沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩514 到底許し難い日米両国とその民 7

2014年04月17日 17時58分19秒 | 政治論

 この国の箍(たが)は外れている、それを直しに俺が生まれてきたとは・・・・(「ハムレット」父王の亡霊に誓えと言われ復讐を誓った彼が呟く一句)。「この土地に俺が来たのは、寒冷地に生を享け温暖な気候に憧れていたツレアイの意向に従ったまでだ。勿論この地が他国の軍隊の使役にズダズダにされていることは百も承知の話ではあった。暑熱と湿気に覆われる亜熱帯気候に属することも。そして那覇空港に降り立ってまず当てられたのはその独特の臭気、おそらくは浄化槽から漏れ出すし尿のにおいと潮風が運ぶ塩分の混じったねばつくようなそれ。そして甲高くワシワシとはじける蝉の声。」

 「移住して、まず初めに、高校歴史教科書検定意見撤回要求で10万人規模の県民大集合という事態に遭遇したのは、移住した翌年2007年9月のことだった。そこにはっきり透けて見えたのは本土政府がまぎれもなくこの地を差別している事実である。本土に住していたとき、このような民族集結の光景に出合ったことは当然にないし、県民総意ともいうべき要求が、政府に突き付けられるのを見るのもかつて経験したことはない。本土政府は間違いなく確信犯的に、琉球沖縄に無理難題吹っかけ、理不尽絵にかいたような施策の行使を意図している、と思った。大江、岩波裁判に関わる、この地で実際に起きてしまった軍、乃至国家の実際命令か暗黙の強制による「集団での自決」問題においても県民は集結した。そして度々事故を起こし「未亡人作り」とも揶揄されたMV22オスプレイ普天間配備においても。これら一連の「国家対沖縄県民」という、首をひねるような矛盾極まりない国政実態に直面し、本土に住していた時如何にこの地に対し無関心であったかを想起し、襟を正して向き合うべきことと心したのは、ようやく8年目を迎えた春先のことではあった。」(つづく)