私の母は80歳を過ぎておりますが、最近、葬儀の話など出ると、「死ぬことを考えなければならない歳になったなんて、あー嫌だ嫌だ」といいます。
私も、自分が80歳まで生きられた場合、そんな風に自分が死ぬことを考えなければならなくなると思うと、その時一体どんな気持ちになるんだろうと思ってしまいます。
80歳も過ぎれば、あと何年生きられるのか、本当にひしひしと死が近づいているのを実感するのだと思います。
でも、その場合、あの世というものを信じられる人は、亡くなったら懐かしい家族や友人に会えるという楽しみも生まれるのではないかと思います。
亡くなったら何も無くなると信じる人は、死を迎えたくないでしょう。
それから、自分が悔いが残らないように生きて来れたか、人々のために役に立てたかが、重要になってくると思います。
何もせずに、自分のためにだけ生きて80歳になったら、私ならば後悔すると思います。
人々の役に立つという意味は、例えば子供が自立した大人になるように仕向けると同じような意味です。
人を傷つけず、優しくしながらも甘やかさず、自立を促し、さらにレベルアップさせることが重要なのだと思います。
わが子は自立した大人になれたか、自分とかかわった人は、自立した人生を送っているか、レベルアップできたか、そういうことが人々の役に立つという意味なのだと思います。
子供や配偶者に、なんでもやってあげること、お金だけを与えることは、自立することやレベルアップすることに役に立たないと思います。
それは、わが子や配偶者だけではく、自分とかかわる他人も同じではないでしょうか。
ただし、人の生き方を無理やり変えることはできないので、「私ならこうするよ」というようなアドバイスをするしかできないのです。
ともあれ、この世に生きている人は、いつか必ず死を迎えますが、その時に後悔しないよう、私もあと何年生きられるかわかりませんが、努力し続けなければと思っています。