沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩395 「人間の国」でない国にいる我々 25

2012年11月17日 08時13分48秒 | 政治論
 沖縄では、天皇あるいは天皇制には、かつて他府県には類のない際立った「恨み」がある、といえようか。これが天皇あるいは天皇制に関する本土との決定的な差違かもしれない。しかもこの「恨み」には相当の理由がある。先の大戦では日本中の民が祖国に裏切られた(大本営発表)のだろうが、沖縄は地上戦の最たる被害者、犠牲者(沖縄戦)として考えられるし、又この国の、沖縄琉球に対する根深い「差別」「軽視」の心理が、旧日本軍、為政者、昭和天皇にあって代表的に露骨に顕現していた形跡を我々は見る。死せるミカドに再登場願うわけにもいかないが(死者に鞭打っても仕方がない)、この国の言論にあっては、現在も、益々複雑に被害者であり犠牲者である境遇に貶められている沖縄を凝視し、明確に明瞭に確信を持って、天皇以下この国とその民が沖縄に対してしてきた、している、していくだろうことについて、正確な言葉において断罪しなければならない。例えば「フクシマ」においても、原子力ムラに対する重大な責任の飽くなき追及を怠ってはならないが、ここで国と民が相争うような、沖縄基地関連訴訟(普天間、嘉手納爆音訴訟等)と同じ構図の愚昧な本末転倒の、理念なき泥沼にはまるなら、醜悪を通り越して、まさしく当事者である国家の、国家犯罪と言い切る必要がある事態、といえる。本土で黙認的に許容されている天皇皇室が、まさしく昭和天皇の意志と言葉によって、あからさまに現在の沖縄の窮状を作り出した事実に対する沖縄の真情において、黒く暗い疑惑に覆われていることを、「開かれた皇室」という立ち位置が彼ら自身によって肯われるものなら、現皇太子辺が率直に認証し彼の爺様の功罪を自ら正確に語ろうとするがものではないか。しかし彼等にはその気配すらない。彼らは一体その教育と学習において何を知り識別したのだろうか。同じ日本人の中に、どういうわけか格別に待遇されている民がいる、という事実に突き当たることがなかったのだろうか。尤も、筆者自身本土に生きていた頃には頭の片隅の方に「基地の街」というイメージが意味もなくあっただけで、それが意味する多くの不当性不遇性、被害性、について深刻に捉える何の機会もなかったことを告白する。つまり本土の教育は、子供に、つい半世紀ほど前から連綿と継続する人権侵害の実例(基地公害)について、実質的に問題提起する方法を採るようなことはなかったのだった。現在、アメリカと日本政府は、中国の脅威という警戒感の中、尖閣周辺に棚引く戦雲めいた空気を醸し出そうとしている。つまり対中対北敵国視において沖縄島嶼を再び防共の前線基地とし(そこに住する民など眼中にないがごとく)その戦争準備抑止デモ訓練を一段と大規模に繰り返すことになろう。オスプレイ反対、地位協定抜本改訂要求、辺野古移設反対、といった全県的抗議行動の完全無視姿勢は、勿論今に始まったことではない。島津侵攻を遠因とし数百年にわたり日本国が沖縄琉球に対し執って来た(朝鮮半島同様の)併合意識による施策が未だに根強く基本的な「差別精神」として継続しているということだ。昭和天皇メッセージというのはこうしたこの国の改変しようもない体質の表れであり、その功罪は自身に還る。(中断)