心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

チャルマーズって最近何やってんだ

2013-10-31 09:15:02 | 哲学

意識のハード・プロブレムを提唱して一躍心脳問題と意識科学の立役者となったデヴィド・チャルマーズって最近何やってんだ?

1966年生まれで、若干30歳のときに大著『意識する心』を出版し、世界的な名声を博したチャルマーズたが、その後長い間、本を書けなかったな。

書かなかっただけなんかな。

一昨年『意識の性質』という論文集を出したけど、初期の衝撃度と名声からすると、意外に伸びなかったな。

はっきり言って著書9冊で、二年後くらいに新著『存在と時空』を出版しようとしている俺に負けてるな。

少なくてもチャルマーズはデネットよりも小粒だな。

今後新たな思想的展開を期待したいけど、彼の問題設定って意外と発展性がなかったんだろうか。

精神と物質の対置図式に囚われていて、生命や身体性や社会的次元への視点が欠如しているのが、「意識」の人間的本質から逸脱しているんだろうな。

しかし、そういう非人間的機能主義の方法がまた面白かったんだがな。

とにかく、俺は彼が提唱した「情報の二重側面理論」から強い影響を受けたんだ。

そういう意味で、彼にはまだ興味がある。

で、彼のHPのURLを貼っとく。

http://consc.net/chalmers/

 


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ジム・ホルト『世界はなぜ「ある」のか ?』を買った。

2013-10-31 08:54:21 | 日記

先週の土曜日、池袋のリブロで一冊の新刊本が目に入った。

ジム・ホルトの『世界はなぜ「ある」のか ?』 寺島朋子訳、早川書房である。

副題が「実存をめぐる科学・哲学的探索」となっている。

この本が扱っているのは、かの哲学的根本問題「なぜそもそも存在しているものは存在し、無ではないのか」である。

ライプニッツ→シェリング→ハイデガーと受け継がれた、この存在への根本的問いかけは、ウィトゲンシュタインをも魅了したものである。

この問いは「存在の謎への問い」と称されるが、従来もっぱら形而上学に属すものとみなされてきた。

それをホルトは科学的議論も取り込みつつ、新たに考察しなおしている。

形而上学を否定する古典的経験論や論理実証主義によって却下されたこの問いが、今や科学と哲学を統合する視点から、新たに練り直されていることは驚嘆に値する。

ビッグバン宇宙論にせよ、宇宙の物質進化からの生命の創発せよ、遺伝子と死の関係にせよ、こうした科学的問題はすべて哲学上の存在の問いと密接に関係していたのだ。

それを分別くさい経験論や実証主義の観点から却下していた思考態度は不毛だったのである。

まだ、四分の一しか読んでいないが、かなり興味深いことはたしかである。

「実存」とは「自らの存在の意味を問う」と言う意味での「存在」であり、「自覚態存在」としての「意識」の問題とも密着している。

それを宇宙論や意識科学や情報理論や物理学や分子生物学と関係づけて論じることができるということは、非常に喜ばしいことである。

それは、存在論と自然科学を統一的に考えて、万物の根源を問いかけていたアリストテレスの姿勢が現代に活かされることを意味するのである。


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