どこ吹く風

旅のことを主に書く。

漢詩

2007年10月13日 07時24分40秒 | 西安留遊
 高校の教科に漢文というのがあった。今中国語を習っているけど漢文という意識は無い、何が違うのだろうか。
違いは・・・いま勉強しているのは中国語で漢文は日本語というところでしょうか。自分でもはっきりした事は分からないけどそういうことにしておきましょう。

 交通大学では中国語会話の授業以外に習字・太極拳・歴史などが用意されていた。歴史は日本語が上手い金老師が担当して3回6時間の授業であったが、内容が素晴らしかった。長安即ち西安の歴史では、学内に白居易の碑と像があると聞いて後日見に行った、大学が白楽天に縁のある地と聞かされて驚き改めて高校で習った長恨歌を思い出した。どうりで留学生楼のロビーに長恨歌の額が掲げられているのだ。

 最後の授業では金老師が漢詩朗読をなされた、朗々と謳いあげる詩は漢文で習ったものばかりなので興味を持って聞けた。金老師は18歳で交大を卒業した天才肌の方で東京外大の大学院で学び日本文学に通じた先生です。詩吟についての解説を聞きながら妙な気分になった、中国で中国人から日本の詩吟について解説を聞いているのが奇妙だった。詩吟なんて全く知らないのに老師は吟じながらここはこのように上げてサインはこういう記号ですと詳しく説明してくれた。
 これは中国語で朗誦する場合と詩吟で吟じる場合との違いを教えるためであった。中国語は1時1音だが詩吟の場合は訓読みなので音が多くなる、それはそれで日本人が漢詩自分のものする手段としては優れているが原音の音韻が失われていると解説していた。

 そのような説明の後に朗詠があった、前もって配られたピンイン付きの詩は漢文で習った覚えのあるものばかりなので意味・音を合わせて楽しめた、素晴らしい。中国人が詩歌を楽しむとはこういうことだったのだ。

送元二使安西  王維

渭城朝雨潤輕塵   wei4 cheng2 zhao1 yu3 run4 qing1 chen2
客舎青青柳色新   ke4 she4 qing1 qing1 liu3 se4 xin1
勸君更盡一杯酒   quan4 jun1 geng4 jin4 yi1 bei1 jiu3
西出陽関無故人   xi1 chu1 yang2 guan1 wu2 gu4 ren2

 私たちのグループは年漢詩に興味を持つ人が多かった、たんに年よりグループというだけではなくて中国語を学ぼうという意志を持っているし、若い頃の教科の影響もあるのだろう。特に漢詩・漢文好きな方もおられ、会話の授業の最終日に西安の感想・印象を発表したとき漢詩の事を話したら、先生が送別の意を込めたのか上記王維の詩を朗誦した。女性とは思えないハリのある声で響く惜別の情、感激の余りアンコールしてもう一度吟じてもらった。
よかった、これが中国の詩なんだ。

http://www.jzshici.com/audio/ye.wav
ここで金中老師が朗誦している「送元二使安西  王維」が聞けます。

写真は白居易像、琴を奏でる白楽天を見ているブルージーンズの女学生が面白い。

トイレ

2007年10月12日 12時52分23秒 | 西安留遊
初めてバスに乗り鐘楼付近へ遊びに出かけた。鐘楼は東京でいえば銀座4丁目、大阪で言えば・・分からない、ナーファでいえばパレット前という場所でクシャミをしたらお腹に力が入ったのかケツの穴からも予期せぬ音が出た。音だけなら良かったがルクソールの王家の谷と同じ現象が発生した。”マイッタな~”尻の付近が冷たく感じる、ちょっと気持ちが悪いので足を広げるが尻をつぼめておかないともっと出そうな感じもする。足は広げて尻を締めるというナンとも矛盾したカッコウを強いられた。さてどうしよう、トイレに入るならはデパートがいいか・・、それとも帰ろうか。帰るにしてもバスとタクシーのどちらがいいかと考える、タクシーは狭いからもし臭気が出たら困るとアーター歩ッチしながらバス停に向かうと広場にトイレがある。この建物近くを何度も通っているがトイレとは知らなかった。有料だがこれには助かった、トイレでズボンを脱ぎ旅の定番商品紙パンツを脱ぐ、こういう時もあるだろうとリュックにはいつでも紙パンツの予備が入っているし、ポケットには2・3回分のチリ紙がある。ボーイスカウトの標語「そなえよ常に」の精神が生きてくる。
 
 でも王家の谷とは違って人出が多いので気を使いました。(汗)
さて私が西安の繁華街鐘楼付近でルンバウォークならぬアーター歩ッチをしている頃皆さんは如何がお過ごしでしたでしょうか。お出かけの際はくれぐれもトイレで思いっきりぶっ放すなど後顧の憂いの芽を摘んでからお出かけください。

オーロラ

2007年10月11日 14時47分40秒 | オーロラ
 突然ですがオーロラの話です。以下はの記述は宙天気概況というサイトからの抜粋です。

 太陽活動平穏期でも、太陽表面でフレアと呼ばれる爆発が起こったり(太陽から太陽風が地球が届くまでには、爆発から2~3日かかる)、コロナホールが地球に向いている時期には、雪原が明るく照らされたり隣の人の顔が見えるような、まぶしいばかりに輝くオーロラや、激しいブレイクアップが見られることがありました。
 太陽は約27日間の周期で自転しているので、前回活発なオーロラが見られて、その後太陽が1回転した時=約27日後に、再び活発なオーロラが見られるチャンスが高いとされています。(27日回帰性)

中国から帰ったばかりなのに
「12月に何処へ行く!」と妻が聞く。
”今年はもう何処へも行かなくていい。”と答えると、
「期待している人がいるのに・・・ヒマラヤ散策はどう?、パンフレットも送ってきたヨ12月の5日ごろからなら休めるんって。」

ヒマラヤか・・、エベレストを見たい気持ちはあるが行くならもう少し懐深く歩いてみたい。しかしツアーで行く初歩のヒマラヤトレッキングなんて、という気もある。自分の体力を考えるとその程度の行動しかできないだろうに、心のどこかにもうワンランク上のことをやりたいという欲望がある。それで別の所にしようと言うも行きたい所は無い。

 うるさく何処かどこかと言うので、どうせ冬に行くならオーロラでも見に行こうと話すと乗ってきて大阪の妹に電話を掛けている。それでオーロラについて調べ始めた。出現率が高いといわれるイエローナイフを調べると、3泊4日の滞在でオーロラが見える確率は90数%とある。世界的にも有数の場所のようだ。

 今現在出発を12月の5日と13日のどちらにしようか迷っている。どちらが出現率が高いかの判断が下せない、宇宙天気概況によると太陽表面は落ち着いているとの事、フレアやコロナに関する記述が無い、磁気アラシに関する情報も探せない。それより何より地球物理学の知識が無いのでそのサイトに書かれていることが理解できない。誰にでも分かるように予報しているサイトは無いものかと検索に励んでいます。

 12月にオーロラ見物に行くことになりそうだ。行く気などサラサラ無かったのにタナボタ式に行けそうだ、それはそれで嬉しい。
ただ・・・しかし・・・という気が無いでもない。

西安に戻って

2007年10月10日 17時28分53秒 | 西安留遊
 九塞溝から戻った翌日の土曜日はカリキュラムに組まれている1日観光があった。語学研修以外に土曜日ごとに西安近郊や市内の名所旧跡観光が組まれている。また平日には習字に太極拳、歴史講座も予定されている。元々オプションとしてあるが私たちの旅費にはこれら全てが含まれていた。

 初めての土曜は半破遺跡博物館に楊貴妃で有名な華清地それに兵馬俑へ行った。どちらも二度目の見学になるが施設の整備が行なわれていた。特に兵馬俑の入口と出口周辺は一変しミヤゲ品の押し売りをする売り子が一掃されていた。兵馬俑セットを千円センエンとしつこく付いてきて無視すると値段を下げて500円が300円になり終に100円で買ったのに、あの姿は全く無くなっていた。売店が整備されて通りもきれいになり客引きが禁止されたようだ。

 大学のバスを使って通訳・説明は日本語学科の学生と阪大の大学院に通っている院生が担当した。この両名にはお世話になりました、感謝しています。
兵馬俑1号館で私は又逸れてしまった、写真を撮っているうちに一行を見失ってしまったので2号館・3号館と探したが出会えない。未だ外に出ていないと思いつつもバスへ行くと誰も戻っていない。また施設に戻り出口から再入場した、その時係員に事情を説明しようとしたが言葉が通じない、それでも何とか再入場させてもらった。まあ皆さんと出会えたが又不評なことをしでかしてしまった。
アルプスではハイジならぬハイ爺、中国では問題児ならぬモンダイ爺となってしまった。
 翌日はパーマをかけに出かけた、パーマやは直ぐ見つかったの値段を聞くと20~40元というので入る。どのような髪型にするかをやり取りするが通じない、ヘアーファッション誌を持ってくるが若者向きなので、手まねで説明するが分かってもらえない。それでも根気よく話して何とか分かってもらい取り掛かった。しかしカールを反対向きに巻こうとするのでチガウ違うとやり直させた。
私としてはフツーのパーマのつもりだが普通というのはフツーでは無いのだ、お互いの常識が違う。このやり方では倍の金額が掛かるという、つまり80元と言う。1200円か・・良いだろうとOKを出す。
パーマは何とかかけたがカットが上手く行かない、要望を伝えきれないので諦めた、お蔭でパーマは掛けても髪はボサボサという感じになった。知り合いもいないのでガマンするか。

 パーマは3時間半も掛かったが未だ2時なので街へ出ることにする。まずバス路線を調べることから始めた。交大南門から中心地の象徴である鐘楼までは612番に乗ればいいことが分かった。バスはオツリが出ないので小銭の1元を常に用意する必要があることを念頭に買い物をしなければならない。

これからは日常の出来事を書いていきます、観光と違って面白くないでしょうが私にとっては大切な記録です。
この初めての街歩きで困ったことが起きました、次に書きます。

写真は小学1年生の国語の本です、漢字だらけ・・・(笑)

帰路へ

2007年10月09日 07時07分03秒 | 黄龍・九寨溝
 3泊4日の九塞溝・黄龍への旅は期待通りの風景を胸にオミヤゲをザックに積めて持ち帰った。
西安から飛行機利用でホテルのクラスは三ツ星か四つ星、観光は目いっぱいの3日入場なので8万円は妥当な金額でしょう。航空賃が往復2万5千円として3泊のホテル賃は2食付きなので3万円m入場券が入場料が5千円で大雑把な計算だが計6万円になる。
現地駐在員のブログではその半額に近い旅費で回った話があったが、アレはあれ私としてはちょっと予算オーバーしたが妥当な金額と納得せざるを得ない。
 
 ここでトイレの話を。飛行場に向かう途中で昼食を取った、腹具合が悪くてトイレが近くなっていたので、出来る場所があれば済ませておく事にしていたので厠所に入った。日本人観光客が入る施設はそれなりの設備がある。
時間があったので街回りをした、布やら革製品それに一般的なオミヤゲが並んでいる。布が欲しくて値段の交渉をしたが私の手持ち13元にはならなかった、日本人がコレだけしか持っていないなんてカンガエラレナ~イという感じだ。本当に無いというのを信じてもらえなかった。肩掛けにもなる広い布は欲しかったナー

 街を歩いている時便意をもようした、昼食を取ったホテル・レストランまで行けばいいのだが、それまで我慢できるかと案じながら戻っていたら観光バスが停まっているレストランがある。中国人観光客が食事をしている、ここならトイレに入っても外部の人かお客か分からないだろうと従業員にトイレの場所を聞いてそこへ行った。
トイレがあるにはあるが中国式、横の仕切りはあるけどドア無しなのです。しょうがないのでそこで済ませました。幸い誰も入ってこなかったからよかった。入ってきても知らない人なので平気な顔をして悠然と構えておけば良いのでしょう。
でも落ち着かなかった。

 ここはタイル張りなので良い方でもっとヒドイところでもお世話になった。九塞溝の山の中での行き届いた設備と簡単に改善が出来るはずの街なかのレストランのトイレ、落差がありすぎる。こういう場合は
 体調を万全に整えてトイレのお世話にならないようにする
 郷に入れば郷に従えでいく
 傘を持っていって自衛する
等の対策があるだろうがどちらが現実的か・・・
急を要する時は思考能力も停止するので、案ずるよりスルが易しとなるでしょうけど。(笑)

九塞溝ぶら~りブラブラ

2007年10月08日 08時48分03秒 | 黄龍・九寨溝
 九塞溝のどの場所なのか定かではないがホテル前の通りを歩いた。ホテルは九塞溝入口から車で10分ほど離れている小さな集落にあった。小さいとはいえホテルや観光施設があるのでオミヤゲ屋が何軒も並んでいる。
この日の夜は民族舞踊ショー見物がオプションで組まれていたけど、私はパスして地域巡りをした。通りに面した1階部分は店舗で一歩裏に入ると住宅となっている。一戸建て風の屋敷囲いもあるが長屋風のもある。ガラクタが積まれてどこが入口やら分からない家、梨がたわわに実っている庭に入口が色付き文字で飾られた家などが見える。
私たちのツアーの添乗員兼案内役をしてくださった日本語が達者な中国人の女性と一緒だったので心強かった。

 マイクロバスから10名ほどの人が降りているのが見えた。暫らくすると又到着し路地を歩いていくので後について行くと、庭で火が燃えていてその周囲を回りマニ車を回して建物に入っていく。入口には数名の若者が立っていてその儀式を先導している。私たちにも入れと言う。
どうやら観光施設の一つらしい。ショート食事で50元とのこと、生憎食事は済ませていたので会場を見るだけにした。民家を改造してホールにして4~50席ほど並んでいる。私の同行の者が出かけたのが一流施設なら、こちらは純朴を売りにしているのだろう、入場料も180元と50元の差がある、しかも食事つきで50元なのだ。
 門の前で若者と話にならない会話をして観光客の到着風景を見ていた、庭の奥が厨房になっているので見たかったが断られた。しきりにショーを見るように誘うので、明日仲間を連れて来ると言うと納得したのかそれ以上のことは言わない。ついでに仲間を連れてきたら私の入場料は半額にするかと聞くと笑っていた。

 音楽が聞こえてきて料理も運ばれるようすが窺える。若者は踊り子に変身する時間になったのかいなくなった、それで厨房を見に行った。調理員に見せてくれと言うと快くOKした。大鍋にはお湯が煮えたぎり何名かで取り囲んでいる、団子状で寝かされていた麺の玉を伸ばして紐状にし、それを指先で押しつぶしながら千切って鍋に放り込んでいる。猫耳麺を作っている。おしゃべりしながらの作業で形も厚さも適当という感じ。麺を伸ばす手際の良さは見事だ、私が掌に唾を吐く真似をしてからさ~仕事を始めるゾという格好をしたら皆さん大笑いしていた。言葉は分からなくても伝わる場面では伝わるものだ。

 帰りに串焼き屋に寄った、ビールを飲みながら串を銜えて肉を食べていると中国人の観光客らしき人たちが向かいの席に坐った。半分は路天のような店だから席のテリトリーがあるわけでも無い、なんとなく話が始まり年は幾つかとか身体の調子はどうかなどと聞いてくる。身体はすこぶる健康だと答えたら、さもありなんという顔をしている、私たちを夫婦とカン違いしているようだ。訂正するには言葉の壁があるし一々説明するのもメンドウだから放っていたけど、彼女は日本の大学の講師をしている方なので迷惑な話だっただろう。
ニッポンのヒヒ爺と思われた私も心外だが、内心そのような目で見られるというのはオトコとして悪くないとも思った。(笑)

写真は猫耳麺を作っているところ、実に素朴なものです。

モノの値段

2007年10月07日 08時54分38秒 | 黄龍・九寨溝
 モノの値段って一体何でしょう。
資本主義経済では需要と供給によって決められて、社会主義経済では価値によって決まる。この場合の価値とは労働投下量である、なんて事を考えても始まらない。中国だからという訳ではありません、どこの国でも同じです特に観光地では。
改めてお聞きします、モノの値段って一体何でしょう。これはとても難しい質問であり悩ましい問題です。自分自身の価値観で判断し納得するという表面的な理屈では通せないところが問題なのです。私はコレを20元で買ったしかし他人は15元で手に入れたので納得できないというのが実際の気持ちです。

 観光地で起きる内心穏やかならぬ心地にさせるのがオミヤゲ品の価格である。他人と比較しなければ納得しているのに、自分より安い金額で手に入れたとなるとオモシロク無い、ニンゲンだからしょうがないけどオモシロクナイのは面白く無い。
アキラメが悪いヨと言われる前に自分の心を笑って誤魔化しましょう。

 かつては純朴であったであろうチベット族の皆さんも改革開放の波を被り一皮もふた皮も剥けました。彼ら・彼女等にあくまでも純朴さを求めるのは観光客のエゴというものです。チベットのみなさんがかつて純朴であったかどうかも疑わしいですけど。売り子の皆さんはけっこう強いです、幼く見えてもそう見えるだけで年を尋ねると30前と言う、15・6歳にしか見えなかった。その子は別の売り子が5元でいいというのをダメ10元だと訂正してきた、単に年が上だからか責任が上なのか、お蔭で5元ソンした。
5元は50円足らずでしかないが2食分の食事代金に匹敵するとなると大きい金額になる。私もそういう生活になっていたので値切り交渉はやった、この値切りも買い物同様楽しい観光風景のひとコマであるのは皆さんも分かるでしょう。

 九塞溝で買ったオミヤゲは、おもちゃのマニ車、経文が掘られた腕輪、布地、孫の為のチベット民族風のベストそれにお箸でしす。お箸はヤクの角製と言うていた、客が触って箱がひしゃげているので5元でいいといわれて買うことにしたが、10元と訂正させられたシロモノです。元値は25元のものでした。布はカシミヤと言うがマガイモノでしょう、でもオミヤゲにはいいものです、壁にかけたり汚い場所隠しに使える。中国製品特に食べ物の安全性に問題ありと騒がれているご時世なので喜ばれました。布は重いけど20元(300円ちょっと)には見えません。

 高いとか安いとかの規準は何でしょうか。スーパーやデパートで価格表示されていれば安心してその金額を支払う生活に慣れている。ではその価格は正しいのか、隣のスーパーでは違う値段が表示されている、ものの価格とは難しい問題です、本当に。我がニッポンでさえこうなのだから、観光地のオミヤゲ価格はあって無きが如しです。5倍10倍の価格差は当たり前です、自分で納得する以外に無いでしょう。
価格差で面白いことが西安でありました。このことは後日書きます。

 九塞溝のオミヤゲは良かった、価格の安い民芸品だけにしたのが良かった。1品で10~20元だからシッパイしてもたいした事は無い。これで誤魔化す私のウデもたいしたものです。(笑)
 
写真はオミヤゲ品屋さんです。この笑顔の下にはしたたかな商売っ気が隠れています。でも笑顔には負けます。

バター茶

2007年10月06日 14時50分04秒 | 西安留遊
 九塞溝は谷間に点在する池や滝がきれいです。
雨模様にも拘らず鏡に映しだされた木々の色、清らかな水の色は素晴らしい。風があたらないのでさざ波が立たず池面に映る周囲の景色が乱れることが無かった。アルプスでじ~っと池を睨んで風が止むのを待っていて諦めたが、九塞溝はあくまでも静かに其処に在るという感じだ。底まで透き通っている池には深い緑の山が収まっている、その美しさは多くの池で見られた。

 滝もいい、幾条もの白い飛沫を上げながら流れ落ちる様も見応えがある。滝の上から横から下からと所を変えて楽しんだ。また盆栽が浮かんでいるような景観の場所や葦の河原と多様な姿が見られるのもいい。
九塞溝は益々観光地として伸びるでしょう。美しさを表現する言葉が出てこない、自分自身の言葉の貧困を感じる。この地、九塞溝・黄龍はもう一度妻と行くことにしているのでその時までにはもう少し言葉を学んでおきます。

 九塞溝・黄龍観光は黄龍1日に九塞溝2日の3日間はかけたい。黄龍は自分の脚力で登らずにリフトを使えば半日で回れるので九塞溝への往き若しくは帰りに見ることができる。その程度の広さです。ただ高地の為に健康管理に気を配った方がいい。私は先日も書いたが気力が落ちてただ歩いて下っただけになってしまった。
 九塞溝は右俣・左俣を効率的に回れば1日でも回れるかもしれないけど、二日間堪能した方がいいでしょう。それに風景だけでなくてオミヤゲ品屋を見るのもおもしろい。そこでは是非バター茶を飲んでもらいたい。バター茶はチベット独特のお茶で見た目は悪いが味はマアマアです。話のネタにもなります。
できるなら其処でツアンバも所望した方がいいでしょう。無理に頼めば出してくれます。各々が10元もするので高いといえば高い、でも円に換算すると160円弱なので出せない金額ではない。そん所そこらで口にすることは出来ないのでチャンスを逃すこと勿れです。
 九塞溝園内にレストランがあるが40元のバイキングスタイルです。あまり美味しいとは言えない。天気が良ければ景色の良いところでおにぎりを食べた方がいい、おにぎりが買えればの話だが、それに代わるものでもいい。

写真はバター茶です、見た目といい色といい不味そうですね。
飲んでみたらそういう懸念はなくなります。

九塞溝 入園まで

2007年10月04日 20時08分41秒 | 黄龍・九寨溝
 九塞溝は話に聞いた通りの美しさでした。
ホテルから入園口まで10分ほどバスに乗る、近づくにつれて歩道を埋め尽くす人並みが動いている。さすが近年の人気ナンバーワンといわれる九塞溝だ。ひとヒト人がざわめきと共に動いていく、それを見ていると我が方も急ぎたくなる。

 銀行があるので両替をする、みなさんこれまで両替する時間が取れなかったので文無し状態なのです、田舎なので”円”はホテル以外では使えない、円を多額持っていても文無しなのです。両替をすませたので入園かと思いきや今度は建物内に案内されて階段に立たされての記念撮影をする、それも服務員(係員)が撮影する。
二日間入場するので同一人物が入場するかどうかを確認する為の証拠写真らしい。入園料は初日が170元で翌日も入園する人は二日目が90元安くなる、不正防止の意味があるのだろう。チケットに写真が刷り込まれていた、スゴ~イ!

 パスポートとチケットを提示して入るも何故か半券を千切らない、チケットは絵葉書になっていて更に切手まで貼ってある。国内用の金額なので家に送るには切手の追加が必要だが良い考えだ、国営なのでできるワザか。半券は翌日ガイドから回収すると言われて慌てて半券を探す一幕もあった。リベートの清算に必要なのかな。

 あれやこれやで時間のロスもある、二日間見る予定なのでイライラせずに済むがそれでも人ごみの中にいると気分が高まり平常心を保つのが難しくなる。バス発着場では次々とバスが来て人を乗せていく。予想以上に客をスムーズに捌いていくので安心する。
九塞溝はY字型の二俣に分かれていて今日は左俣からの見物となる、10数Kmの谷に池・滝がありそこを流れる清らかな水は時には青く、また別の場所では緑にと輝いている、水面に写る周囲の風景は山水画ではなくて屏風絵である。このように色、写る景色が池によって違う姿を見せるので次の場所へ行くのが楽しみだ。
次の池までバスに乗ったりウォーキングをしたりと景観の良し悪し体力と相談しながら景色を楽しんだ。

 雨に降られたが池の色は美しい、晴れていたらもっと綺麗な色になるだろうか。また九塞溝も黄龍も清掃は行き届きある距離・地域を担当する清掃員が四六時中清掃している。トイレも整備されておりしかもエコトイレで初めてお目にかかるシステムだった。トイレが設置しにくい場所にはトイレバスが配置されている。ここはモデル地区なのだろう。入場料が高い分県境整備にも資金を投入しているようすが窺われる。

 昼食は大レストランのバイキング料理を食べた。1人40元也、高いと思うがここしかない。おにぎり持参でもいいな、手に入るなら。

写真説明:二俣近くの岩壁は干支の動物に見えるそうだ。自分の干支を探せる他人はシアワセとのこと。むやみやたらにシャッターを切ったら写っていた。何に見えますか?

九塞溝の街

2007年10月03日 09時56分18秒 | 黄龍・九寨溝
 全員が集合したところでバスに乗り宿泊地へ行く。この旅行の宿泊地は何処なのか、どのような日程になっているかは知らされていない。バスの中で寒気を感じたので厚手のセーターを取り出して着る。雪山梁を越える道を戻ったのだろう。どのルートを通ったのか記憶が無い。

 暫らく・・いやけっこう走ってホテルに到着した、どうやら九塞溝のある地区らしい。ホテルの前にはオミヤゲ品屋が並んでいる。ホテル到着が遅かったので外へ出る時間は無かった。丸テーブルを囲んでの夕食は四川料理なのか、辛さは控え目になっているようだ。中国滞在中に痩せるつもりなので野菜を主に食べる、とはいうものの並ぶ皿に肉類は少ない感じだ、滞在中全体を通して肉類はそんなに出なかった、予算の問題なのか元々中華料理とはそういうものなのかは分からない。ダイエットしようと思っている私には好都合だ。

 翌朝ホテル周辺を散歩した、夜中に雨が降ったようだ。向かいのオミヤゲ屋は開いている店もある。チベット族のオバサンが何か買って行けという風に合図をする。覗いてから先へ進むが5・6件先でオシマイという小さな商店街だ。戻ってオミヤゲのマニ車と腕輪を買う。二つで20元は若干高い感じだが目くじら立てるほどでもないので買う。チベット族の人たちはけっこう商売上手です。

 この日は九塞溝へ出かけましたが、まず街の様子から書きます。私たちが泊まったホテルは九塞溝の入口から車で10分ほど離れた場所にある。この辺りは平地は少なく山あいあるので細長い町となるのはしょうがない。山の上まで段々畑が見られた、この地は九塞溝が脚光を浴びるまでは静かな寒村でしかなかったであろう。それが今では段々畑が荒れようとしているし・・まあ・・我が島ウチナーも観光で浮かれた島なので言えた義理では無い。そういう風景・光景を垣間見ながら好奇心は住民の生活までも入っていきたくなるものだ。
多くのメンバーが民族舞踊を見に行くというので二日目の夕食は早めだった。私はそのオプション(180元)には参加しなかった九塞溝・黄龍は妻と一緒に来るべき地なのでそれまでお預けというのがショーを見に行かなかった大義名分です。その時間を利用して街を歩いた。
小さな集落なので端から端まで歩いても10分ほどである。そこにある店、オミヤゲ屋や雑貨店、酒屋などを見て回った。見たことも無い果物があるが食べ方や味が想像できなくて買わなかった、今にして思えば口にしておくべきだった。酒にしても私が知っている酒、中国と言えば紹興酒、は置いていない、地酒が目に付く。観光客相手でないのでそのような品揃えになるのだろう。小瓶を1本買う、そこにはインスタントのバター茶があった、お湯を入れればバター茶が味わえるというものだが嵩張るので買わなかった。ツアンバがあるかと問うと在ると言いながら見せてくれた。それが欲しいというと売り物ではなく自家消費用という。欲しいので強引に頼み半分譲ってもらった。20元もしたが何処彼処で手に入るものではないので止むを得ない。

 ツアンバは日本では麦焦がしと呼ばれているようで、ハッタイ粉の裸麦バージョンと考えればいいだろう。「河口彗海のチベット旅行記」を読んでからそのツアンバを味わってみたいと思っていたが、九塞溝の観光村で食べたばかりなのでオミヤゲに持って帰りたかった。チベットといえばバター茶とツアンバである。どうって事は無いものだが手に入れるのは難しい、九塞溝がチベット族の地区である事の証明にもなる。

 それらを持って散歩を続けていたら何か拍子に酒瓶を割ってしまった、それを見た店の方が紙コップを下さったので残りの酒を入れて飲みながら歩いた。けっこう強い酒だがストレートで飲みながら見物を続けた。酒の銘柄は青蔵酒となっていた。

写真は通りの裏に一歩はいると粗末な住居に共同水道という生活風景、写真を撮るのが憚られる雰囲気だったのであまり撮らなかった。

黄龍

2007年10月02日 09時09分49秒 | 黄龍・九寨溝
 12時にケーブルカー乗り場へ出発する。
昼食を取ったレストランのあるホテルの直ぐ近くが黄龍の入口なのだが、そこから入ると歩いて上らなければならなくなる。実際歩いて登る人も大勢いたが私たちはケーブルカー乗り場にバスで向かう。10分ほど下った所に乗り場がある。配られたチケットに80元とある、ケーブル料金を含んでいるのでお歩きさんの場合は幾らなのか。
入場する時パスポートの提示が必要なのは九塞溝も同じ、忘れたら入場できないのかな、とにかく忘れること無く持参したほうがいいでしょう。

 ケーブルカー(リフト? ゴンドラ?区別が分かりません。)はグングン高度を稼ぎ5分ほどで山頂駅に着く。高地の割りに樹木が多いのは南に位置するからだろう。木々の間を縫うように木材の道が整備されているので歩き易い。途中休憩所もあり酸素吸引ができるようになっている、トイレもきちんとしたものが2~30分ごとに設置されている。中国では珍しく使い心地の良い施設です。ここはモデル地域になっているのだろう安心して入れるトイレです。

 暫らく歩くと開けた展望台に出る、黄龍の全貌とまではいかないが雄大なパノラマが眼前に広がる。そこを折れてトラバース気味にゆっくり歩いて30分ほどでお寺と下りの道との分岐店に着た。せっかくここまで来たのだからとお寺目指して歩く。その途中でボッカに会う、電柱のような丸太を担いで登っている、背負い子や杖は立山のボッカと同じだが担いでいるのは女性だった。当時1貫目の料金が100円と聞いていたがここではどの程度の稼ぎになるのか。雷鳥沢の温泉でボッカの身体を見てビックリしたことがある、あの女性が立山のボッカと同じ体型にならない事を祈る。(笑)

 寺の裏の池の水は青く白い堤が幾重にも重なる様は美しい。これが黄龍なのだ黄龍黄龍と騒がれるのもむべなるかなという印象だ。トルコのパムッカレに規模は及ばないものの下から上からヨコさらに池の上から眺めて満喫できる風景はパムッカレよりも美しいものがある。何よりも水が涸れつつあるパムッカレはザンネンながら今ではその魅力が半減している、清らかな流れに満たされた黄龍の素晴らしさは目を見張るものがあった。空気の薄さを忘れさせるほどでした。

 ゆっくり歩いているつもりでも息が弾み疲れを感じる。呼吸器系統が弱い私には堪える、1人でマイペースで歩いているのにちょっとした上りになると息切れがする。こういう現象は万里の長城でもあったしアルプスでもあった、鍛える方法はあるだろうか。
最高部と思われる展望所を後に下り始めた、同行の人たちも思い思いのペースで歩いている。道は1本だから迷うことも無い。ただ下りなのに疲れる、200mごとに道標があるので確認しながら歩くが200mの遠いこと。ゼッタイ間違っていると思われるほど遠い。写真を撮る気力も無いままひたすら下る。せっかくの美しい景色も自分の体力の前に霞んでしまった。ザンネンです、この次はもう少しマシな形で歩きたいものです。

黄龍へ

2007年10月01日 18時57分50秒 | 黄龍・九寨溝
 新学期は9月なので大学は学生が多く見られる。寮も満員のようで新学期に合わせて短期留学組が多くなるようで部屋が足りなくなった。我々老年組の夫婦者を除く6名が近くのホテルに移ることになった。出発時から予定だれていた事だが一旦広げた荷物を纏めるのはメンドウである。それに前夜は歓迎の夕食会があり準備に充分な時間が取れなかった。西安発の飛行機は7時半に出る、飛行場まで1時間ほど掛かるので4時に起きて準備をした。

 5時半に薄暗い街を後に空港へ行く、ゆとりを持って到着した。7時半に飛び途中で出た機内食はパンとトマトのみ朝食には質量とも不足だ。1時間10分のフライトで九寨溝空港に着く、山を切り開いて開港した空港で3500mの高地にある。高度障害が起きないようにゆっくりした行動をとる。民族衣装を着た娘さんからお茶のサービスがある、水分補給も高山病対策になるので頂く。

 日本語が話せるガイドの案内でバスは出発した。空港から街の方へ降りていく風景から何処か違う、チベットを思わせる集落や建物が見える、旗や経文が書かれた布がはためいている。街に入ると高山病予防のアンプルの説明があり売り子が乗り込んできた、買う人人もいるが私は買わなかった。

 黄龍へ行く途中に高度が4000mに近い雪山梁を越えた。ペルーでもアルプスでの経験から動き回らなければ空気が薄いのを感じることは無い。
 10時半には昼食のために円卓についた、朝ごはんがあの調子だったのでそれほど早いとも思わなかった。魚にキノコ、野菜に麺、湯(スープ)と盛り沢山だがフツーの中華料理か郷土料理なのか分からない。中国人は野菜料理が上手だ、食べ方に工夫がある、こんな食べ方もあるのか・・というが多く見られる。
トイレは出来るところでやっておく、こう考えて休憩する場所やレストランでは必ず用を足すことにしている。

 昼食後休んでいたら日本からのツアー客に説明する声が聞こえてきた。ゆっくり歩いても3時間半では充分歩ける時間・距離である。急がず慌てずマイペースで歩いてください、と話ている。
いよいよバスに乗りケーブルカー乗り場へ行く。

写真は雪山梁への九十九折です。スイスの峠とはどこか違う趣の峠道です。