ナオスミンの雑記

2009年9月14日より、四年半使用し続けた、グリチルリチン酸配合のATPリピットゲルを中止。リバウンド体験中。

お舅の言葉の暴力

2020年09月18日 15時05分00秒 | 自己愛性人格障害
もう今は亡きお舅だが、私に対する言葉の暴力は酷かった。
家族の中でも、私にだけ、言葉の暴力をふるったのだ。
まあ、時にはお姑にもふるっていたけれど。
お舅は、今思えば、典型的な自己愛性人格障害者だった。
家族の誰か1人を生贄にしなければ、自分を保てない人だった。
自分の優越感、自分の正統性を証明するために、私を攻撃したのだ。
お舅の頭の中は、いつでも自分が正しいのだから、正しくない私を懲らしめるために、言葉の暴力を使うという、大義名分があったのだ。
お舅から見て、間違っている私を懲らしめるのは当たり前だったのだ。
だが、私も若かったので、そんなお舅の心理など見抜けず、悪いのはお舅だと思っていた。
いや、実際今でも、お舅が正しかったなどとは死んでも思わない。
ただ、お舅の心理が分かるようになっただけなのだが。
人の価値観というのは、人それぞれで、ある人にとっては正しいことでも、別の人から見れば、全く正しくなかったりする。
それは、みんなそれぞれ、レベルが違うからなのだ。
だからぶつかるし、トラブルが起こる。
特に低レベルの人から見ると、レベルの高い人は間違っていて悪人のように見えるようだ。
さて、数年前に亡くなったお舅だが、もしあの世というものがあるとしたら、どんな世界に行ったのだろう。
人は亡くなると、自分と似たような波動の領域に行くというのが本当なら、お舅と同じようなレベルの人たちと、お互いにやり込めたり、やり込められたりしながら、トラブルだらけの世界にあるのかもしれない。
それで、なぜ私がお舅のような人と関わるという経験をしなければならなかったのかは、それについて考えなさいという事だったのではないだろうか。
周りがみな私に好意的なら、何も悩まず考えもせずにいられるが、もし、周りに自分を嫌う人、いじめる人がいたら、その事で悩み考え勉強し、解決策を見つけようとするからだ。


私の人生経験 困難

2020年09月18日 13時34分00秒 | 言いたいこと
私が今まで生きてきて経験した、困難な事を考えてみた。
子供の頃
母から遊んでもらった事がないという経験をした。
夫婦喧嘩がどんなに子供を傷つけるかという経験をした。
中学時代
部活のある人にいじめられるという経験をした。
若い頃
アトピーとアトピーの離脱症状の経験をした。
失恋を経験した。
結婚後
夫の両親との同居を経験した。
お舅からの言葉の暴力を経験した。
子供の重症アトピーの治療を経験した。
自分の不安神経症と不眠症を経験した。
お姑の認知症の介護を経験した。

このくらいだろうか。
困難がなければ、何も経験できず、考えたり勉強したり実行したりすることもない。
だから、困難は必要なのだろうとは思うが、子供にはさせたくないと思ってしまう。
矛盾してるけど。
だけど、子供だって何か必ず困難にぶつかる。
それを、考えて勉強して実行して、乗り越えていってほしいと、願う。
って、自分だって、これからとんな困難にぶつかるかわからない。
その度に私も、乗り越える努力をしなければ。