「日米、県民の意思否定」 NYタイムズ、社説で主張
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-168529.html
「ジュゴン守れ」海上抗議 グリーンピース、市民連携
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-168400.html
辺野古、機動隊の排除続く シールズ琉球、14日に緊急行動
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-168471.html
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-168400.html
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-168471.html
今帰仁村島ぐるみ会議結成式は今年5月29日に挙行(於崎山公民館)されたのだが、折からの土砂降りの中数百人の有志が集う会合で與那嶺村長を顧問とし代表の方々の熱意のこもった話のあと、最後に「沖縄を返せ」の大合唱で幕を閉じた。
この「沖縄を返せ」は、筆者も当然初めて聴いたので全く唱和できもしなかったのだが、かつての沖縄の闘士たちがそのウチナンチュとしての矜持を胸に、声高らかに歌い上げたであろう様子が偲ばれて感慨深いものがあった。
この「沖縄を返せ 沖縄を返せ」は時を経て「沖縄を返せ 沖縄に(へ)返せ」と変更を加えられたことは如何にも「オキナワ」らしいと思ったのだが、そこにはウチナンチュのやりきれない切実な感性が示されている。沖縄を返せ、は当然島ぐるみ闘争の「祖国復帰」時に使われた文言であったが、それが向かっているのは講和以来完全に沖縄を占領していた米国なのであろう。しかし、既に誰でも知っている、核付き本土並みでない沖縄返還が、米軍基地を付帯して施政権の国家委譲を書面上で行った、まさしく県民不在の返還だったことから、県民の中には言い知れぬ後悔と怒りとが渦巻いた。
1995年9月4日に、在日米軍海兵隊員2名と在日米軍海軍軍人1名の計3名が12歳の女子小学生を拉致し暴行した上、集団強姦(輪姦)した。実行犯である3人が日米地位協定の取り決めによって引き渡されなかったことが問題になった。1996年1月、沖縄北谷町の国道で泥酔した普天間基地所属在日米軍海兵隊員が運転する車が交通事故を引き起こし、日本人母子三人が死亡した。また、2月には北中城村で、5月には石川市で米兵絡みの同様の交通死亡事故が相次いで起きている。1998年、飲酒運転した海兵隊員が18歳の女子高生が運転するバイクに衝突し、ひき逃げして死亡させた。
2008年2月、キャンプ・コートニー所属の38歳の海兵隊員二等軍曹タイロン・ハドノット容疑者 (38) は、10日日曜日の夜に自分の車の中で14歳の沖縄の少女を駐車車両内で強姦した容疑で逮捕された。
これらは沖縄返還が、同時に米軍基地の返還であったなら起こり得ない不祥事であり、地位協定がなかったなら正当に日本の法律で裁かれ被害感情にも相応の慰藉を得た事件だ。
1995年10月21日8万5千人に及ぶ県民大集会が開催されたことを受け基地整理縮小や地位協定見直しが日米政府の間で話し合われ.....。しかし、以下の琉球新報記事には腹の底から怒りと軽蔑の念がこみあげてくる。
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-168306.html
こうなると、あの天皇メッセージが彼の帝王学から出た無意識に近い国体護持本能だったにしろ、沖縄県にとって如何に罪作りだったか窺われる。この国が、未だに天皇絶対主義で物事を測り、維新以来の歪んだ近代化路線を持続しているかがわかる。つまり、この安倍政権に明瞭に示されている「日本会議」直伝の天皇制国家主義が、沖縄県民の不倶戴天の敵であることは明らかだ。(つづく)
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=140687
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=140700
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=140580
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=140623
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-168306.html
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-168320.html
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-168316.html