沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩578 日本国の現実 30 国政及び沖縄

2015年03月18日 19時54分38秒 | 政治論

 筆者は60年安保(小学生だった)も70年安保もリアルタイムで実体験するようなめぐり合わせになかったので、全ては聞きかじり、あるいはジャーナリズムの拾い読み程度の知識しか持ってない(実体験としてはベトナム反戦運動、学内闘争があった)。それは専ら個人的な条件に拠っているのであり一般的なものともだいぶ違うように感じている(そこに更に個人的な複層心理も働いていたと思う)。簡単に言えば「個人と社会」という場合の個人における比重が一方に偏っていた、ということになる。勿論「個人」の方に傾いていたわけで、「社会」がやってくるのは恐らくは社会的リタイアに近い年齢に至ってから、であった。何故それ(社会)は個人において重要ではなかったか、今にして思えば結局「社会」においても望ましいのは「自由」であり、個人が希求するのもやはり「自由」以外ではない、ということなのかもしれない。

 60年安保闘争が、安倍晋三の祖父岸信介によって強行採決された改定新安保条約を巡るあの時代の象徴的な事件として語られるとき、自ずと現在の安倍晋三本人による対米追随の軍事的拡大方針に対する市民運動的な展開の脆弱さに話が及ぶのは仕方がないことではある。樺美智子という東大の一学生運動家が国会突入時の警官隊との壮絶な乱闘のさなかに踏み殺された事件は、彼女の顔写真とともに今でも生々しく思い出される(70年安保時にも羽田闘争のような同様の死傷事件はあった)が、現代のデモンストレーションは普天間を巡る海保や県警の暴力的弾圧、強制的市民排除行為という、官憲の組織的上意下達暴力が際立っている、ということになり、これは「非暴力」を旨とする市民運動に対置して国家的権力による暴力を市民側が身をもって証明するような話の流れなのだ(連日のように繰り返されその実例に事欠かない)。

 安保闘争も学生運動も今にして思えばだれもが知っているように所詮コップの中の嵐に過ぎなかったし、今後もこの国の「ヤマトゥ」的市民運動では一過性の街宣騒動で終始することになる。戦後70年のこの国の所謂「戦後民主主義」が歩んだ道程は、本質的な問題は一切解決する方向性さえ見出さなかったということに決していた。

 一方、この国の議会制民主主義が到底その実を上げ得ない選挙制度の中にあって、そこに議席を得ても物事の成就を期するのは実際上百年河清を待つに等しいということは、まことに絶望的な政治的実態を予感させられるのだが、そういう実に嘆かわしい現実の中で四苦八苦している琉球沖縄にとっては、市民運動は現場で夜を徹してでも続けられ、決して「チルダイ(気落ち)」せずに「言うべきことは言う」「すべきことはする」以外何らの政治上の人間的営為はあり得ない、ということに極まっているのである。筆者はそういうふうに沖縄の市民運動を理解している。頭越しに決定進行する国策行為なんてものに正当性があるはずもない。ヤマトゥでは通用したであろう僻遠の地での原発押しつけとその後の財政的植民地化は、最早ここでは彼ら権力者の頭の中にしかその現実は存在しない。高々5%程度のシェアで県財政を牛耳っているなどと思うなかれ。まして県が進んで誘致した米軍基地など金輪際ありはしなかった。全てアメリカ合衆国政府とその軍隊及びこれに加担し進んで協力する日本政府が、勝手放題に作り続けた「まがい物」なのである。彼らには何らの正当性もない。しかし、ここでは何事にしろ「非暴力」であり「不服従」なのだ。

 征服者と侵略者はその本性に従ってどこへでも出没するだろう。彼らが地上から消えてなくなることはまずあり得ない。それで戦争もなくなることはないと言える。弱小国、民族はこれらと戦う以外には自己を実現できない。しかし加害的な在り様では彼らと同じことになる。暴力は否定される。暴力への抵抗を暴力的に行うことも同様だ。(つづく)