1937年(昭和12年)7月7日、中国大陸の北京(旧北平)西南に位置する、盧溝橋近辺を発火元とする日中戦争が始まって今年が77年目にあたる。所謂15年戦争はこれに先立つ満州事変(1931年9月)を発端とするから、いずれにしろ大日本帝国の侵略的大陸政策拡大方針は帝国陸軍(関東軍)の一種の暴走の末、確実にその意図するところを現実的な実戦段階に移行させていくのだった。そのきっかけはなんでもいいのであって、こうしたところにかの安倍晋三が画策する「戦争のできる国」つくりの危険性がある、といえばそういうことなのだ。戦争ができる国とは、何かにつけ戦争したがる国あるいは軍人、の誕生を意味する。それが集団的自衛権行使容認の法制化によって確実に道筋をつけられる、ということだ。そしてこれも確実に言えることは、上層部(実際に戦闘行為に当たらない連中)が企図する戦略の具体化は下部構造にある兵士の「絶対的命令服従」によって、敵あるいは敵性対象の殺傷行為を業務任務とする単なる殺人請負に変貌させ、そこに如何なる情緒的人間的な考慮もこれを求めない、宣戦された戦争における公的な殺人推奨磁場を形成する。沖縄戦では、こうした軍隊の正体が余すところなく証言されている。彼ら軍隊は「友軍」、軍官民共生共死の仲間、という触れ込みでやってきてはあらゆる生活生存行為が軍隊論理で進んでいくことを強いる結果、逆に住民をスパイ視し即決断罪し、かつその避難場を奪い取り(俺たちは君たちを守るためにここに来たのだから我々に避難場を譲れ、と言って)住民を死地に追い出すことすらためらわなくなる。当然投降しようとする住民の背中にも発砲するのだ。殺人兵器と化した軍隊が勇気ある撤退などするわけがなく玉砕戦は彼らの本望とするところである(他人を殺すことにためらいがなければ、自分が死ぬことは大いなる義となる以外にない)。一方、現代の戦争は大量破壊兵器によって無差別に大量の人民を抹殺しようとする。現に米国ピンポイント作戦の成果の割にはイラクで現在進行している住民同士の果てしのない殺し合いは何を意味するのか、ピンポイント戦争はどっちにしろ戦争殺人行為にすぎない。あの流れの実態は戦争が持つ無際限の間化を立証している。(つづく)
戦争が起こった場合を想像するのは悪いことではない。人間数万年の歴史は殆ど戦争の歴史だった。