沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩512 琉球の捉え返し 7

2014年04月02日 19時46分29秒 | 政治論

 スケートという高速媒体を借りた肉体の運動を通じひとつの「美」を表現するスポーツとして、通常の感覚ではクラシックバレーやダンス、あるいは器械体操に類似する競技と目されるフィギュアスケートは、現在、一人の類稀な、未だ23歳に過ぎない日本のうら若き婦人が図らずも醸しだした、文句なしに惹きつけられる「世界観」によって、かつてない「普遍性」を帯びた芸術へ飛翔しようとしている。このことは、この競技がこの数年に亘り、審判員の恣意性によって甚だ公平性を欠いたありようを示していることに関し多く示唆するところがあると思われるが、国際スケート連盟なる組織にあって直ちに実情に妥当する裁定をもって基準の改善がなされることなどいかにも望みようもないことを我々は知っている。従って、彼女の実質的現役アスリート人生においては多くの場合不本意な記録としてしか報われないと考えていたほうが現実的なのだ。

 この不思議に触発される存在が我々に伝えているのは、あらゆる表層的な形象やら現象に惑わされずに眺めるなら、確実に、一個の自由に裏打ちされたアイデンティテははっきりとその価値を我々に示すのであり、ガンジーのいう「愛と真実は必ず勝利する」という歴史的必然への確信に近づけるのである。

 同様にこの琉球沖縄がまさしく恣意的な日本国政府とその常民の意識によって不本意な状況に置かれていることは、歴史的な意味合いにおいては必ずしもチルダイするに当たらない、ということはいえるのだし、むしろこのような認識と経験から他県にありえない豊富な教訓を引き出していることに気づかねばなるまい。(つづく)