沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩398 沖縄からのメッセージ 22の1

2013年03月07日 12時43分02秒 | 政治論
 法治国家の基本は憲法であり、それの遵守にほかならない。憲法は法解釈の多様性を含有しているが、基本理念には恐らく解釈する隙間がない。つまり「文字通り」という表現がそのままあてはまるものと思われる。
 9条に関する「文字通り」の意味は、恐らくあらゆる戦争手段の、国家としての交戦権放棄が最大の理念表現でありそこに解釈の余地はない、ということになる。つまり所謂「自衛」のための「交戦権」も放棄したのだった。
 当然、予め想定した他国からの武力攻撃に対し、自衛手段としての戦力を保持することは憲法違反であり、国際間の紛争解決のために「戦闘行為」を、いかなる方法でも実行する権利はないとしている。
 にもかかわらず日本国は、自衛隊という「戦力」を保持し、日米同盟という交戦権行使手段を維持している。逆に言えば、自衛隊は「災害救助隊」であり、日米同盟による駐留米軍は災害時支援部隊であり、一定の自衛戦力誇示によるボデイガード的存在であるという解釈も成り立たないことはない。
 だが現実には、自衛隊はもちろん米軍展開は世界最高クラスの軍事力を保有している。おまけに米軍は主に沖縄の基地から発進して、世界中の戦地へ戦争行為の実践に赴いている。
 彼らアメリカのために、何故彼ら自身の戦争のための準備訓練基地を提供する義務が、9条を持つ日本にあるのか、絶対的にありはしない。ここには、敗戦国情状が容易に見て取れるが時代の推移とともに、もともとあらゆる意味で世界の超大国であり強大な軍事大国でもあるアメリカ合衆国と歩調を合わせ、その世界戦略に追随することをなにより国益と見倣す政治家乃至官僚によって、百年変わらぬ国策理念へと変貌し不変化したという事情にある。
 この国家姿勢を「アメリカのポチ」「傀儡国家」「51番目の米州」「属国」「属領」と卑下軽蔑することはできるが、所詮は自虐的な負け犬の遠吠えにすぎない。つまり、現実に例えば今来アメリカと戦争して勝てる道理はないし、これまでなかった。それに世界一の諜報謀略・情報網を有する、徹底した安全保障国家たるアメリカ合衆国に対抗して、軍事的に世界展開し通せる国力、国威、国勢を持する国家などひとつもない以上、あらゆる面で、いつもアメリカ基準で思考するしか政治家官僚に残された手立てはないのだった。
 そもそも憲法自体が、アメリカ連合国GHQの強制的指導のもとに、漸く比較的開明的近代的な世界法理念の実現に至ったわけであり、先の大戦に対する不変な平和希求の念が表現された、稀に見る理想的国家方針を打ち出したものと理解されるのだが、当のアメリカがこじつけ押し付けた「自衛隊」という軍隊、並びに彼らの防共思想に基づいて極東に最前線基地を確保するがために交わした片務的同盟契約である安保と、ふたつの反憲法実体によって日本の立場は国際的には極めて中途半端な、かつむしろ危険なものに定着してしまった。(つづく)