層で苗場山麓ジオパークで一番古い地層。
この火山噴出物が堆積してできたのがグリーン・タフという緑色の岩石。
ちなみに、結東層→藤沢層→西田尻層→魚沼層群の順に新しくなる。

魚沼層群は、洪積世前期(今から100万年前から70万年前)を通して堆積したきわめて大規模な地層で、苗場山麓ジオパークの基盤を成す地層で、泥岩や安山岩質の角礫凝灰岩 などからなる。
石落としや大嵓の柱状節理が乗る地層。
いずれもフォッサマグナを構成する地層の一部といえる。

間違いがあったらご指摘ください。
続く。

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高野山ダムの導水管

2024年03月10日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その4

まっちさんのコメントを受けて。
笹葉峰北側の「谷の展望台」から。
石落としと大嵓の間。
滑落崖の、約400mの高低差を活かした、中津川第一発電所の導水管。
穴藤も地滑りブロック上にある集落。見事な地滑り地形。
台地上の高野山ダム(こうのやまだむ)で取水した水を、穴藤にある中津川第一発電所へ送って発電してる。
TEPCOのHPでは、穴藤ダムの項に、この導水管の写真が載ってるので、てっきり穴藤ダムからの導水管かと思っていた。
以前の記事の誤りを直せました。まっちさん、ありがとうございます。
コメント (4)
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北野天満温泉近くの天代の火山灰露頭

2024年03月10日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その3

きょうのブラタモリも興味深かった。

縄文式土器と弥生式土器。
縄文式土器が弥生式土器より古い時代のものだと判明したのは、それぞれの土器が含まれていた指宿市の地層の間に、火山灰層が挟まれていて、その火山灰の降下堆積年代から、それぞれの地層が形成された年代が判明したから、なんだって。その火山がどこの火山なのかまでは説明がなかった。
なので、今回勉強した内容と照らし合わせてみた。

「津南学vol.4」によると。
長野県栄村の、北野天満温泉近くの天代(あましろ)の火山灰露頭では、

・鬼界アカホヤK-Ah (供給源:九州南方鬼界カルデラ 噴出年代:7300年前)
・浅間草津As-K (給源:浅間山 噴出年代:1万5千年前)
・姶良丹沢AT (給源:鹿児島湾姶良カルデラ 噴出年代:2万9千年前)
・貝坂スコリア (給源:妙高火山 噴出年代:3万年前)
・大山倉吉軽石DKP (給源:伯耆大山 噴出年代:5万5千年前)
・御岳奈川Pm-3C (給源:御岳山 噴出年代:7万5千年前)
・妙高火山を起源と考えられる数枚の火山灰層
・大町APm (給源:北アルプス南部樅沢岳 噴出年代:40万年前~33万年前

が確認されているという、約40万年に渡る火山灰層を誰でも一度に観察できる貴重な露頭なのだそうだ。

一方、
縄文時代は、 前1万4000年前から前3~5世紀
弥生時代は、 前3~5世紀から後3世紀中ごろ

なので、
縄文式土器が出土した地層と弥生式土器が出土した地層の間には鬼界アカホヤの火山灰層があったということ。という理解でいい??
吹き上げられた火山灰は偏西風にのって運ばれるので、指宿市で観察される火山灰は九州周辺か、それより西で吹き上げられた火山灰であることから、鬼界アカホヤであることと矛盾しない。

日本列島に分布する火山灰は、その鉱物組成や屈折率によりカタログ化されているので、それと対比すると年代を推定できる。

このうち、姶良丹沢ATの噴火は、桜島の北側に鹿児島湾の巨大カルデラを形成し、その火砕流は九州の南側1/3を覆い尽くし、現在のシラス台地を形成した。
ATの火山灰は北海道でも発見されている、という。
なのでね。また同じような巨大噴火が発生したら川内原発なんてひとたまりもないんだよね。

続く。





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中津川中流域は地滑り密集地帯

2024年03月09日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その2
河岸段丘広がる中津川下流域から一転、中津川中流域はまさに地滑りの巣。

中津川中流域の両岸は、鳥甲山と苗場山の火山噴出物で埋め尽くされている。
下図の第四紀段丘礫層と表示されている部分が、信濃川と中津川によって作られた河岸段丘のある場所。
鳥甲山の火山活動は、70万年前以前。苗場山の火山活動は50万年から30万年前で四期に渡り、第二期の熔岩流が現在の龍ヶ窪付近まで到達した。
龍ヶ窪の水は、苗場山の溶岩に浸み込んだ雨水が、約40年かけて溶岩末端崖から超軟水として湧き出したもの。
毎分18~30トン湧き出し、1日で池の水がそっくり入れ替わるほど。
(ちなみに、水の年代を調べるには、含有するトリチウムの量を測定し、トリチウムの半減期をもとに推定するんだと・・・合ってる?
中津川は、一度苗場山の火山噴出物で一旦完全に埋め尽くされた後、下方浸食により流域の火山噴出物を削り取って、今の流れになった。

      (図は、津南学vol.4から無断で拝借。ごめんなさい。)
龍ヶ窪


第三紀基盤岩類の魚沼層群は、太古、海だった頃に堆積した地層で、柔らかい。その上に、鳥甲山と苗場山から流れてきた溶岩が固まって硬く重くなった安山岩がのっかったもんだから堪らない。ずるずると滑りやすい地滑り密集地帯となった。

地滑りは、地中の深いところから大きな塊として地盤がズルっと滑る現象で、その結果、発生域を取り囲むように急な崖=滑落崖ができ、滑り落ちた土砂は、下に溜まって広大な緩斜面=地滑りブロックを作る。



笹葉峰の西側の、まるでスプーンでえぐったような地形が、超大規模な地滑りの跡。

見玉の2kmほど下流から上流方向を見る。

見玉集落が地滑りブロック上にあることがわかる。

笹葉峰の北側から見玉集落越しに石落としを見る。


見玉公園から石落とし




見玉・穴藤・結東・見倉・前倉・屋敷・切明といった集落は、皆、地滑りブロックによる緩斜面の地に人々が定住してできた。

見玉上空付近からみた上流方向。

清水川原は、鈴木牧之が秋山郷の入口と紹介した集落。
ここは、地滑りブロックより下の、文字通り中津川の川原にある。
そこから見上げる大嵓も見ての通りの滑落崖。秋の紅葉の時期が素晴らしいとのこと。今秋にでも。
石落としの柱状節理は、苗場山熔岩流単独だが、大嵓は、下に鳥甲火山熔岩流と、上に苗場火山熔岩流の2段の柱状節理になっている。
間には、火山灰などが降り積もった谷上ローム層がはさまり、3段の紅葉になる。2つの柱状節理の違いも見物だとか。
鳥甲火山熔岩流の下の地層も魚沼層群であるとの記載を見つけた。


3番目の図の苗場山の北西側に広がるカルデラ地形。
噴火で陥没したカルデラではなく浸食カルデラというんだそうだ。
苗場山の山頂方向から、硫黄川と小赤沢川が流れ下って中津川にそそぐ場所。
この川の両岸が地滑りで陥没し、カルデラ地形を形成している。


とりあえずここまで。
続く。

間違いがあったらご指摘ください。




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津南町の河岸段丘(河成段丘)の名称

2024年03月06日 | 苗場山麓ジオパーク
入院中に勉強した、新潟県津南町の中津川下流域の河岸段丘の名称。
勉強した内容を少しずつ纏めようと思ってる(いつまで続くか?💦)

マウンテンパーク津南にある「山の展望台」(正確にはちょっと手前)で2021年04月24日 に撮影した写真。

段丘面は、そこに載る代表地名を冠して、段丘面の名称としている。
中津川下流域に広がる日本一の河岸段丘は、

30万年以上前に谷上面が、
16万年前以前に米原Ⅰ面、米原Ⅱ面が、
15万年前頃に卯ノ木面が、
14万年~11万年前に朴ノ木坂面が、
10万年~5万年前(最終氷期前半)に貝坂面が、
3万年前(最終氷期後半の初期)に正面面が、
1万5千年前頃(終氷期極相期頃)に大割野面(正確にはこれもⅠ面とⅡ面がある)が

順次形成された。

谷上面の位置はあやふや。
卯ノ木面は、写真左の山腹に隠れる。
米原Ⅰ、Ⅱ面は、同時期に形成されたと~ても広い扇状地って理解でいいのか?
津南町の資料館で確認したい。
ゆくゆくは、苗場山麓ジオパークガイド検定を受けたいと思ってる。
何万年後には、さらに新しい段丘面が作られているのだろう。

間違いがあったらご指摘ください。

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