niceshotpeteの山旅

新潟県内外の山々を旅した記録です。山座同定に力入れてます。掲載した写真の何枚かはピクスタで販売してます。

5月26日 前倉橋~清水川原~見倉からの「シシ穴の柱状節理」・石垣田、巨木の森。

2024年05月29日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その19

屋敷から405号を北上。前倉へ。
結東層(約1,800万年前から1,500万年前の日本海ができはじめ頃の地層。中津川流域の逆巻から小赤沢にかけて分布し、おもに海底火山の噴出物である。)が見られる前倉橋。

以前は、ここに茶屋があったのだが、綺麗になくなっていた。(って、教えてもらったはずなのに忘れていた)


グリーンタフという岩石が含まれるが、緑に見える?見えない?

 
さて、萌木の里で蕎麦を、と思ったが、腹が空かないというのでパス。
ただ、ここに来たのは裏手にあるシシ穴の柱状節理を見るため。
受付で尋ねると、対岸から眺めたほうが良く見えると。ならば行くっきゃない。清水川原橋を渡った先に右上に上がってゆく道があるという。

清水川原橋から見る、清水川原と大嵓。


川原は綺麗。この川原に清水が湧いているから清水川原という。

上流側


鈴木牧之が秋山郷の入口と称した清水川原の集落。

この集落の神社の脇に、コハウチワカエデの、目通り1.6m、高さ15mの県内有数の大木があるというが、どれのことかわからない。
北越雪譜にも記載があるコハウチワカエデと同じ木ではないかと言われている。

ほどなく、右に上がる見倉の集落にあがる道。
坂道を上ってゆくと、ビューポイントと表示のある駐車スペース。




左下が萌木の里。左上は高倉山。


HPより。
結東の「シシ穴」と呼ばれる、萌木の里の裏側に見ることができる柱状節理は、約77万年前に噴火した鳥甲山(とりかぶとやま)の溶岩です。前倉(まえくら)溶岩(ようがん)とも呼ばれる鳥甲山の最初の活動の火山砕屑物です。柱状節理が発達した安山岩の溶岩は、布岩山の東から穴藤まで北へおよそ20km以上も流れ、先端は魚沼層群上部に堆積しました。
 遠くから見ると、一枚の平滑な浸食面として見える崖ですが、近寄るとロウソク状に浸食されている様子が観察できます。これは雪崩による浸食の跡です。
 「シシ」とは「アオジシ(カモシカ)」のことで、カモシカのねぐらがあることからこの地名がついたそうです。
 また、この場所は雪が積もることによって岩壁の真下まで近づくことができ、柱状節理の様子を詳細に観察することができます。

火山砕屑物ってなんだっけ?復習。生成AIに尋ねる。
 火山砕屑物(または「火砕物」)は、火山活動の際に放出される固体物質であり、そのサイズと起源によって分類されます。溶岩以外の固形物で、大きく2種類に分けられます1。具体的には次のようなものが含まれます:
1.火山岩塊、火山礫、火山灰など:溶けたマグマ(岩漿)や古い岩石が破片になったものです。
2・軽石、スコリア、火山弾など:溶けたマグマがちぎれてバラバラになったものです。

火山砕屑物が固まってできた岩石を「火山砕屑岩」(または「火砕岩」)と呼びます1。火山砕屑物は、火山噴火の危険性評価や、火山活動の過去の歴史を理解するのに重要な役割を果たしています。
さらに、火山砕屑物は粒の大きさによっても分類されます。最も大きいのは火山弾で、直径が2センチメートル以上の塊状の岩石です。次に火山礫があり、直径は2ミリメートルから64ミリメートルです。最も一般的な火山砕屑物は火山灰で、粒の直径は2ミリメートル未満です。火山灰は非常に細かい粒子で構成されており、遠くまで運ばれることがあります

つい、便利だから生成AIに訊いちゃうが、生成AIのサーバーは物凄く電力を消費するんだって。動画作ったり、感情を込めたような返答を返す進化した生成AIがガンガン稼働したら、結果、電気代があがることになるって。使いながら云うのもなんだが、これ以上進化しなくていいんじゃないか?生成AIを使った巧妙な犯罪も激増するだろうし・・・。


右手に、結東の石垣田。

HPより。(引用ばっかり)
 結東集落の北側には、全国農村景観百選にも選ばれている美しい石垣田が広がっています。長い年月と労力をかけて築かれた石垣は、鳥甲山と苗場山の火山噴出物(柱状節理)の崩れた落石を利用しています。石積みの高さは高いものになると3mもあり、村人の苦労が容易に想像できます。開墾が始まったのは明治25年(1892)頃で、秋山郷は稲作には厳しい環境とされていましたが、村人の強い思いが血と汗をともなってこの石垣田を作りあげました。
 現在は、周囲の農道が狭く大型機械が入れないため農作業が大変なことや村人の高齢化もあり耕作されない田んぼが多くなってきています。そのため、保存会が発足し住民や行政と協力しながら保全活動を行うとともに、エコツーリズムなどと連携し農業体験も行っています。
 この石垣田のすばらしさをたくさんの人に知ってもらうため「けっとの灯影」と題し、田植え後の石垣田に1,000本のキャンドルを灯し、からす踊り(土着民謡)などで春の宵を楽しむイベントも開催しています。
 また、溶岩壁下部のガレ場には「風穴」が点在していて、エゾヒョウタンボクなど希少な植物が生育しています。
 ジオ、エコ、カルチャーが融合した素晴らしいスポットです。

背後には巨木の森。
 
ここより先、見倉トンネル手前の遊歩道を辿ると、新潟県最大級、直径2.6mを誇るトチノキにも出逢える。熊が怖いから、一人では僕は行かんけどね。
この森では、アサノハカエデやウダイカンバ、甘い芳香を放つカツラにも出逢える。春にはウワミズザクラに似た、シウリザクラも。新潟県内でシウリザクラに出逢えるのはここ見倉の風穴周辺だけだそうだ。
その他、ヒトツバカエデ、テツカエデ、ミネカエデ、メグスリノキ、ハウチワカエデなどが、秋山郷を彩る樹木。

河岸段丘広がる中津川下流まで戻ってきた。

田植えの終わったばかりの水田が水鏡に。


収穫の多い一日。
大急ぎで新潟市に戻り、大の里の一番に間に合った。
糸魚川市の、能生中学~海洋高校出身。早々にやめちゃった豊山に変わり、一気に新潟県民の誇りとなった。(石川県の皆さん、スミマセン)
大の里が痩せると、大谷に似てるんじゃないかと思うのは僕だけ?
終。





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5月26日 苗場山麓ジオパーク・苗場山の浸食カルデラ

2024年05月29日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その18

五宝木トンネルを抜けた後、前倉の集落から国道405号へ入るつもりだったが、通行止め。この通行止めの道を行くと、山の展望台の処の分岐に出ることになる。赤が辿った道。水色が予定していた道。

さて、屋敷へ回って国道405号にでることになったが、途中の苗場山の眺めが良かったので結果オーライ。

この眺め。檜ノ塔から霧ノ塔まで(写真に写ってないがその先の黒倉山まで)爆裂火口や爆発カルデラみたいに弧状に連なる山体。
噴火によりこうなったのではなく、硫黄川と小赤沢川により浸食された浸食カルデラ。もちろん地滑りも頻発したはず。
削り残された(たぶん)のが猿面峰から松ノ峰。
カシミール3Dにて作成。



浸食される前はどんな形だったのか。神楽ヶ峰~霧ノ塔~黒倉山を外輪山として、猿面峰あたりを中央火口丘とする妙高や浅間のような形を想像する。シロートの想像だから信じないように。



車を進める。



奥志賀の山々
湯田中から入って岩菅山~烏帽子岳~笠法師山~秋山郷と辿る健脚向きルートがあるらしい。

白嵓ノ頭
壮大なアバランチシュート。
以下は、みなかみ町が作成しているPDFだが、苗場山麓ジオパークのサイトが、未だに白嵓ノ頭のアバランチシュートを筋状地形(✕きんじょうちけい 〇すじじょうちけい)と掲載している。メールで指摘してみたんだけどね。歯痒い。



屋敷の集落に下る。ここに貴重な、綺麗な公衆トイレがある。覚えとくと役に立つよ。
清水川原やシシ穴の柱状節理に続く。


コメント (4)
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5月26日 苗場山麓ジオパーク・前倉トド山の展望台  更新

2024年05月28日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その17 

津南町に着き、すぐに沖ノ原台地へ駆け上がる。
図は、川の展望台辺りの上空から俯瞰した、きょう辿る風景。
龍ヶ窪の後ろが苗場火山熔岩流末端崖。平らな沖ノ原台地へ溢れかえり押し寄せた凹凸の熔岩流。
龍ヶ窪の右側から末端崖を駆け上がる。
冬季間通行止めの道。どんなにか悪路なのかと思っていたが、広くはないがしっかり舗装された快適な道だった。
高野山の右側を通過。高野山ダムも見たかったが、道がわからん。
使われているのかいないのか、牧場と思われる草原も現れる。
暫く進むと、
ブナのトンネル。



エゾハルゼミと、ときおり響く小鳥の囀りに心が和む。

鳥甲山が見えた。

さて、分岐。これを左に辿るつもりだった。グーグルマップでは、展望台への登り口が左の道から続いてたから。
それがなんと通行止め。
歩いて行こうか??でも、標識良く見ると

右の道。展望台の後、引き返して右の道に入るつもりだったので手間も省ける。
登り口はすぐにわかった。駐車スペースも数台分。
他に人影は無く、熊が心配。熊鈴持ってくるつもりだったが忘れた。
スマホの音楽鳴らしながらいこうかと思ったが、カーナビとブルートゥースで繋がってスマホからは鳴らない。ま、しょうがない。

少し登ると展望台。ここは苗場山と中津川の渓谷を眺める展望台。










小さな祠がある。

え?八海山が見えるって?家に帰ってから気づいた。最後まで読んでなかった。不覚。

そこから南西に進むと、不意に広い平原が広がる。
鳥甲牧場跡。

ここでも苗場山が望める。高いサイロも2本ある。牧場っぽくっていいね。


苗場山麓ジオパークHPより
鳥甲牧場周辺にはシルト層を主体とする五宝木湖成層と呼ばれる湖成層が分布することから、湖であったことが推測されます。時代は不明ですが、苗場火山噴出物、鳥甲火山噴出物の堆積と関連して形成されたと考えられます。五宝木から鳥甲牧場に至る県道沿いに分布し、およそ30mの層厚があります。
 魚沼層群の前子無斑晶質安山岩層や屈岨層、高山沢・鬼沢火砕流堆積物を不整合に覆い、苗場山第Ⅳ期噴出物に覆われています。 
 鳥甲牧場があった標高1,100m前後の平坦面は、スランプ構造の発達した白色細粒火山灰とシルト層の互層となっています。
〈スランプ構造〉
 平行に重なった地層のうち一層準だけ、地層の構造が著しく乱されている構造を言います。このような構造は、地層がまだ軟らかいうちに変形したことを示しています。スランプ構造の多くは湖底地すべりによって形成されたものと考えられています。(産技術総合研究所・地質調査総合センター)


産総研のHPから拝借した地質図。水色の部分が湖成層。
4つの湖だったのか、ひとつの大きな湖が地殻変動で別れたのか?
川沿いの緑色が結東層。その右は苗場火山由来の安山岩。左は鳥甲火山由来の安山岩。

右に鳥甲山。


さらに右に台倉山など。


背後に高倉山。地図に登山道はないが、簡単に登れそうな。


牧場の中へ。


遠目ではカッコいい牧場施設に見えたが近づくと廃墟。


サイロの奥へ。無人だと思っていたが、畑を耕している人がいた。
時計回りに山岳展望。










名峰を望める素晴らしいロケーション。野外フェスなんかにゃうってつけの広大な平原。遊ばせとくにはMOTTAINAI!
なにか活用策は?冬場の天候とか、素人が余計な口を挟む事じゃないかもしれないがMOTTAINAI。

この後、五宝木に向かってクネクネした道を下る。このどこかに湖成層が露出してるんだろうが、わかるわけない。

五宝木トンネルを抜ける。
1.2kmほどの長さだが、照明が全くない。なんか出そうな雰囲気。
その後北上して前倉の集落から国道405号に出るつもりだったが、通行止め。
屋敷まで遠回りになった。
千秋楽に間に合うように帰りたい。
続く。





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裸眼立体視

2024年05月01日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その16

これは、津南学vol.8に掲載されている裸眼立体視できる図。
裸眼立体視ってご存知?
左目で左の画を、右目で右の画をみると、平面の画が立体に見える。
すでにやったことがある方は簡単なんだが、初めての方は最長1週間かかるっていうから、すぐできなくてもがっかりしないで。
真ん中にハガキなど置いて、左目では右の画が見えない、右目では左の画がみえないようにすると意外と早くできるかも。
対象までの距離のすくなくとも100分の1ほど平行移動して撮影すると、立体視できるそうだ。
勝手に引用するのは著作権侵害? でも、利益をあげるわけではないから許してください。m(__)m

笹葉峰の地滑り。
注)私はPC画面で見てるが、スマホで見ると大きさはどうなんだろ?

出来た?面白いでしょ?実際よりも高さが強調されるからびっくりするでしょ?
間違いがあったらご指摘ください。
続く。
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4月20日 段丘桜の後は、中子の桜~天代の露頭

2024年04月30日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その15

段丘桜から沖ノ原台地を南西に進み、中子の桜へ。


中子の桜は2度目。

全く雪はない。雪上桜として有名になった中子の桜だが、温暖化の影響はここにも。

本数が少なく寂しげなのは否めないが、綺麗な事には変わりない。

中子の桜を後にし、さらに南西へ。

米原面から車1台しか通れない細い道を脱輪しないよう気を付けながら県境の志久見川へ下り、

北野川沿いの北野天満温泉へ。(この画よりも左)
そこの食堂で蕎麦を頂き、さらに南下し学問の橋を渡り、北野天満宮へ。
北野天満温泉から続く学問の道を歩いてくるとご利益があると。
ここまで車で来たから、ご利益はないのか?💦

写真を見るまで、この彫刻に気づいてなかった。
狛犬や彫刻がなくてちょっと寂しい。



橋を渡り直し、
北野天満温泉へ戻り、写真左の段丘へ上がって行くと、

天代の露頭。私にとっては、流行りの、「聖地巡礼」みたいなもので、どんな風になっているのか期待してやって来たのだが。



う~ん、コレか。表示がなきゃ全くわからず通り過ぎるとこ。

これを目安に、と言われても。


ここが最上部。

・鬼界アカホヤK-Ah (供給源:九州南方鬼界カルデラ 噴出年代:7300年前)
・浅間草津As-K (給源:浅間山 噴出年代:1万5千年前)
・姶良丹沢AT (給源:鹿児島湾姶良カルデラ 噴出年代:2万9千年前) 
等々の火山灰層があるんだろうが。
見る人が見ないとわからない。当たり前か・・・いや、何かプレートなど埋めて、どこが火山灰層なのかわかるようにできないものかなぁ。

登り切った段丘面は朴ノ木坂面なんだそうだ。

野沢温泉スキー場のある毛無山も、もちろん第四紀火山。大量の溶岩が流出した。

台倉山。「コンサイス日本山名辞典」1991年9月30日第8刷に載ってない山。

最新の辞典には載ってるかなぁ?生成AIに訊いてもこの山の事は教えてくれない。
ヤマレコに名前は載ってるが登山記録はなく、「木島平村最高峰。正式な登山道はありません」としか書かれていない。ピラミッドに囲まれた立派な山容。


この後、国道117号まで下り、津南町に戻り、川の展望台から段丘桜を見下ろした。

続く。
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スコリアとは?

2024年04月29日 | 苗場山麓ジオパーク
 
苗場山麓ジオパークのお勉強その14

スコリアは、火山噴出物の一種で、塊状で多孔質なもののうち暗色のものを指す。別名、岩滓(がんさい)とも呼ばれる。
 スコリアは主に玄武岩質のマグマが噴火の際に地下深部から上昇し、減圧することによってマグマに溶解していた水などの揮発成分が発泡したため多孔質となったもの。発泡の程度は一般的に軽石より悪く、発泡の悪い(孔の少ない)ものは火山弾や火山礫に移化し、明確な区別は決まっていない。スコリアの色は一般的に黒色から暗灰色だが、噴出した時の条件によってはマグマに含まれる鉄分が酸化して紫から赤色になる場合もある。軽石ほどは鉱物結晶を含まず、おおよそガラス質である。
 スコリアは火口から放物線を描いて放出され、周囲に同心円状に(風がある場合には楕円形状に)堆積する。ひとつの火口から大量に放出されるとスコリア丘を形成する。また、火山灰や火山礫と一緒に火砕流として山腹の斜面や谷を流下することもある。特にスコリアを主な構成物質とする火砕流をスコリア流と呼ぶ。
(生成AIにて検索。)

 天代の露頭では、新しい順に主なものとして、
貝坂スコリア(妙高火山起源 30000年前 層厚4cm)
相吉スコリア(妙高火山起源 12万~11万年前 ?) 
朴ノ木坂スコリア(黒姫火山起源 ? ?)
谷上スコリア(? ? ?)
が認められる。
谷上スコリアの下にフラッドロームが認められる。

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第四紀と、第四紀火山。現在は第四紀。

2024年04月29日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その13

 第四紀は、地質時代の区分の一つであり、約258万年前から現在に至るまでの時代を指す。
 
 他の地質時代が生物相の大幅な変化(特に大量絶滅)を境界として定められたのに対し、第四紀は人類の時代という意味で決められた。したがって、古人類学の進展に伴い次々に古い原人が発見されるとともに第四紀の始まる年代も変化していった。現在ではヒト属の出現を基準とし、地質層序や気候変動を併用して決定している。
 
 第四紀は、かつて地質時代を大きく第一紀(Primary)、第二紀(Secondary)、第三紀、第四紀に分けたことに由来している。これらのうち、第四紀のみが現在も公式の名称となっており、第三紀は古第三紀と新第三紀に分割されている。
 第四紀は地球の歴史において重要な時期であり、氷河期や間氷期などの気候変動、生物進化、地形変化などが進行した。この時期に形成された地層は、私たちの地球の歴史を解明する上で貴重な情報源となっている。

 第四紀火山は、第四紀に活動した火山を指す。また、活火山は2003年の火山噴火予知連絡会により再定義されており、「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」とされている。
 苗場山、鳥甲山、浅間山、妙高山を始めとして、那須火山帯、富士火山帯、阿蘇に桜島等々、日本の有名な火山はほぼ第四紀火山と考えて間違いないと思われる。
この時期に活動した火山は、第四系と呼ばれる地層を形成した。

 第四紀より古い地層はかつては「三紀層」と呼ばれていたが、今では古第三紀と新第三紀に分かれている。語源的には、第一紀、第二紀、第三紀、第四紀と大きく分けたことに由来している。これらのうち第四紀のみが、現在も公式の名称となっている。
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何万年後かに、新たな段丘面が。

2024年04月25日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その12

中津川下流。
大割野面の秋成本村から石坂橋~石坂トンネルを経て、米原面の沖ノ原台地へ上がる道。

(段丘上に並ぶのが段丘桜。段丘の左端が苗場熔岩流末端崖)
この辺りでは、中津川は流れが緩やかになり、蛇行しつつ川幅を広げる(側方浸食・横刻)。川原全体が氾濫原。
何万年かして、地震や、新潟県を東西に圧縮する力などの原因で地盤が隆起すると、水の位置エネルギーが増えるため、地面を真下に向かって掘りこんでいく(下方浸食・下刻)。
そして、現在の川原は新たな段丘面となり、知的生命体が生存していれば、ホニャニャラ面という名前を付与するんだろう。このようにしてできる河岸段丘を浸食段丘という。
(ただし、現在のこの辺りの標高は300m前後。
水が位置エネルギーを失うのは、海面と同じ高さ(浸食基準面)になった時なので、側方浸食だけでなく、下方にも少しずつは浸食しているはず。)

 因みに。
地層の露頭では、フラッドロームと呼ばれる、段丘堆積物の凹凸を埋める段丘化直前、離水直前の微細な洪水堆積物が認められることがある。
段丘の離水が完了せず、洪水時にのみ河川流が段丘の表面に広がる状態で形成される。
このフラッドローム層は、段丘の対比や編年において重要な指標となる。また、古気候の推定には植物珪酸体などが有効であり、厚い堆積物の存在は氷期における河川の掃流力の低下を示すものとされている。
フラッドロームは試験に出題される可能性があるので要チェック。

 一方、氷期になって気候が寒冷化、乾燥化すると、川の流量が減るため、土砂の運搬能力が減り、埋積が進む。そこから間氷期になると、河川の流量が増え、下方浸食が進むようになる。このように気候変動によって形成される段丘を気候段丘と呼ぶ。

 因みに。
氷河期は、非常に寒い氷期と少し暖かくなる間氷期に分けられる。
氷河期とは、地球上に氷床が存在している時代のことで、南極やグリーンランドなどに氷床が存在する現在は、実は氷河期なんだって。
 例えば、太古のパンゲア大陸では、今、南極大陸になっている場所は、現在のオーストリア大陸あたりにあったので、地球上には氷床がなかった。そういう時代が氷河期ではない時代なんだそうだ。
最終氷期は7万年前に始まって、1万年前に終わった。なので、今は間氷期。
最終氷期が終わり、8000年前くらいになると、陸地化していたところに対馬暖流が流入するようになり、水蒸気量が増え、日本海側に豪雪をもたらすようになった。
間違いがあったらご指摘ください。
続く。



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広大な信濃川の氾濫原が河岸段丘に。

2024年04月25日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その11

津南町の河岸段丘。
30万年以上前に谷上面が、
16万年前以前に米原面が形成された。
他の段丘は、それらより、低く、新しい。
では、谷上面、米原面ができる前はどうなっていたかというと・・・・。

河岸段丘(河成段丘)はなにも津南町だけにあるわけではなく、下図の範囲では十日町市から栄村にかけて主に信濃川右岸に段丘面が広がっている。
黄緑色の部分が段丘面。(産総研HPより拝借)

オレンジ色は、溶岩が固まってできた安山岩など。図の下面、中央のオレンジ色は苗場山、鳥甲山の熔岩流。左は野沢温泉の毛無山の熔岩流。飯士山もしかり。関田山脈も噴いて出来た。

川の展望台付近上空から(高さは強調。カシミール3Dにて作成)

清津川から北(図の左方向)が十日町市。そして、十日町に広がる河岸段丘も米原面と谷上面。
30万年以上前。それよりもっと前。谷上面、米原面が形成される以前は、ここは広大な信濃川の氾濫原だった。

十日町市・信濃川左岸上空から(同じく高さは2倍程度に強調)
当間山を含む魚沼丘陵の隆起や、入間川、当間川の浸食などにより谷上面、米原面が形成された。信濃川右岸に広く形成されたのは、魚沼丘陵の隆起により、中津川同様、信濃川が次第に西側に追いやられたから、と思われる。

この越後山脈、魚沼丘陵、東頚城丘陵を隆起させる東西方向の力によって下の写真のように、北北東~南南西方向に何列も並ぶ山並みを、地学の専門家も「いわゆる新潟方向」と記述しているのが面白かった。
                             (刈羽黒姫山にて撮影)
かなり間違いがあるかも。ご指摘ください。💦(シロートのながら勉強です)
続く。
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4月14日 津南町 川の展望台

2024年04月18日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その10

朝7時頃、津南町着。
歴史民俗資料館や「なじょもん」は、勿論まだ開館していない。
逆光になるのはわかっていたが、道の確認だけでもと思い、「川の展望台」へ。
越後田中駅近くの踏切渡り、山に上ってゆく。

案内板はこれひとつだが、まあ迷うことは無い・・・と思ったら帰りに道間違えた。


展望台着。

だが、やはり眩しすぎて撮影無理。他を回ってから出直す。
石落とし、逆巻の川原、穴藤ダム、資料館など回った後、再度訪れた。


ワクワク。
広すぎて、18mmでは収まりきらない。
北東方向から時計回りに。





木が邪魔なので、展望台から降りて。



津南の河岸段丘は、中津川の右岸に発達している。その理由は、当間山。
当間山の隆起に伴い、その周辺の地盤も隆起。そのため、中津川はどんどん西に追いやられ、右岸側に段丘面が広がったのだそうだ。

また、



再度登場のこの図でわかるが、大割野面Ⅰ、Ⅱ面上にはローム層がなく、正面面から上位の段丘面は貝坂ローム層に覆われている。
大割野面が形成されたのは、およそ1万5千年前と「津南学Vol.4」から学んだ。
つまり、1万5千年前以降には、広い範囲に大量の降灰をもたらすような大噴火がなかった、という事だが・・・。

同じく「津南学Vol.4」の記載されている、
長野県栄村の、北野天満温泉近くの天代(あましろ)の火山灰露頭では、
・鬼界アカホヤK-Ah (供給源:九州南方鬼界カルデラ 噴出年代:7300年前)
・浅間草津As-K (給源:浅間山 噴出年代:1万5千年前)
・姶良丹沢AT (給源:鹿児島湾姶良カルデラ 噴出年代:2万9千年前)
・・・・・・・・・・・・・・・
が確認されている。

これと矛盾する。
隣りの栄村・天代の露頭で確認されているK-Ahが、大割野面では見つかっていないのか?
約8000年程度という、悠久の歴史の中のほんの一瞬の時間だから、離水したばかりの大割野面に積もったK-Ahは、時折降る大雨で増水した中津川の水に洗い流されたのか?
8000年前、というのは、この地が、日本海に対馬暖流が流れ込み始めた事で豪雪地帯になった頃。豊富な雪解け水で増水した中津川の水に洗い流されたか?

また、新たな疑問。
しかも、津南学Vol.8には、大割野面が陸化したのは1万年前以降と記載されてる。

正しいのは何?。
面白過ぎる。

(次は佐渡沖かと思っていたら、愛媛高知か。あちこち揺れるなぁ。夜遅い時間。高知の人々は、津波からの避難行動を取ったのだろうか?)

では、山岳展望を時計回りに。
















写真撮ってると、キャンピングカーがやってきて食事の準備を始めた。
上着が暑く感じられる初夏の陽気の一日。

色々加筆修正するかと。
間違いがあったらご指摘ください。
続く。
(インドネシアでは大規模噴火だって・・・)
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4月14日 津南町 再訪

2024年04月15日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その9

津南のダイナミックな段丘崖

「石落とし」


大嵓(おおくら、かと思っていたが、おおいわとも云うらしい。またの名を屏風岩とも?)


石落としの柱状節理は、苗場山熔岩流単独だが、大嵓は、下に鳥甲火山熔岩流と、上に苗場火山熔岩流の2段の柱状節理になっている。
間には、火山灰などが降り積もった谷上ローム層がはさまり、3段の紅葉になる。
では、苗場熔岩流の上の地層は何だろう?と、お勉強その2の時に思った。
色々調べたが、PC上では見つけられない。もう現地に行くしかない。
津南は、段丘桜が咲いたら行こうと思っていたのだが、気になりだしたら止まらない。
そうしたら。
「津南町農と縄文の体験実習館なじょもん」で、素晴らしい図を見つけた。

谷上ローム層の上に、米原ローム層、さらにその上に貝坂ローム層。

では、米原ローム層が形成されたのはいつ頃か?
生成AIに訊いてみた。(信頼していいのか?)
「米原ローム層は約11万年前から7万年前にかけて形成されたものと考えられています。」

そして、これは「苗場山麓ジオパーク」に記載されているが、
鳥甲山の火山活動は、70万年前以前。苗場山の火山活動は50万年から30万年前で四期に渡った。

つまり、苗場山の熔岩流が流れた後に、米原ローム層と貝坂ローム層が形成された。


これで正解か?

2つの柱状節理の見た目の違い。
苗場山熔岩流

鳥甲山熔岩流
年代の古い鳥甲山熔岩流のほうが、風化が進んで、こうした違いができたのか?そもそも溶岩の性状が違うのか?またまた新たな疑問。また、行かなきゃ、「なじょもん」。
大量の写真を撮ってきて、ぜんぜん整理できないので、おいおい。
ちなみに、
段丘桜の見頃は来週??



大割野面上(たぶん)にある歴史民俗資料館隣の桜は満開。米原面上の段丘桜の開花はこれから。


続く。
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信濃川火焔街道と津南町・沖ノ原遺跡&栄村・長瀬新田遺跡

2024年03月17日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その8

岡本太郎が初めて火焔型土器を見た時に「なんだ、コレは!」と叫んだということから、
「なんだ、コレは!」
信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化
というストーリーで新潟市・三条市・長岡市・十日町市・津南町の5市町から申請が出され、2016年に日本遺産に登録された。2017年には魚沼市も加わった。
約5000年前に信濃川流域で生み出された火焔型土器だが、この形態の土器が初めて出土したのが長岡市の馬高遺跡で、この土器が火焔土器と命名された。
その後、各地の遺跡から同様の形態の土器が出土し、火焔土器と同様の型ということで、後に続くものは火焔型土器と呼ばれるようになった。
つまり、火焔土器と呼ばれる土器はひとつしかない。
そして、ひとつということで言えば、十日町市の笹山遺跡から出土した火焔型土器「縄文雪焔(ゆきほむら)」が、新潟県ただひとつの国宝。
津南町では米原Ⅱ面上の沖ノ原遺跡から火焔型土器が出土している。
火焔型土器は一見実用的な形ではないが、ちゃんと煮炊きしたあとが残っているものもあるらしい。
沖ノ原遺跡からは他に縄文クッキーと呼ばれるクッキー状炭化物も出土している。木の実と動物の血液などを混ぜて焼いた、縄文時代の食べ物。

信濃川、というから新潟県だけかと思うが、長野県栄村堺の志久見川左岸、標高約520mの朴ノ木坂面上に位置する長瀬新田遺跡でも出土している。まあ、その頃は県境なんて関係ないけどね。
やっぱり、この辺りの遺跡は段丘面上にあるんだねぇ。
中津川右岸の朴ノ木坂面と同じ段丘面が志久見川沿いにもある。スケールが僕のちっぽけな頭の思考範囲を超えている。
長瀬新田は、も少し上流

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アバランチシュートと筋状地形の違いについて。

2024年03月17日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その7
苗場山麓ジオパークガイド認定検定は、
-奥信越の火山と川がつくりだした大地・雪に育まれた自然と歴史文化- 
ということで、雪に関する問題も多い。このキャッチフレーズも暗記しとくと1点稼げる。


雪崩地形の分類について Classification of Snow Avalanche Landform 関口辰夫(国土地理院) Tatsuo Sekiguchi(Geospatial Information Authority of Japan)
より抜粋 

日本海側の山地では毎年のように多雪となり、雪崩 や雪崩災害が頻繁に発生している。これらの山地斜面 では全層雪崩による特有の地形が形成されている。全層雪崩によ って侵食されて岩盤が露出した幅の広い直線状で急傾 斜の地形をアバランチシュートと呼んでいる。アバランチシュートと同様に急傾斜で直 線状だが、幅や深さが数mの幅の狭い溝状の地形を筋 状地形と呼び、北海道から山陰地方にかけての日本海 側山地に広範囲に分布している。新潟県内において筋状地形を詳細に調査した結 果、積雪深が1.0~1.5m以上、標高が200m以上、傾 斜が35~45°の斜面に多く、山地斜面や地すべり滑 落崖、火山のカルデラ壁、段丘崖などの急傾斜の地形 で多く分布していることが明らかになった。

こんな図も見つけた。はっきり区分されてる。



「のよさの里」の先の、「鳥甲山の展望台」で2021年10月に撮影した鳥甲山。
豪雪地帯の秋山郷なので、アバランチシュートが、当たり前にみられる地域のように思われるが、意外にもこの黄色で囲った辺りでしか見られない。
他のアバランチシュートは、もしかしたら地滑りでなくなったのかな?

一方、同じ関口氏の別の論文から拝借した筋状地形の空中写真

立体視可能とあるが、やってみたけどこの写真ではイマイチ。ちなみに立体視とは、わずかに撮影場所をずらして撮影した写真を並べて、右目で右の写真、左目で左の写真を見ると、頭の中で合成されて立体的に見える事。最初は難しいが、2枚の写真の間にハガキなどを置いて遠くを見るような視線でやってみると、見えるよ。

上記の抜粋で明らかだが、アバランチシュートと筋状地形は、どちらも雪崩地形だが別の物と理解するのが正しいんじゃないかと思われる。
が、時に混同されて、あるいは一括りにされて使用されていることがあり、認定検定で解答する際は、いかにもそれらしい選択肢を選んで1点損することが無いよう注意を要する。
(凄い遠回しの言い方になってる事をご理解ください💦)

奥只見湖のアバランチシュート(2023年6月撮影)


海谷山塊から望む千丈ヶ岳のアバランチシュート(2020年8月撮影)



見事なU字溝

同じ海谷山塊・鋸岳にて2018年7月撮影。
手前の斜面。木々の間に縦筋が。これぞ筋状地形?
こんな地形は、多雪地域にはどこでもきっとある。


The 筋状地形  2018年11月15日明神岳



これは筋状地形?
アバランチシュートと筋状地形の中間??
2013年6月御神楽岳から撮影

間違いがあったらご指摘ください。
続く。

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苗場山麓ジオパークガイド検定でよく出題されるSK030

2024年03月12日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その6


                                     ウィキペディアの写真を拝借

穴藤の川原で見られるSK030と呼ばれる火山灰に含まれる菫青石(きんせいせき)は、青紫色で透明感のある鉱物。角度によって違う色に見える多色性がある。
115万年前に榛名山付近で起こった火山活動の噴出物である上越火山灰をSK030と呼ぶ。
魚沼層群の模式地(ある地層の標準となる露頭がみられる特定の地域)は長岡市小国町の芝ノ又地域で、SKのSは芝ノ又、Kは鍵(key)層のKから取っている。
ちなみに、鍵層とは、地層の年代を比較し特定するために用いられる特徴的な地層。広い地域にわたって短時間に形成され、かつ識別の容易な地層で、地層の区分・対比の基準となる。鍵層の例としては、火山灰層・凝灰岩層・石灰岩層・化石層などがある。
魚沼層群の上部に挟まっている特徴的な鍵層はSK010、020、030・・・130等に分類されていて、そのうちのSK030に含まれる菫青石は、苗場山麓ジオパークガイド認定検定試験(初級)で必ずといっていいほど出題されるキーワードなので覚えおかなければいけないよ。(誰が?自分でしょ?さすが、検定試験。細かいとこついてきます)

間違いがあったらご指摘ください。
続く。
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苗場山麓ジオパーク 前倉橋と結東層

2024年03月12日 | 苗場山麓ジオパーク
苗場山麓ジオパークのお勉強その5

前倉集落の上流側の、苗場山麓ジオパークを代表するスポットのひとつ、前倉橋。(カシミール3Dに登録した前倉が前嵓になってた💦)


新潟の橋50選に選ばれている。
その価値を高めているのが周囲の岸壁。


この岩は結東層という、新生代第三紀中新世(今から1500万~1800万年前)、日本海ができ始めた頃に海底に堆積した、海底火山噴出物を主体とした地層で苗場山麓ジオパークで一番古い地層。
この火山噴出物が堆積してできたのがグリーン・タフという緑色の岩石。
ちなみに、結東層→藤沢層→西田尻層→魚沼層群の順に新しくなる。

魚沼層群は、洪積世前期(今から100万年前から70万年前)を通して堆積したきわめて大規模な地層で、苗場山麓ジオパークの基盤を成す地層で、泥岩や安山岩質の角礫凝灰岩 などからなる。
石落としや大嵓の柱状節理が乗る地層。
いずれもフォッサマグナを構成する地層の一部といえる。

間違いがあったらご指摘ください。
続く。

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