石原慎太郎の核武装発言が持つひどく歪んだコンプレクスは彼に特有なものではなく、この国の恐らく大部分な「再軍備核武装憲法改悪」主義者に共通の複合心理であり、彼にある対中反応が個人的になんらかの見聞に基づくものにしろ「木を見て森を見ず」状態にあることは見え見えで、概してこうした右傾化した知識人の中にある、児戯めいた「秀才根性」が齎らす野心というのは、明治維新以来この国を常に誤誘導する結果を予定しているため(富国強兵殖産興業から大東亜共栄圏構想まで)、「瓢箪からこま」まがいの偶発的政治事故を予防するべく言論はおおきに過剰なほどの全否定的論難に急迫するべきだ。但し石原慎太郎が問題なのではなく、その周辺に群がる軍国主義亜流の跳ねっ返りが思わぬエネルギーを添加して、この国の再軍備の流れをより現実のものにしていく立法的意思に(従って隠れ軍国主義者も含め憲法改悪、集団的自衛権肯定論者等々代議員連中全て)火をつけることを避けることだ。今次の衆議院選挙がごった煮のつまらない政治状況を作り出すのは明白だが、望むべくは無党派、無所属系が大勢(たいせい)に便乗して愚昧な野合的変節を繰り返さないことなのだろう。現在沖縄は超党派的な反米反基地思潮に染まっており(但し4区の候補者談を見る限り基地問題に対する根本的な差違-安保に関する是々非々-は凝視しなければならない)、国政選挙の争点は本土情勢と大差ない感じがある。従って投票率低下の可能性が高いが、それとは別に、大衆運動のアウフヘーベンがここにきて俄然注視すべき質に至ったと、思わせる時期に差し掛かったのではないか。問題は「辺野古」環境アセス政府対応と県知事処理の葛藤及びその後の「公有水面埋め立て」許可を巡る攻防だが、最悪、辺野古に展開する住民有志の抵抗運動を力で排除して新基地を建設するという事態は、如何にして醸成され現実化するのか、ということへの透徹した見通しなしにはいかなる作戦戦略も立てようがない。オスプレイの強行配備は、条約的措置にあっては通常の軍事的判断によるというのが日米合意の骨子であり、これについては配備反対への意思表示を連綿と続ける以外になくその強度、数をたのみアピール度を強化する方向であろう。しかし辺野古に関しては本来移設でなく新設行為であり、明らかにハーグ陸戦条約(戦争に関する国際的な基本法)に違反し、また過剰な一県負担にあっては国際人権思潮は勿論広い意味の「人種差別」(世界人種差別撤廃委員会規定)状態を作っていることが明白であり、世界に訴えてでも阻止する全県的運動を目指す必要がある。戦勝国と敗戦国関係が沖縄を通して理念的怠慢のつけとして持続されている現状では、当然沖縄から発信する「戦争責任追究」「天皇制再考」の論陣定立、更に、沖縄偏在化にある安保の不動産的担保を分散解消方向へ導くことで、逆に本土の安保忌避糾合を可能にする(本土の基地反対闘争を喚起する)といった考え方も取り入れることであろう。(中断)