沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩578 日本国の現実 27の1 国政及び沖縄

2015年03月11日 09時16分12秒 | 政治論

 高山樗牛「吾人は須く現代を超越すべし(墓碑銘原文は、せざるべからず、とある)」

 樗牛は山形県鶴岡市の人である。「滝口入道」は読売新聞懸賞小説入選作だった。

 3月10日東京大空襲、3月11日東日本大震災。3月末には米軍「アイスバーグ作戦」として苛烈な沖縄戦が開始される。真っ先に攻撃対象となった慶良間諸島では追い詰められた住民の「集団での強制的な自死、家族殺害」があった。その後この惨劇は本島でも繰り返され、其処には必ず日本兵が存在した。日本兵がないところでこれは生起しなかった。必然、これらの事件は軍隊によって強制的強迫的に行われたと断じないわけにはいかないことになる。皇民化教育により幼少年始め修学者にあって「護国の鬼」たらんと「大君の辺にこそ死なめ」とする挙国精神に陥っていたであろうし、「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓や中国大陸で自ら実行した住民虐殺の経験から軍が住民に流布した米軍によるそれを恐れるあまり自然発生的に生じたと言える。いずれにしろ軍国主義と戦争現実が必然的に引き起こした「あってはならぬ」住民悲劇であり、軍官民共生共死による無責任極まりない国家的犯罪である。このオキナワにおける70年前の国家による拭いがたい汚点を想起すれば現在の辺野古の市民弾圧は、幾重にも繰り返される許しがたい殺人的愚行以外のなにものでもない。戦争の何物をも知らないはずの安倍晋三らが、足りない脳みそで幻想的に思い描く絵空事の戦前復帰を国民は決して黙認してならない。

 「現代を超越する」ところ過去に馳せ参じ未来へ投資する、ということであろう。メルケル氏の来日は彼女の一連の現代的行動の一環にほかなるまい。それはワイツゼッカー氏の「過去に眼を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」という有名な演説にも沿っている。

 東京大空襲、広島長崎の原爆、沖縄戦、先の大戦全般、そして近接し現在進行形にある東日本大震災と原発爆発、こうした目に見える過去について目を閉ざすことは、自滅することと同義である。そこには時代錯誤に満ちた愚劣極まりない無知で蒙昧な未来しか見えず、このような国家の政府官僚たちに牛耳られる国民一般がやがて死地へと追いやられるのは目に見えている。原発再稼働、米軍基地新設増強、自衛隊増派。どれをとっても過去に学ばない為政者の狂気じみた亡国論である。(つづく)