どこ吹く風

旅のことを主に書く。

延安をあとに

2007年10月28日 14時32分22秒 | 西安留遊
 延安(yan2 an1 )は私にとっても特別な響きがある、学生時代に読んだ「中国の赤い星」の影響でしょう。毛沢東が延安でどのような活動をしたのか分かりませんが、辺境の地なので国民党の攻撃を防御するのに適した地域だったのだろう。ニービより硬そうだが脆くみえる黄土は掘るのが容易いと思われる。崖に彫るので航空機による攻撃も難しい、良いところを選んだものだ。

 西安の遺跡は歴史的な遺産で、延安のそれは歴史的遺産とはいえ自分と重なった時があるので身近であるし、少なからず影響も受けているので接する時の気持ちが違う。棗園の木陰で中国人を見ながら彼等はどのような意識でこの場に立っているのだろう。自分の立場・想いに奇妙さを感じた。
出発前から漠然とだが延安へ行きたいと考えていた、今その地に居る、天気は良く広場ではショーが行なわれており音楽が聞こえる。老いも若きもこの場を楽しんでいる時代は毛沢東から劉少奇路線に変わったが毛沢東を直接批判する声は聞こえない、何故だろう。
私が思うに、この中国を統一したのは秦の始皇帝以来10数名しかいない、漢の高祖、唐の高祖と並ぶ歴史上の偉人である。毛沢東は世界史に残る偉い存在なのだ、その縁の地を訪れることができてよかった。

 延安を出る前に川のほとりで写真休憩があった、川向こうの丘の上に雁塔が見える。木陰では将棋や麻雀を楽しんでいるグループがいる、オキナワでチュンジーと呼ばれているのによく似た将棋も盛んだ。中国の何処の街でも見られる風景だがのんびりしているように見えるので心が和む。ここは市民の憩いの場でもあるようだ。
観光客相手のミヤゲヒ品を売る人、物乞いが手を差し出したり、空のペットボトルを貰う為にバスに寄ってくる人なども観光のひとコマと割り切る。
 
 昼食は市の入口付近のレストランでとる、到着するとウェートレスが前席の片づけをしているターンテーブルを隣に置いてテーブルクロスを食器ごと丸めて、ターンテーブルを戻すと新しくなった席が現れる。
二三皿出てきたがご飯のお代わり、湯のお代り、次の品を早くもってこいと矢継ぎ早に注文する。お昼時なので他の団体も入っていて大忙しだが怒鳴り声のような大声でウェートレスを呼ぶが、ウェートレスも慣れたもので気にする様子は無い。いやはや・・という感じだ。
早めに食事を済ませて外へ出ると店の前には観光バスと並んで大型タンクローリーも数台駐車している。食事かと思ったら目の前の道路標識に”朝昼夕のある時間帯は化学物質や可燃物を積載した車両は市内に入るのが禁止”とある。何の理由だろうか。

 1時半に延安を出て一路西安に向かう、280Km離れているが着いたのが7時半になっていた。280Kmは遠いけどマイクロバスのスピードが遅いのが最大の原因だろう。高速道路なので100Kmでぶっ飛ばせば3時間ちょっとで走れるだろうに。
土日の観光なので満席のバスツアーになったのも誤算だった、平日ならもう少しゆったり出来たと思う。

 このツアーに一人で参加したからこそ色々と勉強になった、中国人気質丸出しのみなさんに感謝します。

写真は棗園の銅像、偉大な主人公たちです。