一体いつまで沖縄の人々は、米軍基地の存廃のためにこの国の政府政治家官僚たちと亘りあわなければならないのだ??。
というのが、ヤマトゥ(これはある意味蔑称であり憎悪さえ含むウチナンチュの本土に対する呼称である)に対するウチナンチュの正直な感じ方であり、かかる気持ちを慮らないヤマトゥの多くの常民、為政者、官僚たちは、三流国家の在り様としての誹りを免れまい。
しかも彼らが辺野古移設を強行する唯一の手掛かりは、既に県民市民が「ノー」と言い切った仲井真前知事のたった一つの手続き上の裁可に過ぎない。従って、本来ならばこうした一大国家事業を行う場合当然に執らなければならない住民意思の確認作業手続きがゴッソリと抜け落ちている現在のこの国の政府対応は、現代世界常識の枠から完全に逸脱していると言われてもしかたがあるまい。
彼らが論う辺野古移設の「政治的理由」という詭弁は、結局重大な人権問題の理念的検証を置き去りに、単なるくだらない政治問題に落とし込んでしまった。これが沖縄県民の尊厳と誇りを甚く傷つけているのである。
問題は何か?
ここ沖縄は、先の大戦で(ヤマトゥがどういうわけか味合わずに済んだ)住民まるごと未曾有の惨禍を見たまさにご当地である。そこに、国内74%の基地を抱え込んだ更にその上に一大新軍事基地をこしらえようというはなしが、素直に受け入れられると考えること自体馬鹿げた本末転倒の矛盾に満ちたはなしであろう。つまり今菅あたりが言っていることは「ごり押し」の無理強いの蛮行だということは誰の目にも明らかなことではないか。
この見るから明らかな矛盾に眼をつむっているヤマトゥの、偉そうに政治問題なぞを説いている連中に対し、この人たち一体何がわかって語っているんだろう、と思わないわけにはいかない、移住者が一人ここにいる。
ちっとは琉球沖縄に関する文献のひとつくらい読んでみたらどうか。恐らくはヤマトゥの半可通な態度というのは多くの場合その不勉強、無知さ、無関心に拠っている(かくいう筆者自身そうだったし今でもまだまだ不足していると痛感している)。知らないくせに知ったふりして普天間の危険性除去といい何より先決、といい、それが実際返還されるのがうまくいって数十年先、なんてことには想到しない、その無理解さは、実に勲章ものだ。呆れ返って物も言えない、なんてね。
とにかく、今この国の政府がやっていることは日本人のためには何の得にもならない、単なる環境破壊行為であり、人権を蹂躙し生活生存の基盤を根こそぎ基地公害で汚染することだ。(まだまだつづく)