どこ吹く風

旅のことを主に書く。

マビニ

2006年03月20日 07時37分09秒 | マニラの印象
 マビニはその名を知られた大歓楽街だった。
地域の名前としてはエルミタと言うようだがマビニの方が名が売れているかも。一方通行でバー街が並んでいるのはM・Hデルピラール通りが多い。この二つの通りの名前は独立の頃の英雄の名前です。
お二人とも妙なところで有名になったものだとあの世で苦笑しているでしょう。

 私が滞在していたマラテからエルミタへ行きに通るのがマビニ通りで、帰りに通るのがMHデルピラール通りになる。一方通行だが駐車とかジプニー客の乗降や通行量の多さから混雑している。

当時は真昼間からネオンが点き、と言っても暑苦しく強い光の太陽で目立ちはしないけど、ドアの隙間から大音量の音楽が聞こえてくるような場所だった。
当時は、とは10年ほど前のマニラ市長が歓楽街一掃の政策を取った為に今ではすっかり寂れてしまったのです。当時の面影はペンキが剥げ落ちたまま放置された看板、割れたネオン管などの物悲しい風景の中に見られる。
 あの歓楽街を成り立たしている要因が解決されたのではない、ただあの場所からパサイ方面に移動しただけだ。

 GOGOバーと呼ばれるバーは、ステージでビキニ姿の女の子が踊り、客を物色していた、イヤ物色されていたのがホントかな。一旦入ると昼夜は関係なく別世界の様相を呈していた。
あれもフィリピン戦後史の一こまだろう。

 バー街の中にプールバーがあり賑わっていた。フィリピン人はビリヤード好きで当時からプールバーがあった。殆んどの客は賭けていた、受け渡しの金を見ると5とか10ペソ紙幣なのでたいした金額では無いと考えたが、最低賃金が85ペソほどだったので日本のマージャン並みの金額に相当するだろう。

 オカマが集まるという公園向かいに居酒屋があった、3~4棟の建物(?)があり厨房以外は壁が無いオープンハウスで楽団席にダンスフロア棟、カウンターバー棟は屋根だけで広い客席は青天井、夜は涼しくなるのでクーラー無しでも何とも感じなかった。ビールを飲みにちょくちょく通いウェートレスと顔なじみになった。
タバコが吸いたくなると買ってきてもらう、1本ずつ、その度にチップを1ペソ渡すのでタバコを吸え吸えと催促するようになった。1本ずつ買いに行くのがメンドウなのか買い置きする様になっていた、1本1ペソ足らずのタバコが倍以上になるので良い客だった。
 ウェートレスの給料は歩合制が加味されていたようで、何か飲めとか食べろとしきりに勧める、ご飯は済んだと言うと私は未だと返事する。これまでもフィリピン人が大好きなチキンを注文しても殆んど彼女達の腹に納まっていた。ビール代を含めても数百円の散財なので鷹揚にしておれた、安い店に行けば100円で済んだだろう。

 ある日真昼間にプールバーでビールを飲んでいると、女の子と店のウェイターが言い争いをしている、内容は分からないがウェイターは侮蔑的な発言と態度をし、オンナの子は悔し泣きを始めた。それはそれで関係ないことなのでどうでも良かったが、その子が私の所に来て”ホテルに連れて行ってくれ、暫らくシャワーを浴びていないので。”と言う。それに腹もへったので食事も欲しいとも言う。

 大勢の中で私がイチバン優しそうに見えたのか、カモに見えたのか。困ってしまったGパンにTシャツだが埃と汗でどろどろという感じで臭いはしなかったが如何にも臭いそう。金は要らないからシャワーだけでもと言われてもコマル。
仕方が無いので20ペソ奮発してお引取り願った。ここで食べたら高いので安い食堂へ行くと言いつつ去った。
私にとっては災難が来て去った感じだった。そこでの総費用50ペソ=250円ほど。

写真はタガイタイです。風光明媚なところでブコパイが美味しいとか・・

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