沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩514 到底許し難い日米両国とその民 2

2014年04月10日 14時02分01秒 | 政治論

 米国国家安全保障体制が基本としているのはあとにも先にも反共、防共的軍事的前方展開であり、この筋に沿って(軍事を最優先に)世界を反共思想教育で洗脳し囲い込み、米国風の経済文化教育労働生活を流布し定着させ、あらゆる分野においてこれを徹底浸透させることが、この国の多くの対外派遣要員の使命となっているし、そのように実際上行動化されてきた、と識者は見ている。これはまさしくパクスロマーナの再現であり、帝国主義的覇権的対外政策をもって、「民主化」という美名の下に弱小群小国家群の懐柔籠絡傀儡化に勤しむありようを示している。この先鞭をつけたのが敗戦国日本を占領したGHQであった。

 琉球沖縄と日本本土の米国占領政治に大差はない。ただ琉球に対する米国の支配理念は本土との分離策にあった。それは当然反共最前線基地としてこの島嶼を軍事植民地化する過程で、戦前戦中時米国が徹底研究してきた琉球と日本国との係わり合いに関するひとつの定見、即ち収奪と侵略によって強引に併合した王府国家である琉球は日本国にとっては異属に当たり、これを敗戦後第三者機関が信託的に統治するのが実情に即している、という定見である。この定見を推し進める過程で例の島ぐるみ闘争に至るプライス勧告への島民の激越な反対運動がむしろ思惑に反する実質で米国民政府の定見を突き崩し始めた。祖国復帰運動は明らかに米国民政府の失政から生じた不思議な運動だったと思われる。だが、本来、民族自決的に解放されてきた第二次大戦後の世界的な人民思想思潮は、こうした米国支配の基本的な占領者意識とは真っ向から対立する風向きにあったというしかない。では今現在の日米政府が辺野古、高江、普天間、嘉手納などでさながら「国家対人民」の対立構図で向き合っている実態というのは、この当時と理念的に余り変化してないということなのか。

 県知事の辺野古埋め立て承認と名護市長選における反対派稲嶺氏再選という事態を受け、日本及び世界の有識者が繰出したメッセージ(一地方自治体に関しての世界の知性におけるこの異様な反応について日本国政府も米国もケネデイもオバマも何一つコメントしないのは明らかに尋常でない歴史的状況を示している、と言わねばならない)はこれまで「沖縄問題」として扱われてきた本質についてそれほど際立った見解を披瀝しているわけではない。このことは、ひとつの人民闘争としてみた場合、明瞭なコモンセンスとしてなんらかの成果へ向け、具体的に基地消滅方向へ動き出すよう仕向けなければ、ついに世界は理念的な暗黒時代に突入した、と考えざるを得ないという意味になろう。この暗黒時代認識は、とりわけこの自公政権のよみがえりとともに加速している。(つづく)