我々はホロコーストやジェノサイド、虐殺や弑逆(戦争において本来銃後たるべき一般市民が軍官民共生共死により被る惨禍もこれに当たるし、所謂本土決戦と称して取られた「捨石作戦」の本質は文字通り老幼婦女をも見殺しにするというジェノサイドにほかならなかった)の恐ろしさを肌身には知らないでいる(体験的に認知するよすががない)、と言っていいのだろう。肌身に知らないということはそれらが現実に襲い掛かる瞬間(辺野古で現在行われつつある国家による暴力的弾圧もこれに該当する)まで、これを必死に切実に真剣に食い止めようという意思の強固さに揺らぎを与えることになる(体験者経験の非体験者引き継ぎはこの問題を避けて通れない)。琉球沖縄の市民的闘いの本質は当然にその古琉球後の、つまり島津侵攻以降の琉球史を読み解くことから得る歴史認識と、取り分け琉球史的な意味で代表的と言える沖縄戦体験から来る上記事実への「惧れ」、そういう現実への決定的な忌避意思にあろう。琉球王国時代(古琉球)と島津侵攻以降の琉球、更に琉球処分による大日本帝国併合を経た沖縄県、という分け方からすれば対日関係における弑逆的実質が今日まで連綿と継続的に受け継がれている、という事実に着目し、それがかつての朝貢冊封外交(対明対清)における対等平和外交実質に比し独立性、自決権の優位性をほぼ完全に否定、劣勢化、無視し、しかも武断的軍事的な抑圧制御に拠っているという正反対の質にあることを、明らかにしておかねばならない。内地ヤマトゥの戦争屋が言い募る中国による沖縄侵攻は歴史的にあり得なかったことであり、琉球沖縄を侵略したのは明らかに、後にも先にもヤマトゥ以外にはなかったのである。しかも最近の資料発掘によれば、幕末維新期において諸外国が琉球王国に対して執った外交的スタンスが独立国家処遇だったことは既に確認されている(外交条約文書の開示)。
一方、先の大戦で大本営が戦略上最後の砦としたのが沖縄であり、米国が日本を凌駕すべく「アイスバーグ作戦」を本土制圧の足掛かりにしようと沖縄に大軍(艦艇1500隻、輸送船450隻、兵員54万8千)を派したのは当然なことだったが、戦後の日米関係史に伴う沖縄処遇は米国にとって理念的でさえあった大日本帝国からの琉球奪還という「義」を反故にする方向へ向かうこととなった。今や、イラクアフガン同様、米国の戦勝後沖縄はむしろ日本国によって支配され収奪される境遇に突き落とされ、両国政府によって「軍事植民地」とされ、自治権はおろか基本的人権さえ阻害され、内国憲法の恩恵を甚だしく奪い取られる状況を醸している。(つづく)
県警機動隊シュワブ前テント取り壊し